瀬下敬忠『塩田の道草

瀬下敬忠(玉芝)『塩田の道草』(明和4年 1767) (『新編信濃史料叢書 第22巻』より)

塩田の道艸

冷風粛諷として秋の水もはじめて涸れ、鴻雁も来賓するころおひ、一ツの癖のきざし、道祖神の引たて給ふらん、しきりに旧友なつかしく、上田なる城下に杖を引てしばらく天姥子が許《もと》をやどりとし、あるは幽栖の俳席に知音の朋と交り、入る月の早きをお(を)しみ、あるは四本掛りの蹴鞠に莫逆の友と楽み、落日の短かきをうらむ。また川辺に逍遙して漁猟に目を歓(ば)しめ、山林に吟行して茸狩に心を慰む、既に旬余に及ぶ。されば楽は極むべからず、あすは住里へ帰らんとて棚の上なる笠をおろし、椽(たるき)の下なる草鞋をさがし、こと/゛\しく旅装す。あるじ笑つて、「そも退隠の身として何かかくさはがしきぞ。あすは塩田なる所の観世音へ詣ふでんと心ざすなるに、いざやつれ立て道すがら矢立を鳴らし、言捨の狂句なんどし、または温泉に浴《ゆあみ》し、国々の風人に逢んはまた楽しからずや。」とすゝむるにこゝろうかれ、もとより雲水にひとしき身のなにかおもひはからんと、是に心を同じうす。そも俳諧といへるものは、一時流行しばし夫の変化をむねと心がけぬるはかうやうの事なめれ。けふは東の方住里へ赴んとよべまでおもひしに、忽《たちまち》にかわ(は)りて西の方へ行んとするこそいとお(を)かしく物ぐるを(ほ)しけれ。似て似ぬ事ながら、むかし西行上人の選集の事を聞給ひてあづまより京に赴んと西をさして急ぎ給ふ道にして、朋友に逢て選集の事を尋ね問ひ、鴫立沢《しぎたつさは》の歌入らざるを聞て、さらば行てもおもしろからずとて忽に引かへし、東へあゆみ給へるとなむ。それは高名の風雅、是は頑愚の風狂、誠に雲と泥の差とはいひながら一転する所の滞《とどこほり》なきは同じかるべしと自負して舎《いへ》を立出ぬ。

  笠を帆にかけて野分の吹次第  玉芝

   百余町の玉ぼこも旅とおもへばいみじういさみあり

  露けしや笠着て出れば旅心  穿竹

けさはひとり朝霧立おほひ、四方山も朦朧として咫尺《しせき》の間もわけかねたるに、紅日東嶺に暉《かかや》き渡れば、やゝ霧のあしはやく、千曲の川波も遠く見へ、近く見へ、岸の辺の人家はうどきもて行やうに見へたり。

  逃《に》げ水をこゝにも見るや霧の海  玉芝

あとふりかへり詠るに、川に臨める城上の櫓やぐらも霧に埋み、見へみ見へずみにて画《ゑ》がけるごとくけしきいとおもしろし。

  朝霧につゝむ櫓《やぐら》や蜃気楼《しんきらう》  穿竹

千曲川は諏訪辺といへる所に橋ありしも、さりし比《ころ》の洪水にて落流れ、今は綱越の舟をもて渡るにぞ。乗りおくれじと砂地に足ふみこみ、走るともなくころぶともなくやう/\にしてこみ乗りぬ。

  朝露をしぼるや舟の渡し綱  穿竹

舟をあがりて浜辺なんど行ごとくなる河原を過、中の条といへる村の先に松本へ行岐道あり。それより左へ行く堤にのぼる。左の方に溜池幾つも/\つゞき、滔々《たうたう》として秋の水影冷《すさま》じくして湖上のごとし。是を長池となんいへり。

  長池や行ても/\芦の風  穿竹

  秋の日のかげぼし長し池の水  玉芝

保屋といふ村を過る。むかしは「穂屋」と書けるよし。此所「ほや野ゝすゝき」と読る歌枕なる由。諏方(訪)の御射山祭りに穂屋造るといへるは七月の事になん有るなれば、

  どの宮のつくりあましぞ花芒  玉芝

  風の音もおもたき穂屋のすゝき哉  穿竹

加(神)畑村を過てさん(産)川といふあり。流れは帯のごとく、河原は甚広し。「いかにしてかく有やらん。」と問ふに、「此川少しの雨にも忽水かさ増り、おどろ/\しく浪立て石流れ、渡りがたく、常の小流とあなどりて皆人あやまちすなる。誠に手取川なり、と人いへり。」と教ゆ。左いふ川は越路にこそあれ、爰《ここ》は其はめ句なるべしと戯れて、

  秋の水加賀から来たか手取川  玉芝

按《おもふ》に歌枕なる「塩田川」なるべきか、猶可尋《たづぬべき》。前田・矢木沢などいふ村々を過て左の方の道の辺に皂角《さいかち》の如き大木あり。何をいのりの為やらん、あるひは紙をむすび、又は馬の沓《くつ》を投かけたり。里老に問へば、びらんじゆといふ木なる由。そも昆(毘)藍樹といへるは聞伝へたる所、釈尊誕生の時の樹にして、その華たぐゐ(ひ)なく美しく、匂ひも四方に芳しきものなるよし。此樹は皂角に似て花もなく、匂ひもなし。いかゞ覚束《おぼつか》なき名なるべし。されど 「此名天竺によれる謂《いひ》あるべし。」と問へど「其故は知らず。」といひて誰教ゆる者もなし。さらば天竺より渡りたる実《ミ》ばへなんどゝ片付て置より外はあるべからずと笑ひて、

  昆(毘)藍樹や梵字に似たる蔦かづら  玉芝

行く/\別所院内に着く。此所桜井氏連山子は旧知の人なれば扉を敲《たた》くに、あるじは留守にして其妻なる人まめやかに物して明きたる湯小屋掃出し、囲炉裏にたき付、茶なんどあたゝめ饗《もてな》さるに、笠をぬぎ草鞋をとき、昼のかれ飯たふべて、しばらく肬(肘?)枕につかれを休めぬ。此あるじは風雅なる志あり、あまねく浴《ゆあみ》する人に発句を乞、または奉納、記(紀)行の句など望で勧進帳を出さる。よりて挨拶の吟を書付てこゝに残す事になん侍る。

  桜井氏連山雅丈は風雅の心ざし深く、あまねく浴あみする人に詩歌俳を勧進し、一集とせるを出して是に発句書付てんとあてらる。辞するに及ばず挨拶の野句を書のせ侍りぬ。

  かき分て菊の香したふ山路かな  穿竹

  さればこそ芒も匂へ蘭の花  玉芝

それよりこが湯といへるに浴して猶其あたり見廻る。此所に温泉三ツ涌出る。所謂《いはゆる》大師湯・こが湯・石湯也。百姓家と湯屋と立交り、家居かず/\あり。温泉に浴する諸国の旅人群集し、染ゆかたのひるがへるは山の紅葉にあらそひ、湯けぶりのうづまくは谷の夕霧にまがふ。其繁花なる事温泉口はひとへに街市の如し。

  にぎはひにけり温泉《ゆ》けぶりの秋日和  玉芝

  秋なれや人も温泉壺に目白押  穿竹

此所の旧知なる孤月子を尋ね、三十年来の久しきを語る。今稀古にあまる齢、壮年のごとくなるを賀す。

  百とせも汲《くま》ん温泉《ゆ》といひ菊といひ  玉芝

   闇々たる庵室にいたづらに眠れる折から鶴叟先生おとづれ給ひし。三そじあまり弐とせ先に逢ひ奉りし老の命のつれなきも、またかくあひ奉りし事をよろこびて申ぬ。

  命あれば海月《くらげ》も逢ふや月の友  瞽者 孤月

それより観音堂に詣(まう)ふでぬ。別当は天台宗にて浄(常)楽寺といひて、北の山よせにあり。此千手観世音は霊現あらたかにして北向に立せ給ふ。厄難を除給ふとて貴賎袖をつらね、老若もすそを引て絡沢として絶へず。頃しも秋の山粧《けは》ふがごとく、山野の紅葉蜀錦の帳《とばり》を張るがごとく、御堂の美麗にうつり、紅錦繡の山は金柱玉階に光をそへ、黄纐纈の林は画閣彫梁に照りを増す。いろ/\の絵馬さま/゛\の荘厳に見とれ、忙(茫)然として金烏西嶺に翅をたれんとするをしらず。やう/\黄口を開て奉納の句をさゝげぬ。

  紅葉かな夜も誓ひの照世間  玉芝

  錦する山や大悲の戸帳にも  穿竹

むかふの山をめぐり、安楽寺といへる禅院あり。むかしは七堂伽藍にして此所も境内なる故に院内とは名付る由。今とてもなみ/\ならぬ梵宇也。左の方、上の山腹に目さむる斗《ばかり》の塔あり。八角にして四重也。是は右大将頼朝卿の建立なる由。一説に北条の分流塩田入道の建立ともいへり。按《おもふ》に此所頼朝卿に縁遠し、塩田氏は北条時政五代の孫にして、左近太夫将監時国の男、塩田陸奥守国時入道道祐と号し、此所の領主十万石余の大名也。在名を以《もつて》氏とす。此人の建立なるべきか。何れにしても此塔工《たくみ》なる事誠に言語を絶す。八角四重にして其組物いやが上に重り、見へわかぬばかり也。大和廻りの仏閣にもかうやうの工なる物を見ず。年換り星移りて、柱折れ軒端崩れ既に傾き倒れんとす。所の父老心を合せて勧進し、近き年破損こと/゛\く修造し、其功金石に顕す。昔は定て仏閣の法場にや建《たて》つらん。今は山中松林の間に有て見る人もなき深山路の霧に埋み、露に沾《うるほ》ひ、いたづらに朽果《くちはて》つらん事こそいとふ(う)ほい《本意》なけれ。

  秋風や塔の風鈴も八ツの音  玉芝

それよりまた観音堂の方へ帰り、堂の脇より岨道《そばみち》を伝ひのぼり下りして大湯の町へ行ぬ。行程四五丁も隔りなむ。此所は院内とかわ(は)り、町なみ立つゞきて市中のごとく、其家居もつき/゛\しく、浴する人も亦多し。こゝに温泉二つ涌出るを大湯といひ、玄才湯といふ。上田侯の浴し給ふ温泉《ゆ》壺、又大殿あり。玉をみがき、金をちりばめたる程にこそあらね、塀をかけ門を建、甚美麗にして、また広莫(漠)也。お(を)しゐ(い)かな近きとしの春丙丁《へいてい》の殃《わざはひ》にかゝり、殿門一宇も残らず焦土となり、礎《いしずゑ》のみのこりて年々春草生ずるのみ。それより町なみを通り、少し坂をのぼりて薬師堂あり。堂主の僧いとまめやかに栖(清)掃して、花を奉り香を焼て殊勝さいわ(は)んかたなし。又庭には仮山作り、木なんどさま/゛\にいとなみ、心とゞまる斗《ばかり》也。

其尊前にして奉納。

  常香と見るや温泉《ゆ》口に霧不断  玉芝

  るり《瑠璃鳥》も亦御法《みのり》を啼くや堂の前  穿竹

温泉の小屋/\を嘯《うそぶ》きありくにむかふの方の客舎より招く人あり。誰ぞと見れば小諸なる金沢氏何がし也。「いかにや/\。」といふに「少しの疾《やまひ》ありて此所に浴すなり。」といふに、内に入て雑談し、こゝにてゆふげの饗にあひぬ。

  其影を覗けば窓に月の友  玉芝

   おもひがけず鶴叟先生に客舎の扉をたゝかれまいらせて、

  草枕にも宿さばや月の影  金沢氏 茂松

それよりまた近き小屋に親類なる春日村岡部何がしもこゝに浴せる由を聞て此宿を尋ね、こゝに宿す。

  梟の宿はと問はゞ蔦の軒  玉芝

またおもはずも臨川山の禅師浴し給ふに逢奉りて閑《しづか》にこれは/\と手を打てまた此客舎に移り、炉をかこみ夜もすがら語り明して尽る期さらになし。

秋日別所旅館逢履祥・敬忠二君席上賦
        臨川主人  三呼翁
各迷天台路 別山逢遠公
共非愁制酒 咲似虎溪中
  和  三呼禅師玉韻  勝履祥
終日入仙液 不思謁遠公
燈前自三笑 逸興満山中
  席上呈      三呼禅師
満林錦繡映珠衣 頻慕風流叩旅扉
日夜玄談雨中興 万戸鶏鳴不識帰
  和  履祥子清韻
旅館秋風吹客衣 夜来明月入茅扉
暗投按釼人無識 独照山中何処帰

  東西の温泉をこゝかしこと吟行しておもはずも臨川山主  尊師に逢奉りて、此客舎に旅の枕を傾く。穿竹は好める 道とて瓦(互)に唱和して歓をつくしぬ。下官はからうたの道にうとく、雲間日下の問ひ答へも馬耳東風のごとし。されど片わ(は)らに席を刮んもほゐ(い)なく鄙句一章となしぬ。

  我袖もともに薫るや蘭と菊  玉芝

明れば臨川尊師の御寺より御迎とて人馬さゞめき渡りて来れり。よき道の御供なめれと馬に引そひ上田迄駈行ぬ。尊師は祢津へ帰り給へば我は原町なる所の水螢窓にとゞまりぬ。其夜沓掛氏麦秀子尋ね来りて、一ツ二ツの雑談過て、よしやむだ噺に夜食あらさんよりは一巻を三吟にしていヘづとにもせんと文台引よせ六々の巻となしぬ。

    歌仙    水螢窓即興

また来ても声の古さよ渡り鳥   玉芝

 手の窪ほどな庭に月かげ     穿竹

約束の友を新酒に待かねて     麦秀

くわ(は)へぎせるの火は消て居る  芝

関守の眠むたい顔へ薫る風        竹

 今呼んだのはこちの名そ(さ)うな   秀

蕎麦切に嬶《かか》が手にはを自慢して  芝

 紙袍の伊達もよい程がある       竹

かねの緒も日に/\かわ(は)るはやり神 秀

 岸も崩るゝやうな滝津瀬        芝

さして見た人はなけれど四寸岩      竹

 を(お)れより腹かよう時を知る    秀

月待に山ぶしどのゝ隠し芸        芝

 秋のあふぎは捨つ拾ひつ        竹

肩衣の上に羽織の漸《やや》さむみ    秀

 連銭芦毛絵のやうにない        芝

つれ/゛\に定めた花はきのふけふ    竹

 真《まつ》すぐにたつ庭の陽炎     秀

ナ 滝口は平家をてふの夢と見て     芝

 知る人ぞしる素湯《さゆ》のあんばい  竹

松島へ行くも吉野の杖と笠        秀

 こんな所に賑かな町          芝

何んじややら篆字《てんじ》だらけな売薬 竹

 からたちばなの側に唐猫        秀

僧正のまた赤味噌にかぶら汁       芝

 たまりそふ(さう)なる雪がふり出す  竹

かく言つゞけもて行ばロやわらぎ、句袋開けて言の葉の花もやゝ盛りならんとする時、扉を敲て長久保なる所の絶へて久しき友どちとぶらひ来るに、取ちらしたる書ども片づけ、文台おしやり、こしかたの物語におはずも時をうつし、鶏鳴過るころになりぬるに、驚てをの/\晦をつげて帰りぬ。あすこそ此あとはつぎなんと約せしに、月にむら雲のさはりありて明の日祢津なる所にさりがたき事ありて、なごりをしさを言残して笠よ杖よと取あつめ、あはたゞしく穿竹子のやどりを立出ぬれば、かさねてつゞくるに及ばず、もとより言捨なれば一字改むる事もなく其まゝにて捨置ぬるも例の流行なるべし。

           樗陰散人玉芝編撰