円鏡に柄をとりつけ、手に持ち、顔を写すことができる。中国宋代の鏡によく見られるもので、明代の鏡にも多い。室町時代は、これまでの円鏡の背文意匠に行き詰まり、新しいものを求めていた。この時代の柄鏡は一般に円鏡の下に長柄をつけたもので、径は小さく、絵は細長い、また柄の先端には小孔が開いているのが特徴である。江戸時代には、和鏡の主流となり、庶民の間で広く愛用されるようになった。
「天下一」桃山時代の工芸家の生産意欲を上げるために織田信長が始めた新政策であると言われている。桃山時代以降も使われていたが、あまりにも乱用されるようになったため、使用禁止令が出された。そのため、「山城守」や「河内守」など領名をつけたものや「藤原光重」「光長」など名前だけをつけたものがつくられた。
「蔦の葉紋柄鏡」 蔦の模様は日本の代表的な紋の一つに数えられており、葉の見栄えの良さや強い生命力を表すとして平安中期ごろから愛用されていた。戦国時代の武将として有名な藤堂高虎がこの紋を用いていたり、紀州徳川家が替紋として蔦を用いていたことから、権威のある家紋として広く普及したと言われている。
山水紋は風景模様の一種で、飛鳥時代以降の美術品にみられる。例を挙げると法隆寺の玉虫厨子。中国漢代以来の様式で山水紋が描かれてる。
初期のころは信仰の対象としての意味合いが強かったが、時代とともに美しい景色を描く傾向が強くなった。
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蓬莱図柄鏡
「藤原吉長」とだけ彫られた柄鏡
上で記したとおり、江戸時代中期になると、天下一の銘は乱用により使用禁止令が出されることとなった。蓬莱図柄鏡の左側を見ると、「藤原吉長」とだけ彫られているため、この柄鏡は天下一使用禁止令が出された後に作られたものであると考えられる。
蓬莱文
蓬莱図柄鏡にみられる蓬莱文は、古代中国における想像上の神山である蓬莱山をもととしている。平安時代中期以降、吉祥を表す縁起のよい文様として流行し、柄鏡のほかにも蒔絵の硯箱、鏡箱など様々なものに用いられた。
参考文献
田中重弥 1978 『文化財講座 日本の美術 9 工芸(金工)』第一法規出版株式会社
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クレジット表記例:「出典:こくとち360°まるみえミュージアム」・「出典:國學院大學栃木学園参考館」または"Kokutochi Museum"
このページは國學院大學栃木短期大学日本史フィールドの2021年度博物館実習の一環として作成したものです(公開開始2022.1.31)。
3Dデータは、野口淳氏、株式会社ラングの方法を参考に、Agisoft Metashare standard、Cloud compareを用いて作成しました。