母屋

上江門家は、俗名「安里上江門」アサトイージョーと称し、1700年代に多々名グスク北方直下の古島の地から現在の地に移動し屋敷を構えていた、多々名按司の末裔と伝えられ、八重瀬町を代表する旧家・豪農であった。


 屋敷の面積は1982㎡で南向きに構え、周囲は琉球石灰岩の石垣にて囲まれ、南面・西面には屋敷林として福木林を造成して台風に備え、南面石垣囲いのやや中央に、幅2m・長さ14.7m、両側には高さ約 60cmの石垣が築かれ、福木が密生し、硬質の琉球石灰岩の平石を敷きつめた石畳の正門がある。


 正門を入って正面に、長さ5.52m・高さ1.56mの豪壮な石造りのヒンプンがあり威容な感じがする。 母屋は面積77.44㎡で、屋敷の中央奥の方に南に面して んぐわ(台所、建ち、向かって左側から一番座・二番座・とうんぐゎ(台所)の順に並び、一番座・二番座の裏にはそれぞれ裏座がある。


とうんぐゎは、板の間納戸・台所の土間・物置等から成っている。以前は三番座もあったが現存しない。 母屋は、一番座・二番座は主としてチャーギ(いぬまき)が使われ、とうんぐゎはイーク等が使われ、 雨端しを設け、屋根は本瓦葺きで漆喰塗りとなっている。


1945年の沖縄戦で損傷を受けたが、2023 年に弾痕が残る柱・桁・梁など、当時の木材 や瓦を八割以上残しつつ改修された。