謡曲「犀」

謡曲「犀」

和泉小次郎(泉親衡)が源頼朝に命じられ、信濃の犀川に棲む犀(さい)のツノを取る話。
江戸時代前期には徳川将軍家を中心に能が流行し、謡曲本も多く出版されました。貝原益軒『大和本草』の犀の記事に出典は書かれていませんが、あるいは、この謡曲「犀」でしょうか。

『観世流謡本 二百番之外百番』(貞享三年丙寅九月下旬 1686)
https://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100075150/viewer/264


御狩とて。日もたてぬきの空晴て。國も治。御代とかや
ヨリトモ「抑是は兵衛佐頼朝とは我事也 ツレ「夫御狩は四季の遊ひ。時折/\のけうをます 上歌 あつさの真弓空晴て。/\ かすむ外山の桜狩。雨は降きぬ同しくは。ぬる共花の陰にやとらん。扨また月は夜を残す。霞と共に立まよふ。浅間山にも着にけり/\
詞「いかに誰か有 トモ「御前に候 「此川は何と申川そ 「さん候 さい川と申候 「何とてさい川とは申そ 「犀の住に依て犀川と申候 「誰か諸侍の中に。犀の角とるへき者やある 「さん候 誰と申とも當国の住人。和泉の小次郎ならてはなく候 「さらはいつみにこのよし申付候へ
「畏て候。いかに和泉の小次郎殿。上よりの御諚に候。此犀川の犀の角を取て参らせよとの御意にて候
「是は思ひもよらぬ事を仰候物哉。彼犀と申物は。水にちやうしたる物にて候程に。おうけは申かたく候。此由しかるへきやうに御申上候へ
「心得申候。和泉に其由申て候へは。彼犀と申物は。水にちやうしたる物にて候程に。お請は申難由申候。和泉か申たるも余儀なきかと存候
「さらは和泉にこなたへ来れと申候へ
「畏て候。いかに小次郎殿。御意にて候程に御前へ御参候へ
「いかに小次郎 此さい川の犀の角を取て。頼朝かいへの宝となし候へ
「畏て候。和泉は御請を申けれは。君も御感におほしめし。/\。寝殿に入せ給へは御供の侍めん/\に。いつみか面目是迄と。うらやまぬ人こそなかりけれ/\
「扨もいつみの小次郎は君のおほせのおもきまゝに。目にも見えさる彼犀の。角とらんと思ふ心こそ。我身なからもまことしからぬ
川瀬の岸の上にたつて。いまや/\とまちかけたり
あれみよや川瀬の表。/\。俄に水まさりうきたつ波に。うかめる犀の姿を見るに。おもてをむくへきやうそなき いつみは是を見るよりも/\。人影を見ては。をそれやせんと。岩間にかくれて待けれは。
折節犀のなかれ行を。あやまたす飛つきむんすとくめは。事共せすしてふり切行を。さいにはなれしとはるかの川瀬を上になり。下になりしか水をちからにはねかへしのりかへし。ゑいやと犀の角引おつて。是/\見よやとさし上たり
「犀は角をとられつゝ/\角をおしみていつみをくはんととんてかゝるを。犀のまつかう二つに切わり地にたをれふすを。つかんてさしあけ一刀二刀さしとほし/\さしもにたけきさいをつきとめて天下に名をこそあけにけれ


貝原篤信(益軒 1630-1714)『大和本草 附録巻之二』(正徳5 1715)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2557454/9

頼朝《ヨリトモ》ノ時 信濃ノ國犀川《サイガハ》ニ犀スム由ヲ聞給ヒ 泉ノ小次郎親衡《チカヒラ》ヲ召テ是ヲ取ラシム 親衡刀《カタナ》ヲヌキ持テ水ニ入犀ヲ切コロス 親衡ハ朝比奈三郎ニヒトシキ大力ナリ