小県郡史 余編 (大正11 1922)
小山真夫(1882-1937)『小県郡史 余編』(大正11 1922) (伝説童話) (国立国会図書館デジタルコレクション)
坂上田村麻呂伝説地 [文]
山口の一つ火 [文]
三八怪を斬る
米山の米 [文]
一柳三体の観音 [文]
枝垂栗 [文]
九十九谷 [文]
元木の地蔵
ちがひ石
国分寺恋しや [文]
嶽の幟
デエラボツチ伝説
半過 [文]
陰陽石 [文]
瓜姫
牛に引かれて善光寺参り
小泉小太郎 [文]
西行の戻り橋
霊泉寺温泉由来 [文]
鹿教湯温泉由来 [文]
石湯由来 [文]
久我湯由来
大師湯由来
大湯由来
玄齋湯由来 [文]
七久里湯由来
美爛樹 [文]
沓掛温泉由来
沓掛の石芋
田沢温泉由来 [文]
湯川の早稲田
祢津山湯由来
田中の米 [文]
白鳥河原の孝女
遷都の存疑 [文]
真田石 [文]
真田井戸
小松姫の聟選び
松代移封
牛石 [文]
塩田の海 [文]
万寿姫
黄金の瓢 [文]
片目魚 [文]
蘇民将来 [文]
水現不動 [文]
馬形岩
名号岩
別所観世音出現 [文]
鏡池 [文]
戸隠山の紅葉
『小県郡史』に対する異説(『浦里村報 大正12年8月15日』(1923)より)
仁古田峠にある西行法師の笠掛け松
= 口碑と郡史とは違つている =
小縣郡史に依れば、西行の笠掛け松は舞田峠にあると記されているが(余篇三〇頁)實際は仁古田峠(仁古田から別所へ通ずる峠)にあると傳へられ、最近迄此松の殘されていた事を覺へている。
又西行の戻り橋も、郡史では湯川とされているが、吾等の聞いた戻り橋は、今の越戸峠を下つた、 □ 川の小さな橋(瓦屋の傍)であると思つている。
……………………
流轉の旅を續けた西行法師は、別所觀世音に參詣しようと、今仁古田峠を下つて行く…………
若草は青々と萌へて、心地よい春風が、衣の袖を吹く、どこかで、鳥の鳴聲がする。スルト、四五歳ばかりの子供等が、蕨を取つて遊んでいた。西行は、たはむれ心に『子供等よ、ワラビ(藁火)を取つて手を燒くな』と言ふた。すると、子供等はスグ 『法師さん、檜笠(火の木笠)きて頭を燒くな』と言ひ返した。西行は、何氣なしに峠を下つた。そこには小さな川が流れている 今、其小川の橋に片足を踏みかけたが、フト考へれば、此老法師が、彼の子供に言ひ込めらるゝとは何事であらう。これから先の旅も按じられると、心に思ひ浮べて、此橋を渡らなかつた。これから、此橋を『西行の戻り橋』と言ふのである。
戻り橋から引き返した西行は再び峠道を辿つた、けれどモー、子供等の姿は見へなかつた。
西行は峯の老松に笠をかけ、遥かに北向觀世音を拜して、又何所ともなく旅立つて行つたと云ふ。
此笠をかけたのが笠掛け松で、先年官林拂下の節伐り取つて了つたのである。