エホバの証人の音信は、解散したバンドのドラムをしていた友人から入ってきました。彼は小学生からの友人でしたけれども、ご両親の不慮の死を経験して、バンドの解散から転職、おまけに失恋と、ものみの塔に入信する十分すぎるほどの理由を持っておりました。私たちも見ず知らずの訪問伝道者からではなく、この友人の勧めに気を許していました。彼の紹介で研究を始め、初めて聖書を読みました。
組織の教えは、聖書を読んだ印象とは違うように思えて、最初の頃は相当抵抗があったのですが、やがて巧みなマインドコントロールの中に入ってしまい、一緒にものみの塔の研究を続けてくれていた現在の妻と結婚しました。実はもう一人婚約まで交わそうという女性がいたんですが、彼女が研究を辞めてしまい、「主にある者とのみ」という聖書の原則に従わざるを得なかったのです。このことはその後、長い間私たち夫婦に深い軋轢(あつれき)をもたらす罠となりました。私はどこかで不本意な結婚をしたと、思い続けていたからです。
私の妻と友人が数名、家族では母弟がエホバの証人になってしまい、父は仕事の協力が得られずに昇進の機会を逸したり、家族の中で孤立していました。次第に自暴自記になって生活が荒れてきて、人の保証人になったことがきっかけで賭け事などに手を出すようになり、最終的には2軒の家も土地もなくして、借金をやっと返し終わった矢先に亡くなりました。私が現役の時、1度だけ私たちの信仰を咎めるようなことを口にしましたが、私はその時、「気に入らなくてもこんな息子に育てたのはあなたでしょう」と罵り返したのです。父の涙を見たのは生涯この一度きりでした。すべてをものみの塔のせいにする気持ちはありませんが、このようにエホバの証人の信仰は、少しずつ家族を壊し全てを失わせていくものになっていきました。
エホバの証人の組織に入って10年間、あらゆる意味でその教えその活動を見てきました。兄妹姉妹たちとの多くの出会いがあり、そのほとんどは良心的で純粋な魂を持った人たちでした。エホバのために死ねなくても、この人たちのためなら死ぬことができるかもしれないとまで思ったことがありました。
組織の雰囲気に馴染むように長い髪を切り、生涯続けたいと思っていた音楽の仕事も辞めました。生来器用なほうではない私にとって、集会、伝道と世俗の仕事を平行してやっていくことは、物理的に忙しいということよりも精神的にかなり苦痛なものでした。
音楽を辞めてからは、し尿処理の仕事を始め、デパートの店員、保険、会社の清掃員、果ては露天商までやりましたが、いつも貧しくていよいよ食べるものがない時には、野のツワブキを積んだり、近くの川でワカサギを捕ってしのぐということもありました。
妻は長老夫妻の勧めで、生まれて6ヶ月になった長男を、素手や布団叩きで懲らしめていました。そんな子供達が実はひたすら不憫でかわいそうに思いました。毎日毎週、集会の準備、週3回の集会、伝道や仕事、年3回の大会、来る日も来る日もありのままでいられない自分と戦いながら、組織を出る決断をするまで10年の時が定められていました。
実に多くの人たちとの出会いがあり、同士的な友愛で結ばれて楽しい思い出もたくさんできました。しかし一方で、何故か世俗的で粗野な、また野心的な人々がいて悩まされました。長老たちが、露骨に特権意識や権威主義をむき出しにしたり、古い婦人たちがまるでお局様のように、新山の兄弟姉妹たちをいじめるのを生きがいにしていたりするのを、やりきれない思いで耐えなくてはなりませんでした。この社会ではどこにでもあることだと思う人があるでしょうけれども、私たちはこの組織が、清い神の唯一の代理機関と信じていたので不思議でたまりませんでした。
こうした外的要因もありましたが、私が辞めた理由は自分の心の問題でした。目標を失った萎えた心が癒されるどころか、日が経つにつれてますます悪くなっていると思うようになりました。例えば手帳にはこう書いています。何より恐ろしいのは、神権的なことに参加している私自身が、これほど堕落することが可能であるという事実である。私は自分が、この世でいかなる無軌道や放蕩していた時よりも堕落しているように感じる。なぜなら、神の言葉を学び神権的なプログラムに預かっていながら、全くと言っていいほど目覚める瞬間がなく、愛も希望も持てないでいる。病が癒されたと思ったのは幻想であり、実はもっと酷くなっているのだ。また、我々は多分どれだけのことを行っても、神の日に自信を持って立つことなどできない、それは恐ろしい欺瞞だ、それは救いを自分が決定することだ、神はただご自分の憐れむ者を憐れまれるのだ。
また次のようにも書いています。私は心のどこかで、神の前には、自分の善行や実績などは何にもならないと感じていました。「ではなおさら伝道しましょう」、組織の出版物も集会での話も私にそのように迫りました。しかし彼らのように、聖書が要求したもの以上のものを人々に負わせ、時間を割り当て報告させ、それを大いに宣伝して、終わりが近い事を煽り立てて拡大のみを目指すこと、これはイエスの「私はあなた方を自由にする」という精神から程遠いのではないだろうか。私が組織を離れることになったのも、熱心に業を追い求めれば追い求めるほど、確信や目標から遠ざかるように感じ、結局は疲れ果て絶望してしまうしかなくなったからです。逆に他の筋金入りの証人たちは、自分の業に自己満足をし、他の人を見下げ、裁いたり不平を言ったりというそういう罠に陥っていました。特に長老たちの間に見られる確執や下品な詮索主義、必要以上のプライベートに関しての過干渉は、一般の人よりも酷いものだと思いました。
さて、協会の出版物に書いてある、「今は収穫の時であり終わりが近いのです、ですからこの業は急ぎ全世界で行われなくてはなりません。あなたは他の人の命を気にかけておられますか?今は沈みかけた船にペンキを塗っている場合ではありません」、というこのフレーズが私は大嫌いです。ルターは「たとえ明日、世の終わりが来ようとも、私は今日リンゴを植える」といったような意味のことを述べました。人は死ぬと宣告されても、自分の子供の命のためならあらゆることをします。終わりの時やハルマゲドンを知らない分だけ、この世の人たちの方が、自分達に神が与えた人生や社会について真剣に考えているのではないでしょうか。
また証人の信仰を皮肉ってこんな短歌が手帳に書き殴られています。「輝けど、熱を持たざる蛍火の、光の如し、かの人の業」、この短歌の注釈です。私の行っていることは業のない信仰ではなく、信仰のない業なのです。私の苦労の種は、人々が思うような、信仰がありながら業に出せないということではなく、まことの信仰がないのに業を要求される点にあるのです。そしてこう続けています。酷い鬱だ!心の冷えをどのように熱したらいいのだろう。私はもうこの課題に100年もかかりきりのような気がする。同じ過ちのとどめない繰り返し。日々がそのようなものであるならどこに生きる喜びがあるだろう。人々が戦いを止め、悪しき者らは滅び、砂漠に花が咲き、人々は獅子と共に伏し、盲目の目は開き、古き友が蘇っても、私の心が癒されないなら。そうだ、愛の心が取り戻せないなら、一体それが何になるだろう。バンドの挫折で、生き生きとした心を失った私は、エホバの証人になってもそれが見いだせず、当時の日記にはむしろもっと悪くなっていると記しています。
何か変だ、これが神様が私に与えた人生なのだろうか?マインドコントロールの中にあっても、私の心の中には神様が与えた本来の自分が、あの生き生きとした心を求める気持ちが時々顔を出していました。
私と妻と友人のうち二人は、こうして多くの疑問を感じて、神の代理機関という、組織の生み出す実や偽善に次第に気づくようになりました。自分を取り戻したいという抗しがたい気持ちを抑えられずに、私と妻、そして二人の友人は脱会しましたが、この友人達の妻君や私の弟家族、そして私に伝道した友人夫婦も、今も現役のエホバの証人として組織にとどまっています。
こうして私たちは、いわゆるこの世に戻り普通の生活を始めたのですが、次第に私と妻の間では軋轢(あつれき)が生じてきました。生活の中でアイデンティティを失っていた私も妻も、それぞれのエゴが肥大して行きました。誰が家の頭となるかを巡って、家庭での主権争いはあくことなく繰り返されたのです。肥大したエゴのために、家族は次第に敵となってきました。
精神を希薄にするための生活、必要悪としての仕事、気を紛らわすための趣味、良心をごまかすためのお酒、孤独を紛らわすためのつまらない社交、自分と家族に向けられる嫌悪、癇癪(かんしゃく)、 不平不満、挑むような敵意、それが生活の中心でした。まさに泥の中で喘いでるような生活です。こうしてうかうかと日を送り、苦悩の中で気づいた時には、自分も人も愛せない、人生に目的も意義も見出せない、無精神な自分を見つめて愕然としました。ひたすら軽い情報、例えばこの世の読み物とかテレビなどで、出来るだけ精神を麻痺させて普通の人になることに努めてきたのですが、エホバの証人にサタン視された事や、彼らの言うことが事実でないとしたら、事実は何でどこにあるのか?ということは考えないようにしてきました。
神様や聖書に真っ正面から取り組むことを避け、おざなりにしてしまったのです。組織の中にいる弟家族や親友たちが気がかりでしたが、宗教はこりごりだという所でした。神様の存在や聖書を否定するつもりはありませんでしたが、生活の指針となるものは何もなく、その生き方はこの世的なものでした。もちろんこの世のどんな哲学や宗教や処世訓も、心の虚しさを満たしてはくれませんでした。外部の人とも明るい信頼関係を築くこともできず、自分の心を持て余し、挙句は妻や子供に暴力を振るい、子供が不良化し、仕事も行き詰ってしまいました。今でも、妻や子を殴った時に自分の拳に感じた血の感触を忘れることはできません。
組織を辞めてからは、神様の話はタブーになっており、ひたすら酒や遊興で日々荒れた心を紛らわすしか術を知りませんでした。ただただ仕事や子供や人間関係や娯楽やお金の事などに煩わせられ、この世の喜び苦しみに流される日々でした。こんな無価値な人生はもう終わりにしたいと考えるところまで来ましたが、自殺をする勇気のない私は四面楚歌になっており、再び聖書を読み始めました。妻からも子供からも孤立しており、誰からも愛されていないと感じていました。人生の大事な十数年の間をエホバの証人として過ごし、その後の十数年は、更に愚にも付かない刹那的、虚無的な生活でした。
物置の隅に眠っていた聖書を取り出し、何年ぶりだったか祈りました。自殺する勇気もない私は、大胆にも厚かましく祈りました。「本当に神様がおられるなら行くべき道をお示し下さい。もう私にできることは何もありません。どうか御心のままになさって下さい。あとはあなたのお仕事です。」
ずいぶんとそれは厚かましい祈りでしたが、神様はそれを聞いて下さいました。改めて読む聖書の中のイエス様は、ただエホバのロボットのように忠実なだけの被造物ではありませんでした。思えばこのイエス・キリストというお方が、まさに救いの鍵を持つ方であったのです。まことの人であり、人以上の慈愛と権威を備えた方であることが分かってきました。この方の他に従うべき人は、いかなる偉大な哲学者、芸術家、英雄の中にも見出し得ないと感じました。そして私に「あなたは私を誰と言うか?」と問いかけられていました。私は「あなたこそ私の救い主です!」と告白できたのです。
こうした御言葉と祈りにより、初めて、私とあなたという人格的なキリストとの出会いを体験したのです。御聖霊が心に来られたのです。こんなにつまらない人間を、神様が愛していて下さることが分かりました。この時の素晴らしい平安と神様の愛に包まれた感動は、今も忘れることができません。次の聖句は、私たちの状態を的確に言い表していました。
第一ペテロ 1:8-9
あなたがたは、イエス・キリストを信じており、言葉に尽くすことのできない、栄えに満ちた喜びに踊っています。これは、信仰の結果である魂の救いを得ているからです。
救いは神様の方から一方的にプレゼントされるものであり、沢山伝道したとか、良い行いをしたとか、大きな業をしたからとか、将来性があるからなどという理由で与えられるものではなかったのです。
こうしてついに天国の扉をノックしたのです。幼い頃にも証人の頃にも散々祈ったことがありますが、今回は違っていました。小さな願い事が叶うということではなかったのです。すなわち一番必要としているもの、自分自身が変えられるという経験を、神様はもたらして下さったのです。かかりっきりになっていた鬱状態、癇癪(かんしゃく)、イライラは取り去られました。これは自分の努力や精進、修養で成し得たことではありません。明らかに私の場合、突然与えられたのです。御聖霊によって、挑みかかるような悪意や敵意や癇癪は取り去られました。主が新しく生まれさせて下さったのです。自然は、見るもの全てが何倍かに輝いて見えました。私たちはキリストと共に十字架で死んだ者であり、今の命は新しくされたのです。 塵のような存在の自分にとっては、この福音は、大きな慰めであり誇りであり喜びでした。
しかし、救いはまだ神様と私の秘密の事柄でした。私の魂は喜びにあふれんばかりでしたが、家庭内別居のような状態になっていた妻には話せませんでした。ところがひとつだけ気にかかることがありました。自分が死んだ後のことです。仏式の墓に入って人に拝んで欲しくないという思いがずっと頭の中にありました。思い切って妻に頼みました。「僕が死んだら教会の墓地へ葬ってくれないか?君は驚くかもしれないが、僕は天国へ行くから。」
特別な人しか天国にはいけないと教えられた妻にとって、これは驚天動地の言葉でした。最初は、私が何か病気を患っていて遺言でも聞くようなつもりだったらしいのですけれども、すぐにその理由を尋ねました。もう神様や聖書には何の興味もないのだろうと思っていたその妻が、再び聖書を調べイエス様を救い主として受け入れたのです。今でも喜びに満ちた妻の声を覚えています。「イエス様は神様だったんだ!」
また、私の妻はきっと一生「ごめんなさい」ということを私に言わない人なんだろうなぁと思ってきたんですが、あるときまじまじと私の顔を見て、「ごめんなさい、寂しかったんですね。」と言ってくれました。妻の中に生きて働いておられる神様を見て、私は神様を恐れ、また敬いました。
もちろんすぐに教会に行こうというほどお人好しにはなれませんでしたし、また別な組織に誤導されることを警戒して、一人で聖書を読んできました。騙された経験がありますから、教会へ行く勇気もなくて、キリスト教関係の本を読むことも警戒していました。無教会のひとりぼっちのクリスチャンでいようとも思いましたが、信仰の友を必要としていた妻を通して、現在の教会に導かれました。長すぎたリハビリの期間でした。もっと早く問題を整理しておくべきだったと悔やみましたが、「それも君の人生には必要なことだったんだよ」と、神様は愚かな私を心から許して下さいました。
また母は、幸いなことに20年間続いたエホバの証人の生活を終え、脱会にまでこぎつけました。妻の愛と忍耐強い証が、大きな力になり御聖霊が働かれました。すぐに母は、まことのキリストに出会い、洗礼を受けましたが、わずかな信仰生活を経て天に召されました。まことの神様を、母に紹介できたことは私のたったひとつの親孝行でした。私たち夫婦の仲の悪いことを見てきた当時6歳の三男は、小さな心を痛めてきたのでしょう。幼い心にも両親の和解が分かったようです。エホバの証人的な訓練を嫌って自由に育ててきたのですが、私たちが洗礼を受けた4年後の10才の時には、全く自主的に洗礼を受けました。これには親の方が慌てたくらいです。何の訓練も研究も布団叩きでのお仕置きもしないできたからです。
組織を辞める時、一人の友人が私に詰め寄りました。彼女は「私に散々伝道しておいて、辞める時には何の釈明もないの?」という言葉を投げかけました。その言葉は、エホバの証人を辞めてから10年間私の胸の中にありましたが、遅まきながら私はそのことをきちんとしようと思いました。そして様々な資料を読んで、自分の属していた組織が、何千件もの家庭をこの日本でも崩壊させており、何千人もの人たちを輸血拒否で死なせ、文書販売人として人を無償で働かせているのだと改めて知りました。ものみの塔の最大の罪は、無償で無条件の救いを下さる神とキリストの真の救いを人々から覆い隠して、神に近づくように見せてかえって神の恵みから引き離すところにあります。元証人であり友人で、ある姉妹はこう言われました。「エホバの証人の時は、ハルマゲドンの一日前に証人になればよかったと思いました。でも今は、もっと早くクリスチャンになりたかったと思っています。」
全く同感です。今までもそうであったように、これからも主が、私たちに天国で大きな花束を下さる時まで、持ち運んで下さると心から信じられるからです。