「私は以前は神を汚す者、迫害する者、暴力を振るう者でした。それでも信じていない時に知らないでしたことなので憐れみを受けたのです。」、この御言葉は私自身のことです。
10年前に家族を通して1人の牧師に出会ったことで、エホバの証人からキリストの証人に変えられました。当時の私は、ブレーキの効かないエホバの証人でした。反対を受ければ受けるほど心のアクセルは踏み込まれ、間違った信仰に導かれていきました。
そもそも私が最初にエホバの証人の訪問を受けたのは、主人の転勤で東京で暮らしていた時のことでした。聖書に関心も知識もなかった私は、深く考えることもせず出版物を受け取ってしまいました。その後も訪問が繰り返され、その方の人柄にも引かれ心を許してしまい、ある時玄関先から家の中に招き入れてしまったのが、研究生としてエホバの証人に踏み込んだ第一歩でした。
その当時の私は、転勤先には知り合いもなく少し寂しい思いもしていました。また子供が与えられないという悩みもあり、人は何のために生きるのかと漠然と思っていた頃でもありました。
エホバの証人との研究は、ものみの塔の出版物を用いて聖書を学ぶという方法でした。エホバの証人は、私が求めていたことで誰も答えてくれなかった問いに、明快に聖書から答えてくれる人たちでした。 疑問点や納得できない点もたくさんありましたが、ある時それが1本の線に結びついて納得できた瞬間がありました。おそらくその時、ものみの塔の私に対するマインドコントロールは完成したのだと思います。私は聖書を学んでると思い込んでいましたが、実はすり替えられて ものみの塔の聖書の教えを信じてしまったのです。それは組織崇拝の道だったのです。
輸血はしない、選挙は行かない、誕生日は祝わないと言い始めたことから、夫をはじめとする家族から厳しい反対が起こりました。その頃にはエホバに従おうとする時必ず反対が起こる、それも身近な家族や友人をサタンが用いる、そこで止めてしまうなら愛する家族を救うことはできないと教えられていましたし、すでに今が終わりの時でハルマゲドンの裁きが近いということに心がとらわれてしまいました。もう後には引き下がれないという思いが恐れよりも強く目をつむってでも踏み越えていくようなそのような気持ちでした。
反対を受ければ受けるほど恐れはなくなっていきました。信仰は強められ、ますます伝道活動に打ち込んでいきました。家族の関係は難しくなる一方でした。離婚話は繰り返され、絶縁状態にもなったことがあります。両親は娘が離婚されてはと必死に反対してきました。一方、エホバの証人とは家族以上の深い絆で結ばれていきました。
エホバの証人になってから13年目を迎えた頃、両親が相次いで亡くなりました。姉が深い悲しみに暮れている中、偶像礼拝を避けエホバに従うことだけを願い、自分の信仰を守ることに必死になりました。結局 、焼香しないということで葬儀の参列を拒否されました。
肉親の情さえも失っている異常さを感じた姉は、ものみの塔からの救出の道を探り、あちらこちらと奔走したようです。そしてついにエホバの証人救出カウンセラーの草刈牧師にたどり着きました。そこで初めて家族はものみの塔がカルトであることを知ったようです。マインドコントロールされた妻を救出するには、ものみの塔の組織の全く影響のない環境で本人と家族とカウンセラーを交えて、ものみの塔の教えについて話し合いを行う保護説得の道しかないと夫は決断したようです。
神様は私の全く知らないところで救出のために事を運んでおられたのです。保護された時の私はサタンの罠にはまったと思いました。この計画を企てた夫は長期休暇を取っていました。今までとは違う家族の覚悟を感じました。私は組織の指示に従って話し合いを拒否し続けました。その時浮かんだ御言葉は「立っていると思うものは倒れることがないように気をつけなさい」という警告の言葉でした。
夫のどんな説得の言葉にも耳を傾けようとはしませんでした。内心は「このままでいいのかな?」という思いはありましたが、心は閉ざされたままでした。そして17日を迎えた朝、夫は「今日で最後にしたい、これまでものみの塔の教えを調べたが、間違ったことを教えている。これをあなたが家族の名で伝えることは許せない、今日はきちんと話を聞いてどうするか決定を下して欲しい」という夫の真剣な説得の言葉に、もうこれ以上逃げるわけにはいかないと思いました。
そして覚悟を決めて話し合いを受け入れました。草刈牧師は新世界訳聖書とものみの塔の出版物を用いて、疑問・矛盾点を指摘されました。エホバの証人が真のクリスチャンでありものみの塔が唯一の神の組織であるとの確信が崩れ始めました。間違った予言を何度も繰り返し、ごまかし、それを信じたエホバの証人にその責任があるかのように責任転嫁をしているのです。まさに偽預言者です。出版物の中の文献の引用は不正確であり、意図的な欺きを感じました。さらに酷いことに聖書を改ざんしていたのです。まるで谷底に落とされていくような恐ろしさを感じました。組織を擁護しようとしてもできないことばかりでした。
「この14年のエホバの証人人生は一体何だったんだろう」と思うと涙が溢れてきました。聖書の改ざんを調べていくうちに、ものみの塔の教理が崩れていきました。間違いが分かると同時に、少しずつ真実なる神様のことが見えてきました。イエス・キリストは神だったということが分かった時には、大きな驚きでした。神様が私の罪のために十字架に架かって下さったことを悟り、 心の目が開かれました。間違いに気付いてからの心の中は、とんでもないことを信じ家族を苦しめたこと、偽りの音信を伝えてきたこと 、取り返しのつかないことをしてしまったことへの罪の重さに苦しみました。あまりにも苦しくて耐えきれず、神様に罪を告白し許しを願い祈りました。主イエス様に出会ったのです、私は救われました。
今までにない不思議な平安な思いを体験しました。エホバの証人として最後の仕事がまだ残されていました。仲間に伝えて共に組織を出ることを計画し、長年の友人に伝えました。きっと聞いてくれると信じていましたが、彼女は最後に「あなたは組織が聞いてはいけないと言われているのに聞いたから 疑問を抱くようになった」と咎められました。サタンの影響を受けたと思ったようです。彼女とのやり取りで初めてマインドコントロールの壁の厚さを思い知らされました。それは数週間前の私の姿でした。
ものみの塔の教えの間違いは、聞く耳さえあればすぐに崩れるような信仰だったのです。だから情報を統制して組織を守ろうとします。彼女が私の背教行為を長老に通報したため、それ以上の他の方に伝えることはできませんでした。最後に知る限りの方々のところに手紙を届け、長老団に断絶届けを提出しました。その時の最後に長老は「こんな幼稚なことで神の組織を捨てるんですか?」という言葉でした。
背教者となった私には誰一人エホバの証人は挨拶の言葉をかけてくる者がいません。しかし私には帰るべき家族の元に戻ることができました。夫をはじめ家族の者は責めることもなく、間違いに気付いたことを喜んで暖かく受け入れてくれました。ただそこに両親がいないことに本当に心が痛みました。夫の優しさが心に染み込みました。
エホバの証人の生活から解放されて自由を得ました 。今までは組織や人に動かされてきたので、これからは自分に正直に生きたいという風に思いました。
組織を出た私には友達がいません。 新しい友達作りのために習い事を始めました。しかし私の心にはぽっかり穴が開いたような虚脱感があり、クリスチャンになったものの先が見えず希望もなく悶々としていました。これからどうして生きていけばいいのかなというそのような日々でした。時おり感情面で不安定になり、今まで抑え込まれたものが吹き出るかのようでした。
教会に行くようになりましたが、今まで白か黒かの世界で物事を捉えてきましたので、その思考は依然として私を支配していたようです。 そのためか教会に行っても裁いてばかりの日々でした。
その頃「エホバの証人をキリストへ」という 講座のことを知り受講するようになりました。中澤先生を通してエホバの証人時代のことが少しずつ整理されていきました。リハビリの場となりました。その頃に与えられた御言葉に慰められました。「神は私たちを、世界の基の置かれる前から彼にあって選び、御前で清く傷のない者にしようとされました。神は御旨と御心のままに私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛を持ってあらかじめ定めておられました」。私のような者を選んで下さったことを思うと、心が熱くなり喜びで満たされていきました。
そして私にとって元エホバの証人との交わりはリハビリとなりました。 誰にも分かってもらえないことを吐き出すことができましたし、 孤独からも解放されました。組織を出て初めて福岡で、被害者の会で証の機会が与えられました。 そこでエホバの証人を家族に持つ方々の深い悲しみと家庭が壊れていく様子を目の当たりにした時、私の家族もこんな思いをしていたのかと本当に心が痛みました。 その後ご家族の方からの相談を受けるようになりました。私のような者でも何か役に立つことがあるかもしれないと思い始め、そのことが立ち直っていくきっかけともなりました。
エホバの証人の問題に関わるうちに何か自分の力で出来るかのように思った頃がありましたが、関われば関わるほど問題の大きさを感じます。あの組織から出てくることは簡単なことではありません。私が救われたのはただ神様の憐れみです、恵みによって救われたのです。 神様は私のことをずっと目に留めて下さっていたのです。エホバの証人である私と苦しんでいる家族を憐れんで下さったのです。囚われの私の心にイエス様は触れて下さり抱えて引っ張り上げて下さいました。当時は失ったものがあまりにも多く情けない思いをしていましたが、「神様が全てのことを益として下さった」ことを、今 深く感謝しています。
新しい方々との出会いや多くの友人が与えられました。多くの方々の祈りに支えられたこの10年でした。 私の想像を遥かに超えた新しい人生を与えられました。この御言葉を身をもって体験してきました 。イザヤ63:9「彼らが苦しむ時にはいつも主も苦しみ、ご自身の使いが彼らを救った。その愛と憐れみによって死は彼らを贖い、昔からずっと彼らを背負って抱いて来られた」
いつも共にいて寄り添って下さる神様、この恵みをエホバの証人の方々に味わって頂きたい、疲れているエホバの証人、エホバの裁きとサタンへの恐れとに囚われ救われる保証もなく走り続け努力し続けている方々を、神様が憐れんで下さいますように祈る者です。恵みの神様に全てのことを感謝致します。