第18章 独立不羈

人は、世間体を気にする。

世間体とは、何か?

人は、他人を恐れる。

他人は、自分を攻撃してくるかもしれない。

他人も自分を恐れている。

人はいつも優劣を考える。

人はいつも位置を考える。

誰もが、他人より自分を上に置きたがる。

自分の立場としての「プライド」を守ろうとする。

自分が「得」して、「損」をしないように。

だから、自分を脅かす存在であれば、攻撃する可能性もある。

ある時は徒党を組んで、複数で攻撃する。

攻撃し、攻撃される。

だから人は、人を恐れる。

他人を恐れる。

群れを恐れる。

他人が何を考えているかは、わからない。

いきなり自分を攻撃してくるかもしれない。

だからその兆候を見るために、

人は、ヒトの基準を作る。

基準の中にあるものは、自分を脅かす可能性が低い。

基準を外れたものは、脅かす可能性が高い。

その基準は、常識感から作る。

それは、人が、群れの経験の中から作る。

そしてそれは、他人をも自分をも縛りつける制約。

群れの制約。

恐れるから、目立ってはいけない。

出来るだけ、群れに埋没していたほうが良い。

だから人は、群れの制約に従おうとする。

群れが漠然としていると、制約も漠然としている。

漠然と、自分を縛りつける制約。

群れの制約が、世間体だ。

ヒトは、獰猛で臆病な生き物。

本能が、いくつもの欲望を引き起こす。

それぞれが勝手気ままなら、収拾がつかない。

群れは秩序が保てない。

そのために群れの制約が必要とされる。

そのために、世間体が必要となる。

世間体とは、群れが損害を受けることを排除するために

作られた制約。

守れば、確率的に、損害を受けにくくする。

しかしそれは、それぞれの人が勝手に作るもの。

恐れを敏感に感じるものほど、制約を厳しくする。

その制約が、自分や身内の理想像を形作る。

その理想像から外れることを恐れ、外れたことを恥じる。

理想が高すぎれば、自分たちを萎縮させてしまう。

萎縮してしまった自分は、

人生を自ら切り開くことは出来ない。

世間体に押しつぶされてしまう。

「理性」は、ヒトという動物を手なずける。

そして人は、ヒトという動物から脱しようとしている。

そして、人は、群れからも脱しなければならない。

漠然とした群れの制約、世間体からも脱する必要がある。

制約は必要だが、それは気まぐれな群れにではなく、

大きな道理に従うものでなくてはならない。

それは「世間体」ではなく、「自分体」でなくてはならない。

それは、自分の位置を明らかにした「ポジション」だ。

世間体に振り回されることなく、自分体に従え。

恥じるのは、世間にではなく、自分に対してだ。

恐れるのは、世間ではなく、自分でなければならない。

『哲士は、独立不羈(どくりつふき)、

自分以外に束縛されず、

恥を恐れぬ無頼となれ』