第12章 思慮分別

人は生きる。

死ねないから生きている。

しかし、生は奇跡だ。

せっかく生きるなら、幸せを目指すべきだ。

それが奇跡の生を得たものの、恩返し。

幸せを目指すなら、「ポシション」をまず構築しなければならない。

構築とは、積み上げることではない。

積み上げ、整理し、無駄なものを省き、洗練させることだ。

それは秩序思考にもとづく。

機能性を追い求め、ロジカルであることだ。

全体を見通し、システマチックにすることだ。

完全を目指さず、バランスをとることだ。

混乱を避け、シンプルにすることだ。

そしてこれらを実行するためには、整理することが肝心となる。

不要を切ること。

断念することが必要となる。

固執を断ち切る必要がある。

諦めの意志が必要だ。

動物としての本能的快感を十分に満たそうとするだけでも、

諦めは必要だ。

快感を感じることにも、生理的限界があるからだ。

ましてや理性的快感を求めるなら、本能的快感を制御しなければ

ならない。

本能的快感のほとんどを諦めることも必要となる。

断念することや、諦めの思考は、現代社会の風潮では、

受け入れられにくい傾向がある。

それらはネガティブで、ポジティブではない気がするからだ。

しかしそうではない。

欲求を通すためには、他の欲求を諦めなければならない。

それこそ、理性だけがなせる業だ。

生きることは、諦めること。

諦めることは、洗練すること。

諦めることは、生きるための技を磨くこと。

「幸せ」になることを諦めるのでなく、

「幸せ:になるために諦めるのだ。

『哲士は、思慮分別、

深く思いを凝らし、

雑念を切る』