エホバの証人から救われ教会で洗礼を受けて、今年でちょうど10年になります。
私がエホバの証人と初めて出会ったのは、私が大学の4年生の時のことでした。当時下宿していた家に訪問して来られた若い男性に、一冊の小さな本を紹介され、断るのも大変気の毒に思え購入したのが、彼らとの関係の始まりとなりました。
当時の私は、芸術や宗教全般に関心を持つ、好奇心の旺盛な大学生で美術を専攻して学んでいましたが、神様の存在について自分なりに色々考え求めていた時期だったと思います。生まれつき心臓に疾患があり、子供の頃に手術をした経験のある私は、命の与え主がおられること、この命は誰かによって与えられたものであるということを、幼い頃より心のどこかで信じていました。
カトリックのシスターのおばさんがいたことや、また幼い頃友達と少しだけ通ったことのある日曜学校の影響でキリスト教への親近感を抱いていた私には、最初エホバの証人は、本当のキリスト教といった印象は持てませんでした。
初めは抵抗感を感じながらもいずれ卒業や引越しを機に研究はやめることになるだろうと考え、それほど警戒せずに関係を持っていましたが、証人は一度研究に応じた人を組織的にフォローする体制が取られており、転居先の近くからまた新しい司会者が来られて研究をなかなか断りきれない状態がその後も続きました。
初めてエホバの証人の集会に足を運んだ時、息の詰まるような大変堅苦しい感じがしたのを今でも覚えています。自分が決してエホバの証人になるはずはないと考えていた私でしたが、どれほど反発し自分の考えを彼らに述べてもそれが彼らの心には伝わらず、どこか抵抗する力を失ったような形で私は次第に彼らのペースに乗せられていき、生活がだんだんとエホバの証人によってコントロールされていくようになりました。
どこか現実に足が地についていなかった青年期の私は、葛藤と混乱を覚えながらも約8年ほどかけてゆっくり確実にエホバの証人の空想の世界にとらえられていきました。一旦洗礼を受けると、私は疑問を持つことをやめて熱心なエホバの証人として活動するようになってしまいました。
塾で講師のアルバイトをしながら、できるだけ毎日多くの時間を伝道やエホバの証人の教理を学ぶことなどその活動に熱心に費やすようになっていきました。積極的に取り組むことで周りの人々からも認められ、また達成感と充実感を新たな生きがいとする模範なエホバの証人に自らを作り替えてしまったように思います。その私のあまりの変化に驚いたのは兄でした。外国に住んでいるため頻繁に会うことができない兄は、まるで心を失った組織のロボットのように毎日 活動している私を見て、当時非常な危機感を覚えたようでした。
たまたま家の近くの図書館で見つけたウィリアム・ウッド先生の本を通しエホバの証人の実態を調べ その危険性に気づいた兄は、同じく宣教師として来日し救出カウンセラーされていた ジャン ドウゲン宣教師に連絡を取り私を組織から救出する計画を立ててくれました。その頃私はエホバの証人の若い指導的な立場にある青年と婚約したばかりでした。今の時期を逃しては私をその偽りの組織から救い出すことはできないと、家族は私のためにあらゆる犠牲を払ってその救出の計画を立てそして取り組んでくれたのです。それは今 思い出しても大変劇的な体験でした。私はそれを心の手術だといつも考えています。子供の時本当に心臓の手術をしましたが、同じように新たに生まれ変わり偽りの教えで犯された心を取り除き神様が新しい心に入れ替えてくださり、そして新しい命を与えてくださった経験だと考えています。
恐怖心で縛られ家族や牧師こそサタンに支配されているとしか捉えることのできなかったその時の私に、ドウゲン先生はカルトの教えの問題を一つ一つ明らかにしてくださり、又その教理の矛盾、聖書すら書き換えるというその恐ろしさ、本当の救いや信仰とはどのようなものであるかということを丁寧に聖書から一つ一つ明らかにしてくださいました。その時まるでキリストの光に照らされ改心したパウロのように、神様が直接 私に真理を啓示してくださっていることを体験しました 。この説得の体験を通して私は文字通り生まれ変わったと感じています。両親また親族、そして教会の方々の祈りに支えられ私は保護説得を通してエホバの証人からキリストを主と告白する者へと変えられていきました 。
私は説得を受けた後すぐに両親と共に、ドウゲン先生の開拓された大阪のある教会へ通うようになりました。 先生の指導と教会の方々の助けに支えられ、私は脱会後の信仰生活を大きな喜びのうちに過ごすことができました 。
かつての仲間からの拒絶、また婚約していた方との別れという心の傷も、神様の大きな聖霊の満たしと大きな慰めのうちに完全に癒されていきました 。
洗礼を受けてわずかまだ1年後でしたが、牧師に勧められただ神様を知りたいという本当に単純な願いから神学校に行き学びを始めることになりました。 学びの中で献身への導きを確信した私は3年間の学びを得た後、母教会でインターンとしてまた伝道師として6年間働かせていただきました 。教会の中で多くの奉仕に携わらせていただく中で、自分が元エホバの証人だったというアイデンティティが次第に薄れて行きました。
20代にカルトの教えに染まり始め、30代前半をカルト一色で過ごし、また後半をキリストを追い求めてきた私は神様の働きをしていく中で、40代になって初め自分の精神的な支えを人に求めるようになっていきました。 神様との交わりに大変満たされていましたが、私は人を通して神様の愛をより深く知りたい、そういう願いが与えられようやく結婚について祈り始めるようになりました。
約束の御言葉が最初に与えられ、そして神様が出会わせてくださったと確信した相手の方がやはり同じエホバの証人出身のクリスチャンの男性でした。けれども自分から選んでエホバの証人になった私とは違い、彼は子供の頃から母親に強制的にエホバの証人の世界観を押し付けられていましたので、その生育過程で大きな心の傷を受け、精神的な病というカルト独特の後遺症で大変悩んでいる方でした。
彼を通し同じような二世と呼ばれる方々の苦しみを知り、またその被害の大きさを改めて痛感した私は、生涯彼の心の支えとなり、また同じ苦しみの中にいる人たちに少しでも励ましを与えることができないかと考えるようになりました 。同じ痛みを知る神様が与えてくださった最良のパートナーと共に、本当の神様と共に生きる解放された信仰生活の素晴らしさを、カルトにとらわれた人々、また今も悩みに沈んでいる方々に少しでも伝えていけたらと今願っています。
今年の3月に伝道師の働きを終えることになりましたが、まさにその最後の時、病や事故を通し神様のお守りをはっきりと確信した父が、ある日クリスチャンになりたいと私に打ち明けてくれたのです。父は長年共に生活してきた母と一緒に洗礼を受けたいと母に切り出し、そして母も心から賛成し今年の4月に高齢の両親が2人揃って子供のような素直な信仰の告白を神様の前にしました。「主イエスは信じなさい、そうすればあなたもあなたの家族も救われます」。今から数年前に神様がはっきりと語ってくださった言葉ですが、その御言葉の通り我が家もクリスチャンホームへと生まれ変わりました。
エホバの証人の暗闇の世界にとらわれていた私を探し出しそこから救い出してくださった神様が、最初から私の人生に最高のご計画を用意してくださっており、またこれからもとにかく神様の最善の計画があることを信じています。神様のなさることは本当にいつも私たちの思いをはるかに超えた素晴らしいものだといつも感じています。
エホバの証人は聖霊の人格を否定していましたので、 聖霊が直接一人一人の心に語りかける、また神様が一人一人に語ってくださるということを認めていませんでした。 聖書は限られた人たち、選ばれた人たちだけに理解できるものであり、その指導者たちの解釈を通してしか私たちは理解することができないというふうに教えられていました。けれどもそのドウゲン先生との話し合いの中で、直接聖霊が私の心に語りかけてくださり神様が本当に光をここに照らしてくださっているような感覚を味わいました。聖書は選ばれた人たちだけしか理解することができないと教えられていた彼らの教えは、聖書の真理を覆い隠すもの、そして直接神様と私たちの関係を断ち切る危険な教えでした。
直接神様が私の心に語りかけてくださってるのを感じることができ、またパウのように本当に神様の光に照らされて、自分の問題が自分こそ神様を信じているものだと思っていた私が、実はキリストを否定しキリストを迫害するそのような者だったということをはっきりとその話し合いの中で示されました。
ヨハネの福音書の中にあるように「私の羊は私の声を聞き分けます。また私は彼らを知っています、そして彼らは私に付いて来ます」。イエス様が私に対して私の羊と言っておられる、また羊はイエス様の声を聞き分ける、そしてイエス様を知っており付いて行く。私自身がキリストの者とされたということをその中ではっきりと感じることができました。
※月日に関しましては、現在を規準にしているものではございません。