2017.9-2018.8の巡検・合宿

11月 鎌倉巡検

2017年11月3日、歴史研究部では鎌倉に行ってきました。

金沢八景駅に集合し、まず、朝比奈切通しを歩きました。歩いてみて、自然の地形を生かした防御機能であることを実感できました。また、前日に雨が降ったため、地面がぬかるんでおり、さらに歩きにくかったです。

次に、光触寺にいった。鎌倉では最大級の時宗の寺院なので、巨大かと思っていたが、想像よりも小さく、拍子抜けしました。

明王院では、ありがたいことに住職さんに普段は入れない本堂の中に入れていただき、重要文化財の本尊を見ることができました。また、下調べでは分からなかったことについても話してくださいました。

浄妙寺は鎌倉五山の第五位です。また、裏手に足利尊氏の弟である直義の墓があります。墓の規模はあまり大きくなく、想像通りではあったが、やはり将軍の弟の墓としてはさみしいと思いました。

杉本寺は、天台宗の寺院です。建物の周りに白いのぼりが立ち並んでいた。圧巻でした。

瑞泉寺は鎌倉五山に次ぐ関東十刹の第一位の寺院です。庭園がきれいで、自然の美を実感できました。

鎌倉宮は、護良親王を祀るために建てられた神社で、白い鳥居が特徴的でした。行った日は、七五三の時期だったので、混んでいました。近くには護良親王の墓もありました。

源頼朝の墓は、当たり前ですが、整備されていてきれいでした。足利直義の墓と比べてみると、勝者と敗者の扱いの差を感じました。大江、毛利、島津の三家の墓は、古墳時代の横穴墓を回収したもので、3つ横に並んでいました。整備はされていたものの、どれがどれなのかわからない状態でした。

最後に行った鶴岡八幡宮は言わずと知れた日本三大八幡宮の一つです。鎌倉にある史跡といえばここという方がほとんどでしょう。こちらも七五三の時期というだけあって、人でごった返していました。ここにある宝物館を見、軽いミーティングを経て、鎌倉駅で解散しました。移動手段はほぼ徒歩という体力的に少しハードなスケジュールでしたが、最後まで史跡を回り切れてよかったと思います。


11月 午後巡検@東京大学

東京大学の史料編纂所で、島津氏の研究者の方から、古文書の読み方を学びました。


2月 滝山巡検

2月11日、滝山巡検に行った。滝山巡検では、高月城・滝山城・片倉城を訪問しました。これらは八王子市東部に所在する城です。滝山巡検の行程は、まず高月城に入り、次に高月城の麓の円通寺、その次に滝山城、最後に片倉城という順序でした。

高月城は、戦国時代初期の国衆大石氏の居城であった時期があり、多摩川の支流や山々に囲まれた城です。今回の巡検では、北側の入り口から城に入りました。この入り口は築城当時から存在するものではなく、元は堀が置かれていました。つまり、残っていた堀を改良して道を整備したと思われ、堀は残っていません。

入り口から緩やかな傾斜を登りました。判然としない遺構を確認しながら、城の主郭部分にた。主郭は平坦であり、何か遺構が残っているかもしれないので歩き回りました。しかし、周辺は畑が耕されていたり、草木が繁茂したりしていて、これまた判然しなかったので、やむを得ず城の南方面に進みました。南側もあえては判然としないが、野道をくぐればそこには堀がありました。これに調子を得て、さらに南進しました。整備されていないためよくわからなかったが、おそらく土塁の盛り上がった所を歩んでいたのだろうと思われます。周囲には冬にふさわしい木と枯れ草があり、常にこれを手でよけながら進みました。方位磁石も持ち合わせていないので方向も分かりませんでした。そのときは適切だと思われる遺構への珍妙な解釈を行い続け、遂に崖へと出ました。崖に出てしまったらそれ以上は進めないので、崖に対して平行方向へ進みました。このまま進めば、縄張り図が確かならば馬出に出くわすはずであると思っていました。今までの探検で、城の概観は予想がついたものだと判断していたが、諸所の遺構は明らかではありません。我々はこのよくわからない城から唯一の判然たるものを確かに会得するために、つまりこの馬出くらいは分からなければならん、という気焔をあげるために、一歩進めば馬出を思い、一歩進めば縄張り図を見るを繰り返しました。そして、それらしきもの、これは各部員の感覚であるが、馬出を発見する。高月城は主郭からの景色を見ればわかるように、守りが強い城でした。

次は徒歩で約30分進んだ所にある滝山城、北条氏照(第三代北条家当主北条氏康の第三子)が居城であったことで有名、に向かいました。

まず、我々は城の南側の天野坂を登り、大手門から城に入りました。この場所は周りを枡形虎口で囲まれており、我々は持参した縄張り図・入城者への案内である城の説明掲示を見ることで、その概観を確認しました。城の俯瞰図を見ればわかるが、大手口から三の丸→千畳敷→屋敷群→二の丸→本丸の側に曲輪が集中しているので、こちらに向かった。山の神曲輪は曲輪が少ないわけではないが、木々が密集していて確認できませんでした。

次に、片倉城に向かった。片倉城は誰によって、いつ築城されたか不明な城の一つです。現在、片倉城は公園として整備されており、芸術的な銅像が建てられています。ほかにも、片倉城には、古めかしい住吉神社がありました。

4月 嵐山杉山城巡検

埼玉県嵐山町にある、杉山城とその周縁に行ってきました。

杉山城は決して歴史的に重要なわけではありませんし、築城主が誰なのかもわかっていません。しかしその技巧的な縄張は、多くの城ファンを唸らせてきました。そのため多くの城郭研究者から注目され、幾多の議論が重ねられてきました。

現在、有力な説は三つです。

①北條氏築城説 有力な提唱者:西股総生氏,松岡進氏

②山内氏築城説 有力な提唱者:齋藤慎一氏

③豊臣氏築城説 有力な提唱者:中井均氏

このあたりの問題は、西股氏の『杉山城の時代』に詳しいです。興味のある方は一読をお勧めします。

今回の巡検では杉山城のほかに、菅谷城という城にも行ってきました。ここは杉山城と異なり大規模で、「横矢掛り」という技法が多用されています。このように「横矢掛り」が多用されているのは広くなりすぎた城域を効率的に守備する為なのではないかといわれているそうです。広大ですが史料に記載はなく、やはり杉山城と同じく「謎の城」です。しかしその構造から、戦争時の陣地なのではないかという指摘が有力だと言われています。

今回の巡検ではこのほかにも、木曽義仲の父・源義賢の舘であったといわれる大蔵舘などを巡りました。少々遠いところではありましたが、充実した時間になり、遠くまで行った甲斐があったと思います。皆さんもぜひ、嵐山までお越しになってはいかがでしょうか。


7月 八王子巡検

八王子巡検は2018年8月に行われました。八王子巡検のメインは上図の八王子城で、他に武蔵野天皇陵、浄福寺、金剛院を訪れました。

武蔵野天皇陵は大正天皇陵・貞明皇后陵・昭和天皇陵・香淳皇后陵の4陵からなり、広い敷地は砂利道と林に覆われています。

八王子城は北條家の武将北条氏照の居城です。居城でありかつ北条家領地の西の要でしたので、広い城であり、大部分が防御となる山地に属しています。歴史研究部としては、縄張り図という城の遺構がわかる地形図を用意して城の中を進んでいきます。

歴研には神社や仏閣も欠かせないものですから、浄福寺・金剛院という寺にも行くわけです。毎回その土地の歴史と深い寺を訪れるのですが、浄福寺は裏に城もあって北条氏の戦と関係があるのだろうと考えられています。

春合宿in安土

一日目 安土

この年の文化祭では、安土城の模型を作ることが決まっていたため、その調査もかねて春合宿は安土に行くことが決まっていました。

一日目はお目当ての安土城と資料館を回りました。まず、安土駅のすぐ近くにある安土城城郭資料館に行き、天守の模型や関連資料などを見ました。

次に安土城考古学博物館と信長の館に向かい安土の歴史や、安土城を再現したVR映像を見学しました。

そして、お待ちかねの安土城を見学することになりました。見学ルートはまず「大手道」(実はこの道、大手道じゃなかったという説が有ったり無かったり)を登り、主郭部に行き、信長廟?のようなところでちゃんと礼をし、天守跡で写真を撮影しました。その後、城内にある総見寺を見て、「大手門」に戻りました。その後、安土城下にあったセミナリヨ(と言っても今はただの更地ですが)、浄厳院を見、ホテルに着きました。初日を無事に終われてよかったです。

二日目 安土

この合宿は安土城を目的とした合宿でしたが、実はもう一つ主要な史跡があり、それは観音寺城です。二日目はこの観音寺城を中心に回りました。

二日目は初っ端からメインの観音寺城に向かいます。まず、最寄りのバス停から観音寺城に向かうところで道に迷い、裏道からちゃんとした石段の登山道に入りました(なので結果オーライかな?)。まず、城内の観音正寺を見学しました。その後、城の遺構を見学しました。石垣なども多く残っていて迫力がありました。しかし、時間的に全部見ることはできず、城内の八割ほどを見たところで下山しました。

その後、桑実寺を見学しました。この寺は足利義昭が止まったこともある歴史のある寺です。その後、瓢箪山古墳、沙沙貴神社を見学しました。沙沙貴神社には乃木希典の石碑もありました。その後、無事に新横浜駅に戻りました。予定していたところは大体行けたので、良かったと思います。

夏合宿in金沢

金沢城などの史跡を回りました。詳しいことについては後日掲載します。