京洛風俗図屏風
~京都の愉快な人々~
【遊び方】
①丸く切り抜かれた画像の人が、屛風のどこにいるのか探してみよう。
②画像を拡大して、ひとりひとりの服装や表情をじっくり見てみよう。誰がどこで何をしているかな。
③江戸時代の人々の生活や文化について、本やインターネットで調べてみよう。
※画像をクリックすると拡大できます(読み込み終了まで少し時間がかかります)。
【京洛風俗図屏風(きょうらくふうぞくずびょうぶ)について】
江戸時代の京都の町の様子を描いた屛風です。右隻(下の画像)の端に「画所預従五位上土佐守藤原陽蘭軒」とありますが、作者は特定できず、町絵師によって描かれたものとみられます。屛風の中の季節は夏で、提灯を持った武士がいることから、時間帯は夜とみられます。
左隻(上の画像)には、賀茂祭の神事として、上賀茂別雷神社(かみがもわけいかづちじんじゃ)の境内で行われる競馬の様子が描かれています。屛風の左上に見えるのは社殿です。
右隻(下の画像)には、川の上に「床」を出し、楽しげに話をする人や腕相撲をする人など、涼をとる人々の様子が描かれています。また、夏の祇園祭で有名な現在の八坂神社が、祇園社であったころの姿も描かれています。屛風の一番右側の白い鳥居が目印です。
【ちょこっと豆知識】
私たちは暑い日にはエアコンをつけて部屋を涼しくしますよね。しかし、江戸時代にエアコンはありませんでした。江戸時代の人々は、簾(すだれ)をつるして日よけをしたり、夕方になると打ち水をしたりして涼しくなるように工夫をしていました。この屏風にも描かれていますが、うちわや扇子はあおぐためだけではなく、ファッションアイテムのひとつでもありました。また、「冷や水売り」という人が、水に砂糖を加えたものに白玉を入れて売っていたようです。
神事に欠かせないのが音楽。左側の人は太鼓を、右側の人は双盤(そうばん)という楽器を打っています。双盤は元々2つ1組で使われていたのが名前の由来で、槌(つち)のような形のバチで打つそうです。
賀茂競馬(かもくらべうま)が行われるのは旧暦の5月5日で今の6月初め頃なんだそうです。初夏の眩しい日差しのなか、傘をかぶって暑さ対策はバッチリです!
賀茂競馬(かもくらべうま)では2、頭の馬が速さを競ってその年が良い年であるように祈願します。そして、馬に乗って馬を操る人を乗尻(のりじり)といいます。あっ!馬から落っこちた!
二人組の旅人は、祇園社に来たのでしょうか?この頃、今で言うところの観光地ガイドブックは旅の重要アイテムだったようです!ガイドブックには、観光地の見どころ・旅の心得・宿について・持ち物リストなどなど……まるで修学旅行のしおりみたいですね。
店先からひょっこり顔を出した女の人。「ちょっとそこのおにいさん」とでも声をかけているのかのようです。笠(かさ)をかぶった男の人が振り向いています。この女の人は、遊女(ゆうじょ)と呼ばれる人で、食事の場で歌や踊りをして男の人をもてなしました。
おっと! こちらでは、よっぱらいが川に落ちてしまいました。夏の京都の河原では、近くのお店が川に「床」を出し、すずしいなかで料理を食べたりお酒を飲んだり、みんなで遊んだりして楽しんでいました。そんな時、うっかり川に落ちる、なんてこともあったりなかったり……。
本資料の紹介文
・菅根幸裕「京洛風俗図屏風」『栃木史学』第20号、2006年
参考文献
・柴田謙介、歴史の謎を探る会『江戸の人々の暮らし大全』(河出書房新社、2015年)
・宮本常一『旅の民族と歴史4 庶民の旅』(株式会社八坂書房、1987年)
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クレジット表記例:「出典:こくとち360°まるみえミュージアム」・「出典:國學院大學栃木学園参考館」または"Kokutochi Museum"
このページは國學院大學栃木短期大学日本史フィールドの2020年度博物館実習の一環として作成したものです(公開開始2020.8.31)。
屏風の写真は2005~2009年度科学研究費補助金「中近世風俗画の高精細デジタル画像化と絵画史料学的研究」(代表:黒田日出男・立正大学)によって撮影されたものです。