岡山大学薬学部

高度先導的薬剤師養成プログラム

国立療養所 長島愛生園 学外研修(2023年)

長島愛生園は、岡山県瀬戸内市邑久町虫明に位置するハンセン病療養施設です。1930年に日本初の国立療養所として開設されましたが、治療薬がないこともあって国策として患者の隔離が行われました。現在は、ハンセン病に伴う後遺症の療養等を目的に約200名が療養生活を送っています。現地では、展示資料、園内見学に加え、療養生活を送っている方による講話を通じ、差別や偏見の歴史について伺うことができます。本研修では、このような医療人教育に相応しい地元資産への訪問の機会を学生に提供し、薬学での学び、そのモチベーション向上を目的に実施しました。座学や映像授業、臨床現場での実務実習では決して学べない患者の苦しみや医薬品の恩恵などが臨場感をもって学べる貴重な機会になればと願っています。 

参加学生の報告書から


薬学科年 


 今回、初めて長島愛生園を訪問しました。大学生になってから、ハンセン病と長島愛生園について説明を受けたことがあり病気や問題点について、ある程度の知識は持っていました。しかし、実物を自分の目でみて、現在の状況を聞くことを通して、新しく知ったことがあり様々なことを考えさせられました。

 一番印象に残ったことは知らないことの怖さです。ハンセン病が感染力の弱い感染症であることが正しく理解されていれば苦しむ人は減らせたであろうと思いました。国民に植え付けられた恐怖感や偏見の目を、早くに変えることができていれば、社会復帰を気兼ねなくすることや、お骨を家族のもとにスムーズに返すことができていたのではないかと思います。過剰な隔離や消毒が行われていたことがとても恐ろしく感じました。これも正しい情報をもとに考えればせずに済んだはずです。

感染症に対して恐怖感を抱くこと、感染のリスクをできるだけ避けたいと思うことは自然なことだと思います。ただ、一時的な隔離をきっかけに、社会から隔絶することはあってはならないと思います。

新型コロナウイルス感染症についても、患者やその家族、医療従事者への差別や偏見がありました。差別・偏見、なんとなく近寄りたくない、嫌だなという感情を緩和させるには、正しく情報を得て理解するための情報リテラシーに加えて、相手を尊重する気持ちも大切だと思います。

ハンセン病の事例を知ることは、感染症による差別や偏見を減らすきっかけにできると思いました。教育で差別・偏見はある程度なくすことができると思います。長島愛生園が世界遺産を目指していると聞いて、近い将来に認められると良いと思いました。新型コロナウイルス感染症の流行を経験していない後の世代にとっても、良いものになると思います。

歴史館の展示物の中に当時の学生が書いた作文がありました。その中に社会に出る希望を書いたものもありました。復帰後も全員が望んでいた人生を過ごすことができたとは限らなかったことを考えると、とても複雑な気持ちになりました。

自分のなかでの偏見をなくそうと思っても完全になくすことは難しいと思います。それでも、知って、自分で考えることで少しずつなら可能だと思います。今回ハンセン病について、知識を得て自分なりの考えをもつことができました。今後ハンセン病やその他感染症についても正しく情報を提示できる人でありたいと思いました。そして差別・偏見がない世であってほしいと心から思いました。



薬学科2年 


 私は研修に参加するまでは、ハンセン病という病気を学びに行くものだと思っていた。しかし、それだけでなく人として大切なことを学ぶことが出来たと思う。それは医療従事者だけでなく、すべての人において大事なことだが、将来医療に携わる者として、今気づけたことは本当に良かったと思うし、この研修に参加できたことはとてもい良い経験になった。

「歴史は繰り返される。人間は何も学んでいない。」という言葉がこの研修の中で一番印象に残っている。ハンセン病患者やそのご家族に向けられた差別や偏見と同じように、新型コロナウイルスが流行した時も患者さんや医療従事者への差別や偏見がたくさんあった。ハンセン病について様々な話を聞いていると、新型コロナウイルス感染症とハンセン病で起こっていたことは同じなんだと感じた。長島愛生園でハンセン病についての話を聞いたり、施設を見学したりして、初めて知ることもたくさんあり、今の時代では考えられないような人権侵害をしていたこの国や、ハンセン病患者とそのご家族を差別していた世間を酷いと思った。しかしその反面、自分がその当時生きていたら患者さんやご家族に対して偏見を持たずにいられただろうか、差別をせずにいられただろうかと考えると、分からないと思う自分もいた。新型コロナウイルスが流行した時、私は怖かったし、自分は感染したくないととても思った。ハンセン病という病気に直面した時も人々は同じように感じたのだろうと思った。当時はまだ今のように医療も発達しておらず、正確な情報も出るまでに時間がかかっただろう。またハンセン病には見た目に残ってしまう重い後遺症もあった。そんな中で正確な情報を今ほど知れる術もなかったことを考えると、余裕を失い差別してしまうのが人間なのかもしれないとも思った。新型コロナウイルスが流行し出した時のことを振り返っても、人間は自分たちがどう闘っていけばいいのか分からない未知のものと対峙した時、恐れ、焦りなどの感情が現れ、自分に被害が及ばないようにと必死で自分を守ろうとする生き物なのだと思う。そして、様々な人や個性を受け入れようという風潮がある現代でも、人間の心の中から差別や偏見の感情が完全になくなることはないと思う。だからこそ、過去に学び、同じ過ちを繰り返さないようにすることは大切なのだと感じた。「人間はまた同じ歴史を繰り返した」という事実に気づくことが出来たら、それが自分たちを変えていく一歩になると私は思う。私たちは自分が生まれる前に起こっていた差別や偏見を目の当たりにすることはできないが、歴史から学ぶことは出来る。私はハンセン病について学習するまでは、新型コロナウイルスについて「歴史を繰り返している」という考えはなかった。しかし、そうだということに気づくことが出来たからには、同じ歴史を繰り返さないようにしたいという意識が芽生えた。私のように「歴史を繰り返している」ということに気づいていない人もたくさんいると思う。長島愛生園は、実際に差別や偏見があった場所であり、ハンセン病という病気、そしてその患者らが受けた差別や偏見について、実際に施設を見て学ぶことが出来る世界で唯一の場所であると知った。長島愛生園は、世界遺産になって、もっと多くの人に知ってもらい、日本人だけでなく、世界中の人に学んでもらうべき施設であり歴史であると思った。


創薬科学科 3年


 私は元々、ハンセン病に理解がある方ではありませんでした。一応、地元である岡山で起こった話なので道徳の時間などにテーマとして出てくることはありましたが、療養所というものがあるという認識にとどまっていました。

 大学に入ってから、らい菌やハンセン病について学ぶ機会もありましたが、皮膚疾患と神経障害が同時に現れることがあると聞き、一見すると何のつながりもない皮膚と神経の病気、というとこでますますハンセン病がどんな疾患なのか分からなくなってしまいました。

 今回の学外研修はこの疑問を解く良い機会でした。歴史館の学芸員さんの話によると、らい菌は低温な場所を好むそうです。だから外気に近い皮膚、すなわち表皮と、身体の比較的中心部に存在し、熱を発する器官と遠いものもある神経がターゲットになっていたのです。私の長年の謎が解けました。

 そして次に考えるのが、昨今の新型コロナウイルス患者に対する差別です。3年ほど前の岡山県にCOVIT-19が上陸した頃、私は岡山県初の新型コロナウイルス患者に怒りをおぼえていました。「なぜ新型コロナウイルスが危険視されている今、スペイン旅行に行ってしまったのか」「旅行は中止できなかったのか」など、考えてしまいました。比較的効果的な治療薬が見つかり5類感染症となった今、改めて考えてみると、これはかつてハンセン病に対して恐怖を抱いていた人々がハンセン病患者を差別していた時の信条とあまり変わらないのではないかと思いました。未知の感染症は怖いものです。出来ることなら罹りたくない、そしてその患者にはできれば近寄ってほしくない、この恐怖が病気による差別を生む原因の一つではないかと思います。この恐怖による差別は簡単にはなくならないと思います。何故なら怖いものは怖いからです。しかし、私は創薬の道を志す学生です。未知で怖い疾患を既知で治療可能な疾患に変えられる可能性を持っています。

 ハンセン病の治療薬プロミンを開発した研究者、そして新型コロナウイルスの治療薬を発見した研究者を見習い、未知の病に立ち向かうことが、私が薬学部生として疾患に関する差別を減らすためにできることではないかと思いました。今回の学外研修は未知のものに対して研究を行う、医療従事者としての覚悟を決める機会でもありました。

 

そして最後に、知ることの大切さを感じました。今でも長島愛生園には入所されている方がいらっしゃいます。ハンセン病自体は全員完治していますが、その後遺症により社会復帰が難しい方が95名、まだこの療養所で暮らしています。私はハンセン病に関する問題は、様々な事象や訴訟を経てもう終わったことであり、これからはこのような差別を起こさないようにどうすればよいか考えなければならない、と思っていました。しかし実際には終わってはいませんでした。私はこのことを学外研修に行くまで知りませんでした。

 また、このように長い長い問題となるので今後はこのような差別は絶対に起こしてはならないと強く感じました。