(日記ならぬ)月記 

 1,2月のあいだ私を大きく占めていたのは、唐突に眼前に現れた、迫る30代に向けての準備の意識だった気がします。きっかけは些細なささいな、持っている衣服への違和感。年始になんだかピッタリしっくりくるジャケットを手にしてしまって、ほかの服や物について、そのサイズ、雰囲気、価格品質思想歴史使用頻度、いろんな面の“フィットしてなさ”が逆に照射されてしまったような感じでいてもたってもいられなくなり、ワードローブの一新、不要な物の処分をゴリゴリと進めていました。とはいえ日々やらねばならぬことが少しずつあり、整理断捨離はスムーズにはゆかず、これが思いのほか自分にずっしりのしかかり、どれもこれも作業途中の冴えない晴れない感じで、記憶もあんまりありません。ただ、強く感じたことをしっかり覚えていてそれは、「自分って、“いつか使うだろう”って買っておいたけど結局使ってないものがめちゃくちゃあるじゃん」ってこと。結局それって「捨てなきゃ」みたいな未来のタスクを増やしたりしてしまってるぞ、備えがそのまま負債になってるぞってこと。初めて気づきました。そしてモノに限らず、いつかやろう、いつか直視しようと先送りにしてきた、放置してきてしまっている事柄がたくさんあるなぁと自宅で静かに、身体はずっと同じ姿勢だったと思うけれど脳内で後ろへ後ろへ、掘り進める自分がいました。日々それらの認識・ジャッジはしている。タスクはこなしている(こなせていないのももちろんある)。けれど、汚部屋になっていく過程で気にならなくなってしまうみたいに、今の自分に癒着してしまっている“状態”の積み重ねのようなものを知覚した気がする。なにかに「専念」できる時間なんてきっと今後の人生ではほとんど持てないように思うけれど、いらないキャッシュを6月までにできるだけ削除して気持ちよく生きてゆこう、との思いが図らずも生まれた、たぶん図らず生んだ、無印良品のカバーオール、こなれた価格の大量生産品だけど、お気に入りです。あとなんか普通にふとしたタイミングで足が痺れたり、塩分の多い食事にダメージを受けるようになっている。幼さと老化のせめぎあう冬、おわり!(2026.02.27)

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