生命を科学する

KIRAMEKI1034

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時間は動きの中にある。 変化する背景の中にある。

≪01≫  この一冊から受けた衝撃は機関銃掃射のようだった。ぼくが34歳のとき、1978年である。

≪02≫  機関銃なのに弾はつながっていた。つながりの中から強烈なメッセージが放たれていた。一番の衝撃は「情報の動的秩序のふるまい」によって生命を捉えようとしていたことだ。いまでこそこの見方は生命論や生命情報論や自己組織化論の主流のひとつになっているけれど、当時はこんな見方をする科学者はあまりいなかった。いったい清水博とは何者なのかと思った。こういう日本人の科学者がいることに誇りをすら感じた。

≪03≫  生命の維持を情報で捉えるというだけなら、遺伝情報によって生命シテスムを解く分子生物学がすでに大手を振っていた。情報としての生命活動の来し方行く末を遺伝子という要素で展望しようとする試みだ。

≪04≫  しかし「生きているという状態」を要素から組み上げて解釈するのではなくて、グローバルに捉えるにはどうすればいいかという問題意識はそのころはまだ少なかったし、ましてそこにひそむ性質を「情報の動的秩序のふるまい」から捉えようとする試みは、一部の先駆者たちを除いてほとんどなかった。加うるに、それを「自分という意識がなぜこの宇宙に生を背景に暮らしているのか」という疑問に挑むために解こうとしているという科学者はもっと少なかった。あるとするなら、それは1944年にシュレーディンガーが『生命とは何か』(岩波新書)で問いかけて以来、心ある科学者のなかに去来していた“陰の問題意識”にすぎなかったろう。

≪05≫  清水博がそのような“陰の問題意識”を白日のもとにさらすため、「バイオ・ホロニクス」(のちに生命関係学と名付けられた)にとりくんでいることに真っ先に注目したのは、ぼくの近辺では村上陽一郎と十川治江と澁谷恭子だった。

≪06≫  そのころ大平首相のもとに(大蔵省の長富祐一郎が事務局長)、新しい日本社会を構想するブレーンたちがいくつもの部会を開いていて、清水博はそのうちの石井威望の部会に属して、「ソフトエネルギー・パス」という提案をしていた。村上陽一郎もその部会のメンバーで、清水さんというおもしろい生物物理学者がいると言っていた。十川や澁谷はその報告書を読んでいた。ぼくは二人に促されて東大薬学部の研究室に清水さんを訪ねた。

≪07≫  挨拶もそこそこに、たちまち独創的な見解を次から次へと披露してくれた。今日の科学の現状に対する苦言も多かった。ぼくにはそんな知識はなかったのに、専門領域の話をしまくって、プリゴジンの散逸構造論の欠陥にも言及した。とくに興味深かったのはリミットサイクルが生み出すリズム振動子の研究の現状とセルモーター(細胞エンジンのモデル)の研究についての説明で、久しぶりに“科学の最前線”が目の前で立ち上がっていく興奮をおぼえたものだ。

≪08≫  清水さんもぼくの拙い話に関心をもったようだった。しばらくすると東大で話をしてくれと言ってきた。てっきり学生たちに話すのかとおもっていたのだが、他の大学や大きな研究機関から呼ばれた研究者がずらりと集まっていた。さあ困ったぞと逡巡していると、「松岡さんの編集についての話が聞きたいのだ」という。冷や汗をかきながら黒板の前に立ち、自己編集化のモデルの話をした。そこで出会ったのがカオス研究にとりくんでいた津田一郎である。

≪09≫  その後、世界で初めての「複雑性」に関する国際会議が日本で開かれたときも、ぼくは清水さんによばれて発言者になった。以来、清水さんとはいくつもの場面で出会い、協力をお願いしたり、多少のお手伝いもしてきた。東大退官ののち、金沢工業大学で「場の研究所」を立ち上げられてからはいささか交流が遠のいたのだが、清水さんの研究がさらに「場所の科学」を深めていることや、東洋思想や武芸の真髄に交差していったことは、刻々伝わってきていた。清水さんはシュレーディンガーがインド哲学ウパニシャッドにヒントを得たことに似て、哲人科学者の道を究めつつあるようだった。

≪010≫  本書は1978年に初版が出て話題をさらい、その後、約12年をへて増補されて第二部が加わった。ここではその増補版のほうをとりあげることにするが、さきほど久々に読んでみて、当時のぼくが何に衝撃をおぼえたかがあらためて絞れた。なぜ機関銃掃射のような印象をもったかということも納得した。

≪011≫  機関銃的だったのは清水さんの論旨が科学としての情報生命論に徹するだけでなく、旧来の科学に注文をつけつつ、人間の意識の動向や社会のありかたをのべつつ議論のなかにくみこんでいるためだった。例証に引かれているのが、社会のなかの人間の行動なのである。これは「情報」という概念をわかりやすく理解させるための方便としてつかわれているのだが、読んでいると科学論と社会論が交互に繰り出されて、まるで機関銃を右へ左へ掃射されているという印象なのだ。

≪012≫  本書が主張していることは、ともかく劇的というほどに鮮明だった。生命現象の本質は「動的秩序が自己生成する」ことにある。そこには「非平衡非線形の現象」があらわれている。それを「リズム振動が形態形成をしている」ことから見ると、つねに「場の情報」がはたらいている、すなわちすべての生命現象の動向には「関係子がかかわっている」、まとめればこの5つだ。

≪013≫  その後、清水さんは『生命に情報を読む』(三田出版会)、『生命知としての場の論理』(中公新書)、『生命と場所』(NTT出版)をはじめ、本書の発展にあたるさまざまな仮説を提出したが、それらの著作の原点のほとんどは本書に萌芽する。

≪014≫  われわれが宇宙のなかで生きているということを記述する科学は、まだない。「生きている状態」を科学的にあらわすために物質の組み合わせをどれほど正確に記述してみても、そこから生命活動の現象が出てこないからである。まして脳のふるまいや意識の活動は出てこない。

≪015≫  生体を構成している元素や分子はほとんどわかっているけれど、それをどういじくりまわしても生体の特質をあらわさない。遺伝子の自己複製能力や受精と発生分化のしくみの大半がわかったとしても、そうやって生まれた生命体が自分の内に複製されている情報をどのように擦り合わせているのかも、まったくわかっていない。それよりなにより、いったい物質の組み合わせでしかないはずの生命体が、いつ「生きているもの」になったのか、そのタイミングがまったくわからない。

≪016≫  生命の発現は、原子が一定のしくみで組み合わさるとアミノ酸やヌクレオチドといった低分子ができて、そこに原子にはない分子独特の性質があらわれることから始まるのであるが、この段階は構成原子の種類によって変わってしまうので、そこにグローバルな性質が発揮されているとはいいがたい。ところがこれらが100個から1000個へと集合を加えていくうちに、そうした細部の要素に直接に依存しない性質が少しあらわれてきて、やがて高分子となった状態に脂質分子が加わるころには、オルガネラ(細胞小器官)としての特異な前兆を発揮しはじめるのだ。

≪017≫  何が、どこで、どのようにおこったのか。既存の生物学や分子生物学の成果だけではほとんど説明がつかない。とはいえ、物質のふるまいを無視して「生きている状態」を語ることもできない。それなら、どう考えればいいか。

≪018≫  本書で清水さんがめざしたのは、生命体における「生きている状態」の共通分母をさがすということだった。遺伝子―ゲノム―オルガネラ―細胞―器官―個体―生物社会―生態系といったそれぞれの段階に「生きている状態」を一貫して共通させている何かの秘密を見いだし、そのことが説明できる科学を提案することだ。

≪019≫  これは、生命活動には固有の段階をまたいだ共通の性質があることを仮定した見方である。つまり、生命を「生きている状態」にさせているのは、これらのそれぞれの段階のローカルな構成要素に依存しない広がった性質があるという見方の提案だ。

≪020≫  観察するかぎりは、遺伝子―ゲノム―オルガネラ―細胞―器官―個体―生物社会―生態系は、それぞれ「生きている」か「死んでいる」か、そのどちらかでしかない。生きていても死んでいても、それぞれの物理化学的な構成要素はほとんど変わらない。そうだとしたら、個々の要素の性質をいくら加え合わせても「生きている」という性質は絶対に出てこない。ということは、この系、すなわち生体系は非線形でしかあらわせないということになる。

≪021≫  非線形とは、原因と結果のあいだに足し算が成り立たないような性質をいう。aとbという原因がそれぞれ単独にはたらいたときにあらわれる結果をそれぞれAとBとしたとき、原因a+bがA+Bという結果になるのが線形性で、A+B+XやCというまったく変わった結果になるのが非線形性である。生命現象はこういう非線形的な性質を本来的にもっている。

≪022≫  生命活動にはもうひとつの特色がある。それは「相転移」をおこしているということだ。「相」がみるみるうちに、多様に変わっていく。

≪023≫  氷と水と水蒸気は成分は同じでも、まったく異なる「相」をつくっている。層状に流れていた雲がいつのまにかウロコ雲になるのも、水道の蛇口を少しずつあけていくと、水が糸状から急にねじり状になり、さらに棒状になって、そのうえで突然にバッと開いていくのも、「相」が変わったせいだった。逆に、コーヒーにミルクを垂らしたばかりのときはまだミルクをスプーンで掬い上げることは不可能ではないかもしれないが、これがいったん混ざってしまったらミルクは二度と掬い上げられない。

≪024≫  こうした「相」の変化は、あるところを境い目にして不連続におこる。それが相転移という出来事だ。生命現象もこういう相転移をおこしている。

≪025≫  相転移をおこしている系に何がおこっているのかといえば、構成要素の変化では説明しきれない何かがそこに発現している。このことを最初に考えたのは反磁性や超伝導体を研究したレフ・ダヴィドヴィッチ・ランダウで、ランダウはその発現している何かを「秩序」とよんだ。たとえば磁石が強い磁力を発現するのは、構成要素が変わったからではなくて構成要素間の関係が変化したからである。原子磁石の並びかたが変わったからなのだ。相転移では、無秩序なものから秩序のある状態が形成されているということになる。生命はまさしくこのような「秩序をつくっている系」だった。

≪026≫  なぜこのようなことが生命現象で可能になっているのだろうか。生命現象はいまのところ太陽系では地球にしかおこっていない。太陽から適度に離れた系でしかおこらなかったとおぼしい現象だ。ということは、生命発現の動向にはどこかで「熱の問題」がかかわっているはずなのである。

≪027≫  この世の物質現象にはエネルギー保存則が必ずあてはまる。机の上のボールには位置エネルギーが、それが落ちれば落下エネルギーが、ころころ転がって止まるには摩擦エネルギーがかかわっていく、これらは総じてエネルギーの値を保存する。エネルギーはなくならない。振子がいずれ止まるのは、振子を固定している箇所に摩擦エネルギーがはたらくからで、摩擦がはたらくたびに振子の運動は少しずつ弱められて停止する。ある系の位置エネルギーはできるだけ小さい値をとろうとするからだ。

≪028≫  これをいいかえると、摩擦がおきるたびに熱が少しずつ発生するために、振子のエネルギーがしだいに熱エネルギーに変わっていった(熱エネルギーに向かって逃げていった)と見ることができる。振子の運動を正確に記述するには、振子の運動そのものをちゃんと観測するとともに、その振子がどのような環境条件におかれているかを記述しておかなければならないということだ。とくに振子がどのような熱エネルギーをもっているかということが重要だ。これを熱力学では、系が熱源とどのような関係にあるかというふうにあらわす。

≪029≫  地球を一個の大きな振子と考えると、地球は宇宙的な熱源から適度に離れた位置で運動しているとみなせる。太陽系第三惑星に生命が誕生したということは、この太陽・地球系がもたらす熱力学的な系としての特質も生命現象に関与しているとみなせるということになる。

≪030≫  自然界は力学系で動いている。マクロな物体はニュートン力学の法則にしたがう。物体を構成している原子や分子のふるまいは量子力学の法則にしたがう(ニュートン力学は量子力学の一部にすぎない)。こうした力学系では力は系のポテンシャル・エネルギーを仕事のエネルギーに変えていく。だから原子や分子からできている系には、その内部エネルギーを最小にしようとする力がはたらく。内部エネルギーを最小にするには、エネルギーを熱エネルギーに負担させておくのが効率的にいい。

≪031≫  話を戻すと、振子が停止するのは、振子の内部エネルギーが摩擦を通した熱エネルギーに転化したからである。紅茶はさめるとどうなるかというと、紅茶が茶碗の温度や室温とまるっきり同じになる。これは紅茶が内部エネルギーを最小にして外部(室内)の熱源と同じ状態に落ち着いたからだった。こういう状態を「熱力学的平衡」という。

≪032≫  多くの要素からできている系が熱源に接しているとき、一方では系から熱源に向かって内部エネルギーが熱として流れ出すのだが、他方では系が熱源から熱エネルギーをもらうということがおこっている。このやりとりが平衡になれば、この系は安定するが、そこにはもはや内部エネルギーの活動はなくなっている。つまり不活性になる。

≪033≫ 「生きている状態」とはこのような熱力学的平衡にはないはずである。そんなことになっていれば生命たちはたちまち熱死してしまう。生命はそんなところからは生まれない。言いかたをかえれば、熱力学的平衡とはエントロピーが増大していった結果をあらわすわけだから、生命現象はこのエントロピーの増大をどこかで食い止めているはずなのだ。エントロピーは「秩序のなさかげん」の尺度をあらわしているので、生命現象はこの「秩序のなさかげん」を「秩序のありかげん」に変えているはずだ。これは生命が熱力学的非平衡系であることを暗示する。

≪034≫  かくして、生命系は「相転移によって秩序をつくる非線形な熱力学的非平衡系」であろうということになる。が、これではまだ正確ではない。生命は熱力学的非平衡系の「開放系」なのである。

≪035≫  地球には太陽からのべつまくなしに輻射エネルギー(熱)が注ぎこんでいる。もしそれだけがおこっているなら生命は誕生しなかった。ところが地球の各所は夜になるとこの熱を宇宙空間に放出する。すなわち地球は、太陽という熱源と宇宙空間の絶対零度(摂氏マイナス273度)という2つの熱源のあいだに運動しつづけている「開放系」にあたっていた。

≪036≫  このような「熱力学的非平衡開放系」は熱力学的には不安定である。地球全体でいうのなら昼夜で値が異なるし、季節によっても値を変える。しかしながら、この不安定であることが生命現象という秩序形成にあずかった。本書はここから「動的秩序の形成」という話になっていく。清水さんはヘルマン・ハーケンのレーザー研究による「協同現象理論」を借りて、次のような説明をする。

≪037≫  化学レーザーは、化学反応のエネルギーをつかってレーザー光という秩序の高い光を自動的につくりだす。蛍光灯などにくらべて格段に秩序が高い。化学的エネルギーによって系の中に不安定な状態がおこり、その不安定が秩序を生むにあたって微視的な「協同」をおこしているからだ。

≪038≫  蛍光灯であれレーザー光であれ、光を出す源はもともと分子(原子)にある。分子の振動にもとづいている。分子には基底状態と励起状態があって、基底状態にある分子に余分のエネルギーを吸収させると、分子が励起状態へ遷移する。この励起した分子がもとの基底状態に戻るときに光(光子)を放出する。

≪039≫  この光の放出には二通りがある。ひとつは自然放出で、分子が周囲の熱源と接触していることでおこる。もうひとつは誘導放出というもので、外から与えられた光によって誘導されて光を出す。このばあいは外から入ってきた光と同じ位相の光が出る。レーザー発光はこちらでおこる。

≪040≫  化学レーザー装置では、レーザーの中の分子に外からエネルギーを与えて励起状態をつくる。ポンピングという。ポンピングされた分子はすぐにもとの基底状態に戻ろうとして弱い光を出す。これでは何もおこらない。そこで、このポンピングの速度をどんどん上げていくと、装置の中の励起の分子数のほうが基底の分子数より多いという頭でっかちの不安定な分布ができて、ある点(閾値)までくると急に光が強くなる。つまり閾値よりポンピング速度が大きいと、放出される光が位相をそろえて出てくるのだ。これがレーザー発光である。

≪041≫  位相がそろってレーザー発光になったということは、位相がまちまちでエントロピーの大きい状態が、ある時点でエントロピーの小さい秩序を生んだということを意味している。相転移がおこったのだ。化学レーザーという系にエントロピーの増大に反するかのような秩序形成がおこったのだ。清水さんはこれが「動的秩序の形成」のひとつの例だという。

≪042≫  そこにはなんらかの理由で協同という現象がおこっているはずである。動的秩序はこの協同現象と関係がありそうだ。バックミンスター・フラーやハーケンはこうした協同現象を「シナジェティックス」(synergetics)とよんだのであるが、本書はこのあと、同様なことが筋肉の収縮の動きにもおこっているという例をあげて、説明する。

≪043≫  生命現象にはどこかに不安定な頭でっかちをつくるようなはたらきがあって、それを協同活用して秩序をつくっていたのである。のちにこの不安定さのことは「ゆらぎ」と総称されるようになった。またここでは省略するが、「リミットサイクル」や「カオス」と呼ばれるようにもなった。

≪044≫  では、このような動的秩序がオルガネラから生態系を貫いてつくられる主たる作用は何によっているのか。従来の科学概念でそれを説明するのは難しい。ここには「情報」という概念の導入が必要である。清水さんは本書の後半で、いよいよ「情報」という視点によって動的秩序の形成を読み解く仮説にとりかかる。

≪045≫  生命現象に出現しているのは動的秩序というものである。それは系に流入してきた自由エネルギーが一定の閾値をこえたときに初めて出現する。自由エネルギーとはヘルムホルツが規定した概念で、熱力学系の数式では内部エネルギーとエントロピーと温度であらわされる。

≪046≫  自由エネルギーの変化によって動的秩序があらわれる系は、たえまないエントロピーの増大の渦中で開放系になっている。開放系はイリヤ・プリゴジンが「散逸構造」とよんだものにほぼ等しい。正確にいえば「非平衡開放系の構造」だ。そこには必ず、系あるいはその一部を不安定にする「ゆらぎ」がおこる。これを数学的にあらわすと必ず非線形になる。その「ゆらぎ」が系の内部でなんらかの協同作用を促している。

≪047≫  こうしたことは物理化学現象でもしばしばおこっている。化学レーザーはそのひとつの例だった。しかし一方、物理化学現象の多くが熱力学的には「平衡に近い非平衡」でおこっているのに対して、地球上におこった生命現象は徹底して“非平衡のなかの非平衡”あるいは“正真正銘の非平衡”とでもいうべき「非線形非平衡の開放系」におこっている。もしそうだとすれば(まさにそうなのだが)、ここにはこうした「ゆらぎ」をいかせるエネルギーやエントロピーとは別の何かが動いていると考えたほうがよい。

≪048≫  かつてシュレーディンガーはそれを「負のエントロピー」と名付けた。それを一歩も二歩も進めてよびかえると、その何かとは、それこそがおそらくは「情報」というべきものなのである。

≪049≫  情報とは、「右へ行くか左へ行くか」とか「AかBか」の決定をまだ判別しないでいる状態から、その一つを選択して指定する状態に突き進んでいく動向を含んだものをいう。粗視の状態から微視の状態へ進んでいくこと、そこに情報が関与する。

≪050≫  たとえば学校の記念写真を見たらわが子の姿があまりに小さくてわからない。そこで眼鏡をかけてみたら目鼻立ちがはっきり見えた。このとき写真がぼけているのは情報が区別できない状態、すなわちエントロピーが大きいことをあらわしている。眼鏡をかけることはその状態から情報をもらうことに当たっている。いいかえれば眼鏡をかけることによって情報が前に進んだことになる。さらにいいかえれば、眼鏡をかけることで写真にひそむ「負のエントロピー」を食べたということになる。

≪051≫  生命の歴史にも、情報の眼鏡をかけることが、何度もおこったのだ。そしてそのたびに、生命活動は「情報をうまく発現できるような系」になっていった。情報の力は、情報の眼鏡をかける効果が有効に発現できるほうに、発揮されたのだ。生命系はそのように情報が発現し、それが動的秩序につながるようになるべく自己組織化されたしくみだったのである。

≪052≫  かくて本書は、情報が「ゆらぎ」を含む動的秩序をつかって自律的に自己組織化をおこしていくときには、生命現象のそれぞれの段階の情報が「関係子」としてはたらいているのだという仮説にたどりつく。

≪053≫  関係子はアーサー・ケストラーの「ホロン」(全体子)からヒントをえた新しい概念である。ただしそれはたんに“全体を知る部分的要素”というものではない。清水さんは関係子がその場その場の情報を「場の情報」として感知していくとみなした。関係子は、つねに生きた状態が関与する「場」のセマンティック・ボーダーをとりしきるものなのである。「場の情報」を動的秩序に向かわせているのが、関係子だったのだ。ラフにまとめれば、こういう仮説になった。

≪054≫  ここから先、本書は関係子のふるまいが「場の情報」をもとにして「意味」を創出しているという展望を加えていく。「意味」があらわれてくる作用のひとつにはリズム(リズム振動)がある。そのリズムには「引きこみ」がおこっていて、まさに相転移や協同現象が立ち上がっていくのが認められたのである。清水さんの生命を捉えなおす試みは、かくして「生命のセマンティックス」という前人未踏の領域にまで辿り着く……。

≪055≫  勝手な案内はこのくらいにしておこう。 清水さんは勝手な案内を一番嫌う人なのだ。正確なことは本書にあたってもらうにしくはない。ぼくとしては、1978年に浴びた機関銃の弾痕をここにちょっぴり再現しておいたというにとどめたい。ただし、清水さんがこのような仮説に辿り着いた経緯の一端を、ぼくが知るかぎりのことで補足しておこうとおもう。

≪056≫  1950年代のこと、清水さんは東大薬学部の瘦身の学生だった。このときバナールの『歴史における科学』(みすず書房)、エンゲルスの『反デューリング論』(岩波文庫)、ディラックの『量子力学』(岩波書店)、ブローダの『ボルツマン』(みすず書房)の四冊に大きな影響をうけたという。すばらしい四冊である。

≪057≫  清水さんはこれらを通して「生命」というものに強い興味をおぼえていった。当時はまだタンパク質分子の二次構造に関する研究がやっと活発になりはじめたころで、DNAの二重螺旋理論も生まれつつあったばかり、タンパク質分子自身が鋳型になって生体内でタンパク分子を合成しているという説が信じられていた状況だった。けれども清水さんは、この鋳型説というものが自分がイメージしている生命のダイナミックな構造とどうしても一致しないことに気がつき、それを知るには細胞代謝の動的イメージを生きたままで研究できる生物物理学的な統計理論による方法が必要だと痛感した。

≪058≫  こうして大学院で分子の統計力学的描像を研究する日々がはじまったのであるが、そこに、一方で清水さんが研究をすすめていた核磁気緩和理論に関心をもったハーバード大学から声がかかり、ハーバードとスタンフォードで二年をおくる。アメリカでの学究生活は英語の得意な清水さんとしてはかなり刺激的だったようだ。とくにアメリカ人が日常生活の思考の論理性をそのまま科学に発展させてしまう能力に富んでいることにショックをうけた。

≪059≫  やがて九州大学に赴任することになった清水さんは、おりからの大学紛争に遭遇する。持ち前の気質からなのか、清水さんはその渦中に飛びこみ、大学と学生が激突する矛盾を引き受けた。研究は放置され、大学とも学生とも溝が深まるなか、ついに一人の学生が自殺した。生命を探究しようとしていた研究者にとって、この事態がもたらした意味は大きかった。

≪060≫  ところで、清水さんはずいぶん以前からたいていカメラを持ち歩いている。道端に変わった群生物があるとパチリ、水の流れが変わっているとパチリ、屋根の向こうの雲があやしいとパチリ、屋根の向こうの雲がおもしろいとパチリ、さまざまな現象や物象を撮る。

≪061≫  シンポジウムの主宰をしたり、講演をしているときも、壇上やフロアで聴衆を撮る。「記録のためですか」と尋ねると「人の動きは不思議なので」と笑われた。もう少し食い下がって尋ねると「オーダーパラメータに関心があるんです」という答えが返ってきた。

≪062≫  それから十数年たって、ある会合で一緒になった。あいかわらずカメラを持っておられる。ところが今度は、その場にいる参加者をちょっと寄って撮っている。それが何カットも続く。どうも二人ずつを撮っている。ツーショットなのではない。まわりの連中の中でのちょっとはみ出た二人なのである。また尋ねてみたら、「うん、デュアリティ(duality)が気になるんでね」と言われた。

≪063≫  オーダーパラメータとデュアリティ。これは清水さんがとても大事にしている「発現の様子」をあらわす現象や物象である。もちろんそれをカメラで証拠写真にのこしているのではない。きっとアタマの中のシャッターが切り続けられているのである。

≪064≫  最近の清水さんはずいぶん先の先のほうを見つめているようだ。「共存化」のこと、贈与の逆の「与贈」のこと、生︲情報系がふるまう「相互誘導合致」の場のこと、さらには浄土真宗の碩学だった曾我量深の唯識思想などに関心を寄せている。与贈とは先に与えてから後に何かがおこること、相互誘導合致は2つの場の関与関係のこと、曾我量深は越後出身の仏教的世界観の提案者である。たまにお会いすると、たいていそういう思案中のテーマについて綴った最新の草稿をA4数枚ぶん渡される。いっときも仮説を中断することがないようなのだ。

≪065≫ 附記¶清水さんには、『生命に情報を読む』(三田出版会)、『生命と場所』(NTT出版)、『生命知としての場の論理』(中公新書)、『競争から共創へ』(岩波書店)などのほか、「ヒューマン・サイエンス」シリーズ全5巻(中山書店)の責任編集をはじめ、数多くの著作や構成監修の成果がある。ぼく自身が清水さんの影響をうけて出版編集にかかわったものとして『情報と文化』『解釈の冒険』(NTT出版)などもある。いずれも興味深い。こうした清水さんの独創的な研究や仮説や姿勢に惹かれた人々も数多く、ぼくが知るだけでも中村雄二郎、石井威望、村上陽一郎、野中郁次郎をはじめ、企業経営者から技術者にいたるまで広範な影響をもたらしてきた。むしろそうした清水さんの独創を位置づける試みが少ないのが、日本の科学思想の風土として気になるところである。なお、「関係子」という用語はぼくが進呈した。そのことについては本書の「あとがき」でものべられている。

≪01≫  さすが菊地信義の装幀である。縦目のテクスチャーのある白地の洋紙に、朱赤で小さく「見えない」とあって、同色で「巨人」という2文字が巨きく現れている。それが帯にも及ぶ。うまいもんだ。

≪02≫  刊行者のベレ出版は弱小ながら科学学習や英語学習を支援する刊行物をいろいろ出している版元で、ぼくも園地公毅の『植物の形には意味がある』、嶋田幸久・萱原正嗣の『植物の体の中では何が起こっているか』、山賀進『日本列島の地震・津波・噴火の歴史』などを愉しませてもらってきた。

≪03≫  著者の別府輝彦は日本の応用微生物学界の“巨人”である。斯界で知らない者はいない。昭和52年(1977)に東大の醗酵学研究室の所長となり、平成5年には東大生物生産工学研究センターのセンター長として、微生物のもつ機能の応用研究をリードした。その後、文化功労賞を受賞した。

≪04≫  本書は、かなり柔らかく微生物についての見方や取り組み方を述べているもので、微生物学の醍醐味を感じるにはうってつけだろう。

≪05≫  微生物というと、一般的には生きものとしての対象が感じにくいらしく、たいていは病原菌やバクテリアやバイキンが思い浮かぶ。「微生物ってノミとかダニのことでしょ」というOLがいたくらいだ。そうした一般読者を相手にした本はやたらに入門的すぎるか、警告がましい「あるある番組」ふうになりかねない。といってフツーに細菌や微生物を扱っている教科書は味もそっけもなくて、ほぼ退屈する。微生物や細菌は決して退屈なんかさせてはくれない相手なのである。

≪06≫  本書はなんといっても別府センセーだ。そこを深くもおもしろくも、柔らかくもハードにも説明してくれている。基本素養を身につけておくにはふさわしい。

≪07≫  ぼくは中学校で科学部にいた。担当のセンセーから研究課題を提出しなさいと言われて、「雨の研究」「ホコリの研究」「おしっこの研究」「昆虫の変態の研究」を提出したところ、なぜか「君は茶木君と組んで学校内のホコリを培養してみなさい」ということになった。茶木はぼくの親友の一人で、のちにその名の通り茶道具屋の番頭になり(中西豊造商店)、その後に独立して京に店舗を構えている。

≪08≫  校内のホコリの採集と培養はかんたんだった。校門・運動場・教室・屋上その他に肉汁の寒天培地を入れたシャーレ(ペトリ皿)を配しておいて、これを3日後、1週間後、半月後に回収してホコリが培養されるのを待って、あとはひたすら次々に顕微鏡で覗くのだ。

≪09≫  けれども生育したホコリを覗いても、その姿はそこそこおもしろいのに何がそうなっていたのかが、さっぱりわからない。だいたい学校内の空気中に生息するホコリには化物じみたものなんてない(南方熊楠のミナカタホコリなどあるわけがない)。せいぜいがカビ(菌類)だ。それもペニシリン発見のもとになった青カビのような立派なものじゃない。どうにも歯痒いだけなのだ。

≪010≫  指導のセンセーもとくに詳しいわけでもなく、結局は図書館の細菌図鑑と首っぴきになって、学校のホコリとは関係のない細菌世界を垣間見るようになっただけだった。

≪011≫  肉汁寒天の培地で育った細菌やカビを顕微鏡でしこたま覗くという方法は、本格的な微生物研究でも長らく続いてきた。微生物のコロニーを何度も選り分けながら、平板な培地で純粋培養していくという研究方法だ。レーウェンフック、パスツール、コッホ、みんなそうした。

≪012≫  コロニーによって微生物をクローニングしていくというこの方法は、生物学では微生物学だけがずっと固持してきた観察方法であり、研究方法だった。それでも1枚100円もかからない寒天平板培地は、研究者たちにとってはそのひとつひとつが大天体望遠鏡に匹敵するものだったのである。

≪013≫  寒天培養による微生物研究が大きく変わったのは、遺伝子の塩基配列が精密に解読できるようになってからのことだった。とくに細胞内のタンパク質工場にあたるリボソームの中のRNA遺伝子(rRNA遺伝子)を研究者が扱えるようになって、事態は一挙に激変した。

≪014≫  rRNAをどうするかというと、まずは土壌や海水の中から抽出したDNAをポリメラーゼ連鎖反応法(PCR法)によって数百万倍に増幅させる。ついでこの増幅された種類の違う微生物のrRNA遺伝子の混合物の中からひとつひとつをクローン化し、その塩基配列を調べて決定する。そしてこれらのデータをコンピュータで比較検討しまくるのである。圧倒的な研究成果が次々にあらわれてきた。PCRがすべてを変えたのだ。

≪015≫  それでわかってきたのは、これまで寒天培養されてきた微生物よりはるかに多くの微生物が地球上にゴマンといたということだった。その大半が培養なんてできないほどの「小さな巨人」たちだったのである。

≪016≫  なぜ微生物が「小さな巨人」かといえば、そのバイオマスがただならない物量になるからだ。

≪017≫  微生物のバイオマスは尋常ではない。近くに広めの公園か雑木林があるとして、その表層わずか15センチの土壌には総重量2トンの微生物がいるわけだ。その微生物たちの呼吸量は数万人の人間の一斉の呼吸量に及ぶ。ということはわれわれが一人で立てる足元の土地では必ず微生物たちがヒト一人ぶんの呼吸をしているということになる。

≪018≫  これは微生物の体重当たりの呼吸量がヒトにくらべて数百倍にもなるからである。クライバーの法則という。微生物という連中は、自分たちの体のサイズをうんと縮めることによって、やたらに高い代謝量を手に入れた生物群なのである。

≪019≫  とはいえ微生物を分類するのはかなり難しい。そもそもレーウェンフックが「アニマルキュール」(微小動物)を発見したときは、すべての微生物は「動物」とみなされていた。

≪020≫  それがだんだんあやしくなってきた。たとえばユーグレナという単細胞の微生物が鞭毛を振り動かしていながら、葉緑体をもって光合成もしていることがわかってくると、微生物を動物か植物かのどちらかに分類するのはとうていむりだということになり、微生物を動物や植物とは別に扱うようになった。

≪021≫  そのへんの水田にいくらでも見られるユーグレナは繊毛虫の仲間のミドリムシの総称であるが、かつての分類綱目ではユーグレナ植物門に属するユーグレナ藻類ユーグレナ目だった。これでは動物だか植物だかわからない。こういう曖昧な生物名になったのは、ミドリムシ植物がホド類などのような原生動物と緑色藻類との共生によって進化したからである。真核共生という。

≪022≫  一事が万事。微生物がこんな按配なので、実は生物分類全体についてもいまだ定説がない。だから研究者は好みに応じて幾つかの説に従うことになっている。

≪023≫  ドメインを3界に分ければ「原生生物・植物・動物」になり、5界に分ければ「モネラ界・原生生物界・真菌界・植物界・動物界」になる。また6界で分ければ「動物界・植物界・菌類界・原生動物界・バクテリア界・ウィルス界」というふうなのだ。

≪024≫  いずれも「構造を見るか、機能を見るか、出自にもとずくか」という見方によるのだが、どれも決定打を欠いている。

≪025≫  いま述べた6界説の場合は、菌類(酵母・キノコ・カビ)、原生動物(トリパノゾーム・アメーバ・ゾウリムシ)、1個の細胞をもつ単細胞のバクテリア(藍藻・グラム陽性菌・古細菌・スピロヘータ・リケッチャ・マイコプラズマ)、そして細胞のないウィルス(数々の病原ウィルス)が分かれるわけだが、これとて今後のウィルス研究がどう進むかによって変化する。

≪026≫  4つのドメインに分けることも多い。別府センセーの本書はこちらの方針だ。「真性細菌、古細菌、真核生物、ウィルス」になる。ミドルウェア的な分類としては、まずまずのものだろう。

≪027≫  この場合は、真性細菌のドメインには、光合成をする藍藻の一種のシアノバクテリア、好熱菌のサーマスやサーモトガ、プロテオバクテリアに属する大腸菌やペスト菌、硫黄酸化細菌や根粒菌、枯草菌や乳酸菌などのファーミキューテス、放線菌ともいわれるアクチノバクテリアなどが属する。

≪028≫  次の古細菌のドメインにはかなりの風変わりが多い。メタンを好むメタン生成菌、塩田にいる高度好塩菌、火山地帯の酸性熱泉にいるスルフォロバス、100度を超えても平気なパイロコッカスなどが入る。

≪029≫  真核生物を代表する微生物は、よく知られているものではカビ・キノコ・酵母の仲間の真菌類である。これらは植物よりも動物に近い菌類だろうとみなされている。紅藻・褐藻・珪藻などの藻類も細胞内に核をもっているので真核細胞になる。マラリア原虫や卵菌類たちもこの系列だ。

≪030≫  本書には紹介されていないのだが、スーパーグループによって真核細胞生物の微生物を分類する方法もある。

≪031≫  この見方は1980年代後半から注目されるようになった分類法で、真核生物を門や界ではなく高次な系統で追う。アメーボゾア(仮足をもつアメーバなど)、ハクロビア(クリプト藻類など)、ストラメノパイル(ミズカビなど)、アルベオラータ(渦鞭毛藻のディノフィシス類など)、リザリア(プランクトンの放散虫や有孔虫など)、アーケプラスチダ(アオミドロなど)、エクスカバータ(ユーグレナなどの藻類)、オピストコンタ(水生菌など)の8グループだ。

≪032≫  ストラメノパイルとアルベオラータとリザリアを特別にSARといい、ここにはかなりの遺伝的共通性がある。いずれも超拡大された姿は、3Dグラフィックアートかというほどに、驚異的に美しい。


≪033≫  ウィルスについては、いまだに動物なのか植物なのかがわからないだけではなく、そもそも細胞をもっていないので、自立している生命体がどうかもわかっていない。

≪034≫  にもかかわらず自己複製をするタンパク質と核酸をもっているのだから、いまなお謎の系譜のままにさて措かれているものたちなのだ。ともかくも動植物を宿主とするウィルスから細菌や古細菌を宿主にしているバクテリオファージまで、これまたそうとう多様な広がりをもつ。最近ではミミウィルスなどの巨大ウィルスも話題になっている。

≪035≫  どう分類するかはともかく、いずれによる分類でも微生物が生物界全体のそうとうに大きな底辺を形成していることはあきらかである。寒天培養できる微生物だけではそんなことはわからなかった。その後の塩基配列で見えてきた微生物のほんの1パーセントの種類だったからだ。


≪036≫  いったい微生物がどんな生物で、何をしでかしてきた生物なのかということも、実は定説がない。一言でいうのなら、ポール・フォーコウスキー(1622夜)の書名になったように、かれらは「地球をつくった」のである。「生命のエンジン」となったのである。微生物たちの多くは地球生命の最も重要な初期部品であって、最初のプランナーなのである。

≪037≫  このようなハイパーホロニックな役割については、炭素循環と窒素循環を見ればあきらかになる。

≪038≫  地球の炭素の99・5パーセントは地殻内に石灰岩などの無機物の炭酸塩や、石油を含む有機物のかたちで閉じ込められている。残りの炭素の0・04パーセントが炭酸ガスとして海水に溶け込んでいる。炭素はここで大量の炭酸イオンを交換しながら、太陽の光エネルギーを利用する炭素固定によって有機物にかたちを変えた生物圏を循環する。

≪039≫  炭素循環の主役は二つある。ひとつは光合成をする植物たちだが、もうひとつは珪藻やシアノバクテリアなどの微細藻類である。その光合成量は陸上植物に匹敵する。ここには脇役もいる。無機化学栄養細菌たちだ。火山や深海の熱噴出孔で太陽ではなく地球の還元力に頼る有機物をつくりだしている。

≪040≫  こうして固定された炭素は植物の呼吸によって炭酸ガスに戻るもの、装飾動物に始まる食物連鎖が送り出す呼吸として炭素ガスになるもの、動植物の遺体や動物の排泄物などの有機物をエネルギー源にする従属栄養微生物によって炭酸ガスに戻るものなどとなっていく。

≪041≫  微生物は炭素循環が定常状態になっていくことに寄与しつづけるのだ。

≪042≫  窒素のほうは炭素とは逆に、地殻の中での無機窒素化合物になっている量は少なく、大部分が大気中で分子状の窒素のままにある。その含量は78パーセントに及ぶ。

≪043≫  この分子状窒素は化学的に不活性なので、それを生物たちが利用するには硝酸塩やアンモニアに変換する必要があるのだが、変換プロセスは容易にはおこらない。そこで活躍するのが、このところぼくがお気にいりのニトロゲナーゼなのである(1622夜参照)。ニトロゲナーゼという酵素をもつ微生物がアンモニア還元をもたらしていく。

≪044≫  微生物によって大気からアンモニアに固定された窒素を大気に戻すにも、微生物の関与が必要だ。まずアンモニアが硝化細菌によって硝酸塩に酸化され、この硝酸が別の細菌によってもう一度還元されるとき、アンモニアまで戻らずに途中で分子状の窒素となって大気に飛散するというプロセスをとる。 このように地球の窒素循環も、ほとんど微生物に頼りきっているわけである。

≪045≫  ところが20世紀になってハーバー・ボッシュ法という空中窒素固定の技術が工業化されると、合成アンモニアが大量に登場することになった。

≪046≫  合成アンモニアは初めは戦争用の火薬の原料になる硝酸の製造に使われていたのだが、世紀末に向かってはその大半が窒素肥料に化けて、全部地球の土地という土地に撒かれていった。

≪047≫  窒素肥料が合成できるようになったのは、地球史的にも文明史的にもきわめて大きな変動をもたらした。これで地球上の微生物による窒素固定量の半分に迫る窒素が出回り、これが脱窒素菌の能力では還元できないほどになったのである。

≪048≫  さて、一般の生物の教科書では、微生物は光合成によって生まれた有機物を分解する「分解者」だと説明されている。ところが、この用語で理解してばかりいると、微生物の才能を読みちがえることになる。

≪049≫  ふつう、分解されてどうなるかといえば有機物は腐敗するわけである。だから微生物は世界を腐らせていると思われている。それはその通りだが、この見方があまりに一面的すぎるのだ。

≪050≫  生物はエネルギーを得るためには代謝活動をする。代謝なき生命はない。

≪051≫  その基本的な代謝には「光合成、呼吸、発酵」の3つの方法がある。このうち呼吸と発酵は有機物を酸化させ、そのときに遊離されるエネルギーでATPを合成する。

≪052≫  この呼吸と発酵の酸化プロセスには副産物の水素が生じる。排出した水素を有機物にわたせば発酵になり、酸素にわたせば好気呼吸になり、無機物にわたせば嫌気呼吸になる。原理は呼吸も発酵も同じなのである。

≪053≫  ではどこで呼吸と発酵が分かれるかといえば、酸素のある条件では呼吸によってブドウ糖を炭酸ガスと水に完全に酸化できるのが、酸素が内情権ではアルコール発酵によってブドウ糖が不完全に酸化されてエタノールと炭酸ガスを生成するところだ。

≪054≫  酸素がないとブドウ糖が完全に酸化されないのは当たり前のようでいて、そうではない。呼吸の場合は空気中の酸素が水に還元されるのに共役して、炭素6個をもつブドウ糖1分子は炭酸ガス6分子に酸化されるとともに、エネルギーを運ぶATPが38分子できる。

≪055≫  それに対して酸素がない条件では発酵がおこって、ブドウ糖が分解される途中にできる炭素3個をもつ代謝中間物が2分子生じて酸化され、そこにやはり中間体であるアセトアルデヒト2分子が還元されてエタノールになり、それと同時にATPが2分子できる。

≪056≫  酸素のない条件での発酵は、その代謝プロセスそのものが物質を大量に蓄積していくというプロセスでの発酵の原因になるわけなのだ。

≪057≫  こうして酸素が必要な酢酸発酵(エタノールを酸化して酢酸をつくる)やグルタミン酢発酵(糖とアンモニアかせグルタミン酸をつくる)と、酸素がいらない乳酸発酵やアセトンブタノール発酵が分かれていったのである。

≪058≫  人類は発酵によってさまざまな「おいしいもの」や「味わうもの」や「快感にひたるもの」をつくっていった。おそらく最初は酒の醸造だった。12000年前のエジプトや7000年前のメソポタミアにはビールやワインの醸造痕跡がのこっている。

≪059≫  ビールやワインや日本酒は微生物による発酵がつくりだしたものである。ビールは大麦を発芽させた麦芽をもとに発芽時に大麦自身がつくりだすアミラーゼがはたらいて糖化をおこしたもので、ワインは収穫したブドウが自然発酵するのを待って、そののち乳酸菌によってリンゴ酸を乳酸に変えて酸味を下げるという発酵(クロラクティック発酵)を加えたものである。

≪060≫  発酵と文明の関係はそうとうに充実している。「文明とは発酵のことだった」と言いたいほどだ。

≪061≫  醤油もチーズも、パンも酢も味噌も、納豆もヨーグルトも、すべてカビや酵母菌や乳酸菌などの微生物による発酵食品なのである。みんな親戚だといっていい。

≪062≫  のみならず昆布に含まれていたグルタミン酸、煮干しがもっていたイノシン酸、シイタケに含まれていたグアニル酸などの「うまみ」もまた、そこにアミノ酸生産能力の高い微生物が加わったからこそ莫大な調味料になってきた。

≪063≫  微生物は医療でも大活躍をした。このあたりのことは解説するまでもないだろうが、フレミングのペニシリン作成やワックスマンによるストレプトマイシンの発見を嚆矢に、驚くべき工夫によって多様な抗菌物質や抗生物質や薬剤が開発されていった。

≪064≫   これらそれぞれに活躍する微生物はまことに多様であり、有酸素か無酸素かの違いもあるが、発酵技術の習得とともに人間と微生物の関係は切っても切れないものになっていった。ビタミンも微生物をつかって生成される。ビタミンB2はアシビア属やキャンディダ属のカビや酵母を培地にして、ビタミン12はシュードモナス属やプロビオン酸菌などの変異株から、ビタミンK2はアースロバクター属の細菌からつくられる。

≪065≫  そのほか本書にはいろいろな話題が集結しているのだが、なかで「クオラムセンシング」(quorum sensing)のことがぼくには以前から興味深かったので、少しだけ紹介しておきたい。

≪066≫  昆虫などの生物には、同種間で分泌しあっている化学物質がある。これはいわゆるフェロモン(pheromone)というもので、昆虫の情報コミュニケーションとして注目されている。

≪067≫  成熟度を感知させる性フェロモン、餌のありかを通知する道標フェロモン、交尾や越冬を知らせる集合フェロモン、外的の情報を仲間に知らせる警報フェロミンなどのリリーサーフェロモンと、受容した個体の内分泌系に影響を与えるプライマーフェロモンが知られる。

≪068≫  一部の真性細菌にも、自分と同種の菌の生息密度を感知できる機構があることがわかってきた。集合フェロモンやプライマーフェロモンのようではあるが、機構と効能が違っている。これがクオラム(quorum)だ。

≪069≫  クオラムとはラテン語で「議決に必要な定足数」のことをいう。細菌にはそのクオラムが相手細菌をセンシング(検知)して、自分を含めた細菌数が一定数を越えたときに特定の物質が産生する能力があったのである。

≪070≫  クオラムセンシングをする細菌は、最初はミクソバクテリア属やストレプトマイセス属の細菌で発見されていた。が、その後はけっこう多くの微生物で確認され、最近では発光バクテリアが注目されている。

≪071≫  クオラムセンシングは微生物の情報伝達機構を知る上でたいへんおもしろい。細胞内でオートインデューサー(自己誘導因子)という物質を産生しているわけなのだが、そのスイッチが自分を含めた定足数や議決数で作動するところが注目される。

≪072≫  クオラムが作動するかどうかは、濃度や周辺環境による。それによってクオラム物質(クオルモン)が出るか出ないかが決まる。そこが議決数によって決まっているようなのである。ぼくは大いに唸ってしまった。

≪073≫  最新の研究では、この鍵と鍵穴のような関係には、クオラムセンシングだけではなくて毒素の発生や病原性の発現にもかかわっていることが知られつつある。バイオフィルム(biofilm)の形成にも与かっているようなのだ。これもまた、おもしろい。

≪074≫  バイオフィルムとは細菌や菌類がつくる菌膜のことである。台所のシンクのぬめりや歯垢などもバイオフィルムの一種だ。これらは微生物のはたらきでおこる現象だが、バイオフィルムになることによってクオルモンのような物質が産生されて、相互の情報伝達が可能になっていると見られる。

≪075≫  逆の見方をすれば、バイオフィルムには多くの細菌や菌類や藻類が生息しうるということだ。

≪076≫  バイオフィルムの基体をEPS(extracellular polysaccharide)という。これは細胞外多層が分泌されたものである。そういうEPSは細菌間のバリアーや情報伝達経路の役割をはたすらしいのだ。そのため環境変化や化学物質から内部の細菌を守る作用を提供する。

≪077≫  実は、これまではバクテリア(細菌)などの単細胞の微生物は水中で分散した浮遊細胞のようにぱらばらに、また勝手気ままに生きていると思われてきた。しかしバイオフィルムのことがわかってきて、どうやらかれらがやってきたことは個体表面に集まってバイオフィルムをつくっていたのかもしれなかったという推測が成り立ってきた。それは多数の細菌が積み重なってできた高層建築群のようなものなのだ。

≪078≫  それなら、かれらはそんなフィルム状になってどのように相互作用をしているのかといえば、それがクオラムセンシングによっていたり、それぞれの菌が菌体外につくりだす多糖類になっていたり、ときによってはポリペプチドやDNAになどの粘着化になっていったりするのだった。

≪078≫  それなら、かれらはそんなフィルム状になってどのように相互作用をしているのかといえば、それがクオラムセンシングによっていたり、それぞれの菌が菌体外につくりだす多糖類になっていたり、ときによってはポリペプチドやDNAになどの粘着化になっていったりするのだった。

≪079≫  ごく最近の研究では、微生物たちはバイオフィルムやクオラムセンシングのはたらきによって、集団の大多数が死滅するかわりにごく一部のものを生き延びさせているのではないかという、注目すべき仮説もあらわれている。

≪080≫  微生物、おそるべし。かれらこそ生物界きってのハイパーホロニック・クリーチャーだったのである。

≪01≫  2週間ほど前、大隅良典さんのオートファジー研究がノーベル生理学医学賞を受賞した。以前から噂のあった研究なので、また朝日賞・京都賞・ガードナー国際賞も授与されていたので当然の受賞だったが、この評価はかなり嬉しい。

≪02≫  オートファジーというのは、細胞がみずからのタンパク質を分解して再利用することである。細胞によっては過剰にタンパク質を合成しすぎたり栄養状態が悪化したりすることがあるのだが、こうしたときに細胞が自分で自分のタンパク質をつくりだして食べはじめることから、オートファジー(自食)と名付けられた。大隅さんは細胞がオートファジーするスイッチをオンにする遺伝子を予想した。これは1993年に見つかった。

≪03≫  自食のしくみがおもしろい。細胞の中に膜(メンブレン)があらわれる。その膜がタンパク質やミトコンドリアなどのオルガネラ(細胞内小器官)をとりこんで、ついで分解酵素を含む別のオルガネラのリソソームと融合すると、とりこまれたタンパク質が分解されてアミノ酸となり、細胞はこれを栄養素とする自食作用をしてのけるのだ。

≪04≫  細胞に自食作用があるらしいことは1950年代からわかっていた。ただ分子レベルでの研究はなかなか進まず、大隅さんが独自に根気よく組み立てた研究によってメンブレン・トラフィックがあきらかになり、オートファジー分野がやっと脚光を浴びたのだった。日本では大阪大学のオートファジー学研究グループもかなり深い研究をしつづけている。阪大の吉森保さんが大隅さんの弟子なのである。

≪05≫  けれどもオートファジー論は、少し前までは「細胞自食仮説」としていささか怪しい議論だと言われていた。そういうギョーカイ反応があった。科学にはつねにこうした紆余曲折がともなうのだが、ここで諦めてはいけなかったのだ。このことは受賞後の会見で大隅さんが少し苦々しい口調で何度も言っている、「流行を追うな、みんながやっているから大事だとはかぎらない、役に立つから科学になるわけではない」と。

≪06≫  若いときに織部や鍋島が好きになると、その後に美濃・楽・黄瀬戸・現代陶芸など気に入ったものはけっこう多くなっていくのに、それはそれ、いつまでたっても織部や鍋島を応援したくなる気分というものがある。ぼくは学生時代にターナーやダリにはまり、またドイツ浪漫派やイタリア未来派にぞっこんになったのだが、いまなおこれらに対する無理解や無定見があると、食ってかかりたいという気分が拭えない。いったん惚れるとずっと擁護したくなってしまうのだ。

≪07≫  科学仮説にもそういうところがある。科学というもの、次々に受容され認定された理論や実験の積み重ねが今日の科学の最前線を構成しているのは当然なのだけれど、とはいえ、さまざまに破れ去った仮説や一部が改変された理論にはいずれもどこか魅力があって、そういう何かの仮説に心が奪われると、その「見方のサイエンス」をずうっと大事にしたくなるものなのだ。

≪08≫  そういうなかには、科学者たちがひそかに捨てられない仮説もけっこう多い。たとえば、天文学におけるフレッド・ホイルの定常宇宙論、生物学における今西錦司の棲み分け理論、数学におけるルネ・トムのカタストロフィ理論などはそういう例だろう。いずれもかなりユニークなものだが、いまは傍流の仮説として放置されている。にもかかわらず、実はこれらが気になっている科学者は少なくない。

≪09≫  それは子供のころ母親の味噌汁や卵焼きに出会ったため、いつまでもその味に郷愁みたいなものを感じることに近いのかもしれない。グラハム・ケアンズ=スミスの「遺伝的乗っ取り」仮説(genetic takeover theory)にも、そうした母の味に似た魅力があった。

≪010≫  生命の起源をめぐる「遺伝的乗っ取り」仮説はいま現在の時点でいうと、その筋書きのすべてが確認されているわけではなく、また生命科学界で了解されているわけでもない。けれども、その大胆で緻密な「読み」はすこぶるスリリングで、いつかこの仮説が多少の変形を受けてもいいからぜひとも稔ってほしいと思ってしまうような、そういうものだった。

≪011≫  仮説の骨子は、最初の生命体は「ある種の鉱物構造の特徴にもとづいて芽生えたのではないか」ということにある。DNAのような遺伝子が生物体で機能するずっと前、微結晶的なプレ遺伝子のようなものがあって、そのプレ遺伝子が代謝をするようになった初期生命体の細胞の一部を乗っ取って今日の遺伝子になったのではないかというのだ。

≪012≫  鉱物の微結晶性がプレ遺伝子的なはたらきを促したという見方といい、そこに情報を保存したり複製したり編集したりする機能が先行したのではないかという見方といい、ドキッとするような魅力を発揮していた。

≪013≫  生命の起源をめぐる仮説には、古来、さまざまなものがあった。アリストテレスは生物は親から生まれるが、ミツバチやホタルのように草の露から生まれるものがあるとしたし、パラケルススやヘルモントはミミズやカエルやウナギは無生物から発生するとした。

≪014≫  これらは生命の起源を問うというより発生の謎をめぐる発生起源説で、そこには生気(生命の素のようなもの)に形を与える「エンテレキア」(形成力)という謎の力が想定されていた。だからその謎の力にはたいていは無生物との有象無象の関係がひっついていて、いくぶんアニミスティックな憶測がまじっていた。人間にもホモンクルスという“こびと”が原形にいるはずだ、精子の中にはそんな“こびと”の精が宿っているのだろうという憶測も、まことしやかに広まった。

≪015≫  こうした謬見を正面から打ち破ったのはスパランツァーニやパスツールが微生物による発生を説いてからのことで、このとき初めて「無からの発生はない」という見方が確立した。この見方は科学史上ではそうとう画期的なもので、のちのちの「生命科学」や「情報生命科学」の出発点を確立させた。大隅さんではないが、多くの生物発生研究者が細胞や病原菌やタンパク質の動向を探るべく顕微鏡を覗きはじめたのである。

≪016≫  そこへ万能理論ともいうべきダーウィン進化論がかぶさった。生物の分化と進化が自然選択的なプロセスをもつのなら「無生物から生物へ」という脈絡にもこのプロセスがあてはまるだろうというものだ。

≪017≫  こうして物質と生命との、無機と有機との、発生と進化との、それぞれの「あいだ」の脈絡をつなぐ作業が始まった。生命の起源をめぐる議論は「物質から生命へ」「天体要因から地球生命へ」という筋書きを考える科学仮説に向かって、次々に提案がなされることになったのである。

≪018≫  ここではかんたんな紹介にすますけれど、いくつかのアプローチが目立った。まずは化学進化説が走りだした。無機物から有機物が生まれる生化学的なプロセスに立ち入ろうというものだ。スタンリー・ミラーとハロルド・ユーリーの実験が嚆矢となった。水とメタンとアンモニアを含む“原始地球スープ”のミニモデルを容器につくり、これに放電エネルギーを与えたところ有機物が芽生えたというのだ。

≪019≫  ついで解明の対象になったのは代謝機構の解明だった。生命の特質は「代謝」と「遺伝」と「複雑さ」にあるのだが、物質界のどこで代謝が始まったのかに次の研究が向かったのである。早くに名乗りをあげたのが表面代謝説だった。ジョン・バナールやヴェヒター・スホイザーは黄鉄鉱などの表面で有機物の重合がおこって代謝のしくみが生まれたのではないかという仮説を発表した。

≪020≫  一方、生命の起源が海にあるだろうことは見当がついていたので、すぐに海洋生物学が発達した。海のどこかで「酸素をつくった奴」がいるだろうと想定されたのだ。なかで海底奥深い熱噴射孔に生息するシアノバクテリアが注目され、無酸素状態の地球生命の先行部隊の姿のひとつが見えはじめた。こうなると急速に光合成のメカニズムが研究され、植物生理学が生命の神秘に挑むようになった。それとともにATPやミトコンドリアの性質も見えてきた。まとめて「化学合成独立栄養生物仮説」などといわれる。

≪021≫  パンスペルミア説もいくつも提出された。生命の起源は海の底からではなく、天体から生命の種がばらまかれたのだというもので、胚種広布説とか宇宙播種説とかといわれる。フレッド・ホイルやチャンドラ・ウィックラマシンゲやフランシス・クリックがこの仮説を発展させた。

≪022≫  しかし圧倒的な勢いで浮上してきたのは、なんといっても分子生物学と分子遺伝学による成果の数々だったのである。「代謝」と「遺伝」という2つの謎のうちの、いよいよ「遺伝」のほうに研究と仮説が殺到した。

≪023≫  いまでもよく憶えているが、ぼくが「遊」を創刊してしばらくたった70年代半ば、どんな研究所でも大腸菌がもてはやされていた。分子観察対象として大腸菌が脚光を浴びたのだ(いまでも研究者の卵はここから始める)。京大の若き本庶佑さんがキラキラ眩かったころだ。そのうち解析にコンピュータが用いられるようになり、遺伝情報とゲノム情報をデシタル解析するようになった。

≪024≫  分子生物学の成果はめざましかった。予想外の仮説も次々に登場した。たちまち、それまでほとんど顧みられていなかった「情報としての生命」という見方が一貫したシナリオをもちはじめ、これぞ新たな生命観の出現をもたらすだろうと期待された。ぼくはとくにRNAワールド仮説に惹かれた。

≪025≫  けれどもジャック・モノーの話題作『偶然と必然』(みすず書房)やリチャード・ドーキンスの『利己的な遺伝子』(紀伊國屋書店)などを読み継いでいたかぎりでは、残念ながらそこに新たな生命哲学(生命思想)がヴィヴィッドに芽生えたとは思えなかった。とくに遺伝子(つまり遺伝物質)がどのように生きた情報を複製したり編集したりするようになったのか、その根本のところが曖昧だった。そうしたなか、ケアンズ=スミスが「遺伝的乗っ取り」仮説を引っさげて登場したのである。

≪026≫  あらためて仮説の概要を説明すると、最初の生物が出現する以前に、ある種の複製力をもった生命分子のようなものが生じたのだ。それは柔らかい微結晶鉱物の構造のどこかでおこったことで、そこには鉱物の構造そのものの特徴さながらの情報機能が発祥したのであったろう。シュレーディンガーが非周期的結晶性が生命誕生のヒントになりうることを予告していたが、この見方はその延長にあった。

≪027≫  こうしていまだシアノバクテリアが出現していないころ、最初の生命体らしきものが粘土状の鉱物的結晶性を帯びてプリミティブな情報複製能力をもった。これを第一次生命体と呼ぶとすると、この第一次生命体はやがて原初の遺伝現象を示しはじめた。これはいわばプレ遺伝子の動向にあたる。

≪028≫  プレ遺伝子は微結晶性の無機物だが、情報をリプリントしたりコピーしたりする半有機的な能力をつけて、最初の遺伝物質になった。なぜそんなことがおこりえたのかというと、鉱物の結晶の不規則性が対応したのであろうとケアンズ=スミスは考えた。

≪029≫  少しばかり結晶性を帯びたプレ遺伝子(初期遺伝物質)はさまざまな不規則な構造を生じさせるうちに、その欠陥構造ゆえに情報を保存することができただけでなく、自身の自己継承もなしうるようになった。ケアンズ=スミスは、このようなことをおこせたのはカオリンなどの粘土的な鉱物だったろうと想定した。

≪030≫  鉱物の結晶力にはけっこう不安定で不完全なところがある。安定するとはかぎらないし、規則的であるともかぎらない。このことからすると、第一次生命体の原初遺伝子(プレ遺伝子)はもともとはいま知られている核酸やDNAやRNAのようなハイテクなしくみの中にいたわけではなかったと推定される。かなりのローテクだったろう。いやいやゼロテクだったかもしれない。

≪031≫  ところが、このローテク遺伝子あるいはゼロテク遺伝子が、次のDNAなどの第二次遺伝子に向かっては、新たな有機的な組み合わせをめざして核酸をつくりだし、情報をもつタンパク質をつくりだしたのである。これは原初遺伝子による「乗っ取り」というべき事件だった。乗っ取りはまんまと成功した。いくぶん結晶的な性質をもった第一次生命体の原初遺伝子は、やがて細胞膜の中に入り込んだ第二次遺伝子としてローテクからちょっとハイテクに機能を上げていったにちがいない。たぶん複製能力を上げたのだ。

≪032≫  こうして、その複製能力やそのことを触媒する能力のある第二次遺伝子がRNAあるいはDNAとなって(第二次遺伝子に進展変化して)、核酸(ヌクレオチド)の中に隙間やらイントロンやらジャンク遺伝子をつくりだし、今日見られるようなDNAによるセントラルドグマに達したのだったろう。

≪033≫  ケアンズ=スミスの専門は物理学および鉱物学である。物質の運動や現象を観察してそこにひそむ変化の具合を読み取り、それを数式に落としこんだり、実験を加えたり、いまだ確定されていない未知の物質を想定したり、そのふるまいを物理的に記述したりすることを得意とする。

≪034≫  しかし、生命の起源のような問題にはなかなかこのような方法があてはまらない。そもそも分野が違う。物理学は無機を扱い、生物学は有機を扱っている。それなら物理学は生命の起源にお手上げかというと、そんなことはない。地球史があきらかにしてきたように、最初の生命は必ずや無機物の組み合わせのどこかから始まっていたはずで、そうであるのなら「物質から生命へ」あるいは「物理から生物へ」という最も神秘なプロセスには、少なくとも半分は物理学者がかかわるべきなのである。

≪035≫  この「物理から生物へ」という最初の一歩は、シュレーディンガーの勇敢な踏み込みとして、『生命とは何か』(岩波新書)という1冊に記念される。そこにはアミノ酸やタンパク質や核酸といった用語にまじって、熱力学や結晶理論の物理用語が入っていた。この踏み込みはとりわけ「生命は負のエントロピーを食べている」「生命は非周期的な結晶作用に似ているかもしれない」という名言にのこっている。

≪036≫  その後もニールス・ボーアからフリーマン・ダイソンまで、物理学は何度も生命の起源の謎に挑んできた。それぞれ示唆的であり、それぞれ理屈が立っていて、それぞれ擽ったいものではあったが、なかでぼくが母の味を知ってしまったのがケアンズ=スミスのジェネティック・テイクオーバー仮説だったのである。

≪037≫  仮説の根底にあるのは、シアノバクテリアなどの生物的生命体が出現するずっと以前に、おそらくは「物質的な生命の分子状態」もしくは「物質情報的な生命分子っぽいもの」があったはずだろうという見方だ。

≪038≫  その生命分子らしきものは多分に結晶的な性質をもっていた。そうでなければ“構造的模倣”をおこす複製力を生じなかった。シュレーディンガーは非周期的な結晶性に生命の本質の匂いを嗅いでいたが、ケアンズ=スミスは鉱物の結晶構造になんらかの欠陥が生じて、そこに無機が有機に向かう発動があったとみなしたのだった。

≪039≫  先にも書いておいたように、鉱物の結晶はしばしば欠陥をもつ。それが地球製の鉱物や岩石というものだ。たとえば結晶にはオーダー(秩序)があるが、欠陥結晶ではそのオーダーが出たり入ったりする。無機物がつくる出入りだが、どこか有機的な出入りに近い。そこへアミノ酸がタンパク質になっていく動向などの「情報の保存や複製や変異」が捻出される背景ができてきたにちがいない。

≪040≫  このような動向はまだ生命活動ではないけれど、十分に情報活動ではあったわけである。だとすればそのうち、このことを継続的に体現してみせるプレ生命分子やプレ遺伝子が情報生命系の芽生えとして生じてもおかしくはなかった。鉱物結晶にはオーダーがあったのだから、このプレ生命分子たちのどこかにはオーダーを組み立てたりそれを継承したりするしくみがなんらかのかたちで引き継がれたのであろう。これはのちの遺伝記号や遺伝暗号の組み合わせを保持したり組み替えたりするのに、まことにうってつけだったのである。

≪041≫  生命を構成する有機分子には厖大な組み合わせがある。わずか10個程度の原子でもヴァージョンがあり、生体構成分子はこれが100個、1000個になるのだから、その組み合わせはすこぶる多能的になる。

≪042≫  もっと驚くべきは生体制御機構としてはたらく酵素のほうで、小ぶりの酵素ですら約5000個の原子を含む。その酵素の作り方のレシピをもったRNAの情報テープではざっと三万個の原子が約束事を守っている。こういうものが組み合わさっているうちに生命体は有機的な連関状態をつくっていくわけである。

≪043≫  どんな手順でこんなふうになるのかといえば、そのおおざっぱな基本は、
①分子操作による、②事前調整による、③自己集合による、
というものだ。
特別な機能をもつ道具立ては①、
生ずる効果や結果を限定したいときは②で、
分子たちが寄り集まって高次な機能をつくりあげるときは③をつかう。
なかで③の自己集合がプレ生命分子の動向としては重要になった。

≪044≫  物質が自己集合するときは、分子が定常的な熱運動の状態にあるときである。この状態では分子は一瞬たりともじっとしていない。なんとかくっつきあおうとし、可能なかぎりの配置を通過しようとする。そのうえで、想定しうるかぎりの安定を求めて特定配置にたどりつく。これが「結晶」になる。結晶化がおこるには、物質状態の温度は高すぎても低すぎてもダメで、かつ分子濃度が十分に高くなっている必要がある。ただし周囲に多くの別な分子がない状態がいい。そういう条件が満たされてくると、分子たちはさかんにくっつきあおうとし、分子間の引き合う力を発揮する。

≪045≫  けれどもすぐさまくっついてはダメなのだ。分子間にはたらく力は可逆的でなければならず、そうであるがゆえに分子たちは自分の配置と位置を次々にテストして、より安定的な構造(構成)を選び出し、結晶化を遂げるのである。

≪046≫  結晶による構造は未飽和・飽和・過飽和によって変わる。エラーもおこるし、不規則にもなる。そして、この結晶構造の微妙な多様性と不安定性がある種の動的な鋳型となって、おそらくはプレ遺伝子のローテクな代替構造をプリンティングさせたのであったろう。ケアンズ=スミスはそういうことをおこさせたのは、きっと無機粘土質の鉱物だったろうと推断してみせた。

≪047≫  地球は無機粘土質が連続的に結晶化していくプロセスによって成り立っている。粘土は直径0.001ミリほどの粒子でできていて、水には溶けにくいが懸濁しやすい柔岩石である。一つまみの粘土には数種類の無機粘土質が含まれ、その各々に独特の構成単位と結晶構造がある。成分の大半は層状珪酸塩で、その層の出来具合によって2つのタイプに分かれる。

≪048≫  ひとつはカオリンを主成分とする粘土で、この層構造は酸素原子3つぶんの厚さになる。そこでは酸素原子からなる三枚の板が重なっていて、それぞれの隙間で共有結合をおこしている。板の一部はアルミニウム原子でできていて、カオリン層の表面をつくる酸素原子には水素原子が結合する。アルミニウムが介在することはこの結晶に模様を与える。

≪049≫  巨大な粘土層はこのモデルの積み重ねで結晶的理想をめざすのだが、むろんそうはいかないことも多く、そこに不規則性や不連続性もあらわれる。それを鋳型としてプレ遺伝子が育まれたのであったろう。カオリンの変形ヴァージョンにはディッカイトやハロイサイトがあるのだが、これらにはポリティピズム(多型性)が富んでいて、こちらからもさまよう生命分子の可能性が育まれたのかもしれない。

≪050≫  もうひとつの粘土は雲母質のムスコバイトである。大きく整った結晶をもち、対称性が生じることが多い。変形ヴァージョンにイライト、スメクタイトがあり、ここにも初期生命分子が複製力をもっていくためのベッドが用意されていたのかもしれない。

≪051≫  このように粘土質が可塑的であったことが、生命分子の鋳型と逆鋳型の相互作用をもたらし、情報の構造的保存性や継承性をもたらしたのである。それを媒介したのは結晶的遺伝子あるいは半結晶的遺伝子だった。

≪052≫  粘土結晶は規則性と不規則性の両方をもつ。このことは情報をまちがいなく複製すること(すなわち情報のシンタックスを継承しようとすること)、多様な組み合わせによって情報のセマンティックスを生み出そうとすることの、その両方を可能にしたはずである。生命体はこの規則的結晶性と不規則な欠陥構造の両方を生かして先行していったのだ。これ、なかなか魅力的な仮説だった。

≪053≫  ケアンズ=スミスには『生命の起源を解く七つの鍵』(岩波書店)という、やや啓蒙的な本がある。どのように仮説をまとめあげたかという思考のプロセスが述べられていてとても参考になる(かえって紆余曲折をあからさまにしようとして、まわりくどいところもあった)。

≪054≫  その『生命の起源を解く七つの鍵』に、生命の起源を推理するにあたって採るべきいくつかの道標が掲げられている。道具立てについて、生命的統一をめざす結像の条件について、これらを成立させる鋳型の役割についてという、3つの鍵が提供されている。かんたんに紹介しておきたい。

≪055≫  道具立てについては、こうである。

≪056≫  ①地球上のあらゆる生命は一揃いの分子だけでなく、共通のシステムをもっていた。その共通のシステムには生化学的な統一性がある。とくにリボソームがタンパク質を合成すること、タンパク質を触媒に用いていること、タンパク質と脂質から生体膜をつくることには、著しい共通システムが動いている。しかしこうした中枢代謝経路の道具立ては生命誕生以前にあったわけではない。生命進化はどの部品を組み立てればいいかという設計図をもっていなかったはずなのである。

≪057≫  ②あらゆる生物に共通したシステムには必ずサブシステムが動いている。これらはたいてい連動する。タンパク質は触媒をつくるのに必要だが、タンパク質をつくるには触媒が必要で、核酸はタンパク質をつくるのに必要だが、タンパク質は核酸をつくるのに必要だ。小さい分子たちはそれぞれ相互に依存しあっているのだ。しかしこれらサブシステムは最初から依存しあっていたのではない。ある事態に達してから著しく相互依存するほうに向かったのである。

≪058≫  ③共通システムの根本にある特徴は「複雑さ」だ。この「複雑さ」は長期にわたって発揮されたもので、当初の起源的生命体のしくみに備わっていたものとは思えない。

≪059≫  ④ということは、共通システムが作動するようになったのは、この生命体にしだいにコンベンション(しきたり)が生まれたからだということになる。すべてのサブシステムもこのコンベンションに従った。そのようなコンベンションが生きたものになっていったのは、この生命体の起源に「型」ないしは「鋳型」があったからである。この「型」にもとづいて先行する生命分子がつくられたにちがいない。

≪060≫  結像の条件については、次のような考え方が用意された。

≪061≫  ①究極の祖先が地球で生まれたことはあきらかである。だとすれば、そこには地球が供給した成分がある。 ②最初の生命体のための共通システムをつくったのは「自然選択」を促す進化のエンジンであるが、当初のサブシステムには強い相互依存性はなかった。 ③強い相互依存性が発揮されたのは、遺伝的乗っ取りがおこってからである。そこにローテクからハイテクへの転換がおこった。 ④ローテク生命体は進化することによって、生化学的なハイテク部品を製造できるようになったのであろう。 ⑤これらのことをなしとげるために重視されたのは、主には炭素の化学的活用だったにちがいない。

≪062≫  以上のことを怒濤の分化と進化のステージに押し上げる基盤となったのはカオリンなどの粘土質が孕んでいた「鋳型」だった。そこに「無機から有機へ」という大転換事件がおこったのである。

≪063≫  これで「柔らかい鉱物的結晶粘土」に「遺伝的乗っ取り」がおこっていった背景と事情をスケッチしたことになる。本書にはとんでもなく詳細な背景と事情が説明されているので、以上のスケッチではカバーできていないことも多いのだが、それでもここには忘れられない「母の味」がある。

≪064≫  ケアンズ=スミスは、地球上の最初の生物が既存の生命構造からではなく、自然発生的に生じたと考えた。それは第一次生命体といいうるもので、まだ「生きている」とは言えないが、しかしそこから第二次生命体が登場したのだとすれば、このハイテク生命体はそれ以前のローテク生命体のプレ遺伝子が少しずつ異なる遺伝物質を入れ替えていったことによって出現したものなのだ。それは柔らかい鉱物現場における犯人不明の乗っ取り事件だったのである。

≪065≫ ※ 個人メモ: 状(方・放)→情報になるとき

≪01≫  「セイゴオ、彼がスティーブンだよ」と言われたときは、すぐにピンとこなかった。リチャード・ワーマンは太った腹をゆすりながら、「ほら、彼がセイゴオの恋人だ。スティーブン・ジェイ・グールドだよ」と笑った。

≪02≫  モントレーのTEDの会場でのことである。小柄で小太り、ラフなシャツ姿だった。小柄なのはちょっと意外な感じがしたが、生物学者にしては愛嬌がある。生物学者というもの、奥井一満など何人かを除くと、まるでどんな生物にも似ないぞといわんばかりの不機嫌なのである。それが挨拶から片隅で雑談に興じるまで、ずうっとニコニコ笑っていた。

≪03≫  その日、グールドに会うまでに、ぼくは彼の著作をほとんど読んでいた。それぞれ上下巻になっている『ダーウィン以来』『パンダの親指』『フラミンゴの微笑』『ニワトリの歯』、それに『個体発生と系統発生』『人間の測りまちがい』等々。

≪04≫  あまりにそのエッセイがうまいので、何度か日本の国際会議にグールドを呼ぼうと推薦してきたほどだった。そのグールドにやっと会えたのである。

≪05≫  もともとぼくはスミソニアン博物館の大ファンで、ワシントンに行くとスミソニアンに入り浸りになってしまう。グールドはハーバード大学の比較動物学博物館の古生物学および進化生物学の教授だが、いつもスミソニアンの会誌や「ナチュラル・ヒストリー」に書いていた。

≪06≫  そのグールドの書くものは、あのばかでかいスミソニアンの自然史的展示物のすべてを手玉にとって縦横無尽に駆使しているカレイドスコープのようなのである。ぼくはそういう博物館の中に生きつづけているような人物がめっぽう好きなのだ。スミソニアン博物館のホワイト鉱物室長などは、その代表人物だった。まるでデューラーの版画に出てくるメランコリーな住人だ。日本でいえば、いまは名古屋科学センター館長の樋口敬二さんだろう。この人は体の中に寺田寅彦や中谷宇吉郎が生きているフランケンシュタインなのである。

≪07≫  そんなグールドの本は何をとりあげても絶品だが、やはりここでは評判になった『パンダの親指』をあげることにした。とはいえ、このシリーズは「ナチュラル・ヒストリー」誌に長期にわたって連載したエッセイのアンソロジーで、1冊で一つの話題を追いかけているのではない。『パンダの親指』にも標記のエッセイのほかに、多くの珍品や標本が収められている。

≪08≫  実際にも、冒頭におかれた「パンダの親指」は本書のプロローグにあたる程度の問題提起になっているエッセイで、パンダには一見すると6本の指があるように見えるものの、6本目の“親指”にあたるのは、撓側種子骨というふつうは小さな骨が異常に発達したものだという話にすぎない。グールドはこれを枕に、生物にはこうした「痕跡器官」や「形態進化」の謎を孕んだ進化の複雑性に満ちている本題に向っていく。

≪09≫  フランシス・ポンジュに『物の味方』という有名な詩集があるが(1943年刊行)、生物学者には当然ながら「生きものの味方」という視点というものがある。

≪010≫  ところが、この“味方”の“見方”によっては贔屓の引き倒しになりかねない。グールドはこのような“面倒な御贔屓たち”に闘いを挑む。本書でも、有袋類の生殖様式は下等だという従来の“味方の見方”に反論したり、並行進化説や「個体発生は系統発生をくりかえす」というヘッケル以来の盲信を覆したり、いろいろ闘いが展開されている。ただし、その口吻はウイットとメタファーに富んでまことにすがすがしい。おまけに奇妙な仮説であっても、そこに一部の正当性があるときは断固としてこれを評価する。

≪011≫  そもそもグールドは名だたるダーウィニストである。けれどもゴリゴリのダーウィニストではない。ラマルキズムやニューダーウィニズムのいいところも認めるし、社会生物学も良質な見解を嗅ぎ分けてちゃんと継承する。そこがいい。たとえば、ぼくが昔から好きだったダーシー・トムソンの『成長のかたち』という本がある(1917年刊行)。たしか1940年代の著作だったとおもうが(この「千夜千冊」でもとりあげるかもしれない)、このトムソンの仮説はめったに生物学者のあいだでは採り上げられることがない。それをグールドはマルセイユの古い居酒屋の料理のソースの味のように、品よく評価する。そういうところもあるわけなのだ。

≪012≫  本書でぼくが気にいったのは第8章、ぼくの考え方の参考になったのは第9章である。

≪013≫  8章はウィン=エドワーズの利他主義の生物学とドーキンスの利己的遺伝子をたくみに比較してみせた「利他的な集団と利己的な遺伝子」で、ウィン=エドワーズが指摘した生物の利他的行動の多くが利己的動機によっても説明できること、ドーキンスの遺伝子理論にはある種の西欧思想の悪習がつきまとっていることを、それぞれ指摘してみせた。

≪014≫  9章には「ミッキーマウスに生物学的敬意を」という洒落たタイトルがついている。この章は、ディズニーが描くミッキーマウスが最初はハツカネズミそのもののような顔だったのに、しだいに頭でっかちの可愛いい顔になっていったという進化の事情を紹介しながら(フクちゃんもクリちゃんもそうだが)、人間という特殊な生物がネオテニー(幼形成熟)をもっていることの理由をさぐろうとしたもので、深い考察がないにもかかわらず、なかなか考えさせる。

≪015≫  このネオテニー人間生物学の問題は、ヒトの発育が著しくスピードが遅いということをあらわしている現象でもあるのだが、ぼくも『フラジャイル』(筑摩書房)でこの問題を「幼ななじみの生物学」と銘打ってあれこれ議論しておいたように、実はその根拠ははっきり説明されてはいない。

≪016≫  そこでモントレーでグールド自身にこの気になっていることを聞いてみた。「いったいネオテニーはヒトという生物のどんな本質を説明できるのか」という質問だ。グールドはニコニコして答えたものだ。「ネオテニーの問題は人間という生物は進化するかどうかという問題ですよ」。 

≪017≫ この答えは意外だったので、ぼくはちょっとだけ食い下がったものだった。

≪019≫ 参考¶グールドの『ダーウィン以来』『パンダの親指』『フラミンゴの微笑』『ニワトリの歯』『ワンダフル・ライフ』などはすべて早川書房。『個体発生と系統発生』(工作舎)はグールドの断続平行説とよばれる本格的で独創的な進化理論の大冊、『人間の測りまちがい』(河出書房新社)は自然に対する人間のスケールの取り方の問題を論じた注目すべき本。

≪01≫  そのとき野球帽をかぶったリリーさんは80歳をこえていた。背は高く、背中はちっとも曲っていない。最初はアイサーチの国際イルカ・クジラ会議のプレシンポジウムで互いにパネリストとして会った。リリーさんはそのシンポジウムの主人公であったのに、ニコニコしたり、あらぬ方向を見たりしているだけで、あまり語ろうとはしない。どうやら飛んでいるらしい。

≪02≫  その夜の立食パーティでは椅子に坐りっぱなしのリリーさんを、ぼくは覗きこむようにしてずっと話した。その会話はとりとめなく至福に満ちたものだったが、とくにどんな主題があるわけでもなかった。パーティにはティモシー・リアリーも若い恋人と一緒に来ていて、ネオテニー社をおこしたばかりの伊藤穰一君と話しこんでいた。数日後、NHK教育テレビの番組で、ぼくがリリーさんにインタビューすることになった。チェッカーズたちの面倒を見ている占い師のマドモアゼル朱鷺がその場にいたいと切望していたが、収録はぼくの青葉台の仕事場でNHKスタッフだけの立ち会いでおこなわれた。リリーさんはテレビの番組であろうといっこうにおかまいなく、あいかわらず不思議な言葉ばかりをゆっくり放っていた。

≪03≫  さらに数日後、われわれはリリーさんやスタッフとともに竹村真一君の箱根の別荘に向かい、内々のパーティをした。そのあいだもずっと野球帽を脱がなかったリリーさんはもう寝ようといって各自が部屋に入って数時間後、ふらふらと起きてきてぼくと雑談をして(ほんとうにとりとめのない話)、「では、あしたね」と言ってまた部屋に戻っていった。ぼくも眠れなかったので、リビングに出て本を読んでいた真夜中のことである。

≪04≫  都合、3回にわたるリリーさんとの日々は、リリーさんがどうやら「仙人」とか「聖」とか、あるいは「宇宙の機関室の助手をしている絶対少年」とか、そういう境界をもたない存在にかぎりなく近いことを告げていた。

≪05≫  本書『意識の中心』は数ある著書のなかでも、最も興味深い意識体験をリリーさん自身のエクササイズを通して報告しようとした一冊で、いわば「内なる自叙伝」とでもいうべきものだ。リリー入門として最も適切ではないかとおもえる(その後、フランシス・ジェフリーとの共著『ジョン・C・リリィ 生涯を語る』が筑摩書房から訳出されたが、『意識の中心』のほうが断然いい)。ただし、リリーさんをモデルにした映画《イルカの日》が大好きな読者にとっては、本書にはイルカについてはほとんど言及がないので、『イルカと話す日』(NTT出版)を読むか、映像ドキュメンタリー《イルカと人間》を見たほうがいい。

≪06≫  本書が何を訴えているかについては、あまり説明はしたくない。リリーさんのきわどい体験がけっして豊富ではない言葉づかいで真摯に綴られていて、それが次々に内的な動機の脈絡にそって紹介されているため、ヘタに要約するとその微妙な脈絡が失われてしまうからだ。さしずめ“ビデオテープのような本”なのである。そのビデオをどうであれ5分に縮めることには意味がなさそうなのだ。読者が自分で巻き戻し、再生速度そのままに見るのがいちばんふさわしい。

≪07≫  リリーさんの本名はジョン・カニンガム・リリーである。1915年1月6日にミネソタ州セントポールで生まれた。父親は新聞社のメッセンジャーボーイから叩き上げて社長にのぼりつめた辣腕の実業家で、ノースウェスト航空などを傘下にしたグループ企業の大資産家だった。リリーさんはその御曹司だ。

≪08≫  お母さんも資産家の令嬢だったようで、教養があって明るく、新しいことが好きだったらしい。ようするにリリーさんはめちゃめちゃ恵まれた家庭に育ったのだが(だからほとんど収入にならない研究に没頭しても資金が続いたのだが)、こういう境遇ではしばしば「心」のほうに傷がつく。リリーさんもそうなった。母親が弟のほうをかわいがって自分がかまわれていないと思いこんだのだ。もっとも、これでリリーさんは自立した。中学校で理科に埋没し、青年になるころは物理学者をめざす気になった。

≪09≫  先生たちは物理よりも「生きもの」の研究のほうが向いていると諭したらしい。素直なのか、思うところがあってのことか、リリーさんは先生たちの言うとおりに生物や生体情報や脳に関心を移していった。

≪010≫  カリフォルニア工科大学で生物学と物理学の学士号を得たリリーさんはペンシルヴァニア大学で医学を学ぶうちに、意識のメカニズムに研究の中心をおいた。オルダス・ハクスリーの『すばらしい新世界』(講談社文庫)に衝撃をうけたからだった。けれども当時の科学による説明にはどうしても満足できず、“説明のいらない科学”に突入したくなる。これがリリーさんがケタミンやLSDを用いて「昂揚する意識」の体験に乗り出した最初の動機である。実験台はつねにリリーさん自身だった。

≪011≫  LSDの効果は劇的だった。音楽も事物の細部も信じがたい拡張を見せ、リリーさんに意識というものには際限ない深部があることを確信させた。しかし、いつまでも薬物に頼るのでは、ほんものの解放感がない。意識の解発をたどれない。リリーさんは自分を実験台にして意識の起源をたどることを目標にした。

≪012≫  そこで水と暗闇と温度だけでできている「アイソレーション・タンク」(隔離タンク)を工夫して、入りこんだ。本書にはその体験の細かい事情は紹介されてないが、リリーさんはここでECCOとよばれる声を聞く。ECCOはEarth Coincidence Control Officeの略だ。アイソレーション・タンクに入ってLSDを服用すると、ECCOとの交感がおこるらしい。ぼくも二度試したがLSDを用いなかったせいか、気持ちがいいだけでECCOは聞こえてこなかった。ケン・ラッセルの映画《アルタード・ステーツ》はこの前後のリリーさんをモデルにした。ひどい出来の映画だった。アルタード・ステーツ(altered states)とは、日常的な知覚の閾値から離れた意識の変性状態をいう。

≪014≫  かくして、リリーさんはいつのまにか自身を「生命コンピュータ」であると認識するようになったのである。そして、そのメタプログラムの解明をはかりたいと切に希うようになったのだ。

≪013≫  アイソレーション・タンクによって自分が水棲生物でもあることを知ったリリーさんは、次にクジラやイルカに絶大な興味を向ける。ここが妙に独創的なところで、ふつうなら「脳の科学」に埋没していくところだろうに、自分の水棲体験を拡張するにはイルカに何事かを尋ねる必要があると感じたのだ。実は第二次世界大戦中に呼吸と酸素マスクの研究に従事していたという背景も手伝っていた。

≪011≫  LSDの効果は劇的だった。音楽も事物の細部も信じがたい拡張を見せ、リリーさんに意識というものには際限ない深部があることを確信させた。しかし、いつまでも薬物に頼るのでは、ほんものの解放感がない。意識の解発をたどれない。リリーさんは自分を実験台にして意識の起源をたどることを目標にした。

≪012≫  そこで水と暗闇と温度だけでできている「アイソレーション・タンク」(隔離タンク)を工夫して、入りこんだ。本書にはその体験の細かい事情は紹介されてないが、リリーさんはここでECCOとよばれる声を聞く。ECCOはEarth Coincidence Control Officeの略だ。アイソレーション・タンクに入ってLSDを服用すると、ECCOとの交感がおこるらしい。ぼくも二度試したがLSDを用いなかったせいか、気持ちがいいだけでECCOは聞こえてこなかった。ケン・ラッセルの映画《アルタード・ステーツ》はこの前後のリリーさんをモデルにした。ひどい出来の映画だった。アルタード・ステーツ(altered states)とは、日常的な知覚の閾値から離れた意識の変性状態をいう。

≪013≫  アイソレーション・タンクによって自分が水棲生物でもあることを知ったリリーさんは、次にクジラやイルカに絶大な興味を向ける。ここが妙に独創的なところで、ふつうなら「脳の科学」に埋没していくところだろうに、自分の水棲体験を拡張するにはイルカに何事かを尋ねる必要があると感じたのだ。実は第二次世界大戦中に呼吸と酸素マスクの研究に従事していたという背景も手伝っていた。

≪014≫  かくして、リリーさんはいつのまにか自身を「生命コンピュータ」であると認識するようになったのである。そして、そのメタプログラムの解明をはかりたいと切に希うようになったのだ。

≪015≫  メタプログラムの解明にあたっては、LSDの研究者であって催眠の研究者でもあったジーン・ヒューストンとボブ・マスターズに会い、ヘッドフォンをつかった意識の「テープ・ループ」(こだわり)を発見する方法にめざめた。次に、カリフォルニアで科学会議に出席したついでに詩人のアラン・ワッツに会い、さらにエサレン研究所を創ったディック・プライスとマイケル・マーフィを訪ねて、自分の実験の可能性を打診した。エサレンとは、今も心のトリートメントのワークショップが開かれているビッグサー温泉のことだ。

≪016≫  こうして本書を占めるさまざまなワークが体験されていく。今日ではひっくるめて心身セラピーとかマインド・ワークショップとよばれるワークだ。その後もゲシュタルト・セラピー、ロルフィング、ヨーガ、メンテーションなど、かなりの試行錯誤が続いた。

≪017≫  なかで東西の知の融合を標榜したアリカ学院のオスカー・イチャーゾの指導によるエクササイズがリリーさんを変えた。本書はグルジェフ型のこのイチャーゾのアリカ・プログラム(エニアグラムの開発など)によって、リリーさん自身がどのように意識の図形配置を試み、その解放を試したかという記録でおわっている。

≪018≫  もしバイオ・コンピュータの発芽というものがあるとしたら、ジョン・カニンガム・リリーその人の意識と人体が最初のバイオ・コンピュータだったのである。もしヴァーチャル・リアリティが最初に実現された装置というものがあるとしたら、ジョン・カニンガム・リリーその人の生きざまの光景が歴史上初のVRだった。60年代とは、そういうことが平気で試みられ、大上段で実行に移された時代なのである。当時はそれをサイケデリックと言っていた。

≪019≫  なぜそんなふうになっていったのか、なぜそんなことができたのか。その動機と経緯は『サイエンティスト』(平河出版社)にも述べられている。タイトルといい、サブタイトルの「脳科学者の冒険」といい、リリーさんが自分の試みのすべてをサイエンスだと確信していたことを告げている。しかし世間は、リリーさんのことをマッド・サイエンティストとか、さもなくば風変わりなグル(導師)と呼んでいた。

≪020≫  世界初のバイオ・コンピュータであってVRであったリリーさんは、実は彼自身がイルカでもあった。

≪021≫  1960年にヴァージン諸島のセントトーマス島に私費10万ドルを投じて(海軍は3万ドル、空軍は1万ドル、国立科学財団は8万ドルを寄付した)、イルカのためのコミュニケーション研究所CRIIを創設したころは、まだイルカではなかった。飼育すらままならなかったのだ。それがマイアミ近くのココナッツグローブに別施設をつくってイルカの脳に同期しようとしているうちに、半分くらいイルカになった。オルダス・ハクスリー、グレゴリー・ベイトソン、カール・セーガンがやってきて、リリーさんのイルカっぽさに感嘆した。ベイトソンは長期にわたって滞在すると、リリーさんがクジラにもタコにもなるだろうと確信した。

≪01≫  遊びは文化よりも古い。「ホモ・ファーベル」(作る人)よりも「ホモ・ルーデンス」(遊ぶ人)が先にある。 

≪02≫  これがホイジンガの大前提である。 

≪03≫  そうだとすれば、どんな文化についても、そこに遊びの要素を発見できさえすれば、「文化とは何か」ということをなんとか解きほぐすことができる。なぜなら、われわれはもともとがホモ・ルーデンスであるからだ。われらはすべからく“遊者”なのだ。子供のころに誰もがその原型的な経験をもっていた。 

≪04≫  まさにこのような立場でホイジンガは本書を書いた。ただし、ホイジンガは名著『中世の秋』(1919)以来のれっきとした研究者であったので、65歳になって発表したこの大著でも、遊びを研究するには従来の分析的なアプローチも論理的な解釈もほとんど役立たないという前提をつくった。 

≪05≫  なぜこんな前提をつくったのか。それは、文化のさまざまな場面に遊びを見出すことはそんなに難しくないことなのだが、その遊びの「おもしろさ」がどこにあるのかということを研究的に決定できないからだと“研究者”として判断したためである。ホイジンガは「遊びのおもしろさは、どんな分析も、どんな論理的解釈も受けつけない」と書いている。 

≪06≫  このように、功なり名をとげた研究者があえてこんなふうな弁解をしながらも、「おもしろさ」の記述に向かっていったというのが本書がもっている屈折的な意義である。意外に思われるかもしれないが、ぼくが最初に本書に惹かれたのは、この屈折感だった。屈折にめげずに、「おもしろさ」に向かっていった老研究者の一徹のようなものだった。  

≪07≫  もっとも逆にいえば、こんなことだからアカデミックな研究というものはなんとも窮屈なものだともいえる。「おもしろさ」が学問できないなんて、それで学問なのかとも言いたくなる。しかしここでは、ホイジンガがインド古代史や神話学や中世学の正統的な研究者でありながら、あえて研究しきれない「遊び」に向かっていったことの壮挙に、拍手をおくりたい。 

≪08≫  ホイジンガが遊びに注目したのは、遊びが本来の生の形式ではないということにある。ありあまる生命力の過剰をどこかに放出するもの、それが遊びであった。 

≪09≫  では、どこからどこまでが遊びなのか。ゲームを開始したときからか、仕事が終わったときからか、社会の秩序から解放されたときからか、自分のムダに気づいたときからか。 

≪010≫  遊びがどこから始まるかと問うのは野暮になる。遊びは最初の最初から始まっているからだ。あえていうのなら、遊びは何かのイメージを心のなかで操ることに始まっているというべきなのだ。だから「遊びは本気なものではない」とは言ってはならない。そう言ったとたんに、遊びを相手にすることはできなくなっていく。遊びを生の形式から区別しようとしすぎるのも、遊びを逃がすことになる。 

≪011≫  こうして遊びとは、遊び以外のあらゆる思考形式からも自由に遊びをまっとうできるような、そういう何かの行動なのである。しかもその行動は、つねに一時的な自立領域をつくれるから、なんらかの時間的制約や空間的制約を受ければうけるほど、遊びらしさを発揮するものなのだ。 

≪012≫  こうしてホイジンガは、しだいに「遊びはわれわれが知らない秩序をつくっているのではないか」、また「遊びはまだわれわれが気がつかない秩序そのものなのではないか」というふうに関心を移していく。 

≪013≫  このときホイジンガは「遊びの編集的本質」に気がついたのである。ホイジンガは遊びに、「緊張、平衡、安定、交代、対照、変化、結合、分離、解決」などがあることに驚くのだが、これらホイジンガが列挙した言葉は、ぼくからするとまさに編集作用の特色というものである。ただ、ホイジンガはそれが編集作用であるというよりも、あくまでそれが遊びだと考えた。 

≪014≫  むろん、それでいい。まさにその通り。遊びは編集であり、編集の本質は遊びなのである。だからホイジンガもこう書いた、「遊びはものを結びつけ、また解き放つ」。  

≪015≫  ホイジンガはまた遊びを神聖なものと思いすぎた人でもある。しかしかつて誰も、遊びと神聖、遊びと神話、遊びと神々を結びつけようとはしなかった。 

≪016≫  だからホイジンガは、遊びの中に神の遊びの残響を発見した最初の人でもあった。遊びは高貴ですらあったのだ。そこで、こうも考えたのである、「遊びは人間がさまざまの事象の中に認めて言いあらわすことのできる性質のうち、最も高貴な二つの性質によって充たされている。リズムとハーモニーがそれである」。 

≪017≫  リズムとハーモニー。高貴かどうかは別として、遊びが神々の戯れともつながっているとすれば、たしかに遊びには無垢なるリズムとハーモニーが宿っていると考えたくなってくる。 

≪018≫  けれども本当は、遊びのリズムやハーモニーは編集存在学の根本にもかかわるものだと見るべきなのである。 

≪019≫  人間が自分という存在をちょっとでも別のところに動かしたいと思うこと、それが遊びである。そうだとすれば、それは「存在の編集」の起動にほかならない。 

≪020≫  その起動は幼児や子供のときから始まっている。そのときに掴んだ体感がわれわれの内にひそむリズムやハーモニーのルーツであって、また遊びのルーツなのである。 

≪021≫  ところがわれわれは、この幼児や子供のころから体感している遊びが秘めているリズムやハーモニーが何であるかは、知ってはいない。 誰でも苦い体験があるように、スポイルスポートやスペルブレーカーの出現は、いつだって遊んでいるものたちを悲しくさせ、がっかりさせ、失望させる。 

≪022≫  遊びはずっとこのまま続いてほしいものなのだ。そこへスポイルスポートがやってくる。そしてわざとらしい注文をつける。あるいは最初からそこに参加していた者がやおら口を開いて、それまでの遊び方に文句をつける。これで遊びが壊される。せっかくのリズムとハーモニーに傷がつく。 

≪023≫  ホイジンガはスポイルスポートの逆説的な役割を通して、遊びの編集持続性のなかにひそんでいるメタルール性というものに気がついたのである。65歳にして猛烈なおじいちゃんの探求心というべきものだった。 

≪024≫  このような気づきのうえでホイジンガは、ついに「遊びの共同性」に言及し、そこで「遊び」と「クラブ性」とのあいだに何かの重要な関係がひそんでいるだろうことに向かっていった。 

≪025≫  本書のなかで最も示唆に富むのは、ここである。遊びがなんらかのクラブ的なるものを媒介にして自立していくのだという見方は、それまでのヨーロッパの歴史学や哲学からはまったく見出せないものだった。しかし、よくよく調べてみればわかるように、遊びの多くはどこかにクラブ性をもっていた。遊びがクラブの中で生まれるか、遊びの中からクラブが生まれるか、そのどちらかであることが多いのだ。 

≪026≫  ただホイジンガは、そのことをうまくは説明しなかった。遊びとクラブの本来的な共鳴関係に気がついたままだった。史料にもあたらなかった。まだそのような史料が手元になかったからだろう。つまりはアナール派が発見したような史料がなかったのだ。そのかわりホイジンガは、もっと端的に遊びとクラブの関係を言ってのけもした。それは、こういう比喩である。 

≪027≫  「遊びとクラブの関係は、あたかも頭と帽子の関係のようなものなのではあるまいか」。うーん、マンダム!  

≪028≫  本書は大半が、各国各民族のなかでの遊びに関する言語の検討と、各民族部族の遊びの実際の特徴の摘出にあてられている。どちらかといえば文化人類学的な渉猟である。 

≪029≫  ホイジンガがそれらを通して何が言いたかったというと、遊びには社会や学校のメタモデルがあり、遊びには哲学や市場のメタルールがあるということだ。 

≪030≫  すでに述べておいたように、これは編集の本質とほぼ同じであるといってよい。編集も、ある任意の気がかりな事態に注目し、 以上が、ぼくが1971年にオブジェマガジン『遊』を編集創刊する気になった理由の一端になる。もっともぼくは第1期の『遊』を了えるにあたって「相似律」という「見えるリズム」「図になったハーモニー」を特集して、それを真っ先にロジェ・カイヨワのところへ持って行ったものだった。 

≪031≫  カイヨワこそは
ホイジンガの『ホモ・ルーデンス』の不足を補って『遊びと人間』(岩波書店)を著した、第二のホモ・ルーデンス拡張論者だった。
結論。『遊』は前半がホイジンガ、後半がカイヨワだったのである。 

≪01≫  ユクスキュルが提起した問題は明快だ。一言でいえば、われわれは自然界の本来の情報を変形して知覚しているのであって、加工した自然像しか見ていないのだということにある。では、何によってどのように自然界を加工しているのか、ということだ。 われわれは視覚では周波数の限定をうけ、聴覚でもまたヘルツ周波数の限定をうけ、空中高度や海中深度では気圧や水圧の限定をうけている。そのようなわれわれが「ありのままの自然」なんて知覚しているはずはない。つねに知覚メガネをもって自然と接している。この知覚メガネはメガネだけをはずせない。内属しているメカニズムとしての知覚なので、はずすには知覚器官と内臓ごと抉られる。 

≪02≫  したがって、このような「知覚によって対象化された世界」はズブの自然ではない。ナマ自然じゃない。われわれの目や耳や触覚が入りこんでいる。われわれだけではなく、そこには微生物から動物までもが組み込まれている。そのような変形された自然世界を何とよべばいいのか。俄かには答えが出ないだろうが、ユクスキュルはそれこそをUmweltすなわち「環世界」と名付けたのである。 

≪03≫  Umweltは知覚世界(Merkwelt)と作用世界(Wirkwelt)が共同でつくりあげている半自然=半人工の世界像のことである。 作用というのは、犬の嗅覚やトンボの目やメガネや望遠鏡や写真機などの知覚的な道具と、サメの尾鰭やタカの爪や旋盤や炉や窯や工場全体のような作業的な道具とによって知覚器官にもたらされた相互作用のことをいう。この限定された知覚作用と特化された道具作用の組み合わせかたによって、さまざまな動物のUmweltの像はそうとうに異なってくる。 

≪04≫  モグラにとっての環境世界はモグラが突き進む作用能力そのものと一致し、ハエの環境世界は明度空間と匂いの分布を重ねたようなUmweltをもっている。1本のカシワの大樹は、われわれには空に聳える1本の大樹に見えているものの、キツネにとっては刳り貫かれた穴の世界であり、フクロウにとっては危険から遠ざかるための保護世界であり、カミキリムシにとっては巨大な食物市場そのものである。 自然はひとつではありえず、自然像もひとつではありえない。すべての動物それぞれが異なる知覚と作用のメカニズムによって、それぞれ個別の自然観を具体的に携えて生きているものなのだ。そのようなUmweltを、総じて自然とか世界と一まとめによぶのはまったくおかしなことなのだ。 

≪05≫  ユクスキュルがUmweltという見方を最初に発表したのは、1892年から1905年にかけておこなった調査をまとめた『動物の環境と内的世界』(Umwelt und Innenwelt der Tiere)だった。その後も探求と推理はやむことなくつづき、研究生活の後半では「トーン」(Ton)という概念を駆使するにいたっている。これがいい。 

≪06≫  トーンというのは、動物たちがその世界像をもつための特定フィルターのようなものだ。たとえばミミズを捕食するカエルにとってのトーンは数センチの棒状のものとの出会いがつくっているトーンである。だからカエルはミミズとゴム屑をまちがえる。ムクドリにとってはハエの飛びぐあいのトーンがムクドリの世界像をつくるフィルターになっている。だからムクドリはハチとハエをまちがえる。カラスは十数センチのトーンをもっている。そこで小枝とハンガーを同一視する。 われわれもこのようなトーンをつかって外界を見ている。デパートやブティックで特定の洋服をさがしているときは、このトーンをフィルターにつかっている。お目当ての洋服をさがすとき、アタマのなかでそのお目当てにあたる適当な“像フィルター”を用意しているはずである(これがユクスキュルの言う「作用」だ)。デパートの売場責任者にとっては洋服売場のすべての商品はみかけも実質もディスプレイ通りではあるが、そこから特定のお目当てを見いだしたい客にとっては、その見いだしたいトーンによってしかその売場は見えてはいない。 

≪07≫  音楽用語にもなっているトーンとは、知覚と世界の「あいだ」を占めている調子フィルターのようなものである。いまならトーンといわずに、「志向姿勢」とか「統合的クオリア」とかいってもいいだろう。ユクスキュルはこのトーンとしての調子フィルターを「意味」ともよんでいる(この指摘もすばらしい)。 

≪08≫  犬に向かって男が石を投げたとすると、それ以降、犬は石をぶつけられることに抵抗するようになる。しかし、その抵抗は犬の意志によって抵抗しているわけではなく、石的なるもののトーンを見分け、そういうものが自分に投げつけられるときの相手の動作のトーンを観察して反応するだけなのだ。人間にとっても、石のトーンはさまざまな複合性をもって成立する。たとえば道で石につまずいて恥ずかしくなるほど転んだ者は、その後は石のトーンのみならず道のトーンや坂道のトーンを注意深く知覚するようになる。ということは、その人間にとっては、道は新たなフィルターを通した道像あるいは像道になったということなのだ。 

≪09≫  われわれは羹に懲りてナマスを吹く動物であるが、それを自嘲するべきではなかった。すべての動物は羹をフィルターにして自然界のナマスを知覚できるようにしただけなのだ。これはギブソンが提唱した「アフォーダンス」にも似ているところがあるが、ユクスキュルにおいてはその見方がより生命生活的であり、知覚生物学的だった。 

≪010≫  かくしてユクスキュルは、知覚の世界の只中にその「意味を利用するもの」というキャリアー(担い手)あるいはインターフェースの視点をもちこんだ最初の生物学者となったのである。「知覚標識の担い手」(Merkmatrager)という概念や「補体」(Komplement)という概念も早々とつくった。そういう概念想定にはつねに勇気をもってあたった生物学者だった。 たとえば花の色は少女にとっては乙女チックな視覚標識だが、アリにとっては筋のついた葉の裏だけが触覚標識であり、ミツバチにとっては花弁の温度が補体なのである。これらのことを前提にし、ユクスキュルは次のような興味深い仮定問題を提供もした。 

≪011≫  われわれはたくさんの鏡とともに暮らしている。そしてその鏡に見えている「私」をそのつど確認している。だが、もしその鏡に映った自分の姿の大きさ(すなわち自分と鏡との距離)が、その鏡を見るたびに鏡から発する音によって告知されるようになっていたとしたら、われわれはその音の違いをこそ自己像としていただろうというのである。 ドイツ語では、小さな鏡をたくさん並べて合わせ鏡とする子供の遊びのことをグロッケンシュピールというので(音楽ではカリヨンやオーケストラベルなどをグロッケンシュピールという)、ユクスキュルはこのような見方で世界との関係を眺めることを「グロッケンシュピールの問題」というふうに名付けた。たいへんにおもしろい。 

≪012≫  さらにユクスキュルが天才的に提示してみせたことがある。動物や人間は、自分が自分の周囲と適合するために少しずつ世界を広げて生きているように見える。そして、自然(都市でも家でもいいが)を征服するか、自然と共生するか、もしくは自然の一部をとりこんで、自然世界を自分たちのものにしているとおもいこんでいる。 けれども事実はその逆であって、動物の知覚も人間の知覚も、自然世界が押し付けて型抜きしたものなのではないか。そう見るべきではないかと言い出したのである。われわれの知覚が世界を認識したのではなくて、環境世界が「知覚標識の担い手」をわれわれに送りこんで、動物や人間の知覚フィルターをつくったのではないか。それによって型抜きがおこったのではないか。そのようにユクスキュルは見方を逆転させたのだ。この見方は画期的だった。 

≪013≫  そうだとすると、いろいろ大胆な仮定が次々に提出できる。たとえば、仮に「動物的自分」だとか「本能的自分」だとか「無意識的自分」などというものがあるとしても、それは環境世界によって「負の型」として形成されたものだということになるわけなのである。「私」というトーンはUmweltがつくっているということなのである。ユクスキュルはこの「負の型」のことを「抜き型」(Hohlform)とよんでいる。これまたなかなかうまい言いかただ。 ようするにUmweltはすべての動物たちの仕立て屋さんなのである。その仕立て屋によって「抜き型」されたものが、われわれ生物の知覚装置なのである。それだけではない。動物たちがつくりだすデザイン世界にも、その「抜き型」は及んでいる。 

≪014≫  クモにとってはハエは最大の食料である。そのためクモが何をしているかというと、クモの巣にハエの抜き型をつくっている。ハエはたいへん雑な目の持ち主なので、クモの巣のうちのどこかに仕込まれたごく細い抜き型が目に入らない。そこでハエはそこをめざして飛んできて、ハイ、一巻の終わりということになる。ひるがえって、生物たちの形態そのもの、文様そのものが、大きな意味での「抜き型」であり「負の型」だったのである。 

≪015≫  ユクスキュルは、世界や現象を語るにあたっては「巨大な装置を持ち出すな」と言いつづけた生物学者だった。人工環境がつくれるなどと思うな、そういう恥ずかしいことを考えるなとも言ってきた。 世界や現象に因果関係があるとすれば、それは「ある部分に原因と結果が同時的におこっていること」で説明できるはずなのである。それがドングリの形やヒマワリの運動が示しているものであり、ハイエナの鼻の作用や人間の赤ん坊の作用が示していることなのだ。だったら自然と人間を融和させるという題目で、巨大な装置を作ろうなどと言い出さないほうがいい、そう言ったのだ。 

≪016≫  残念ながら、世の中はユクスキュルが亡くなると(1944年に亡くなった)すぐに、巨大装置ばかりを作るようになった。原発装置がその象徴だ。しかし、原発は自然界とも人間界とも抜き合わせができないものだった。われわれはいまこそ「環世界」のための技術を考えなければならなくなっている。 

≪01≫  本のタイトルには著者も編集者もとびきりの思いをこめる。小説やノンフィクションほどではないが、学術書や科学ものにも意表をついたタイトルが躍る。ワインバーグの『宇宙創成はじめの3分間』(ダイヤモンド社・ちくま学芸文庫)、カール・セーガンの『エデンの恐竜』(秀潤社)、ドーキンスの『利己的な遺伝子』(紀伊國屋書店)、本川達雄の『ゾウの時間 ネズミの時間』(中公新書)などは、有名どころだ。コンラート・ローレンツの黒い表紙の『攻撃』(みすず書房)には「悪の自然誌」というセンセーショナルなサブタイトルがついていて、ローレンツの名を一般読者に知らしめた。 

≪02≫  動物行動学者や生物学者などのナマモノに強い著者たちが、たとえば『裸のサル』(デズモンド・モリス)、『パンダの親指』(スティーヴン・グールド)、『パラサイト日本人論』(竹内久美子)というように、いささか露悪的か逆説的なタイトルをつけると、だいたいはベストセラーになるようなのだが、ローレンツの本はサブタイトルほどには「悪」を扱ったわけではなく、むしろ動物行動学の水位を根底のほうにもっていくという剛腕の仕事になっている。 

≪03≫  早稲田小劇場をつくったばかりで意欲に燃えていた鈴木忠志は、そのころぼくに会うごとに「いま、何かおもしろい本、ある?」と聞くのがクセだった。あるとき「うーん、最近はローレンツかな」と言ったところ、鈴木忠志もそのときは『攻撃』を読んでいたらしく、「うん、あれは演劇論だよな」と言ったのが印象的だった。そういう読みかたもあったのだ。しばらくして『人、イヌにあう』(早川書房)を読んだ。こちらは杉浦康平に薦められた。ジョン・レノンが飼っていたダックスフントの仔を「朝日ジャーナル」の矢野編集長から貰って「レア」と名付け可愛がっていた杉浦さんは、「あれはおもしろいよ、感心した」「ぼくの犬の育てかたはあの本に教わった」と言っていた。 

≪04≫  1970年代に入ると、ローレンツがノーベル賞を受賞したこともあって翻訳が次々に出始め、ローレンツが文明的人間の将来を真剣に考えていることがあきらかになってきた。とくに『文明化した人間の八つの大罪』(新思索社)は問題作というにふさわしく、日本ではあまり話題にならなかったけれど、ぼくはこの本をかなり広く紹介した。ローレンツが告発している八つの大罪とは、次の8項をいう。 

≪05≫  [1]人口過剰 [2]生活空間の荒廃 [3]人間どうしの競争 [4]感性の衰滅 [5]遺伝的な頹廃 [6]伝統の破壊 [7]教化されやすさ [8]核兵器  

≪06≫  なるほど、である。とくに[4]や[5]や[7]が気になるだろうが、[2]の指摘は意外だ。このままでは都市環境は生活を排除し、モダンリビングは人間をおかしくさせるだろうというのだ。[6]も強調した。地球上の伝統文化を一斉に活かさないかぎり、文明は立ちゆくまいと主張した。 

≪07≫  それはそれとして、ローレンツはこの八つの大罪の説明に先立つ章で、「生きているシステムの構造の特徴と機能の狂い」を強調した。この一章こそは大いに注目すべき一章で、当時のぼくは「正のフィードバック」に対する「負のフィードバック」の確立が、かえってそれを支えてきたサブシステムに機能低下をもたらす幅をつくったということに、驚いた。ここでいう「負のフィードバック」とはホメオスタシスによる急激な調整作用のことをいうのだが、それが生体システム全般にいわば未必の故意をつくっていたということに仰天したのだ。25、6歳のころだった。 

≪08≫  この『文明化した人間の八つの大罪』とほぼ同時期に書かれていたのが、本書『鏡の背面』だった。サブタイトルには「人間的認識の自然誌的考察」という科学者としての重たい意志をあらわす言葉がついている。ローレンツがこの大きめの一冊をもって『攻撃』以来の思索の集大成をしようとしたことがずっしり伝わってくる。 

≪09≫  タイトルの『鏡の背面』はちょっと凝っていて、人間という生物が自分を鏡に映してみたときに見える(あるいは見えない)背面の像を扱った。ローレンツが言いたかったことを、かいつまんでおく。 

≪010≫  ローレンツは前置きで、ジャック・モノーの『偶然と必然』(みすず書房)を揶揄し、生命体や生物体のふるまいにはモノーのように確定的に叙述できるものばかりではなく、「生きたシステムのプロセスとしてしか現れないもの」があるとクギを刺している。モノーは自然の客観性を記述できることが科学の使命だと言うのだが、その客観性こそがあやしいと批判した。ついで本論を展開するにあたって前提にしたのは、自殺した熱力学者ブリッジマンの次の言葉だった。「知識の対象と知識の道具は、当然ながら分離されるはずはなく、一つの全体として共にとりあげられなければならない」。 

≪011≫  この引用には、ローレンツ構想の「生体をめぐる科学」というものが、認識する主体も認識される主体も同種の現実に帰属しているときに、これを同時に記述できる科学の可能性のほうに向かっているということを示していた。 

≪012≫  ローレンツにとっては、生物を扱う科学者自体が生物なのである。生体システムを見る科学者には、生体システムだけでは解けない「心」というものがある。一般に「身心問題」とよばれているこの見方は、それを展開しようとしたとたん、そうは問屋がすぐには卸さないジグザグとした前途多難な科学になりかねないのだが、ローレンツは本書でそれに敢然と立ち向かいたいと宣言してみせたのである。 

≪013≫  われわれは、自分が何かを見たり聞いたり考えたりしているとき、その内容がどのように動いていくかということと、そのときにどのような生物学的かつ生理学的な出来事が動いているかということを、同時に認識(知覚)することはできない。たとえば何かを見ているときには眼球の動きに気がつかないし、何かを聞いているときには耳のことを忘れてしまっている。 

≪014≫  そこで、2つの問題が出てくる。なぜそうなのかという問題と、どのようなことをこの二律背反的な現象から導き出せるかという問題だ。欲ばりなローレンツはその両方を考えようとする。つまり鏡に映った現象とその鏡を見ている者の現象とを、二つながら問題にする。 

≪015≫  手がかりとして、因果推論の心理学者ドナルド・キャンベルにならって「仮説的実在論」ともいうべきアプローチを試みた。われわれの認識のプロセスは、もとをただせば系統発生的な現象にもとづいている。系統発生的だというのは、サカナのヒレは水流との関係から生まれ、胃腸は食べたものによって発達していくというような見方のことで、われわれの目や手はそれ以前の生物がつくりあげてきた器官性をもとにしながら、新たな環境や変化した生活にあわせて発達してきたものだという見方である。生物たちは進化や分化のたびに、そういう仮りの装置を用意してきたのではないか。そう、ローレンツは見た。 

≪016≫  このようにしてできあがった“生きた装置”を、ローレンツはとりあえず「世界像装置」とよんだ。かつてカントが「先験的なもの」とよんだものやカール・ポパーが「知覚装置」とよんだものに似ているが、ちょっとちがっている。カントやポパーは鏡に映りこんだほうだけを相手にした。ローレンツは映り写される相互関係をなんとか同時に見るようにする。そのためには、この「装置そのものの科学」というものが必要なんだというふうに進んでいく。 

≪017≫  自信はあったようだ。「生命の最も驚嘆すべき、そして同時に最も多くの説明を要するはたらきは」と書いて、ローレンツはつづけて次のような根拠をあげた。「生物が確率の法則に一見矛盾するかたちで、つまりありそうな事態からありそうもない事態の方向へ、単純なものから複雑なものへ、低い調和をもつシステムから高い調和をもつシステムへ発展することである」。 

≪018≫  生命現象はかなり奇妙なことをやってのけているにもかかわらず、これまで発見された物理法則に反してはいないし、熱力学の第2法則も破ってはいない。すべての生命現象は、「宇宙に放出される、物理学でいういわゆる消費エネルギーの余りで維持される」。いいかえれば、生物とは正のフィードバックの回路においてエネルギーを獲得するシステムなのである。 

≪019≫  しかし、これだけでは生物が世界像装置になってきた根拠を示せない。なぜこんなことがおこりうるかを説明しなければならない。ローレンツは外界のエネルギーや何やかやを取りこんだときの装置に秘密があるというのだ。その外界の何やかやとは、ひとまとめでいえば「情報」である。その情報をたくみに刷りこむしかけが装置にある。そう考えるべきなのではないか。 

≪020≫  この装置はときに「模写をする」し、ときに「形を変える」。人間でいえば、装置に取りこまれた情報が「知識」だということになる。この知識はおおかたの人々が想像するように、脳によってのみ取りこまれるのではないし、脳にばかり貯まっていくわけでもない。ローレンツのいう世界像装置のあちこちに吸収される。いや、そのように情報吸収したことそのことが、その生物の特徴になっているわけなのである。 

≪021≫  さあ、ここまではそうだとして、ここから話は少しややこしくなっていく。情報が取りこまれたことが装置のあちこちにぴったりあてはまってそのまま機能しているなら、それほどの面倒はない。ところが、どう見ても生物はそうなってはいない。 

≪022≫  葉っぱが取りこんだ光は炭酸同化作用によって変化し、ライオンが食いちぎったシマウマの肉は胃腸が消化して栄養分と排泄分にしている。かなり特別のことがおこるのだ。外部から取りこまれた何やかやは内部の部品と結合するものではなかったし、内部もそんなふうにはできていなかった。 

≪023≫  それなら、どのようなことがおこったのか。そこで“発見”され、仮説されていったものこそローレンツが長期にわたって観察し、考察しつづけたエソロジーの成果なのである。それは「創発特性」あるいは「システム特性」というものだ。それでどうなるかというと、「全体はその部分の総和より多い」ということになっていく。 

≪024≫  このことを説明するために、ローレンツはおびただしい動物行動の例をあげた。ここではそうした事例の紹介を省くけれど、ローレンツもいったんその作業を途中でやめると、意外にも哲学者のニコライ・ハルトマンを借りて、人間が獲得する「存在のカテゴリー」がどういうものかの検討に入る。そして、そのカテゴリーには存在するものの基本的な述語性がちゃんと入っているということを指摘して、世界像装置としての生物にもそのような「述語のレール」のようなものがあるはずなのだという説明をする。システム特性というのはその生物を存在させているカテゴリー特性でもあったのだ。「述語のレール」が必要だなんて、とてもすばらしい。 

≪025≫  こうしてローレンツは、認識のメカニズムと系統発生の比較と検討から、次の3点にまたがる仮説を打ちたてていった。 

≪026≫ 
 (1)どんな単純な生命システムにも、他の生命とは自立して機能する装置がそなわっているはずだ。
 (2)生命現象にはすでに先行していた機能とはちがう新たな機能がたえず統合的にあらわれ、そのようにしてあらわれた機能は次々にその生物の生命現象の構成要素になっていく。
 (3)ただし、そのようなシステム特性だけをそのまま外部に取り出すのは不可能であろう。 

≪027≫  ローレンツはゲノム情報の機能を解読すれば、「生得的解発」というはたらきを装置に発見できるとみなしたのだ。それならば、「生得的解発」を秘めたシステムはどのようにして確立されるのか。その可能性に向かおうとした。ハイイロガンの親と子のあいだに解発が伝わるように、フロクウがズアオアトリの警告反応を解発したように、解発は親と子のあいだのやりとりでも別種の動物のあいだのやりとりによってもおこるはずである。それなら、それをなんとか取り込めないものか。 

≪028≫  ざっとは以上のような説明を試みたのだが、システム特性が生まれるような世界像装置のモデルは示しえなかった。やむをえないことだろう。しかし、そのことを模索するためにローレンツが残してくれたことには、たくさんのヒントが示唆されていた。 

≪029≫  たとえば、ぼくにとって興味深かったのは、「解発」はそれとは反対の「外傷」をもつくるということだった。たとえば一度回転ドアに押しこめられたイヌは、すべての回転ドアを避けるだけでなく、トラウマをうけた場所の一帯すら回避する。ぼくが飼った2匹のイヌもそうだった。 

≪030≫  もっともこうした話は、これまでローレンツがたびたび著書のなかで指摘してきたことも少なくなかったので、本書のこの部分は重複が多い。次に検討するパターン・マッチングのしくみ、すなわちシステムが秘めている「型」の問題も、それまでの著書のくりかえしに近い。やや新しいのは「移調可能性」という考えかたで、これは音楽や歌のメロディに移調があっても、人々はそのメロディの「型」(ゲシュタルト)を容易に維持できるように、生物にもそのような「移調」がおこっているということである。このあたりはエゴン・ブルンスヴィックの「擬合理性」とも関連して、いささかおもしろい。  

≪031≫  本書の後半になると、ローレンツは大胆にも人間の言語活動をふくむ概念作用がどのようにできているかという方面に入っていく。 

≪032≫  チョムスキーやヘッブが登場してあれあれとおもうのだが、結局のところローレンツは言語学者が考案した言語のしくみでは、とうてい生命現象の只中に出現した世界像装置は説明できないだろうと言ってホッとさせる。ホッとさせるのだが、そんなことで言語論の成果を片付けてもいいのかともおもわせる。 

≪033≫  かくて第8章は「人間の精神」という、いささか挑戦的で危険な章になる。ここでローレンツは「文化」に立ち入って、文化の定義を「超個人的システムの個別具体的実現」というふうにする。これは少々ムリがあるところで、案の定、このムリがそのあとの数章にまたがっていくのだが、しかしローレンツが言いたいことはわからないではない。「生きたシステムとしての文化」は必ずや自律分散的に発展していくものだということをなんとか説明したいわけなのだ。  

≪034≫  このようなローレンツの主張はこれまでほとんど無視されてきた。しかしながら、ここが肝心なところになるのだが、このような問題に立ち向かうときにどうすればよいかという対案など、その後もまだ誰によっても提出されていないのだ。われわれは“この文化に向かったローレンツ”をこそ継承すべきなのである。 

≪01≫  第6章「秩序・無秩序・エントロピー」にさしかかって、その依代の根っこを見た。思いがけない根っこだったのでぶるぶるっときたが、根っこが示すメッセージの鋭さのようなものが稲妻のごとくに走った。全体が七一節で構成されている中の五七節だから、ほぼ結論部にさしかかったところにあたるのだが、そこに「生物は負エントロピーを食べて生きている」とあったのだ。 

≪02≫  そうか、そうなのか。生物は負のエントロピー(ネゲントロピー)を食べているのか。そうだ、これだよ、こうじゃなくちゃならない。愕然とした。もしポール・ヴァレリーがこれを読めた時代に青春期をおくっていたなら、この一行の稲妻こそが精神の一撃になったろうとおもわれる。 

≪03≫  宇宙の全体や物質の基本的な運動は、大局的には「エントロピーの増大」に向かっている。このことを宣告しているのは熱力学第2法則というものだ。どんな物質も放っておけば(閉鎖系のシステムならば)無秩序な状態に向かい、周囲の環境と区別がつかなくなっていく。 

≪04≫  締め切った部屋で熱い紅茶を放っておけばやがて紅茶は器と同じ温度になり、器もろとも室温と同じになっていく。熱力学ではこれを熱死(熱的死)と言っている。熱死とは無秩序の頂点のことをいう。宇宙も紅茶も、ひたすらこの熱死に向かっている。 

≪05≫  ところが地球上の生命がせっせと活動をしているときは(開放系なので)、これとは逆の現象がおこっているように見える。生命は熱力学の原理に抵抗するかのように情報生命体としての秩序をつくり、これを維持させたり代謝させたりしているのだから、無秩序すなわちエントロピーの増大を拒否しているようなのだ。 

≪06≫  むろん生物の個体もやがては死ぬのだから、大きくいえば熱死を迎えることになる。しかし、そこにいたるまでが物理学の法則に沿ってはいない。生命は個体としての生物活動をしているあいだ、ずっとエントロピー(無秩序さの度合)をへらし、なんとか秩序を維持しようとしているようなのである。 

≪07≫  個体ではなく、生命系としてみると、情報生命たちは38億年ほど前からずっと宇宙エントロピーに逆らってきた。光合成を発明したことが、この逆らいを成立させた最初で最大の出来事だったろう。そこからは細胞膜(生体膜)ができ、ミトコンドリアが取りこまれ、多細胞生物が登場し、情報を複製する遺伝子が縦横無尽にはたらいて、ついには巨大な進化の傘を広げて、われわれをつくった。 

≪08≫  これをいいかえれば、生命はトータルな系として「負のエントロピー」をずうっと食べてきたということになる。なんらかのしくみとなんらかの理由によって無秩序(エントロピーの増大)を排除し、秩序を形成しているのである。そのために巧みにエントロピーを捨ててきた。そればかりか、たいていの生物は独得の生殖活動をして次の世代にその大半の仕組みを継続させている。個体は次々に熱死を迎えても、それを種や属というくくりでみると、多くの種や属は時空間をまたいでエントロピー増大と闘っているようになったのだ。そうだとすればやはり、生命は「負のエントロピー」を食べているとみなさざるをえない。 

≪09≫  この指摘は、ずばり生物という情報生命システムについての本質を突いていた。そしてエルヴィン・シュレーディンガーという才能が驚くべき洞察力の持ち主であることを告げていた。 

≪010≫  シュレーディンガーはひとつながりの波動方程式をもって、一躍、量子力学の寵児となった。そこから生まれた波動力学はかつて誰も思いつかないものだったし、その波動函数が扱うことはハイゼンベルクのマトリックス力学と相並んで、極小の世界を解読するための驚異的な力を発揮した。 だからふつうにシュレーディンガーを紹介するなら、ド・ブロイの物質波仮説に続く量子力学の1920年代半ばからの高揚とともに語るのが筋というものだろうが、また、あまりにも有名な「シュレーディンガーの猫」を引き合いに出してその天才的発想を紹介するべきなのだろうけれど、ここではその理論物理屋シュレーディンガーにとどまらないシュレーディンガーを案内したい。情報生命系の謎に挑戦したシュレーディンガーのほうだ。 

≪011≫  だからふつうにシュレーディンガーを紹介するなら、ド・ブロイの物質波仮説に続く量子力学の1920年代半ばからの高揚とともに語るのが筋というものだろうが、また、あまりにも有名な「シュレーディンガーの猫」を引き合いに出してその天才的発想を紹介するべきなのだろうけれど、ここではその理論物理屋シュレーディンガーにとどまらないシュレーディンガーを案内したい。情報生命系の謎に挑戦したシュレーディンガーのほうだ。 

≪012≫  もっとも「シュレーディンガーの猫」については一言だけ書いておく。これは1935年にドイツの科学雑誌に量子論がかかえる重大な問題を思考実験のモデルとして発表したもので、あっというまに話題になった。 

≪013≫  鉄の箱の中に放射性物質と放射線の検出装置、それと連動した毒ガス発生器を入れておく。放射性物質が原子核崩壊をおこすと放射線を出し、それを検出装置がキャッチすると信号がおくられて毒ガスが出る。そういう箱を用意しておいて、そこに生きた猫を入れ、蓋を閉じて中が見えないようにする。1時間後、さて、猫が生きているか死んでいるかを、外から決めることができるだろうかという思考実験である。 

≪014≫  放射性物質はいつ崩壊するかはわからない。1時間で原子核崩壊がおこる確率が50パーセントだとすると、猫は生きているか死んでいるかではなくて、生と死の状態を半分ずつ重ね合わせたものになっているとしか考えられないのではないか。量子世界には、そういう「シュレーディンガーの猫」がいるのではないか。こういう話である。 

≪015≫  この話で最も重要なことは、観測者が鉄の箱を開けて見たとたんに、猫の生死は決まるということにある。見れば生死の決まる猫、見ないときは生死まだらの猫がいる。シュレーディンガーはこの例によって、量子力学の「観測の理論」の重要性を指摘したのだった。 

≪016≫  本書はシュレーディンガーの連続講演にもとづいて執筆された。講演の主旨は「生きている生物体の空間的境界の内部でおこる時間空間的な現象は、物理学と化学によってどのように説明できるのか」というものだ。  

≪017≫  それまで生命活動の秘密に物理学が言及できたことは、ただの1度もなかった。生物が物質で構成されていることはわかっているにもかかわらず(構成要素も物質だし、遺伝子も物質であるにもかかわらず)、その物質のふるまいを記述すべき物理学は、生命の秘密にはまったく言及できないままだった。シュレーディンガーはその謎に挑もうとした。考え抜いたすえに設定した突破口が冴えていた。どこが冴えていたのか。 

≪018≫  物理化学というものは一般に周期性結晶を扱ってきた。それについては物理化学の右に出るものはない。シュレーディンガーはこの視点を転倒させて、「非周期性結晶」を扱うつもりで説明を試みれば、物理化学が生命の活動の本質に到達する可能性をもつのではないかと考えたのである。 

≪019≫  本書はこの非周期性結晶を前において、このあと遺伝子のふるまいやそれを構成する原子のふるまいの説明に入っていくのだが、その後、DNAの二重螺旋の謎が解かれ、分子生物学がいやがうえにも発達したのちの見解からみれば、この説明はいまでは物足りない。しかし、それにもかかわらずシュレーディンガーの着想は、いまもってドキッとする予見に充ちていた。 

≪020≫  たとえば「暗号文の写本」はコピー(DNA転写)されるだけではなくてコピーミス(突然変異)されるにちがいないという見方、また「型」を継承するために生物活動が何をしようとしているかという推理をめぐる見方などは、いまならこれを「情報」とか「ゲノム」と言い直すことによって、いくらでも真相に近い説明に変えられるものばかりなのである。なんとも冴えていた。 

≪021≫  シュレーディンガーがもっと独自の領域に踏みこんでいくのは第33節になってからだ。化学結合に関するハイトラー=ロンドンの仮説を紹介した直後、量子力学こそが遺伝と突然変異のしくみの要訣を支えているはずだと言い出す。 いまではよく知られているように、量子力学の世界では粒子のエネルギーは連続していない。とびとびの値のエネルギー(エネルギー準位)をもつ。これを「量子飛躍」とよんでいる。 

≪022≫  振子をゆらすと、最初は連続的な動きをくりかえし、やがて空気摩擦やいろいろの条件があって遅くなり、ついには止まってしまう。ところが原子のレベル以下の量子の世界では、振子はもともと連続的な周期運動すらしない。とびとびの量子飛躍の活動しかしない。ふつうの振子は円運動や楕円運動にもなるが、量子の運動の形はとびとびの形しかとろうとはしない。すべては非周期的なのだ。これを量子力学用語では「量子化がおこっている」という。 

≪023≫  シュレーディンガーはこの奇妙なふるまいをもつ量子レベルから、熱力学的に見れば奇妙な秩序のふるまいをもつ生命活動を見ようというのである。それには量子がつくりだす原子のふるまいがあきらかになり、その原子が寄り集まって安定を求めた分子の状態を説明する必要がある。シュレーディンガーはその説明を試みつつ、これらに一貫する「非周期性」と「量子飛躍性」を暗示的に重ね、それを実行させている最大の仕掛けに「負のエントロピー」の関与があることを提示しようとした。 

≪024≫  かくして途中をとばしていえば、こう締めくくったのだ。以下、直接の引用ではなくて、ぼくがシュレーディンガー風の口調にあわせて要約してみた。口調は講演録からまねた。内容はまったく変えていない。 

≪025≫  物質というものは自分で自分のふるまいを御していて、周囲のすべての条件と組み合わせて律しているものです。そこには、極小の量子力学から極大のニュートン力学やアインシュタインの相対性理論までを満足させる原理があてはまります。そのひとつの大きな原理は、物質は平衡状態では活動を安定させるということです。 

≪026≫  ところが生物体というものは、物質とは違って、自分の力で動けなくなるような平衡状態になることを、あえて免れるしくみをもっているのです。生物はその内側では物質の新陳代謝をくりかえしているのですが、それにもかかわらず、生物総体としては平衡状態を免れているのです。まことに驚くべきことです。  

≪027≫  なぜそんなことができるのか、生物体が食べているものに秘密があるとしか思われないのですが、その食べているものとは、熱的平衡を避けるためのもの、すなわちエントロピーの増大を妨げるものにほかなりません。 

≪028≫  そうなのです、生物は周囲の環境から「負のエントロピー」をうまいぐあいにとりいれているのです。いいかえれば、生物は生きるために必要なエントロピーをうまいぐあいに外に捨てるしくみをもっているのです。このしくみがどこから発現してきたかということは、いまはその時点を突きとめられないものの、その起源が生命分子をつくりあげるときの量子活動と関係していることはあきらかです。 

≪029≫  生命は量子から生まれ、それが情報高分子となって複写活動や代謝活動をするようになるうちに、「負のエントロピー」をとりこむようにしたのですね……。 

≪034≫  シュレーディンガーはウィーンに生まれ育った。父親はウィーン工科大学で化学を学んだ実業家だった。少年シュレーディンガーは学校よりも自宅で遊ぶことが好きだったようだ。けれども1906年にウィーン大学に入ってからは、見ちがえるほどに学習した。本をむしゃぶりつくように読んだ。熱力学のボルツマンの影響を受けた。 

≪035≫  大学では最初は連続体力学の固有値問題にとりくんだ。ボルツマンが自殺したため、ハーゼノールが指導教官になった。第一次世界大戦が始まると、4年にわたって砲兵隊の士官として各地の戦地に従軍した。ハーゼノールがこのとき戦死した。ボルツマンとハーゼノールの唐突な死は、シュレーディンガーに何かを突き立てた。 

≪036≫  ついで1920年にイェーナの大学で実験物理学の助手をし、いくつかの大学での研究の日々をへて、チューリッヒ大学でラウエの後任として数理物理学の教授を6年務めた。そこにはヘルマン・ワイルがいた(ぼくが最も好きな数理的哲人だ)。24年に大きな飛躍がやってきた。ド・ブロイが「物質波」という概念を提唱したのだ。ハミルトン︲ヤコビ方程式にとびこむと、力学と光学には何らかのアナロジカルな対応関係があることに気がついた。 

≪037≫  その後の波動力学の提唱にいたるシュレーディンガーや、ポール・ディラックと一緒にノーベル賞をとるにおよんだシュレーディンガーについては省略したい。 

≪038≫  今夜、強調しておきたいのは、3つのことである。ひとつはシュレーディンガーがオーストリアを祖国としながら、36年にわたって祖国に戻れなかったこと、ひとつは一貫して生命の秘密に異常な関心をもちつづけたこと、ひとつはインド哲学に大きな影響をうけていたということである。最初の2つは本書やべつの評伝を読んでもらうこととして、インド哲学の一隅に格別の興味をもったことについてふれておきたい。 

≪039≫  シュレーディンガーがインド哲学、とりわけヴェーダンタ哲学(ウパニシャッド)に興味をもったのは、若き日々に読み耽ったショーペンハウアーのせいだった。ニーチェの思索にも巨大な影を落としたショーペンハウアーについてここで解説するのはよしておくが、ショーペンハウアーはヨーロッパ哲学史ではめずらしくもインド哲学や仏教哲学の理解者であった。そんなきっかけで東洋哲学や仏教哲学にふれたシュレーディンガーは、なかでもヴェーダンタ哲学が提示した「梵我一如」の思想に感動する。宇宙原理ブラフマンとしての「梵」と個我原理アートマンとしての「我」とが一如になる、互いに関連しあって連動しているという思想である。 

≪040≫  どのように感動したかということは、本書『生命とは何か』のエピローグに語られている。シュレーディンガーは物理学者としてつねに決定論と闘うために、インド哲学に学んでいたのである。 

≪041≫  大半の物理学の原則には決定論(determinism)が貫いている。ほとんどの出来事はその出来事に先行する出来事で決定しているという見方だ。しかしハイゼンベルクの不確定性原理が高らかに宣言したように、またド・ブロイやシュレーディンガー自身が物質の粒子性と波動性の両立を謳ったように、物質のふるまいには決定論的ではないところもある。このとき量子論の一部では、この決定論的ではないところを確率的に解釈して乗り切った。これが「確率振幅」とか「統計的確率像」とよばれている考え方である。 

≪042≫  けれどもシュレーディンガーは、この解釈の全面適用には不満だったのだ。なぜなら物質も、その物質でできている人間も、どう見ても確率的なものとはいえない何かの動向を秘めている。量子のふるまいの根幹にある量子飛躍のようなものを秘めている。とくに生物の大半の活動は決定論と確率論の両方をまぜこぜに生かしているようにもおもわれる。量子レベルの不確定性だけにもとづいているとはおもえない。 

≪043≫  シュレーディンガーはここで悩んだのである。自分の直観と生命活動のルールと物理学の最も好ましい部分とが重ならないからだ。しかしやがてハッとする。 

≪044≫  たとえばX線が照射されたショウジョウバエに突然変異がおこる理由を考えた。また減数分裂や特異な生物進化の突起性について考えてみた。ひょっとするとこのような現象こそが生命活動の本来にあって、そこから安定した「種の進化」が出てきたのではないかと考えたのだ。そうだとすれば、生物体の原初には最初から不安定性や不確実なものが動いていたのではないか。 

≪045≫  ここからのシュレーディンガーは以前にもまして独創的になっていった。非決定論的な動向を「私」という一個の生命体にあてはめてみたのだ。そして、「私」が大きくは決定論的な自然法則に従っていることと、にもかかわらず「私」がその自然法則の支配者にも操作者にもなっていないこととのあいだに、何がおこっているかを考えた。 

≪046≫  このとき浮上してきたのがインド哲学における「梵我一如」の思想だった。大なるブラフマン(梵)と小なるアートマン(我)が一如に相応しあっているという思想だ。ピンときた。ミクロコスモスとマクロコスモスはどこかで相応関係をもっているということである。これは「私」と「量子レベル」を一緒に語ろうとすることだったろう。いや、もっと重要な思想も引き出した。それは多くのインド哲学理論では、「私」は複数か、もしくは複合的であるということだ。 

≪047≫  今日ならば、この「複数の私」や「複合的な私」を、多様性と複雑性をもつ情報的自己像というふうにとらえることができるであろう。ぼくならばまさに複合的で編集的な自己像として「たくさんの私」を持ち出したい。シュレーディンガーは、そのことを量子力学とインド哲学という両極をめぐる思索から導き出した。まことにもって驚くべき推察だった。 

≪048≫  シュレーディンガーの思想は、その科学思想も生命思想も、また哲学思想も、いまなお読み切られてはいない。かつて湯川秀樹は『わが世界観』を愛読して、せめてシュレーディンガーをあと五歩進めようとして、かの「素領域仮説」をインド哲学から老荘哲学のほうに振ったものだった。科学界は冷淡だった。老子や荘子を素粒子にもちこんでもらっては困るのだ。 だが、はたしてそうだろうか。シュレーディンガーと湯川の東洋思想は現代科学になっていいはずである。けれどもいま、この2人の量子飛躍に満ちた振子をうけつぐ者は、いないようである。 

≪01≫  モギ君はソニーの研究所の研究員である(二〇〇三年現在の話)。柔らかなハード志向的発想の持ち主で、指揮者岩城宏之の若き日々のような顔をしている。モギ君は青年期から小林秀雄の根っからの愛読者で、思考のクオリア(qualia)に注目しつづけている。 

≪02≫  モギ君は東大で物理学を修めたが、生物物理学を専門にした。一九六二年の生まれだからすでにハーケンのシナジェティックスなどは出回っていただろうが、まだ清水博の自己組織論やヴァレラのオートポイエーシス仮説は陽の目を見ていなかったろうと思う。その後、モギ君は理化学研究所で伊藤正男の脳研究の薫陶を受け、ケンブリッジ大学でホラス・バーロー指導のもと、ポスドクのフェローになった。だからというのではないが、英語がめっぽううまい。 

≪03≫  モギ君は早口である。その早口がぴたっと止まっているときがある。このときにモギ君の脳は高速回転している。早口であることはその人の思考のごく一部しかあらわさないけれど、黙考時の速度こそはその人の思想の中核なのだ。ぼくにはそれがよくわかるので、ときどきモギ君が十秒ほど黙考したのちに言い淀んで、とりあえずポツンと放った言葉に驚く。こういう会話こそ贅沢だ。 

≪04≫  モギ君をぼくに紹介してくれたのは薄羽美江さんだった。彼女はMCが本業で、アメリカ人女性と六本木鳥居坂に住んでいる。 

≪05≫  薄羽という苗字にふさわしくヒラメキのよい人で、ぼくがあるとき「松葉ボタンの科学」のようなことを語ってみたい(どうすれば松葉ボタンが咲く瞬間を感じることができるかという科学)とうっかり口走ったのをさっと引き取り、佐治晴夫さんとの対話による「匙塾」をプロデュースしてくれた。このときの対話録は『二十世紀の忘れもの』(雲母書房)になっている。薄羽さんはその後、イシス編集学校の「六本木拈華微笑庵」の師範代として活躍をして、すぐれた後輩をまとめて誕生させてくれた。いま編集学校ではこの六本木ミームが随所に躍っている。 

≪06≫  その「匙塾」の第二弾がモギ君との対話だったのである。「クオリアのモギさんって知っていますか」と彼女は鈴のような声で言った。すでに本書や養老孟司らとのディベート本を読んで、モギ君の猛者ぶりを知っていたぼくは、うん、おもしろい考え方をするねと言った。「匙塾」で連続対談してくれませんか。よろこんで引き受けた。なんてったってモギ君は、『脳とクオリア』の冒頭でアルフレッド・ホワイトヘッドの『自然という概念』(松籟社)を引いていたのだ。ホワイトヘッドの「ポイント・フラッシュ」や「具体者取り違えの誤謬」を引ける科学学徒に、ぼくが惹かれないわけがない。 

≪07≫  モギ君の猛者ぶりと言ったが、これは脳科学者やエセ科学派や隘路に嵌まっている認知科学者などと対峙したときだけに示すモギ君独得のexplicitなクオリアで(そんなもん、ないか)、ふだんのクオリアは(これも、ないか)、たいそう優しい。けれども話していると、喋り言葉が止まらない。その言葉のシャワーにたじたじとなる人が多いとも聞く。 

≪08≫  しかしながらこれはこのあとのべるように、モギ君が挑んでいるクオリア問題の性格からいって当然なのである。クオリアというのは、簡略すれば脳(というよりも発火ニューロンたち)が感知している「質感」のようなものなのだが、いざそれを言葉にしようとしてもたいていは言葉にならないものをいう。 

≪09≫  いいかえれば、クオリアは「イワシのイワシらしさ」とか「藤原紀香の藤原紀香らしさ」とか「松の松らしさ」というものである。それをニューロンの何らかの発火パターンが受け持っている。ようするに「言葉になりにくい質感」というか、「脳―俳諧的なもの」なのだ。こういうものは、人が何かを知覚したり思考したりしているときに、そこに思いがけなくひょいとくっついてくる。だからこそわれわれは「イワシらしさ」や「松らしさ」がどういう感じのものかがわかっているにもかかわらず、それをいざとなっては取り出せない。芭蕉もだからこそ「松のことは松に習え」と言ったのだ。 

≪010≫  ということは、またモギ君の話に戻るけれど、この「らしさ」としてのクオリアは、それが何にどのようにくっついてくるのかを見逃せば、たちまち見えなくなっていくものなのである。クオリアはまたまた下意識に逃げこんでいく。そこで、そのくっついてくるを感じた瞬間に、できれば勝負を試みたい。そして「いま、ぼくはこういうことを言おうかなと思ったんだけど、そのときね……」というぐあいに、このくっつきを次々に暴露する必要がある。モギ君はそれをいつも怖じけずに心掛けてきた。 

≪04≫  モギ君をぼくに紹介してくれたのは薄羽美江さんだった。彼女はMCが本業で、アメリカ人女性と六本木鳥居坂に住んでいる。 

≪05≫  薄羽という苗字にふさわしくヒラメキのよい人で、ぼくがあるとき「松葉ボタンの科学」のようなことを語ってみたい(どうすれば松葉ボタンが咲く瞬間を感じることができるかという科学)とうっかり口走ったのをさっと引き取り、佐治晴夫さんとの対話による「匙塾」をプロデュースしてくれた。このときの対話録は『二十世紀の忘れもの』(雲母書房)になっている。薄羽さんはその後、イシス編集学校の「六本木拈華微笑庵」の師範代として活躍をして、すぐれた後輩をまとめて誕生させてくれた。いま編集学校ではこの六本木ミームが随所に躍っている。 

≪06≫  その「匙塾」の第二弾がモギ君との対話だったのである。「クオリアのモギさんって知っていますか」と彼女は鈴のような声で言った。すでに本書や養老孟司らとのディベート本を読んで、モギ君の猛者ぶりを知っていたぼくは、うん、おもしろい考え方をするねと言った。「匙塾」で連続対談してくれませんか。よろこんで引き受けた。なんてったってモギ君は、『脳とクオリア』の冒頭でアルフレッド・ホワイトヘッドの『自然という概念』(松籟社)を引いていたのだ。ホワイトヘッドの「ポイント・フラッシュ」や「具体者取り違えの誤謬」を引ける科学学徒に、ぼくが惹かれないわけがない。 

≪07≫  モギ君の猛者ぶりと言ったが、これは脳科学者やエセ科学派や隘路に嵌まっている認知科学者などと対峙したときだけに示すモギ君独得のexplicitなクオリアで(そんなもん、ないか)、ふだんのクオリアは(これも、ないか)、たいそう優しい。けれども話していると、喋り言葉が止まらない。その言葉のシャワーにたじたじとなる人が多いとも聞く。 

≪08≫  しかしながらこれはこのあとのべるように、モギ君が挑んでいるクオリア問題の性格からいって当然なのである。クオリアというのは、簡略すれば脳(というよりも発火ニューロンたち)が感知している「質感」のようなものなのだが、いざそれを言葉にしようとしてもたいていは言葉にならないものをいう。 

≪09≫  いいかえれば、クオリアは「イワシのイワシらしさ」とか「藤原紀香の藤原紀香らしさ」とか「松の松らしさ」というものである。それをニューロンの何らかの発火パターンが受け持っている。ようするに「言葉になりにくい質感」というか、「脳―俳諧的なもの」なのだ。こういうものは、人が何かを知覚したり思考したりしているときに、そこに思いがけなくひょいとくっついてくる。だからこそわれわれは「イワシらしさ」や「松らしさ」がどういう感じのものかがわかっているにもかかわらず、それをいざとなっては取り出せない。芭蕉もだからこそ「松のことは松に習え」と言ったのだ。 

≪010≫  ということは、またモギ君の話に戻るけれど、この「らしさ」としてのクオリアは、それが何にどのようにくっついてくるのかを見逃せば、たちまち見えなくなっていくものなのである。クオリアはまたまた下意識に逃げこんでいく。そこで、そのくっついてくるを感じた瞬間に、できれば勝負を試みたい。そして「いま、ぼくはこういうことを言おうかなと思ったんだけど、そのときね……」というぐあいに、このくっつきを次々に暴露する必要がある。モギ君はそれをいつも怖じけずに心掛けてきた。 

≪011≫  こういう人は喋るとシャワー力にあふれるが、思索と表現のあいだは丁寧だ。案の定、モギ君がふだん書く文章は(本書もそうなのだが)、読者にこれから何を書くかということを伝えるために、まずは読者に最前線の知識をかいつまむことを忘れない。しかもモギ君はこの「かいつまみ」がとてもうまく、その「かいつまみ」だけを次の道筋に運んでいくのがもっとうまい。 

≪012≫  というわけで、モギ君の本はまことに丹念で、読者がそのように未知の生物物理を辿れば絶対に理解が可能になるという考え方の道筋をちゃんと書く。こういうふうに書ける科学者は、意外なことかもしれないが、日本にはなかなか、いない。 

≪013≫  モギ君が本書で提案していることは、乱暴に要約していうと、「私」の意識や認識は発火したニューロン間の連絡関係によってつくられていて(この発想はロジャー・ペンローズの「量子脳」の仮説をおもわせる)、このときの脳の中のモダリティ(様式性)を決定的にしているのがクオリアではないかということである。 

≪014≫  モギ君はこのことをできるだけ論理的に導くために、次の手順をとった。第一には、脳科学と神経生理学上のさまざまな研究事実とそこから組み立てられたいくつかの仮説を検討して、そこから何を切り捨て、何を採用するかということを決断する。コネクショニズムや安直な「理解の科学」は早々にバッサリ切り捨てられる。 

≪016≫  そして第三に、これらを存分に準備したうえで、発火したニューロンのネットワーク間におこっているであろう「相互作用同時性」と「統合された並列性」こそが、「私」の意識や心を組み立てている最も重要な特徴であることをいくつかの道筋で論証する。 

≪015≫  第二には、ここがぼくにはおもしろかったのだが、マッハの原理やミンコフスキー時空モデルなどを援用して(これはぼくが青春を費やした原理だった)、ニューロンの反応選択性がもつ本当の「意味」を絞りこむ。これはそこそこ大胆な試みだった。マッハの認識原理もミンコフスキーの幾何学も、そもそもがアインシュタインの相対性理論の下敷きにあったものだから、これらはとびきりマクロな世界観のための材料なのに、モギ君はそれを一挙にミクロのニューロンのしくみの説明に用いてみせたのである。 

≪017≫  本書は、以上のような考えにもまだまだ多くの限界があるので、これをモギ君がどのように突破していこうかという展望を書いて終わっている。とくに最後に出てくる量子力学上の決定論と非決定論を通して、認識論的な「自由意志」の正体を求めるくだりは、本書全体からいえば勇み足になっているのに、なかなかスリリングなものになっていた。 

≪018≫  だいたい、モギ君の“名人芸”は既存科学の思い込みや隘路を捌く手際において最も劇的な効果を発揮するので、その「捌き」のためには、多少のオーバーランはやむをえないものなのだ。  

≪019≫  本書はクオリアとは何かという問いには答えてはいない。というよりも、正体がわからないクオリアをあえて主語に採用して、「脳と心の関係」「ニューロンとネットワークの関係」「知覚と私と意識の関係」を問いただそうとして、試作的に著されたといったほうがいい。  

≪020≫  科学というものは、往々にして仮説を実証した成果だけを誇りがちなのであるが、そういうことができて遜色ない結果が出せる科学なんて、とっくに少数になっている。むしろ答えのない科学をどのように出立させていくかというほうが、科学の新たな冒険になる。「脳が心を見ているのか」「心が脳を見ているのか」という問題は、この冒険的テーマにふさわしい。『脳とクオリア』は、そういう意味では現状の科学的イニシエーションの陥穽を読み取ったうえで、新たな「セパレーション」(旅立ち)のためのリリースポイントを明らかにしようとしたものだった。 

≪021≫  こういう科学の試みが、ぼくの読書の醍醐味にひょいと引っ掛かってくる「書物のクオリア」なのである。 

≪01≫  シネスシージア(syn-es-the-sia)というややこしそうな言葉がある。「共感覚」と訳している。 

≪02≫  たとえばM社のハンバーガーの味が尖った形で見えるとか、あるミントの匂いで一定の旋律が聞こえるとか、どんなチキンスープにもそれぞれ角度の違うとげとげを感じるとか、そういう感覚体験をする知覚現象のことをいう。 

≪03≫  アルチュール・ランボーはAは黒、Eは白、Iは赤といったふうに、文字に色を見て『母音』という詩を書いた。これはおそらく比喩である。しかし世の中には実際にシネスシージアを感じられるというか、いつも特定の形状感覚や音響感覚を通してシネスシージアを実感している人が十万人に一人くらいの割合でいるらしい。いろいろの研究によってカンディンスキーやスクリャービンが共感覚者であったこともわかっている。 

≪04≫  本書に出てくるマイケル・ワトソンもその一人で、医者である著者はこの共感覚者に出会って、いろいろ興味をもった。 

≪05≫  しかしそれにしても、一つの感覚が別の感覚を不随意におこすシネスシージアとはいったい何なのか。なぜそんな別々の感覚体験が”共に”おこるのか。 

≪06≫  ふつう、知覚現象の多くは脳のどこかの部位と結びつけて考えられる。局在説という。けれども、共感覚という機能をもった部位がどこかに局在しているとは考えにくい。 

≪07≫  そこで「異種感覚間連合」という想定をするようになった。二つ以上の部位の機能が”混線”ないしは”交線”ないしは”連動”すると見ることだ。これはどうやらおこりそうである。しかし、何がおこっているのかはなかなか突き止めにくい。 

≪08≫  これまでもぼくがたびたび書いてきたことだが、父が京都で呉服屋をやっているときの仕立屋の田辺さんは、失聴者で相手の唇の動きで言葉を読みとる読唇術をマスターして”話しあい”できるばかりか、手の平で音楽が”聞ける”おばさんでもあった。田辺さんはステレオ音響装置の両サイドのスピーカーに両手をかぎりなく広げて近づけ、その手の平を微妙に動かしながらどんなレコード音楽も聞き分けていた。 

≪09≫  田辺さんの能力は少年のぼくを飛び上がらせ、怖がらせるほど驚かせた能力であったが(そして、ぼくはこのような体験にずいぶん影響をうけて育ってきたのだが)、この田辺さんの能力は厳密には「異種感覚間連合」なのではない。共感覚でもない。なぜなら感覚器官のひとつが損傷し機能しなくなったことによって、別の機能がその感覚器官の機能を代行するようになったからだ。 

≪010≫  シネスシージアはそうではなくて、一般的な健康条件の持ち主が視覚と聴覚を、視覚と触覚を、嗅覚と聴覚を連動して動かしてしまうことをいう。 

≪011≫  このようなことが人間のどこかでおこっているであろうことは、赤ちゃんや幼児がすぐにモノを口に入れることによって、ある種の”形態認知”をしていることでも憶測がつく。これを幼児は「口で形を見ている」というふうに言えなくもない。 

≪012≫  またLSD実験やプラシーボ療法実験などから、われわれにはしばしば「目から鼻に抜ける感覚」が生じることや「音楽から匂いが溢れて出ている感覚」をもつことがありうることもわかっている。ティモシー・リアリーやジョン・C・リリーはそんなことばかりに関心を寄せた研究実践者であったし、そもそもオルダス・ハクスリーの『知覚を開く扉』は、そのような共感覚や異種感覚間連合こそがおこって、人間の意識がもっと高次化されることを望んだ話題の書であった。 

≪013≫  しかしながら本書の著者もあれこれ紆余曲折をへたように、このようなシネスシージアっぽい現象がはたして意識の高次化にあたっているかどうか、また単一の感覚機能の深化にあたっているかどうかは、まったく見当がついていないことなのである。 

≪014≫  その一方で、まったく別の分野の研究成果、たとえば人間はなぜ言語をつくれたかというような分野から見ると、異種感覚間連合や共感覚こそが言語をつくりだした本体機能だったのではないかという推測は、たいそう魅力のあるものなのでもあった。 

≪015≫  脳神経科医の著者は、共感覚を人間の脳にとって必ずしも高次なものとか深化したものと見ているわけではない。むしろ偏頭痛などとも似たもので、脳の機能から見ると何かの原因で周囲にバランスよく散るべきものが片寄ったものというふうにも考えられると書いている。  

≪016≫  そこで著者は、共感覚に似た現象をいろいろあげて、これを調べながら共感覚の実態に迫るというアプローチをとった。そしてこの共感覚に似た現象をまとめて「意識変性状態」(アルタード・ステーツ)をおこす感覚と見た。 

≪017≫  共感覚との類似性をもたらす意識変性状態は、神経科でもおなじみの次の6つの刺激や機能として分類できる。すなわち、(1)LSDで誘発される共感覚っぽいもの、(2)写真記憶(フォトグラフィック・メモリー)の持ち主(例=映画『レインマン』のダスティン・ホフマン)のアタマの中でおこっていること、(3)側頭葉てんかんの持ち主のアタマの中でおこっていること、(4)感覚遮断実験でもたらされる共感覚めいた現象、(5)解放性幻覚がもたらす感覚(幻聴や幻視のこと)、(6)大脳皮質に直接の電気刺激を与えると生じる感覚、以上の6つである。 

≪018≫  いずれも興味尽きない現象であるが、矯めつ眇めつ検討してみると、これらは共感覚そのものとは異なる現象であることがわかってきた。これらは大脳皮質の処理過程が混乱あるいは混線あるいは抑制状態にあって、しかも同時に感覚入力になんらかの遮断か異常が発生しているからである。どうも本来のシネスシージアとは何かが違っている。  

≪019≫  こうして、本書はここからリアリーやリリーのハイパー感覚研究とは別の道を歩んでいく。いや、歩みながらも結論を得られない方向に旅立ってしまうのだ。けれども、その途中から別の道にも進んでみる立場があるというのが、どちらかというとリアリーやリリーが好きだったぼくには、ちょっと新鮮だった。 

≪020≫  著者が本書のおわり近くになって証かした仮説は、共感覚は理性と情動がもともと共進化したことによって最初からあったもので、どんな人間にもそなわっているものだということである。ようするに共感覚は哺乳類が人類に進化したと同時に発生していたものだということになる。 

≪021≫  そうだとすると、「なぜ一部の人々は共感覚をもっているのか」と問うことが間違っていたのである。むしろ「なぜ一部の人々は共感覚が意識にのぼるのか」と問うべきだった。ということは、共感覚は誰にでもおこっていながらいつもは隠されている神経プロセスを、意識がちらりと覗いた光景なのである。そう考えたほうがいいということになる。著者もそのように研究を進めていった。 

≪022≫  が、このように考えるとすると、問題は共感覚のアリバイがどこにあるかということよりも、われわれの自己意識はいつのまに共感覚を使わないように発達してしまったのかということが問題になってくるはずである。 本書を閉じたあとに残された問題が、ここにある。 

≪023≫  そうなると、ぼくは「千夜千冊」のどこかで、自己意識というものは実は何かの原機能を”未使用”にすることによって形成されたものではないかという問題や、茂木健一郎君がそれを追いかけているのだが、われわれの脳や神経系には感覚とか知覚とよばれている機能では説明できないクオリアとよばれるような、もっと愉快で格別な”原形掴み”の機能がひそんでいるのではないかといった問題を、次にはとりあげることになりそうだ。 

≪01≫  気分をあらわすドイツ語”Stimming”がずっと気になっていた時期がある。むろんハイデガーの影響だが、ハイデガーの存在学そのものに入りきらないで、気分についての思索だけをなんとかめぐりたかった。そういうころに出会ったのが本書である。 

≪02≫  本書は刊行まもなく話題になって、名著とされた。しかし、べつだんデキのいい本ではない。ハイデガー議論としても、きっといま読めば一カ所にとどまっているという感想になるだろう。というよりも、当時の事情と今日とはかなり事情がちがっていて、本書のような分析や書きっぷりはあまりにロマンティックか、ハイデガーに加担しすぎて見えるはずである。 

≪03≫  ところが、ぼくはこのような往時の書き方が嫌いではなく、ハイデガーをめぐるにもしばらくこのあたりを彷徨したいという好みもある。それで、本書をとりあげておくことにした。 

≪04≫  気分(Stimming)を捉えるには、情緒(Gemuit)とくらべるとよい。気分は情緒よりもっと深い動向をあらわしている。たとえば情緒は「無」に向かうなどということはないが、気分はときに「無」に向かうこともある。 

≪05≫  しかし、その気分とは何かと問うてみると、意外にこの正体が掴めない。しかし、実感はある。 

≪06≫  たとえば、今日は気分がいいというのは、誰にとっても何にもましてうれしいことでもある。気分が悪ければ、何も始まらない。そしてその気分を放っておくと突き刺さってくることがある。 

≪07≫  気分を損なうということもしばしばしおこる。そこで、いったい何に気分を損なったのか、その正体をつきとめてやっつけてやりたいのに、どうもその正体がわからない。誰かに何かを言われ、自分の中の威厳のようなものが傷つけられて気分を損なったのか。主体性が軌道をはずれたのか。そうだとしても、その程度で損なう気分とは何なのか。 

≪08≫  あらためて気分というものを取り出してみると、これでけっこう難物なのだ。 

≪09≫  われわれが日々感受していることやものには、買い物をするとか英語を習うとか投票をするといったように、ずいぶんはっきりしていることやものも多いのだが、その一方では、これといった基準がないままに動いているものもある。それを哲学用語で「未決定」とか「無規定性」という。  

≪010≫  未決定というのは、われわれは何事にも多少の価値観をもっているはずなのに、その価値観をあてはめてみようとすると、どうもうまくあてはまらないことがある。たとえば喜ばしさとか哀しみというものには確定的なものがない。つねに相対的である。それでもかまわないはずなのだが、それにしては喜ばしさも哀しみもふえたりもする。胸が痛くなるときもある。人間というもの、それでけっこう不安になっていく。 

≪011≫  無規定性は、既存の目盛りで規定してもどうにも何も始まらないことやものである。規定ができない。そこで、そんなものは放っておきたいのだが、放っておくとやはりなんとなく不安になる。落ち着かない。こういうことが気になると、人間における未決定や無規定とはどういうものなのか、そこを考察する哲学や文学がだんだんふえてきた。いったいこれは何だということになってきた。20世紀哲学はそこから出発したともいえる。 

≪012≫  気分というものが重要だと気がついたのは、ぼくが知るかぎりではノヴァーリスが早かった。 

≪013≫  ノヴァーリスは音楽を聞いているときに、ふだんの感情の動きや価値観とはちがう心の感受性があることに気がついていた。そこで音楽的なものには気分という本質的な何かが含まれているのではないかと考えた。しかもそれは「内面の生」とは直接は関係がない。内面からダイレクトに出てくるものとはちがっている。外的な音楽を聞くと動かされるのだから、環境というか、自分の周囲にとりまくものと関係がある。気分とは、つまりは自分の何かと外の何かがまじるものなのだ。

 ノヴァーリスはここで「雰囲気」という言葉をつかって、「雰囲気には結晶的な特徴がある」とまで考えた。それはそれでいい。何かを言い当てている。が、まだこの時代には神もいた。 

 20世紀になって、ヘンリー・ジェイムズの『ネジの回転』やトーマス・マンの『魔の山』やプルーストの『失われた時を求めて』がそうであるが、人間の不安を扱う文学がふえてきた。そこには神なんぞはもういない。自分がいるだけである。神に頼って不安と戦えないとすると、自分で闘うしかない。それで、不安をめぐる哲学が登場し、キルケゴールからハイデガーにおよぶ実存哲学が芽生えた。また、その一方で心理学や精神医学が始まった。 

≪016≫  今日では、気分の正体を精神医学が数々の専門用語で突き止めたとおもっているふしがある。ストレスのせいだとか、アセチルコリンのせいだといわれると、そういうものかと得心してしまう。が、はたして気分の化学分子がそういうものであるかどうかは、なんとも言いがたい。それならボルノウのように「気分をずっと哲学している」のが、案外、最も良質な気晴らしなのである。 

≪017≫  というわけで、本書をハイデガーの解読書として読むには物足りないのだが、気分の哲学を読む気分になるには、もってこいだったのだ。もう四半世紀も前のことだったが、たしかぼくは、そういう読み方をした。 

≪018≫  まあ、邪道な読み方である。けれども、読書にはそういう遊び方もある。オスカー・ベッカーやミシェル・セールの読み方にはそれを許容するものがある。 

≪01≫  ロンドンの書店で『オリジン』という大型本を買って帰ってきたところ、岩波現代選書に同じ共著者による『ヒトはどうして人間になったか』が入った。寺田和夫さんの訳だった。どちらもリチャード・リーキーとロジャー・レウィンの共著である。 

≪02≫  貪って読んだ憶えがある。そのころのぼくは「人類の起源」の問題に、もう少し限定していえば「直立二足歩行」の問題にどっぷり嵌まっていて、片っ端からその手の本を漁っていた。 

≪03≫  そのころは「人類の起源」と「言語の発生」に取り組んでいた。ロバート・アードリーの『アフリカ創世記』(1971)から読み始めたのだが、なかでリチャード・リーキーに出会った。こういう奴がいたのかと思った。こういう奴というのは、まるで両親の人骨や血液をそのまま人類史の誕生をめぐる学問にいかしている奴がいるんだ、という意味だった。 

≪04≫  リーキーはぼくと同い歳の名うての古人類学者である。 両親のルイスとメアリーは国際的に知られた発見を次々にして、大胆な仮説を提案した古生物学者と先史学者で、リチャードはこの二人の骨格と血と脳味噌をそのまま使っている。実際にもケニアで生まれ育っていて、ある意味ではエリート教育を受け、ある意味では“考古坊ちゃん”として甘やかされた。 

≪05≫  この甘やかされた育ちが、ときに学者をおもしろくするものなのである(むろんダメにもするが)。リーキーはまさにそういう一人だった。ぬけぬけと、まるで人類が誕生したころの光景を、自分が母親のおなかの中にいたときに見た光景のように話すのだ。 

≪06≫  だから、リーキーは若くして有名になっていたわりには独自の論文がない。『オリジン』も、前著の『ヒトはどうして人間になったか』もそうだったとおもうのだが、長らくリーキーはろくに原稿を書けなかったのではないかとおもう。大半はサイエンス・ジャーナリストのレウィンが手伝って書いていた。 

≪07≫  しかし、それでもリーキーにはアレキサンダー・グラハム・ベルやグレゴリー・ベイトソンや九鬼周造や大岡玲の「育ちのおもしろさ」のようなものがあって、これがぼくのような“固め打ち”をしている者に、こういう血統だけで押してくるピッチャーの球を打ち返したいという気分にさせるのだ。 

≪08≫  本書はそういうリーキーがやっと自分一人で書いた(にちがいない)一冊。いわば9回完投した一冊なのである。 

≪09≫  リーキーは、徹底して「直立二足歩行」が人類をつくったという仮説にこだわってきた青年である。ぼくが気にいったのもこの点にある。 

≪010≫  従来からある仮説、たとえば、捕食のためや草原を見渡すために直立二足になったのだろうとか、直射日光の面積を少なくするため直立したのだろうといった仮説は退ける。 

≪011≫  この仮説を支えるために、本書ではめずらしく学説構築的に「最初の人類」「複雑な家系」「脳と骨髄の関係」「ヒトのハンティング能力」「現生人類」「芸術コミュニケーション」「言語の発生」「精神の萌芽」という8つの陣営からの成果を、援軍として繰り出した。 

≪012≫  この組み立ては、やんちゃなケニヤの貴公子がふだんどのように勝手な想像力を駆使しているのかを、順を追ってわからせてくれていた。出発点は次のような点にある。すなわち、 

≪013≫ ①直立二足歩行をした ②話し言葉をもっていた ③計画的に食料を分配した ④ベースキャンプをつくっていた ⑤大型の獲物を狩った 

≪014≫  この5つの条件が人類誕生の条件だとする説である。ハーバード大学の人類学者グリン・アイザックの仮説とほぼ同じ位置にいる。これらはとくに冒険的な仮説ではない。しかし、ここからはどんな魅惑的な仮説も飛び出してくる背景画になっている。 

≪015≫  その魅惑的な仮説のひとつに、ラスコーやアルタミラの壁画に類する絵柄は、どのような人類がどのようなつもりで描いたのかという大問題がある。 

≪016≫  ぼくは最初はギーディオンの『美術の起源』でこの問題にぶち当たり、ついでアンドレ・ルロワ=グーランとともにこの問題を考えた。しかし、何も新たな仮説は派生してこなかった。なぜなら、かれらの説明では、そうした天才的な具象力は氷河時代がちょうど終わった1万年前にすっかり鳴りをひそめ、次に洞窟に描かれたのはごくごく簡略な絵柄や幾何学模様になっていたことがうまく説明できなかったからである。 

≪017≫  ようするに縄文土器の過激な文様がなくなったように、人類史でも“弥生ジャンプ”がおこったのだが、そのことの納得がいく説明が誰もできなかったのだ。 

≪018≫  リーキーはそこをミシェル・ロルブランシェの意見を借りて、するりと先を見た。それは、あの天才的な無名の画家たちのバイソンなどの絵柄は、半ば幻覚的な症状とともに描かれたシャーマン的なドローイングではなかったかというものだ。ひょっとしたらキノコやハッシシめいたものも食べていたのではないかというのだ。 

≪019≫  これは意外な説である。にわかには信じがたいところも少なくない。しかしリーキーは、ここはかなり「やんちゃ」になっているのだが、原始人にもそういう“芸術”が突然芽生えていたっておかしくはないとさらりと言って、この仮説に飛んでみせている。ケニアに育っていると、こういうことも信じられるようになっていくのだろうか。 

≪020≫  人類誕生のミステリーには、もうひとつの重大で未解決な問題がある。話し言葉の発生のことである。 

≪021≫  おそらく言語能力は、後期旧石器時代の3万5000年ほど前の時期に急速に獲得された能力である。では、なぜそんなときに言葉が身についたのか。無数の仮説がこのことをめぐって提出されているのだが、ぼく自身は、コロンビア大学の神経学者のラルフ・ハロウェイが「言語は攻撃よりも協調のための社会活動から発生したのではないか」と言った説や、それを発展させたロンドン大学の霊長類学者のロビン・ダンバーの「結局はグルーミングから言葉は生まれてきたのではないか」に共感をもっている。 

≪022≫  しかし、それが後期旧石器時代であることには、なんらかの理由がなければならない。 リーキーはここでもホイホイと新たな照準を定めていた。きっとヒントはランドール・ホワイトがあげた7つの条件のうちの3つ、すなわち「死者を埋葬するようになったこと」、「その土地にない品物を別の土地の者と交換するようになったこと」、「そのグループに分業が発達してきたこと」、このようなことが後期旧石器におこったせいではなかったろうか。そう早計に決めこんだのだ。 

≪023≫  本書はこうして、人類発生の地に育った者が、いったいどのように人類発生の謎そのことを語るのかという、いわば「氏」と「育ち」を合わせもつ環境の中の科学というのはどのように科学者を「やんちゃ」にさせるのかというような、やや興味本位の読み方をさせてくれる一冊だったのである。 

≪024≫  もっとも、そういうリーキーもついに「やんちゃ」になりきれなかったところもあった。それは脳の容量が3倍になったことを言葉の発生や精神の萌芽になんとか合わせようとしているのだが、これがすっきりした見通しになってはいなかったという点である。 

≪025≫  そこでぼくもここで一言、羨ましいリーキー一族に対して、こんなふうなことを言ってみたくなる。「脳が言語をつくったのではなくて、言語が脳を巨大にしたのかもしれなかったじゃないか」。 

≪01≫  細胞によって生命の本体を捉えることは、遺伝子によって生命の本体のしくみを説明することにくらべると、十分には関心がもたれていない。 

≪02≫  しかし、遺伝子は万能ではありえないのだ。たとえば真核細胞の遺伝子にミスが生じたときに、遺伝子がこれを認識し、その配列を訂正してはいない。生命情報というとやたらに遺伝情報ばかりが王様扱いされてはいるけれど、細胞レベルでの情報コミュニケーションのほうが、個体や個体間にとってはよほど重要であるとも言わなくてはならないということである。 

≪03≫  たしかに細胞は遺伝子のプログラムによって動いているけれど、その遺伝子のふるまいを制限し抑制する役割をもっているのもまた細胞なのである。細胞は細胞どうしで頻繁な連絡をとりあって、遺伝的に決定されてきた活動以外の、いわゆる「個体としてのふるまい」に「意味」を与えてきたのだった。それが細胞間コミュニケーションである。 

≪04≫  細胞間コミュニケーションがどうして発現してきたかということは、まだそのすべてが解明されてはいない。すなわち、細胞はどのようにして「意味」に関与することになったのかということは、その理由のすべてが説明されてはいない。 

≪05≫  しかし著者は、どのように軸性(axiality)が“変化”してきたかということが大きな転換点だったと見ている。 

≪06≫  始原軸性遺伝子は多細胞化遺伝子に変わっていった。最初は母性情報だけに頼って軸性(植物極・動物極)を決めていたのが、さまざまな分節遺伝子(zygote effect gene=直訳すれば接合的効果遺伝子)が関与することになって、軸性が多細胞にふさわしいものになったのだろうということである。 

≪07≫  シグナル交換はローカル・ケミカル・メディエーターとよばれる局所的情報伝達物質によってなされる。 局所ホルモンとか組織ホルモンとも俗称されるこのシグナル分子は、発信側の内分泌細胞がその特異性によって受信側の標的細胞をキックするということで成立する。シグナル分子には主にステロイド、フェノール誘導体、ペプチドなどが含まれる。 

≪08≫  このシグナル交換は、大別すると二つの重要な役割をもつ。ひとつは「相互に抑制しあうこと」、もうひとつは「相互に相手を識別しあうこと」である。著者はもっぱら前者を扱うが、後者がいわゆる免疫プロセスにあたっていく。 

≪09≫  結論からいえば、こうしたシグナル交換によって、細胞は驚くべき“進化”をとげて個体になっていく。よく知られているように、組織(tissue)、器官(organ)、個体(individual)の3つのレベルを次々につくっていく。 

≪010≫  しかしこのような高級なシグナル交換をやりとげるにあたって、シグナル分子が膨大な数に向かいつつある細胞の一個ずつの動きの指令に対応していたのでは、いくらシグナルがあっても間に合わない。そんなことをしていたら、生物体はどこかで情報ショートを次々におこしてしまっていたはずである。  

≪011≫  ところが、そうはならなかったのだ。細胞はこの困難を避けるべく、巧妙な方略をおもいついたのだ。そのひとつが近頃脚光を浴びているプロスタグランジンの作用をつかうということだった。これはどんな細胞も膜成分としてもっているリン脂質を分解しながら、細胞ごとに僅かな変形加工をするだけで多様な情報価値を生んでいるとおぼしいシグナル分子のことである。 

≪012≫  そもそも細胞の基本的なふるまいは「刺激を受ければ興奮する」というだけにあった。 それにもかかわらず、細胞間コミュニケーションは以上のようなきわめて高度なやりとりを次々につくりあげた。  

≪013≫  そこで著者は考える。これは細胞間コミュニケーションに、あえて概念的にいうのなら「記憶→想起→照合」のようなやりとりがたえずおこっていて、そこでは個体的な「自己のようなもの」を維持しようとしているからなのではないかというふうに。言ってみれば、遺伝的自己に依存するだけでなく、細胞どうしが“自主的に”、自己環境をつくりあげたのではないかということである。 

≪014≫  細胞たちが、なぜこのような「自己のようなもの」を維持することになったのかということは、いまのところ誰もうまい説明をしてはいない。しかしながら著者は、そんな理由は明白だと考える。そのようにしたほうが、細胞たちにとって(これを細胞マトリクスという)、なんといったって「気分がいい」からなのである! 

≪015≫  気分とは、なにごとか。 こんな言葉を科学者がつかっていいものかともおもうが、ぼくはこのような説明に向かえることこそが、この著者が提示する生命科学の新しい生命像の説明につながるところだとおもうのだ。 著者はそこのところを、『心は遺伝子をこえるか』では、次のように書いている。 

≪016≫  個体のなかで細胞間のコミュニケーションをつかさどっている物質が、すべての細胞を浸すことによって内部環境がさだまり、ここで個体としての「気分」をもつことによって、その行動が決められるようになる。つまり液性環境が気分そのものになる。 

≪017≫  このあとさらに神経細胞が分化してくると、「反射」という応答が生まれ、(中略)そこに神経系の中枢化がすすんで脳があらわれると、そこに「記憶」というまったく新しいはたらきが生まれてくる。(中略)気分、反射、記憶、照合とすすんできて、この最後の段階から「心」さえ芽生えたのであろう。 

≪018≫  この、「液性環境」が細胞間のコミュニケーションを極度に円滑にすすめる「気分」をつくっているという説明は、まことにギョッとするほど画期的である。 ここで「気分」といっているのは、もちろん「情報自身のための気分」とでもいうべきもので、この気分をよくする方向に向けて細胞間コミュニケーションはすすんだにちがいないということだ。 

≪019≫  なぜそんなふうになったのか。ぼくなら「情報はひとりでいられない」と言ってすませるところだが、著者はこう考えた。そのほうが細胞たちにとっての報酬系をよくするからだった。  

 ≪020≫  もともと生命は、細胞としての出発をする時点で遺伝子を基礎においたタンパク質分子を情報とした。ついで多細胞にすすむ時点で、情報は細胞間のコミュニケーションを成立するためのシグナル分子になっていった。生命情報はどの場で何をするかという要請に応じて、その質と役割を替えていったのだ。 

≪021≫  こうして生命はしだいに個体という領域をつくるのであるが、ここでは情報は神経系・内分泌系・免疫系の3つの系を操って個体を維持することになる。このような3つの系のしくみになったことについては、最近の生命科学は詳しい説明をする。けれども、なぜそのようにしたほうがよかったのかということについては、どうも適切な説明が及んでいなかった。著者の企てはそこを暗示的に埋めるものだったのである。 説明は、おおむね次のように集約されるだろうか。 

≪022≫  遺伝子の能力にはいちじるしい限界があったのである。 そこで細胞そのものが自己触媒的に活動する必要が出てきた。このとき細胞間のコミュニケーションがおこしたことがあった。 

≪023≫  それは、第1には、コミュニケーションの成立にはいくつもの統合の中心があってもいいじゃないかということである。第2には、シグナル交換をするたびにそこでやったことを次々に「記憶」として芯の方へ畳みこんでいこうということだった。第3に、そのようなコミュニケーションのパターンを整理してそのつど階層的な対応関係をつけておこうとしたことだ。 

≪024≫  そして第4に、このように細胞間のコミュニケーションがおこなわれる「場」を液性環境として気分のよいものにしておきたかったということである。それは第5に、以上のことをすすめれば細胞たちの「報酬」(役得)が増してくるようになっていたからだったのである。 

 ≪025≫  以上、あまり気の利いたかいつまみができなかったけれど、著者が何を主眼にしようとしたかは、ある程度伝わったのではないかとおもう。 

≪026≫  生命の謎とか生体の謎というものは、どのように生命や生体を見るかというその視点の鋭さにかかわっている。著者の視点は、細胞たちそれ自身が1秒間に何億という桁で生き死にをくりかえしている「いのち」をもっていながら、その細胞の集合である生体としての個体は、どうしてそれとは別の「いのち」を維持するようになったのかという点に注がれている。 

≪027≫  最初に細胞が生まれたときは、これをつくる素材となった分子間に情報的な協調関係がつくられ、そこから核酸とタンパク質のあいだの対応関係そのものが自己複製系をつくったのである。 このときに、ある種の“感門の盟”が発動していたのであろう。 

≪028≫  ひとつは、この系が仮に暴走しても、それはそれで環境適用していく生物体になればいいという選択である。遺伝子エラーがおこったとしても、それはそれなりのプログラム生命になっていけばよいと決めたのだ。これは周知のごとく、突然変異による数多くの生物進化をもたらした。 

≪029≫  もうひとつは、いまとはまったく逆の選択も決めたのである。遺伝子エラーをできるだけ数少なくして、情報生命体としての内部性を整えようとしていったことである。これはホメオスタシスあるいは負のフィードバックとして、生物体の内部構造の編集を進捗させていった。 

≪030≫  遺伝子はこのような矛盾しあう二つの方向を “許された” のだ。そして、遺伝子にそのような“自由”を与えたしくみこそ、細胞間コミュニケーションだったのである。細胞たちは、いわばプログラムのデバッギングに走るよりも、ひとつ階層を上げた状態での新たな液的生命環境をつくるほうに向かったのだ。 

≪031≫  おそらくは、細胞間コミュニケーションの秘密は、このような二つの矛盾しあう情報構造の食い違いを、どこかで細胞マトリックス自体がおもしろがっているということにあるにちがいない。  

≪032≫  残念ながら、そのおもしろさが精密にはどこにあるのかは、ぼくにはまだわかってはいないけれど、著書の言い分を読んでいるときは、なんとなくその秘密に近づけた気分になれるのである。科学書を読むとは、それでいいのだとおもう。 

≪01≫  あいかわらずダンカン・ワッツは巧みな論法で、世の常識と学の旧弊を打ち破っていく。たんなる統計的推論のつまらなさをこっぴどくやっつける。センセーショナルには書かないし、ときどき社会学におもねるところはあるものの、それなりの説得力がある。 

≪02≫  本書はなかでも「常識」にいちゃもんをつけた。ワッツが言いたいことはかんたんだ。「常識を用いるな」「常識は判断をおかしくする」である。その論法はきわめて編集的だ。 

≪03≫  たしかに常識はあやしい。常識を頼るあまりにわれわれが犯している誤謬はいろいろあるが、ワッツによれば、その誤謬は第1に人の行動を自分が知っているインセンティブでしか理解しないことにあらわれ、第2に個人と集団の動きを一緒くたにしてしまい、第3に出来事を歴史から学ぼうとはしなくなる、というふうになるという。 

≪04≫  つまりは、多くの常識に“合理”があると思いこむのは、とてつもなく危険なのである。それこそが世のプレファランス(選好)の判断を狂わせる。ポピュリズムを動かしてしまう。ところが多くの経済学の理論や旧態然たるマーケティングの理論は、「きっと人々は最善の行動と判断をしているはずだ」とか「その選択にはきっと合理がひそんでいるはずだ」とかという大前提に立ってしまうので、ついつい常識の合理をほめそやすほうにまわる。多くのコンサル屋たちも、そこにつけこんでばかりいる。これをどう打ち砕くかが、本書の狙いとなった。 

≪05≫  ぼくが千夜千冊したものでいえば、イアン・ハッキングの『偶然を飼いならす』(1334夜)、リチャード・ローティの『偶然性・アイロニー・連帯』(1350夜)、レナード・ムロディナウの『たまたま』(1330夜)、ナシーム・タレブの『ブラック・スワン』(1331夜)、ダン・アリエリーの『予想どおりに不合理』(1343夜)、アマルティア・センの『合理的な愚か者』(1344夜)などが、「常識の限界」と「合理の愚昧」をゆさぶってきた。これらとともに本書を読まれるといい。 

≪06≫  ダンカン・ワッツがスティーヴン・ストロガッツと書いた論文「スモールワールド・ネットワークの集合的な力学」が、パラダイムを変えた。続いてワッツが単独で書いた『スモールワールド』(東京電機大学出版局)で、スタンレー・ミルグラムのスモールワールド仮説が紹介されて大騒ぎになった。しかしすでに十数年がたつ。いまや原理に驚いていてばかりでは、いけない。応用にまで進みたい。 

≪07≫  ミルグラムがスモールワールド現象(small-world phenomena)と呼んだのは、「世界中のどんな一人物も、たかだか6人を介してそのつながりを辿っていけば、必ずや世界中のどんな人物とも知り合い関係になっている」という、それだけを聞いたらびっくりするような意外な“定理”のことをいう。1967年に発表された。  

≪08≫  これを言い換えれば「私は、私に近い6人の他人によって世界とつながっている」ということになる。数理的にいえば、どんな世界の1点も「6次の隔たり」(six degrees of separation)を介して全体につながりうるシステムがあるはずだと言い換えることもできる。 

≪09≫  ワッツはここから、該当システムはどのように振る舞えばそのシステムの多様な連結関係に結びつくのかという、一般的な命題に挑んだ。応用問題だ。そしてスモールワールド現象はおそらく次の10項目のような問題の領域に関与しているだろうことを突き止め、これを「スモールワールド・ダイナミクスにもとづくシステムの問題」(=スモールワールドグラフ構造として連結される分散動的システム)と捉えたのだった。 ぼくなりにまとめた10項目は次のようなものだ。 

≪010≫ ①構造が変化するような大きな組織において、創発したり進化したりする協調的なふるまいはどうやったら発見できるのか。 

≪011≫ ②コンピュータウィルスや性感染症などの、さまざまな拡散問題の特徴をどうつかめるか。 ≪07≫  ミルグラムがスモールワールド現象(small-world phenomena)と呼んだのは、「世界中のどんな一人物も、たかだか6人を介してそのつながりを辿っていけば、必ずや世界中のどんな人物とも知り合い関係になっている」という、それだけを聞いたらびっくりするような意外な“定理”のことをいう。1967年に発表された。  

≪012≫ ③人間の脳のように空間的に広大で、かつ不規則なしくみで連結されたネットワークにおいて、情報処理や情報編集はどうなっているのか。 

≪013≫ ④電力線、インターネット、携帯電話のような情報通信ネットワークを、より故障性が低く、低コストに設計する方法はありうるのか。 

≪014≫ ⑤互いにローカルに連結されたシステムから全体的な計算能力を創発させる方法はあるのか。 

≪015≫ ⑥さまざまなシステムで、ニューロンのような生体振動子にあたるものはほかにもどれくらいあるのか。 

≪016≫ ⑦会話や思考の連鎖にひそむアイディアやトピックの流れを、進行にしたがって組み立てうるしくみは想定できるのか。 

≪017≫ ⑧市場の取引に関してネットワーク構造の本質にもとづく市場経済理論を提案できるのか。 

≪018≫ ⑨さまざまな複雑系に対して最適なアプローチができる戦略を導き出せるのか。 

≪019≫ ⑩流行や選好をめぐる社会的動向について、スモールネットワーク仮説はモデルをつくり、それを普及させられるのか。 

≪020≫  脳の問題からマーケティングまで、情報検索問題からシステム・リスクまで、たいそう魅力的な課題ばかりが入っている。とはいえ、その後、ワッツがスモールワールド・ダイナミクスによってこれらの課題に答えたわけではない。いくらなんでも、そんな芸当はまだ完成していない。当然、いまだ模索の途次にいる。 

≪021≫  けれども、これらの課題がその後に、ネットワーク科学や経済物理学や計量社会学の領域に飛び火したり浸透していって、いまや新たなネットワーク型の「相互作用についての理論」の検討と提案の季節に突入していることは、まちがいはない。「スモールワールド・ダイナミクス効果」は各界に影響をもたらしたのだ。 

≪022≫  本書はそうした「効果」によって、どんなふうに世の中を見るようになってきたかを報告している。 

≪023≫  ワッツやストロガッツがとりくんだ理論や仮説は、まとめて「複雑なネットワーク(complex networks)についての科学」とよばれる。 

≪024≫  ここで複雑なネットワークというのは、さまざまな「関係」すなわち「つながりぐあい」が複雑なものをいう。インターネットでのアクセスの相互関係、動物たちの捕食関係、タンパク質の化学反応、遺伝子ネットワーク、ニューラル・ネットワーク、電話の回線、友達の関係、人々のセックス関係、都市伝説の由来、神話の形成過程‥‥。これらはいずれも複雑なネットワークをつくっている。 

≪025≫  ネットワークとは、リンクによって互いに結びつけられたノードの集まりのことである。 

≪026≫  複雑なネットワークではこのリンクとノードの関係が見かけ上、あるいは想像上はかなり複雑になっている。たとえばぼくの人脈ネットワークは、名刺の数からしても松岡正剛事務所がつくってくれているグラリスのリストからしてもかなり多く、その人名間の関係を「つながり」を追って適確に示すのはかなり難しそうである。 

≪027≫  ところがそれを、あるグラフ理論を用いて次数分布をとると、ノード数の増加と「つなぎ」とのあいだには独特の関係があることがわかってくる。また、ネットワークの「つなぎ」のどこかに高次数のハブ(hub)があることが発見できる。ワッツとストロガッツは、これらをヒントにネットワークの平均最短距離を計算できるようにした。 

≪028≫  最短距離とは、二つのノードを最少のリンクによって結ぶ経路のリンク数のことをいう。平均最短距離とは、ネットワーク中のあらゆる二つのノードの組み合わせの最短距離を測定して、その合計を組み合わせ数で割った平均値のことだ。この平均的な最短距離のノードをもったネットワークを、ワッツらはまず「レギュラーネットワーク」と名付け、ついで、このなかで何らかの「つなぎ変え」をすると何がおこるかを調べた。 

≪029≫  たとえば、松岡正剛事務所では松岡・太田・和泉の3人が社員である。3人ともに、それぞれの近傍で共通ネットワークがある。仕事を一緒にしているのだから当然だ。近傍ネットワークとよぶことにする。 

≪030≫  しかし3人にはそれとはまったく別の、生まれて以来の人脈ネットワークがある。これも当然だ。仮にそれを十代までで絞ったとしても、松岡には京都と東京の、太田には和歌山と潮来の、和泉には仙台と金沢の、それぞれのネットワークがある。遠方ネットワークだ。 

≪031≫  ところがよく調べてみると、この遠方ネットワークのある人物は、近傍ネットワークのある人物とつながっていることがある。またときには同一であることもある。実際にもこんなことがあった。ぼくはワダエミさんから美輪明宏さんを紹介された。あるとき美輪さんのNHKの番組にぼくがゲストで呼ばれた。そのときの司会者のSさんは太田の高校時代のとても親しい友人だったのだ。 

≪032≫  こういうことはけっこうある。読者諸君もしばしば思い当ったことだろう。 そこでワッツらは、ネットワークの次数分布のなかで遠方ノードと近傍ノードをつなげ変えてみた。これを何度か試みると、そこに劇的な変化がおこったのである。ノード数が増加するにつれ、「つなぎ変え」による効果が増大したのだ。たとえば1000のノードをもつレギュラーネットワークの平均最短距離が250だとすると、そのうちの5パーセントのリンクをランダムにつなぎ変えるだけで、平均最短距離が20まで落ちたのである。 

≪033≫  ワッツは「少数のリンクをつなぎ変えることで、大きな効果が出る。平均すると、5回のつなぎ変えで平均最短距離は半分になる」と述べている。こういう特徴をもったネットワークが「スモールワールド」としてのネットワークなのだ。 

≪034≫  こうして、スモールワールドがネットワークの規模の大小にかかわらず潜在することがしだいに判明していった。スモールであることが重要だ。規模の大小にかかわらないので、「スケールフリー・ネットワーク」ともいう。スケールフリーであることが重要なのだ。ということは、このモデルは巨大システムにも複雑なネットワークにも応用できるということなのだ。 

≪035≫  こうして研究者たちが、さまざまな現象やシステムに当てはめる日々が続いた。やがてスケールフリーのスモールワールドは、脳のニューラル・ネットワークにも生物の代謝ネットワークにも、噂のネットワークや売れ筋商品のネットワークにも、インフルエンザ・ウィルスの感染経路にも「おいしい店」の賑わいにも潜在しているらしいことがわかってきた。 

≪036≫  その潜在性をさらにつきとめていけば、先にぼくが掲げた10個のスモールワールド・ダイナミクスの相手が見つかっていくことになる。とくにウェブ社会への切り込みには役に立つだろう。またビッグデータに喘いでいる現場にもヒントをもたらすだろう。 

≪037≫  いまやスモールワールドの話題は、生物学から経済学にいたるどんな領域の最前線でももちきりだ。なかには行き過ぎ、過剰な解釈、無理な適用も目立っている。 

≪038≫  本書にもフランク・バスのバス・モデル、フィル・ローゼンツヴァイクのハロー効果、ロバート・マートンのマタイ効果、マイケル・サンデルの熟議方式を持ち上げすぎて、議論をつまらなくさせているところがある。このへんはワッツのお手付きだ。 

≪039≫  しかしそれでも、このスモールワールド仮説によって既存の「常識」が崩れ落ちていくだろうことは、まちがいない。ポアソン分布に対するベキ分布が鉞(まさかり)をふるっていくはずだ。七面倒くさい頑迷なビジネス常識がこれらによって変更を迫られることも、少なくないはずだ。すでにそんな兆候はいろいろな場面にあらわれている。 

≪040≫  ZARAがとりいれたヘンリー・ミンツバーグの創発的戦略、「前はビジネス、後ろはパーティ」というジョナ・ペレッティのマレット戦略、とっくにトヨタで実行されていたもののチャールズ・セイベルによって新たに指摘されたブートストラップ戦略などは、ワッツに説明されなければスモールワールド仮説の応用だとは気がつかないが、いずれもそれなりに腑に落ちる例だった。 

≪041≫  それとともに、このような考え方は、もともと編集工学の「関係づけ」に特色されていたことであったとも強調しておきたい。 

≪042≫  ぼくが重視してきたエディティングとは、知や情報や現象にひそむ「リンクの束」を動かして、どのリワインディングの段階で編集的なマッピングを俯瞰できるようにするかということに特徴がある。いいかえれば、編集工学とは情報の結び付きの関係に最少有効多様性(requisite diversity)を見いだすことにある。これは情報編集のプロセスのなかでどのように「意味のスモールワールド」を発見するかということにあたっている。最少のリンクによる最大の意味効果をもつ「エディティング・ネットワーク」をつくりあげるかということが、編集工学の仕事なのだ。 

≪043≫  すでに似たような効果を強調してきた識者たちもいる。ダグラス・ホフスタッター、リチャード・ローティ、ニクラス・ルーマン(1349夜)、イアン・ハッキングたちだ。かれらはすぐれて編集的である。たえず情報の縮約を心がけている。もっとスモールワールド仮説に近いのはアルバート=ラズロ・バラバシの『新ネットワーク思考』(NHK出版)や『バースト!』(NHK出版)、ダンカン・ワッツと共同研究をしたスティーヴン・ストロガッツの『SYNC(シンク)』(早川書房)などだろう。とくにストロガッツの非線形同期現象論はすこぶる編集的だ。そのうち紹介したい。 

≪01≫  去年(2016)の「群像」1月号で「21世紀の暫定名著」という、少々おもしろい読書特集が組まれた。 編集部からの注文に応えて、内田樹が「100年後にも読まれていてほしい3冊」を、上野千鶴子が「後世の歴史家が事件として記憶する3冊」を、中島岳志が「ポスト近代を指し示す3冊」を、鴻巣友季子が「翻訳をめぐる最重要の3冊」を、荻上キチが「生きづらさを可視化して差別と闘うための3冊」というふうに、それぞれ3冊ずつを選び出すというもので、ぼくには「見えなくなった知を再発見する3冊」を選びなさいという注文がきた。縛りはひとつ、21世紀になってから刊行された本にしてください。 

≪02≫  ほかに大澤真幸・池田清彦・斎藤環・松浦寿輔・富岡幸一郎・沼野恭子・野崎歓らが、一般書・文芸書などのジャンルを分けて、それぞれ10冊ずつを選んでいる。 暫定名著とはいえ他人に薦める名著3冊を絞るのはけっこう迷うものなのだが、ぼくは「見えなくなった知」を手掛かりにうんうん唸りながら(あまりに候補が多くなってきたので)、この3冊にした。ウォードとカーシュヴィンクの『生物はなぜ誕生したか』(河出書房新社)、ジェイムズ・スタインの『不可能、不確定、不完全』(早川書房)、カウシック・ラジャンの『バイオ・キャピタル』(青土社)だ。 

≪03≫  スタインのものは「できない」を証明する数学の力についての本、『バイオ・キャピタル』はこれからの社会経済社会を動かすゲノム情報と資本との関係についてけっこうセンセーショナルに解読した本、ウォードらの本は地球と生命をめぐる見えない知をどのように組み立てるかという話題作である。 そこで今夜は、以上のような推薦をした手前、そのうちの1冊のウォードの本を案内しておこうと思う。なぜこの本が暫定名著なのか、そこを忖度していただきたい。 

≪04≫  この本は2015年に原著が発表され、翌年早々に日本語になった。出版ニュースでウォードの新刊翻訳が出たなと知って、贔屓にしている仕出し屋から届いた料理のように、さっそく味見をした。愉しく読めた。  

≪05≫  名うての二人が共著した。古生物学と地球科学のピーター・ウォードは、いまや世界を代表するアストロバイオロジストで、これまでも『恐竜はなぜ鳥に進化したのか』(文春文庫)、『マンモス絶滅の謎』(ニュートンプレス)、『オウムガイの謎』(河出書房新社)、『メトセラの軌跡』『地球生命は自滅するのか;ガイア仮説からメデア仮説へ』『生命と非生命のあいだ』(いずれも青土社)といったベストセラーを書いてきた。いずれも老舗割烹というのではないが、評判のレストランの味だ。 

≪06≫  地球生物のジョゼフ・カーシュヴィンクのほうは「スノーボールアース仮説」の提唱者として夙に知られるが、地軸の影響の研究や動物がナビケーションに使用する磁性物質の研究などでも先駆している。ぼくはこちらの論文や本はまだ読んでいなかった。 こういう二人が書き上げた本書は通俗書でもなく、ラフな本でもない。けっこう本格的で、学術書ではないものの、著者はほとんど手を抜いていない。滞りがなく、詳らかなのだ。 

≪08≫  ウォードが「まえがき」で、斯界の3人の先行者に並々ならぬ敬意を払っているのも、ほどよく気持ちよかった。リチャード・フォーティ(780夜)、ロバート・バーナー、ニック・レーン(1499夜)の3人だ。 

≪09≫  フォーティの本は千夜千冊ではぼくの根っからの“不気味好み”で『三葉虫の謎』(早川書房)をとりあげたのだけれど、なんといっても『生命40億年全史』(草思社)が息を呑む通読感をもたらした。バーナーは酸素濃度研究に一線を画した「バーナー曲線」で知られるイエール大学の環境統計科学の研究者である。本書はバーナーの仮説をかなり借りている。 

≪010≫  ニック・レーンは千夜千冊した『生命の跳躍』(みすず書房)のほかに、『ミトコンドリアが進化を決めた』(みすず書房)や『生と死の自然史;進化を統べる酸素』(東海大学出版会)などが雄弁だ。フランシス・クリック、フランソワ・ジャコブを読んできた者なら、ぜひともニック・レーンを読むべきだろう。 

≪011≫  ウォードのように、学者がこうした先行学者や自分の専門領域を超えた学者たちに著書のなかで敬意を払うのは、外から見ていても気持ちがいい。風通しがいい。業績争いをしている科学者はなかなかそういうことをしない。仮にそう感じていても、もったいぶって同業者の限界を指摘したり、自分が影響を受けたことをダマテンして銘記しない。けれど、ぼくのように「本」と「本」とがつながって“本束”のようになっている者には、この銘記こそが貴重なのである。 

≪012≫  二人の著者が書きたかったことは、次の基本的な前提にもとづく。以下のようなことだ。

≪013≫  とくにややこしい前提ではないが、これらの前提が十分に知られているかというと、ほとんど「組み合わされた知」にはなっていなかった。本書はそこを明確な前提にした。
 もっともこれらのことを十全に主張するには、地球生物学的にはそこそこ大胆な仮説をいくつも含まなければならない。本書はそれもふんだんに盛り込んだ。
つまり本書は
「見えない知」を「見える知」にしたという意味で、21世紀の暫定名著にふさわしいものになったのである。  

≪014≫  地球に生命が誕生するうえで欠かせないことは何だったかというと、イの一番には、大気中の気体が十分に還元されて、生命の構成要素となるべき前駆的な物質が用意できたかどうかということである。これが最初の決め手になる。 

≪015≫  気体が還元されることがどうして生命誕生の大前提条件になるかいうと、原理はかんたんだ。電子を失う反応が「酸化」で、電子を得る反応が「還元」なのだが、地球はそれを大きくやっているのである 

≪016≫  地球という途方もなくどでかいシステムは、その全体で酸化が強いときには電子を失うのと引き換えにエネルギーを得ていて、還元のときには電子を溜めてエネルギーをどこかに預けている。たとえば石炭や石油は地球生命史のなかで還元され、いずれ燃やされて酸化されることによってエネルギーが解放されることを待っている。 

≪017≫  地球生命が誕生するにあたっては、それこそまことに多種多様な生化学反応が頻繁に惹起されてきたのだが、そのすべてにこのような還元と酸化にまつわる「電子の移動」がかかわってきた。そのかかわりのたびに電子化学勾配が動いてきた。 

≪018≫  ふりかえって初期の地球は酸素が極端に少なくて、二酸化炭素がずっと多かった。この状態が長く続いた。そこで主として、炭素をどう移動させるかということが地球生命発生の準備的条件となっていった(炭素循環) 

≪019≫  ついで海中深いところで発生したシアノバクテリアが、酸素発生型の光合成を始めると、これがぶくぶく海中や海上にふえ、地球全体に酸素が多くなっていくようになった。光合成が地球に酸素を供給したわけだ(光合成活動)。その好酸素環境のもとで、何がおこったのか。植物組織が炭酸同化作用によって炭素の一部をたくわえるようになったのである(植物誕生)。植物が枯れれば炭素は土壌に移行し、炭素化合物となって土壌微生物たちを動かした(土壌発達)。  

≪020≫  こうして植物を食用とした動物たちが呼吸を通して酸化をおこしていくと、呼気とともに大気にまじって、ふたたび炭素循環が、今度は生命入りの炭素循環がおこっていった(大小炭素循環の多重確立)。 

≪021≫  炭素系としての生命体は、地球との相互関係を通して還元と酸化のしくみを成立させた。ここに「惑星サーモスタット」ともいうべきが生じた。 火山から放出される二酸化炭素がふえて、大気中の二酸化炭素とメタンの濃度が上昇すると、この2種類の分子は高層大気に達して、その多くが地表から逃げてくる熱エネルギーを地表に跳ね返すということもおこる。これがいわゆる「温室効果」だ。  

≪023≫  地球に短期的な炭素循環をつくっているメインエンジンは、植物がもたらす生命現象である。  

≪024≫  二酸化炭素が光合成によって取り込まれ、炭素の一部が生きた植物組織として閉じ込められた。これらは還元された物質だから、あとでエネルギーとして解放できる。植物が枯れて葉が落ちれば、この炭素は土に移動してふたたび炭素化合物となって土壌の微生物の体内に入ったり、動植物の体の素材になっていく。この炭素化合物が生物たちの体内で酸化されれば、その生物たちはエネルギーを得られるわけである。 

≪025≫  こうしたことがおこっていくと同時に、初期生物たちはさらに有効にエネルギーを使うために別の炭素分子も還元状態にしていった。こちらの炭素は動物の食物連鎖のはしごをのぼっていくあいだに、呼吸によって酸化され、気体状の二酸化炭素となって呼気とともに動物や微生物の体から出ていって、ふたたび新たなサイクルになっていく。まことに巧妙な仕組みだった。  

026≫  そもそも地球規模ではいくつもの炭素循環がおこっている。本書が新たに強調したのは、岩石から海洋および大気に向けられている炭素循環である。数百万年単位でおこる巨きな規模でおこる。ロバート・バーナーがあきらかにしたのはこのことだった。その主人公は石灰岩に含まれている炭酸カルシウムだった。 

≪027≫  炭酸カルシウムは地球にはありふれている。無脊椎動物の骨格はほとんどが炭酸カルシウムでできているし、微小な植物プランクトン(たとえば円石藻類)にも炭酸カルシウムが含まれ、その骨格が沈殿して蓄積すると白亜とよばれる堆積岩を形成する。 

≪028≫  何がおこっていったのか。地球のブレートが沈み込みをおこすと、白亜堆積岩の一部はプレート運動のベルトコンベアにのって沈み込み帯にはこばれる。これで沈み込み帯は地殻にできた長い溝になる。その溝で海洋プレートが別のプレートの下に沈んでいく。その沈み込みが地表から何千メートルもの深さになると、高温高圧によって白亜質や珪質の骨格っぽい構造が珪酸塩のような新しい鉱物や二酸化炭素ガスに変わり、マグマとともに地表へ上昇する。 

≪030≫  アーウィン・シュレディンガー(1043夜)の決定的な生命の定義は「生命は負のエントロピーを食べている」というものだった。この言い方はたしかにすごかった。その後のいっさいの生命定義を方向づけた。 

≪031≫  しかし、このシュレディンガーの定義が含蓄していることで、最も重要なことは、それだけではない。生命は「生きている物質」でできているだろうが、「生きている物質は崩壊をへて平衡状態に至ることを免れているはずだ」という卓見に言い及んでいたことだったのである。 

≪032≫  これを言い換えれば、生命とは地球環境からたえず秩序を吸い取ることで、多数の分子がみずからを秩序立てる状態にしているということになる。生命は宇宙の平衡状態を免れているぶん、動的な秩序を有機的なシステムにしてしまったのだ 

≪033≫  このことを生物がどのようにやっているかといえば、もちろん実に多くの仕組みを活性させることになったのだが、その活性の基本は「代謝」(metabolism)によっている。この言葉はギリシア語の「交換」に由来する。代謝とは生物の体内でおこる化学反応の“仕掛かり合計”なのである。 

≪034≫  ただし代謝だけでは生命活動のすべては維持できない。さらにいろいろなことをする。このような生命の活動力を、ポール・デイヴィスの『生命の起源』(明石書店)はわかりやすく、次のような6つに象徴させた。 

≪035≫ ①生命は代謝する、②生命は複雑さと組織をもつ、③生命は複製する、④生命は発達する、⑤生命は進化する、⑥生命は自律性をもつ、だ。 まあ、説明するまでもないだろう。 

≪036≫  さて、地球上で地球生命がかたちづくられるにあたって、最も中心になったのは何かというと、水だった。地球以外の天体に生命がいるかどうかは水の有無で決まっていく。この水はどうしても液体である必要がある。氷層ではダメだ。地球生命はリキッドな水に浸った分子によってつくられた。 

≪037≫  生体をつくる分子はおびただしい種類になるが、驚くべきことは、すべての生体分子が炭素・水素・酸素・窒素を主成分として、炭素をベースとした有機化合物になっているということだ。しかも主な有機化合物といえば、たった4種類でいい。脂質・炭水化物・核酸・タンパク質、この4つだ。いずれも水に浸かって機能する。 いいかえれば4種類ですむ生命機構がつくりだされたわけである。 

≪038≫  脂質(lipid)は一般には「脂肪」とよばれている。代謝燃料およびエネルギー貯蔵体として生命活動の本質にかかわっている。とりわけ生体膜(細胞膜)の成分として欠かせない。 

≪039≫  炭水化物(carbonhydrates)は一般には「糖」(sugar)とよばれる。やはり代謝燃料、エネルギー貯蔵体として生命活動の本質にかかわるとともに、細胞を保護する構造体になる。糖は核酸の主成分にもなる。そんな糖を鎖状につながったものが多糖類で、グリコンド結合の二糖、3分子の三糖、4分子の四糖などがある。 

≪040≫  核酸(nucleic acid)はすべての細胞内にあって、遺伝情報をたくわえる巨大分子である。ヌクレオチド(nucleotide)と糖とが結合してできている。そのヌクレオチドは塩基というサブユニットとリン酸および糖でできている。 

≪041≫  ぼくがいちばん手こずってきたのはタンパク質(protein)だ。生命の編集文法はすべてタンパク質がその秘密を握っているのだが、ぼくの理解力ではなかなかその正体が掴めないままにきた。ぼくはタンパク質の「一途な多様性」をすらすら説明できる科学者たちには、ただひたすら平身低頭なのである。 

≪042≫  ごくおおざっぱにいえば、タンパク質は生物の体内で4つの役割をもつ。役割というより、生命活動そのものを担うと言ったほうがいい。 ①別の大型分子をつくること(他者を生成できる)、②他の分子を修理すること(相互の崩壊を救っている)、③物質をはこぶこと(物流・交流・交換のすべてに関与できる)、④エネルギーの供給を確保すること(地球環境の本質に応じて無から有を生み出している)、この4つだ。ようするに、なにもかもがタンパク質のおかげなのである。 

≪044≫  以上の材料をもとに、地球に生命が誕生したわけである。そのごく初期にはおそらく5つのプロセスが連続した。本書はこのことにも明確な解読してくれているが、まとめてしまうと次のようになる。 

≪045≫  まずは、①アミノ酸やヌクレオチドのような小型の有機分子が生成し集積したのであろう。②なかでもリン酸塩が蓄積することが重要だった(リン酸塩はDNAやRNAの基本となった)。 続いて、③これらの小型物質がつながって、タンパク質や核酸のような大型分子を形成していった。④タンパク質と核酸が集まって小滴のようになると、それが周囲の状態とは異なる化学的性質を帯びた。こうしてついに、⑤生体膜と細胞が形成された。そして、⑥その細胞の中で複雑な分子を複製する能力が芽生えていって、ここに遺伝情報の複製や翻訳が始まった。 

≪046≫  それにしても、これらそれぞれの化学物質自体は生きてはいないのに、それらが組み合わさるとなぜ生命が宿るということになっていったということは、いくら考えても瞠目させられる。また、いつまでも謎がのこる。初めに代謝システムが作動して、あとでそこに複製能力が獲得されたのだろうか。それともその逆なのか。このことはなかなか結論が得がたいことだった。 

≪047≫  もしも前者のようになっているのなら、細胞のような「内と外」を分けた小さな閉じた場に原始的な代謝系があることになり、それがやがて複製能力を獲得してなんらかの情報伝達分子を細胞の中に組み入れたことになる。 

≪048≫  一方、もしも後者のようになっているのなら、RNAのような複製能力を備えた分子が複製を助けるためにエネルギー系を利用できるようになって、そののちに細胞のようなもの(生体膜をもったしくみ)がその活動を内側化したということになる。 

≪050≫  タンパク質が先立ったという説は、いまでは「プロテインワールド仮説」というものになっている。 

≪051≫  タンパク質が当初に活動して、そのあとにタンパク質に備わっていた情報が(情報を失わないための機構が)、RNAやDNAに伝えられたという説だ。この説を支持するのは、タンパク質が生命反応のあらゆる触媒を担っているということ、すなわち代謝系はタンパク質そのものの動向だという見方だ。 

≪052≫  しかし「タンパク質が先か、核酸が先か」という決め手を、生命誕生の最初の光景から再現するのは、残念ながらほぼ不可能である。せいぜい化石生命を探し出すしかないのだが、なかなか決定打にめぐまれない。それでも手掛かりはある。 

≪053≫  本書はその経緯も詳細につまびらかにしているのだが、現在、地球最古の「化石生命」はグリーンランドのイスアのリン灰石から発見されたことになっている。38億5000万年前のものだった。炭素の同位体がごく微量ずつ含まれていて、その比率がその後の生物の比率とかなり近かったので話題になったのだが、しかしそれをもって生命の起源とは証しえなかった。 

≪054≫  次に古い化石生命は古生物学者ウィリアム・ショップが約35億年前の瑪瑙状の岩石から見つけたもので、フィラメントのような最初期生命体のかたちをしていた。それでもこれらだけから最初の生命体のふるまいを想像するのは不可能だった。 

≪055≫  そこに新たな展望の可能性が見えてきた。1980年代の初めの潜水探査艇アルビンの発見にもとづいて、海洋学者ジョン・バロスは地球生命の起源は海底の熱水噴射孔にあったのではないかと仮説したところ、一挙にこの仮説を裏付ける推測が次々に提出されたのである。 

≪056≫  熱水噴射孔は海底火山の活動によってできたもので、何千キロにわたる海溝に沿って岩に囲まれた孔があいていて、そこから無機物を豊富に含む高温の液体が噴出する。 

≪057≫  そうした熱水噴射孔(ブラックスモーカーという徒名がついている)の付近には、生命進化の地にふさわしい化学物質が熱水とともに噴き出ていた。硫化水素・メタン・アンモニアなどだ。そんなところに誕生していた生命体は、のちの研究では大半が「古細菌」で、そのうちの好熱菌であることも見えてきた。摂氏100度ほどの高温を好んだ生命体だ。 

≪058≫  ドイツのギュンター・ヴェヒタースホイザーはそれらを「パイオニア生命」と名付け、高熱高圧の「硫化鉄ワールド」が生命生誕のエデンであったろうと主張した。 

≪059≫  噴射孔から熱水が吹き出すにつれ、しだいに鉄・硫黄・ニッケルなどを含む鉱物が堆積し、それらが炭素含有分子をとらえて化学反応を生じさせ、まずは炭素原子を解放して、ついでそれらを結合させ、もっと複雑な炭素連鎖の豊富な分子になっていったのではないかというのだ。とくに黄鉄鉱(パイライト)ができてくると、初期生命体の元素と化学反応をおこすためのエネルギーが揃い、必要かつ十分な条件が整ったという。  

≪060≫  鉱物の表面で生命が誕生したのではないかという考え方は、ケアンズ=スミス(1621夜)が発表していたものだった。すでに千夜千冊したが、ぼくはかつてケアンズ=スミスの『遺伝的乗っ取り;生命の鉱物起源説』(紀伊国屋書店)を読んで、生命は粘土や珪酸塩鉱物の結晶の中か黄鉄鉱のような平べったい鉱物の表面に「マザープログラムが印字されるように付着した」という仮説に、大いに心を動かされたものだった。  

≪061≫  ケアンズ=スミスはその後『生物の起源を解く七つの謎』(岩波書店)で、次の7つの謎を解くことが生命起源説の基本になるだろうとも書いた。 

≪062≫  
①生命の共通起源はどこかから飛来したのではなく、地球上で生まれた。
②その地球生命は自然選択によって進化した。
③共通祖先がもつ機能はまだ相互依存的な複雑さをもっていなかった。
④複雑さは「遺伝的乗っ取り」によって生まれた。
⑤したがって、共通祖先は現在の生物とは異なる材料でできていた。
⑥すなわちもともとローテクの初期生命が進化して、その後の生化学的成分をつくれるようになったのではないか。
⑦おそらくは二酸化炭素がそもそもの炭素源であったはずである。 

≪063≫  一方、ニック・レーンはこう書いた。「全生物の共通祖先は独立した生活を営む一個の細胞ではなく、無機物のミクロな小部屋が迷路のように入り組んだ岩石だったにちがいない。そのまわりを囲んで鉄。硫黄、ニッケルなどの壁が触媒としてはたらいて、自然に生じたプロトン濃度勾配を利用してエネルギーを得たのであろう」と。 

≪064≫  レーンの言うとおりだとすると、最初の生命は、タンパク質とDNAが生成されるまでは、多孔質の岩石として有機分子とエネルギーを生み出していたということになる。 

≪065≫  ウィリアム・マーティンとマイケル・ラッセルが2002年と2007年に出した仮説は、もうすこし大胆なものだった。熱水噴射孔によって条件が揃っていたとするのなら、その近辺の硫化第一鉄の中に細胞ができていたはずだというのだ。 

≪066≫  そうだとすると、有機分子はこの段階で「前生物学的な合成」を試みていたということになる。これは「RNAワールドが先行していた」という仮説を裏付けるものとなる。 

≪067≫  この仮説は、ごく初期にRNAが一人二役をやっていたのではないかというもので、情報を保存して次世代に継承するDNAの役割と、化学反応を触媒するタンパク質の役割とを、初期のRNAが担っていたというふうに見る。ということは、初期の生命体はRNAが基礎になっていて、それがいつしかDNAにとって代わられたということになる。RNAを鋳型にしてDNAが生まれたのだが、そのうち主人公の座をDNAが担ったのである。 

≪068≫  こういう仮説が有力になってきたのは、1981年にトーマス・チェックが触媒作用をもつRNAであるリボザイムを発見したことが大きかった。 しかし、RNAワールドがどのように先行していたかをうまく説明するのは、なかなか難しかった。RNAは複雑で大型の分子なので壊れやすく、水かぶつかればそれだけで核酸のポリマーの結合が断たれてしまうからである。 

≪069≫  カール・ウーズはその「水の問題」を説明するため、別のシナリオを考えた。地球が現在のような層的な構造(核・マントル・地殻)になる以前に、すでに前駆的な生命が生まれていたというものだ。 金属としての鉄が地表に大量にあって、それが水蒸気や少量の液体状の水と作用しあっていくと、当時の地球は二酸化炭素と水素が充満する大気に包まれたはずだ。このとき水素がものを言ったのではないかというのだ。 

≪070≫  惑星が小さめのものであれば(地球・火星・金星など)、軽量な水素はすぐに宇宙空間に逃げていくのだが、当時の地球が巨大ガス惑星状態になっていたとすれば、別のシナリオが進行したにちがいない。 たとえば、地球は塵粒子の靄や水蒸気に包まれていたはずだから、そこに大小さまざまな隕石などの衝撃を受けているうちに、水蒸気が大気の上層に雲をつくり、その小滴を巧みに細胞の原型にしていくチャンスがあったのではないか。このとき水素が周囲にあふれていたので、最初の原始生物候補が炭素源として二酸化炭素を利用したうえで、メタンを生成したのではないか。このブロセスのどこかでメタン生成回路を活用する細胞が登場したのではないかというのである。 

≪072≫  困難だとみなされてきたRNAの先行形成について、最も新しい仮説を提出したのは本書の共著者であるカーシュヴィンクとスティーブ・ベナーだった。 RNA形成にはいくつものステップごとに異なる化学作用がおこったと考えられている。なかで、水との衝突の回避をどうしたかということと、リボースをどうやって生成したかという説明がけっこう難しかった。 

≪073≫  リボースはRNAの炭水化物性としての糖成分を担う。リボースの生成がうまくいかないと、RNAはつくれない。それには炭水化物がどうつくれたかではなく、炭水化物を無秩序につくられすぎることを回避する仕組みがなければならない。無秩序な生成が続くとべとべとのコールタールのようになってしまうからだ。 

≪074≫  ベナーとカーシュヴィンクは、RNAがコールタールになってしまわない仕組みがカルシウムイオンと硼酸塩イオンの反応によることを発見した。二つのイオンの結合でできるコールマナイトやウレキサイトなどの鉱物性物質は酸化モリブデンなどを触媒にすると、著しい生理活性化の作用を発揮するのである。 

≪075≫  そこで二人が、このような作用がおこりやすい地球環境がどんなものでありうるかを調べたところ、37億年前の地球でこの条件を満たすのは、唯一、砂漠のようなところしかないだろうということになった。硼酸鉱物からリボースをつくるにはここしかないことがわかったのだ。 

≪076≫  こうして37億年前以前の地球の砂漠条件が検討され、一連の衝突クレーターのようなところがあったならば、そこにRNAのためのリボース生成がおこっただろうという仮説ができあがっていった。 

≪077≫  しかしさらに検討してみると、37億年前以前や42億年以前には、そんな衝突クレーターがあるとは想定できないだろうことが見えてきた。それなら、いつどのようにしてRNAっぽいものは、どこでできたのか。 ウォードとカーシュヴィンクはほぼ同時に、「それは火星などの惑星空間からやってき条件だったのではないか」と閃いた。 

≪078≫  ぼくはここまで読んできて、なんだ、本書にしてやっぱり「パンスペルミア仮説」なのかよと思ったものだ。この仮説は何度も登場しては葬りさられてきたものなのだ。 ながらく生命の起源の種子ともいうべき「種」(スペルミア)が、宇宙を飛来する隕石とともに地球にやってきたのではないかという説が唱えられてきた。汎スペルミア説(panspermea)という。 

≪079≫  とくに決定的だったのは、スウェーデンのスヴアンテ・アレニウスが1908年の『世界のなりたち』で、起源生命は隕石に付着せずとも、恒星からの光の圧力(放射圧・光圧)で宇宙空間を移動できる可能性があるとして、光パンスペルミアの可能性を唱えたことだった。 

≪080≫  フレッド・ホイルも「生命の種子は彗星に乗ってやってきた」という説を唱えた。ぼくはいっときホイルの定常宇宙論をおもしろがっていたので、この彗星母体説にはわくわくしたものだ。 その後、フランシス・クリックとレスリー・オーゲルが地球誕生以前の知的生命体を想定して、これが地球に種蒔きをしたという「意図的パンスペルミア」説を出した。 

≪081≫  トンデモ仮説のようでにわかに信じがたいのだが、クリックは二つの証拠をあげた。ひとつには、現在の地球生物にはモリブデンが必須微量元素になっているが、地球の組成はクロムとニッケルが多い。これはモリブデンが豊かな星で生命が誕生したことを暗示するというもの、もうひとつは地球生物の遺伝暗号が驚くほどに共通した仕組みになっているのは、「たったひとつの種」が撒かれたからだというものだ。 

≪082≫  パンスペルミア説の難点は、宇宙空間を移動するあいだに生命種子が摩滅するか損傷するだろうというところにあった。飛来中に宇宙線で壊されてしまうだろうというのだ。 

≪083≫  この危惧は払拭された。1980年代になって生命種子の芽胞が岩石のようなものの中に入っているかぎり、宇宙線から守られる可能性があることが実証されたのだ。 

≪084≫  これで「リソ(岩石)パンスペルミア」説が浮上した。2015年にはロシアのチームが隕石に守られた微生物が惑星間突入プロセスを生き残り、のみならず成長すら開始できるという実験を公表した。これはサーモアネロバクター・シデロフィラスという耐熱性極限環境生物で、ロシアのカリムスキー火山の付近で発見された。 

≪085≫  日本でも東京薬科大学の山岸明彦をリーダーとした「たんぽぽ計画」が、国際宇宙ステーションのきぼう実験棟の船外に設置したエアロゲル(超低密度シリカゲル)で、宇宙空間に漂う微小物を捕集して、そこに有機化合物があるかを追っかけている。 

≪090≫  21世紀になってジャック・ショスタクらの研究によって、最古の情報伝達分子はRNAだったろうという可能性が強まってきた。RNAワールド仮説の復活だ。 研究のポイントは、溶液中のヌクレオチドを結合させてRNA鎖をつくるプロセスで、ヌクレオチドが30個ほどつながると、RNAが複製を始め、まったく新たな性質を帯びて触媒機能を発揮することがわかったことにあった(ショスタクは2007年にノーベル生理学賞)。 

≪091≫  地球上でヌクレオチドが30個以上のRNA鎖になるには、土台になる粘土のようなものが必要である。 調べてみると、モンモリロナイトという粘土鉱物が土台にふさわしいことが見えてきた。液体中を漂っていた単体のヌクレオチドがモンモリロナイトにぶつかると、ヌクレオチドは粘土とゆるやかに結合してその場にフィックスされ、やがて30個近い鎖を形成したというのだ。 

≪092≫  このとき、もしも長いRNA鎖が何本も集まったものができて、それが脂質に富んだ液泡のようなものに取り込まれるということがおこったとしたら、それこそは原始細胞の誕生だったかもしれなかったのだ。この仮説はけっこう有力な展望をもちそうだった。 

≪093≫  生命が活動するための二つの機能とは、(A)細胞が自己複製できるようになる機能をもつことと、(B)生命活動に必要な情報伝達機能と触媒機能を兼ね備えた分子が登場すること、にある。とくに触媒が始まれば、その作用によって環境に変化が生じて、それまでおこらなかったこと、すなわち自分で部品をつくりだすということがおこる。 

≪094≫  おそらくこれらをRNAが担ったのだ。RNAをつくる部品が細胞内に次々に持ち込まれれば、RNAの触媒作用によってさらにRNAをつくることができる。従来は細胞誕生のシナリオと情報伝達分子誕生のシナリオは別々のプロセスで追求されてきたのだが、そうではなかったのだ。これらはRNAにおいて一緒におこったとおぼしい。 

≪095≫  本書はこう書いている。「これまで、裸のRNA分子がヌクレオチドのスープの中を漂って、自身で複製を繰り返したと考えられてきた。どうやら、そうではないようだ。RNAと細胞はつながったユニットとして誕生してきたようなのだ。脂質でできた二重の生体膜の中に小さなRNAヌクレオチドが入って、脂質とヌクレオチドをさらに取り込んで成長したのであろう」。 

≪096≫  劇的な生命進化がおこっていったのは、まさにこの瞬間だったのである。 この瞬間に生まれたものは、RNAとタンパク質の生物、RNAとDNAの生物、DNAとRNAとタンパク質の生物、RNAウィルス、脂質の原始細胞、タンパク質の原始細胞など、いろいろのものだったはずである。オプションは多かったはずだ。しかしながら、そこに選択がおこり、ダーウィン境界ができて、生命は、われわれが知るあの進化のドラマを演じていくことになったのだ。 

≪097≫  本書はこのあと、大進化のドラマを詳細に展開していく。酸素が地球を覆い、スノーボールアースが誕生して生命群が驚き、20億年前からは10億年ほどをかけてミトコンドリアを取り込んだのだ。  

≪098≫  この流れのなか、酸素濃度がつねに重大なパラメーターになっていたことを本書は強調する。ストラトマイトが出現し、黒くて螺旋状の紐のようなグリバニアや、古生代カンブリア紀を代表する黒丸放射生物としか呼べないようなアクリタークが、それぞれ形態変化をおこっていったのだが、それらがだんだん複雑になっていったのは、何度かのスノーボール現象のせいだった。 

≪099≫  こうして6億3500万年前あたりで、最後の氷結がおわると、エディアカラ紀が始まって、かの渦巻く鞭毛藻類たちが活動していった。 ここから先、どのようにカンブリア爆発がおこって生物の圧倒的多様性が撒き散らされ、それでオルドビス紀やデボン紀の動物多様性が生じたにもかかわらず、3億5000万年前の節足動物の登場をもって、地球は酸素欠乏と硫化水素の増大をおこして、ついには三畳紀の爆発と恐竜の繁栄がなぜおこったか云々といったことは、もはや今夜は省略させてもらうことにする。 

≪0100≫  ともかくも、本書は21世紀の「見えない知」の再発見をどうしたら把握できるかということを示した暫定名著だった。
人工知能で「既知」に挑む前に、このような一冊から「未知」を思い描いておくべきだ。 

≪01≫  ポール・フォーコウスキーは海洋生物学者だ。黒海に行って、水深150メートルで光合成をする微生物を調査した。光合成をする微生物は太陽光のエネルギーを用いて新しい細胞をつくる。海の中では植物プランクトンがそれをして、酸素を放出する。 

≪02≫  あるとき、植物プランクトンを感知するための特殊な蛍光光度計が奇妙な信号をキャッチした。光度計は酸素がない深さを調査していたので、その信号を送った生物は海の上のほうにいる植物プランクトンではなかった。信号はどこから届いたのだろうか。どうも海底に近い。いろいろ調査してみて、フォーコウスキーはこの生物が「地球に酸素ができる前にいたであろう生物」と同じものだろうと推理した。緑色硫黄細菌だったのである。 

≪03≫  緑色硫黄細菌は嫌気性の細菌(bacteria)である。ということはシアノバクテリア(藍藻)のようには酸素を発生しない光合成をする細菌で、もっぱら海中に生息する。 

≪04≫  ふつう細菌は光合成をしない。ところが緑色硫黄細菌や紅色硫黄細菌は硫化水素などの硫黄イオンをつかって光合成をする。ただし酸素があると死ぬ。かなり風変わりなのである。ブラックスモーカーの近くで見つかったこともある。 

≪05≫  この細菌は太陽からのエネルギーによって硫化水素を分解し、水素をつかって有機物をつくる。そういう細胞がある。snグリセルロース3リン酸の脂肪酸エステルによる細胞膜(生体膜)ももっている。細胞があって細胞膜があるということは、生命史上における最初の独立生物のひとつなのである。光の強度がかなり低くても生きられるが、ほんのわずかな酸素にも耐えられない。 

≪06≫  つまりは、地球の大気に酸素を放出してくれた、あのシアノバクテリア型の貢献的な連中ではなかったのである。それにもかかわらず緑色硫黄細菌は本書の随所でフォーコウスキーが書いているように、生命史のあらゆるところで活躍をすることになる微生物となった。生物分類上は真性細菌に属する。 

≪07≫  1カ月ほどして黒海からイスタンブールに戻ったフォーコウスキーは、街のそこかしこで売っているトルコ絨毯のあれこれに目を見張った。 

≪08≫  商人が自慢した絨毯はノアの方舟の絵柄を織っていた。アララト山に方舟が乗り上げた図柄で、そこに生き物たちと人間が描かれている。この物語は、神が人間に生き物の管理を委ねたという物語である。フォーコウスキーは、方舟の物語には微生物のようなものがまったく勘定に入っていないことを、神話や宗教には「人間の等身大から見えるものたち」しか語られてこなかったことを、あらためて感じていた。 

≪09≫  本書の原題は『生命のエンジン』(Life's Enginens)である。このタイトルのほうがずっといいが、邦題は『微生物が地球をつくった』になった。中身はたしかにそういう内容も少なくないのだが、地球をつくったというよりも、やはり生命のエンジン(ナノマシン)をつくった微生物の姿を見せることが本書の役割だ。 フォーコウスキーは微生物の視点から生命体にひそむ数々のナノマシンを取り出して、みごとな説明を加えた。 

≪010≫  微生物(microorganism)とはかなり妙なものである。分類用語ではないが、マイクロオーガニズムという名は好ましい。小さな女の子、掌上玩具、五分の魂をもつ一寸の虫たち‥‥と言っているようなものだ。 

≪011≫  細菌、菌類、ウィルス、アメーバ、ゾウリムシ、病原菌、カビ、酵母、酵素、みんな微生物なのである。いずれも0・1ミリにも達しない。 

≪012≫  しかし、この極小の生命体こそが極大の地球と生態系と文明系を制してきた。この小さきものこそが生命現象の大半のミドルウェアとソフトウェアを変化させてきた。本書は21世紀のノアの方舟の乗組員を見届ける一冊だった。 

≪013≫  文字通りには「進化」(evolution)という言葉は「繰り広げる」という意味をもっていた。しかし、繰り広げられたもののすべてなど、神も聖書作家も、ギリシア哲学者もダーウィンも確認できるわけではない。そのためわれわれには「見えるもの」に価値をおくというバイアスがかかっている。 

≪014≫  21世紀のノアの方舟のそこかしこには、かなり見えない乗組員が乗っている。 

≪015≫  フォーコウスキーは書く。「科学は視線の中にパターンを見つけるための技能を磨いてきた」「しかし、われわれは自分の知覚に頼りすぎてもきた」「パターンが見いだせなければ、そこには現象も真理もないのである」「微生物を文字通りにも比喩的にも見逃すことによって、われわれの進化の見方は長いあいだ歪められてきたのである」と。 

≪016≫  いまではすべての生物が「真性細菌」(bacteria)、「古細菌」(archaea)、「真核生物」(eucarya)という3つのドメインのいずれかに帰属することがわかっている。われわれヒトは真核生物である。 

≪017≫  この分け方は、1977年にイリノイ大学の生化学者で遺伝学者のカール・ウーズとジョージ・フォックスが、すべての生物は細胞小器官のリボソーム(ribosome)をもとに派生分布していることをあきらかにしたことから確立した見方だ。この見方がいい。このことをいいかえれば、リボソームは細胞の中でタンパク質を合成している部処だから、すべての生物はタンパク質合成機構の歴史にもとづく生命ネットワークでつながっているということでもあった。 

≪018≫  リボソームはタンパク質とリボ核酸(つまりRNA)でてきている。これ自体が複雑精緻なナノマシンといえる。 ウーズとフォックスは細菌5種、メタンガスを生み出す微生物4種、酵母、ウキクサなどの小型植物、マウスといった12種類の生物細胞を選び、そのリボソームでのRNA配列を求めたのだった。ぼくが「遊」にのりまくっているときのニュースだった。  

≪019≫  微生物は「地球最古の自己複製する生物」である。それにもかかわらず最後の最後になって発見された生物だった。 なぜ遅れたのか。その姿がちっとも見えなかったからだ。当然、正体も掴めなかった。姿が見えてくるには17世紀の顕微鏡の発達から20世紀末のシーケンサー(DNA配列決定装置)までの、観察機器と光学装置とそのコンピュータ化による解析システムをめぐる長きにわたるイノベーションが必要だった。  

≪020≫  1625年、ガリレオが製作したレンズ装置に「ミクロスコピオ」という名前が付いた。40年後、ロバート・フックが英国王立協会の庇護のもと『ミクログラフィア』を刊行して、57点の版画によってノミの体つき、アリの目玉、タイムの趣旨、カイメンの内部、カビの姿、植物の部分などを世に問うた。フックはニンジンやゴボウなどの植物の部分に小部屋があることを発見して、これを「セル」(cell)と名付けた。 

≪021≫  フックの『ミクログラフィア』は手にしてみると、やっぱり感動的だ。バロック科学の確立を思わせる。ぼくにはこれまで何十冊、何百冊もの美少女や白晢の紳士や妖しい熟女や仙人や魔女めいた老女にびっくりさせられたような本との出会いがあるが、パリの古書店で見た『ミクログラフィア』の18世紀本もその記念物のひとつに入る。邦訳本もかなり前から出ていた。いまは仮説社という版元が板倉聖宣らの翻訳によるものを復刻している。 

≪022≫  フックの顕微鏡は2枚レンズ型の複式顕微鏡で、ロンドンの腕っこきの器具職人クリストファー・コックが作った。たちまち話題になった。それから7年後の1671年、オランダのデルフトの頑固な織物職人アントニー・ファン・レーウェンフックが新たな顕微鏡を作った。  

≪023≫  2枚のレンズではなく、過熱したガラス棒を引き伸ばして糸状にしてその先端をガラス球にしたもので、視野は狭いがやたらに微小なものが見えた。舌を見ると味蕾があった。歯を見ると何か不気味なものがいる。朝起きて熱いコーヒーを飲むと、昨夜に見た口内の変な生きものは死んでいた。濁った水には小さな生物がうようよ泳ぎまわっていた。 

≪024≫  レーウェンフックはこれらを「アニマルキュール」(微小動物)と名付けた。博物学時代の夜明けを告げるにふさわしいすばらしい命名だ。ノアの方舟以来初めて、ここに「見えていなかったものたち」としての微生物が確認されたのである。 

≪025≫  レーウェンフックは著作物などは書かなかったが、90歳に及んだ日々のなかで500台ほどの顕微鏡を製作した。売りはしなかった。みんなあげたり貸したりした。観察するときは器具を立てて目の前にもち、太陽や蝋燭の光で対象を照らせばよかった。約300倍に見えた。一貫して職人気質だったレーウェンフックはのちに「微生物の父」と呼ばれた。 

≪026≫  アニマルキュールを本格的に学問の俎上にのせたのはフェルディナンド・ユリウス・コーンとロベルト・コッホである。 プロイセンに生まれたコーンは神童だったらしく、ブレスラウ大学とベルリン大学を行ったり来たりして植物学者として活躍した。職人プレスルが製作した光学顕微鏡を駆使して細胞や藻類を覗き、遺伝的変異株の分離に成功した。コーンは大きな展望をもっていたようだ。地球が化学的な自生力に満ちているだろうとみなしていたのだ。 

≪027≫  そのコーンのもとにお伺いをたてにきたのが、炭疽病の原因を調べようとしていたコッホである。コッホは助手のペトリとともにコーンの助言によって微生物による発症例を次々に観察研究し、炭疽菌、コレラ菌、結核菌を同定した(ペトリはのちにヘトリ皿で知られる)。 

≪028≫  こうして、感染症の多くが病原菌という微生物によってもたらされているだろうことが予想されるようになった。しかしこれで「微生物学」が確立したわけではなかった。ペトリ皿はあくまで人為的な実験室なのである。微生物がどのように生態系のなかで生きているのか、このあとの微生物をめぐる探求は一方で地球大に広がるとともに、他方でさらにミクロの極限に至ることになる。 

≪029≫  化学元素は陽子の個数で決まる。同位体は陽子数は同じだが、中性子の数が多かったり少なかったりする。中性子は電荷はないが、原子核の接着剤の役割をして、正電荷の陽子がばらばらにならないようにする。  

≪030≫  どの元素にもいくつかの同位体がある。炭素は陽子が6個だが、同位体は陽子が6、中性子が6になる。原子核を構成する粒子が合計12個なので、これを炭素12という。同位体には中性子が7個(炭素13)、8個(炭素14)のものもある。炭素13は安定しているが、炭素14は放射性で、中性子の1個がベータ崩壊して陽子になって窒素14になる。  

≪031≫  ベータ粒子の放出は正確に検出できるので、これを使って対象試料に炭素14がどれだけ含まれていたかを測定することができる。炭素14の半減期はおよそ5700年で、これは5700年たつと或る集団中の炭素14原子のうちの半分が窒素14になるということをあらわす。 

≪032≫  しかし何万年もたつとそんな炭素14でもほとんど崩壊してしまう。石炭や石油は何千万年も前の産物だから、炭素14では時代は測定できない。こういうときはウランの同位体のように半減期が何億年もあるものをつかう。 

≪033≫  1953年、カリフォルニア工科大学にいた31歳のクレア・パターソンは、ディアブロキャニオンのクレーター跡で見つかった隕石の中の鉛の同位体を測定した。ウランの2種類の同位体が崩壊してできたものだということがわかった。このとき、地球の年齢が約45億5000万年前にさかのぼりうることが見えたのである。 

≪034≫  この測定は注目された。それなら生命はどうか。生命はこの45億年以上の地球誕生の壮大なプロセスの、いったいどこで誕生していたのか、大いに関心が集まった。 

≪035≫  そのうちグリーンランド南西部のイスアの黒鉛の鉱脈から有機物の化石が見つかった(イスアは地球学や化石学や微生物学の聖地だ)。炭素12を豊富に含んだ有機的化石だった。光合成がおこっていただろうと推測された。やがて38億年前の海で光合成をする微生物がいただろうことが確信できた。  

≪036≫  オーストラリア西部のストレリー・プール層でも34億年前の微生物の証拠が見つかった。脂質をもった分子化石だ。脂質があるということはこの分子化石の往時に生体膜(細胞膜)がつくられたであろと推理された。 

≪037≫  細胞の中でタンパク質をつくっているのは、細胞質の中にあるリボソームである。これが本書の主人公のひとつだ。リボソームは何十億年前かの微生物の中で進化した。 

≪038≫  リボソームは伝令(メッセンジャー)となる分子を介してDNA配列から情報をとりこむ極微の装置である。伝令は遺伝子の鏡像関係をもっていて、相補的なパターン・フォーメーションをもたらしている。このパターン・フォーメーションがタンパク質をつくる配列の鋳型(雛型)になる。 

≪039≫  DNAの相補的なパターンを担うのは、伝令者であるメッセンジャーRNA(伝令RNA=mRNA)である。メッセンジャーRNAにある情報は、どのアミノ酸をどの順番につなげればいいかをリボソームに教える。それで得られるアミノ酸の鎖は、細胞が機能したり修復したり、自らをふやしたりするのに必要なタンパク質となる。  

≪040≫  細胞の基本的な部品はすべてタンパク質か、部品形成にあたってくれるタンパク質に頼るか、そのいずれかによっている。リボソームもそうやってできた。しかし直径わずか20~25ナノメートルのリボソームは、電子顕微鏡をつかってもなかなか見えてはこない。ロックフェラー研究所のルーマニア出身のジョージ・バラーデがこの難関にとりくんだ。 


≪041≫  タンパク質工場としてのリボソームは、1個のタンパク質だけでできているわけではなく、タンパク質だけであるわけでもない。もっとうんと複雑な構造物である。原核生物にある最も単純なリボソームですら、RNA分子だけでなく2つの部分にまとまる60ほどのタンパク質によっている。  

≪042≫  リボソームの2つの主要部分は、2枚の歯車に似た相互作用をする。アミノ酸がトランスファーRNA(tRNA)によってリボソームに輸送されると、メッセンジャーRNAが1本のスパゲッティのようにリボソームに送りこまれ、2つのタンパク質による部分マシンが前後に動き、すでにつなげてあったアミノ酸の鎖に適切なアミノ酸を新たにつなげて、立体的な構造のタンパク質を合成していくというふうになる。 

≪043≫  リボソームは遺伝子の情報をいわば「型抜き」していくのだ。mRNAの情報をタンパク質に変換しているのがリボソームであり、リボソームでmRNAとtRNAとアミノ酸が出会うわけである。そのしくみは、小さいサブユニットがmRNAのコドンとtRNAのアンチコドンを引き合わせ、大サブユニットがアミノ酸とポリペプチドを結合するようになっている。これが「型抜き」だ。 

≪044≫  生体分子はいろいろな化学結合をおこすけれど、その結合はほぼ高エネルギー化合物(high-energy compound)をめざす。その場合はリン酸無水結合がエネルギーのもとになる。 

≪045≫  そうした生体で使えるエネルギーの通貨はATP(アデノシン3リン酸)という分子のかっこうをとる。核酸分子1個と糖と3個のリン酸基がつながっているのがATPだ。  

≪046≫  生体反応が進むと、これらが切れてATPはADP(アデノシン2リン酸)とリン酸になる。この「切れ」で化学的エネルギーが生じ、これが多くの反応や生体反応のさまざまな目的に使われる。タンパク質の合成、運動エネルギーの捻出、陽子・ナトリウムイオン・カリウムイオン・塩基イオンなどを細胞膜を通しての押し込み、形態の変化などが進む。 

≪047≫  生体反応がATPをエネルギー通貨にしているということは、すぐにはわからなかった。 パスツールが微生物が酸素のないところでブドウ糖をエネルギー源にしていることを発見して以来、小さな分子のリン酸基によってATPが機能しているのではないかと考えられたのだが、これだけでは数が合わなかった。 

≪048≫  1950年代、ケンブリッジ大学にいたピーター・ミッチェルはイオンが膜を越えて輸送されるのはどうしてかということを考えていた。微生物ではATPがイオン分子を細胞の内外に膜を通して輸送していた。ミッチェルはATPは消費されているだけではなく作られているものだと推理した。 

≪049≫  やがてミッチェルの弟子のリヒャルト・アルトマンがミトコンドリアを発見し(1177夜・1499夜参照)、その内部には膜のネットワークがあって、膜の一方の側には他方の側よりも多くの陽子があることに気がついた。陽子の濃度が高いほうから低いほうへ移動するとATPができていたのである。ミッチェルはこのプロセスを「化学浸透」と呼んだ。 

≪050≫  60年代に入ると、同じような化学浸透とおぼしい現象が葉緑体(chloroplast)にもあることが発見された。葉緑体を暗い中で中性の溶液に移してみると陽子が中から出てきてATPができていったのである。コーネル大学のアンドレ・ヤーゲンドルフの際立つ発見だった。 

≪051≫  膜と陽子の関係がつくりだすATPのしくみは、生命が電気的勾配を用いてエネルギーを生成し、生命はエネルギーを使って電気的勾配を生み出しているということを意味していた。ということはありていにいえば、どんな生物もすべからく電気発生装置体だったのである。 

≪052≫  フォーコウスキーはこれこそが微生物がつくりだした超小型の生体モーターであって、そのエンジンは共役因子を巧みにつかっているリバース・エンジニアリングのしくみによって確立されていると見た。 

≪053≫  そこには極小のメリーゴーラウンドのような仕掛けがあった。膜を貫通するタンパク質のシャフトがあって、このシャフトは片方の大きめのタンパク質のヘッドグループ(頭部基)に挿入されている。膜のもう一方の側にある陽子は膜を横断するシャフトに結び付き、それに沿って動く。そのプロセスで陽子の流れがシャフトを回転させると、それがもっと大きなタンパク質(メリーゴーラウンドの台座にあたる)を動かし、これがADPとリン酸とを結合させるのだ。 

≪054≫  台が振動し、シャフトが120度ほど開店するごとにADPの分子ができて、細胞にエネルギー通貨として放出されるわけである。これが微生物がつくりだしたリバース・エンジニアリングだった。 

≪055≫  フォーコウスキーは書く。「ATPは自然のどこにでも見られる。植物の根にも葉にも、動物の筋肉や神経の活動にも及んでいる。ATPはすべての生物の生死にかかわるものであり、膜に依存するので、すべての生物は細胞膜をまたぐ電気勾配を維持しつづける。そこに共役因子によるリバース・エンジニアリングがおこっている」。 

≪056≫  微生物のなかには少数派もいれば多数派もいる。なかで、藍藻類は「微生物革命的多数派」と呼ばれるべきものだった。このぶっとんだネーミングはカリフォルニア工科大学でフォーコウスキーの共同研究のパートナーとなったジョー・カーシュヴィンクによるものだ。 

≪057≫  この藍藻類は別名「酸素発生光合成装置」の異名をとるシアノバクテリアという微生物である。地球の中でたった一度だけ進化して驚くべき装置をつくったシアノバクテリアは、二つの異なる光合成の反応中心をもった。 

≪058≫  一方の反応中心は紅色非硫黄光合成細菌と密接な関係をもつ細菌によってできていて、この細菌は太陽エネルギーを使った水の分解ができないため、酸素をつくらない。そのかわり水素ガスを分解して陽子と電子に分け、そのあとに糖をつくる。他方の反応中心は光合成緑色硫黄細菌によるもので、フォーコウスキーが黒海で収集研究していたものだ。先にのべたように、この細菌は水を分解せず酸素を生じさせないが、硫化水素を分解する。 

≪059≫  紅色非硫黄光合成細菌と光合成緑色硫黄細菌は酸素に過敏で、酸素にさらされると光合成の能力を失う。 そんな二つの細菌がどうして一つの生物シアノバクテリアになったのか、いまだ謎の細部は解けていないけれど、おそらくは微生物たちが相互作用をおこすうちに一連の遺伝子交換をおこしたのだろうと仮説されている。ともかくも二つは一緒になったのだ。まさに劇的なコンティンジェンシー(別様の可能性)を求めたのだ。 

≪060≫  そのうち4つのマンガン原子を含むタンパク質が紅色細菌から分化した反応中心に加わると、ここに水を分解する反応中心が形成されて、さらにそこに葉緑体を進化させたのである。もうひとつの緑色細菌から分化した反応中心も変化した。 

≪061≫  かくて27億年前のどこかで、シアノバクテリアは光合成のしくみを完成させて、酸素を放出する驚くべき生物「酸素発生光合成装置」となっていった。たった一度の革命的な進化だった。こうした「微生物革命的多数派」たちが海底深くで活躍するには、ざっと150くらいの遺伝子が関与しただろうと想定されている。 

≪062≫  シアノバクテリアはその後19億年前がすぎると、いまなお西オーストリアのハメリンプールに見られるようなストロマトライト(stromatolite)として群生していった。 

≪063≫  ところで、ここまでの説明には実はまだまだたいした仮説力を必要としない。まあ、微生物が画期的な生命活力を生み出すナノマシンになるための大前提になる話だった。しかしここから本書でフォーコウスキーが繰り出したシナリオこそ、ぼくが痺れていったものなのだ。 

≪064≫  それは、地球の大気に酸素を豊富にさせるには、酸素放出微生物たちが大量に死んでいかなければならなかったということだ。それこそが「大酸化事変」ともいうべき事変だった。 

≪065≫  自然に生じる有機分子のなかで、最も地球に豊富にたまっているものはホパノイド(hopanoids)というものである。 原核生物(prokaryote)は一種のコレステロールに近いホパノイドという一群の分子をつくり、膜を形成する。原核生物が死ぬと、膜にあったこのホパノイドが岩石に吸収されていって、何十億年も保存される。ホバノイドは地球にたまった最も豊富な有機分子なのだ。 

≪066≫  シアノバクテリアはきわめて特徴的なホパノイドをつくっていたともくされてきた。しかしなかなか証拠が見つからない。それが1999年、MITのロジャー・サモンズが西オーストラリアのピルバラ大陸塊の頁岩の中にホパノイドを発見した。シアノバクテリア由来のホパノイドだった。おそらく27億年前のものだ。これで、いろいろなことが見えてきた。ホパノイドは海底や火山などの極端な地球環境のなかで、生命(生命のナノマシン)が発生するための可能性を用意していたのである。 

≪067≫  自然界には安定した硫黄の同位体が4種類ある。硫黄の軽いほうの同位体は重いほうのものより振動数が速く、隣の原子と衝突する頻度が高い。 

≪068≫  2000年、ジェームズ・ファークァー、フイミン・ボー、マーク・シーメンスの3人が同位体量を精密に測定できる質量分析器を使って、堆積岩の中の硫黄の同位体にはきわめて変わったパターンが見られることを示した。オーストラリアのシアノバクテリア由来のホパノイドを含む岩石では同位体構成はかなりでたらめなのに、24億年前からこっちの同位体では、その構成が中性子の個数の分布に応じるパターンになっていたのだ。 

≪069≫  なぜ、そんなふうになったのか。このパターンは24億年前の成層圏オゾンの発達にかなり対応していると考えられた。つまり24億年前以前には大気圏に自由な酸素がなかったが、その後は大気にしっかり酸素がたまっていったのだ。これこそ「大酸化事変」だった。 

≪070≫  岩石の中にある硫黄の同位体分布パターンは、24億年ほど前の成層圏オゾン層のインタースコアだったのである。このことが説明されるには、光合成をするナノマシンをもった微生物が大量に死んで、その分子の跡が岩石に逃げていったと考えなければならなかった。 

≪071≫  きっと酸素の大量蓄積は他の幾つかの元素、とくに硫黄と窒素の分布と密度に変化を生じさせたであろう。そのことが微生物たちに新たな代謝経路を進化させたにちがいない。  

≪072≫  酸素が放出される以前は、海洋中の硫黄は誰もがよく知る「腐った卵の臭い」をもつ硫化水素のかたちをとっていて、その多くが深海の火山活動やブラックスモーカー(熱水噴射口)から供給されていた。それがシアノバクテリアなどの微生物の出現によって変わっていったのだ。  


≪073≫  が、それだけではなかったのである。フォーコウスキーは微生物の活動が窒素循環にも変化を与えたはずだと見た。 地球上で最も豊富にある元素が窒素であるが、それらは二つの窒素原子でできていて三重の化学結合で結び付いている。だからけっこう安定しているのだが、その窒素に幾らかの水素が加わると、微生物はアミノ酸や核酸をつくる気になったのである。 

≪074≫  窒素はタンパク質などの細胞が必要とする重要な分子をつくるのに必要な生体材料だ。けれども窒素が細胞に届くには、生物はそれを環境からイオンとして獲得するか、大気中のガスをどうにかして化学的に変化させるしかない。 

≪075≫  ここに登場してきたのが、ニトロゲナーゼ(nitrogenase)という酵素の助けをつかった微生物のはたらきだった。この微生物は大気中あるいは水溶中の窒素に水素を付加できたのである。 

≪076≫  アンモニウムイオンが活用された。硝酸イオンが援用された。アンモニウムイオンには窒素原子1個に4個の水素原子が結合している。酸素がないところではこのイオンはきわめて安定しているのだが、酸素が使えるようになると、微生物はこのアンモニウムイオンから水素を剥ぎ取り、その水素をつかって(太陽エネルギーをつかわなくとも)、二酸化炭素を有機物質に変えてみせたのである。このプロセスで硝酸イオンのかっこうをとることも選択された。 

≪077≫  かくてフォーコウスキーは窒素循環が微生物の活動に依存していて、そのためイオウの循環とほぼ同じパターンをあらわしていることに気がついた。この微生物は化学的自己栄養生物で、電子が余っている分子、アンモニウムイオン、電子が足りない分子、酸素との電気勾配などを部品としてことごとく編集活用して、驚くべきナノマシンをつくりあげたようだった。本書の推断はそういうふうになっている。なんともかっこいいシナリオだ。 

≪078≫  もうひとつ、ふたつ、ぼくが本書で初めて認識できた“合点”について書いておく。ニトロゲナーゼとD1タンパク質とルビスコのことだ。このあたりのことはマクロな地球科学や遺伝学だけではどうしても見えてこなかったことだった。 

≪079≫  詳細はおそろしく複雑なので、ごくごくおおざっぱなことだけを書く。それでもかなりわかりにくいだろうと思う。しかし、21世紀の生命哲学はこのあたりまで含む必要があると思われる。 

≪080≫  そもそも微生物には多細胞生物にはない特別な機能をもつものが多い。硫黄や鉄などの無機物質をエネルギー源にしてしまうもの、100度を越える熱水でも生育できるもの、酸素がなくなたってへいちゃらで生存しつづけるもの、炭酸ガスをメタンに還元するもの、いろいろだ。 

≪081≫  これらのなかで窒素固定(nitrogen fixation)をする微生物たちがいる。自前の光合成で糖を自給できる植物も、窒素だけはこの微生物に依存せざるをえない。このことは全生物史上においてきわめて重要な役割を担っている。窒素固定菌という細菌だ。 

≪082≫  窒素固定菌は大気中の窒素ガスをニトロゲナーゼによって還元してアンモニアにする。そのアンモニアが植物にとりこまれるとアミノ酸になる。動物はそのアミノ酸を植物ごと食べて窒素源にする。窒素循環は生命のサイクルをまわしているエンジンでもあった。 

≪083≫  ニトロゲナーゼの正体は、リゾビウム属(根粒菌)などが窒素固定をおこなうときの細菌にひそむ酵素である。だから大気中の窒素をアンモニアに変換する反応はニトロゲナーゼがないかぎりはおこらない。しかし酸素に対してはすこぶるフラジャイルで、酸素にふれたとたん数分間で失活してしまう。そういう奴なのだ。 

≪084≫  ところが、このフラジリティが生物に多くのナノマシンをつくらせた。生物たちはニトロゲナーゼをもつ酵素を空気中の酸素からなんとか「隠す」ためのさまざまな工夫を凝らしたのである。 

≪085≫  ニトロゲナーゼは原核生物(細菌・古細菌)にそうとう広く潜在する。絶対嫌気性細菌、通性嫌気性細菌、好気性細菌、光合成細菌、シアノバクテリア、根粒菌のいずれもがニトロゲナーゼをもっている。ニトロゲナーゼによって、生物は圧倒的に両義的になりえたのだ。  

≪086≫  そのためいまや、ニトロゲナーゼについての研究は拡張の一途をたどっているはずだ。ゲノム解析や微生物生態学の「隠れた主語」になりつつあると言っていい。本書を読むまで、ぼくが知らなかっただけなのだ。 

≪087≫  もっともこういうことは、微生物がのべつおこしてきた現象でもある。たとえば、われわれの生活の日々にとってもおなじみの発酵(fermentation)と腐敗(putrefaction)だって、そもそもがきわめて両義的なのである。どちらも微生物が有機物質を分解することで生じるわけだ。発酵は嫌気的な糖を分解し、腐敗はタンパク質などの窒素を含む有機物質を分解する。生化学的には発酵も腐敗も生物の循環を支えている現象なのである。そのうち発酵と腐敗についての千夜千冊をしてみたいとも思っている。 

≪088≫  ニトロゲナーゼによって生物たちが両義的になり、そのためのナノマシンをつくってきたことは、生命史にとって筆舌に尽くしがたいプロセスだ。 

≪089≫  しかし、このイノベーションは継続され、継承される必要があった。ということは、微生物がおこしてきた数々の“ナノマシン革命”は、ナノマシン複製のための指示書として、遺伝子がその一部始終を担当したはずだったからである。フォーコウスキーはそのことについても、さまざまな推理をした。そして、自然界のすべてのナノマシンの合成に必要なコア遺伝子は1500ほどで、そのすべてが微生物がもっていると断言するに至った。 

≪090≫  呼吸、タンパク質合成、ATPづくり、窒素固定、メタン生産など、すべてが微生物によって組み立てられ、すべてが遺伝されていったのだ。 

≪091≫  ただし、たんに「まるごとコピー」のように遺伝されていったのではない。さまざまな工夫が施された。なかでも、①形質を転換する、②溶解性を加える、③接合を試みる、という3つのブリコラージュ(修繕あるいは編集)が画期的に工夫された。 

≪092≫  もうひとつ、D1タンパク質とルビスコの話をしておきたい。この話はニトロゲナーゼと同様、いやそれ以上に示唆に富む。「生命の編集工学」なんて研究分野はないが、もしそういうことがありうるのなら、このへんが発想の切り込み口になるのではないかと思えるのである。 

≪093≫  光合成には光が必要だが、光をとりすぎた過剰エネルギーは光合成ナノマシンに損傷をもたらす。光合成の能力が低下して光阻害がおこる。そのため、植物は葉の形や表面の角度を調整したり、細胞内で葉緑体の光回避を試みたり、熱放散によるエネルギーの散逸をしたり、励起エネルギーの分配に当たったり、サイクリック電子伝達による電子伝達系の調節をおこなったりするのだが、それでもなお光合成ナノマシンが損傷を受けることがある。 

≪094≫  このとき、新たにD1タンパク質を一からつくりなおすということをする。損傷を受けたタンパク質の穴ぼこを新たなD1タンパク質で埋めたり、ニトロゲナーゼなどの酵素をつかうのだ。紅色非硫黄光合成細菌にこの修繕編集力にあたる機能が用意されていた。 

≪095≫  いまではD1タンパク質による補修は、光合成を構成する光化学系Ⅱの反応中心を担う重要なサブユニットとして知られる。 もっとめんどうなことがおこることもある。それがルビスコ(Rubisco)の使い勝手が悪くなるときだ。 ルビスコはリブロース・ビスリン酸カルボキシラーゼ/オキシゲナーゼの頭文字をとったタンパク質複合体の名称である。酵素としてもはたらく。 

≪096≫  一般にはほとんど知られていないけれど、ルビスコは地球で最も豊富なタンパク質であって、地球上で最も重要な生化学反応を担っている。人類を含むすべての動物は生存そのものがルビスコにかかっている。 それというのも、ルビスコはあらゆる酸素生成のための光合成生物や多くの化学独立栄養生物の、二酸化炭素の固定に関与しているからだ。地球大気に酸素が十分に蓄えられる以前から、すでに微生物たちはルビスコを活用し、二酸化炭素濃度が今日の地球よりずっと高いときに進化した。 そのくらい重要なルビスコなのだが、ところが、地球が今日のような酸素と二酸化炭素のバランスになるにつれ、ルビスコの効率が悪くなったのである。酵素としての機能をはたす速度も遅くなってきた。 

≪097≫  フォーコウスキーは、ルビスコのように本来の機能が地球の進展につれてヤバイ状態になっていくことを「凍結代謝偶発事態」と呼んでいる。そして、この事態を切り抜けるために遺伝子が新たなプログラムソフトを書き加えるように、ルビスコの機能を保管してきたことに注目した。 生体ナノマシンが地球事態に即応しなかったぶん、遺伝子があたかも機種をこえて対応するソフトプログラムのように各ナノマシンをまたいで、最適化を試みたのである。 

≪098≫  ニトロゲナーゼやD1タンパク質やルビスコを、生物たちがどのように活用編集したかは、もちろん遺伝子やゲノム情報のレベルでも分担したことである。そこでは遺伝子は「種」にとどまっていなかったのだ。 細胞や生物体をまたぐ「遺伝子の水平伝搬」がおこったのである。生物の多様性が保たれたについては、この水平伝搬で保証してきたぶんが少なくない。 いずれそのあたりの千夜千冊も適切な一冊を選んで案内したいと思っているけれど、今夜はまずはポール・フォーコウスキーに敬意を表したかった。 

≪01≫  しばしば「生まれか、育ちか」と言われてきた。「氏か、育ちか」とも言う。英語では“Nature or Nurture”または“Nature vs. Nurture”と問いつめる。この謎掛けは「本能か、知性か」「動物的か、人間的か」「自然か、人為か」という問いにすりかわることもある。こうなるともっと答えが出しにくい。  

≪02≫  人間の本性を問うときの人口に膾炙した謎掛けだが、容易に答えが決められない。日本では江戸期に「氏より育ち」という諺ができたけれど、これは家柄なんかにこだわらないでがんばりなさいという儒教的教訓だった。 

≪03≫  そもそも「生まれ」(Nature)はどう見ても両親からだが、それはすぐさま祖父や曾祖父になり、その親族が帰属する氏や家をさかのぼれば武家や百姓に、さらに弥生人や縄文人に、もっとさかのぼれば人間の歴史そのものになって、ホモ・エレクトゥスやミトコンドリア・イブに至る。その先をさかのぼれば哺乳類や動物をへてシアノバクテリアにまでたどりつく。 


≪04≫  一方、「育ち」(Nurture)のほうも一人の生い立ちを見るのなら、大阪の商家か栃木の農家か、都会の下町か父親の勤務先のシンガポールかということや、どんな学校に行ったか何度か転校したかといったことが「育ち」になるが、そこは当然に親の職業やその依って来たるところも関係するわけだから、これまたさかのぼっていけば家系や地域風土にも、民族や人類の育ちにまでも広がるわけである。 

≪05≫  こうなると「生まれか、育ちか」は当人の社会環境を問うモンダイを提示しているようでいて、実は進化の全貌を問うことにも生命発現の本質を問うことにもなる。 

≪06≫  どんな人間もそのルーツでは、地球環境と一心同体となった普遍的人間像を秘めている。それは、オポッサムこのかたの生命の由来を背負った、われわれ一人ひとりという当人でもある。しかし自分の来歴を言い立てるのに、こんな由来は長すぎるし、その枝分かれした裾野は広すぎる。そこでダーウィンやウォレスは「選択」や「淘汰」を念頭にこのモンダイにとりくんだ。 

≪07≫  選択や淘汰による生物史の見方はいまは総じて「進化論」とか「ダーウィニズム」と呼ばれている。その狙いは、進化という長すぎて広すぎる裾野からのスクリーニングのしくみを提案したことにある。けれども、ダーウィンもウォレスも「遺伝」や「遺伝子」のことを知らなかった。もっとありていにいえば、生物史の中を流れてきた「情報」のことに思い至ってはいなかった。遺伝的情報というものが、変異はしてきたものの選択淘汰されてはいなかったことを知らなかったのである。 

≪08≫  かくてこのモンダイの議論はメンデルの遺伝法則の発見とその再発見へ、ド・フリースらによる変異の研究へ、ワトソン=クリックのDNA機能の発見へ、その後の分子生物学と遺伝生物学の研究へともちこされた。それでどうなったかということを引き受けたのが本書だ。 

≪09≫  原題は“Nature via Nurture”である。“Nature vs. Nurture”をもじってのタイトルで、「生まれか、育ちか」という二項対立を破って「生まれは育ちを通して」というふうに明示した。なんだか折衷案のようにも漁夫の利をとったようにも感じるだろうが、そうでもない。“Nature vs. Nurture”という問いがいまやまったく役に立たないことを、かなり多様に遺伝子のふるまいの例証をあげて議論してみせたのだ。 

≪010≫  著者は名うてのヒットメーカー、マット・リドレーだ。発表されて10年ちょっとしかたっていないけれど、すでに一部では科学名著のリストに入っている。 

≪011≫  この男、デビューこのかた、いつもうまい本を書いてきた。何であれ、読ませてきた。モンダイの設定が企画性に富み、取材力と想像力の補い方がよく、ライティング・アビリティがすこぶる達者で、この3つがスリリングに組み合わさって生物学的な視野を背景にした「文明課題」に迫ってきた。つまり、野心的なのだ。 

≪012≫  だから千夜千冊に採り上げるにあたっては、当初は性の起源と進化の謎をダイナミックに追いかけた初期の話題作、長谷川眞理子さんが早々に訳した『赤の女王』(翔泳社)を案内しようかと思っていたのだが(とてもおもしろかった)、そのうち次々に新作が出てきて、迷った。いっときは楽観的大著ともいうべき文明史『繁栄』(早川書房)もいいかなと迷っているうちにいずれも書きそびれ、今夜は本書を選ぶことにした。 

≪013≫  この本は中村桂子さんらが訳した1999年の原著『ゲノムが語る23の物語』(紀伊國屋書店)に続くゲノム議論の発展版である(こちらもよくできていた)。22組の常染色体と2本の性染色体を各章に見立て、順番に第1染色体「生命」、第2染色体「種」、第5染色体「環境」、第8染色体「利己心」、第12染色体「自己組織」、第17染色体「死」、第21染色体「優生学」、第22染色体「自由意志」というふうに、遺伝学の生物学的注目点と社会的問題意識をたくみに交ぜて配列した構成だ。なかなか憎い。 

≪014≫  それゆえ本書を読むなら、2冊続けて読むつもりでいるのがいいと思う。ブックデザインも2冊とも芦澤泰偉君だった。 マット・リドレーは動物学出身だから得意分野は生物学で(生物学的文明論と言ったほうがいいかな)、なかでも遺伝子のドラマは最大のターゲットになってきたようなのだが、ゲノムを幅広く扱ったのは『23の物語』が初めてだった。  

≪015≫  ふりかえってみると、人間の本性が「生まれか、育ちか」のどちらにあるのかという「せつないモンダイ」に挑んできた科学者や哲学者は、古来、そうとうにいた。 

≪016≫  そもそもプラトンがレスラー出身だったのだし、孔子は葬儀屋のお母さんの家に生まれたのである。それはともかく、近代の夜明けを拓いた「知」の18世紀以降からみれば、「生まれか、育ちか」議論の劈頭を哲学思索的に開いたのはデイヴィッド・ヒュームの『人間本性論』(法政大学出版局)や『人性論』(岩波文庫)だったろう。 

≪017≫  印象と観念を初めて区別し、自然の動きから感じる「自然的関係」と、たえず任意な比較や結合をおこそうとする「哲学的関係」とを初めて分けたのは、ヒュームなのである。精神活動が知覚によって「印象」をつかんでいることにくらべ、記憶や想像によって印象を再現しようとする「観念」は、力と生気の使い方からすると少し劣るのではないかとみなしたのだ。 

≪018≫  このためヒュームは「因果性」という見方を持ち出して、「人間の本性」が自然に由来する「生まれ」と哲学が想定視する「育ち」が交錯する“因果の劇場”の中にあることを描いてみせた。 

≪019≫  ヒュームに続いては、そのヒュームを愛読したダーウィンやウォレスらが「自然選択」を持ち出した。進化論やダーウィニズムは、ヒュームが提出したお題の回答例だった。人間の氏と育ちは進化の因果律によって選択的に進んでいくことが、これで想定されることになった。ただ、ここから議論が拡散した。進化論の影響を受けたハーバート・スペンサーがそこを「進歩」に読み替えて、モンダイをかなり社会化し、事態を近代人間化していったからだ。ダーウィンが分析したドラマがかなり強引に社会の中の人間にあてはめられたのだ。 

≪020≫  この系譜は優生学の異能者フランシス・ゴルトンに、教育論のエミール・デュルケムに、人類学のフランツ・ボアズに受け継がれていった。 

≪021≫  ここまでは誰も「遺伝」の関与をまったく勘定に入れていなかった。しかしメンデルの遺伝法則が再発見された20世紀初頭からは、「氏と育ち」「本能と発展」「自然と人為」をめぐる議論はすっかり推理の様相が変わることになる。 

≪022≫  ひとつは、突然変異説を提唱したド・フリースの仮説や、条件反射論のパブロフの推理をへて、モンダイは生理学や病理学の対象になっていった。「人間」ではなく「人体」が究明の対象になったのだ。ここからは神経学が派生した。もうひとつは、「意識の深層」の流れから本能を拾ったウィリアム・ジェームズ、性格に「タイプ」を持ち込んだエミール・クレペリン、「意識下の動向」にとりくんだジグムント・フロイト、行動主義のジョン・ワトソン、児童の「発達心理」と意識の研究に向かったジャン・ピアジェらによって、心理学の対象になっていった。 

≪023≫  他方、新たな探索も始まった。動物と人間の「あいだ」からのアプローチだ。主として3つの道が開拓された。ひとつはティンバーゲンやローレンツがおこした動物行動学から迫る「本能と行動の関係」の追究へ、ひとつはチンパンジーのワショー、ゴリラのココ、ボノボのカンジなどを飼育学習させた類人猿の研究、すなわち「人間らしさとは何か」という研究のほうへ、ひとつはワイルダー・ペンフィールドやジョン・エクルズらの先駆者が拓いた脳とニューロンネットワークと神経伝達物質の研究へ、つまりは「脳と心のありか」の研究へという探索だ。しかし、こちらからは「生まれか、育ちか」を決するような回答は寄せられなかった。 

≪024≫  それでどうなったのか。あいにく「人間の本性」をめぐる然るべき統一像はほとんど手に入らなかったのだ。そのあたふたとした事情はきっとこんなふうだったろうと、マット・リドレーはみなしている。 

≪025≫  残念ながら(当然のことだが)「人間の本性」は一様には語れない。ダーウィンの言う「普遍的特性」、ジェームズの言う「本能」、メンデルやド・フリースの言う「遺伝因子」、パブロフの言う「反射」、ワトソンの言う「連合」、クレペリンの言う「経過」、フロイトの言う「形成期の経験」、ボアズの言う「文化する体験」、ピアジェの言う「発達の相違性」、ローレンツの言う「刷り込み」などがごちゃまぜに組み合わさって、人間の本性を構成しているのだろうというふうになったにすぎない。どんなごちゃまぜ具合になったのか気になるが、まあ、そんなところだろう。 

≪026≫  ごちゃまぜのまま放置されたのかというと、そうではなかった。ごちゃまぜでは埒があかないので、すべてはワトソン=クリックのDNAモデルの解明を皮切りに、分子生物学と分子遺伝学の急速な進捗を待つことになったのである。こうしてついに本性にまつわる人間像に代わって、遺伝子像が浮上することになったのだ。  

≪027≫  とりわけドーキンスが利己的遺伝子を持ち出して「あらゆる生物は遺伝子が選んだ船にすぎない」(遺伝子の宿にすぎない)というファンファーレを鳴らすと、話は一挙に遺伝子やゲノムを主人公に見立てるというふうに、さらにはヒトゲノムの解読が進むにつれ、人間の由来と特色がいったんゲノム仕立ての遺伝情報的人間像として語られるようになっていった。 

≪028≫  マット・リドレーがこの“転換”を見逃すはずはない。きっとヒトゲノムにはいまだ綴られていない人間の自伝が語られているのではないか、23対の染色体の組み合わせには「本能」や「連合」や「刷り込み」にまつわる鍵か鍵穴がひそんでいたのではないか、そう睨んで、そう書いた。 

≪029≫  これまで、本能は動物にはあきらかに躍如しているだろうものの、人間はこれに頼らずとも多様な学習によって補えるので、そのぶん本能よりも社会関係や身ぶりや言語によるコミュニケーションを発達させてきたと考えられてきた。それなら動物がもっていた本能は社会的な人間ではどうなったのか。消えたのか、痕跡があるのか、ときどき蘇るのか。こうした議論は宗教や心理学でもさかんになって、仏教の「アーラヤ識」の想定からフロイトの「無意識」論までを仮説させることになった。 

≪030≫  一方、アメリカの心理学を拓いたウィリアム・ジェームズなどがそうだったのだが、「人間は本能を学習に置き換えていくのではなく、祖先の本能に次々と新しい本能を付け足していくことで行動を深化させていった」と説明して、本能の喪失を阻もうとする者たちもいた。  

≪031≫  たしかに人間が習得した言語の機能のことなどを考えてみると、言語のために言語をつくったというより、直立二足歩行によってやや薄まってしまった本能的な解釈力(本能的解決力?)や対応力をなんとか取り戻したくて、各民族が言語を発達させていったような気もする。ノーム・チョムスキーの生成文法論やスティーブン・ピンカーの『言語を生みだす本能』(NHK出版)などは、この立場だった。 

≪032≫  チョムスキーは「子供たちは社会の語彙を身につけるにあたって、さまざまな言葉を生まれつきのアタマの中の鋳型やルールにあてはめている」と言い、ピンカーはチョムスキーをもっと進めて「言語は生物学的に特殊なものではない。それは文明の産物ではなく本能である」とさえ強調した。こうして、言語能力が本能と関係があるかどうかが議論されてきたのだが、こういう議論も残念ながら埒があかなかったのである。 

≪033≫  そこで最近のゲノム学はあっさりと遺伝子像による関与の例証を次々に持ち出してみせることにした。そうやってみると、一つずつの遺伝子が本性にかかわっているとは言えなそうではあるものの、そこには膨大なゲノム情報がそれぞれ組み合わさっているだろうことが見えてきた。 

≪034≫  1997年のこと、ロンドン大学のロバート・プロミンの研究チームが「知能にかかわる遺伝子」が第6染色体上にあるらしいと仮説した。やがてそれはIGF2R遺伝子だろうということになった。 

≪035≫  IGF2R遺伝子は7473文字もある巨大な遺伝子である。その遺伝暗号によるメッセージはイントロンによって48回も断ち切られ、ヒトゲノム全体の98000文字にわたってランダムに散らばっている。そのため、この遺伝子の中で長さの変わりやすい繰り返し配列になんらかの差異が生じ、このことが知能の個人差を生み出しているのではないかと想定された。こんな仮説は以前にはまったくないものだった。   

≪036≫  科学界や科学ジャーナリズムが沸き立った。「知能遺伝子、発見か」とか「IQは遺伝子で決まっている」とか「心は遺伝子が関与しているのか」などなどと、野次馬たちが騒がしくなった。 

≪037≫  そのうち、こんな例も出てきた。言語能力に影響を及ぼす疾患として、知能は低いのにやかましいほど言葉を乱用するウィリアムズ症候群と、知能はけっこうあるのに言語能力が低下する特異的言語発達障害(SLI)とがあるのだが、いずれも遺伝病であることがわかっていて、ごく最近になってウィリアムズ症候群は第2染色体にある遺伝子の変化によるもので、SLIは第7染色体上の遺伝子の変化によるものだということが突き止められたのである。 

≪038≫  そのうち、こんな例も出てきた。言語能力に影響を及ぼす疾患として、知能は低いのにやかましいほど言葉を乱用するウィリアムズ症候群と、知能はけっこうあるのに言語能力が低下する特異的言語発達障害(SLI)とがあるのだが、いずれも遺伝病であることがわかっていて、ごく最近になってウィリアムズ症候群は第2染色体にある遺伝子の変化によるもので、SLIは第7染色体上の遺伝子の変化によるものだということが突き止められたのである。 

≪039≫  むろん、こうしたことを並べたからといって本能や知能とヒト遺伝子に関係があるとは言いきれないのだが、関係がないとも言いきれない。ヒトゲノムにはかなり妙ちきりんなことがおこっているからだ。 



≪040≫  遺伝子はタンパク質のレシピで、その指示をするのはDNAである。これらを含んでゲノムという情報の束がセットされている。ところがゲノムにはレシピに何の寄与もしていないジャンクDNAや、そもそもDNAを乗せていないイントロンが含まれる。 

≪041≫  ゲノムはもともと1セットが母親から、もう1セットが父親から譲り受けた情報の束である。どちらのセットのジェノタイプ(遺伝型)も基本的には同じ23本の染色体上に3万から8万個ほどの遺伝子を乗せている。けれども実際には、一つひとつの遺伝子は母親のものと父親のものとでは微妙に違っている。それが青い目と茶色の目、縮れっ毛とストレート、器用な指先とフォークボールが得意な長い指、早口の言葉と押し黙りたい癖などをつくる。これがフェノタイプ(表現型)としてのさまざまな見た目の個性を用意する。 

≪042≫  情報には必ずやミスプリントや取り違えがおこる。われわれの日々もそうした誤植と誤解の上に成り立っている。ゲノム情報でも同じことだ。ゲノムそのものは、もとをただせば四種類の塩基文字(A・C・G・T)で書かれているにすぎない記号群なのに、その記号のトリプレット(3つ揃え)のコドンがDNAという捩れた鎖の上に置いてあるため、これを複製して子に伝えようとしているうちに置き違えや誤植がおこるのだ。 

≪043≫  アンティシペーション(anticipation)もおこる。音楽演奏用語でも、遅れが生きるシンコペーション(syncopation)に対して、先回りしていく奏法をアンティシペーションと言うように、DNAの文字、なかでもCAGやCVGやCTGのような「C*Gの並び」の繰り返しが何度もおこると、DNA上にヘアピンふうのループができて、それが意外な指示書になってハンチントン舞踏病を促すような遺伝子として機能発揮をしたりするのである。 

≪044≫  こういうことはしょっちゅうおきてきた。ヒトゲノムのレチノプラストーマという遺伝子は、27個の短い意味をもつパラグラフのあいだに26個もの無関係なものが挟まっているのだが、こんな状態ではどんな「氏」と「育ち」の混乱がどこでおこってもおかしくない。まるでボルヘスの文学のようなのだ。こういうように、意外な遺伝子がいろいろ登場してくることになって、それらが遺伝子的人間像の描像に与しはじめたのである。 

≪045≫  マット・リドレーが『ゲノムが語る23の物語』と『やわらかな遺伝子』でとりあげた特異な遺伝子も、実にさまざまだ。 たとえば喘息遺伝子の候補には、第5染色体の長腕にあるADRB2遺伝子があがっている。この遺伝子は気管支の拡張と狭窄を制御するベーター2アドレナリン受容体を合成するレシピになっているので、ここに異常がおこると喘息が誘発される。ADRB2遺伝子は1239文字から成るのだが、46番目の文字がAではなくGになっていたことが発見された。 

≪046≫  こうした病気と遺伝子の関係は、最も研究が進んできた分野となった。ダウン症研究からは細胞接着をおこすDSCAM遺伝子が発見され、生殖腺の縮小をもたらすカルマン症候群の研究からは性的不全をもたらすKAL1遺伝子が突き止められた。 

≪047≫  癌をめぐる遺伝子もしだいにわかってきた。最初は、コールタールやX線などの化学物質や放射線によって癌がおきやすくなるのは「DNAにダメージがあるからだろう」というブルース・エイムスの推理から始まったのだが、やがて腫瘍遺伝子探しになり、その後はSrc遺伝子をはじめとする癌遺伝子のリストがつくられていった。第18染色体には結腸癌の抑制遺伝子DDCがあることも確認されるようになった。P53タンパク質をつくるレシピをもったTP53という遺伝子だ。ある調査によると、両親から受け継いだ2つのTP53のうち、1つが変異をもてばほぼ90パーセントで癌が発生するという。 

≪048≫  いささか意外なことも見えてきた。ヘンリー・ハリスらによって発見され推理されたことだったが、腫瘍遺伝子はスイッチがオンになると癌遺伝子となり、腫瘍抑制遺伝子はスイッチがオフになると癌遺伝子になるというのである。なんとも器用なリバースモードをもったスイッチ遺伝子が作動していたようなのだ。このあたりのこと、ぼくは自分が胃癌に罹って切除手術を受けることになったとき、こっそり仕入れた医療書で知ったことだった。 癌遺伝子は変異誘発遺伝子なのである。最近では乳癌の遺伝子BRCA1やBACA2なども見つかっている。 

≪049≫  遺伝子はタンパク質に関する任務には忠実だが、ちょっとした具合で変わりやすく、移ろいやすい。無責任ではないけれど、つねに任務や責務をまっとうしているともいえない。かれらは物質であって情報であるからだ。 

≪050≫  この移ろいやすい情報物質とその隙間を収容している総体が「ゲノム」(genome)なのである。ゲノムの全貌は摑まえにくいけれど、本に譬えるならゲノム情報は“生命発現情報全書”のようなもので、文字と空白とによって全体が埋まっている。読み方は1ページ目から読むわけではなく、染色体ごとの指示にしたがって読む。 


≪051≫  全書の文字はDNAという情報遺伝記号でできていて、ACTGという4文字の組み合わせでコーディングされている。組み合わせは3文字ずつの“コドン単語”になり、それが120文字ずつ程度のパラグラフになっていて、たえずRNAのフィラメントにコピーされている。だからこの全書はすらすら読めるわけではない。行きつ戻りつするし、同じパラグラフが姿を変えて出てくることもある。つまりは読むにしたがって、パラグラフごとの意味が発現してくる本なのだ。 

≪052≫  どこにこんな全書があるのかというと、それぞれの生物の細胞1個ずつがこのゲノム全書をもっている。ゲノム全書は細胞という“いのちの版元”が連続刊行している本なのである。そこにざっと30億の情報文字が使われてきた。 

≪053≫  もっとも生物ごとに全書の巻数はちがっている。ヒトのゲノム全書は、常染色体22冊の本巻に性染色体(X・Y)2冊の別巻で構成されている。とはいえモンダイは、この全書を読めば「人間の本性」がわかってくるのかどうかということだ。このこと、いまのところは保証のかぎりではない。 

≪054≫  今日、ゲノム全書のドラマトゥルギーをトータルに議論できている科学者や哲学者はまだいない。研究者や企業の研究室がとりくんでいるのは、遺伝子の文字やコドンの誤植や写し違いが、いったい何をもたらしているのかということだ。  

≪055≫  だからマット・リドレーも2冊の本を染色体見立てにし、特徴のある遺伝子をゴシックにすることに徹したわけだった。リドレーは、ヒュームが投げかけた「人間の本性」の謎は従来の科学と哲学では発散しすぎたが、特異な遺伝子の記述だけでは細かくなりすぎることを十分に弁えて、この作業に徹したのだったろう。いつかはゲノム全書という括りで「本性」を議論しなければならないけれども、いまはまだ無理だということも承知したうえでのことだった。 

≪056≫  解明に向けての可能性がないわけではない。遺伝子のゲノム全書には随所に破れ目があって、そこには遺伝子の細部の「柔らかな動向」が見え隠れしているからだ。ニューロンの結合数によって脳の大きさに関与しているのはASPM遺伝子で、神経の伝達速度にかかわっていそうなのはPLP遺伝子であるとか、ゲイ遺伝子の捜索も始まっていて、X染色体のXq28という位置にある遺伝子が“そいつ”ではないかというような、そういうことは見えてきたのである。 

≪057≫  それでも、ゲノムが明示できたからといって、「人間の本性」に近づけたということはないだろう。そこには新たなゲノミック・ヒュームが必要なのだ。 



≪058≫  おしまいに映画のことを話しておこう。アンドリュー・ニコルが監督した《ガタカ》(GATTACA)というSF映画があった。1997年の封切りで、主演はイーサン・ホーク、ユマ・サーマン、ジュード・ロウが共演した。 

≪059≫  物語はオリジナルの脚本で、有能な遺伝子を選んで生殖ができるようになった近未来社会に、遺伝子操作ではなく“愛の絆”で生まれた主人公のヴィンセントが遭遇する意外な出来事を描いていくというもので、リドレーの本書をドラマチックな映像感覚にしたような出来だった。 

≪060≫  遺伝子操作によって知力・体力にすぐれた「適正者」が優位に立つ社会では、両親の不注意から自然妊娠で生まれたヴィンセントは、「不適格者」として生きる宿命を負っていた。しかもヴィンセントの寿命は30年そこそこだった。それでも子供のころから宇宙飛行士になりたかったので、あるとき適正者のサンプルを用いて就職に有利なデータを詐称することにした。ドーピング検査を偽ったようなものだ。これでなんとか仕事のスタートにつけたヴィンセントは、職場で車椅子のジェロームに出会う。ジェロームはトップクラスの水泳選手であったのに半身不随になっていた。ジェロームは、自分のサンプルを提供するかわりに、自分の生活を保障してほしいと頼んできた。 

≪061≫  こうしてガタカ宇宙局にジェロームとして入局できたヴィンセントは、念願のタイタン探査の乗組員になった。ところがあるとき、上司が何者かによって殺された。そして、そこで意外なことを実感することになっていく……。

≪062≫  映画の冒頭、GATTACAの文字が映し出されると、スペルの中のG・A・T・Cがエフェクトで強調される。二重螺旋も見えてくる。そうなのだ。GATTACAとはDNAの遺伝記号のG(グアニン)、A(アデニン)、T(チミン)、C(シトシン)のもじりなのである。これで見当がつくように、この映画は遺伝子の力とそれだけでは伝わらない人間感情の力とが、一緒にやってくるように演出されている。本書に関心が向くのなら、どこかで《ガタカ》もご覧になるといい。 ついでに白状しておくと、ぼくの名前・松岡正剛のSEIGOWには、WEとGOとISとが棲んでいる。 

≪01≫  ドーキンスは冒頭で「ほぼサイエンス・フィクションのように読んでもらいたい」と書いた。
科学書だがイマジネーションに訴えるように書いたからだという。たしかにこの本はSFっぽい。
利己的遺伝子というコンセプトがSFっぽいのではなく、語り口がSFっぽい。
それならSFっぽい遺伝子論なのかというと、そうではない。
まだこの本を読んでいない読者のために言っておくけれど、
この本はDNAやRNAにまつわる遺伝子の究極のドラマについては、
ほとんど何の科学的説明もしていないのだ。 

≪02≫  何が書いてあるかというと、ドーキンスが動物行動学の出身であることをおもえば当たり前なのだが、「生物の個体の動向の大半は遺伝子の自己戦略にもとづいている」という、ただそのドラマの粗筋だけを主張した。新しい考え方ではない。この本の考え方の基本は1960年代の半ばにジョージ・ウィリアムズとウィリアム・ハミルトンが提唱したものだった。 

≪03≫  しかしドーキンスがこの本で訴えたことは、その後の10年間で教科書にのるほどのメッセージとなった。遺伝子はすこぶる利己的であって、自分の延命のためならどんなことでもするというメッセージだ。どんなことでもするというのは、どんな手をつかっても生物のすべてをホテルにして生き抜こうとしているという意味だ。ドーキンスはこのメッセージを最初につくったのはダーウィンその人だと何度も強調している。ダーウィンの進化論にひそんでいる考えかたを自分は新たな表現で取り出しただけなのだというのである。  

≪04≫  そこまではまだ穏健な主張だった。ダーウィンの進化論に正面から反対している生物学者や動物行動学者なんて、まず一人もいないだろうからだ。けれどもドーキンスは本書の冒頭から数ページのところで、次のように書いた。ローレンツの『攻撃』(みすず書房)、アードレイの『アフリカ創世記』(筑摩書房)や『狩りをするサル』(河出書房新社)、アイブル=アイベスフェルトの『愛と憎しみ』(みすず書房)は全面的にまちがっている。かれらは進化において重要なのは個体でなくて種の利益だと考えたようだが、それはまったく誤っている。ダーウィンはそんなことは何も言っていないというふうに。 

≪05≫  これでダーウィン派の一部がカチンときた。その代表格は『パンダの親指』『ニワトリの歯』『ワンダフル・ライフ』(以上ハヤカワ文庫NF)、『人間の測りまちがい』(河出文庫)などの旺盛な著書で鳴るスティーブン・グールドである。古生物学者として断続平衡進化論を唱えた。ぼくも何度か話した。強靭な進化思想の持ち主だ。以来、ドーキンスは圧倒的な賛同者にかこまれながらも、つねに危険な論争にさらされることになる。 

≪06≫  1980年、この本が紀伊國屋書店で最初に翻訳されたとき、『生物=生存機械論』といういかめしいタイトルになっていた。原題にもサブタイトルにもない言葉だが、本書のなかではしきりに「サバイバル・マシン」(生存機械survival machine)という用語がつかわれているから、わかりやすくするつもりで編集部がおもいついたのだろう。 たしかにドーキンスは「生物は遺伝子のためのサバイバル・マシンである」とみなした。生物は遺伝子の乗り物にすぎないと言ったのだ。しかしサバイバル・マシンだなんて、まるで生物は遺伝子に操られているだけで何の意志もないクルマのようだ。だからこの機械論的な見方はひどく冷徹に映った。日本版のキャッチフレーズにもこんな文句が刷りこまれた、「われわれは遺伝子という名の利己的な存在を生き残らせるべく盲目的にプログラムされたロボットなのだ」。 

≪07≫  このキャッチフレーズにはいくぶんまやかしが入っている。盲目的にプログラムされているのはわれわれだけではなく、地上の生物のすべてだったのである。生物のすべてが遺伝子のためのクルマかホテルにすぎなかったのである。しかし、そうだとすると生物のすべてが遺伝子のためのロボットだということになる。やっぱりこんな冷徹な見方はない。ダーウィンがそんなことを主張していたとも言いたくない。 べつだん擁護するつもりはないが、ドーキンスはこのように書いてはいない。サバイバル・マシンだとは書いたけれど、ロボットだなどとは一度も書きはしなかった。ただ、読み方によってはそうとられなくもないことを書いた。ドーキンスがこの本で一番説明したかったことは「協力はいかに進化したのか」ということなのである。遺伝子が利己的であることなど、当然すぎることなのだ。 

≪08≫  遺伝子の利己性(gene selfishness)について、ドーキンスの説得は他説を押しのけるほどにはなはだ雄弁で、ダーウィンの「最適者生存」の論理が執拗に貫かれる。 最初は原始地球のスープのどこかに、すこぶる能動的なレプリケーター(自己複製子)が偶然に出現したのだ。いくつものレプリケーターが競いあっていたのだろうが、そのなかで最も能動的なレプリケーターが勝ちのこった。それがやがてDNAになった。この出現自体がドーキンスにいわせれば「最初の自然淘汰」だった。当初のレプリケーターはDNA配列ではなかった。RNA配列だった。RNAが自分の自己触媒機能を発揮してDNAの自立を助けた。いわゆる「RNAワールド」の先行だ。やがてその能動的なレプリケーターはDNA配列の完全コピーという仕事に徹するようになる。DNAはDNAの複製をしつづける。ドーキンスにとっては、そこからは一瀉千里だ。 

≪07≫  このキャッチフレーズにはいくぶんまやかしが入っている。盲目的にプログラムされているのはわれわれだけではなく、地上の生物のすべてだったのである。生物のすべてが遺伝子のためのクルマかホテルにすぎなかったのである。しかし、そうだとすると生物のすべてが遺伝子のためのロボットだということになる。やっぱりこんな冷徹な見方はない。ダーウィンがそんなことを主張していたとも言いたくない。 べつだん擁護するつもりはないが、ドーキンスはこのように書いてはいない。サバイバル・マシンだとは書いたけれど、ロボットだなどとは一度も書きはしなかった。ただ、読み方によってはそうとられなくもないことを書いた。ドーキンスがこの本で一番説明したかったことは「協力はいかに進化したのか」ということなのである。遺伝子が利己的であることなど、当然すぎることなのだ。 

≪08≫  遺伝子の利己性(gene selfishness)について、ドーキンスの説得は他説を押しのけるほどにはなはだ雄弁で、ダーウィンの「最適者生存」の論理が執拗に貫かれる。 最初は原始地球のスープのどこかに、すこぶる能動的なレプリケーター(自己複製子)が偶然に出現したのだ。いくつものレプリケーターが競いあっていたのだろうが、そのなかで最も能動的なレプリケーターが勝ちのこった。それがやがてDNAになった。この出現自体がドーキンスにいわせれば「最初の自然淘汰」だった。当初のレプリケーターはDNA配列ではなかった。RNA配列だった。RNAが自分の自己触媒機能を発揮してDNAの自立を助けた。いわゆる「RNAワールド」の先行だ。やがてその能動的なレプリケーターはDNA配列の完全コピーという仕事に徹するようになる。DNAはDNAの複製をしつづける。ドーキンスにとっては、そこからは一瀉千里だ。 

≪09≫  DNAはデオキシリボ核酸という核酸である。この核酸はA・T・G・C(アデニン・チミン・グアニン・シトシン)という4つの塩基でできている。この塩基は化学物質でできた情報である。情報といってわかりにくいなら、遺伝情報をあらわすためのプログラムの単位である。DNAはこの4つの塩基のうちのAとT、GとCを向かい合わせのペア(塩基対)にすることを基本ルールにして、これを二重螺旋の鎖にした。鎖はヌクレオチドとよばれる。鎖を二重構造にすることで写真のポジとネガの関係のように、2本の鎖のどちらかが損傷したり離ればなれになったりしても、相補性が保たれるようにした。ドーキンスはこれを「不滅のコイル」とよんだ。 

≪010≫ 不滅という意味は、これが生命系における「新しい安定性」として、これ以降のすべての生物の安定性を保証することになるとみなせるからだ。ヘタな作家のような言いまわしだが、ドーキンスはこの本のなかで何度も「遺伝子は不死身だ」とか「遺伝子はダイヤモンドのように永遠だ」とも書いている。ただし、コピー(複製)という様式において不滅なのである。 

≪011≫  DNAの仕事はタンパク質をつくることだ。自己構成要素としてのタンパク質だけではなくて、遺伝情報をいつどこでどのようにつくるのかというプログラムを維持するためにタンパク質をつくる。DNAはタンパク質の設計プログラムなのである。ドーキンスは「遺伝子はマスタープログラマーである」とさえ書く。ただしこのプログラマーは自分の生命の維持のための、きわめてエゴセントリックなプログラマーだ。 地球上の生物を構成しているタンパク質は100億あるとも1兆あるともいわれている。ところが、そのありとあらゆるタンパク質はわずか20種類のアミノ酸の組み合わせでできている。DNAはそのアミノ酸の組み合わせを決めている張本人なのだ。 

≪012≫  アミノ酸の組み合わせはDNAの4つの記号(塩基)のうちの3文字で決まる。たとえば栄養ドリンク「アスパラ」で有名なアスパラギン酸というアミノ酸はGATかGACで、「味の素」で有名な調味料のグルタミン酸はGAAかGAGで決まる。この3文字の組み合わせが「コドン」である。ということはドーキンスよりもすこし謙虚にいえば、DNAはアミノ酸のコドンを決めるプログラマーなのである。 ともかくもそういうDNAが生物のすべての細胞の中にセットとして入っている。細胞は個体を構成している基本単位である。そこでドーキンスは、大半の動物たちの個体には遺伝子の保存という「目的」がそなわっていて、個体はその「目的」のためのサバイバル・マシンになっているのだと結論づけたのだった。 

≪013≫  ドーキンスがこの本で主張したことは、自然淘汰は直接的には個体にはたらくのだろうが、間接的にはレプリケーターにもはたらいているということだった。「間接的には」というのは、まわりまわってはレプリケーターの生存にかかわってという意味だから、ドーキンスにとってはレプリケーターも自然淘汰されているということになる。 この主張は過激すぎるし、誤解もうけかねない。まるでDNAセットのひとつずつにダーウィンが笑っているように見える。そこでドーキンスは「遺伝子プール」というものを考え出して、このプールにとっての最適者戦略に幅のある自然淘汰がはたらいているというふうにした。もうひとつ、ドーキンスは工夫した。遺伝子の戦略には「遺伝子型」を保持するためのシナリオと、のちにはたらく「表現型」によって元の遺伝子を有利に導くためのシナリオとがあるのだが、その表現型が生存にふさわしい最適解を決めるための戦略を担うと考えたのだ。 

≪014≫  この考えかたはジョン・メイナード=スミスの『進化とゲーム理論』(産業図書)に対応するもので、表現型をゲーム理論における戦略シナリオに相当させている。表現型の淘汰をナッシュ均衡や最適解を自動的に計算してくれるアルゴリズムとみなしたわけである。これはいささかずるい説明ではあるが、本書の次に執筆した『延長された表現型』(紀伊國屋書店)では、驚くべき説得力をもってこの仮説を立証しようとした。 

≪013≫  ドーキンスがこの本で主張したことは、自然淘汰は直接的には個体にはたらくのだろうが、間接的にはレプリケーターにもはたらいているということだった。「間接的には」というのは、まわりまわってはレプリケーターの生存にかかわってという意味だから、ドーキンスにとってはレプリケーターも自然淘汰されているということになる。 この主張は過激すぎるし、誤解もうけかねない。まるでDNAセットのひとつずつにダーウィンが笑っているように見える。そこでドーキンスは「遺伝子プール」というものを考え出して、このプールにとっての最適者戦略に幅のある自然淘汰がはたらいているというふうにした。もうひとつ、ドーキンスは工夫した。遺伝子の戦略には「遺伝子型」を保持するためのシナリオと、のちにはたらく「表現型」によって元の遺伝子を有利に導くためのシナリオとがあるのだが、その表現型が生存にふさわしい最適解を決めるための戦略を担うと考えたのだ。 

≪014≫  この考えかたはジョン・メイナード=スミスの『進化とゲーム理論』(産業図書)に対応するもので、表現型をゲーム理論における戦略シナリオに相当させている。表現型の淘汰をナッシュ均衡や最適解を自動的に計算してくれるアルゴリズムとみなしたわけである。これはいささかずるい説明ではあるが、本書の次に執筆した『延長された表現型』(紀伊國屋書店)では、驚くべき説得力をもってこの仮説を立証しようとした。 

≪016≫  しかし本書で説明されているミームは何のことやらわからないというのがぼくの正直な感想で、仮にミームが文化のレプリケーターだとしても、それが利己的であるのか、そこにDNAやRNAにあたるものがあるのかどうか、またミームがつくるアミノ酸やタンパク質が何をさしているのかは、さっぱりわからない。とはいえ、本書刊行の直後から“ミーム社会生物学”は爆発的に流行した。遺伝子がサバイバル・マシンを動かしているように、ミームはミーム・マシンとしての人間文化を動かしていると考えられるようになってしまったのである。 

≪017≫  いまのところこの仮説を信じない者はゴマンといるものの、あえてこれをぶっこわす理論の組み立てに向かった者も、まだいない。逆にミームを学問にとりこもうという動向がしだいに高まっている。「ミーム理論」(memetics)という領域が登場して、1999年にはケンブリッジ大学のキングズ・カレッジでシンポジウムが開催され、そのオーガナイザーとなった認知科学者のロバート・アンジェはシンポジウムをまとめた『ダーウィン文化論』(産業図書)や『電子的ミーム』(未訳)を出版した。「ミーム・ジャーナル」なんて機関誌もできた。 ぼくも何度か訪れた北大の田中譲さんが設立した知識メディア研究所の英語名は「ミーム研」である。今後、ミーム理論がどこまで成長するかは、佐倉統君や長谷川眞理子さんあたりに聞いてみないことには、なんとも予測がつきにくい。 

≪018≫  もうひとつは、あるゲーム理論が強調されたことだった。今夜とりあげた本書は紀伊國屋書店が1980年に翻訳した『生物=生存機械論』ではなくて、第2版の『利己的な遺伝子』のほうなのだが、その第2版で、新たな第12章として進化生物学者で政治学者でもあるロバート・アクセルロッドのゲーム理論によるシナリオが遺伝子の戦略の説明に役にたつという説明を加えたのである。 アクセルロッドのゲーム理論とは、ゲームにおける「協力」と「背信」の合理的な関係をつきつめようとしたもので、「ティット・フォー・タット」(やられたらやりかえせ)理論として知られる。TFT(Tit for Tat)と略される。ドーキンスによると、これが遺伝子戦略と似ているというのだ。 

≪019≫  アクセルロッドの議論自体は「囚人のジレンマ」に陥らないためのシナリオとして、それなりにおもしろい。ぼくも金子郁容や澁谷恭子とこの理論を検討して、その一部を『ボランタリー経済の誕生』(実業之日本社)に紹介した。しかしながらはたしてアクセルロッドの理論と遺伝子戦略が似ているのかどうかというと、かなりあやしい。ドーキンスはきっととんでもない勇み足をしたのではないかというのが、ぼくのとりあえずの判定だが、この点についてはそもそもゲーム理論が自然や社会の何をあらわしているのかということ、また複雑系の理論が形成されていくにつれ、従来のゲーム理論にはかなりの限界があるのではないかということを検討しないと、正確な判定がつかないところなのである。 

≪020≫  ちなみにアクセルロッドのゲーム理論は、ドーキンスに不足をつきつけているマット・リドレーの『徳の起源』(翔泳社)でもとりあげられて、批判にさらされている。 さて、冒頭に書いたドーキンスに対するグールドの波状攻撃と、そのグールドの批判に対するドーキンスの反論についてだが、この論争はさきごろのグールドの死をもって終止符が打たれたかのように見えて、いまなおいくつもの難問を21世紀の進化論にのこすことになった。アンドリュー・ブラウンの『ダーウィン・ウォーズ』(青土社)やキム・ステルレルニーの『ドーキンスvs. グールド』(ちくま学芸文庫)などという本がいまなおベストセラーになっていることに、そのことが暗示される。 

≪021≫  2人が対決している論点はいくつかに分散するが、まとめていえばドーキンスが「進化は利己的な自然淘汰だ」と言っているのに対して、グールドが「進化は偶発的な自然淘汰を含んでいる」とみなしている点にある。2人ともダーウィン主義者であることに変わりはない。 むろんグールドはなにもかもが偶発的だと言っているのではなく、進化のある時期(たとえばカンブリア紀の爆発や中世代の恐竜の絶滅)に確定的なことがおこったことと、その後のすべての時期に遺伝子が戦略にかかわりつづけるとおもいこむことを区別しなさいと言ったのである。これが有名な「断続平衡論」になる。とくに遺伝子が個体にはたらいていると考えるのはおかしいと指摘した。せめて個体群あるいは種の系統ではたらくとすべきだというのだ。 

≪022≫  これに対してドーキンスは遺伝子はあくまで連合して(つまり遺伝子プールとして)、生物というヴィークルを形成する競争をしつづけているという立場を崩さない。しかもその競争には「延長された表現型」による遅れた効果もあって、それをすら遺伝子は決定づけていると言う。 グールドが科学的合理性や進化ゲームだけで自然界のルールをあらわすことはできないと考えているのはあきらかだ。ドーキンスのほうは仮に科学で説明できないことがあるとしても、科学で説明できることだけを議論すべきだという徹底した科学理性主義である。これでは2人が融和するわけはない。そのうち、ダニエル・デネットのような認知科学の方面からドーキンスを支持する理論家があらわれ、グールドはこれをウルトラ・ダーウィニズムとして爆撃した。デネットはデネットで大部の『ダーウィンの危険な思想』(青土社)を著して、これに対抗した。ぼくがドーキンスとグールドの論争に飽きてきたのはこのころからだった。  

≪023≫  最初に書いておいたように、ドーキンスの仮説は遺伝子の本質をなんらめぐるものではない。生物、とりわけ動物は利己的に動いているのか、利他的な相互作用ももっているのかという見方に決着をつけるためのものだった。ドーキンスは利己的であれば利他的な動向も派生しうると説いたのだ。だから本当は、ドーキンスの仮説は利己的遺伝子の戦略理論なのではなくて、動物の生き残りのための複合的遺伝戦略をめぐるゲーム仮説にすぎないはずなのだ。 しかし、いまや生物学の全地図に利己的遺伝子が大手を振るようになっている。このあといったいどうしようかと、一番当惑しているのはドーキンス自身ではないかとぼくは言ってみたい。 

≪01≫  2002年10月現在、ぼくの家にはケータイを含めて6台の電話器、4台のテレビ、使わなくなったものを含めて5台のパソコン、3台のワープロ、1台のファックス機、ウォークマンを含めた8台のオーディオ装置、数1000冊の本、数えたことがないビデオとテープ類がある。赤坂稲荷坂の仕事場には、おそらくそれぞれこの十数倍ないしは数十倍の、「情報を送りこみ、情報を貯めこむ装置」がひしめいている。本は5万冊をこえているだろう。 

≪02≫  これらのなかには、ぼくがすっかり忘れていることでも記憶を正確に保持している機能がひそみ、ぼくと他者とのコミュニケーションを記録しているオートマチックな不忘機能も隠されている。 

≪03≫  いったい、これは何なのか。何が波及しているのか。この、情報を頻繁に出入りさせ、せっせと貯めたり消したりしている機能は何なのか。かれらは何をしたがって、こんなにもぼくのところに押しかけたのか。そして、どのようにぼくのアタマとつながっているのか。 

≪04≫  しかし一方で、ぼくはぼく自身がれっきとした情報生命体で、ATPや遺伝子や細胞をつかって、キリないほどの情報を処理したり編集したりしているわけなのである。それゆえぼくが何かを喋ったり書いたりパソコンをいじっているときは、ぼくのタンパク質や細胞による情報活動と、IT機器が媒介する情報群とは、どこかで交じりあい、重なりあってもいるはずなのだ。確かめる気になりさえすれば、ぼくの言葉や思考の多くがそれらの細胞からITにまたがる情報群の影響をうけ、のみならずそれらの多くを模倣していることがはっきりするだろう。 

≪05≫  だったら、ぼくが「考える」とか「書く」とかいう行為をしているのは何をしていることだとみなせばいいのだろうか。何かを真似てきたという気はするが、それだけでもないはずだ。 

≪06≫  そもそも模倣は模倣におわらない。ガブリエル・タルドが示したように、模倣こそが社会をつくったのだ。それだけではない。空海の『三教指帰』をつぶさに研究した福永光司によれば、その文章の全体の85パーセントが中国文献からの引用と模倣と改竄なのである。それでいて空海の『三教指帰』は中国のどの文献にもない独創に満ちていた。それと同じことだ。 

≪07≫ 伝言ゲームという遊びがある。任意のフレーズやセンテンスや絵や写真をAがBに、BがCに、CがDに伝えて(耳打ちなどして)、最後のZがその結果を発表すると、それが最初といかに違っているかに一同爆笑するというゲームだ。このゲームはどの国にもあるようで、イギリスでは“Chinese whispers”と、アメリカでは“telephone”という。 

≪08≫  AからZまで、いったいどのように見聞が伝わったかということを、公開してあらためてひとつずつ並べてみると、そこには微妙な違いと大きな相似性とが組み合わさって進行していることがよくわかる。とくに隣り合った2つずつはかなり酷似するのに、その見聞が遠くへいくにしたがって大きな差異になる。しかもそれでも、AとZのあいだにはまだ漠然とした何かが共通している。 

≪09≫  タルドやアウエルバッハを持ち出すまでもなく、模倣やミメーシスがここにはたらいているのは、あきらかだ。この模倣の連鎖はいったい何にもとづいて、何を伝達しているのか。また、ぼくの家や仕事場の機器類に届いている膨大な情報群は、この伝言ゲームとはどこかが違うのだろうか。 

≪010≫  ところで伝言ゲームをちょっと変更して、次のようなルールにすると、なかなか爆笑はおこらない。たとえばAは折り紙のモデルを見せられてその折り方をおぼえ、これをBに伝える。それがC、D、Eと進んでいくというものだ。実際にこのルールでやってみると、2つのことがおこる。ひとつは、最後まで折り方が正確に伝えられていくという結果になる。もうひとつはどこかでコピーミスがおこって、そこから先はまたそのミスの折り方が伝えられていくという結果になる。 

≪011≫  前者は遺伝子のコピーと同じで、DNAの複製に近い。ここには手続きを含めたコピー作業がおこっている。このばあいはミスがおこりにくく、爆笑もおこらない。後者のようなケースは、生物学ではふつう突然変異とよんでいる。やはり遺伝子におこる。しかもいったんまちがえると、手続きミスを含めての新たな進行になる。生物の驚くべき多様性をつくったのは、この突然変異のほうだった。  

≪012≫  リチャード・ドーキンスが「ミーム」(meme)という概念を提唱して以来、遺伝子(gene)とはべつに文化や風習やイメージやモードや思考のようなものもやはり“遺伝”しているのではないかという議論が、おおいに沸き立った。  

≪013≫  ぼくは「遊」を編集しているころに、このニュースをかなり早くキャッチした一人だったので、すぐさま「意伝子」という訳語をつくったものだ。この訳語はいまでも気にいっている。しかしながらいまのところは、ミームという物質だか化学的なるものだか、あるいは意識伝達子だかが実在している証拠は、まったくあがっていない。脳を解剖すると、そこに小さなミームの切れっ端のようなものがあるという実験結果も、まだ出ていない(おそらくありえない)。けれども、遺伝学にもランナウェイ説やハンディキャップ説があるように、ミームが民主主義の幻想からスカートの丈まで、神への崇敬から「もののあはれ」まで、なんらかのかたちで伝承され、理解されつつあることを否定できる根拠もない。  

≪014≫  ランナウェイ説というのは、メスが何かのきっかけでオスのある形質を好むようになると、もてるオスの形質がますますメスに好まれ、やがてそれがオスの形質を過大なものにするというものだ。ハンディキャップ説はオスに大きな出費を強いる派手な形質も、それが生き残りに強い効果をもたらすばあいは、やがてメスがそのハンディキャップな形質を認めてしまうというものである。 

≪015≫  たしかにこのようなことが、ファッションや芸能や主義主張のような社会的な“ミームの歴史”におこっていないとは、言いきれない。いやいや、そういうモードの文化におこっているだけではない。思想や市場にも及んでいる。  

≪016≫  しかし仮にそのような伝承力がミームのせいだとして、それならそのミームは何を先渡ししているのだろうかというと、説明がつかなくなる。また、そのミームは何から何へ伝達されているというのか、何に乗っているのかということも、漠然としている。人から人へ? 脳から脳へ? 文化から文化へ? それともメディアからメディアへ? もしメディアだとしたら、それは何というメディアなのか。こうなると、わからなくなることがふえてくる。  

≪017≫  スーザン・ブラックモアはオックスフォードのカレッジやサリー大学で心理学・生理学とパラサイコロジー(超心理学)を修め、意識の集中や信仰の伝播がどのようにおこるかを調べているうちに、ミーム仮説に出会ったようだ。 

≪018≫  ドーキンスは本書について「どんな理論にも最もよい表現というものがあるが、ブラックモアはミーム理論においてそれを見いだした」と持ち上げた。すでに『体を超えて』(未訳)や『生と死の境界』(読売新聞社)を書いていたが、ミームにリモート・ビューイングではない作用を感じて、とりくんだのだったろう。 

≪019≫  ドーキンスもブラックモアも、ミームは選択淘汰されていると見ている。各所に文化・風習・思考などの要素が複合的に溜まっているミーム・プールとでもいうべきものがあり、そこでさまざまなミームが多様な相互作用をおこして、何かが淘汰され、何かが縮退し、何かが強調され、何かが高速のつながりをおこして、外に向かって波及していった。 

≪020≫  そうだとしたら、このような「勝ち残りミーム」が歴史をまたぎ、民族をまたいで、今日の社会文化の個別多様性をつくっているのだろうか。まだ分析はされていないけれど、おおざっぱには、そう、みなされる。 

≪021≫  ミーム・プールがどういうものかというと、インターネットで囲まれたウェブにやってきている大量の情報群のようなものを想定すればよい。放っておいてもそこにはどんどん情報が溜まり、それらはいつしか適宜分類されてポータルを構成し、ユーザーの検索と模倣を待っている。 

≪022≫  このミーム・プールに集まった情報には、ひとつの特色がある。それは、ここにはおびただしい情報が蓄積され、出入りしているのだが、そのすべてが伝達力の強いミームとはかぎらないということだ。たとえばウェブのポータルのアクセス数を調べてみればわかるように、この“情報の海”にはマイクロセコンドの単位でそのつど激しい取捨選択がしょっちゅうおこっている。つまりは編集が鳴りやまない。そして、いつのまにかその模様は変わっていっている。  

≪023≫  ちなみにインターネットで「ミーム」という語を検索すると、英語では八〇〇〇件近くの、日本語では一五〇〇件近くの言及がリストされていた(二〇〇二年十月現在)。けれども、これらのなかで今後も「ミーム」という概念についての説明力をもっていそうなものは、その一割もない。  

≪024≫  ミームの正体はまだまったくわかっていない。それでも仮にミームというもの(コト?)があるとすれば、ミームがどのような性質や機能や属性をもっているかということは想定できる。本書の狙いはそこにある。従来の認知心理学や言語論や脳科学や認識論を、あるいはメディア論やコミュニケーション論をミームの側から記述するとどうなるのか、とりわけ「自己」や「私」とよばれている当体をミームによって記述するとどうなるか、著者のブラックモアはそこに挑んだ。 

≪025≫  感想はいろいろある。ダニエル・デネットの志向姿勢論やヘンリー・プロトキンの学習仮説を一歩越えたという評判もあったが、そこまでの成果は出ていなかった。デネットやプロトキンが既存の議論を越えたかどうかというのは、これからの認識哲学の将来をまさに左右するところではあるけれど、ブラックモア自身の狙いはそのような哲学議論や学習議論には重点を見いださない。彼女はやはり「自己」や「私」をミームで解読したかったのだろう。  

≪026≫  本書で、ブラックモアは情報としての人間はすべからく「自己複合体」(selfplex)になっているという見方をとっている。「一人の私」なんているはずがなく、つねに「たくさんの私」が出入りをしているという見方だ。この見方をミームの側から見直すと、自己複合体はそのままミーム複合体であることになる。  

≪027≫  ミーム複合体とは「お互いにとって有利であるために一緒になっているミームの集団」のことをいう。このミームの集団を勝手に組み合わせて自分の脳と体のシステムに適合させたもの、それが「私」というものなのだ。つまりは「ミーム・マシーンとしての私」なのである。こうしたミームの集団を地域的にあるいは民族的に、また集団的に組み合わせ、それを風俗的あるいは職能的あるいは信仰的なしくみにしていったものが「文化」や「宗教」なのである。これが本書が示唆したかったことだった。 

≪028≫  しかしおそらく、ミームは複合自己を形成するとはかぎらないとも言うべきである。これを殺傷し、壊していくものもあるはずだ。たとえば武器類、アルコール類、麻薬類などが秘めているミーム……。   

≪029≫  こういえば、なんだかミームはたんなる意識形態の別名のように見えるのだが、たしかにここまでの見方だけでは、そうなりかねない。どんなミームも同じように伝承されているという印象になる。これでは具合が悪い。 

≪030≫  そこでブラックモアは、ちょっとした工夫を加えた。ミームのコピーにあたっては、「指示のコピー」と「産物のコピー」の区別があるとしたのだ。「指示のコピー」は楽譜を写したり模倣したりするコピーのことで、「産物のコピー」は演奏法や演奏スタイルなどをコピーすることをさす。さきほど書いた折り紙の手続きとともに折り紙の形を伝える伝言ゲームのばあいは、手続きの伝承が「指示のコピー」、折り紙の出来ぐあいが「産物のコピー」になっている。   

≪031≫  この工夫は安直でもあるけれど、悪くはなかった。なるほど情報としてのミームはそのコードがコピーされるばあいと、そのモードがコピーされるばあいとがある。これらは一緒にしないほうがいい。しかし、ブラックモアは大きなことを忘れていた。それはコピーミスをどう見るかということだ。 

≪032≫  最初に書いておいたように「伝言ゲーム」ではコピーミスこそが伝言のおもしろさを保持したのである。もっと正確にいえば、コピーミスが生じるかもしれないほうに、ミームは進展したがるクセをもっているようなのだ。たとえば「噂」のように。  

≪033≫  生物学ではすでにDNAのコピーミスの研究については大きな成果をもたらしつつある。けれども、生まれたばかりのミーム学ではそこまでの研究はまだほとんど始まっていない。本書の読みかた次第では、たとえば「ミームにおける誤答率」といった問題の検討が、またたとえば「ミームはどの方向に模倣されやすいか」という問題の検討が、今後は待たれるのである。 

≪034≫  ミームとは、いわば「真似されやすさ」というものである。そこに情報エントロピーや情報ノイズがかかわっていないと考えるほうが、無理がある。  

≪035≫  ミームがどんなヴィークル(乗り物)に乗って運ばれているかということも、まったくはっきりしていない。脳が主要なヴィークルであることは確かだが、この脳も、文字や書物や絵図や音楽がなければミームを乗せる力を獲得できなかった。加えて、電話やテープやファックスやパソコンがヴィークルの名乗りをあげた。こうなるとミームの乗り物のほうも複合体になってくるはずである。それに、それらと脳との関係がまた複雑だ。残念ながら、本書はこれらの疑問にはまだ答えられてはいない。だれも答えられる者はいない現状でもある。 

≪036≫  けれども、それでも次のようには言える気がするのはどうしてだろう? 「ミームの歴史はいつも私に届いているはずだ」というふうに。それはJ・G・バラードの『時の声』めいたものなのかもしれない。そして、次のようにも言いたくなる。「いま私が考えたり書いたりしている一秒一分がミームの歴史をちょっとだけ変更しているはずだ」というふうに。  

≪037≫  ずっと前に寺田寅彦が書いていた。ドビュッシーの《牧神の午後への前奏曲》が流れているカフェで珈琲にしようか紅茶にしようかと迷っているときに、女給さんが「何になさいますか」と聞いてきたとたん、私には宇宙の関与がおこったのである、と。 

≪01≫  二十数年前の暑い夏のこと、「スーパーコンセプトとしての生命について考えたい」という書き出しで、中村桂子の『自己創出する生命』(哲学書房→ちくま学芸文庫)は始まっていた。生命をスーパーコンセプトにするのか。そうそう、これこれ、こうじゃなくちゃ。桂子さんやったねと思った。 

≪02≫  一読、多田富雄さんの「スーパーシステムとしての免疫の意味」に呼応しているようにも、ヴァレラやマトゥラーナのオートポイエーシス型の意味創出仮説に向けて、ちょっと骨っぽい生命論的なルーツと科学が語る物語のパースペクティブを与えようとしているようにも思えた。たんなる生物学者の呟きではない。「ゲノムで考える」に徹しようとしていた。そのうえで生命論的世界観に向かいたいのだということが、ひしひし伝わってきた。 

≪03≫  ゲノム(genome)というのは、その生物、酵母菌なら酵母菌が、マグロならマグロが、チンパンジーならチンパンジーが、ヒトならヒトが生きていくために必要な遺伝情報の全セットのことをいう。生命進化を支えてきた遺伝と変異にまつわって継承され変化していく生体情報のすべてがゲノムだ。 

≪04≫  わが家にはナカグロという黒猫がいて、庭のサルスベリの枝に憧れている。この子はナカグロという猫ゲノムで、ナカグロが好きな百日紅はサルスベリという樹木ゲノムなのである。同様にわれわれ一人ひとりも、中村桂子というヒトゲノム、松岡正剛というヒトゲノムなのだ。 

≪05≫  ゲノムにはDNAのような化学的な高分子物質のふるまいのことだけでなく、遺伝情報に間接的にかかわるしくみや調節のためのソフトウェアも、がらくたかとおぼしいジャンクDNAやイントロンなどの役割不明な部分も、含まれる。塩基配列だけではゲノムは語れない。言いかえればマグロもライオンもヒトも、ゲノム情報の何が欠けても白紙部分や余計部分が欠けても、マグロやライオンやヒトではなくなるということだ。 

≪06≫  だから、ヒトゲノムという情報組成の上に成り立ってきた人間という生きものを哲学したり、社会学したり心理学したりするなら、つまりヒトという人間にまつわる情報のあれこれを本気で相手にしたいなら、まずはまるごと「ゲノムで考える」ということがどうしても必要なのである。 

≪07≫  われわれはそういうゲノムの種的継承を軸に進化を遂げつつ、変異や絶滅をくりかえしつつヒトに達し、そこへ脳神経系による情報処理力や身ぶり情報や道具扱い能力や言語コミュニケーション能力を重ねてきた。その全貌をゲノムから考えていくには、どうすればいいのか。どうすればいいかわからずとも、ゼッタイにそう考えるべきなのだと桂子さんは決めた。しかし本書が登場した当時、そんなことを標榜するのはけっこう勇気のいることだった。 

≪08≫  桂子さんは早くから頭角をあらわしていて、ぼくも筑波の科学万博(1985年開催)を組み立てていた下河辺淳さんから早々に紹介されていた。  

≪09≫  下河辺さんは先だって92歳で亡くなった(2016年8月13日)。東大建築学科在学中に敗戦となり、すぐに戦災復興院に勤めたのちは国土事務次官や国土審議会会長として「全総」(全国総合開発計画)を推進して、角栄以降の日本列島改造などを支えたが、一貫して権力に阿ず、既存の学術に注文をつけ、新たな才能の出現に目を届けることを厭わなかった。日本の官僚としてはめずらしく大河のような器量の持ち主で、願わくは、晩年に就任したNIRA(総合研究開発機構)の理事長としては日本のシンクタンクの強化をもっと指導してほしかったけれど、そこはまにあわなかった。その下河辺さんが早くに目を細めて応援していたのが桂子さんだったのである。 


≪010≫  桂子さんは小柄でふだんは控えめだが、いったん決断すると退路を断てる人で、それに加えて話しっぷりがたいへんチャーミングである。その言い分にはなんとも颯爽とした切れ味があった。その後、ぼくも幾つかの会で同席し、下河辺さんが団長となったアメリカ議会図書館でのシンポジウムなどに村上陽一郎さんらとともに一緒に出向いたりもした。 

≪012≫  ということは桂子さんは生命科学という枠組とその統合にとりくんだ江上さんの薫陶を受けて斯界に登場したということになるのだが、その後のライフサイエンスは予想していたものとはちがっていた。 

≪011≫  桂子さんはもともと生化学者・江上不二夫さんのお弟子さんである。 そのころ日本を代表していた生物学者には八杉龍一・木原均・大沢文夫・渡辺格・岡田節人・日高敏隆・木村資生などがいたと思うのだが、江上さんはなかでもその牽引者の一人で、日本で最初に「生命科学」(ライフサイエンス)にとりくんだ。晩年は三菱化成が生命科学研究所をつくったときに初代所長に招かれ、そこに桂子さんが“就職”したのだった。 

≪013≫  ことごとくバイオテクノロジーの最前線と混じっていって、どこか納得がいかない。そのうち遺伝子操作やクローニングや遺伝子組換えが流行し、大量の資金投入とともに食品や医療や薬剤を変えはじめていった。桂子さんは合点がいかないだけではなく、あからさまに反旗を翻したくもなっていたようだ。 

≪014≫  私がやりたいのは個別の遺伝子をいじるようなあれこれの科学技術の議論じゃない。その成果の競い合いでもない。そういうものではなく、生命論的世界観をあらわすような、「学」ではなく「誌」のような、いわば「生命誌」ともいうべきものであってほしい。それにはDNAや遺伝子をピンポイントで扱って生命の部分にこだわっていくのではなく、ゲノムまるごとを大前提にして、生命情報まるごとで考えたい。そう宣言をして、本書にとりかかったのである。 

≪015≫  今夜はそういう桂子さんの2冊をとりあげる。 『自己創出する生命』は1993年の上梓だったから、世界が湾岸戦争によって第一次文明戦争を経験し複雑多様な社会に向かっていった時期、日本はバブル崩壊後の混迷に突入したままアメリカに制御された経済成長しか目に入らなくなってきた時期にあたる。生命科学の情況のほうでいくと、アメリカ主導のヒトゲノム解析計画が本格始動したのが1991年だから、その直後にあたる。桂子さんはこうした動向を早くからキャッチしながら、こんなことで生命の意味が摑めるのだろうかという疑問をもって『自己創出する生命』を書いたのだったろう。 

≪016≫  しかしそんな疑問をよそに、ライフサイエンスの主流は遺伝子工学やバイテクのオンパレードだった。時代は生体いじりの方向へどんどん驀進していった。1994年にはアメリカで初の遺伝子組換えトマトが出現し、1996年にクローン哺乳類「羊のドリー」が誕生したと思ったら、2年後にはヒトのES細胞(胚性幹細胞)が実験室の片隅で生まれ、2000年にはアベンティス社の遺伝子組換えトウモロコシ「スターリンク」の技術プロセスが発覚して問題になった。 

≪017≫  そして21世紀が幕をあけた2001年、ヒトゲノムの塩基配列の約30億にのぼるデータが各機関各企業のシークエンサー群によって突き止められ、決定されたのである。 

≪018≫  ヒトの塩基配列がすべて確定的に拾えるということは画期的なことではあったし、それが号砲となってゲノムに対する関心が一斉開花して医療や薬学に新たなステージが拓けていくのはよろこばしいことでもあったが、桂子さんはやっぱり納得しきれなかったようだ。テクノロジーが先行しすぎてフィロソフィが追いついていないのだ。 

≪019≫  桂子さんはまたまた一念発起して2004年に『ゲノムが語る生命』(集英社新書)を書いて、あらためてゲノムによる生命像のフィロソフィカル・イメージがいかに重要かを訴えた。『自己創出する生命』が文庫になるときも、細胞とゲノムを一蓮托生で考える重要性をやや長めの「補遺」に書いている。 

≪020≫  いったい科学や科学者が何をめざしてきたかというと、総じては「真理」を求めてきた。真理を求めると、その真理は何でできているのかが気になった。そこで世界の現象を構成しているであろう「要素」を想定し、その要素間の「因果」を数学的に記述し、どんな現象や反応が可逆的であるかを突きとめてきた。しかし20世紀に入ってまもなく、現象のすべてを要素のふるまいで説明しようとしても、そこには確定不可能なこと、複雑すぎること、相補的なこと、観測矛盾になることなどがいくらでもあることが、見えてきた。 

≪021≫  そこに加わってきたのが「情報」という、モノともコトともつかない現象の役割だった。とくに生命という現象にはことこまかに情報がかかわっている。生命情報は「真理」「要素」「因果」の3つを無矛盾に鼎立させようとしているとは、かぎらない。 

≪022≫  科学はイカもスルメも研究対象にできる。生物体の構造を知るだけならスルメでもなんとかなる。けれども生命が「生きている」ということを知ろうとすると、スルメは答えてくれない。イカがどんなふうに「情報」を活かしているかを知る必要がある。 

≪023≫  生物は代謝をしつつ、世代交代をする。外界と相互作用をおこして摂取と排泄をくりかえし、そのつどモノを複製したり変異させているが、その継続を保証しているのは情報がコーディングしているコトである。生物はまた同種間で交配をくりかえして次世代を生む。そこでは情報の持ち寄りがおこっていて、さまざまな化学反応をともなう情報編集のしくみが進行する。 

≪024≫  こうして、遺伝情報は38億年の生物史のごく初期にRNAを媒介にしたDNAの複写と転写によって「生きた情報」を継承するようになった。だったら、DNAが自分の親分や子供たちが「生きている」ことを知っているのかというと、そうではない。DNAは情報要素にすぎなかったのである。「ゲノムで考える」といっても、「DNAで説明できること」と「ゲノムを考えることで浮かび上がってくること」はいささか異なるということだ。  

≪025≫  ところがふつうはDNAが遺伝情報をあやつる遺伝子で、ゲノムはその全体像だという程度にしか思われてこなかった。桂子さんは、そういうふうに見るのはおかしい。DNAや遺伝子のレベルの解読や技術革新だけでは「生きている」ということが説明しきれないのではないかと言ったわけである。DNAや遺伝子だけでは、生命現象がことごとく要素に還元されすぎるのだ。 

≪026≫  生命情報の多くの場面やしくみのすべてにかかわるものがゲノムであり、総ゲノム情報である。そんなふうにゲノムを見るために、ゲノミックス(genomics ゲノム学)という用語も使われている。 

≪027≫  だからおおざっぱにいえば、「ゲノム≧遺伝子≧DNA」というふうになる。染色体の中のDNAはゲノムとしてセットされるのだ。もうちょっと詳しく不等式を書けば「生物≧真核生物≧個体≧細胞≧ゲノム≧染色体≧遺伝子≧DNA≧RNA≧化学的高分子≧元素的物質」などとなる。ゲノムはこの不等式の真ん中を担っている生体情報概念のハブだった。 

≪028≫  それゆえ、ゲノムによって生命と情報のふるまいを語るには、うんとたくさんの関係を勘定に入れる必要がある。細胞の成り立ち、アミノ酸とタンパク質の関係、ときにはDNA以上に重要な役割を担っているとおぼしいRNAのはたらき、外から見るかぎりは遺伝情報にかかわっていないイントロンやジャンクDNAがなぜあるのかということの問い、転写や翻訳のときにおこる数々のミスマッチや誤植、そのほかさまざまな機能や場面などを勘定に入れるべきなのである。 桂子さんは、この、うんとたくさんの関係でゲノムを考えるのが好きなのだ。そのプロに徹しようとした人なのだ。 

≪029≫  いま、桂子さんはJT生命誌研究館(BRH)というところの館長をしている。ずっとしてきた。この研究館は大阪の高槻に本拠があって、そこでも展示や体験などを提供しているのだが、その歴年の活動と刊行活動がべらぼうにすばらしい。 

≪030≫  BRHは長らくカード型の「生命誌」を構成編集制作してきた。コンテンツとスタイルがお洒落で説得力がある。毎号よく出来ていた。ぼくも編集の仕事をしてきたからよくわかるのだが、たんに充実しているだけでなく、企画発案がサイエンティフィック・エレガントであること、各号の視点の変化がいいこと、そのプレゼンテーションにおもしろみがあること、図解や模式化にいつも工夫が施されていること、利用者の視線のカーソルの誘導の仕方、キャプションなどの妥当性、いずれも行き届いている。  

≪031≫  だからほんとうはそのカード式それぞれを手に取って見てほしいけれど、今夜はそこは叶わないので、代わって紹介したいのはそれらをあらためてまとめ、研究館が編集して新曜社が刊行するかっこうにした季刊の「生命誌」という書籍型の冊子シリーズのほうだ。 以下にその一端を紹介しておきたい。BRHの多彩な活動についてはホームページなどを見られたい。 

≪032≫  途中号から紹介するが、37~40号は「愛づるの話」がテーマになっていた。対話者は今道友信・岡田節人・佐々木丞平・金子邦彦で、この顔触れもみごとだが、「愛づる」で生命を語ろうというところが独特だ。 

≪033≫  むろん堤中納言物語の「蟲愛づる姫君」が念頭にあるのだろうけれど、花鳥風月まるごとをゲノムするという意気込みもある。細胞の培養と分化の研究に長年精力を注いできた岡田節人にも「細胞を愛する」というスタンスが一貫していた。  

≪034≫  一冊のなかには対談、インタヴュー・レポート、桂子さんのコメント、ゲストの一言など、いろいろ取り交ぜてある。つるつるしているテキストもあり、引っ掛かってくるものもある。たとえば本庶佑の振り返りはジョーシキ的でつまらなかったが、発生工学の黒岩常祥や分子進化に執着してきた宮田隆の話は愉しかった。リサーチレポートでは、シアノバクテリアのサーカディアンリズム(岩崎秀雄)、反り返り裏返しボルボックスのモデル(西井一郎)、ゲノム・インプリンティングの制御の問題(石野史敏)が印象に残る。 

≪035≫  「愛づる」については『ゲノムが語る生命』にも1章がふりあてられていて、「愛づる」はloveではなく、philosophyの“philo-”だろうという指摘がある。桂子さんの面目躍如であった。 

≪036≫  41~44号は「語る科学」だ。科学にひそむナラティヴィティに焦点があたる。アフリカに幾つもの物語を発見してきた川田順造と横浜ボートシアターの遠藤啄郎が「語らなければ何も始まらない」ことを強調する。 

≪037≫  磯崎行雄のプレゼンテーションはおハコのもの、大村敬一のイヌイットの話や、いまではゲノムプロジェクトの成果としても脚光を浴びている日本のメダカの話、とりわけ形態形成シグナルを研究する丹羽尚の「付属肢」の土台さがしの話は、それぞれのエピソードがピリッとしていた。 

≪038≫  45~48号の「観る」では、写真家の港千尋が「誌」には生命誌とともに人生誌があること、写真は再認行為でもあることにふれ、桂子さんがそこから「プリント」と「再」の重要性を言及するところ、神経細胞を研究してきた廣川信隆と軸索内の微小管の役割の話を通して、生命がみずからの幾つかの階層をまたぐことがなぜ得意なのかというふうに進むところ、あるいは植物学の塚谷裕一が葉っぱの話を通して「植物はなぜ形を守るのか」にこだわっていくところが、生命誌らしい。 

≪039≫  が、「観る」で一番よく出来ていたのは、クロマチン(広瀬進)、細胞接着分子(小田広樹)、光合成タンパク質(栗栖源嗣)、オートファジー(水島昇)、アストロサイト(森田光洋)を並べてリサーチレポートにしている構成で、こういうあたりがもともとの「カード生命誌」の編集的自由力がモノを言っているところなのである。 

≪040≫  49~52号は「関わる」だった。御大の大沢文夫さんが「いいかげん」の大事さをルースカップリングな見方による生命観で語っていた。中村義一のRNA研究に桂子さんが真っ正面から斬り掛かるところも読みどころだったが、ぼくにはノンコーディングRNAのほうが複雑になる理由がどうも見えてこなかった。ノンコーディングRNAには生命発現ドラマのもうひとつのシナリオがある。 

≪041≫  57~60号の「続く」はカバーを外して裏返すと、生物38億年の流れがダイアグラムになってあらわれる。フォーマットも横組から縦組に変わった。メディアのレイアウトというのは妙なもので、レイアウトの工夫ひとつで読みたくなったりうんざりしたりする。文字組の案配だけでも、外骨格の中から内骨格が待っていたかのように出てきた感じがしてくるものなのだ。 

≪042≫  この号は、日本のオートポイエーシス理論を先導してきた河本英夫とのセッション、形態進化を研究してきた倉谷滋とのセッション、個体ごとに遺伝子を使い分ける「柔らかいゲノム」に注目する郷康広のレポートがおもしろい。巻頭に桂子さんは「生きものは続こうとしている」のではないことを強調していた。生命活動は目的論的なんかではないのだ。「続く」とは中心の実体がでんとしっかりしているから保持されているということではなく、たえず変化があるから、何かが続くということなのだ。 


≪043≫  61~64号は「めぐる」だった。話題の『凍った地球』(新潮選書)の田近英一が登場して、スノーボール仮説のあらましを語るのだが、ピーター・ウォードの酸素濃度説を紹介しているのが、うん、よしよしだった。ウォードの本はそのうち千夜千冊するつもりだ。 

≪044≫  この号では石弘之さんがダントツの人である。朝日の科学記者だったが、環境問題に精通して東大大学院、北大、東京農大でも教鞭をとってきた。つねに問題意識が旺盛な人だ。日本ではこういう環境科学者はあまりいない。町田龍一郎と蘇智慧の昆虫をめぐる系統進化学と比較発生学のドッキングした見方は、今後に期待されるものだろう。 

≪045≫  65~68号は「編む」。いよいよ津田一郎の登場である。もう何度も書いてきたことなのでまたまた繰り返しになるが、30年ほど前、ぼくは津田一郎ほどのジーニアスなアブダクション能力の持ち主は日本にはなかなかいないなと確信したものだった。桂子さんとの会話にも、津田君のちょっとした言い回しがものすごい深みを抉っていることが滲み出ていた。  

≪046≫  この号はほかにも、由良敬の植物オルガネラに見るRNA編集仮説、藤島晧介の古細菌に見いだすtRNAのふるまいの話、澤井哲の粘菌の自己組織化の具合の話、あいかわらずではあるけれど吉田賢右さんのATP合成酵素をめぐる話などが入っている。 

≪047≫  69~72号は「遊ぶ」で、冒頭にぼくが登場する。だからいささか羞しいのだけれど、この号では医学と俳諧を重ねてきた永田和宏さんの知的な遊び方、世界を書き割りとして見る錯覚美術館の杉原厚吉さんも「遊」の先駆者なのである。そのほか、「海のオタマジャクシ」の西野敦雄のレポート、ZPA(極性化活性帯)を追いかけている田村宏治のレポートにも好感をもった。 

≪048≫  以上、ごくごく一端を紹介してみたけれど、こうした編集構成作業はもっともっと評価されていい。科学は狭い学問の部屋に閉じこもっていてはまずい。論文の引用回数を誇りあっていてばかりでは、いけない。桂子さんのような編集科学力にもっと包まれたほうがいい。 

≪049≫  そもそも遺伝にはジェノタイプ(遺伝型)とフェノタイプ(表現型)がある。科学者も何かフェノタイプの解釈からの転換を試みるべきなのだ。桂子さんは『自己創出する生命』の補遺にこんなことを書いている。 

≪050≫  ……生命そのもの。実は今、私の中ではこの言葉に疑問符がついている。これは、もう少し広い問でもある。つまり名詞ではものが考えにくいという実感である。(中略)生命尊重。ここでこの言葉を出してみても空しい。ここ数年、名詞でなにかを表現しても、具体的活動につながらないもどかしさを感じてきた。(中略)確かに、幸福、福祉、平和などという言葉は、とても素晴らしいですねと反応するしかなく、実体は何なのか、どのようにしたらその状態になれるのかを考えることにつながらないことに気づいた。そこで、できるだけ日常的で平易な言葉で考えようと努めた結果、名詞よりも動詞、漢語よりやまとことばがよいと考えるようになった。 



≪051≫  今夜、桂子さんの著書の案内にかこつけて「生命誌」を紹介したのは、こうした中村桂子館長とBRHの「努め」を伝えたかったからだ。 

≪01≫  自然にどんな階層があるのかはまだわかっていない。とくに物質系と生命系のあいだ(境界)がどんなふうになっているのか、幅があるのか溝があるのか、それとも何かの橋がかかっているのか、まだわかっていない。けれども、次のように想定することはできる。 

≪02≫  物質系では宇宙の誕生このかたヒッグス粒子に始まる諸要素と4つの力に大別できる諸力によって、光優位から物質優位に向かって離合集散がおこってきた。これによって素粒子・原子・分子などが階層的に構成され、そこに分離や重合が生じた。やがて分子のレベルで化学反応がやりとりされ、生体膜によって内部と外部を分ける細胞が動き出しはじめると、核酸やタンパク質といった高分子に複雑な化学進化がおこった。 

≪03≫  この化学進化は生命系の出来事を「情報」のふるまいによって語れるようにした。そのうち生命系は数億年をかけて、情報をめぐる自己複製と変異をくりかえしつつ多様化していく「複雑系」になっていた‥‥。 

≪04≫  本書は生命系を複雑系として捉えるための仮説的な原理を提供しようとして取り組まれたもので、幾つかの互いに響きあうテーゼ(命題)とその関係式を次々に掲げて、それについての解説や補足をほどこすという体裁をとった。  

≪06≫  著者はゲノム情報学の泰斗の一人である。東大その他で計数工学と医学と生命情報学を修め、その後は長く“Artificial Life and Robotics”などの国際シンポジウムなどを主宰してきた。 

≪05≫  生命活動にひそみ、生命活動をとりまく格別な複雑性は、記述的複雑性(descripitive complexity)、計算的複雑性(computational complexity)、力学的複雑性(dynamical complexity)に分けて説明することができるのだが、これらをできるだけ複合的に説明しようとしたのが本書のもくろみである。この複合的な生命システムの複雑系には、しばしば断続平衡(punctuated equilibrium)とカオス的遍歴(chaotic itenaran-cy)が出入りする。 

≪07≫  その著者が生命原理思考に寄与するべく、きわめて原則的な問題意識に富んだ一冊に仕上げたのが本書『生命と複雑系』だった。懐かしい。刊行時の2002年はヒトゲノムの全塩基の配列解読はあらかた終了していたものの、ES細胞の今後の見通しなどは見えていず、ゲノム情報学はまだ胎動期だった。そんななか、本書のアブストラクティブな解説はストイックな光芒を放っていたものだ。マンフレート・アイゲンのハイパーサイクル理論にご執心だったぼくには、ありがたい1冊だった。 

≪08≫  生命は物質系(物理的な系)としては循環構造をもつ非平衡系である。情報系が物質系を特異に組織化することによって、生命が生まれた。 

≪010≫  生命は物質系から生み出されてきたが、それならその物質系がどのように生命系に変じたのかといえば、変じたのではなかった。そこに情報が出現し、その情報が「細胞」という柔らかい枠組みを媒介に自己複製をおこして、しだいに動的で複雑な秩序をもった。これは、RNA(リボ核酸)やDNA(デオキシリボ核酸)がA(アデニン)、G(グアニン)、C(シトシン)、T(チミン)という塩基をもつことによって導かれた現象だ。  

≪09≫  地球上に生命が誕生したのは、地球がエネルギーを循環できる構造(貯めたり逃がしたりできる構造)であって、かつ、この物理系が熱力学的にほどよい非平衡系であったからだった。そこに化学進化をともなう「情報」の複製と変異を見せるふるまいが出入りするようになった。  

≪011≫  だからこの現象は物質的現象なのに、その塩基がコードをもった分子としての核酸のはたらきをするとき、その配列にはアミノ酸配列に関する「生きた情報」が動くことになったのである。  

≪012≫  物質系の一部が情報分子として生命に自己複製と代謝とを可能にさせたわけである。注目すべきは、そうした高分子のふるまいに「自己」というものが、正確には「情報的生命自己」というものが、ぼくはそれを「情報編集的生命自己」と呼びたいが、そのような自己が生じたことだ。 

≪013≫  かくて生命は自己触媒過程(autocatalystic process)によって情報自己をもち、生体としての「再帰的な自己形式」あるいは「自己再帰的な情報言及様式」をもった。生命はすこぶる編集励起的な系になったのだ。 

≪014≫  どんな生命も細胞によって構成される。どんな生命も細胞的生命である。そこには「代謝ネットワーク」と「情報マクロ分子ネットワーク」と「膜生成系」が動いた。 

≪015≫  生物の基本代謝物質は種によって異なるが、一般には20種のアミノ酸、8種のヌクレオチド、25種類の糖類、8種類の脂肪という、およそ60種の分子にもとづいている。代謝ネットワークはこのような基本代謝物質を提供するためにある。   

≪016≫  代謝ネットワークは円環的というよりも円環を折り畳んだような集中部と分岐部をもった。集中(hub)−分岐(branch)構造のネットワークになっている。たとえば解糖系-TCA回路では集中部からアミノ酸合成や脂質合成などの分岐部がのびる。その枝は一方向ではなく異化と同化の両方向をおこすため、食物分子や老廃物の入出力を除けばネットワークは閉じた構造を示す。 

≪017≫  代謝ネットワークを活性化させているのは代謝物資だけではない。マクロ分子の酵素(enzyme)というタンパク質が生体中の反応促進にあずかっている。この反応系が情報マクロ分子ネットワークである。酵素はプロセスそのものを担当する。 

≪018≫  酵素は遺伝情報についての特異性をもっていて、特定の化学反応にしか作用しない。しかし酵素は実体ではなく、その化学反応のエディティング・プロセスそのものなのでもある。生命はこの酵素の多様な作用によって反応を調節され、制御されていく。 

≪019≫  酵素を触媒とする情報マクロ分子ネットワークが自己触媒的であるのは、このネットワークのコアコンピタンスとして、DNAを複製するDNA複製酵素、DNAをテンプレートとしてこれを転写してメッセンジャーRNAを合成するRNA合成酵素、リボソーム、複合酵素をコーディングする遺伝子DNA群などが、これらのかたまり自身で自己触媒集合(autocatalystic set)をつくっているからである。 

≪020≫  膜生成系は生体膜(cell membrane)によって領域的に細胞的自己を形成する系のことをいう。 

≪021≫  生体膜(細胞膜)ははなはだ流動的な外包性をもっている。膜がリン脂質による二重性をもち、カリウムやナトリウムのイオンを浸透させるポンプキャリア・チャネル(電位依存型のチャンネルと能動輸送)のはたらきをして、生命の再帰的で自己触媒的な性格の基礎を用意する。流動的区画化によってエントロピーの増大を抑え、細胞の構造維持とその自己組織化を保持するのである。 

≪022≫  マトゥラナとヴァレラ(1063夜)はそこにオートポイエーシスの作用があると主張したが、そうだとしてもその細部の説明はまだ充実していない。  

≪023≫  以上の「代謝ネットワーク」「情報マクロ分子ネットワーク」はすこぶる相補的であり、その性質の基礎を原核生物期の「膜生成系」が用意し、これが真核生物におよんで細胞内にリボソーム、ミトコンドリア、葉緑体、小胞体、ゴネジ体などのオルガネラ(細胞内小器官)がそろったとき、生命はかなり複雑な自己再帰様式に達したのであったろう。 

≪024≫  生命の自己発現にあたっては、いまなお議論の渦中にあるのだが、DNAのセントラルドグマの進行以前にRNAワールド(ribonucleioprotein world)が先行していた可能性がある。 

≪025≫  RNA分子と補助因子だけで、最初の細胞に必要な化学反応をおこすべき酵素群をまかなったのではないかという説だ。これはRNA自身が触媒的な酵素の役割を演じた可能性を告げる。ケアンズ=スミスらがこのようなRNAワールドが原始地球の粘土質や黄鉄鉱にあらわれたのではないかと仮説した。かつてぼくはこの仮説の一端からRNAの先行的エディターシップを愉しく想い描いたものだった。 

≪026≫  しかし、RNAのような複雑なポリマーの合成にはマクロ分子の触媒作用がないと不可能なところもあって、そうなるとRNAコード化以前のポリペプチド分子の先行が想定されて、これはこれでたいへん興味深いプレ編集力があったということになる。クリスチャン・ド・デューブ(200夜)がこの仮説を提示していた。  

≪027≫  本書はこのあと、エネルギー代謝のためのATP・電子伝達回路のこと、光合成の機構のこと、TCA回路(クエン酸回路)のこと、糖と脂肪酸とアミノ酸の代謝のしくみのことに入り、そこから遺伝子とゲノム情報の複製・転写・翻訳の自己再帰的説明に入っていく。

≪028≫  そこで一転、ふたたび生命の非平衡性のことをシュレディンガー(1043夜)の「生命は負のエントロピーを食べている」に戻って、なぜ生命システムが熱力学的非平衡性を活用した循環構造をもちえたのかを数式を多用して説明する。   

≪029≫  たんなる循環構造ではなかった。そこにはハイパーサイクルが起動していた。そこで本書はいよいよアイゲンのハイパーサイクル理論にもとづいて、生命体にとって情報がなぜ再生産しつづけなければならないのか、化学的な反応サイクルがどのように自己触媒サイクルないしは相互触媒サイクルに転じうるのか、それらのプロセスが情報による自己組織化や相転移をおこすのはなぜかといったことを問うて、そこには「集合的自己触媒性」(collective autocatalyticity)が発現したからではないかということを説明する。 

≪030≫  このあたりから、著者はスチュアート・カウフマン(1076夜)の複雑系のモデル、とりわけランダムグラフ結合の相転移についてのモデルと推論をさまざまに援用していくのだが、かなり高度な説明になっているので割愛する。 

≪031≫  生命はすこぶる創発的なのである。カオスの川っぷちから次々に秩序をつくりだしていったのだ。この異様なシナリオの依って来たる生命論的リテラシーがわかれば生命の驚くべき本質に近づけるのであるが、これをわかりやすく説明しようとするのはそうとうに厄介だ。 

≪032≫  そもそも生命現象のそこかしこのプロセスに出入りする「創発する集合的な性質」(emergent collective property)ということを、数学的なアプローチを抜きに語ることが難しいのだ。 

≪033≫  生命現象の多くは、数学的には物理的決定論と確率論の境界に生じていったというふうにみなせる。これが物質系と生命系の「あいだ」をあらわしているのだが、そこにあるのは数式の進行ばかりで一般読者にはイメージは浮かばない。しかし、少し数理や数学にかかわってきた者にとっては、こちらのほうがずっとロマンチックなのである。 

≪034≫  本書『生命と複雑系』は読書界ではほとんど話題にならなかったけれど、ぼくのように津田一郎(107夜)の薫陶を受けながら生命と脳の謎をさぐってきた者にとっては一種のサブバイブルだったのである。 念じて記しておきたかった。 

≪01≫  ギュンター・グラス(153夜)は『ブリキの太鼓』を書いたあと、「作家は勝者の側の人間ではなく、失敗を頼って生きており、敗者、ことに永遠の敗北者に信頼を寄せるのだ」と述べた。グラスらしい名言だった。 

≪03≫  グラスの言う永遠の敗北者とは、誰某(だれそれ)という人物のことではない。「われわれ」という種族を数々の失敗とともに成立させてきた流れのようなもの、破れ容器のようなもの、そういう大きな流れや容器とともにある継続的な敗者のことだ。 

≪05≫  おまけにいまだに「われわれ」のまわりは、体の外も体の内も古細菌や原核細菌ふうのバクテリアとウィルスだらけなのである。「ここ」は太古でもあるのだ。 

≪02≫  グラスは風変わりな作家である。作風は一見奇ッ怪だが、そこにおびただしいデータが詰まっている。そのことは『ブリキの太鼓』に続く三部作の『猫と鼠』『犬の年』(いずれも集英社文庫)にも如実にあらわれている。ドイツは政治的統一などではなく、あくまで文化的統一でいくべきだとも、何度も主張した。 

≪04≫  この水漏れのする容器は生命分子と環境因子でできている。光合成以来の炭素とタンパク質とゲノムと太陽エネルギーでできている。それが証拠に、いま「われわれ」はなるほど「ここ」にいるにはいるのだが、「ここ」にはビッグバン以来の宇宙背景放射も刻々届いていて、海洋に生命を誕生させたシアノバクテリアの末裔も生きているわけである。その光合成と核酸がつくった「情報」は一度たりとも停止はしなかったのだ。 

≪06≫  それだけではない。この流れ容器の内外でおこったことは失敗の連続だったと言わざるをえない。地球は何度もスノーボール状態になったのだし、恐竜は絶滅したのだし、ネアンデルタール人はいない。そうしたなかで、「われわれ」は「ここ」に「いる」。しかし、グラスはその失敗の歴史にこそ信頼を寄せたわけである。
 

≪08≫  だから本書は生物のしくみをめぐる科学書というよりも、生命の意味とその記号性をめぐる哲学書に近い。文章も展開もこの“筋”を追うためのもので、激々ロジカルというよりは淡々アナロジカルである。 

≪07≫  デンマーク語で本書が発表されたのは1993年のこと、最初の日本語訳が刊行されたのは1999年だった。けれども、その控え目な提案は、色褪せてはいない。分子生物学者のホフマイヤーが38億年に及ぶ生物圏あるいは生命圏の出来事の全貌を一貫して「記号圏」として捉え、そのことによって生命と人間にひそむ「意味」と「価値」をまさぐるという根本的な作業仮説の“筋”をのこしたからだ。 

≪09≫  ホフマイヤーがアナロジカル・シンキングに近づいたのは、チャールズ・パース(1182夜)の考え方に強い親和性を感じているからだった。とくに3つのパースのヒントに依拠した。 

≪010≫  第1には、パースがロジカルプロセスと見えるプロセスは多次元ネットワーク上を動く3項関係の「あいだ」を追うアナロジーによって成り立っているとみなしたことだ。 ホフマイヤーはこのことがゲノムの生命記号的な進行プロセスにも、また使い勝手のあるDNAエキソンと使い勝手のないDNAイントロンとの関係にも当てはまるだろうと見た。  

≪012≫  第3に、パースはつねづね「自然には習慣化する傾向がある」と言っていた。パースはこの習慣(コンベンション)は「生命が必然のロジックで進捗するのではなく、忘れっぽかったり癖をくりかえしたりすること」にあてはまると見ていた。 

≪011≫  第2には、自然界や生物界には決定論的に選択されるものよりも自発的ないしは偶発的な要因が相互に絡みあっているとパースがみなしていたことである。ホフマイヤーはこの見方にも従った。加えてホフマイヤーはここにヴァレラ(1063夜)やマトゥラーナのオートポイエーシス仮説やカオス理論における創発仮説を重ねた。 

≪013≫  ホフマイヤーは、この忘れっぽく何かがちょっとした癖になるようなことが、生命記号を創出・創発したのだろうと解釈し、そこから生命における「宿命と自由」の案外にフレキシブルな関係が記述できるだろうとした。 

≪014≫  なかでもパースが3項関係によって「記号」はネットワークを動きうるとした見方は、ホフマイヤーの基本となった。 パースが言うように、「原因にあたるもの」と「結果にあたりそうなもの」による2項関係では、ロジックは閉じていく。これは生命現象的ではない。そうではなく、原因と結果の2項に対して、第3項として「それらを観測しているもの」(外部からの観測者と内部観測者)が加わって、パースの記号論的な3項関係が成り立つのである 

≪016≫  川出の成果は『生物記号論』(京都大学学術出版会)に、日本記号学会の成果は『生命の記号論』(東海大学出版会)にまとまっている。本書の訳者で長めの解説を寄せている内部観測仮説派の松野孝一郎(51夜)も、ホフマイヤーの生命記号論の展開と転換をプレゼンテーションしてきた一人だった。 

≪015≫  この内外の因果を観測するものの束こそが、生命を生命たらしめているのであろう。  生物学者(それも分子生物学者)がここまでチャールズ・パースのアブダクティブな考え方に親近感をもつというのはめずらしいが、このことは日本ではインターフェロンを研究してきた京大の分子生物学者の川出由己によって継承され、その後は日本記号学会の「生命の記号論」研究に引き継がれていった。  

≪017≫  しかしホフマイヤーはパースの3項関係にヒントを得ただけではなかった。そんなことは大前提だった。ほかにフォン・ユクスキュルの生物環境観、グレゴリー・ベイトソンの生態観、モーリス・メルロ=ポンティの相互関係論、コンラッド・ローレンツの動物行動学、ジャック・ラカンの鏡像論、さらにはトマス・シービオク(508夜)の探偵記号論、ニクラス・ルーマン(1349夜)のコンティンジェントな社会システム観の考え方や見方を踏まえて、闊達な生命記号論を構成した。 

≪018≫  たとえばベイトソン(446夜)からは、サルたちの仲間への「あま噛み」についての観察を援用した。あま噛みは本気の噛みつきではなく、そこに何かのコミュニケーションのための「意味」の余地をもった行為である。 

≪019≫  ラカン(911夜)からは、子供たちがたいていは妄想という観念の中にいると指摘していることをとりあげ、この日々の妄想の鏡像過程は生命の歴史の記号論的な「あま噛み」だろうとみなした。 

≪020≫  生命の歴史は遺伝情報のコピーミスによる変異の連続によっても成り立っているのだが、そこには記号論的な「妄想」や「あま噛み」があったとも、言える。 

≪021≫  メルロ=ポンティ(123夜)は周知のように、主体が経験の総和によって成り立っているのではなくて、むしろそこにひそむ「不一致の重要性」が関係主体を成り立たせていることを指摘した知覚哲学者だった。ホフマイヤーはここからは生命の自己言及性が必ずしも閉じられていないという特色を説明した。  

≪023≫  不一致と一致は紙一重なのである。ときに鍵と鍵穴だ。その「あいだ」の領分に生命は着床しつづけたのである。 このことはユクスキュル(735夜)が生物と環境をくっつけて「環世界」とみなしたこととも連動する。 

≪022≫  生命現象は生化学反応のなかの自己組織化のくりかえしであるが、そこには厳密な自己言及が成り立っているところと(たとえば免疫自己)、そうではないところがある。 

≪024≫  ユクスキュルは生物と環境は互いが互いの「抜き型」になっていて、進化で残るのは何かの種や遺伝子なのではなくて、むしろ「抜き型」のための翻訳パターンだろう、そこにひそむ対位法のようなものだろうとみなしたのだが、それはベイトソンのいう「情報」であり、つまりはホフマイヤーのいう「記号原理」だったのである。 

≪025≫  もとより「われわれ」が「ここにいる」ということにはなんらかの、おそらくは格別の意味がある。 地球の生態系と、そこに酸素圏を付与してまでして創出させた生命現象系と、その一隅の哺乳類が言語と道具をもって人間社会系を寄り添わせたことには、かけがえがないほどの価値がある。けれどもそうは感じるものの、この「意味」や「価値」がいったいどういうものかは、いまなお定義づけられていない。 

≪027≫  それなら、これをいったん「記号」や「情報」や「ゲノム」や、ときには「炭素循環」や「タンパク質」や「ミトコンドリア」に主語をあずけて語りなおせばどうなのか。そうすれば、「われわれ」は自身の由縁を生命情報記号系として語れるのではないか。その流束を体現できるのではないか。それなら、そこに新たな主語や述語も生まれるのではないか。  

≪026≫  ビッグバンから数えて150億年ほどがすぎ、生命が誕生してからも38億年以上がたっているのだから、いまや「われわれ」はまるごとが生命情報記号流束そのものの一員(一因)なのである。ここには切断面が入らない。だから「われわれ」が「ここにいる」「おまえたちもいる」「神もいたんだよ」と言ったところで、「どこにいるのか」「いつ、いたのか」「それでどうなったのか」と問いなおされるだけなのである。ドストエフスキー(950夜)もベルクソン(1212夜)もダナ・ハラウェイ(1140夜)もそこを考えざるをえなかったはずだった。 

≪028≫  本書はそのような観点による記述がどのくらい可能性があるのかを確かめたくて綴られたものだった。  

≪029≫  本書はそのような観点による記述がどのくらい可能性があるのかを確かめたくて綴られたものだった。 

≪031≫  このデジタルとアナログのあいだには、一致と不一致、連続と非連続、鍵と鍵穴をつなぐものとして、必ずや「アナローグ」(類似性)というものが行き来する。すなわち二つのあいだはパースの言うアブダクティブな「アナロジー」(類推関係)でしか埋まらない。 

≪030≫  「われわれ」はDNAによって記述された生物である。生物はDNAを介して自他を記述する。この記述は遺伝型(genotype)ではデジタルになっていて、表現型(phenotype)ではそこにアナログがかぶさっている。デジタルははなはだ離散的で、必ずや仕切り(チャンク)で区切られる。けれどもそのデジタルが外にあらわすものは多分にアナログ的なのだ。 

≪032≫  生命の本質は、この「デジタルとアナログという二つの形に託されたメッセージのあいだの記号論的相互作用に依存する」。これが「記号双対性」というものだ。ホフマイヤーはこの双対性を一緒に見ようとすると、そこに「われわれ」という「自己」が形成されるのだろうと見た。その「自己」は細胞の原形質とDNAの両方をルーツとしているのだ。  

≪033≫  近代以降のわれわれ、もっとはっきりいえば欧米文明とともにつくられた「われわれ」は、実は本来の記号双対性を摩滅させたか、見失っているか、ないしはその再発見の感知力を失っている。自分の中のジェノタイプやフェノタイプを実感できる者なんて、どこにもいない。 

≪034≫  ホフマイヤーは3つの断絶がおこったからだと考えた。最大の断絶は「言語であらわすわれわれ」と「イメージにとどまっているわれわれ」とのあいだの断絶だ。ついで「社会に属するわれわれ=自己」と「個人に属するわれわれ=自己」が断絶された。地球と生命と社会に切断面は入れようにも入らなかったはずなのに、である。  

≪035≫  ここには、「生態系=生体としてのわれわれ」と「ゲノムとしてのわれわれ」という断絶がおこっているのだ。けれどももはやこのことは、近代欧米人にはまったく感知も思索もできないものになっている。この断絶を埋めるには、おそらくは生命史や生態生物間をまたぐ「共感」に馮(たの)むしかないだろう。   

≪036≫  ホフマイヤーはこんなふうに反省している。また、大きな責任を感じているようだ。「西欧文明が世界をまちがった方向に導いたのは、支配ということに興味をもちすぎたからだろう」と。 

≪037≫  こんなふうにも書いている。「西西欧が残りの世界を支配する、政府が社会を支配する、医者が患者を支配する、教師が生徒の学習を支配する、人間が自然を支配する、自然選択が進化を支配する、脳が肉体を支配する、DNAが胚発生を支配する。こんなふうに考えてしまうのは、つねに二元論が頑強になっていたからなのである」。 

≪01≫  あのころは類書があるようで、なかった。 だからいままでずいぶん多くの諸君に「この本はぜひ読むといい」と薦めてきた。ダイナミックな地球生命観をもつための門を蒙(ひら)くキーブックを選ぶなら、本書はまちがいなくそこに入る。 

≪02≫  地球科学の本や生命化学の本はいくらもあるし、地球にどのように地質変化がおこってそこからどのように生物が誕生進化してきたかを述べている本は、少なくない。けれどもかなりの実証的な調査研究にもとづいて、しかもかなりの見方に独創が加わっているとなると、ましてそれを日本人の科学者がまとめたものとなると、あまりなかった。1998年の著書だった。 

≪03≫  海洋研究開発機構の研究者に高井研という地球生物学者がいる。まだ40代だ。2011年に『生命はなぜ生まれたか』(幻冬舎新書)を書いた。なかなか痛快な本なのだが、この本のなかで高井は本書が自分にとっての先駆的で決定的な一冊になったと述べている。 

≪04≫  丸山茂徳についても、一言ふれた。「強烈な反体制性」「独創的科学至上主義」「一般的社会協調性の欠如」などの風変わりな特徴をいくつかあげ、その科学的構想のスケールと構想を実証する情熱に関しては、「私が出会った研究者で最高級である」と絶賛した。 

≪05≫  ぼくも著者の一人の丸山さんとは本書が上梓される以前から面識があって、会って数分、すぐに何かがピンときた。地球科学者として並々ならぬ見識をもっているだけでなく、反骨の息吹の奥からいろいろユニークな発想が湧いている。地球温暖化問題でも安易な議論を退けて独自の意見を主張する。 

≪06≫  さっそくぼくと金子郁容(1125夜)がモデレートをしていたニフティサーブの舞台「ネットワーク・イン」などに出てもらったものだ。 

≪07≫  丸山茂徳はもともと変成岩などを研究してきた地質学者だが、その名を有名にしたのは「全地球テクトニクス」計画にとりくんでからである。 

≪08≫  とくに、厚さ100㎞のプレートの変動(テクトニクス)を説明したプレートテクトニクス理論のど真ン中に、深さ2900㎞に及ぶマントル全容の対流運動を仮説した「プルームテクトニクス」をぶちこんで、38億年前の始生代(太古代)からの全地球史の解明にニューウェーブをもたらした。そのときどんな狼煙を上げたかという経緯は、1993年の『46億年、地球は何をしてきたか?』(岩波書店)に赤裸々に綴られている。 

≪09≫  丸山の構想と仮説と意気込みは当時の地球科学界にけっこうな衝撃を与えたようだった。ぼくが東工大に会いに行ったのはその裏話を聞くためだった。 

≪010≫  共著者の磯崎行雄も地球科学者だが、プルームテクトニクス理論に依拠しつつ、これを生物史の不可解な断続性に適用するための調査研究を積み上げて、名古屋北方の犬山地質の微化石たちの声を聞き分けた。 

≪011≫  本書『生命と地球の歴史』はこの二人が連携して仕上げた先駆的な一冊なのである。文章も二人一体になっている。新書にしてはそこそこ専門的な記述が多いと感じるかもしれないけれど、必ずやわかりやすく読める。だからお薦めなのだ。 

≪012≫  最近では、本書より詳しい地球史のプロセスの全貌を案内したもので、入手しやすいものがふえてきた。次のものがある。
『全地球史解読』(東京大学出版会)発売日:2002年10月28日
『地球と生命の進化学』(2008-03-31 )『地球の変動と生物進化』(2008-03-31 )(北海道大学出版会)、
③ロバート・ヘイゼン『地球進化 46億年の物語』(2014年05月21日 )(講談社ブルーバックス)、
④松井孝典『生命はどこから来たのか?』(文春新書(刊行年 2013年 ))、
⑤ピーター・ウォード&ジョゼフ・カーシュヴィンク『生物はなぜ誕生したのか』(2016.01.14 )(河出書房新社)など。 

≪013≫  ①は熊澤峰夫・伊藤孝士・吉田茂生が編集構成したもので、丸山・磯崎も執筆している。地球解読の方法論に興味があるならこちらを紐解くのがよい。 

≪014≫  ②は北海道大学グループが組み立てた「新・自然史科学」と銘打たれたもので、大学院や学部生のためのテキストとしてバランスのよい構成と執筆になっている。 

≪015≫  ③は鉱物学者による地球生命史の総説で、ぼくの好みに近い仮説が横溢する。かつてのケアンズ・スミスを思い出した。その『遺伝的乗っとり』(岩波書店)や『生命の起源を解く七つの鍵』(岩波書店)は、鉱物がもつ結晶パターンが炭素系元素を含んだ粘土に移転して、そこに炭素系生命体が発現したという“テイクオーバー仮説”を披露していたのだ。 

≪016≫  ④は日本を代表する地球科学者の松井孝典が、1990年に書いた『地球=誕生と進化の謎』(講談社現代新書)を一新してアストロバイオロジーの観点から総合的に点検してみせたもので、説得力があり、わかりやすい。一読を薦めたい。 

≪017≫  ⑤は『恐竜はなぜ鳥に進化したか』(文春文庫)、『生命と非生命のあいだ』(青土社)など、唸るような名著の多いワシントン大学のピーター・ウォードがスノーボールアース仮説の提唱者カーシュヴィンクと組んだ最新著作で、そうとうに濃い。またもや唸らされた。読み物としての科学滋味もある。 

≪018≫  では、ざっと概観をする。 ほんの表面だけを摘まみ食いするだけになるけれど(少し他著の視点も加えたが)、今夜はそれでいっぱいになるだろう。  

≪019≫  宇宙や太陽系といった大きな話からすぐに原始地球と地球年代史のほうへ、さらに光合成生物の誕生から生物相の劇的な変転史に移る。そこには小天体の激突も超大陸の形成も、何度かの生物撃滅の危機もあった。酸欠や冷却もあった。いずれも地球環境や酸素環境のせいだった。 

≪020≫  地球生命史はその難関を切り抜けてきた。このプロセスの大要はどうしても知っておく必要がある。 

≪021≫  現在の宇宙年齢は137億±2億年である。ビッグバンで宇宙に出現した元素は水素からベリリウムまでの軽い元素だった。ビッグバン後に宇宙を満たしていた3Kの背景輻射の温度が急速に低下して、宇宙空間には水素の密度が周囲より高い低温領域ができた。「ゆらぎ」がおこったのである。 

≪022≫  そのなかの大きなものは巨大分子雲として周辺の星間ガス(気体)やダスト(固体微粒子)を集め、さらにそこに微惑星が加わって原始的な星に向かう。「T-タウリ星」(原始星)と呼ばれる。太陽は巨大分子雲が発展したTタウリだ。  

≪023≫  Tタウリは太陽ほどの大きさなら3000万年くらいでふつうの恒星に成長して、主系列星(main-sequence star)になる。そうした恒星の内部では核融合反応(熱核反応)によって重い元素ができていった。主系列星にはやがて公転面に周囲のガスやダストや岩石や金属の断片が集まって、みずから回転をしながらプラネット(惑星・遊星)に向かっていく。こうして太陽系に地球が誕生した。原始地球だ。 

≪024≫  いまのところ発見されている地球最古の物質は、オーストラリアで確認された砂屑性のジルコン粒子である。絶対年代は44億年になる。 

≪025≫  原始地球にはのべつ微惑星などが衝突し、強度の熔融や付加や変転をくりかえした。熱いマグマがうねり、それが「マグマオーシャン」(マグマの海)となり、何度かのジャイアント・インパクト(小天体の衝突)があって地球から月をひねり飛ばし、たえず全体が大揺動していた。 

≪026≫  初期の原始地球はしばらくはかなりのスピードでくるくる自転していたが(1日が数時間)、しだいに安定した回転地球になっていった。これによってどろどろのマグマオーシャンが分離して原始地殻が形成され、中核と表層が分かれていったのである。表層近くでは「プルームテクトニクス」がおこっていた。プルーム(plume)とはマグマの熱柱流のことをいう。 

≪027≫  原始地球は、ざっと内側から順にいうと「核・マントル・マグマオーシャン状態・プルームテクトニクス状態・プレート・地殻・地表層・原始大気層」という流動的構造をもっていた。いずれもきわめて動的だ。 

≪028≫  このうちのマントルは深さ670kmを境に上部マントルと下部マントルが分かれ、60〜100kmの厚みのプレートを動かし、地殻と同じ動きをするリソスフェア(岩石圏)と、その下のアセノスフェア(岩流圏)をつくっていった。これらの関係はプレートが自重によってたえずマントルに沈み込むように、たえず揺動的なのである。 やがて初期のプルームテクトニクスとマグマオーシャンの揺動が収まると、基本的な成層構造の原型ができた。 

≪030≫  このうち顕生代が「古生代」「中生代」「新生代」に分かれ、
さらにそれぞれがカンブリア紀〜デボン紀〜ジュラ紀〜第四紀というふうに細分化された。
年代概念は、累代(eon)、代(era)、紀(period)、世(epoch)、期(age)というふうに振り当てられたのである。以下に示した年数にはけっこうな誤差が含まれる。目星くらいのものと思われたい。 

≪031≫  さて、原始地球に何がおこったのか。 まずは無数の微惑星が落下して、衝突のたびに揮発成分が蒸発し、水と二酸化炭素からなる「原始大気」が生まれた。この大気は宇宙から飛来してきたもの(一次大気)というより、ジャイアント・インパクト(火星級の小天体の衝突)によってマグマオーシャンが脈打っていた。原始地球の活動によって組成が決まった二次大気だ。 

≪032≫  ヘリウム・ネオン・アルゴン・クリプトン・キセノンなどの構成比からもそのように推察できる。 そのうち地球温度が下がってくると、大気中の水蒸気が降雨となって「原始海洋」ができた。原始海洋にはまだ高温の海水「熱水」がぐらぐらとしていたが、そこに地殻付近の熔融岩石が接触して含水鉱物をつくった。 

≪033≫  含水鉱物は二酸化珪素に富む酸性のマグマとなって地表に上昇して、やがて花崗岩群を形成した(地球に花崗岩が多いのはこのせいだ)。ちなみにマントルは主に橄欖(かんらん)岩によって、海岸地殻はほぼ花崗岩でできている。 

≪034≫  海水が蒸発せずに表層の温度が下がってくるにしたがって、表層の岩石群は剛体化してプレートになっていく。そうすると、そこから「プレートテクトニクス」が始まる。テクトニクスとは変動という意味である。 

≪035≫  原始海洋の誕生、プレートテクトニクスの開始、花崗岩の形成は別々ではない。3つが互いに連動した現象だ。 

≪036≫  その後、海底ではマグマ噴出口の付近でメタンやアンモニアから硫化水素への還元がおこって、アミノ酸などの有機物が生成された。このアミノ酸が化学進化してコンティンジェントな「原始生命体」という活動体になった。これらが約38億年ほど前からおこっていたことだ。 

≪037≫  原始生命体がどのように発生したかは正確にはわからない。 ハロルド・ユーリーとスタンレー・ミラーの有名な実験が暗示したように、おそらくは水素・メタン・アンモニア・水蒸気などの混合気体の案配の具合やそこに加わった隕石などの天体飛来物の衝撃、さらにはなんらかの電気的な衝撃などが相俟って、主要には硫化水素の還元などがおこり、初期の無機的アミノ酸が偶然に合成されたのであろう。 

≪038≫  アミノ酸には対称的な分子構造をもつD型(右手型)とL型(左手型)とが半分ずつある。立体異性体が1対1になっているからだ(→鏡像性をもったホモキラリティをもつ)。ところが地球型の原始生命体はなぜかL型を選択した。対称性を破ることによって生命は最初の一歩を示したのだ。 

≪039≫  このL型のアミノ酸が当時の海水(=原始スープ)にふえていったとき、なんらかのきっかけで生化学的な活性秩序をもったタンパク質になったにちがいない。まだDNAが形成されていない時期、このタンパク質が遺伝情報の伝達体を担ったはずである。 

≪040≫  タンパク質はアミノ酸が長くつながった鎖状の分子だ。アミノ酸は炭素・水素・酸素・窒素・硫黄などの原子が何十と結合したものだが、タンパク質を構成するアミノ酸はたった20種類しかない。それにもかかわらずそこからつくられるタンパク質は無数になる。 ここに生命が代謝と複製をもった秘密が生まれた。 

≪041≫  では、どこで生命誕生の仮舞台が用意されたのか。最初の地球生命の起源については、二つの候補が上がった。  

≪042≫  ひとつはグリーンランドのイスア地方やアキリア島の或る地層に、38億年前の生物起源が見つかったことだ。BIFと略称される独特の縞状鉄鉱層(Banded Iron Formation)に、燐灰石(アパタイト)の微粒子中のグラファイト(石墨=炭素)が発見されたのである。 

≪043≫  炭素の同位体比が無生物起源のものではなかったので、いっときこのグラファイトこそが最初期の生命体の名残りではないかと期待されたのだが、いまのところ真相は判明していない。 

≪044≫  もうひとつは35億年前までに、フィラメント状のバクテリアが、中央海嶺の海底近くの熱水噴出領域に誕生したということだ。この熱水噴射孔をブラックスモーカーという。 

≪045≫  こちらはあきらかに「原核生物」(原核細胞)の誕生であることを示した。独立栄養型の嫌気性の耐熱細菌だった。遺伝子の核はあるが、核膜はまだもっていなかった。しかし、ここからこそ酸素放出型の光合成生物が生まれていったのだ。 

≪046≫  いまのところ、生物の全進化はこのフィラメント状の生命体がシート状の生命体になっていき、それがしだいに立体化し、複雑化していくというプロセスで語られる。 

≪047≫  28億年ほど前に、海底噴出口あたりにシアノバクテリア(藍藻の原型)が出現して、いよいよ「光合成」が始まった。シアノバクテリアは酸素を放出していった。 

≪048≫  この光合成のしくみは今日の生化学では「光化学系Ⅱ」と呼ばれ、太陽光エネルギーと無機還元物質を利用して二酸化炭素から炭水化物をつくりだした。 

≪049≫  シアノバクテリアは岩石の表面に付着して葉緑体(クロロプラスト)をたくみに使って光合成をおこなっている。こうしたシアノバクテリアが岩石が層状になったものをストラトマイトというのだが、シアノバクテリアが酸素放出と炭水化物創出という仕事に長らく従事していたことは、今日なおオーストラリア海域のストロマトライト化石群によって確認できる。 

≪050≫  ストロマトライトから海中に放出されていった遊離酸素は、やがて大気中に溜まって地球の周囲にオゾン層をつくる。これによってこのあとの地球生物の生態系は太陽からの有毒紫外線から守られることになる。地球生命体は「嫌気性から好気性へ」と転じていったのだ。 

≪051≫  始生代(太古代)の27億年前に地球磁場の大変動がおこった。磁場が強くなり、地球ダイナモが急速に活発化した。 

≪052≫  その結果、地球は強烈な磁場のバリアーに囲まれ、生命体にとって有害な荷電粒子(主に陽子や電子)をさえぎった。まだ紫外線はふりそそいでいたが、おそらくは海洋深部の原始生物たちはその磁気バリアーに守られて浅い海にまで浮上して、いっそうの光合成を促していったと想定できる。 

≪053≫  地球ダイナモ(いわば磁場発生装置)の活発化の原因については、いくつかの仮説が提出されている。熊澤峰夫・吉田茂生らは「核の安定密度成層が地球と月の力学的共鳴によって崩壊して大規模な対流がおきた」と、カナダのヘイルらは「固体中心核が形成されたからだろう」と、丸山・井田茂は「マントル対流が2層から1層へと変化したからだ」と、それぞれ仮説した。  

≪054≫  大陸形成の出来事を先に案内しておく。 プレートテクトニクスによって地球表層のプレートが付いたり離れたりすると、およそ27億年前から19億年前までの時期に、最も激しいマグマの火成活動がおこり、ここに今日とはまったく異なる大陸や超大陸ができていった。この動向にはマントルがダイナミックに入れ替わりをおこす「マントルオーバーターン」が大きくかかわったと推測される。 

≪055≫  かくして約19億年前に巨大な「スーパーコールドプルーム」が生じ、軽い大陸を乗せたプレートが次々に内部に呑み込まれるようになった。このため大陸の80パーセント以上が1カ所に集まって、北米大陸とグリーンランドとスカンジナビアを足したほどの超大陸を形成した。この最初の超大陸を、名付けて「ローラシア大陸」という(ハーバード大学のホフマンは「ヌーナ超大陸」という名前を付けた)。 

≪057≫  話を戻して、地球磁場の変転と光合成生物の海面上昇によって何がおこったかといえば、さきほども示したように、海洋と大気に酸素が増加していた。このことを地球体と生命体は、どんな帳尻で合わせたのか。 

≪057≫  光合成は二酸化炭素と水を材料に光エネルギーを化学エネルギーに変えて有機物を合成する作用だから(光化学Ⅱ)、いくらでも酸素が大気中に放出される。生物たちが死んで有機物でできた体が大気中の酸素によって酸化されるのであれば、差し引き酸素が増加することはないのだが、酸化されずに堆積岩の中に固定されていくとなると、大気中の酸素は増加する。 

≪058≫  これは危険な帳尻の状態だ。なぜなら酸素は本来は生物にとって猛毒なのだ。生物の体を酸化してしまう。それではまもなく生体は死滅する。 

≪059≫  そこで原始生命体は、それまでの細胞の形態をアレンジして遺伝物質(DNA)が酸化されにくいように、核(karyon)を膜で包むようにした。「細胞膜」(生体膜)である。 

≪061≫  リン脂質をたくみに二重層にして、そこに核を入れたのだ。いや、ひょっとしたら話はその逆で、そこに核の原型が育ったのかもしれない。核は遺伝情報分子としてのDNAをもち、これらを核膜で包んだ。 

≪061≫  これらのプロセスが「真核細胞」(真核生物)の誕生を促した。約21億年前のことだ。21億年前の真核細胞の姿は北米スペリオル湖の鉱山で発見された「グリパニア」化石に確認できる。 

≪063≫  今日の生物の全種を塩基配列からみると、生物界は大きく3つのドメインに分かれる。「真性細菌」(bacteria)、「古細菌」(archaea)、「真核生物」(eukaryote)の3つだ。真性細菌と古細菌をまとめて「原核生物」(prokaryote)という。 

≪064≫  真性細菌はバクテリアのことで、大腸菌やスピロヘータや納豆菌などの発酵菌や多くの病原菌のことをいう。17世紀に濁った水を顕微鏡で初めて覗いたレーウェンフックは「アニマルキュール」(微小動物)と読んだ。古細菌はメタン菌・好塩菌・好酸菌などの、極限環境を好むものたちをいう。 

≪065≫  今日の地球に繁栄する植物や動物たちはほとんどが「真核生物」である。地球生物は原核生物か、さもなくば真核生物なのだ。問題はこのいずれにも属さないかもしれないウィルスであるが、その厳密な定義は、まだ見えない。 

≪066≫  原核生物ではDNAなどの遺伝物質やリボソームはむきだしになっている。今日発見されている多くの細菌(バクテリア)が原核生物だ。細菌は単細胞で原形質に核や葉緑体やミトコンドリアをもたない。シアノバクテリアも病原菌も酵母菌も納豆菌も原核生物である。 

≪067≫  真核生物の細胞は核をもつ。その核を細胞膜に包み入れ込んだのだが、このときゴルジ体や小胞体やリボソームなどのさまざまな細胞小器官(オルガネラ)も入れ込み、それぞれを極小のコンパートメントで区分けした。ミトコンドリアが細胞の中に入り込んだか、もしくは取り込まれたのはこのときだった。リン・マーギュリス(414夜)の独創的な仮説以来、この現象を「細胞内共生」という。 

≪068≫  ミトコンドリアはやがてATP(アデノシン三リン酸)という生体エネルギー分子をつくりだす創産機能と呼吸機能を担っていった(→1177夜・1499夜参照)。 こうして真核生物は原核生物よりはるかに大きい細胞をもち、その機能を複雑にさせていった。 

≪075≫  7億5000万年前から酸素が急増していった。生物が爆発的にふえたカンブリア紀はその中にある。なぜ生物が急にふえたのか。いったん地球の冷却がおこり、そこから温暖化に向かったためだった。 

≪076≫  地球の温度はつねに変動していた。寒冷期には氷河があらゆるところにできはじめ、そのたびに生物たちの生存を困難にさせた。とりわけ7億年前あたりのスターシアン氷河期とマリノアン氷河期のあいだで二酸化炭素濃度が下がり、地球全体が冷却して全地球が凍結したかのような状態がやってきたと推測される。そのように地球が凍結体になったと見ることを「スノーボールアース」仮説という。地球雪球的凍結仮説だ。 

≪077≫  提唱者はカリフォルニア工科大学のジョー・カーシュビンクだったが、当初は突飛な仮説として軽視されていた。それをハーバード大学のポール・ホフマンがナミビアの地質調査を介して復活させ、世に問うた。 

≪078≫  地球がスノーボールアースに近くなれば、それまでの生物たちはどうするか。全滅するか、次の温暖化を待ってどこかに避難するか、タイムカプセルのような容れ物をつくるか、選択肢はそんなにない。 

≪079≫  本書によれば、大冷却の進行を救ったのは南太平洋におけるスーパープルームの誕生だった。プルーム(熱柱流)の上昇と下降によって超大陸ロディニアが静かに分裂を開始して、その狭い水路に沿って栄養に富んだ塩化ナトリウム(塩)が流れこみ、温暖な環境が出現した。 

≪080≫  海水の塩分は堆積岩がふえていくにしたがってふえる。それが海水で細かく砕かれるうちに、地殻に含有されていたナトリウムイオンが溶けだし塩化ナトリウムになった。 

≪081≫  このとき一方では、地球をとりまく酸素量がかなりの大気中のストックになって、しだいにオゾン層を形成しつつあった。オゾン層は宇宙からの紫外線をほどよくさえぎり、それまで水中から出ることがなかった生物たちを海面へ(冷却した海水を避け)、さらに陸上へと向かわせた。塩分をいかした体温をもつ陸上生物が用意できたのである。 

≪082≫  超大陸の分裂から次の超大陸が形成されるまでには3~9億年がかかる。そのあいだに海水準の変動、氷河の発達、気温の変化、そして大量の生物の絶滅などがおこる。 

≪083≫  典型的な模式例でいえば、こうなる。超大陸ができるにつれて、プレートの形成速度が小さくなると、中央海嶺から出てくる炭酸ガスが小さくなり、地球の表面温度を下げる。そうすると巨大氷河が発達する。これによって海水面が下がって、大陸棚が干上がってくる。  

≪084≫  大陸棚が露出すると、その上にある生物群の死骸が蓄積して堆積物となり、それが大気中の酸素と反応して炭酸ガスに分解される。その結果、大気の炭酸ガス濃度がふえ、地球表面温度を上昇させるので、今度は氷河を溶かす作用がおこっていく。そうなると氷河が縮退して、ふたたび海水準が上昇する。  

≪085≫  陸地のほうはどうか。 海水準の低下は陸地面積をふやし、今日の黄河・長江・ミシシッピ川などにあたる大きな河川を生み、この河川によって大量の堆積物が海に運ばれるようになると、海底には大量の堆積岩ができる。そうすると有機物は堆積岩の中に閉じこめらるので、急速に大気の酸素量がふえるのである。 

≪086≫  これらの現象が酸素呼吸型の多細胞生物を育み、おそらくはまず藻類の一部が海から上陸をはたしたのであろう。藻類は菌類と共生し、地衣類として地表面を覆っていくうちに、そこにゼニゴケなどのコケ植物(苔類)が発達して、「緑の地球」の前哨戦を準備をしたのだろう。そんなふうに推測される。 

≪087≫  脊椎をもった原始的な魚類が河川を上って陸地に達したのもこの時期だった。 

≪088≫  ちなみにスノーボールアース仮説の是非については、本書はあまり扱っていない。ガブリエル・ウォーカーの『スノーボール・アース』(ハヤカワ文庫)、川上紳一(22夜)の『全地球凍結』(集英社新書)、田近英一の『凍った地球』(新潮選書)などが詳しい。田近は50代に入ったばかりの地球惑星システム科学者で、その発想と文体が小気味よい。

≪089≫  6億年前をすぎると(この時期に3度目のスノーボールアース状態を脱したらしい)、原生代がおわりに近づく。 これで地質年代は次の古生代のカンブリア紀に入るのだが、この途中に従来の地質年代のカレンダーには入っていない“エディアカラ紀”(Ediacaran)が1億年近く続く。 

≪090≫  この名称は近年になって決まった。その地層からわずか数ミリほどの奇妙な形状の化石が次々に見つかったからだ。この生き物たちをまとめて「エディアカラ生物群」という。 

≪091≫  エディアカラ生物群の化石は肉眼で見られる最古のものである。カナダの東海岸、ロッキー近辺、中国の澄江(チェンジャン)などで採取された。極小の甲殻類にも見えるので“歩脚類”という名が仮称されている。 

≪092≫  そこには捕食生物の形跡はなかった。みんなが平穏にニッチに生きたと想定されていた。しかもこの生物群は大陸の生成分裂期で活発化した火山活動などによって、いったん絶滅したとも推測されてきた。そして地質年代はここから古生代のカンブリア紀に入ると考えられた。 

≪093≫  けれども、実はエディアカラ生物群とカンブリアの生物群はつながっていたのだ。のみならず、のちにハルキゲニア、ミクロディクティオン、アノマロカリスなどと呼ばれることになったものたちは、どうやら捕食力をもっていたのである。 

≪094≫  かくて地球の生物相は少休止をはさんで、今度は新たな環境に適用した生物群が爆発的に進化するフェーズに向かう。これがいわゆる「カンブリア大爆発」になる。 

≪095≫  5億4500万年から5億年前までを、地質年代でカンブリア紀(Cambrian)という。せいぜい1500万年間ほどの短い時代なのだが、その前半期にすでにして海綿動物・鰓曳動物・節足動物・脊索動物などといった「後生動物」(matazoa)のほとんどが出現した。 

≪096≫  そこには昆虫のような外骨格、長くとび出た眼、鋭い口、刀剣のような棘などの、すこぶる奇異な微少硬骨格をもった連中が登場してきた。 

≪097≫  原型になったのはカイメンなどの多細胞生物だ。脊索や神経系もこの時期に次々に芽生えている。それまでわずか数十種にすぎなかった生物種が短期間で一挙に数万種にまで多様化したので、「カンブリア大爆発」という。 

≪098≫  顕生代カンブリア紀でとくに目立ったのは歩脚類から発展したかのような異様きわまりない三葉虫だった。ものすごい形状分化をもたらした。リチャード・フォーティ(780夜)の『三葉虫の謎』のときにも紹介したが、ロッキー山脈の中腹で発見されたバージェス頁岩の化石が物語る形状はまことに妖しいほどに眩しい。 

≪099≫  三葉虫は古い順にいうとオレネルス、パラドキシデス、シソテルスが登場し、ここに8つの胸節とほぼ完璧なファセットが用意された。続くイラエヌスは体を凸状にして頭鞍と胸節をくっつけた。さらにファコブスに至ってはついにカメラに匹敵する眼球装置を複眼のごとくに工夫してみせたのである。 

≪100≫  カンブリア紀の生物多様性の爆発を促した背景については、まだすべての理由が解明されていない。 

≪101≫ 大量に出現した節足動物を研究すると、炭素循環による変動がおこったであろうこと、温室効果と関係があろうこと、細胞内の核に大量の遺伝子がプールできたこと、そこにホメオティック遺伝子などがはたらいたこと、捕食動物の出現が淘汰圧力を強めただろうこと、カーシュヴィンクや丸山茂徳らのようにプレートとメタンハイドレードの関係が起因したのだろうこと、そのほかさまざま要因が想定されたのだが、まだ決定打には至っていない。 

≪102≫  通説では節足動物たちは、①すでにあるものを利用した、②旧機能に新たな機能をちょっと加えて修繕した、③構造や体制の一部を反復して活用した、④各部のモジュール(部品)が連動して動くようなスウィッチをつくった、という4つの“編集力”が組み合わさりながら、三葉虫とともにカンブリアの主人公になっていったというものだ。 

≪103≫  しかし、こうした必然的な流れだけでは説明できないとも言えた。ぼくも何度かリチャード・ワーマン(1296夜)とともにTEDで一緒になった〝頑固な愛嬌〟のあるスティーブン・グールド(209夜)は、そうとうに主張力の強い「断続平衡論」を唱えて、これはダーウィン的な進化のメカニズムだけでは説明できない「大進化」なんだと言い張った。好著『ワンダフル・ライフ』(ハヤカワ文庫)に雄弁だ。ただし、この見方もまだ定説になってはいない。  

≪104≫  というわけで「カンブリア爆発」についてはまだまだ謎が多いのだが、ぼくは関連する2冊の本を読んで、この謎の魅力からいまだ離れられないでいる。 

≪105≫  1冊目は、もともとはウミホタルを研究していたオックスフォード大学のアンドリュー・パーカーが書いた『眼の誕生』(草思社)で、カンブリア紀の生物たちが光スウィッチの機構によって「眼」をつくりだしたという説を劇的に披露していた。 

≪106≫  もう1冊は、もとは統計力学・カオス・量子力学を専門にした神奈川大学の宇佐見義之による『カンブリア爆発の謎』(技術評論社)で、そこにはなんとカンブリア紀最大のアノマロカリス(1メートルに達していた)がコンピュータの中で進化しつづけていた! 

≪107≫  このあとの古世代の生物相の変転については、ざっと眺望するだけにする。 カンブリアに続くオルドビス紀(Ordovician)には、三葉虫はもうありふれた生物になっていた。そのかわりサンゴ、外肛動物、海面動物などが多様になった。ついでシルル紀(Silurian)に入った4億4000万年前になると、サソリの祖先にあたる節足動物などが登場した。 

≪108≫  つづく4億1000万年前をすぎるデボン紀(Devonian)にはシダ植物が猛然たる勢いで陸上に繁茂し、維管束を発達させた植物群が1メートルを超えるようになり、他方では昆虫類と両生類を生んでいた。ただ3億7000万年前に「海洋無酸素事件」がおこり、多くの海洋生物が死滅した。   

≪109≫  3億6000万年前の石炭紀(Carboniferous)になると、種子をつくる植物がめざましく、裸子植物がさかえ、森林の拡張が進んだ。動物群に頑丈な骨格と肺ができあがってきたのも、爬虫類が登場して巨大化をめざしていったのもデボン紀から石炭紀にかけてのことだ。 

≪110≫  まとめていえば、4億年前は脊椎動物が基盤をつくり、3億年前にはシダ植物が繁茂して昆虫が一斉に進化して、3億年前に向かって森と爬虫類がわが世の春を謳ったのである。 

≪111≫  2億5000万年前のペルム紀(Permian)の末から次の三畳紀(Ttiassic)に移るころ、地球史上最大の生物絶滅事件がおきた。このときおそらく無脊椎動物たちの約96パーセントが絶滅した。まだユーラシア大陸はできていなかった。 

≪112≫  この絶滅期のことをペルム紀(Permian)と三畳紀(Triassic)のイニシャルをとって「P/T境界」という。この境界で三葉虫・古生代サンゴ・古生代アンモナイト・フズリナ・コケムシなど、陸上生物の70パーセント、海洋生物の90パーセント近くが絶滅した。 



≪113≫  その原因については長らく地質学や生物学の研究者たちのあいだで議論されてきた。スーパーホットプルーム(下部マントルと上部マントル間の対流)が地殻を突き破って噴火して、シベリアトラップ(シベリア洪水玄武岩)などの地球史上例のない大量の溶岩が噴出したというのが従来の推理だったが、丸山・磯崎は海洋におこった「スーパーアノキシア」(超酸素欠乏状態)が大きな原因ではなかったかと考えた。 

≪114≫  P/T境界で著しい酸素欠乏がおこったことは、中世代の最初にあたる三畳紀の地球環境を平均気温23℃に、大気中酸素濃度を12~15パーセントにさせた。われわれヒトの場合に酸素濃度18パーセントを切ると酸欠状態になることを考えると、この時期の地球のスーパーアノキシア状態は生物たちにさまざまな設計変更を迫った。 

≪115≫  どんな変更が迫られたのか。ボディプランの変更であり、骨格と外皮のデザインの変更だ。こうして勇躍登場してきたのが恐竜だったのである。 

≪116≫  2億年前に地球は三畳紀からジュラ紀(Jurassic)に入っていた。超大陸パンゲアが亀裂して、北はローラシア大陸へ、南はゴンドワナ大陸へ分裂した。 

≪117≫  地上は驚くべき光景を呈していた。針葉樹が発達して大森林が繁茂し、巨大昆虫が飛びまわり、各種の恐竜が次から次へと現れ、そのなかには始祖鳥などもいた。まさにジュラシック・パークである。 

≪118≫  ぼくは恐竜フリークではなく“小さきものたち”のフェチなのだが、さすがに恐竜たちのスケールアウトぶりには目を見張る。プラキオサウルスやアパトザウルスの竜脚類は体長28メートルから21メートルに、体重80トンから30トンに及んだ。愛称Tレックスの名でマーク・ボランらのリードしたロック界にも人気が出たティラノサウルス(獣脚類)でも体長は13メートル、体重が7トンに達した。 

≪119≫  恐竜の時代はその後、実に約1億5000万年にわたった。大型恐竜だけが繁栄したのではなく、オウムガイ類・アンモナイト類・鞘形類(しょうけいるい=イカ・タコの祖先)・サンゴ礁がふたたび栄え、また小型恐竜には二足歩行をし、羽や翼をつける恐竜もいた。 

≪120≫  なぜこんなにも恐竜は活躍できたのか。おそらくはスーパーアノキシアの環境下、乏しい酸素でも活動できる隔壁式の気嚢システムを開発できたからであろう。これによって体温の恒温性を工夫し(トカゲは変温性で、走りながら呼吸できない)、基礎代謝率の効率を上げたにちがいない。 

≪121≫  その後、恐竜は絶滅したが、爬虫類の隔壁式の気嚢システムは鳥類に継承されている。 

≪122≫  中世代の1億4600万年前から6500万年前までは、白亜紀(Cretaceous)である。超大陸が大きく割れたうちのひとつ、西ゴンドワナ大陸はアフリカ大陸と南アメリカ大陸に分裂し、もうひとつの東ゴンドワナ大陸はインド亜大陸・マダカスカル島・南極大陸・オーストラリア大陸に分かれた。 

≪123≫  生物相はジュラ紀に優勢だった針葉樹の多くが顕花植物に取って代わり、被子植物が急増したので、地球は「花と虫の惑星」の様相を呈した。ディズニー・ワールドだ。しかし他方で下等哺乳類が広がっていったのも白亜紀だった。 

≪124≫  その白亜紀も6550万年前に恐竜の絶滅とともにおわり、いよいよ新生代に移る。この境界を白亜紀(ドイツ語のKreide)と新生代第三紀(Tertiary)のイニシャルをとって「K/T境界」という。 

≪125≫  1億年以上にわたって陸上を支配した恐竜たちがK/T境界であっけなく絶滅したのは、隕石や彗星などの小天体が地球に激突したことが原因だという通説になっている。メキシコ・ユカタン半島に6500万年前の巨大クレーターが発見されたことが決定的な証拠になった。 

≪126≫  そのあたりのことについては、ぼくもジェームズ・パイエルの名著『白亜紀に夜がくる』(616夜)の紹介のときに、あれこれ触れておいたけれど、実はそれだけが原因だったとはまだ納得していない。とくに丸山茂徳のダイナミックな話を読んだり聞いたりしていると、いろいろ未練が残るのだ。  

≪127≫  本書の第9章には、次のような解説がある。要約しておく。 地球科学では古い時期の出来事ほど、正確な年代が決められないでいる。生命の発生(約40億年前)、原核生物の出現(38億年~35億年前)、真核生物の登場(21億年前)などについても、その時期の地球変動があきらかにされているわけではない。とくに化石記録の不完全さが原因になっていることも少なくない。 

≪129≫  巨大隕石の落下のような変動は、④のレベルの変動にすぎないはずである。表層環境や生物圏への影響はかなり小さいと見るほうがいい。したがってK/T境界における陸上動物・海生動物・プランクトンなどの種の変化は、地上や浅い海での影響は深海には及ばなかったと見るべきなのである。 

≪130≫  一方、P/T境界の場合は、最下部マントルが起源となったスーパーホットプルームが地表に達しているだろうから、変動のレベルは②や①にあたるのだ。 

≪131≫  丸山節はこういう調子なのだが、「マグマとともに思考する」ということに慣れていないわれわれは、この変更力の具合がなかなか思索に響かない。だとしたらわれわれはダーウィンではなく、チャールズ・ライエルまで戻るべきなのだ。 

≪138≫  第四紀とは、こうした環境相と生物相の変化を受けて、いよいよ類人猿の栄枯盛衰と、人類への歩みが何度となく組み合わせと適応性を変えて断続的に試みられてきた時代である。 

≪139≫  そこにはあいかわらず気候変動や地軸の変位がおこっていて、地球各地にサバンナや熱帯雨林や砂漠を形成変化させ、河川蛇行や潮流循環や海底火山の爆発を促してきた。 

≪140≫  約500万年前あたり、アフリカのリフトバレーの一隅でその名も“ルーシー”を始祖とする「人類」が誕生した。 

≪141≫  その数はアフリカ大陸で15万人ほどまで達し、さらに100万年ほど前に道具などの使用を知った。それからしばらくすると、その一部がアフリカから移動を始めることになった。 

≪142≫  人類が500万人ほどになった約12000年前に、小麦などの農耕が開始された。食糧が安定すると人口が一挙に5億人にまでふえた。それは40億年になんなんとする地質カレンダーからすれば、またたくまの出来事だった。 

≪143≫  けれども、そのまたたくまの出来事のなかに、ヒトの脳にバイキャメラル・マインドのようなもの(1290夜参照)が生じ、神と意識と科学と技術と娯楽が世をとりまいていくと人類は「生物体」から「文明体」に、「生態者」から「社会者」になり、戦争とコンクリートとポケモンGOが好きな「マンマシン・インターフェース体」になっていったのである。  

≪01≫ 

 講談社のブルーバックスにはずいぶんお世話になった。
 最初はたしか北川敏男の『数理科学入門』あたりで、そのうちペーター・ベルグマンの『重力の謎』に読み震えた。
 この本は、当時、日本で入手できる重力波問題の唯一のガイドラインをスリリングに提供してくれたもので、
 これはあとで知ったのだが、カオス研究の津田一郎君も京大生時代に『重力の謎』で同じような体験をしたらしい。 

≪01≫  講談社のブルーバックスにはずいぶんお世話になった。最初はたしか北川敏男の『数理科学入門』あたりで、そのうちペーター・ベルグマンの『重力の謎』に読み震えた。 この本は、当時、日本で入手できる重力波問題の唯一のガイドラインをスリリングに提供してくれたもので、これはあとで知ったのだが、カオス研究の津田一郎君も京大生時代に『重力の謎』で同じような体験をしたらしい。 

≪02≫  それからどれくらいブルーバックスを読んだかわからないが、おそらくは50冊をはるかにこえている。なかにはどうしようもないものもあったけれど、岡田節人『細胞の社会』やスティーブン・ローズ『生命の化学』から芋阪良二『地平の月はなぜ大きいか』や溝口文雄『知識工学入門』などまで、そのつど、「この1冊がちょうど知りたいそのことを告げてくれたという1冊だった」という機縁には恵まれてきた。 

≪03≫  通俗科学書というものは、だいたいにおいては科学者が嫌うものである。バカにもする。 けれどもファラデーの『ローソクの科学』やエルンスト・ヘッケルの『宇宙の謎』からジョージ・ガモフの『不思議の国のトムキンス』をへてマーティン・ガードナーの『自然界における左と右』やワインバーグの『宇宙最初の三分間』にいたるまで、どれほど秀れた科学解説書をものすることができるかということが、ある意味ではその国の科学水準や科学普及力をあらわしてきたともいうべきなのだ。 

≪04≫  むろん日本にもそういうことが書ける科学者はいた。寺田寅彦がそうだったし、湯川秀樹も朝永振一郎もうまかった。また中央公論社の「自然」を飾りつづけたロゲルギスト・エッセイのお手並みもピカピカに光っていた。ぼくはそのロゲルギストの一人である高橋秀俊さんにコンピュータのイロハを教わったようなものである。けれども、すぐれた科学者がすぐれたエッセイを綴ったというのではなく、科学という畑から雨後のフキノトウのように次々に目のさめる会話が飛び出してくるという活況は、そこには見られなかったといってよい。 

≪05≫  そういう意味では、日本の通俗科学書の水準が上がったキッカケになったのは、雑誌「自然」「科学朝日」と東京図書の数学選書シリーズ(これは翻訳シリーズに近いもの)と、このブルーバックスのせいではないかとさえおもわれる。 

≪06≫  ここまで言っておいていまさら弁解するのも変なのだが、本書は科学書としての水準がすぐれて高いという1冊ではない。 ぼくがクロード・ベルナールに始まってウォルター・キャンベルやコンラッド・ウォディントンの議論このかた関心をもってきたホメオスタシス現象が、実のところは大陸レベルでも植物の成長のレベルでも遺伝子レベルでもはたらいていて、それらを一貫して理解するにはどうしたらいいか、本書はそんな悩みを、その悩みが薨じたちょうどそのときに解消してもらった1冊だった、そういうことなのだ。 

≪07≫  いまあらためてざっと目を通してみたら、赤線を引っぱってあるところはさすがに幼い印象がある。しかしながら、今度あらためて気がついたのだが、本書は当時としてははやくも免疫科学やカオス理論やゆらぎ理論を生物研究にくいこませ、当時読んだときには見過ごしていたのだが、すでに富田和久のカオス寄りの統計物理学や川那部浩哉の多様性の生物行動研究にも踏みこんでいた。ホメオスタシスを案内しているようでいて、科学の最善性に新たな変化がおこりつつあることを告げてもいたのだった。ぼくが読み落としていたことである。 

≪08≫  ホメオスタシスの研究とは、生物はどのようにして「一定」というセットポイントを維持するのかという研究のことである。 ところが、この「一定」には実に多様な現象がある。キュウリが自分の葉っぱを一定にするために蒸散と光合成を調整しているという現象もある。その葉っぱを食べるカイコの「一定」も、カイコに与える飼料によってホメオスタシス機能が変化する。サカナの体形などホメオスタシスに関係がなさそうだが、そのサカナが水圧をもつ環境の中でどの速度で泳ぐかということが、意外なカギを握っているという例もある。 

≪09≫  ということは、北極ギツネの耳が小さいこと、カイコの休眠期が決まっていること、サナダムシがぷつぷつ切れる環節性をもっていること、一方ミミズには液性骨格ともいうべき体液を骨格代わりにする機能があること、ハエの小眼で増減する化学物質が温度との密接な関連をもっていること、ナマズやフナの鰓が大きいのも(酸素の少ない環境で非活動な生活をしているのがナマズやフナ)、いずれもホメオスタシスのためだということになる。 

≪011≫  実際にも、いまでは遺伝子にはホメオスタシス遺伝子というものもあり、遺伝子のレベルにおいて動的な再構成をはかって遺伝的ホメオスタシスをつかさどっていることもわかってきた。 

≪010≫  のみならず、ひいては地球がずるずると大陸の表面を移動させていることも、わわわれが太り過ぎると動きがにぶくなることも、実はホメオスタシスのためだったということにもなりかねない。 

≪012≫  こういうことを見ていくと、進化論にもホメオスタシスを使った説明が可能になってくる。たとえば、環境に対するホメオスタシスが強くてセットポイントの維持ができている生物ほど進化が緩慢であり、変化に対するホメオスタシスに幅がある生物ほど次々に進化してきたというふうにも、言えることになるからだ。 

≪013≫  ホメオスタシス研究は安定性と多様性とのあいだに横たわる意外な関係を浮上させ、これを究明する。そこではきっとホメオスタシスの本質は、低いレベルの安定性がよりレベルが複雑な安定性に吸収されていく姿として観察できるはずである。これはいまをはやりの複雑系というものの本質にもあたる。 

≪014≫  しかしホメオスタシスによる複雑系の科学は、初期値のちょっとした狂いから始まるのではない。地球や生物がいま採用している現象をホメオスタシスとみなすかどうかに、かかっている。そのような科学は、実はまだ確立しているとはいいがたい。ブルーバックスの1冊は、そんなことまで提案していたのであった。 

≪015≫  本書は、インド哲学の因明律の話でおわっている。これは因果律が原因から結果を求めるロジックであるのに対して、現在から過去をもとめるロジックのことをいう。著者はこれからの「生きている科学」には、この因明律こそが大活躍するだろうと結んでいる。 

≪01≫  プラトン(799夜)の『メノン』で、ソクラテスは「この子が現在もっている知識は、以前のどこかで得たものか、もしくはつねに持ちつづけたものか、そのどちらかだろう」と言っている。ソクラテスは答えを明示しなかった。ソクラテスはそういう男だ。問いの名人で、答えを相手に編集させた。 

≪02≫  幼児の知識がどこまで生得的で、どこから後発的なのかは、わかるようでわからない。哲学者たちもこれには悩んだ。デカルトは『精神指導の規則』などで生得的だとみなし、ロックは経験的に得たものだとみなした。『人間悟性論』にそのことが強く主張されている。ロック以降、乳幼児は白紙で生まれて、しだいに経験によって知識や才能を獲得していくという経験主義の見方が支配的になった。 

≪03≫  ロックが幼児を「白紙」に譬えたのに対して、ルソー(663夜)は「植物」に譬えた。ルソーは当時の管理教育や強引な教育に批判的で、『エミール』などを通して子供はゆっくり植物が育つように学習させていくべきだと見ていた。そのほうが理性が備わっていくとみなしたのである。ルソーのように、必ずしも成長がゆっくりしていないはずの植物のメタファーによって子供学習のプロセスを議論するのは、理性を重視する18世紀の啓蒙思想のまるごとの反映である。 

≪04≫  デカルト、ロック、ルソーらとは異なって、19世紀半ばに向かっていたダーウィンは『人間の由来』や『一人の子どもの伝記的素描』のなかで、子供の発達は子供によってさまざま多様に発展するものなのだから、研究者には観察による注視こそが必要であることを説いた。 

≪05≫  ダーウィンは、たとえば「まばたき」のような動作は幼児が最初からもっている生得的なものだと見た。しかし、観察だけでは幼児の知能の実態はなかなかわからなかった。 

≪06≫  20世紀に入ると、ドイツの心理学者ウィリアム・シュテルンによって、才能や知識がどのくらい周囲の環境の影響を受けるのかということが議論されるようになり、子供における環境性と遺伝性は組み合わさっているという輻湊説(convergence)が提起された。 

≪07≫  一言でいえば、「氏」(nature)と「育ち」(nurture)は切り離せなかったのだ。輻湊説はいまも相互作用説として継続している。 

≪08≫  これらの議論のなかから浮上してきたのが発達心理学である。ジェームズ・マーク・ボールドウィンが進化と学習の関係に着目した先行研究をへて(学習能力が高くなるほうに選択的進化が進む=ボールドウィン効果)、スイスのジャン・ピアジェが大成させた。ピアジェは幼児という存在を未熟者としてではなく、生まれながらのアクティブな学習者とみなし、脳の立体画用紙に何でも描きこんでいく「幼い科学者」だと見た。 

≪09≫  ピアジェの理論は『知能の誕生』(ミネルヴァ書房)や『思考の心理学』(みすず書房)や『発生的認識論』(文庫クセジュ)などにまとまっている。「段階発達論」として知られる。 

≪010≫  児童の学習は、①感覚運動期、②前操作期、③具体的操作期、④形式的操作期の4段階で発達していくというもので、操作のたびに知識や知能が身体に内化されていくとした。操作がそのつど「心的なもの」をつくりあげていくという理論だが、いまから見ると、ここはとくに独創的ではない。 

≪011≫  それよりもピアジェがユニークだったのは、認知発達のどの段階でも「変わらないもの」(機能不変項)があって、それが「適応による体制化」をおこしていると考えていたことだ。 

≪012≫  適応には「同化」と「調節」がおこっている。生物学でいう同化とは、「キャベツを食べるウサギはキャベツにならないが、キャベツはウサギの一部になる」という見方が成立するようなことをさす。摂取されたキャベツはキャベツのままではなく、ウサギの中でウサギに必要な変形をおこすわけである。 

≪013≫  ピアジェはこれとほぼ同様に、認知や学習においても子供が得た知識や情報は、自分がもっていた枠組(フレーム)に合わせるように取り込まれるのだと見通した。学習とは子供たちが編集をおこすことだったのである。 

≪014≫  ピアジェ用語の「調節」とは、子供が自分の既存の認知構造を新たな経験にあわせて変化させていくことをいう。新しい経験によって自分の認識が変化していくこと、これが調節だ。「同化」は環境や経験を自分に従属させるのだが、調節は自分の認識を環境や経験に従属させる。 

≪015≫  ピアジェはこのような同化と調節のくりかえしによって、子供たちの認知構造に「体制化」がおこっていくのだろうとみなした。そこでは個々別々の認知のためのシェム(シェーマ=スキーマ=スキームあるいはフレーム)が「協応」しあうのである。ここには、のちのちの認知心理学におけるフレーム理論が萌芽していた。 

≪016≫  誰もがよくよく知っているように、乳児や幼児は自分が何を見ているか、何に触っているかということにかなり敏感に反応する。「いない・いない・ばー」がそうであるように、そこに何がちゃんと実在しているのかどうかが気になる。 

≪017≫  ところがある時期をすぎると、突然訪れたおじさんがいくら親戚の赤ちゃんに「いない・いない・ばー」をやっても赤ちゃんは反応しない。急に効果がなくなるのだ。理由がある。そこにあったもの(いた者、母親や猫)が見えなくなっても、その対象を持続させて認知できるようになるからだ。「いない」と「ばー」がつながってくる。 

≪018≫  ピアジェはこのことを「対象の永遠性」の発生とみなし、生後8カ月くらいで「対象の永遠性」の確保が始まると考えた。このことはピアジェ・グループが考案した「対象探求」テストと「Aノット-Bエラー」テストで確認できる。 

≪019≫  対象探求は、乳児の前に玩具を置いて手をのばしたりさせておいたうえで、その玩具の前に衝立をおいたり布で隠してみたりすることで試す。7カ月までの乳児は玩具があったことを忘れて別の活動に入ってしまうのだが、8カ月をすぎた子はさっき玩具がそこにあったことが気になる。 

≪020≫  そこで次に「Aノット-Bエラー」をしてみる。箱Aに玩具を入れておいて9カ月くらいの乳児に探させると、乳児はちゃんと探し出す。これを数回くりかえしたのち、乳児の見ている前で箱Aから玩具を取り出して、箱Bに入れる。しばらくおいたあと、乳児にこれを探させると、たいていは箱Aを調べるのである。それが1歳児くらいになると、箱Bに玩具が入っていることをほぼ正しく当てる。 

≪021≫  幼児には象徴的機能が早期に芽生えるのだ。見えなくなったぬいぐるみをほしがるのは、目の前にない象徴や表象が残っているからだし、「ワンワン」で犬を、「ブーブー」で自動車を示せるというのも、そういう言葉づかいに象徴的機能があることが感じられるからだった。 

≪022≫  このような象徴や表象が残像していると(「いない」と「ばー」がつながってくると)、幼児は「延滞模倣」をするようになる。赤ちゃんにはそもそも新生児模倣というクセがついているのだが、育つにしたがって実際のリアル体験から一定の時間がたったあとでも、その体験を模倣できるように。やがては「ごっこ遊び」がそうした延滞模倣の花園になっていく。 

≪023≫  その後、ピアジェのテストにはさまざまな限界があることが指摘された。しかし、どのようにピアジェ理論を修正したり組み立てなおしていくかということをめぐる実験と研究は、そのこと自体が認知心理学の歩みだったと言ってもいいほどで、その学術変遷にはどこかで必ずピアジェの影が動いていた。 

≪024≫  本書の著者の森口佑介はまだ若い研究者だが、発達心理学や児童心理学の案内をうまく研究史を追いながら巧みに本書をまとめた。子供の抑制感覚をめぐった『わたしを律するわたし』(京都大学学術出版会)という好著もある。 

≪025≫  本書もピアジェから入って、しだいにその限界を克服していった発達心理学の成果を拾いながら、だんだん認知心理学のニューステージに導いていくという、そこそこ配慮のゆきとどいた構成をした。 

≪026≫  それに何といっても『おさなごころを科学する』は、タイトルがいい。ぼくは20代半ばのどこかで「幼な心」と名付けるしかないような面影意識に格別の関心をもった。 

≪027≫  どうも自分がかつての「幼な心」とは別の感覚や判断に向かっているのがおかしなことに思えたからだ。そこで、自分の幼少年期を思い出しながら「記憶事物ノート」を綴ったり(のちに「面影ノート」に昇格)、文学者たちが少年少女期のことをしきりに香り高く書く作品を片っ端から読んでいったものだ。たとえばプルーストの『失われた時を求めて』(935夜)、一葉の『たけくらべ』(638夜)、中勘助の『銀の匙』(31夜)、ギュンター・グラスの『ブリキの太鼓』(153夜)などなどだ。 

≪028≫  柳田国男(1144夜)が『神に代わりてくる』や『小さき者の聲』で、世間で「七歳までは神のうち」と言われてきたことに触れ、日本各地の村々で座敷わらしや童子の霊を重視していることも気になった。柳田は「幼な心」に神性を見いだしたのである。鈴木三重吉の呼びかけに応えて、大正期に西条八十や野口雨情(700夜)や三木露風らが雑誌「赤い鳥」などに童謡を寄せていったことも気になった。かれらは『カナリヤ』『雨降りお月さん』『あの町・この町』『叱られて』『しゃぼん玉』などで「壊れやすい幼な心」を斉しくうたった。 

≪029≫  このあたりのことはのちに『日本流』(朝日新聞社→ちくま学芸文庫)にも書いた。 いったい「幼な心」とは何なのか。なぜ、それは失われてしまうのか。いや、なぜ忘れがたいものとして残るのか。ぼくは長らくこの問題をかかえたまま壮年となり、老人になったのである。 

≪030≫  あらためてピアジェの発達心理学の特徴と限界をまとめておくと、ピアジェは幼児が「中心化」をおこすものとみなしすぎた。自分中心にまわりを見て、自分の関心のあるものだけに埋没するという傾向を強調しすぎたのである。 

≪031≫  そのためピアジェは幼児の精神性がアニミズムと同じ段階にあると見て、子供は実念論(心的な出来事と物理的な出来事を混同する)になるか、人工論(すべてのものは人がつくったと思う傾向)に片寄るかのどちらかになると振り分けた。むろんそういう傾向はある。けれども、こうした見方は幼児の能力や周囲の環境からの影響を過小評価しているのではないかと批判されることになった。 

≪032≫  実は幼児は「アタッチメント」(attachment)を必要としていた。訳せば「愛着」となるが、心理学でアタッチメントというのは、ジョン・ボウルビィやメアリー・エインスワースが「愛着理論」で説明したことをいう。幼児・子供が少なくとも一人以上の養育者と親密な関係をもつことが、幼児・子供にその大人に対する愛着を深まらせ、そのことがその子の心性を豊かに潤ませるという考え方だ。 

≪033≫  ボウルビィは『愛着と喪失』3部作(岩崎学術出版)を著し、子供たちにマザーロスや玩具ロスやペットロスによって何がおこるかを研究した。エインスワースはそこには「安全の愛着」「回避の愛着」「不安の愛着」「混乱の愛着」がさまざまにはたらくと見た。1980年代には愛着理論はある程度は大人にも拡張できることが示された。 

≪034≫  ピアジェはこうした親密な他者とのあいだにアタッチメントがおこっていることを軽視した。それに対してボウルビィはディンバーゲンやローレンツ(173夜)の動物行動学から影響を受けていて、とくにローレンツの「刷り込み」(imprinting)という見方が人間の幼児にもあてはまるとひらめいて、アタッチメントの研究に向かったのだった。 

≪035≫  そもそも人間の乳児や幼児は、他の哺乳動物のようには自立していけない。多くの哺乳動物(それ以外の鳥類や爬虫類も)の子が生後1週間や1カ月くらいで自立的に活動を始めるのに対して、人間の子には1年から2年にわたる育児や養育が必要だ。仔ウマやバンビのようにすぐに立ち上がれずに、ハイハイをする。 

≪036≫  なぜそうなったのか。スイスの動物学者アドルフ・ポルトマンは、直立二足歩行の開始によって母体の胎盤が小さくなったこと、そのため妊娠期間が長くなったこと、しかしあえて「生理的早産」がプログラムされるようになったことなどが関係したと説明した。卓見だった。『人間はどこまで動物か』(岩波新書)に詳しい。 

≪037≫  一説には、人間の胎児は約21カ月ほど母親の胎内にいるべきなのに、約10カ月で早めに生まれてくるようになったという。これは脳の可塑性が高い(柔らかい)うちに出産できるようになったとも解釈できる。そういうプログラムが発動するようになったのだ。  

≪038≫  このプログラムは「ネオテニー」(1072夜・209夜参照)とも呼ばれる。幼形にとどまっておくことがかえって成熟を身近かにできるという戦略だ。しかし、未成熟のまま出産したことによって、人間の子にはそのぶん母親や近親者の育児や養育が欠かせなくなった。こうして、幼児や子供が自分にとっての親しい者をアタッチメントの触知対象として「心」(脳や体)のどこかに刻むようになったのである。 

≪039≫  もちろんアタッチメントのあらわれには個人差が出る。エインスワースは母と子の接触ぐあいによってアタッチメントがどのように変化するかを調べた。母と子が分離されるときの感情(回避アタッチメント)、母子が再会できたときの感情(安定アタッチメント)、母子の引き離しに複雑な反応をする感情(アンビバレント・アタッチメント)などがあることが知れた。 

≪040≫  ピアジェ以降の児童観は、多くの研究者が一転して「有能な乳幼児」というほうに向かっていった。その牽引者の一人ゴードン・バウアーは新たな学習心理学の道を拓き、言語学からはノーム・チョムスキー(738夜)が「乳児はある種の知識をもって生まれてくる」という新生得主義を唱え、ロバート・ファンツは乳幼児が部屋の中の何を注視するかという実験を重ねて「選好注視」(preferential looking)に着目した児童心理学を確立していった。 

≪041≫  いずれの研究成果からも(一部は現在までにかなり訂正されているが)、幼児が意外なほどの潜在的才能を発揮していることが見えてきた。  

≪042≫  対称性やパターンをちゃんと読み取れること、単純なものよりけっこう複雑なものを好むこと、周囲の動作に惹かれてすぐれた模倣能力を発揮すること、不協和音を嫌うこと(メロディに反応できること)、鏡に映った虚像にもリーチング(手をのばす仕草)をすること、物体や事物が増えたり減ったりすることを認識できること(プリミティブな算数能力があること)、自分と同じイントネーションの母語に反応すること、などなどだ。 

≪043≫  ハーバード大学の認知心理学者エリザベス・スペルキによると6カ月児には8個と10個の区別がつくというし、K・ウィンによると「2-1=1」はわからないが「1+1=2」や「3+1=4」はわかっているという。カオス研究の津田一郎君(107夜)は1歳未満のときにミカン2個とリンゴ3個の区別があると言っていた。 

≪044≫  英語では「トドラー」(よちよち歩きの者)とか「インファント」(言葉が喋れない者)と呼ばれてきた乳幼児が、よく調べてみたら有能であったということは、脳科学や人類学とも連動して進化心理学などの分野を進捗させた。アリソン・コブニックなどは『哲学する赤ちゃん』(亜紀書房)を書いて、そのサマリーをトークしたTEDで万雷の拍手に包まれた。いまや赤ちゃんは「進化の秘密」を握っている主人公なのである。 

≪045≫  それにしても、どのようにして幼児は有能になれるのか。最初からなのか、あとからなのか、何かの鍵と鍵穴の関係があるのか。いろいろの説明が可能だ。 

≪046≫  スペルキは「コアノレッジ理論」を提唱した。乳幼児は物体認知、物の数、他者と自分の見分けといった生存に必要であろう知識をある程度もって生まれてくるというもので、それらがコアノレッジとしてインストールされていると見た。ただしそれらのノレッジは領分固有になっていて他の領分とは干渉しあわない。連絡できない。 

≪047≫  一方、ヘンリー・ウェルマンの提案は幼児の知識は断片的なのではなく、それなりの「ナイーブ・コンセプション」としてつながって体制化されているという仮説をたてた。日本では「素朴理論」と呼ばれる。 

≪048≫  幼児は幼児なりに自分で思いこんだコンセプションにとらわれる。ぼくも長らく、ミツバチと夜の露が示し合わせて花を咲かせ、アリたちはカブトムシの家来だと思い込んでいた。サンタクロースが枕元にプレゼントを置いてくれているのではないことがわかったのは、中学生になってからだった。 

≪049≫  ナイーブ・コンセプションはのちのち学校での学習や読書などによって訂正されるのであるが、この初期のナイーブ・コンセプションがあるために学習が積み上がるのだと、ウェルマンやその後継者は予想した。 

≪050≫  一般に大人社会で通用しているロジックは同一律・無矛盾律・排中律でできている。そのために演繹法や帰納法がつかわれ、検証もされる。幼児は幼児なりの仮説に満ちていて、そこには同一律・無矛盾律・排中律もないし、演繹法も帰納法もない。 

≪051≫  しかしもともと幼児はすぐれてアブダクティブなのである。あのふよふよとした頭髪の中には、いろんな仮説がいっぱいなのだ。仮説だからいろいろまちがっていもいるのだが、ところがいつのまにかナイーブ・コンセプションを自分なりに工夫訂正できる(編集できる)ようになっていく。 

≪052≫  アネッテ・カミロフスミスは『人間発達の認知科学』(ミネルヴァ書房)などで、そこには「表象の書き換え」がおこるのだとみなした。 

≪053≫  幼児の才能が他者によって育まれていくとしたのは、37歳で惜しまれて夭折した異才レフ・ヴィゴツキーだった。『思考と言語』(新読書社)にはピアジェに対する異論が述べられている。 

≪054≫  ピアジェは子供どうしがぺちゃくちゃ話している状況を観察して、子供が集団のなかでしばしば独り言をしているのは「集団的独言」というもので、その状況には子供たちの自己中心性があらわれているとした。ヴィゴツキーはそうではなく、子供の独り言は思考の一形態が口元に洩れたもので、思考のために用いられる言葉が内面化されつつあることを証していると反論した。 

≪051≫  しかしもともと幼児はすぐれてアブダクティブなのである。あのふよふよとした頭髪の中には、いろんな仮説がいっぱいなのだ。仮説だからいろいろまちがっていもいるのだが、ところがいつのまにかナイーブ・コンセプションを自分なりに工夫訂正できる(編集できる)ようになっていく。 

≪056≫  もうひとつ、のちのち“心理学のモーツァルト”の異名をとったヴィゴツキーが画期的だったのは、ほとんどの有効な学習が「知の転移性」にもとづいていることを喝破したことだった。子供には「間機能」を「内機能」にしていくはたらきが旺盛で、したがって送り手と受け手による通行型のコミュニケーションではなく、「やりとり」の観察を通して相互型のコミュニケーション能力を獲得していくという見方だ。 

≪057≫  ぼくはこの指摘に大いに唸ったものだ。シャノン=ウィーバー型のコミュニケーション・モデルではなく、ぼくなりのエディティング・モデルによる情報編集コミュニケーション仮説をドラフトにしていったのは、ヴィゴツキーの「間機能を内機能にする」という見方からの影響が大きかった。 

≪058≫  そのほかヴィゴツキーは『学童期の児童学』や『思春期の児童学』では、子供にひそむ社会性を強く指摘して、児童がそれ自体でそもそも社会的存在なのであることを強調した。 

≪059≫  ヤーキーズ霊長類研究所で研究の日々をおくったのち、いまはマックス・プランク進化人類学研究所の所長を務めるマイケル・トマセロは、人類学・言語学・認知心理学のいずれにも強い。若い時期にヴィゴツキーの影響を受けた(そのぶんチョムスキーの生成文法論の欠陥を抉った)。 

≪060≫  子供たちが他者と何かを共有していることに注目し、これを三項関係と捉えて「ジョイント・アテンション」(共同注意)と「模倣学習」によるソーシャル・コミュニケーションが発現していると見た。子供は早くから他者のふるまいや他者の判断をヒントにして学習していくという見方である。『ヒトはなぜ協力するのか』(勁草書房)などに詳しい。 

≪061≫  トマセロは「9カ月革命」を提唱した。9カ月か12カ月くらいで、幼児は自分と他者(母親など)と「何か」の三項関係が感知できるようになるというものだ。9カ月革命はもちろんその後にも継続されるので、早期には9カ月で三項関係の感知が芽生えているという意味だ。 

≪062≫ 三項目の「何か」とは、たとえば乳児や幼児は母親と絵本を共有することができる。絵本の中のクマさんを母親も幼児も指させる。父親がおかしな髪形をしていれば、母親と幼児はそれを指さして笑うことができる。犬が幼児に近づいてくるとまわりが気にするのだが、そのことを幼児も感知する。ぬいぐるみをお兄ちゃんが取り上げようとすると、お母さんも幼児もそれが気になる。そうした「何か」が子供に前社会や前文化を刷り込み、情操を育んでいくという見方だ。 

≪063≫  子供のアテンション(注意)には大きくは二つの傾向がある。それによって指さしの意図が変わる。ほしいもの、たとえばテーブルの上のお菓子を指さしているばあいは「指示的なアテンション」である。家の前の通りで犬に出会ったときの嬌声をともなう指さしは、母親や犬を連れている大人とともに関心を共有するための「宣言的なアテンション」である。幼児にも「注意のカーソル」の区別があるはずなのだ。  

≪064≫  このように見てくると、ぼくが「幼な心」というものに異様な関心をもったのは、かつて指さしてきた「何か」が大人になってなくなってしまうことへの喪失感にもとづいたように想う。だから「記憶事物ノート」(面影ノート)に、自分が入り込んでいたボール紙の箱や母の鏡台のキラキラしたものや羽子板の大きな顔について、いろいろノーテーションをしたのだった。 

≪065≫  トマセロの考え方は飛躍しすぎるところもあるけれど、かなりおもしろい。メルロ=ポンティ(123夜)以来の「間主観性」や「間身体性」の掴まえ方や「アフォーダンス」の考え方が積極的にとりこまれているし、幼児や子供を通して人間全般の知覚の秘密にも迫っている。道具的なもの、記号操作的なもの、表象力の作用のぐあいもよく配慮され、どんな見方にも複合的な「注意のカーソル」が躍っている。 

≪066≫  とりわけ模倣学習がよく見えている。①ミミクリー(対象の形や動きを見たそのまま真似ようとする行為)、②エミュレーション(対象やモデルの目的や意図があらかたわかって真似る行為)、③真の模倣(モデルの理解にもとづいて同じ行動を模倣する行為)に分けて組み立て、③の「真の模倣」こそが子供や社会の文化を累進的に充実させるとみなした。 

≪067≫  トマセロはチンパンジーの観察から児童観察までを連続して研究してきた。それもあって、ヒトを捉える視野が広い。ぼくが見るに、その児童心理学への適用はおおむね次のようなものになっている。 

≪068≫  (1)幼児は9カ月そこそこで自分と母親と「何か」を一緒の好奇心の中に入れる。(2)そのなかで自分と他者と好きな事物(何か)とがよく似ているように思う。(3)やがて自分はそれらを成立させている場で出来事をおこせると思うようになる。(4)そこには必ず他者と事物(何か)が入っている。(5)自分は意図をもつ者だということがわかってくる。(6)しだいに「ジョイント・アテンションをする自己」という編集的自己像が確立する。 

≪069≫  トマセロは著作もいい。分析が勝ちすぎるところもあるが、そのぶん、けっこうな説得力がある。『心とことばの起源をさぐる』(勁草書房)や『ことばをつくる』(慶応義塾大学出版会)や『コミュニケーションの起源を探る』(勁草書房)は、現代思想がもっと反応したほうがいいほどのものだった。 

≪070≫  21世紀に向けて一方で脳科学が発達し、他方でコンピュータ科学が急速に普及していくと、「脳=コンピュータ」モデルとして人間の知能を見立てる分野がふえていった。人工知能研究やロボット研究の側から幼児機能や発達心理学の成果を参照する例もふえた。 

≪071≫  情報処理システムとして児童モデルをメタフォリカルに考えるのは、中央処理ユニット(CPU)、メモリー量、キーボードのような入力装置、デイスプレーのような出力装置、さまざまなアプリとしてのソフトウェア、コミュニケーションのためのインターフェースといったしくみが、認知心理学の領域でも類推できるようになったからである。 

≪072≫ これらはいきおい、研究者を計算主義や記号主義に走らせがちにした。「コネクショニズム」の流行がその代表例だ。脳の細胞であるニューロンの代わりにユニットとノードを組んだネットワークをコンピュータ内につくり、記憶や学習がどのように機能するかをシミュレーションするというものだ。その眼目は、脳のニューロン間の結合がシナプス可塑性の伝達効果に密接につながることから、記憶の可塑性や学習効果のモデルを発見していこうというところにあった。 

≪073≫  コネクショニズムはドナルド・ヘツプが発見した「ヘップ則」にもとづいていた。ニューロン間の接合部であるシナプスには、シナプス前ニューロンの繰り返し発火によってシナプス後ニューロンに発火がおこると、そのシナプスの伝達効率が上がるという傾向が強くおこるという法則だ。 

≪074≫  こうしてコネクショニズムは「Aノット-Bエラー」テストなどをみごとにこなしたのだが、実際の脳がそのようになっているとはかぎらないモデルも次から次へと実装させるようになって、そのうち限界も見せた。 

≪075≫  脳科学とコンピュータ科学のいちじるしい接近は、はたしてそれでいいかどうかは疑問だが、赤ちゃんを「脳乳幼児」とみなすという傾向をつくった。 

≪076≫  2008年1月、NHKスペシャル「赤ちゃん 成長の不思議な道のり」にシカゴ大学のピーター・ハッテンロッカーが登場したのだが、この先生は0歳児から70歳までの脳のシナプスを数え上げたことで知られる。シナプス連結の実情を直接に調べて、それをもって学習能力が上がったとみなすのだ。 

≪077≫  その番組にはワシントン大学のパトリシア・クールも登場していた。クールは乳幼児に外国語を聞き分けさせる実験をしてきた研究者で、彼女によると9カ月目付近で外国語(たとえば中国語)の聞き分け能力が落ちるということらしい(やっぱり9ヶ月革命があるらしい)。ところが、その9カ月目の乳幼児も、ビデオやテープの音ではなく実際の中国人がその子の前で中国語を身振りをまじえて話すと、すぐさま聞き分け能力が増進したというのである。 

≪083≫  はたして「幼な心」とはどういうものなのか、ぼくもまだ存分な印象や解説をもちえないままにある。  

≪084≫  われわれが「幼な心」から見離されて思索したり行動しているのはあきらかである。心のどこかで「あの夢中になっていた頃」や「兎追いし彼の山、小鮒釣りし彼の川」や「カルピスの味」の状態にノスタルジーを感じていることもあきらかだ。そのことは詩人や作家や絵本画家の表現を借りずとも、誰もが一致して記憶や追憶のどこかに描けるものとなっている。けれども、それを何かの「心のエンジン」として新たに駆動させられるかどうかというと、そこははなはだおぼつかない。ヘタをすれば幼稚になるだけだ。 

≪085≫  ぼくは長らく「幼な心の存在学」が必要だと考えてきた。たんに童心に帰るとか、子供の初(うぶ)な心をもつべきだなどというのではない。そうではなく、むしろ新たに組み立てなおされた「幼な心」によるアナロジカル・シンキングやアブダクティブ・アプローチが動き出すべきだと思ってきたのである。それがハイデガーやデリダやメイヤスーの哲学に代わるものであってほしいとも思ってきた。 

≪086≫  今夜はその可能性の一端を、児童心理学や発達心理学の仮説を拾いながら眺めてみた。こんな句がある、「出替(でがわり)や幼ごころに物あはれ」(嵐雪)。 

≪01≫  開口一番だった。「そうか、あなたが松岡さんですか。うーん、デボン紀ですね」。「えっ、デ、デボン紀?」「そう、顔ですよ、顔。松岡さんはデボン紀だ」。 東京芸大の生理学研究室(保健センター)でのこと、1978年くらいのことだったか、それより2年ほど前だったか。「遊」の読者が多かった芸大のイベントに学生たちから招かれ、かれらがそのあと「三木先生という芸大でいちばんおもしろい先生がいる」というので、研究室に入っていったときのことだった。 

≪02≫  なるほど開口一番に「あなた、デボン紀!」と言うのはよほど変わっているか、かなりおもしろいか、ひょっとしたら天才か、バカのひとつおぼえしか言わない人か、ヘンリー・ウォットン卿(オスカー・ワイルド『ドリアン・グレイの肖像』の登場人物)か、たんに傲慢か、そのいずれかだろう。 

≪03≫  研究室には胎児が成長順にホルマリン漬けになっていた。そこに白衣を着た三木先生が江戸川乱歩あるいは高木彬光然として、いらっしゃる。それだけでも十分に不気味だが、その胎児の“顔”がオルドビス紀、シルル紀、デボン紀、石炭紀、ジュラ紀、白亜紀と順に並んでいて、ぼくの顔はそのうちのデボン紀だというのだ。カンブリア紀やジュラ紀でなくて意味なくホッとしたとはいえ、まったく失礼な話である。けれども、三木先生は実に嬉しそうに笑っている。「いやあ、デボン紀、さすがさすが、松岡さん」と、おっしゃる。何がさすがなのか、さっぱりわからない。 

≪04≫  これが、ぼくがデボン紀の生物として再生した一日の記念すべき発端である。このあと、三木先生と「ねじれ」の話に終始した。人間は捩れている、人体のどこもかしこも捩れている、生命の本質は「ねじれ」であろう、そんな話だった。  

≪05≫  ジル・パースのスパイラロジー(螺旋学)の話を持ち出してみたら、三木先生の顔が輝いたのだ。ぼくも図に乗って「捩率」に関するゴタクを並べた。ぼくはそのころ、自然界の動向を捩率のふるまいによって見ていて、「捩れ的相似律」に凝っていた。けれどもそれを人体のすべてにあてはめるなんてことまではしていなかった。ところが三木先生は、体も命もなにもかもが捩れでできていると言うのだった。それをまたまた嬉しそうに話した。「だって松岡さん、内臓の末端は全部ねじれているんです」「へその緒だって、十二指腸だって、大腸だってね、そうでしょう」。ええ、ええ。「実は耳もねじれですよ」。はい、はい、三半規管なんて全部ねじれている。「いや、それだけじゃない。うんこだってねじれているんです。えっ、そうでしょう、うんこ」。うん、うん。「あれはハッキリ言って、ねじれドーナツです」。でも、そういえば……。「あのね、脳もねじれてます。ニューロンそのものが松岡さんのいう捩率の産物なんです」。 

≪06≫  「それにね、声だって口の中の動きがねじれているから発声できるんだと思いませんか」。はあ。「それから、歩き方。人間は体をねじって直立二足歩行しているわけですよ」。ええ、ロボットも。「もっと決定的なのはね、赤ん坊がねじれて出てくるということです!」。 

≪07≫  ぼくはずうっと頷きながら、自分が大過去のデボン紀を引きずっているのだろうと、思わざるをえなくなっていた。いや、そう思っているフリでもしないと、この会話の異様な高揚感が失われそうだったのだ。 

≪08≫  こうして、ぼくは三木先生と親しくなった。ふらりと工作舎にもやってきて、ぼくがそのころ無料で開催していたレクチャー「遊学する土曜日」を聞き、おおいに感心してくれたりもした。ただし、その感心というのも、「ねえ松岡さん、般若心経はもっとゲーテ的に、松岡ふうに言うなら遊学ねじれ的問題で、つまりは“おもかげ物質”で説明したほうがよかったんじゃないかなあ」というものだった。 

≪09≫  何が松岡ふうだかわからないが、なにしろぼくは会った当初から“デボン紀の男”としてクリッピングされているのだから、抵抗のしようがあるはずもなかった。 

≪010≫  しかし、そのあとの時間は至福の対話時間、ぼくは三木先生とついに「心のアリバイ」さえ突きとめるに至ったのである。そう、心は脳だけにあるにはあらず、体の各所にも出入りしているという仮説であった。三木先生は「脳は内臓を反映する鏡にすぎない」と宣言しつづけていたのだ。 

≪011≫  これはものすごい思想である。脳の役割を認めていないというのではない。脳は内臓すべて(血液の動向も尿道の出来事もみんな入る)の一部始終を反映している翻訳マシンにすぎないというのだ。当時すでにY先生といった“唯脳論者”が登場していたが、そうした唯脳論や唯心論に対する痛烈な批判でもあった。 

≪012≫  三木先生はもともとは解剖学者である。そのうえでゲーテを愛する形態学者でもあった。それから徹底した反還元主義者であり、言霊主義者でもあり、そしてタオイストであった。近頃えらそうな顔をして思想を息巻いているY先生という解剖学者とは格がちがっていた。 

≪013≫  けれども、その三木先生の考え方を読める本がない。書こうとしないのだ。先生、本を書いてくださいよと言っても、まあそのうちねというだけで、いっこうにとりあわない。だいたい芸大の保健センター所長などというポストではこの風変わりな天才の間尺にあわなすぎるのに、まったくおかまいなし、平気なのである。 

≪014≫  その三木先生がついにメジャーの版元で本を出したのが、本書『胎児の世界』であった(ほぼ同じころ築地書館から『内臓のはたらきと子どものこころ』も刊行された)。それは、ぼくがしばらく先生と会わなくなってしまった時期のことだった。とびつくように読んだ。『胎児の世界』まえがきの第一行目にはこうあった。「過去に向かう“遠いまなざし”というのがある。人間だけに見られる表情であろう」。 

≪015≫  わぁー、すごい。かっこいい。これが仕方なくてやっと書いた一般書の第一行目なのだ。Y先生とは品がちがっている。さらに本文の冒頭にはこうあった。「生命記憶。みなさんはあまりお耳にしたことがないでしょうが、このことばには何か心の奥底に響くものがあります」。そして「椰子の味」と「母乳の味」と「玄米の味」の比較に入っていく。最後には伊勢神宮の遷宮と生命のリズムの比較をする。なんだか涙がたまってきてしょうがない一冊だった。 

≪016≫  本書は胎児が刻々とかたちを変えて、1億年の生命の歴史を再現していくことを詳細に追っている。そしてそのつど、解剖学の成果と形態学の推理が第一ヴァイオリンのごとくに奏でられていく。 

≪017≫  その知的曲想の演奏がすばらしい。例の「ねじれ」も出てくる。赤ん坊がついに羊水を飛び散らせてズボッという音とともに出てくる瞬間だ。「頭のツムジをなぞるかのように赤ん坊の大きなからだが螺旋を描いて飛び出してくる」と三木先生は書いていた。こういう書きっぷりは随所にあらわれる。  

≪018≫  たとえば、たとえば、である。「植物のからだは、動物の腸管を引き抜いて裏返しにしたものだ」。たとえば「この小さな胎児は喉を鳴らして羊水を思いきり飲み込む」。たとえば「母親の物思いによって無呼吸の状態がつづくようなとき、増量した血中の炭酸ガスが臍の緒を通って胎児の延髄に至り、そこの呼吸中枢を刺激するといった事態が起こるという。ここで胎児もまた大きく溜息をつく。母と子の二重唱といったところか」というふうに。 

≪019≫  圧巻は、「いったい生物はどうしてリズムを知るのか」という自問自答に始まるくだりだった。女性の排卵は月の公転と一致して、左右の卵巣から交互に一個ずつ体腔内に排卵される。このとき暗黒の体腔でかれらはどのようにしてだか、月齢を知る。三木先生は、この問題は魚や鳥が移動するとき、その時刻と方角をどのように知るのかという問いに集約されると考える。そして、この問題を解くための指針はただひとつ、それは卵巣こそが一個の「生きた惑星」ではなかったかということに合点することなのだ、と考えていくのである。 

≪020≫  こうして三木先生は、「地球に生きるすべての細胞はみな天体なんだと知ることなのである」というふうに喝破する。すなわち、胎児たちはすべて「星の胎児」なのだと宣言をするのだ。 

≪021≫  本書を一貫しているのは、「面影」というものだ。これはゲーテの「原型」にあたるキーワードで、むろん生きた面影のことをさす。この面影が数億年の太古に蘇り、胎児に宿る。この面影を消し去ることはできず、この面影を含まない科学は生きた生物学にはなりえない。ぼくにデボン紀の面影を見たのは、三木先生の一貫した哲学による御神託だったのである。

≪022≫  それでは、せっかくのことなので謎のデボン紀について一言だけ加えておくことにする。ここからはおまけだ。 デボン紀(Devonian period)は約4億1600万年前から約5000万年ほど続いた。デボンというネーミングは、イギリス南部のデヴォン州に分布するシルル紀と石炭紀の地層に挟まれた地層名に由来する。 

≪023≫  デボン紀が始まるころ、地球では複数の大陸(陸塊)がぶつかりあっていた。ローレンシア大陸とバルティカ大陸の衝突などとして知られる。これで赤道あたりにユーラメリカ大陸が出現した(今の北米の東海岸、グリーンランド、スコットランドなどのもと)。こうした地質と地形の変動は衝突時に隆起した山脈、その山脈による大気の流れの誕生、恒常的な降雨、それによる長大な河川の誕生などをもたらした。 

≪024≫  ここにデボン紀の生物圏が次々に姿をあらわした。まず、山と川と海が大きくつながったことで、シダ状の葉をもつ樹木状植物が繁茂して、最古の森林がつくられた。森林ができると、その拡大につれて湿地帯や沼地が形成された。 

≪024≫  ここにデボン紀の生物圏が次々に姿をあらわした。まず、山と川と海が大きくつながったことで、シダ状の葉をもつ樹木状植物が繁茂して、最古の森林がつくられた。森林ができると、その拡大につれて湿地帯や沼地が形成された。 

≪025≫  海洋も変動した。森林や河川からの栄養物が海に流れこんだために、コケムシやサンゴが大規模なコロニー(個体群)をつくり、そこに腕足類、ウミユリ、三葉虫、甲殻類、オウム貝、アンモナイトなどが棲息するようになって豊かな海ができあがっていったのだ(いや、ぼくはまだ登場していない)。 

≪026≫  デボン紀を象徴する動物は、まずは硬骨魚類である。その前のシルル紀の棘魚類から分岐進化した。どういう魚かというとシーラカンスや肺魚のような奴で、空気呼吸ができる骨っぽい魚たちだ。 

≪027≫  のちにアジやタイなどになる現世魚類を代表する硬骨魚類は条鰭類とか真骨類というのだが、これらには肺がない。遊泳能力を向上させるために肺が浮袋に変化したからだ。デボン紀の魚はそうではなく、肺がある(してみると、ぼくは肺魚だったのかもしれない。そういえば三木先生の前でも煙草をスパスパ吸っていた)。 

≪028≫  空気呼吸ができるのだから、肺魚類の中には河川をつかって陸上の沼地に上っていく奴もいた。これは肺魚系エウステノプテロンから分岐して、アカントステガ、イクチオステガといった初期両生類になった。 

≪029≫  次にデボン紀を象徴するのは昆虫類の出現だ。すでにシルル紀にはダニ(鋏角類)やムカデ(多足類)などの前期昆虫系が陸上に登場していたのだが、デボン紀では六脚型があらわれた。エビやカニの甲殻類とかミジンコやフジツボなどの鰓脚類や蔓脚類が進化したようだ。 

≪031≫  シルル紀からデボン紀にかけて、もうひとつ活躍した奴がいた。サメなどの軟骨魚類だ。サメは興味深い連中で大陸近くの浅い海で進化した。だから淡水との親和性がある。500種に及んだ形態もさまざまで、基本は流線形であるけれど、初期にはエラもヒレも多様にもっていて、自由闊達に動きまわっていた。鰓孔も五対も七対もあった。 

≪030≫  ただ、この時期の昆虫にはまだがない。があって触角を発達させた昆虫が栄えるのは石炭紀のことだ。それでもデボン紀の昆虫においては外骨格のボディプランが発明されたのである(ぼくは翼のない鎧をつけた男だったのか)。 

≪032≫  日本の近海には130種のサメがいる。日本神話や風土記では鰐とも鱶とも鮫とも呼ばれた。和邇氏という一族がこの系譜の伝承や物語を記録していた可能性がある。最も有名なのは山幸彦(ホオリノミコト)の物語で、海洋系の一族の娘トヨタマヒメが八尋和邇に包まれていたという話だろう。琉球沖縄にもこの手の話が多く、サメ・ワニは神の使いだとみなされている。 

≪033≫  こうなるとよくわからないが、ぼくはシダっぽくて肺魚っぽくて、のない虫にもなりうるような、ときに海の一族を引き受けるワニ族だということになるわけだ。三木先生、これが「デボン紀の男」という面影なんですかねえ。 

はやぶさ帰還