高校入学の4月からエホバの証人と聖書研究を始めました。その時私は15歳でしたが、19歳の時にバプテスマを受けました。とても熱心に忠実に活動をしていて体を壊してしまいましたので、宗教の話し合いをするという場を家族が設けまして、 脱会したのが29歳の時だったと思います。
研究を始めたきっかけは、小さい頃から人間関係にはスムーズにいかないところがあり感受性の強い子供であったこと、また、中学校生活でいろんな経験を通して、自分がどう生きていったらよいのかしっかり指針となる価値観のようなものが欲しいと思うようになったからでした。
たまたま家に来ていた証人がいましたので、自分から申し込んで研究を始めてもらいました。研究初期は真面目な人たちだという印象がとてもありましたが、通っていた高校のクラスに、証人の子供・同じ会衆の研究生・証人になっている人もいて、彼らの影響を受けたと思います。
とても窮屈な宗教だというイメージがありました。というのは高校生活を送る中でたくさんタブーがありまして、国歌や校歌が歌えませんでした。柔道や剣道は女子だったので関係はありませんでしたが、運動会の応援団に参加できない、部活紹介の時の行進では日本の国旗が前を行くから参加できない、 クリスマスや 年賀状もダメ、バレンタインデーにみんなで先生にチョコレートをあげるとかそういったこともいちいち引っかかるので、その度に宗教上の理由でできないという立場でした。最初、私は普通に関わってたんですが、クラスメートの二世の子が証人として完璧に行動する人だったので、すごいなぁと思いながらもとても窮屈だと思っていました。疑問や違和感はたくさんあったんですが、なんとなく居場所を求めてそこにとどまり続けました。
それからは特にその頃は、ハルマゲドンがほんとに近いと言われていて、大学進学もほとんど あからさまに禁止されていましたし 、就職・結婚・出産など、人の人生設計に関わることは全て否定されていました。それはなぜかというと、ハルマゲドンの間近な今、王国の伝道が第一に優先されるべきであって、それ以外のことはみんな利己的であり世的なことで、自分の安定した生活・幸福を追い求めるのは、神から離れる行為だと言われていたからです。 私もまだきちんと情報を処理することができなかったり、家族に相談しなかったり批判する力も育っていなくて、そのまま何か変だと思いながら巻き込まれていって、次第にそれに応じるようになりました。
20歳になりました。バプテスマを受けてから就職もせず週に2,3日のアルバイトをしながら、ほとんど多くの時間を開拓奉仕(組織の中では全時間伝道という・伝道活動)に費やすという生活に入りました。そこで、バプテスマを受けたからには 証人として精一杯やろうと思って、だんだん自分の生活がものみの塔 一色に変わっていきました。研究生の頃もですが、そういう生活に入ってからは本当に傾いていくのが早かったように思います。自分の話す言葉もそうですが、だんだん組織の中での用語に狭められ、ボキャブラリーが減っていき、インプットする情報が教団からのものに限られていって、普通のテレビ・新聞・ニュース、若い人が読む普通の雑誌や音楽などそういうものを一切受け付けなくなっていきました。自分の関心事もそうですし、友人関係や行動半径とか、見えるものも見えないものもいろんな点で狭まっていって、ものみの塔のハンコがついたようなものしか受け付けなくなり、先細りしていきました。
当然ですが、そういう変化を組織の中では「霊的にとても進歩している、エホバの証人っぽくなってきた」と言われるのですが、家族や友人はだんだん心配していくことが、同時に進行していたと思います。
証人になって開拓者という伝道中心の生活についてです。普通 週に3回の集会があって、その他伝道の取り決めがありますので、それになるべく参加をして、午後からも個人的に再訪問したり、聖書研究の司会を6,7件見つけてきて担当し、2時間くらい一人の方と研究していく、それを自分なりに組み立てていってという生活なんですが、それ以外にも姉妹たち同士で交わりや姉妹の子供さんを家庭教師するという機会もあって、だんだん自分の持ってる24時間とか1週間が、ものみの塔的な事柄で占められていくようになっていきました。
途中から私は家を出て、信者同士でパートナー生活というのに入ったのですが、そうなると、これまでは親の心配やあんまり遅く帰っちゃいけないなど、セーブになっていたと思うのですが、それが取り外されてしまって、食事と睡眠と仕事以外は、極端に何かエホバのことをやってるという状況になっていきました。それで心身ともに無理がいって体調を壊しかけたのですが、それでも顧みないのです。方向を変えようとか調整をしなくちゃとか思わなくて、本格的に体を壊してしまうことになりました。
半年や 9ヶ月などの長期入院を経験しましたが、アルバイト生活で貯金もないので親に迷惑や心配をかけてしまいました。申し訳ないとは思いましたが、エホバの証人としてこの生き方を続けていくというところは全然揺るがないものがあって、逆に病気になった時に、組織の兄弟姉妹たちからたくさんの気遣いやお見舞いにも来て頂いたり、経済的にも助けてくださった方もいましたので、かえって組織の温かさをまた認識してしまったようなところがありました。それで、私は生涯エホバの証人として生きていくと再決意した時期でもありました。
大病して経済的にも自分を見ることができなくなって親に迷惑をかけたのに、私が自分の問題を見つめようとしない、改善しようとしないので、親は「このままこの子をほっといたら早死にしてしまう、これまでは宗教上でちょっとのめり込んでるなという程度だったと思っていたが、何とか手を打たなければ」ということになりました 。それで家族で話し合う場を設定して、私もその場で色々な情報を受けて、もう一度自分の信仰について考え直すことにしました。家族がこれだけ心配してくれて、反対ではなくて、「本物かどうか確かめてみなさい、今もう一度」ということで、勇気がいることではありましたけど、ちょっと立ち止まって、 この組織や教義の内容についてとか、調べ直して見ることにしました。そして苦しい選択だったのですが、脱会をする決意をしました。
その時ちょうど 組織に交わり始めて14年目、私の人生のちょうど半分、10代の後半と20代のほぼ全てをつぎ込んできた場所であり、大切な人たちであり、活動であり、価値観であり、それを全部捨てないといけないと思った時に、とても重たい決定でしたが、今どうしてそうできたのかと思い返すと、やっぱり私は神様が好きで、真理を愛したい真理に沿って生きていきたいと願っていたのです。これはあとで気づいたのですが、エホバの証人として祈っている時にもいつも神様に、もっとあなたを教えてくださいと祈っていたんです。でもその時の方法は、ものみの塔の出版物を一生懸命読む方法で知りたい聞きたいと思っていました。だけど考えれば神様はその祈りに答えて、辛いけれどもそういうルートで情報を与えてくださって、考えさせるようにそういう環境も整えてくださった上で、大手術をしてくださったのかなと思っています。
その時は体も病み上がりでしたし、脱会に伴ってアイデンティティを喪失、これまで私は何をやってきたんだろうか、これまでの14年間はどうしたらいいんだろう、これからどうやって生きて行ったらいいんだろう、全然見当がつかなくて、絶望感と喪失感と足元がグニャグニャと埋もれてしまいそうな感覚でした。
その時に家族は理解して支えようとしてくれましたし、 牧師や元証人のクリスチャンの方たちも祈って助けてくださいました。ただ一番苦しかった時期に、私を倒れてしまわないように支えてくれたのは神様でした。多分 組織の人は背教者と見て、これまでの培ってきた良いものは全部水の泡で、価値のないものになってしまうんだろうなとか、新しい友達も全然いなくてと思っていたんです。その時はエホバと祈れなくなっていたのですが、「神様は、私が神に向かおうとしてきたこの歩みは知っていてくださるはずだ、そしてちょっとずれてたけれども、これからも神様は私に自分を示してくださるはずだ」、それだけで私は何とか生きていこうと思えたのです。
それを決断するかしないかの期間は、食べ物も飲み物も喉が通らなくて、泣いてるのに全然 喉も乾かない。このままだったら死ぬかもしれないとも思ったんですけど、創造者に対する敬意からそれはしてはいけないと歯止めになりました。無理して飲んでちょっと口に入れてという感じで、今よりも キューッと痩せてしまっていました。
そんな感じで極限のところを通り過ぎてから、脱会してからはいろんな整理をする作業が必要でしたので、時間を要しました。整理をする時に、いろんな情報や証人の証、ものみの塔と聖書の両方に詳しい方から比較していろんな話を聞いたり、私の質問にもどんどん答えてくださったりと勉強する期間が与えられました。そこで見えてきたことは、エホバの証人はパリサイ人だと思いました。そういえば、以前からなんとなく組織の中にいたときにも感じることはありました。でも、こうして距離を置いて聖書とものみの塔の信仰のあり方を整理してみた時に、イエス様がパリサイ人について言われたことが、本当にことごとく 証人のあり方・信じ方・伝道の仕方に当てはまります。一番許せなかったのは、聖書を改ざんしていたことと、イエス様は神ではないと言っていたことが、決定打になって脱会を決意しました。証人にとても未練のような断ち切りがたい絆がありながらも、真理に基づいていないということが確かめられたので、決意ができたのです。
ただ微妙だったのは、その時に元証人でクリスチャンになった方が、理解してくださりいろいろご自分の経験も話してくださって、教会に来ることを勧めてくださったり「クリスチャンになったら楽になるわよ」 と話してくださったんですが、クリスチャンになるようにという招きに対しては抵抗があったんです 。それは多分私の中で、エホバの証人の二の舞をしちゃいけないという警戒心のようなものが働いて、今度は本当に自分と神との関係で納得した時に、一歩踏み出したいという気持ちがあったからだと思います。 おかしいのは今度は騙されないぞっていう気持ちなのですが、証人になる時も4年ぐらい研究して調べて、納得して入ったはずなのに間違っていました 。だから今度も、クリスチャンにはなりたいなるだろうとは思ってたんですけど、そこに至るまでには、私のエホバ時代の聖書よりもボロボロになるくらい聖書を読み込まなくちゃと考えていたのです。
一時期本気で決意したんですけど、 ヘブライ語とギリシャ語を勉強して、誰の解釈も入れずに自分で聖書を読もうとかも考えたりしましたが、それも エホバ ・ものみの塔的な思考を引きずってるということに、途中で気づかされたんです 。脱会してからも、ある程度の作業的な整理が必要だと思うんですけど、やっぱり信仰は、質の違うものだっていうことが今はよく分かります。でも脱会したての頃は、勉強してからとか、今度はクリスチャンにふさわしい人になってからとか...その設定の仕方が ものみの塔的だったんです。
途中ですぐにまた苦しくなってきて、結局同じ律法主義に陥っていって、窮屈になっていたんですけれども、行き詰まった時に祈ったんです。もう自分から近づく努力はやめました。 「聖霊様、どうぞお臨みください、教えてください」と祈って、証人のような自分を変える律法的な努力をある時点で放棄したんです。そしたら次の礼拝で、説教の内容はよく覚えてないんですが体験をしました 。「こういうことだったのか、分かりました」という感覚しか残ってないんですが、不思議な瞬間でした。「自分で頑張らなくていいんだ、神様が与えてくださること、それをただ受け入れればいいんですね」と、分かって楽になりました。
1回でそんなに取り切れるほど軽くなくて、思春期の頃からの14年間ずっと刻み込まれた ものみの塔的な思考パターン、私の生活スタイル、価値観みたいに染み込んでいるもの、人格に染み込んでいるものは、良いものは 今も助けになっている部分はあるのですが、義にすぎるところ、つい頑張りすぎてしまうところ、自分の努力でなんとか変わらなくちゃと思ってしまうところとか、長く時間をかけてだんだんちょっとずつ「 これも名残かもしれない」という感じで、調整が今も進んでいる途上なんですけど、そんな感じで 少しずつエホバの証人の感覚から、普通の人の感覚に戻ってこれたのかなという気がします。私はまだ一世なので、戻る15歳までの自分があってそこにいったん戻って、そこからやり直せばいいんですけど、 二世の方は本当に大変だと思います。
脱会して半年ちょっとしてから、クリスチャンとしてバプテスマも受けました。とても爽やかな感じで、本当に自由を頂いたという感じがしました 。
脱会した頃は、エホバの証人の関係で忙しかったです。いろんな教会などで異端の罪に上がっていたのでそこで経験談を話したり、ものみの塔の教団についてのいろんな教理や歴史などの経験談を出す作業がちょうど 所属した教会で行われていたり、エホバの証人からの裁判が起こされていたのでその手伝いもしていました。
つい 一生懸命やってしまって、また繰り返すのかなと考えながらも、脱会してからしばらくは、私は14年間のことは忘れて精算して、幸福なクリスチャンとして生き直そうと思ったことがありました。もう証人のことは考えないで、自分が神様との関係で幸福になることや生活設計を考えてと動き始めてみたのですが、それは難しいことが分かりました。
私が今、罪を許されて本当に慰められて、クリスチャンの一人としてこんなに幸せだって小さいことでも幸せに思えて本当に感謝できていて、そのたびに、証人の時の親しかった仲間たちが今も苦しんでいるということが、私の今のクリスチャンとしての幸福と彼らの重たい生活を負っているものが、いつもセットになっていて、やっぱり私はそれを無視しては生きることができないと思いました。
私の好きな詩篇 116:12に、「神様がしてくださった良い事柄に対して、私は何を持ってお返ししよう」という御言葉があるんですけど 、それがとてもいつも心の奥にあって、この14年間という回り道を神様が許されたということには、そこに必ず何かご計画があられて、神様が用いたいと思っておられるんだろうと考えました。それで脱会してからは自分の整理のためでもあったんですが、心理学をちょっと勉強した後、精神障害とカルト脱会者は親和性があると感じるところがあって、そのような精神障害者の方々の日常生活や社会復帰をサポートできる資格をと考えまして、勉強してきたという経緯があります。
脱会した時に、心理学を勉強するか神学を勉強するか迷った時期があったんです。私の家族からは、信仰に熱心なところを分かっていたので 「脱会したら神学校に行くよ」 と言われていました。私もそれは考えたんですが、中にいる証人の立場や、離れてどうしようか困っている証人の立場を考えると、キリスト教のスタッフというよりは、 一般に関わりやすい臨床心理士やそういう福祉の立場の方が、近づきやすくて受け入れやすいのかもしれないと思って選びました。
でも今は、心理学や福祉の視点と、もう一つは、他のカルトグループと関わっているいろんな関係者の方々のソサエティーにも小考していて、ものみの塔だけでなく他のカルト問題を抱えている当事者や家族の方などに関わっている、弁護士やカウンセラーの方たちの中で教えられることが多いのです。この14年間もそうですけど、その後 脱会してからの色々な機会を与えられて教えられたことも、何かの形で還元していけたらいいなと思っています。多分、これが神様から私に与えられたビジョンであり、ライフワークになるんだろうと感じています。