ものみの塔誌1968年11/15【1975年を待ち望むのはなぜか】p691-693には「1975年の秋で,全人類の父アダムの創造以来6000年を経ることになるのです!」「人類生存の6000年間がまもなく,そうです,この世代のうちに終わるということです!」と記述している。
ものみの塔誌1966年12/15【神の自由の子たちの霊の宴を喜ぶ】p766には「6000年にわたる人類の歴史は,これから約9年先の1975年には終わるでしょう」と記述している。
その根拠はこちらである。ものみの塔誌1970年6/1【神の観点から見た創造の日】p346-348
一年にかぎらず,神のことばの中では一日が一千年をさす場合もあります。『ペテロ第二3:8 エホバにとって1日は1000年のようであり,1000年は1日のようです』
第4の戒めの中に出てくる,神が天と地を六日間で造られたということばはどう理解すべきですか。聖書の記述者たちは,「日」ということばをひとつの意味に限定して使ったのではありません。『出エジプト20:11 エホバは6日間,天と地と海とそこにある全てのものを造り,7日目に休み始めたからである。それでエホバは安息日を祝福し,その日を神聖なものとしたのである。』
第七日の長さに関して聖書が,他の六日の場合と異なり,その始めと終わりを表わす,「夕あり朝あり」について何も述べていないことはきわめて重要です。
唯一の論理的な結論は,七日目はずっと続いているということです。―なぜなら,エホバ神は創造の時から数千年のちにもなお休んでいる,と聖書が述べているからです。たとえば,詩篇 95篇8節から11節には,エホバが荒野のイスラエル人に対して,彼らの心がかたくななため,ご自分の休息にはいれないであろうと語られたことがしるされています。このことは,エバの創造からその時点までの2,500余年間というもの,神は,創世記 1章および2章に叙述されている種類のわざからは休んでおられたことを示しています。―エホバは今に至るほとんど6,000年間,物質的な創造のわざからの安息あるいは休息を楽しんでこられたことになります。
これで6,000年という結果が得られますが,それが七日目の長さですか。いいえ,そうではありません。なぜなら,「神七日を祝してこれを神聖めたまへり」と書かれているからです。その結果は「非常に良く」なければならないはずですが,現在の世界はそう言える状態ではありません。したがって,その「日」はまだ継続中に違いありません。人間にとって過去6,000年間は,実際には「労働週間」であったとも言えます。しかし,キリストによる近づく一千年の統治の間に,人間は安息を得るでしょう。聖書の年代および聖書預言の成就が示すところによると,それはまさにまもなく始まろうとしています。つまり,七「日」目の中の七番目の一千年間は,それ自体安息日なのです。
このように創造の週の七「日」目は7,000年であることがわかります。この七「日」目の長さを基準にすると,他の六「日」間の各日もやはり7,000年であると結論するのが合理的です。
感 284–298ページ研究3【時の流れの中で出来事の年代を算定する】で協会は、全地球的な大洪水の起きた年代を西暦前2370年と説明している。これを要としてさかのぼって計算し、アダムの創造の時は西暦前4026年のおそらく秋だと教え、この西暦前4026年に6000年を足して西暦1975年(0年はない)と年代を算定している。
しかし協会の預言は外れ、解釈を変える。1975年に終わりが来なかったのは、アダムとエバの年齢差があったという説明である。
ものみの塔誌1976 10/15 【時について平衡の取れた見方を保つ】p628–630
18 しかし,その大安息日は,アダムの創造の直後に始まったのではありません。アダムが創造された後ですがしかし創造の第六日が終わる前に,他の出来事が生じました。ーそれは最初の女エバの創造でした。19 男の創造から女の創造までには,どれほどの時が経過したのでしょうか。23 聖書が実際に与えている唯一の情報はこれです。すなわち神は,エバの創造に先だって,ご自分が造っておられたすべての生き物を人のところへ連れて来ることを始められ,そして「人は,すべての家畜と天の飛ぶ生き物と野のあらゆる野獣の名を呼んでいたが,人のためには,自分を補うものとしての助け手が見当たらなかった」ということです。ー相当の時間が経過したことが考えられます。また,アダムが新しく創造された妻をついに目にしたとき,彼の口から最初に出た言葉が,「これこそついにわたしの骨の骨,わたしの肉の肉」であったことも注目に値します。このことも,彼が自分と対をなす喜ばしい人間を得るまでにかなり待ったことを暗示していると取ることができます。25 ーそうした要素や,またそれらの要素から生まれ得る幾つかの可能性がある以上,アダムの創造から最初の女の創造までにどれほどの時が経過したかを,はっきり言うことはできない,ということです。ーしかし,それがどれほどの期間であったにせよ,神の第七「日」,すなわち神の大安息日が始まってからどれほどの時がたっているかを知るには,その期間を,アダムの創造以後経過した時間に加えなければなりません。
協会はこのように説明し先延ばしにできると考えたものの、アダムとエバの年齢差の限界までは考えなかったようである。
洞-1【アベル】p119で、「セツは明らかにアベルの死後まもなく誕生しており,その時アダムは130歳でしたから,アベルは殉教したとき100歳ぐらいになっていたとも考えられます」と記述している。
2013年その信仰に倣う/倣 第1章 【彼は死んだとはいえなお語っている】p16, 27節で、「アベルの人生は100年ほどで,当時としては短いものでしたが,有意義な一生でした 」と記述している。
ここから、アダムとエバの年齢差の最大年数が推定できる。
アダム130歳、エバ101歳、カイン101歳、アベル100歳(死亡)セツ0歳
年齢差は最大でも29歳くらいとなり、協会の教えによると、年齢差で「終わり」が来ていないことを説明出来るリミットをとっくに過ぎていることになる。1975年から29年以内だから、2004年くらいまでに来ていなければならなかったのである。
参考資料
https://ameblo.jp/246-246-246-land/entry-12635414768.html
補足情報
協会が「ペテロ第二3:8 エホバにとって1日は1000年のようであり,1000年は1日のようです」について、日が一千年をさす場合もあると教えている根拠についての検証。
ペテロ第二3:8-9 すなわち、主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。
文脈を見れば「一日は1000年のよう」とは、創造週の日のことを説明しているのではない。「終末のさばきの日は一体いつになれば来るのか」という問いに対する答えとして書かれているもので、ペテロは詩編90:4を引用しているが、時間は神のものであり重要なことではなく、時間を超越した視点を強調し、神の愛と大きな恵みが人々に及ぶためであることを語っているのではないだろうか。
協会が「詩編95:11 私は怒りを抱いて誓った。『彼らが私と共に休むことはない』」について、『七日目はずっと続いている。エホバ神は創造の時から今に至るほとんど6,000年間,物質的な創造のわざからの安息あるいは休息を楽しんでこられた』と教えている根拠についての検証。
申命記12:10 あなたがたは、ヨルダンを渡り、あなたがたの神、主があなたがたに受け継がせようとしておられる地に住み、主があなたがたの回りの敵をことごとく取り除い てあなたがたを休ませ、あなたがたが安らかに住むようになる。
文脈を見れば『彼らが私と共に休むことはない』とは、不信仰のためにイスラエルが約束の地と共に与えられるはずだった神からの安息に入ることはないという、神の誓いについて書かれているのではないだろうか。