加耶―古代東アジアを生きた、ある王国の歴史―
https://www.rekihaku.ac.jp/exhibitions/project/old/221004/index.html
加耶(かや)とは、日本列島の古墳時代と同じ頃、朝鮮半島の南部に存在した、互いに協力し、時には競い合いながら活躍した国々のことです。おおむね4~6世紀に、海上交易と鉄生産を一体として運営し、東の新羅(しらぎ)や西の百済(くだら)、海をはさんだ古代日本の倭、そして遠く中国などとも交流を重ねながら、大きな成長をとげました。しかし、新羅と百済という強国のはざまの中で、徐々に勢力が弱まり、562年には滅亡してしまいます。今回、大韓民国国立中央博物館の全面的な協力のもと、加耶の墳墓から出土した金銀のアクセサリー、整美な土器、武威をしめす武器や馬具、成長の礎となった鉄、そして対外交渉をしめす外来の品々など約220点の資料を展示することにより、加耶のなりたちから飛躍、そして滅亡までの歴史を明らかにします。日本国内で加耶の至宝が一堂に会して展示されるのは、実に30年ぶりのことです。今回の展示では、加耶と倭の交流の移り変わりについても考えていきます。加耶は倭が最も緊密に交流した社会の一つです。倭は、加耶との交流を通して、当時の先進の情報や技術、道具を入手し、それを自らの文化として定着させていきました。それは、須恵器と呼ばれる硬い焼き物、鉄の道具、金工、馬の飼育、灌漑、ひいては蒸し器などの炊事道具や新しい暖・厨房施設(カマド)など実に様々です。その動きが最も盛んだった5世紀を「技術革新の世紀」と呼ぶこともあります。倭の歴史を知るためには、加耶の歴史にも目を向ける必要があります。本展示を通して、海をはさんだ加耶の歴史を体感しながら、日韓両地域の悠久の交流が現在、そして未来へと続いていくことに思いをはせることでしょう。
中世武士団―地域に生きた武家の領主―
https://www.rekihaku.ac.jp/exhibitions/project/old/220315/index.html
中世武士は、世襲制の職業戦士であるとともに、地域の支配者(領主)としても存在しました。中世武士の地域支配は、武士個人の力量によって実現したわけではなく、主に一族と家人によって構成された武士団という集団(組織)を形成することで実現しました。そのため本企画展示では、武士団を戦闘集団ではなく「領主組織」という観点から捉えます。中世武士が武士団という領主組織を形成して遂行した地域支配の実態と展開について、13世紀~15世紀を中心に、中世の文献・考古・美術資料のほか、近世~近代の絵図・土地台帳や現地調査に立脚して復元した本拠景観にもとづき、その具体相を展示します。事例には、豊かな資料を今日に伝える、石見益田氏・肥前千葉氏・越後和田氏を主に取り上げます。
学びの歴史像―わたりあう近代―
https://www.rekihaku.ac.jp/exhibitions/project/old/211012/index.html
「人々は何を学んできたのか、なぜ学ぶのか」について、19世紀後半以降、日本列島に近代国民国家が成立していく様相とともに、「学び」という視点から紐解きます。狭義の「教育史」ではなく、幕末維新期の世界認識と自国認識、明治社会における旧幕臣の役割、富国をめざした博覧会、衛生観念の導入と相克、アイヌにとっての近代、国民をつくるための学校教育のしくみなど、さまざまな切り口から展示を構成し、近代における「学び」の意義を考えます。とりわけ、伝統と近代、欧米とアジア、中央と周縁、強者と弱者など、それぞれに緊張感をはらんだわたりあいを伴いつつ、教育や学知を通じて「国民」が生み出されていく過程を多面的に明らかにする企画です。
性差ジェンダーの日本史
https://www.rekihaku.ac.jp/exhibitions/project/old/201006/index.html
時の流れに浮かんでは消える無数の事実を指す「歴」と、それを文字で記した「史」。日本列島社会の長い歴史のなかで、「歴」として存在しながら「史」に記録されることの少なかった女性たちの姿を掘り起こす女性史研究を経て、新たに生まれてきたのが、「なぜ、男女で区分するようになったのか?」「男女の区分のなかで人びとはどう生きてきたのか?」という問いでした。本展は、重要文化財やユネスコ「世界の記憶」を含む280点以上の資料を通して、ジェンダーが日本社会の歴史のなかでどんな意味をもち、どう変化してきたのかを問う、歴史展示です。本展では、まず、政治の行われる空間に着目して、区分の始まりを考えます。人びとを「男」と「女」に二分し異なる役割を定める社会は、古代律令国家の形成とともに形づくられ、家が政治空間の場となった中世・近世、政治の場から女性を完全に排除する近代国家の確立を経て、現代にいたっています。その過程はどのようなものだったのでしょうか。また、仕事とくらしのなかの男女にも光を当てていきます。古代の木簡や古墳から出土する埴輪は、これまで 知られてこなかった古代の男女の労働実態を物語っています。中世や近世の田植え、人びとの髪を結う仕事、さまざまな職人たちの姿からは、男の職業、女の職業という私たちのイメージが、いつ、どのように生まれてきたのかが浮かび上がってくるでしょう。さらに、それぞれの時代の社会の特徴とジェンダーに大きく左右される性の歴史を、中世から戦後までの性の売買に注目して考えます。「売春は最古の女性の職業」と言われますが、それは本当でしょうか。遊女として生きた女性たちの日記や手紙なども紹介しながら、男女の区分や位置付けを深く反映する性の歴史を振り返ります。無意識のうちに私たちを強くとらえているジェンダー。その歴史は、驚きと発見に満ちています。企画展示「性差(ジェンダー)の日本史」では、歴史の面白さを満喫しながら、ジェンダーにとらわれず、誰もが自分らしく生きられる社会を築く手がかりを見つけていただけるのではないでしょうか。
ニッポンおみやげ博物誌
https://www.rekihaku.ac.jp/exhibitions/project/old/180710/index.html
本展は、近世から近・現代にかけて展開してきた「おみやげ」という贈答文化とその背景となる旅と観光の様相を、主に国立歴史民俗博物館が所蔵する資料を通して紹介します。国民すべてが一年に一度以上、旅行に行くとされる現代においては、おみやげの贈答もまた、日常的なやりとりの一つとなっています。本展では、おみやげが生まれる場所とその特質、おみやげと旅を経験する人々との関係、そして旅の果てにたどりつくおみやげの行方に注目していきます。また「おみやげ」のコレクションを通して、日本人における人とモノと物語のつながりも問い直します。人はなぜ、おみやげを集めるのか、おみやげのコレクションからは、日本文化のどのような特質が見えてくるのか。本展では資料約1300点を展示し、さまざまな「おみやげ」の変遷や背景をたどります。
世界の眼でみる古墳文化
https://www.rekihaku.ac.jp/exhibitions/project/old/180306/index.html
日本列島には、3世紀中頃から6世紀までの約350年間、世界史的に見ても稀なスケールをもった先史モニュメントが築かれました。それは現代でも地域の景観を演出し、一部はいまだに国家的祭祀の対象となっています。本展は、2019年の第1展示室[先史・古代]のリニューアルオープンに先立って、日本の歴史と文化の最大のシンボルともいえる古墳を、世界の先史モニュメントと比較して特質をあぶり出し、その主人公として葬られた王の姿を出土品などから復元します。さらに、そのような王や古墳の姿を、現代日本のアートやサブカルチャーの担い手、世界の考古学者たち、古墳が築かれたのちの今までの日本人や日本社会がそれぞれどんなまなざしで見つめ、そこに何を求め、未来にどう伝えようとしているのかを、作品・写真・古文書・出土品・複製品など約100点のさまざまな展示を通して明らかにします。
身体をめぐる商品史
https://www.rekihaku.ac.jp/exhibitions/project/old/161018/index.html
明治末期から工業化が進展し、流通網が発達してから、新商品が開発されるたびに,人々の身体観や商品のデザインは少しずつ変わってきました。その一方で、新たな変化に対する抵抗感や過去の見直しがあって、身体観やデザインは伝統回帰を繰り返してきました。その意味で、身体に関連する商品の開発は、きわめて歴史的、文化的な営みであり、流行の発信源であったといえるでしょう。そこで、本企画展示では、おもに大正時代から1980年代頃までの身体観やデザインの変化を商品や雑誌、カタログ、広告などで表現していくことで、日本における身体観が変化してきた様子を服飾、レジャー、スポーツ、衛生、美容を中心として描写していくことを目的とします。
よみがえれ!シーボルトの日本博物館
https://www.rekihaku.ac.jp/exhibitions/project/old/160712/index.html
今回の展示では、シーボルト没後150年を記念して、シーボルトが終焉の地ミュンヘンに残したコレクションの全体像を紹介し、シーボルトの日本博物館という新たな視点から、この貴重なコレクションを再構成します。
万年筆の生活誌―筆記の近代―
https://www.rekihaku.ac.jp/exhibitions/project/old/160308/index.html
万年筆は明治時代に日本に輸入されはじめてから、それまでの毛筆に代わって、公的な筆記具として広く用いられてきました。いわば近代日本の筆記を支えた道具ということができます。この展示では、その歴史や製作に必要な技術、装飾、さらにはふだんの暮らしのなかでの位置づけなどについて、さまざまな角度から光をあててみます。第1部では、明治になって輸入された万年筆が人びとをとらえ、やがて国産化されていった様子について、その技術に目配りしながら見ていきます。第2部では、近代の暮らしのなかで万年筆がはたした役割や位置について、販売の様相、使用された諸場面、特に個人の表象として万年筆が用いられてきたことなどについて取りあげます。とりわけ、進学や就職にあたって万年筆を贈答すること、持ち歩いて、日常的に用いることが、一種の通過儀礼の意味合いを帯びていたことを確認し、万年筆にこめられた人びとの思いを掘り起こすようにします。全体を通じて、文字を書く道具としての万年筆が、近代の庶民生活のなかで担ってきた多様な意味を考え、万年筆をめぐる文化を歴史のなかで改めて考えてみます。
ドイツと日本を結ぶもの-日独修好150年の歴史-
https://www.rekihaku.ac.jp/exhibitions/project/old/150707/index.html
日本とドイツは、150年を越える交流の歴史を持ち、それぞれ「勤勉」や「規律」などに関する価値観では親近性を感じています。またドイツといえば、車やカメラ、サッカーやビールなどだけでなく、EUで主導的役割を果たしていることを想起する人も少なくありません。近年では、リサイクルなど環境保護の問題や原子力発電の問題などで、その動向に関心が集まっています。にもかかわらず、日本とドイツの交流の歴史について具体的に知る機会は、これまでほとんどありませんでした。本展は、外交や文化に関する日独交流の歴史を、本格的な「展示」というかたちで表現する、日本で初めての試みとなります。
大ニセモノ博覧会-贋造と模倣の文化史-
https://www.rekihaku.ac.jp/exhibitions/project/old/150310/index.html
私たちの日常生活では、お金をもうけるためだけの「食品偽装」や「ニセブランド」など、他人を騙す「ニセモノ」の話題に事欠きません。しかし本来、「ニセモノ」と「ホンモノ」は非常に微妙な関係にあり、「明と暗」「黒と白」といった単純なわけ方ができない場合もたくさんあります。「ニセモノ」は、暮らしのなかで重要な役割をもち、さまざまな歴史をもっています。また、「ニセモノ」が「ホンモノ」を乗り越え、文化的な創造性を発揮することもあります。さらに、博物館で作られる研究目的の「ニセモノ」は、「ホンモノ」よりもむしろ研究価値が高い場合さえあるのです。この企画展示では、「ホンモノ」に対する「ニセモノ」を単に展示するのではなく、「ニセモノ」と「ホンモノ」の複雑な関係が、時代や社会背景によって、どのような原理で振幅してきたのかを明らかにしていきます。
文字がつなぐ-古代の日本列島と朝鮮半島-
https://www.rekihaku.ac.jp/exhibitions/project/old/141015/index.html
古代から朝鮮半島と日本列島は、ともに中国の漢字文化を受け入れ、はぐくんできました。日本では、7世紀後半から9世紀にかけての木簡が、藤原京や平城京からだけでなく各地からも数多く出土し、古代の日本列島で文字による政治が活発に行われていたことが明らかになりましたが、そのルーツについてはよくわかりませんでした。『古事記』『日本書紀』などといった古い歴史書には、漢字文化が朝鮮半島から伝わったことが伝承として記されています。ただこれまではどうしても“漢字のふるさとは中国”という意識が強すぎたために、「漢字文化の来た道」を学問的に検証することは困難だったのです。ところが、韓国では1970年代末以降、5~7世紀の石碑があいついで発見され、さらに90年代末からは、日本の木簡のルーツとなるような木簡が次々と発見されるなど、朝鮮半島の古代文字文化の様相がしだいに明らかになってきました。日本においても近年、文字を使って政治を行いはじめた7世紀代の木簡が数多く出土するようになり、それぞれの文字文化をつなぐ資料が、私たちの前に姿をあらわしはじめたのです。このような流れをうけて、日本と韓国の研究者の間で古代文字文化に対する関心が高まり、両国間において様々な研究協力や学術交流が進められるようになってきました。その結果、今まで考えられてきた以上に、古代の日本列島と朝鮮半島が文字によって深くつながっていたことが、明らかになりつつあります。今回は、このような研究成果を踏まえ、韓国の研究機関の全面的な協力を得て、古代の朝鮮半島から日本列島へ、文字文化が受け入れられ、それが形づくられていく過程、さらには文字文化を媒介とした両地域の交流の歴史をテーマとした展示を開催し、最新の古代文字研究の成果を広くご紹介したいと思います。
歴史にみる震災
https://www.rekihaku.ac.jp/exhibitions/project/old/140311/index.html
本展示は、東北地方の歴史上の震災と、近現代の震災という、大きく二つの角度から構成しています。前者が、歴史を大きくさかのぼりながら、長いスパンで、3・11に至るまでの地震災害の連続性を捉えるものであるのに対して、後者は、近い時代の震災の中に、今日と通底する問題を見いだしていこうとするものです。震災では、多くの人が傷つき、命を失い、あるいは従前の生活基盤が破壊されます。また同時に、震災がきっかけとなって、社会的な混乱が発生したり、社会のあり方そのものが問われたりすることもあります。さらには、被災地のイメージは、最も被害の大きかった地域を中心に形作られるケースが多く、そこから距離のある地域の被害や被災者は、ともすると忘れられがちになります。また他方で、被災者の救済が、震災では大きな課題になります。今日的にいえば、「復興」のなかには、本来的にこの救済が含まれるのですが、実際にはそのなかで、救済の網の目からこぼれ落ちる人びとを出してしまいがちなのもまた事実です。震災の歴史とは、そうした救済の欠落に向き合おうとしてきた歴史であるともいえます。本展示では、これら、いわば人や社会によって、震災がどう経験され、何が学ばれ、そして何が忘れられるのかといった点を、時代性や社会史の視点から紐解くと同時に、自然科学的な知見と人文科学を交差させる形で、災害史の研究成果を反映させつつ、震災を立体的に捉え直す場にしたいと思います。
行列にみる近世-武士と異国と祭礼と-
https://www.rekihaku.ac.jp/exhibitions/project/old/121016/index.html
日本の近世は、列島上を参勤交代の行列が、江戸城を結集核として定期的に往来しただけでなく、朝鮮通信使や琉球王国の使節、オランダ商館長などの外国使節の行列も江戸をめざしました。規模は小さくとも幕府の役人が江戸から地方は出張するときには、供回りを携えた行列をくんで行進していました。いわば列島上をこうした大小の規模の行列が往来していたこととなります。もちろん戦国時代にも武装した集団が行進していただけではなく、信長は「馬揃い」という武士たちの力を誇示するデモンストレーションを行い、秀吉は聚楽第への天皇の行列を仕切り立てるなど、折に触れて行列を見せてきました。しかし、近世に比べるとその頻度はきわめて少なく、ほぼ都に限られていました。その意味では、全国的な広がりをもって行列が往来したのは、近世の時代の特色だといえるでしょう。そして、参勤交代の行列が、戦闘集団の体をなし続けていたとは言え、実際の戦闘を想像させることはありませんでした。17世紀半ば以降は、国内外の戦争がなくなったことによって武士の有様が変化したことを反映しており、言わば「徳川の平和」とセットで捉えられるものです。本展示では、将軍以下武士領主たちの行列、外交使節の行列という実際に政治的意味をもつものから、祭礼行列まで幅広く扱うとともに、祭礼行列のなかに領主の行列や外交使節の行列が仮装行列として組み込まれる(「演じられる」)ようになることについても示します。そのうえで、行列の構成、行列を見せる側と見る(見させられる)側の関係からも近世社会を照らし当てていきます。
楽器は語る-紀州藩主徳川治宝と君子の楽-
https://www.rekihaku.ac.jp/exhibitions/project/old/120710/index.html
紀州徳川家伝来楽器コレクションは、主として紀州藩の第十代藩主徳川治宝(はるとみ)(1771~1852)によって収集されたものと伝えられています。笙や篳篥(ひちりき)などの雅楽器を中心に、吹きもの(管楽器)・弾きもの(絃楽器)・打ちもの(打楽器)など各種の楽器20数種、楽譜、その他の附属品、さらに楽器にまつわる情報を記した附属文書から構成されており、総点数161件(233点)を数えるわが国最大級の古楽器コレクションです。在銘のものを含め、その製作期はさまざまな時代におよび、古代に遡る伝承をもつものもあるほか、大陸製の楽器や珍しい調律用楽器も含まれております。点数や楽器種の多彩さ、その内容から、楽器史や音楽史上きわめて重要な、日本を代表する古楽器コレクションとみなされてきました。これらの楽器を収集した徳川治宝にとって音楽とはいかなる意味をもち、コレクションはどのような構想のもとに生みだされたのでしょうか。今回の企画展示では、このコレクションの中から代表的なものをとりあげて公開するとともに、附属文書等から知られる楽器周辺の文化的な様相を明らかにし、江戸時代の支配者(武家)や文化人にとって「楽」とはどのようなものであったかについて考察していきます。現代人にとって雅楽などの伝統音楽は決して馴染み深いものとはいえません。また、伝世した楽器がかつて奏でた実際の音色を、われわれは聞くことができません。そこで、展示にあたっては、古の音楽についての理解を深め、親しんでもらうための様々な工夫を凝らしました。あわせて、治宝の楽器収集をより豊かに彩った箱・筒・袋などの収納具や、楽器本体に凝らされ華麗な装飾、卓越した工芸技術についてもご紹介いたします。
「都市を描く-京都と江戸- 」第Ⅰ部「洛中洛外図屏風と風俗画」
https://www.rekihaku.ac.jp/exhibitions/project/old/120327/index.html
16世紀初頭、首都京都の全景を一双の屏風に描いた「洛中洛外図屏風」が登場します。そこには、応仁の乱から復興し、新たな近世都市へと向かう京都の姿がつぶさに描かれていました。現実の都市社会を題材にした洛中洛外図屏風は、権力者の自己主張から名もなき人々の暮らしまで、非常に多くの要素を包含し、歴史資料としても貴重な存在です。洛中洛外図屏風に描かれていた多彩な内容は、時代が進むにつれてさまざまなジャンルに分化していきます。名所、祭礼、職人、遊楽などの、身近な対象をクローズアップした、人間中心の絵画への発展が著しく、そこには背景となる社会や政治体制、そして人々の都市を見る視点の変化が反映されています。本展では、当館が所蔵しながら、なかなかまとまって展示する機会がない6点の洛中洛外図屏風と、新出資料を含む関連絵画資料を中心に、他館ご所蔵の資料も加えて、洛中洛外図屏風から近世風俗画への展開を体系的に提示いたします。来館者に絵の読み解きを楽しんでいただくために、タッチパネルによる拡大装置なども用意いたします。また、当館の共同研究・科研研究として行ってきた「洛中洛外図屏風歴博甲本の総合的研究」(2009~11年度)の成果として、洛中洛外図屏風歴博甲本の復元複製や人物データベースなどもご披露します。以上の当館における展示を人間文化研究機構連携展示「都市を描く─京都と江戸─」の第 I 部とし、連携して研究を行なってきた国文学研究資料館において、江戸を対象とした第 II 部 「江戸名所と風俗画」をほぼ同時に開催します。両者相まって、さらに総合的に、描かれた都市の世界を堪能していただけるものと思います。
風景の記録 - 写真資料を考える -
https://www.rekihaku.ac.jp/exhibitions/project/old/111108/index.html
風景は人びとの生活と深く結びついています。人びとは風景のなかでくらし、風景は自然のみならず人びとの生活のなかで作り出されます。今回の企画展示では、写真が風景の記録として、歴史と文化を考えるためのかけがえのない資料であることを紹介します。写真は高い写実性を備えているために、風景の記録としてたいへん優れた資料です。しかし、風景のある断片を瞬間的にとらえた一つの像にすぎません。写真の外側と前後には無限の空間と時間があります。しかも、古い写真では、撮影の時期と場所が不明なものも少なくありません。本展示では、この点に留意しつつ、風景の広がり、時間の流れのなかの風景、風景の多様性という三つの観点を中心に構成します。展示資料としては、本館が所蔵する「石井實フォトライブラリー」の写真を活用するとともに、幕末日本を撮影したF.ベアトに代表される古写真、近代の絵はがきなどを中心に構成します。主として取りあげる東京と長崎は、近世の絵図や古写真が豊富に残っており、時代を通じて風景の変遷を辿ることができます。そのなかで、それぞれ関東大震災や長崎への原爆投下という、「風景の破壊」の経験も視野に入れ、多角的に風景を捉えていきます。また、東京に関しては、石井實フォトライブラリーに収められた奥多摩の写真を活用し、地域社会を写真で記録したコーナーを設置する予定です。このほか、タッチパネルの活用などにより、全体としては日本各地の風景を盛り込むとともに、とくに、今年3月以降の東日本大震災を踏まえ、被災地の写真展示も予定しています。
紅板締め - 江戸から明治のランジェリー
https://www.rekihaku.ac.jp/exhibitions/project/old/110726/index.html
江戸時代後期から明治時代にかけて隆盛した「紅板締め」についての展示です。紅板締めは型板(模様を彫刻した版木)に生地を挟んで染めあげる染色技法であり、京都が主たる生産地でした。その製品は、襦袢裾除・下着といった女性の内に着る服飾に多用されていました。技法には不明な点が多く、そのため幻の染色とも言われています。紅板締めが隆盛した時期は、西洋からの技術の導入あるいは製品の輸入によって、染織の技術やデザインが飛躍的に変化していった時期にあたります。紅板締めはその変化に対処しきれず、ついには昭和時代のごく始めに生産を終えてしまいます。当館は、2005年度に京都の高野染工場(現在廃業、かつての屋号は紅宇)より、2万枚を超える型板をはじめ、型紙・模様見本帳・締具など、膨大な数の紅板締めの道具類の寄贈を受けました。紅宇は、京都で最後まで紅板締め業を続けていた2軒のうちの1軒です。今回の企画展示では、紅宇伝来の道具類をもとに、制作の工程を示し、いまだ多くのこる技法の謎をひとつでも解明していこうと試みています。驚くべきことに、紅宇伝来の道具類で作られた実製品も数多く発見できました。このような実製品、すなわち、一般には公開される機会が少なかった女性の内に着る服飾を、多数展示するまたとない機会ともなっています。その美しさも是非ともご堪能ください。
侯爵家のアルバム -孝允から幸一にいたる木戸家写真資料-
https://www.rekihaku.ac.jp/exhibitions/project/old/110301/index.html
当館所蔵の旧侯爵木戸家資料(孝允(たかよし) ― 正二郎(しょうじろう) ― 孝正(たかまさ) ― 幸一(こういち) 4代にわたる資料群)は、1984年から1998年にかけて寄贈を受けたものですが、簡単な仮目録があるだけで、長らく本格的な整理がされないままになっていました。平成13年度から客員教授や資料調査プロジェクトのメンバーによって整理・目録作業を進め、今回ようやくそれが終了し目録「旧侯爵木戸家資料目録」刊行の見通しがつきました。そこで、目録による資料の全面公開に合わせ展示を行います。今回は、1万5千件に上る厖大な資料の中から最も視覚に訴える資料として、写真資料に絞って紹介します。幕末・明治初年から昭和戦後期まで長期にわたり撮影されたもので、主として木戸家の人々が被写体となったものです。総数は5,241件に達しますが、その中から特色ある写真をピックアップします。柱となるのは、ガラス板写真や欧米で写された岩倉使節団関係のアルバムなど、木戸孝允に関わる幕末・明治初年の写真。海外留学の後、夭逝した木戸正二郎の写真。明治・大正期の華族の暮らしぶりを伝える孝正夫妻や少年時代の幸一らの家族写真。昭和戦前期は天皇の重臣として、また戦後は東京裁判の被告としての木戸幸一が写された写真などです。木戸家という、日本の近現代史の中で大きな位置を占めた一家族の公私にわたる足跡を画像でたどることで、歴史資料としての写真の有効性を提示できると考えています。
「アジアの境界を越えて」
https://www.rekihaku.ac.jp/exhibitions/project/old/100713/index.html
境界を越えた未知の世界との出会いは、自分の世界を広げる機会であり、自分や自分たちの存在・立場を改めて実感する場でもあります。人類の歴史は、こうした境界を越える人々の営みの積み重ねであるといっても過言ではありません。境界を越えることが、人々の意識や行動に如何なる変化をもたらしたのでしょうか。古今東西さまざまな時空で生じた、境界をめぐる人の動きに注目することは重要です。境界とは、二つの世界が接し重なるところです。視点や立場によって姿や形を変え、歴史の中には実にさまざまな境界の姿がみえてきます。しかし、我々は、無意識のうちに、境界を一本の線として、境界の内側あるいは外側を均質な世界と考えていないでしょうか。過去のさまざまな境界を眺め、比較することによって、現代の我々がもつ境界のイメージも相対化してゆきます。人間文化研究機構が主催する連携研究「ユーラシアと日本」では、境界を一つのキーワードとして、人文科学の諸分野が議論を重ねてきました。「グローバル化」が叫ばれて久しい今日、境界という視点は、現代社会を理解し、その明日を考える上で一つの指標を与えてくれるものと考えています。ここでは、アジアに注目して、古代と近現代の境界を眺めてみることにしたいと思います。
日本建築は特異なのか -東アジアの宮殿・寺院・住宅-
https://www.rekihaku.ac.jp/exhibitions/project/old/090630/index.html
神社・寺院、御殿・住宅、城郭・民家・茶室などによる日本の建築文化は、縄文・弥生にはじまり、古代・中世・近世と日本列島内で受け継がれてきたもので、日本独自であり、日本固有のものであると考えられています。しかし果たして本当にそうなのでしょうか?東アジアに視野を広げてみると、中国や韓国の建築と日本建築はよく似た部分も多く、日本建築とは何が独自で何が固有のものなのか案外わからなくなってしまいます。このような観点にたって、あえて「特異」という言葉を使って日本の建築文化を考えようというのがこの企画展示の試みです。中国建築、韓国建築と比較して日本建築の何が独自なのかをまず考え、そこから東アジア建築の共通性、普遍性という問題を考えようとしています。この場合の建築文化は、王権の象徴としての宮殿、宗教の拠点となる寺院などの宗教施設、そして人間の活動の場である住宅で代表させることができるものです。また、このような建築を実際に作り上げていく建築技術や生産体制までも含めて考えることにします。建築は展示室に運ぶことができないので、建築模型や写真、関連資料などで示すことになります。建築を作り上げる大工道具も韓国と日本で比較して展示します。一般にはわかりにくいとされる建築の構造や組物(くみもの)については写真・図面だけではなくコンピュータ・グラフィックも用いて説明します。具体的な建築の比較を通して、建築を成り立たせていた人間文化のあり方全体を、東アジア世界と日本という観点から考える手がかりが提供できれば幸いです。
錦絵はいかにつくられたか
https://www.rekihaku.ac.jp/exhibitions/project/old/090224/index.html
この企画展示は、多色摺浮世絵版画の一形態で、一般にもっとも馴染みのある錦絵が、どのようにして生み出されたのかを、錦絵をとりまく社会状況や世相の面からアプローチするとともに、昨年度購入した錦絵の版木をもとに、錦絵を生み出した技術的側面を、彫摺技法および絵の具の科学的分析をもとに考察するものです。つまり、錦絵の鑑賞に重きをおく美術展ではなく、‘流通’と‘世相’さらに‘技術’に焦点を当てて、江戸時代末期の錦絵について考えるものです。
[染]と[織]の肖像-日本と韓国・守り伝えられた染織品-
https://www.rekihaku.ac.jp/exhibitions/project/old/081015/index.html
眼の前に古いキモノがある。それは、一体、いつ作られたのか。どのような技術で作られたのか。模様がこのようなデザインなのはなぜか。誰が着用したのか。いかにして今日まで伝来したのか。キモノにまつわるそうした履歴を知りたい。そう思う人は少なくないでしょう。キモノをはじめ染織品の履歴をひもとく―これが本展示で試みることです。注目するのは、日本の社寺に寄進され、今日まで伝来した染織品と、韓国の墳墓から出土し、再びその姿を今日に甦らせた染織品です。このようなかたちで守り伝えられてきた染織品は、使用者・着用者や時代についての情報を含む銘文をしばしば伴います。履歴をみずから多弁に語ってくれる染織品と言えましょう。本展示では、このような特性をもつ日本の社寺に寄進された染織品と韓国の墳墓からの出土品を主として集め、その姿かたち、いわば「肖像」をつぶさに見つめて読み解くことで、履歴に迫っていきます。
旅-江戸の旅から鉄道旅行へ-
https://www.rekihaku.ac.jp/exhibitions/project/old/080701/index.html
現代の観光旅行のルーツは近世に求めることができます。近世の旅は伊勢参宮に代表されますが、各地の都市を中心に多様な旅行地が成立しました。旅は寺社参詣が目的でしたが、街道も楽しみの場であり、旅の行程すべてが壮大なアミューズメントパークでした。鉄道旅行により、そのアミューズメントパークは崩壊しますが、都市周辺には多くの旅行地が成立し、短時日のうちに、より遠くへの旅行も可能になりました。一方、鉄道の発展は汽車に乗ることも楽しみとなり、鉄道趣味へと発展していきます。鉄道旅行が当然のことになると、旧道回顧も盛んになり、画家を中心に旧道旅行も行われ、現在の旧道歩きに引き継がれています。今回は旅行案内書などを中心に展示しますが、本展示により、新しい旅行の在り方を模索していただきたいと思います。
幻の博物館の「紙」-日本実業史博物館旧蔵コレクション展-
https://www.rekihaku.ac.jp/exhibitions/project/old/080116_ka/index.html
財界人として活躍した渋沢敬三(1896~1963)は、民俗学の発展にも大きく寄与しました。彼は戦前に「近世経済史博物館」の設立を構想し、江戸後期から明治にかけての経済発展を跡づける資料の収集を進めました。この構想は戦後も「日本実業史博物館」として続けられましたが、ついに実現しませんでした。この幻の博物館のために彼が収集した資料は、生前、文部省史料館(現、国文学研究資料館)に寄贈されています。今回の展示は、「日本実業史博物館」が具体的にどのような構想で収集準備を進めていたのかを見直し、同博物館の「製紙」部門の実像に迫ることを目的としています。
日本の建築-旧花田家番屋と鰊(にしん)漁場-
https://www.rekihaku.ac.jp/exhibitions/project/old/080116_ke/index.html
国立歴史民俗博物館には、日本建築史にとって重要な建築の模型が所蔵されています。その多くは、実際の建物を縮尺10分の1で忠実に再現したもので、現場ではわかりにくい全体の姿や、平面構成、屋根裏の構造などを、建築当初の姿に復元して見ることができます。開館以来、これらの模型を順次展示してきましたが、本年度は、北海道留萌郡小平町に現存する旧花田家番屋(重要文化財、1905・明治38年建築)の模型を取り上げました。この旧花田家番屋は、本州方面から伝えられた和風建築技術で建てられましたが、北海道で普及していた洋風建築の意匠も加味した独特な雰囲気を持っており、木造建築として規模の大きさや、柱と梁を組み合わせた内部空間の見事さでも知られる明治期の代表的な民家建築です。三つに分割できて室内の座敷飾りや屋根裏など内部の様子がよくわかる館蔵模型は、その建築としての特徴を余すところなく示しています。この旧花田家番屋は単に民家建築としてだけではなく、数少ない鰊漁場の番屋建築として貴重な建物です。鰊漁は、幕末から明治・大正、そして昭和にいたるまで、北海道にとってはもちろん、日本全体の生活と経済を支えた重要な産業でした。番屋はこの鰊漁の拠点として北海道各地の鰊漁場に次々と建てられましたが、この旧花田家番屋の建てられた明治38年は、鰊漁が最も栄えていた時期で、この旧花田家番屋はこの鰊漁場の繁栄を今に伝える格好の資料なのです。今回の展示は、模型だけではなく、実際の旧花田家番屋の写真、鰊漁場関連の道具類の写真、そしてかつての鰊漁の隆盛を伝える写真などを用いた展示パネルを作成しました。実際の鰊漁の経過を記録した映像もあります。これらの展示を通して、鰊漁が日本の近世から近代にかけて持っていた重要な意味を考え直してみたいと思います。
西のみやこ 東のみやこ-描かれた中・近世都市-
https://www.rekihaku.ac.jp/exhibitions/project/old/070327/index.html
華やかな都のありようには昔から人々からの熱いまなざしが注がれてきました。わが国の都市が発展した中世末期から近世にかけてその繁栄の様子は数々の絵画や絵図に描きとめられています。本館は現存最古の作例を含む7点の洛中洛外図屏風や、江戸図屏風、あるいは各種の江戸鳥瞰図、絵図、錦絵など、都市を描いた豊富な絵画資料を所蔵していますが、従来まとまって展示する機会はありませんでした。本企画展示では、それら豊富な館蔵の絵画資料を中心に、わが国の中・近世都市がいかに描かれてきたのかをご覧に入れるものです。対象となる都市は、京都と江戸、さらに長崎、堺、横浜という3つの港町です。時代の推移にともなって都市の絵姿がいかに誕生し変容するか、あるいは描かれた都市景観の読み解きや、巨大都市江戸の名所の多様性とその受容の実態についても考察します。また、洛中洛外図屏風などの等倍レプリカで当時の人々が楽しんでいたような絵の上での都市巡りを体験したり、江戸名所を題材にした判じ絵で遊ぶなどのコーナーもご用意しています。この機会に、ぜひ佐倉の歴博でありし日の「みやこ」見物をお楽しみ下さい。
日本の建築 -床の間・違い棚(だな)・書院の成立-
https://www.rekihaku.ac.jp/exhibitions/project/old/070110_ke/index.html
国立歴史民俗博物館では、日本の建築史にとって重要な建築の建築模型を所蔵しています。これは縮尺10分の1で、現実にある建物を忠実に再現したもので、現場ではわかりにくい建物の全体的な姿や、細部、構造を見ることが出来ます。また模型によって、実際にはできない建築相互の比較をすることも出来ます。開館以来、これらの模型を順次展示してきましたが、今回は慈照寺東求堂と今西家、旧北村家という民家2棟を取り上げます。この3棟によって日本住宅史の上で重要な問題である、日本住宅を特徴づける床の間・違い棚・書院というものがどのようにして形成されていったかを示したいと考えて企画しました。ただそれには模型が充分ではありませんが、関連する絵画史料なども援用して、あなたの想像力を駆使してご覧いただければ幸いです。
「佐倉連隊にみる戦争の時代」
https://www.rekihaku.ac.jp/exhibitions/project/old/060704/index.html
歴博が所在する佐倉城址には歩兵第二・第五十七連隊が置かれていたことから、当館では共同研究「佐倉連隊と地域民衆」(平成14〜16年度)を行いました。 さらに当館の新たな総合展示(常設展示)では1930年代から高度経済成長期までを扱う第6展示室の開設に向けて準備を進めています。 これに先立ち、本企画では民衆から見た近代日本の「戦争の時代」について、4部構成で紹介します。 展示点数は約200点となります。
「日本の神々と祭り -神社とは何か?-」
https://www.rekihaku.ac.jp/exhibitions/project/old/060321/index.html
古代以来、時代ごとの大きな変化を経ながら現代まで伝存継承されてきた、日本の古い神社には高い文化的・学術的価値があり、日本文化研究の上からも重要な位置を占めています。私たちは、神社を信仰や宗教という精神的な面で貴重な歴史的文化的施設とみると同時に、その立地や環境から環境保存機能や公園的機能、自然動植物園的機能、また建築構造物の維持の上では建築・工芸の技能保存伝承機能、豊富な収蔵品類からは美術館・博物館・資料館・図書館などの諸機能、伝統的な祭礼からは儀礼や芸能の保存伝承機能、さらには観光資源としての機能など、きわめて多面的な機能を有する豊かな文化的有機的な構造物とみる視点に立って、共同研究(2000年度〜)を試みてきました。
特別企画 紀州徳川家伝来の楽器
https://www.rekihaku.ac.jp/exhibitions/project/old/050813/index.html
本館が所蔵する紀州徳川家伝来楽器コレクションは、主として紀州藩の第十代藩主徳川治宝(1771〜1852)によって収集されたものと伝えられます。意欲的な文化政策を推進したことで有名な治宝は、のちの伝えによれば、特別に勅許を得て黄金五万両を投じ、国内外、古今の楽器を集めたといいます。コレクションは、雅楽の楽器を中心に、吹きもの(管楽器)・弾きもの(弦楽器)・打ちもの(打楽器)などの各種楽器や、楽譜、調律具を含めて総数159件、231点におよびます。点数や楽器種の多彩さ、その内容から、楽器史や音楽史上きわめて重要な、日本を代表する古楽器コレクションとみなされてきました。華やかに装飾された附属品、楽器にまつわる情報を記した附属文書に恵まれていることも、このコレクションの重要な特色のひとつです。今回の小企画では、これらの中から約90点をとりあげ、雅楽器を中心とする多様な古楽器の世界を概観していただきます。現代の日本人にはかなり縁遠い存在となってしまった伝統音楽ですが、近年、学校教育の場でも和楽器が扱われるようになって、次第に関心は深まりつつあり、再評価の気運が高まっています。13年ぶりにまとまって展示される古楽器の数々をご覧になりながら、古の人々の心に響いた音色に思いを馳せて下さい。また、楽器や附属品の隅々にまで凝らされた高度な美術工芸技術をご堪能いただきたいと思います。
夏の風景−浴衣・浮世絵・怪談−
https://www.rekihaku.ac.jp/exhibitions/project/old/050813_02/index.html
春夏秋冬、日本の四季は表情豊かで、季節を伝える歳時も豊かです。現代社会に生きる我々にとって、夏は「古き日本」的な世界に多く触れる季節ではないでしょうか。うちわ片手に浴衣姿で楽しむ花火などは、その代表例ということができるでしょう。浴衣は、かつて広く一般に普及した衣装でしたが、現在日常的に身に着ける人はほとんどおらず、「伝統的」なイメージのある存在といえるでしょう。花火も、江戸時代以来、夏の風物詩として、人々の間になじみの存在です。また、暑い夏を涼しく過ごす「納涼」と切っても切れない関係の、妖怪や怪談も夏を彩る風景ということができるでしょう。こうしたものの多くは、江戸時代から明治にかけて登場したり、普及したりしたものです。本展示では、現代社会に息づく夏の風物詩を、「浮世絵」「浴衣」「贈答」「幽霊・妖怪」といった4 つの視点で描き出します。より身近な視点から、伝統的イメージの背後に広がる豊かな世界へと皆様を誘います。
平成16年度企画展「東アジア中世海道−海商・港・沈没船−」
https://www.rekihaku.ac.jp/exhibitions/project/old/050323/index.html
世界の海は、それを共有する多くの国と地域を結びつけ、人、もの、文化、技術などの相互交流の場として、歴史の揺籃(ようらん)となり、原動力となってきました。この展示では、特に12世紀から16世紀の東アジアの海を舞台にして、中国、高麗・朝鮮、日本、琉球などの国や地域、人々が相互に影響を与えながら育んだ交流の歴史と文化の煌めきを、考古、文献、美術、民俗資料など、多様な展示品を通して描こうと企画しました。東アジアでは、積極的な対外政策をとる宋が出現すると、新たな交流の時代が到来し、海で結ばれた多くの地域や国々の激動を促しました。そして、それは単に国家間の政治や経済の問題にとどまらず、一般の人々の日常生活にまで影響を及ぼすものであったことも前代とは異なる特徴です。例えば、中国産の陶磁器が日本列島のごく普通の食器となり、中国の銭が市場での日々の買い物に使われるといった具合です。またそこでは中華の建前のもとで国と国とが交流しただけではなく、国境を意識しないで海を共通の世界として活躍した海民・海商たちのエネルギッシュな姿がありました。それは東アジアの大きな枠組みとして、16世紀のヨーロッパとの出会いにより地球規模の交易・交流へと変化するまで続きました。アジアが最も煌めいた時代の一つといえます。しかし、中世から近世への変化のなかで、それらは次第に国の枠組みへと閉じこめられていくことにもなりました。今、世界がグローバリゼーションの波に覆われようとしているとき、国境を超えて国の集合とは異なる地縁的なもうひとつの世界を実現した中世の東アジア海域を見つめ直し、アジアを考える一視点としたいと考えています。
平成16年度特別企画「明治維新と平田国学」
https://www.rekihaku.ac.jp/exhibitions/project/old/041013/index.html
本居宣長に師事し、幕末に広汎なネットワークを駆使して情報収集を行った国学者平田篤胤。国立歴史民俗博物館では、先ごろ、平田篤胤(あつたね)、銕胤 (かねたね)、延胤(のぶたね)三代の気吹舎(いぶきのや)史料を入手し、研究を進めた結果、我が国の歴史研究上重要な新事実があまた浮上しました。秘密 であったはずのロシアからの外交文書など、これまでほとんど未公開であった貴重な資料をもとに、幕末維新期における篤胤や全国四千といわれる門弟達の政治 活動等及び、銕胤・延胤の明治新政府内で果たした役割等を中心に展示紹介します。
平成16年度企画展示 海をわたった華花
https://www.rekihaku.ac.jp/exhibitions/project/old/040713/index.html
人間と植物とのかかわりの歴史は、生活文化の全体に深くかかわっており、かつ変化に富んだものでした。日本列島で展開した生活文化には、日本に自生 する植物群だけでなく、海をわたってもたらされた多種多様な植物群が深くかかわり、かかわり史に変化をもたらしてきました。これまで、歴史的に深くかか わってきた植物群はイネやムギのような穀類が中心に据えられてきましたが、そのような単調なものではなく、実際には、アサガオ、ボタンやシャクヤク、ウメ やキクなどたくさんの花卉園芸植物、ヒョウタンやメロン(いわゆるウリ)、ナスやトウガラシ、ワタやベニバナなどの果菜類、サトイモやサツマイモなどの根 菜類が深くかかわってきたのです。さらに、一度日本列島にもちこまれたものがしだいに波及していったという単純なものでなく、幾たびも、異なるたくさんの 系統がもちこまれ、あるものは一瞬に途絶え、あるものは急速に波及していくといったように、複雑なかかわり史をもっていることがわかってきました。こうした海をわたった植物群については、植物の種類ごとに、また、研究の分野ごとに研究が進められ、日本の歴史あるいは生活文化史といった枠組みの 中で総合されることはほとんどありませんでした。そのため、日常生活に深くかかわっている植物とのかかわり史についても、園芸文化史など一部を除いては断 片的にしか伝えられてきませんでした。この企画展示は、これまで個々に解明が進められてきた植物たちの歴史を日本の生活文化の枠組みの中で総合し、植物遺体や文献史料という実物と、種子 や苗から育てた生き証人の二通りの展示をとおして、海をわたった植物たちと人とのかかわり史の理解を深め、日本歴史の新しい視点を見いだそうとするものです。
民衆文化とつくられたヒーローたち −アウトローの幕末維新史−
https://www.rekihaku.ac.jp/exhibitions/project/old/040316/index.html
これまで国立歴史民俗博物館は、歴史上の特定の人物に焦点をあてることなく、広く民衆の生活文化史をベースに展示と研究を行ってきました。しかし、民衆と はいっても、アウトローは、研究の対象とはなり難く、これまで展示などにとりあげられることはありませんでした。この企画展示は、従来取り上げられること のなかったアウトローを研究対象として、その成果を展示をとおして公開するものです。アウトローは無法者・反社会的・反権力的存在が災いして、正史ともいうべき歴史学その他のアカデミズムから阻害されつづけているため、歴史研究で取り扱うには、種々の困難がともなっていました。しかしながら、かつては稗史(はいし)と呼ばれる歴史があったのです。お上の「正史」の向こうを張って、博徒・侠客・浪人・漂白の宗教者・芸能者な どのアウトローたちが、主役となって活躍する歴史です。なかでも、わが国の歴史上、幕末維新期は稗史の主人公が主役を演じた全盛期でした。彼らは読本に書 かれ、錦絵に描かれ、歌舞伎で演じられ、講釈や浪曲で語られ、そして民衆のヒーローとなって彼らの意識の中に沈潜していったのです。この企画展示はこうした稗史の中の博徒や侠客から、歴史を語り直したいと思っています。とくに彼らの活動をとおして、幕末維新に歴史学のふるいをか けてみます。文献史学の手法を駆使して、歌舞伎や講談の中で活躍したアウトローに密着固結した虚実の皮膜を一枚一枚はぎ取りながらアプローチしていこうと するものです。展示の具体的な構成は、第一部が「アウトローの時代と社会」で、「史記」「水滸伝」をキーワードにアウトローの誕生する思想的淵源を探り、絹繁盛や賑わう宿・湊・河岸から、アウトローの生きる社会的基盤をとらえます。第二部は「アウトローの群像」。国定忠治や清水次郎長、あるいは「天保水滸伝」に登場する面々など、ヒーロー化していったアウトローたちの虚から実へと迫ります。また、アウトローが正史に躍り出た明治維新とは何であったのかを、抹殺された博徒から考えます。第三部は「つくられたヒーローたちとメディア」として、アウトローたちがいかにしてヒーローに仕立て上げられていったかを、講談・浪曲・芝居・映画など、多彩なメディアをとおして分析します。
「ドキュメント災害史 1703-2003〜地震・噴火・津波、そして復興〜」
https://www.rekihaku.ac.jp/exhibitions/project/old/030708/index.html
1.主として江戸時代から近代はじめに至る間の歴史災害を取り上げ、(1)災害当時の記録類(絵図を含む)はどのような目的で何を記録するため作られたか、(2)歴史災害の記録や絵図からどのようなことがわかるか、(3)それらから災害像の復原は可能か、(4)科学的分析に基づく災害像から災害予測は可能か、などの諸点について、理系研究者と文系研究者が課題を共有することで、地変や災害の様子を一般の人々に平易で理解しやすい形で解説、展示します。
2.1995年の阪神・淡路大震災後、近い将来再び南海地震などの大災害発生の予測がかなりの確度で指摘されています。このため、一般の人々の災害に対する関心は急速に高まっています。災害予測には、過去の災害の正確な読み解きが欠かせないことを実際の資料に即しつつ、展示を通して分かり易く解説します。
中世寺院の姿とくらし-密教・禅僧・湯屋-
https://www.rekihaku.ac.jp/exhibitions/project/old/021001/index.html
(1) 館蔵史料の中から未紹介の中世寺院文書をわかりやすく公開します。
これまでの館蔵の中世史料については「中世の武家文書」展、「中世の日記」展などで公開し、平成12年度には「田中譲氏旧蔵典籍古文書目録」を刊 行しました。しかし、館蔵の寺院史料については未紹介であり、これを旧来の古文書学的な様式論による展示のパターンから脱却した、新しい展示手法で展示し ます。近年の中世寺院史料論の最先端の成果をわかりやすく展示するとともに、調査研究によって再構成される歴史像や景観・歴史空間の中に寺院史料を展示し ます。
(2) 中世寺院史研究の成果を生活史の視点から整理して、中世寺院の果たした多様な機能と役割を総括的に展示します。
近年における中世寺院史研究はこれまでの宗教史や教学的研究から脱して中世寺院の多様な姿を社会史像として明らかにするようになりました。これま で中世仏教=鎌倉新仏教という歴史像に代わって、密教による国家法会や禅僧による外交交渉などが明らかにされ、新しい中世寺院像が描かれるようになってい ます。そうした新しい中世寺院の実像を中世人の宗教と生活との関係を中心に展示し、現代人の生活を考える契機としてもらいます。
男も女も装身具-江戸から明治の技とデザイン-
https://www.rekihaku.ac.jp/exhibitions/project/old/020723/index.html
江戸時代から明治時代にかけて流行した袋物・印籠・髪飾りなどの装身具を通じて、都市を中心 に華開いた豊な生活文化と、極限にまで発達した細密工芸技術を浮き彫りにします。人が身を飾り装う長い歴史のなか、装身具は元来、単なるアクセサリーというより魔よけや護身といった呪術的な目的、あるいは身分を示す指標として用 いられ、人間の精神史上で重要な役割を演じてきました。しかし、近世になると、こうした装身具の美的側面がとりわけ発達し、実用よりも装飾に重きがおかれ るようになります。武家階級のみならず都市生活民のあいだで広く個性的で斬新な趣向が求められ、高度に発達した工芸技術を駆使して装身具の装飾は洗練を極めていきました。 ウィットに富む奇抜なデザインや、多様な素材・技法による細密工芸の技術は、現代人の目から見ても新鮮に映ることでしょう。本展では、日本の伝統的衣服として認識されているキモノの装いの原点である江戸から明治にかけての服飾において、袋物・印籠・髪飾りなどの装身具が果たし た役割や特徴を明らかにしながら、日本的装飾世界の神髄に迫ります。今日では、装身具というと女性だけのもののように思われがちですが、現代のファッショ ン小物にもひけをとらない装身具の数々を通じて、男女をとわずおしゃれにこだわりをもっていた時代の息吹を感じていただければ幸いです。
なにが分かるか、社寺境内図
https://www.rekihaku.ac.jp/exhibitions/project/old/011002/index.html
近世以前に作られた神社・寺院の境内絵図は、当時の社寺に関するすでに失われた情報を数多く包含していて、建築史・宗教史はもとより広く社会文化史を知る上にたいへん重要な資料となります。歴博では平成11年度に博物館資料調査として、従来あまり顧みられることのなかった社寺境内図(とくに近世のもの)を取り上げ、全国的な調査を行いました。今回の企画展示はその調査結果をふまえて、社寺境内図から何が分かるのかその資料性を追求しようとするものです。具体的には、明治に廃される以前の神仏習合時代の建物と配置、神・仏への信仰と参詣の形態、社寺の立地環境などを社寺境内図から読み取り、当時の人々にとって社寺とは何であったのか、それが現代へどうつながっているのかを探ってみることとします。
異界万華鏡—あの世・妖怪・占い—
https://www.rekihaku.ac.jp/exhibitions/project/old/010717/index.html
異界とは人々の生活領域の向こう側、日常の時空間の外側の世界をいいます。この見えない世界をさまざまに想像することで、日々の生活の不安を取り除き、生きていくための拠り所を得ようとしてきました。異界への想像力が生みだし育んできた文化は、豊かな裾野の広がりを形成しています。死後の世界へ向けられた不安、恐れ、あこがれなどは、仏教の普及とあいまって地域的な特色をもつ独自の他界観を形づくってきました。死者との交流はさまざまな儀礼を通して交感され、ときには幽霊という形で語られてきました。人々は、理解を超えた恐怖体験や不可解な現象に遭遇したとき、時として妖怪変化のしわざと考えました。妖怪は口頭伝承の領域にとどまらず、絵巻や錦絵に描かれたりかわら版に取り上げられるなど新たな広がりをみせるとともに、娯楽としても享受されてきました。また、誕生以前や未来も見ることのできない時間的な異界です。人為的な手段を用いて未来やことの吉凶を予測(解釈)する占いは、古く神意を問う方法として発達し、多様な展開をへて現在に至っています。本展示では、主に「あの世」「妖怪」「占い」を取り上げて、人々が想像してきた異界の様相を多面的に展示するとともに、人と異界との交渉の跡をたどりながら、それを必要としてきた心性と、現代の社会において異界の持つ意味を考えていきます。