其の壱
これはわたし自身の身の上に関する情報です。似た境遇で悩んでいる方々に勇気を与えるきっかけになるのでしたら、どうか役立てていただきたく思います。
書き物につきましては専門家ではなく、うまくまとめられないところも多々あると思いますが、なにとぞご容赦ください。
わたしは1970年台前半に生まれた男性です。まだ物心つくかどうかという3〜4歳ころ、母親が当時住んでいた集合住宅の向かいに住む、いくつか歳上の主婦からエホバの証人の証言を受け、研究生となりました。
それまでは柔道をやっていた父親と布団の上で護身術の練習をしながら、テレビに観る特撮ヒーローにあこがれるごくふつうの男の子でしたが、この向かいのおばさんだけは、どんな相手よりも恐ろしいと感じる存在でした。
母親がそのおばさんと一緒に勉強する時は必ず隣で長時間正座をさせられ、ちょっとでもソワソワしようものなら「たたきなさい」と指示が出て、母親がその場で私のズボンとパンツをめくっておしりを出させ、ものさしで何度も叩きます。特撮ヒーローの変身ポーズをマネれば「暴力的!」と言われ、髪の毛を数本ハサミで切って息で散らす「分身の術」ごっこをすれば「悪霊的!」と言われ、食器棚の上に隠してあるお菓子を食べれば「自制心がない!」と…とにかくことあるごとにおしりを叩かれ続けました。
父親の仕事により引っ越しをするたびに研究司会者が変わり、また母親自身も妊娠/出産のたびに研究を中断/再開を繰り返していたようで、母親が正式にバプテスマを受けるまでには6〜7年ほどかかっていたようです。
当時エホバの証人は、とにかく「緊急感」を強調していて、研究からバプテスマまでは1年以内が目安だったらしく、長年「進歩が無い」とみなされていた母親は、何度も研究打ち切りという脅しをかけられていたらしいのですが、そんななかでも見捨てずに導いてもらったと、ひときわ感慨深い気持ちでバプテスマにたどり着いたことを、たびたび子供であるわたしたちにも話していました。
小学生の頃は、長い時間椅子に(会場によっては畳や絨毯など、床に直接というケースも多数)座って、理解不能なオジサンの話を聴き続けることは苦痛でしたが、曲がりなりにも聖書や子ども向け出版物を読む機会となっていたため、学校では本読みが上手とか、漢字をよく知っていると褒められることもありました。
また、演題からの話は理解できないからとキョロキョロそわそわすれば、すかさず鞭を振るわれるので、目線を太ももの上に置いた書物に向け、集中して読み込むことで、真面目に聴いているように見える姿勢のまま2時間を過ごすテクニックを取得しました。
そのおかげで同年代で集会に来ている子供たちよりも、聖書に出てくるエピソードや人物名などは、わりとよく頭に入っていたようです。
父親が未信者だったこともあって、わたしもいつのまにか弟や妹たちの模範であり続ける責任感を勝手に抱くようになり、そこそこ真面目なエホバの証人の若者として成長し、学校では校歌や七夕祭り、お誕生日会やクリスマス会をボイコット。中学生では武道も拒否しながら学生生活を送っていました。
高校入試は武道拒否問題がとりわけ厳しく、中学卒業後に進学する学校がなく、浪人となり1年遅れで武道問題の起こらない学校に通うこととなりました。その期間中にバプテスマを受け、わたしも正式に信者となります。
浪人生活は簡単でなく、次の年までに学力が向上し、合格するという保証はなかったのですが、エホバの証人活動にもより進歩的に打ち込んだことが祝福されて合格に結びついたのだろうと思い込みました。
高校在学中も夏休みなどに補助開拓などしていました。当時は強く勧められていたのですが、「高校卒業後は大学進学せず、就職もせず、すぐ開拓奉仕に‼︎」というパターンにはならわず、どうしてもやってみたかった職業のため専門学校に進み、卒業後は技術職で生計をたてながら、アルバイトではなく、エホバの証人が言う「効率のよい仕事」を選んだ社会人として、集会に参加していました。
その後は仕事のペースも安定して来たので開拓奉仕をしたり、奉仕の僕に任命された時期もありましたが、二十代半ばで未信者であった父親を亡くしたこともあり、残された家族を支える働き手としての責任を優先し、その立場は果たせなくなっていました。
その後、エホバの証人の女性と結婚。さらに子どもも産まれ、家族とともに過ごす時間がとても充実していたと感じ、手放した資格を再び取り戻すように提案してくる長老の声など、ほとんど気にならない生活を送っていました。
目立たない立場のままであっても、エホバの証人が禁じているような汚れた習慣からは遠ざかり、ごくごく平穏なクリスチャン家族として会衆内での責任は果たしながら、地上の楽園を楽しみに待ち望んでいました。
其の弐
この時期は同じ会衆内にウチの子と近い年齢層の若者が数名集会に参加しており、わたし自身もまだ若く、体力が有り余っていたため、体育館や運動場を借りるなど、近隣いくつかの会衆も合同で「スポーツのリクリエイション」をたびたび計画し、エホバ証人内での交友を積極的に拡げていました。妻も子供も、大会会場でほかの会衆に所属する知人たちと顔を合わせることを楽しみにしていました。
当時はガラケーのメールで数多くの友人たちと連絡をとりあい、会衆内外に家族ぐるみでの「励ましあえる」友人が多くいて、コミュニティとしてのエホバの証人組織を最大限に活用しながら楽しい毎日を過ごしていました。
自分自身がエホバの証人の子供として育てられた経験があったので、それで良かったと思える部分は継承し、残念だったと後悔している部分は再考慮しながら子育てを進めました。言葉遣いや暴力行為などはきちんと正し、勉強や習い事など、真面目に取り組むべきことの価値についても伝えていました。
学校の友達と遊ぶことやテレビ、ゲームなどは、禁止したところで、何が何でも隠れてやるのをわかってますので、ある程度ゆるめに。時代の流れもありますが、わたしの時代にさんざん嫌な思いをしたムチについてもできるだけ排除し、体罰は本当に取り返しのつかない時にだけ、最後の手段にとっておきました。
息子は、当然ヒーローごっこや戦闘ゲームが大好きでした。あれもこれもダメと言って二面性のある若者に成長させてしまうよりは、許される範囲で自由にさせ、自然に失敗し、自分で学びとってもらうよう方針をとりました。
会衆内では「多くの兄弟たちが自分の幸福を犠牲にして会衆のために働いているのだから、子供のヤンチャぶりに少しは申し訳無さそうな態度を示したらどうだ?」「今の親たちは自分が甘やかされてきたからなのだろうが、とにかく子供にムチを与えない。しつけも出来ていない子供を連れて集会に参加するなど、わたしたちの時代には考えられないことだ!」などと陰口をたたかれていました、
そんな声が聞こえないはずもなかったと思いますが、子供は週末の野外宣教にもちゃんとついて来て、堂々と注解のため手をあげ、神権学校にも参加したいと言ってくれてました。
わたしはテレビ番組や友達からの誘いよりも集会や奉仕を優先させる子供の努力をいじらしく思い、毎週ご褒美にお菓子などを買い与えてしまいました。
その頃、新たに神権学校のプログラムが刷新され「聖書通読の目立った点」で、聴衆が30秒ほどで自由に意見を述べるプログラムがありました。家族としてはそこで注解することを目標に、「週ごとの聖書朗読」の範囲をじっくり読み込むことを、「家族の崇拝」として取り組んでいました。
エホバの証人が発行した出版物についている質問だけを重視するのではなく、先入観を取り払って聖書そのものを読み、インターネットも活用して歴史的、地理的、文化的な面も含めてさまざまな資料を照らし合わせながら、聖書全巻を数年がかりで真面目に通読出来たことは、家族全員にとって大きな財産となりました。
そしてこの頃から、エホバの証人組織に大きな変更が見られるようになっていきます。集会が週3日から2日に。「ものみの塔」「めざめよ!」誌の発行ペースも半分に。同じ時期に書籍研究の題材となっていた「啓示の書」本文も、膨大な修正が加えられ、それまで断言するような預言解釈が、曖昧で自信無さそうな言い回しに変わって行きました。
其の参
エホバの証人組織による変更は、会衆内でも直に感じられるようなところにも及んできました。
それまでは会衆の長老たちが保管してきた「伝道者カード」なる、各個人について記録された紙が、成員に返されるということがありました。いわゆるペーパーレス時代に合わせ、紙とインクによる実媒体の記録ではなく、電子プログラム上に移行させていくのでしょう。
これまで「テレビは時間泥棒だ」「インターネットは危険だ」と長年にわたって警告し続けてきた姿勢も大きく転換させ、伝道者各人にタブレット端末を所有させ、動画プログラムを見せる方法についての実演が多く提案されるようになりました。
奉仕報告はこれまで「雑誌」「小冊子」「書籍」と細分化されていたものが「出版物」とひとくくりに扱われ「動画再生」という数をカウントするように変わりました。
確かに、雑誌や文書を配布したところで、そのあと家の人が読んでくれたかどうかはわかりません。伝道者も一緒に動画を観るならば、それは内容を確実に伝えたと認識できるでしょう。
固い厚紙を使った重厚感のある書籍はほとんど発行されなくなり、新しく研究資料用に用意された書物は、かつてものみの塔の研究記事となっていた内容をひとつの章とし、ある程度のテーマに沿って寄せ集めて、新しい記事もほんのわずかに混ぜ込んで再編集したものだと気付くようになりました。
有益な情報は、時間が経過したからといって価値が大きく下がるわけではありません。わたしたちの記憶に、より確かにとどめるために繰り返し学ぶことは必要ですし、そこへ最新の情報も添えられるのであれば、さらに重要度は高まります。
すでに出版されていた書物が再発行される場合でも、簡易な印刷がされただけの表紙に更新されていきました。やはり紙媒体を減らして、電子プログラムに移行させてゆこうとする方針が強く伺えます。限りある地球資源を大切にしていかなくてはいけません。
集会でも準備された動画を観るプログラムがはじまり、各王国会館には大型液晶テレビが必ず備え付けられるようになりました。同じく大会も、ステージのほかに巨大なディスプレイを活用して演者の顔がアップで映し出されたり、やはり準備された動画プログラムを観るだけの時間が増えてきました。
毎年、夏の大会で楽しみにしていた劇も、世界で同じ映像プログラムに変わりました。これにより、たった数度の演劇本番のために、膨大な時間と人員をかけて練習し、多大な費用をかけて衣装や舞台セットを準備する負担を、各大会組織委員会は負わなくて済むようになります。劇スタッフたちが忙しさのため自分たちの大会プログラムを聴くことができず、わざわざ別の大会に出席してその埋め合わせをする必要もなくなりました。
また、これまでは劇の出演者に注目が集まりがちで、劇の内容よりも、
誰が役を演じたか?
演技は上手いか?
背格好がどう?
スタイルがこう?
頭髪が…⁉︎
ハンサムだ!
美人だ!
その後も忠実なのか⁇
...などなど、余計な話題に振り回される心配もなくなりました。
そしていよいよ、「JWブロードキャスティング」なる、完全エホバの証人向けの内部情報番組を観るように求められる時代がやってきました。それまでは写真でみたり、経験を読んだりしたことはある。という程度だった「統治体」と呼ばれ人物たちが、実際に動いて話している様子を目にするようになりました。
居心地の良さそうな革張りのイスにどっしりと座り、ピカピカの腕時計や高級そうな指輪を見せながら画面越しにさまざまな表情をうかべて話をするその姿は、かねてより研究記事等で話題にあがっていた「テレビ伝道師」のイメージそのものでした。
其の四
日本語版に翻訳され、初めて観た2015年5月のJWブロードキャスティングは、スティーブン・レット氏が扱う、寄付に関わる内容がメインとなっていました。そういえば昔は、ものみの塔と目ざめよ!を2冊セットで配布すると「紙とインク代だけ」と説明し、150円を受け取っていましが、1990年「完全寄付制」へと変更され、わたし個人としては「寄付に関して心配せず神に委ね、なおかつエホバの証人は活動を拡大させている。これは神の助けが働いている確かな証拠だ」と思っていました。
変更された当初は家の人も寄付を申し出ることが多くあり、預かった金額をそのまま会衆の寄付箱に入れていました。しかし5年10年と経つうちに寄付を受け取るケースは減ってゆき、実質無料で出版物を配布していました。
配布する側のわたしたちも同じような感覚で、受け取った出版物が多いからといちいち計算することはなく、会衆の運営費に応じ、家族の人数で頭割りした金額を、毎月寄付箱に入れる、という実情でした。
エホバの証人は、神がその活動を支えてくださったいるので、わたしたちは金銭面で余計な心配をしなくてよいと思っていたのですが、このビデオによれば、伝道者ひとりひとりも、所属している会衆だけでなく、世界的組織の運営に関して責任を果たすべきだと言っていたのです。
さらにその数ヶ月後、この2015年5月のブロードキャスティング以降、寄付額は15%ほど増加したものの、今後も寄付額が増え続けると楽観視するのは現実的でないと判断し、組織が生活費を支給していた「特別全時間奉仕者」を削減しなければならなくなった。と、統治体のサミュエル・ハード氏が申し訳無さそうな文面で説明するビデオがありました。
エホバの証人はいつでも「組織は世界的な拡大を見ています」と常に訴え続けていますが、実際のところ日本には当てはまらない表現だと気づいてはいました。キリスト教が根付いていない日本では、新しい研究生が見つかりにくくなったとしても、世界の多くの国ではエホバの証人が増え続けている。そう思っていたのですが、どうやら世界的な規模でエホバの証人組織は行き詰まりを見せているのだとわかりました。
このビデオでは出版物の印刷ペースを落とすことも、ベテル内の部門やサービスを減らすことも、不必要な王国会館を整理することも、やはり「経費削減」を意図していた計画の一環であったと説明していました。それでもまだ賄いきれないため、苦渋の決断で特別全時間奉仕者を削減することになった。ほかに解決策がないので、どうか理解してほしい。と、懇願するメッセージだったのです。
幼い頃からエホバの証人は増加し続けるものだと思い込んでいました。会衆内で遊び相手になってくれた年上の兄弟たちは、高校卒業後に開拓奉仕を始めて「必要の大きな会衆」に移動。そのあとも若者たちが順次活躍し、成員が増加。分会に次ぐ分会で会衆も増加。同時に王国会館も次々に建設され、RBCは大忙し!
…そんな印象でしたが、これからは逆のプランに舵を切ったという宣言にも聴こえ、「終わりが近づくにつれて明るさを増し加える光」をかかげるのがエホバの証人組織であるはずなのに??と、首をかしげました。
そういえば2000年を過ぎた頃から分会の話はぱったり聞こえてこなくなり、「再編成」という表現のもと、2つの会衆が合併したり、3つ会衆が2つになるケースが相次いでいました。
実際、わたしがその時に所属していた会衆を含める近隣8会衆で合同の委員会を立ち上げ、近い範囲に存在する4箇所の王国会館を2箇所まで減らし、会衆も6会衆ほどに編成し直すように計画が進められることになったと…すでに数年前からアナウンスされながらも、維持費を削減経過よりも伝道者各人の利便性を優先したい意向が強く、計画は進展していない様子でした。
会衆の運営だけでなく、個々の成員たちも大きな変革についていくため、多大な努力が求められていました。各人が保有するように勧められていたタブレット端末ですが、実際に使いこなすことは高齢者にとって簡単ではありません。しばらくすると持っているアンドロイドやサーフェイスと呼ばれるものでは対応できないプログラムが多くあることに気付き、結局はアイパッドに買い直さなければならないという人が多くいました。
通信環境についての知識もないまま動画再生を繰り返したため、途方もない通信費の請求が届き、未信者のご主人様を激怒させた。そんな話も聞こえてきました。
わたしの妻は会衆内で比較的若く(会衆内の平均年齢は60歳以上)、電子機器の扱いに長けた人物とみなされていたため、集会が終わったあとも王国会館で高齢の姉妹たちに取り囲まれ、操作方法についてあれこれ尋ねられる対象となっていたようです。
ある場合には家まで来て、数時間がかりで、より詳しい操作法を説明するよう求められ、資料を調べ、引用部分をコピペし、伝道者と研究生のセリフを別の色に変えるなどするうちに、いつのまにか他の人がやるべき神権学校の割り当てを、かわりに作らされるまでになっていました。
タブレットを使いこなせるようになったかどうか?それがデキる信者かどうかを見分けるバロメーターと見なされるような風潮が生じつつありました。会衆のなかには、一部の姉妹たちがわたしの妻に頼っている状態に眉をひそめるようになり、会衆内の派閥抗争に発展しそうなムードが漂い始めます。
エホバの証人といえば、聖書を片手に持つイメージが定着していたはずですが、大会の出演者で、聖書も筋書きメモもまったく持たず、タブレットひとつを演台に置いてプログラムを果たす話し手が登場し始めました。
会衆内でもそのスタイルに倣う人が増え、ものみの塔や書籍研究の朗読などで、実際の文書を持ってステージに上がる人はほとんど居なくなりました。実際、過去の資料などで変更される箇所がチラホラあり、電子書籍の変更に合わせて、印刷物の側を訂正しなければいけないケースがあったのです。
ほとんどの人は聖句を探す時と、讃美の歌にタブレットを使えることで達成感を味わっていたようです。実際の聖書でページをめくる音を立てて聖句を探す人。少しずつ追加される歌のページを貼り足しながら、本を持って讃美の歌を歌う人は、組織の変化についていけない惨めな人。そのように気おくれを感じるようになっていきました。
対して最新の電子機器を使いこなす人は尊敬を集め、自分も組織の変化に追随していかなければ!と強く意識させる動機付けとなっていたようです。
其の五
幼い頃からエホバの証人の活動に参加してきましたが、「大きな変化」が次々と押し寄せるように感じたため、いろいろと考えさせられました。
エホバの証人は神から特別な導きを受けており、それに代わる組織は地上には他に存在しないと、常に聞かされていたからです。これまでのやり方に変更が加えられる場合は、必ず良いものに更新される。すなわち、これまでのことが劣ったものであったと言うのと同じだからです。
特に強く覚えていたのは、「1914年の出来事を実際に見た人々が寿命をまっとうするよりも前に、必ずハルマゲドンがやって来る」という教義が変更されたことです。
阪神大震災が起き、「聖書にある預言どおり『そこからここへと地震がある』大患難のしるしが、まさに目の前で起こった。ハルマゲドンも、いよいよ間近なのだろう」そのように日本じゅうのエホバの証人が緊迫感を研ぎ澄ませていた頃、ものみの塔1995年11月1日号で「イエスの用いた『世代』という表現は、時を計るための定規というよりはむしろ、歴史上のある時期に住み、他と異なる一定の特徴を供えた 同時代の人々をおもに指しています」という文面があり、同時に届いた、目ざめよ!11月8日号では、それまで毎号おなじ文面だったはずの発行人欄から「1914年の出来事を見た世代が過ぎ去る前に平和で新しい世をもたらす」という表現がなくなっていたのです。
そこから解釈できるのは「この世代が過ぎ去る前に」という聖句の『世代』が、人間としての寿命そのものを指すものではない。要するに1914年を見た人の寿命とハルマゲドンの時期は関係ない。わたしたちがこれまで期待していたよりも、楽園での生活はまだまだ先延ばしされそう。ということでした。
わたし個人としては「終わりの日がいつ来るか、ただ神が予定しているだけで、正確な日については御子イエスさえ知らない」と、明確に書いてある聖句があるので、むしろ今までの解釈が間違いであり、より正しい理解に変更された。エホバの証人は神のお考えに、また1段階近付いた。そのように受け止めていました。
なにより重要なのは自分が救われるかどうかではなく、聖書を読んで正確に理解し、神の考えに調和した生き方を送ることだと考えておりましたので、「対処しにくい危機の時代」を乗り切るため、学業や職業を軽んじたり、結婚や子育てで個人の幸福を否定する考えは神の意図したものではない。極端な解釈を抱く一部の人たちが、必要以上にストイックな人生を選ぶことで自己満足を得ている。社会生活で満たされない部分を、会衆内での無賃労働で自己肯定感を抱きたがっているし、そのことを周りの人達も暖かく認めている。というレベルのことと考えていました。
しかしこの教義変更がきっかけで、わたしが生まれるよりも前から幾十年ものあいだ苦難に耐え、約束の日を待ち望んでいた、古くからのエホバの証人たちにとっては、過酷な人生を選択せざるを得ない背景があったことを知る機会となりました。
わたしの母親が研究をしはじめた、ちょうどその時期にあたるのですが、実は1975年にハルマゲドンが来るという期待があり、それがかなわず落胆していたなかでも、引き続き熱心に伝道を続けていたひとりが、母親の最初の司会者だったそうです。
聖書にはアダムから続く子孫についての系図が記載されており、各人物が何歳で次の子の父親となっていたかを足し算してゆく。その後ヤコブ、ヨセフからやや飛んでモーセの時代、士師記を挟んでダビデの子孫が王位を失ったあとなど、途切れ途切れになる箇所はエジプトやペルシアなど他の文化圏の記録なども補完して、アダム誕生から6000年経過した年。それが1975年であると。
その見解は1960年代後半から70年代前半にかけてボルテージが上がり、エホバの証人が強く宣伝するテーマとなっていたようです。当時の雑誌を見返すと、ものみの塔1967年8月1日号では「興味深いことに、1975年の秋は人類の歴史の6000年の終わりに当たります。この事実は、聖書に収められている正確な年代表を用いて確証できます」と、はっきり説明されていました。目ざめよ!1969号8月8日号でも「若い人々はこの体制の差し伸べるいかなる立身出世の道を決して全うすることができません。もしあなたがいま高校生で、大学教育を志しているとすれば、大学を卒業して、専門的な職業に携わるには少なくとも四年、場合によっては6年もしくは8年もかかるでしょう。しかしこの事物の体制はその時までにどうなっているでしょうか。もし実際に過ぎ去っていないとすれば、ほとんどその終わりに達しているでしょう!」このように、断言するような書き方で、確かに記述されています。
ほかにも集会・大会のプログラムや、長老たちの提案、仲間たちの注解を通しても「励まし」というかたちによる同調意識に巻き込まれ、宣教を重視するため仕事を辞めたり、家を手放して身軽になることを褒め称える風潮が存在していました。学業も職業も財産も、友人も知人も親族までもをうち捨てて活動に打ち込む。どれだけ貴重なものを手放したかという話題が、エホバの証人たちにとって自慢話となってに違いないと、現在の会衆内を見渡しても理解できます。
聖書にある「創造の7日間」は1日あたり7000年であり(何が根拠か不明)、6日目の最後に、神に似たかたちで人間を創造し、そこから「休み」である7日目に入った。1000年統治ぶんを前倒しした6000年目こそ、ハルマゲドンが来るに違いない!という説明だったのですが、実際1975年秋になってもハルマゲドンは来ず「神が創造の業は、アダムではなくエバをもって完了した」という事実を、見落としていたという、あまりにもいいかげんな「うっかりミス」という理由で保留にされたまま1976年を迎え、月日はあたりまえに流れました。
その後も「アダムのあと、エバが創造されるまで、それほど長い時間があったようには考えられない。予想外の誤差を有効に活用すべく、より熱心に宣教に励み、ひとりでも多くの命を救うように」と、目的をすり替えられ、休むことを許されないまま、多くの信者たちがゴールを後ろにずらされ続ける「長距離走」に挑んでいました。彼らの中には、わたしの親よりも高齢でありながら、子供を持たない。その前に結婚すら後回しにして来た人たちも少なからずいました。当時社会人になりたてだったわたしより収入が低い。という場合もあったかもしれません。
「1914年を見た世代が過ぎ去る前に、わたしも生きて、今の命のまま、何としてもハルマゲドンを通過する‼︎」そんな切実な願いがあって当然でしょう。「復活してくる人は天使のようになって結婚などしない。イエスが聖書のなかでそう答えている。最後の試みを通過した人でなければ楽園に行けないのだから、当然そのあとに子供は生まれてこない」という見通しを語る人もいました。それら長年忠実に仕えてきた…1995年時点で50歳より上の人たちにとって、現実的に寿命を考えれば、その希望が消滅してしまう、あまりにも残酷な事件だったのです。
ちなみに「創世記での創造の1日=7000年」「ハルマゲドンと楽園前最後の試みのあいだに1000年統治がある」という教義に関して、エホバの証人は公に撤回していませんので、アダムとエバが創造された時期には、45年以上の差があることになります。このままいけば、アダムがセツの父親となったと記述されている130歳に近づいて来ますが…エホバの証人はセツよりも前にエバから生まれていたであろうカインやアベルの年齢についても、余計な解釈を付け加えたりしてましたっけ??
其の六
日本でエホバの証人が増加していったのは70年代から80年代と言われており、「団塊の世代」と呼ばれる、まさにうちの親くらいの年代の人たちが熱心に活動をした結果であると実感していました。
しかし1975年から年を経るにしたがって緊迫感も薄れ、最後の希望であった「この世代が過ぎ去らないうちに」という見解が改められたことがトドメのように作用したのか、1990年代なかばあたりで増加は停滞から減少してゆく傾向が見られるようになりました。
1990年代後半から2000年代にかけて、進学や就職、結婚や子育てについて、各人が自分の意思で決めたことを、会衆内の他人が口出しすべきではないと、ものみの塔研究記事などでしばしば扱われるようになり、開拓者に要求される奉仕時間も少なくなっていました。
終わりがいつ来るのか?それは神以外の誰もわからない。聖書に書かれたそれ以外にない答えは、ほかのキリスト教徒も読んで知っています。
極端な教義で注目を集めた新興宗教でも、時代を経るにつれて次第にカドを落として穏やかになり、一般社会に溶け込んで長く続く安定性を優先させる方向に向かうことが多いように、エホバの証人も排他的な選民意識を徐々に薄め、どこにでもあるキリスト教の1グループとして社会に溶け込もうとしているのだろうか。信者たちも次第にクリスマスだ誕生日だ武道だ輸血だとあれこれ目クジラ立てることをしなくなり、真面目で友好的な良識ある市民と認知されていくのだろうか?などと、予測していました。
それに対して「重なる世代」という新しい教義は、エホバの証人たちに再度緊迫感を植え付け、過激な活動に戻させようとする意図が強く働いたものだと感じました。
その教義は2014年に発行された「神の王国は支配している」と題された書籍で、公式に文章化されました。
とりあえず、20年前にあった「『世代』とは、人の生涯を指すものではない」という解釈を完全に否定し、過去の過ちと同じく、人の生涯を指していると言っていました。
数年前から多くの方針変更をすすめながら「すぐには納得できないような、人によっては奇妙に思える指示であっても、必ず統治体の決定に従うように」と繰り返し強調していたのは、このためだったのか。一連の疑念が、むしろすべて理解出来ました。
其の七
エホバの証人が提唱する教義は、不完全な人間による思いつきであり、神のお考えに調和していない。組織を維持・運営してゆくことに重きが置かれ、イエスキリストの愛に基づいていない。統治体に従うことだけを強調して、聖書の記述を蔑ろにしている。
使徒5:36では、イエスの死後にチウダという人物が400人ほどの信者を引き連れて背教した記録が残っていますが、そこで警告されている、全くそのままのことが目の前で起こっているのです。
自ら「ひとかどの者」と称する統治体なる最上級幹部たちに誤導され、神から離れていこうとする800万人のひとりに数えられたいとは思いません。
これまでの40年にわたる人生の大部分を、エホバの証人ありきで過ごしてきたことを振り返って悩みました。多くの時間も、労力も、金銭も費やし、思い浮かぶ友人たちもエホバの証人がほとんど。妻と出会い、結婚できたのもエホバの証人であることが前提で、子供たちもずっとその基準で育てていました。上の娘はすでに成人し、やはりエホバの証人の仲間と結婚しています。自分の母親はもちろん、妹たちもエホバの証人活動に疑問を抱くことなく打ち込んでいます。
それらのものをすべて打ち捨てて、今から別の生き方に切り替えるという決断は、かなり困難であると感じました。
エホバの証人がわに言わせると、わたしの抱いている疑念はすべて「背教者の考え」であり、口にしたり行動で表したりすれば、会衆から追放され、家族や友人との関係を断たれてしまうのです。
すでにエホバの証人としての活動を続ける気力は消え去っていました。とりあえずは様子をみながら、少しずつ会衆の係りや割り当てを断って、伝道に参加する頻度もへらし、存在を薄れさせていくことにしました。かわりに仕事を拡張しながら、より聖書に根ざした家庭聖書研究に取り組み、エホバの証人組織の解釈に染まらないよう注意していました。
自分はもう手遅れでも、せめて息子の将来だけは潰してしまわないようにと考えていました。当時はまだ小学校低学年でしたが、エホバの証人ゆえに学校での行事に参加できないことがあって、不利な人生を選択させたくない…武道拒否で中学浪人した自分と同じ経験だけは、させるわけにはいかないと。
息子が中学生〜高校生になる頃には、部活も進学も就職も、彼の持つ可能性を存分に発揮できる環境に置いてやりたいと決意し、悪くとも妻だけは理解してもらえるよう、段階的に説得してゆくことにしました。
其の八
2014年、エホバの証人は「王国設立100周年」などと云うスローガンを掲げ、研究生や再訪問先の人に、1914年がいかに重要であったかを宣伝する時であると強調していました。
西暦前607年にエルサレムがバビロニア帝国によって滅ぼされ、そこから「7つの時」である2520年経過した1914年こそ「異邦人の時」が終わり、神の王国が天において設立されたと、あいかわらず旧約新約のあちこちから聖句の一部を切り取ってはツギハギしてこじつけた強引な年代計算を、淡々と説明して納得させる実演がビデオプログラムとなって、世界中の伝道者たちも同じように説明できるよう準備しておくようにと勧めていたのです。
エホバの証人としての信仰を失っていたものの、いちおう「不定期伝道者」とはならないよう、週に一度ほどは野外宣教に参加していたわたしは、意味のないウワサ話や近況報告などと云う雑談ではなく、「築き上げる」つもりで、つい最近視聴した1914年につながる年代計算の説明を話題にあげてみたところ、みなさん渋い顔をするだけで、会話が発展していきません。
わたしの親くらいの年齢で、開拓奉仕を30年以上続けている「産出的」な姉妹も、大会で毎回プログラムを扱い、年に数度「代理巡回」で出張する長老も、この件について理解しておらず、資料を見ながらでなければ説明できない状態だったのです。
「全員が兄弟みたいに頭脳明晰だと期待しないでください。だいたいの人はカタカナが苦手で、外国の人や国の名前なんて覚えきれないんです。まして世界史なんか、テスト勉強のときにちょっとやっても、そのあとすぐに忘れないと次のところが覚えられないでしょう?エホバは知識を持つことで、より謙遜になるよう期待しておられます。知識をひけらかして人を見下すことは、やめましょう」と言われてしまいました。
わたしは二十代の頃、奉仕の僕だった時期がありましたが、正直なところ当時は聖書などまったく理解しておらず、「個人研究=研究記事の線引き作業」という認識でした。その後、立場がなくなってから子供の研究の一環として実際に聖書を読むようになり、それまでほとんど聖書を学んでいなかった自分には、教える立場を果たせるわけもなかったと納得し、エホバの証人の集会で偉そうに演台に立っていた過去を恥ずかしく感じていました。
「聖書物語」の本は、本文こそ変わらないものの、わたしが幼い時に学んでいた頃から改訂が加えられていて、挿し絵はより色鮮やかになり、ほかの研究資料と同じく、討議のための質問も追加されていました。
「ヤコブは大きな家族を持つ」という章ではイスラエル12部族を暗記しておくようすすめる質問がついており、コレを理解したおかげで聖書に登場する各人物の背景などをすんなり読みとれるようになり、系図の記録なども退屈せずに読み進められるようになりました。「偉大な人」でも12使徒を覚えるようにすすめる状態があり、イエスの言葉が誰に向かって話されているか、とてもよくわかるようになりました。
JW.orgが子供用に作った「聖書の書名を覚えよう」という3部に分かれたアニメも興味深く、ラップ調の語りで、聖書66冊も頭に入れることができました。ほかにもヨシュアがイスラエルの各部族ごとに分配した領地の地図や、聖書に細かく記述されている契約の箱・幕屋・エルサレムの神殿などを絵や工作、パズルなどにして子供たちと楽しく学んでいましたが、そのことを話題にしたときも、やはり会衆のみなさんは渋い顔をしていました。
集会・宣教・大会・レクリエーションなどの機会を通じて、長老や巡回監督などざっと30人ほどにクイズ形式で尋ねましたが、イエス12使徒は3人にひとりほどの割合で答えてくれる人がいたものの、イスラエル12部族と聖書66巻もスラスラと答えてくれたのは、たった2人だけ…どちらも「もとシモベ」で、現在は開拓奉仕もしていない、穏やかで目立たない兄弟でした。
「エホバの証人だからといって、聖書の内容すべてを一字一句記憶するように求められてはいません。重要なのは『適用』なのです」と言う人が多くいました。しかしこの2014年キャンペーンで、エホバの証人は聖書の内容だけでなく、エホバの証人たる主幹教義さえも、ほとんどの人が理解出来ていないという事実を知ってしまいました。
其の九
エホバの証人が提唱している教義を、じつは信者が理解していない。ところで、そういう自分はどこまで知っているのか?「神の王国は支配している」が週ごとの書籍研究の資料になると同時に、ものみの塔研究記事やJWブロードキャスティングでもエホバの証人の歴史を振り返る内容が取り上げられていたので、わたしもエホバの証人の歴史と教義の成り立ちを、じっくりと見つめ直すことにしました。
エホバの証人オンラインライブラリでもある程度は読めますが、古くても1970年代の書籍で、それより前のものは見つかりません。日本語に翻訳されたエホバの証人最古の書籍は「世々に渉る神の経綸」です。これは1886年にチャールズ・テイズ・ラッセル氏が「聖書研究」シリーズの第1巻と同題で出版した書籍で、聖書の解説書という扱いで、横浜の村岡平吉氏によって1913年(大正2年)に翻訳・出版されました。
エホバの証人最初の日本支部として1927年に「燈台社」が設立される前から、すでに日本にもラッセル氏の影響が及んでいたことを示す貴重な文献であり、保管されている現本の全ページを写真というかたちで、国立国会図書館のデジタルコレクションから、誰でも閲覧できます。
真っ先に目に入ってくるのは「世々の図表」というイラストで、ラッセル氏が1914年に焦点を当てた主な根拠は、聖書ではなくエジプトのピラミッドを研究し、その構造や寸法を歴史の年代に照らし合わせて導き出したものだったとわかります。
そのほか、国立国会図書館のデジタルコレクションから「明石順三」で検索すれば、ラザフォード氏をルサルフオードと訳した燈台社の本も閲覧できます。
いずれの本も、言いまわしや漢字の使い方が難しく、全ページをじっくり読み込んだわけではありませんが、現在のエホバの証人よりもさらに過激な選民意識が感じられ、自分たちの信条だけが正しいと自信たっぷりに書いていました。今になって100年前の記述を読むと、当然メチャクチャな信条を抱いていたと指摘できますが、現在エホバの証人が自信満々に語っていることも、同じく時が経てば的外れなことだったと振り返るのでしょう。
そのほか日本語に翻訳されていない本も多くありますが、エホバの証人の歴史を振り返る場面で多くの高齢者たちが「衝撃を受けた」と経験を語る書籍を是非とも読んでみたいと思い、英文を日本語に自動翻訳してくれるアプリも利用して、かなり綿密に読み込みました。
近年エホバの証人による公式の見解では、ラッセル氏を「バプテストのヨハネ的役割を担った」と説明しています。
ラッセルの死後に分裂や抗争が生じ、首脳メンバーたちが刑務所に投獄された期間を「精錬の時」であったとし、それらの試練に耐え、釈放後に再び活動を再開した1919年を「神の選びの器となった」と主張しています。それまではエホバ神の検分を受けてはいたものの、まだ「地上における神組織」と、正式に承認されてはいなかった、天的クラスへ招かれるようになったのも1919年以降であるため、ラッセル氏は天での復活者にはならないとにおわせています。
1914年よりも前に油注がれていた人のうち、最も長く生きていた人をフレデリック・ウィリアム・フランズ氏であると仮定して『重なる世代』の第2グループを説明するビデオがありましたが、歴代の会長をはじめ、多数の教団首脳メンバーの名があがるなか、ラッセル氏の名前は最後まで出てきません。
ラッセル氏の死をもって道が整えられたあと、エホバからの聖霊が本格的にたっぷり注がれるようになったと自称するラザフォード新会長が、自信を持って書いた衝撃的な書籍『現存する万民は決して死することなし』。この本には、いったいどのような内容が書かれていたのでしょう?
其の十
ラッセル氏による著書は、いかにも聖書の解説書というスタイルで、聖書時代の筆者がわに立って書かれていた印象がありましたが、ラザフォード氏は雰囲気がガラッと変わり、読む人にとってイメージしやすい、読者がわの視点で書かれた本で、当時の人たちは新鮮に感じたようです。
それまではピラミッドの寸法から説明されていた1914年についての解釈を整理し、「異邦人の時」の長さは「7つの時」であり、「時」とは30日×12か月の1年360日で、それを7倍して2520日。1日は1年なので、エルサレム陥落から2520年を経て1914年を導き出す、現在の教理とほぼ同じ年代計算を発表します。
戦争や疫病、災害、貧困で苦しめられる日々はやがて終わり恵みが戻りはじめる。それが「イスラエルの2倍」という耳慣れない年代計算によって1918年だと結論しています。
そして、神が目的を達成するため人類に与えられた「テオドール・ヘルツェル」という人物にスポットを当て、彼の意志に共感した人々が立ち上がって「シオニズム」運動がたかまり、これまで歴史上、さまざまな勢力によって滅ぼし去ろうと計画されてきたユダヤ人たちが、いよいよ祖国を取り戻し、独立国家を再建する時が近付いた!
イギリスの外務大臣にユダヤ人国家を設立する約束を取り付けた「バルフォア宣言」こそ、聖書にある預言の成就だと述べます。
そして「大いなるヨベル」という、またしても根拠に乏しい年代計算を持ち出し、ヘブライ11章で「信仰の模範」として名前があげられた人物たちが、1925年から地上に復活してきてイスラエルを再建し、アダムが暮らしていたのと同じ楽園を、全人類が享受できる。そう断言していました。
…要するに…長年イスラム教徒に占領されていた、文字通りのエルサレムをキリスト教徒が取り戻し、世界中に散らばっている白人ユダヤ人たちが実際にその場所に移住して、独立した国家を作る。それがラザフォードの言う「地上の楽園」だったということです。
エホバの証人は「政治的に中立」と言いますが、とんでもない。公式サイトで「エホバの証人はシオニストですか?」との質問に「いいえ」で答えているのも、まったくの嘘。ロスチャイルドとの親密さを誇り、ロックフェラーの財務事情にも精通。…いわゆる「陰謀論」というくくりの「フリーメイソン」や「イルミナティ」と、確実に絡んでいます。
1925年からはじまる地上の復活を、読者のほとんどが見届けられる。という意味で「現存する万民は決して死することなし」というタイトルが付けられたのですが、ご周知のとおり、アブラハムやイサクは地上に復活しておらず、リアルタイムでこの本を読んだ人、講演を聴いた人も、ほぼ全員亡くなっています。
ただ恐ろしいことに、彼らシオニストが主張するとおり、2度の世界大戦を通じて地球上から「帝国」と名の付く国家は地図上から消えさり、そして1948年にイスラエル共和国という国が現実に設立されています。エホバの証人が言う「神」とは、実際に世界を思い通りにコントロールできる存在なのでしょう。
其の十一
教義面で右往左往しながらというエホバの証人の歴史を振り返ってきましたが、現在ではさらなる迷走を隠せなくなってきます。
各会衆ごとに貯蓄してあった基金を、2〜3ヶ月ほどの運転資金だけ残し、それ以外の余剰額を全て日本支部に送金するように!という指示がきました。週中の集会、最後の発表というなかで決議がとられましたが、わたしは1番前の席に座っていながらも賛成には挙手しませんでした。この数ヶ月前に、独り身だった高齢の姉妹が亡くなっており、どうやら財産を会衆基金として遺贈してらしたようで、1000万円を超える金額を送金してしまうなど、とても賛成出来るはずありません。
その後も「宣教者たちが郷里に帰省するため」「大会ホール維持管理のため」「巡回監督が使う自動車の維持費と燃料費」など、なにかにつけて寄付の要請に対する決議がありましたが、それ以降すべての決議でわたしは手を上げなくなりました。
各地で再編成が行われ、会衆の数とともに王国会館も減少。さらには巡回区も減り、北海道と群馬の大会ホールまでも閉鎖&売却となりました。巡回監督も当然減少。地域監督というポストは無くなり、リモートボランティアなる制度で、交通費自己負担、食事や住居の手当てもつかない…要するにベテルの作業をタダ働きしてくれる人に切り替えています。
すべて経費削減に向かうはずにもかかわらず、寄付の要請が増えているのは納得できません。そもそも巡回監督の住居や自動車に関しては、以前から会衆ごとに負担していたものもそのままなので二重どり。大会ホールの維持管理をあらかじめ募っているのであれば、大会会場に寄付箱を置く必要もないはずです。
極め付けは「クレジットカード寄付」です。実際に公式サイトから「寄付をする」のページにいくと毎月定額制で寄付をする提案が目に飛び込んできて、それを促すビデオまで見せられます。ものみの塔1976年2月1日号75ページ「後払いでお祈りを」という記事では、よそのキリスト教会がクレジットカード寄付をしていることを強烈に皮肉っていましたが、今となっては自分たちの首を締める文面です。
ロシアでの迫害が激化したということで、プーチン首相をはじめとする政府高官に、個人名義で抗議の手紙を出せ!
というキャンペーンもありました。各人にアイパッドを持たせ、メールやSNSを有効に活用しろと指導しながら、わざわざ紙に書いた手紙を自己負担で国際郵便を使わせ、「ロシア宛は遅延が出ており、いつ到着するか保証できません」と郵便職員に説明させる嫌がらせ行為を実行する意味はあったのでしょうか。そもそも「政治的には完全に中立」と言えるでしょうか?
グァテマラで宣教奉仕をしていた日本人の若い姉妹が、残酷に殺された。という事件がありました。同じ会衆の姉妹も、まさにグァテマラに行っていましたが、「怖い事件で、とてもあの国に戻るつもりはない」と、急遽帰国しました。ほかの会衆の人にこの話題を出すと「ニュースでは報道されていたけど、組織からは正式になにも発表がないから、本当かどうかわからない」と、あまり関心がない様子でした。
そういえば愛知県で高齢の姉妹が研究生に斧で殺されたり、東京で姉妹が夕方の奉仕の途中で強姦されたり…などという話を伝え聴いたりしましたが、おそらく全ては「事実」であるにもかかわらず、エホバの証人組織は注意喚起を図って再発防止に務める考えは一切なく、あえて触れないでおき、時間の経過とともに事件を風化させることが常態化しているのだと、よく分かりました。
エホバの証人が証言活動をする時には絶えず天使が共にいて見守ってくれていると、挿し絵などでも繰り返し強調しています。このような事件が起こることは、唯一まことの神が本当にいるとしても、エホバの証人を支持していないという、明確な証拠です。
ものみの塔研究記事ではやんわりした表現ながら特集記事になった「児童性的虐待」という問題も、エホバの証人組織内に蔓延しているという事実も、いまさらどうこう言えるレベルではなく、むしろ開き直りさえ感じます。
そして2019年。日本語版として発表された新しい灰色の聖書を読み、わたしはついに奉仕報告の提出を辞めることになりました。
其の十二
2018年6月にあった、大阪北部地震の被害者を励ますため。それが理由と聞かされていましたが、震災から10ヶ月ほど経った2019年4月に、神戸の球技場をメイン会場に、かのスティーブン・レット氏を招いて開催された特別集会は、すでに誰もが知る公然のヒミツで「新世界訳聖書・改訂版が、いよいよ日本語でも出るんですって」と、話題になっていました。
予想どおり新しい、灰色の聖書がひとつ一冊ずつ手渡されました。そこで日本の支部委員らしき人が「受け取った聖書のビニール包装を取り除けたあと、1ページずつキレイにめくれるよう、書籍を馴染ませてください。そうです。神のみ言葉を『ねじ曲げる』のです」
それに対し、聴衆はドッと笑っていましたが、わたしにとっては、とても笑える冗談には聞こえませんでした。
のちに聞けば、同じギャグは数年前に英語版が出た時に統治体の成員がやっていたことで、ただそのマネをしただけ。聴衆たちも元ネタを知っていたので、ウケたのだろうと。
家に帰って聖書をじっくり読んでみますと、彼らの言う「神のみ言葉をねじ曲げる」蛮行が、冗談ではなく、まさにこの聖書であからさまにおこなわれているごとに気付きました。
ヨブ1:4「ヨブの息子たちは,日を決めて順番に自分の家で宴会を開き,3人の姉妹も招いて一緒に食べたり飲んだりした。」。 改訂前「そして,その息子たちは行って,自分の日に各々の家で宴会を催し,人をやって,その三人の姉妹をも招いて一緒に食べたり飲んだりした。」
この箇所はもともと「自分の日に宴会を催し」という記述が、ヨブの家族は誕生日のお祝いをしていた記録であると指摘されていたのですが、エホバの証人はそれを否定する解釈を「洞察」の「誕生日」という項目に「〜かもしれない 〜と考えられる」という表現で載せていましたが、このたびの改訂版では、完全に聖書本文を、自分たち独自の解釈にすり替えていました。
エホバの証人がいくら暴走しようとも、聖書本文にまで手を出せば、多くの信者がすぐに疑念を抱くハズ!…と思いかけましたが、それは期待できないとわかっていました。むしろこのために、聖書本文に対する理解を薄れさせ「組織の決定に従順!」という鉄則を信者たちに植えつけて来たのだと。
さらにヨハネ8章11節までの部分、これまでの聖書でも小さな字で載せられ、聖典性が確立されていないという理由から、エホバの証人が扱うプログラムでは引用されたことのなかった部分でしたが、その箇所がごっそり消去…なきものとされていました。
内容的にはイエスが、姦淫が理由で石打ちに処されそうになった女性を救うエピソードなのですが、「イエスが、モーセの律法で重罪とみなされている姦淫を見過ごすなど、あり得ない」という理由から、ほかのキリスト教もこの部分を掲載していないと説明していました。
しかしきちんと読みこんでみると、それよりも「あなたがたのなかで罪のない人が、彼女に石を投げなさい」というイエスの言葉が彼らにとって都合悪い箇所なのだとわかります。不完全で間違いを犯す人間が、同じ不完全な人を裁くことなど出来ないと、イエスは伝えているのです。
ここで石打ちに処されそうになっているのは女性ひとりです。姦淫であれば相手も同罪のはずですが、男性については触れられていません。また聖書のなかで何度も登場していますが、イエスのいた時代に売春婦なる職業が成り立っていて、商売の相手となる男性とともに石打ちにされていたという記述はありません。
イエスがこの場面で言った「罪」とは、同じ罪のことを言っているはずで「男性の姦淫は見逃して、女性の姦淫は許さない」という風潮がまかり通っていたことを指摘していたのかもしれません。
歴史を通じてキリスト教社会は神の名を騙った宗教裁判で、多くの悲劇を生み出してきました。同じようにエホバの証人も、神の霊感を受けたと自称する組織が宗教裁判を行い、都合の悪いことを隠蔽する手段としています。理由があって、ヨハネ8章の冒頭部を省がなければならなくなった。ということです。
全体としては、エホバの証人が好んで使う「霊感による〜」「聖霊の助け〜」といった表現がなくなり「聖なる力」という言葉に置き換えられていました。それまで、「聖霊の助け」は私たちすべての信者が受けられる、神が後押ししてくれる力で、「霊感の導き」とは、特別に選ばれた人だけが受けるより高い次元での理解だと解釈していたのですが、どちらも関係なく「聖なる力」にまとめられてしまったという印象です。
ほか、ソロモンの歌では不自然なまでに女性チックなセリフまわしを強調していたり、列王第二12:15を利用して、寄付の使い道を信者に伝える必要など無いと宣言していたりもしましたが、とりあえず先の2点、ヨブ記とヨハネの改竄はあまりに衝撃的で、エホバの証人組織が、意図的に神を冒涜する集団であると見分けられる聖書でした。
新しい聖書を読み通すまで、2019年いっぱいくらいかかりましたが、その間にも、エホバの証人はさらにどうでもいい変更を要求してきました。集会などで聴衆が参加する発言を「注解」から「コメント」に。会衆内のより小さい組み分け「群れ」を「グループ」に。監督の補佐にあたる「奉仕の僕」を「援助奉仕者」と、日本人エホバの証人内では使い慣れて、充分に浸透している呼び方を、わざわざ言い換えるようにと言って来たのです。
もう何年も前にあったブロードキャスティングで、神のお名前に関して触れていたのですが、「YHWHの正確な発音はヤーウェであったと主張する聖書学者もいるが、ヘブライ語で神の名が正確にどう発言されていたかという議論に振り回されて横道に逸れるよりは、すでに多くの人たちのあいだで広く受け入れられている、英語の『ジェホーバ』を使うままにしておくのが道理に叶っている。ジーザス・クライストのことを、彼のヘブライ語本名である『ヨシュア』や『エホシェア』と、わざわざ変更しないのと同じだ」などと言っていたことを思い出します。
自分が聖書を読み終わって、数人のエホバの証人たちに感想を求めましたが、やはりというか、返答はたいてい「ごめん、まだ全然読めてない。ソロモン?コッチは創世記もまだ半分行って無いのに。特権ない人はヒマでうらやましいよ」といったものでした。
そして2020年、いよいよ新型コロナのパンデミックで、エホバの証人活動は大きくブレーキがかけられます。「集まりあうことを辞めたりせず」「人間より神に従う」と言って、禁令下の国で殉教を遂げる人がいようとも、集会と宣教への参加を義務づけていたエホバの証人組織が180°方針転換し、すべてをストップさせてしまったのです。zoomというオンライン会議システムで集会のプログラムを観て、手紙やメールなどで知人などに証言をするよう勧めていました。
開拓者の要求時間はひとまず撤廃、奉仕報告は0でも構わない。という、大幅な基準変更がありました。
そんななか「組織」の本もひっそりと改訂され、そこではバプテスマの基準が変わっていることが読み取れました。
この書籍、「付録」に含まれる「バプテスマを希望する人のための質問」を読むと、第一部14番目の質問で「あなたはエホバの証人の統治体が、イエスに任命された『忠実で思慮深い奴隷』だと信じていますか?」と尋ねられています。
わたしがバプテスマを受けた1990年代には、このような直接的に統治体への信仰を問う質問は無く、似たもので探すならば「イエスは今日、クリスチャン会衆にどのように頭の権を行使されますか」という質問でした。そもそも「統治体」なる語句は聖書のどこにも出てこないので、この質問に賛同することなどあり得ません。
今のわたしであれば、この質問には「いいえ」と答えます。
そして、実際にバプテスマを受ける時になされるふたつの質問、そのふたつ目も変更されていました。「エホバの組織と共に働くエホバの証人となる、ということを理解していますか?」となっています。それまでは「神の霊に導かれた組織と交わるエホバの証人の一人となることを理解していますか?」だったのですが、「神の霊に導かれた」と公に宣言出来なくなった理由があるのでしょうか。
2015年にオーストラリアで開かれた児童性的虐待の聴聞会で、ジェフリー・ジャクソンが「統治体が地上で唯一、神の霊感を反映させる代弁者であるなどと、僭越な考えは持っていない」という発言が関係あるのでしょうか。ものみの塔2017年2月研究記事の「統治体は霊感を受けているわけでも、完全であるわけでもありません。」こちらの記述とも関係があるのでしょうか。
「バプテスマは生涯で最も重要な契約である」と、エホバの証人はよく言います。
バプテスマを受けた限りは自分を捨て、神への献身を誓ったのだから、エホバの証人としての生き方を全うしなければならない!というのです。
そういえば、エホバの証人は常々「重要な約束ごとは書面に残しておくように」とすすめていますが、最も重要というバプテスマに関して、みなさん書面を残していたでしょうか?そもそも書面に残す理由とは、はじめに約束していたことが、途中から変えられてしまうことを防ぐためです。
エホバの証人側が今回バプテスマの基準を一方的に変更したことは、個々で書面には残していなかったとしても、改訂前の書籍と見比べれば気付きます。契約条項に変更が加えられる場合、これより前の契約は見直しとなり、変更を受け入れたいという場合には契約更新を、受け入れられない場合には「契約解除」を、それぞれ選択できます。
わたしは当然、契約解除を選択します。奉仕報告も提出せず、集会や大会に関係なく、仕事のスケジュールを入れられるようになりました。もちろん、親族や友人でエホバの証人を続けている人もいますが、その人たちとの交友が制限されることはありません。契約解除は排斥でも断絶でもありません。
そもそもエホバの証人公式サイトJW.orgでは「エホバの証人ではなくなった人を避けますか?」の質問に対し「避けることはしません」と、堂々と掲載しています。エホバの証人は排斥や断絶となるケースがあれば「〇〇さんはエホバの証人ではなくなりました」と発表しますので、「エホバの証人ではなくなった人」とは排斥・断絶のケースをさします。ご丁寧にも同じ項目で、集会や宣教に参加しなくなった人のことは「やめたとはみなされない」とまで説明してくれています。
排斥・断絶者が、エホバの証人内の人間関係で精神を病み、自死を選んだとしましょう。遺族が原因を調べ、エホバの証人に賠償を求めて裁判を起こしたとすれば、エホバの証人組織は、この項目を示して「被害者が精神を病んだのは、所属する会衆の成員に責任がある。エホバの証人組織としては、避けるように指示などしていない」と責任逃れをするのでしょう。
エホバの証人が自らの過ちを認め、悔い改める時があれば、その時はわたしも考えを変えるかもしれません。
児童性的虐待を隠蔽し、加害者を守るための裁判費用に、信者からの寄付を注ぎ込んでいたこと。信者からの寄付で不動産や株式を取得し、莫大な利潤で上層部だけが贅沢な暮らしを存分に楽しんでいること。思い付きの教義で「ハルマゲドンが間近に迫っている!」と緊急感を煽り、数えきれないほどの人たちから、教育・職業・結婚・出産などの自由を奪ってきたこと。世界各地に王国会館・大会ホール・支部事務所を建設し、拡張に備える必要があると訴え、信者たちの寄付で取得した物件を売却し、その利潤もすべて上層部で吸い上げてしまうこと。
などなど、これらすべてを認め、もともとの看板どおり「聖書を詳細まで調べる、べレアの人に倣った国際聖書研究者会」に戻るのであれば、わたしも復帰するかもしれません。
其の十三 妻の思いも含め、後日談
エホバの証人との距離感をどうするべきか悩んでいたころ、私個人として、人生の分かれ道かと思える、仕事上の大きなチャンスが持ち上がりました。
社会人になるとほぼ同時期から30年近く、個人で独立採算タイプの技術職をしております。途中順調とは言えない時期にはアルバイトなども掛け持ちしながら、家族ぶんの食い扶持を確保していました。そんなこんなで細々と存続させてきた個人事業でしたが、地元の新聞記事に取り上げられて認知度が高まり、継続的な専属契約の申し出がありました。週2日ほどそちらの事務所に詰めて、個人事業経営者のまま、専属技術顧問となって欲しいというお話でした。この話を受けるとすれば、年収がこれまでよりも200万円近く増える魅力的な条件ですが、当然忙しくなって自由の利く時間が奪われます。
これはエホバの証人がよくインタビュー記事の題材にする「仕事を拡張したために霊的活動がおろそかになり、いろいろ連鎖的に行き詰まって経営破綻・病状悪化・家庭崩壊」と没落してゆく、悪い誘惑なのか?と勘ぐりながらも、わたしは唯一まことの神を試す気持ちで、具体的に祈りを捧げました。
「わたしは今、仕事を拡張すると同時に、エホバの証人から遠ざかろうとしています。また、現在の会衆区域から去ると同時に身を隠すため、引っ越しをしたいとも思っています。引っ越し先は、息子の志望校にも近い場所です。もしあなたのご意志であれば、わたしと家族に大きく関わるこの将来設計を、どうか祝福してください。もしエホバの証人という宗教団体が、あなたのご意志を反映させる地上の組織で間違いないのであれば、わたしの事業拡張計画を失敗させ、資金不足で引っ越しも出来ないという形で答えを与えてください」
あとから聞いたのですが、同じ時期、妻もわたしが仕入れてくるエホバの証人に疑念を募らせる情報に戸惑っていて、やはり神を試すつもりで具体的に祈りを捧げていたというのです。
「愛する神エホバ、うちの夫は仕事や息子の将来のことで深刻に悩んでいるのか、正常な判断ができずエホバの証人組織を疑い始めています。それが一時的な迷いであるなら、わたしが尊敬している円熟した姉妹と同じ会衆の区域に引っ越させて、新たな気持ちで家族全員が活発にクリスチャン活動を再開できるようにコトを進めてください。しかし夫が調べていることが事実で、組織がすでに偽善者たちに操られているのであれば、知っているエホバの証人と、ほとんど顔をあわせなくていい土地に引っ越させてください」
その後、仕事は順調といえるレベルでこなせるようになり、最初は1年契約だった専属顧問も、徐々に役割を増やしてもらいながら続けられそうな感触でした。
時間が流れるにつれ、引っ越しの計画も煮詰まってゆきます。不動産屋さんの担当者、数人から広く、じっくりと情報を集めますが、なかなか条件に合う物件が見つからず、果たして息子の志望校の通学にも間に合うのか?そもそも引っ越し計画で思春期の若者の心を揺さぶれば、学業成績に悪影響が出ないか?さらにコロナ騒動も絡んで、仕事の将来性はあるのか?世の中の経済はどうなるのか?学校のカリキュラムは大きく変わるのか?などと先行き不透明なことが重なり、「神の答えが出つつあるのか?」と不安もよぎりました。
そんななか、妻が優良物件を不動産会社のホームページで見つけ、その日のうちに担当者に連絡し、内覧を行って購入意思を伝え、住宅ローンの事前審査も良い回答が得られました。この物件は家族の希望に合致しており、息子の志望校の通学経路だけでなく、わたしの事業にとっても都合良く見えました。何より、妻が尊敬する姉妹と、その娘婿が長老として所属している会衆の区域内に位置していたのです。
充分な広さ、かんたんな補修で見栄えしそうな築年数、駅や商店も比較的近くに揃った立地条件など、すべて理想的なわりに金額も予算内に収まっていて、妻としてはエホバの答えが出た!と確信したそうなのですが…ほんのわずかなタイミングの差で別の人に先を越され「売約済み」となっており、この話はたち消えとなってしまいました。
もう、あんな良い条件の家は見つからないだろう…そう諦めかけたころ、自分には手が届かないと思っていた物件が大幅に値下げされ、ギリギリ予算に届きそう金額になっていることに気付きました。たしかに住みやすそうな間取りではありますが、空き家で放置された期間も長かったため、庭や外構は荒れ放題。崖下の駐車場から長い外階段を登った先に玄関があるつくりで、高齢者の域に入る今後の生活を見据えると、あまり賢明とは思えない物件。どの駅からも遠く、徒歩ではなくバスに20分乗って、ようやく最寄り駅に着く立地でした。
息子の受験を考えると、タイミング的にも最後のチャンスかな?と、ダメ元で内覧に行ってみると、印象は大きく変わりました。とにかく庭が広く、裏には林がある、自然に囲まれた家でした。斜面の途中にあるため景色も遠くまで見渡せます。日当たりも風通しも良く、なぜか懐かしいような、落ち着くような錯覚がありました。そう…「楽園に行ったら、こういう家に住んでみたい」と、エホバの証人が出す挿し絵にありそうな家でした。
長い外階段のことなど忘れて妻も大いに気に入り、息子も2階にある眺望最高の10畳洋室から窓の外を眺め「ここ、ボクの部屋」と、机やベッドの配置を考え始めた様子。志望校への距離も近く、よくよく調べれば最寄りの駅に出ずとも、都心部に直通の高速バスがあることも知りました。
つい先日、元の価格より300万円値下げしたことを知りながらも不動産屋さんに無理を言って、もう200万円値下げしてもらい、なんとか住宅ローンも審査通過する範囲で、無事契約できました。
引っ越し前から何度も通って少しずつ家財道具を移動させつつ、庭に繁茂した植物を伐採し、忙しいながらも希望に満ちた心で作業にあたりました。夫婦で力と知恵を出し合い、自分たちの理想に近づくように住まいを整えてゆく。
なんだか、創世記で神が最初の人間夫婦に与えた命令を遂行しているような気分でした。
エホバの証人から聞かされるインタビューなどでは、「おかげでベテルの〇〇部門で奉仕する特権にあずかりました」「現在は夫と共に巡回奉仕を楽しんでいます」みたいに、組織内での良い立場を得て幸福だ。という経験が多くありますが、わたしはその経験をきいて、うらやましい、わたしもそうなりたい。と思ったことは一度もありません。
しかし幼い頃から見ていた、楽園での様子を描いた挿し絵でみた風景には、ずっと憧れ、いつか必ずこういう場所に住んでみたい!と思っていました。主に妻が精力的に庭を開拓してくれたおかげで、芝生の上でバレーボールのできる小さめのコートが作れました。サッカーゴールも、バスケットリングも、ゴルフのホールも設置しました。バーベキューもできます。テントも張れます。ハンモックから星空を眺めることもできます。
学業や仕事を差し控えてエホバの証人活動に打ち込み、現在地上の楽園で生活している人は、何人いるでしょうか?
とりあえずわたしたちは、真面目に仕事をして、家族で力を合わせ、楽園を先取りしたかのような場所に住んでいます。紆余曲折あったものの、息子も学業成績を徐々に上げ、志望校に合格となりました。庭のコートにはときどき友達も来て、部活の練習にプラス作用してくれそうです。
新しく引っ越した先の住所は、いくつかの会衆のあいだで区域調整の対象になりやすい、家の軒数のわりにエホバの証人の数が少ない地域らしく、近所をエホバの証人がうろつくことも、ほとんどないようです。とは言ってもコロナでzoom集会にアイパッドを接続しながら、こちらからのカメラはオフにして、ご飯を食べたり、テレビを観たりしながら、音声だけ聴こえてくるプログラムの矛盾点に、夫婦でツッコミを入れながら情報収集をしているだけです。もとの会衆の人たちはわたしたち家族が引っ越したことを知っていると思いますが、あえて新しい住所の会衆に移るようにとも言って来ません。
神を試したわたしたち夫婦の祈りは「エホバの証人組織は、すでに神の支持を得ていない」という答えがあったと結論します。妻が見つけた物件を知った時、できる限りのスピードと行動力で、引っ越しを実現させようと努力しました。妻は自分の祈りが聴き入れられたと確信し、次の会衆では夫であるわたしが説得を聴き入れず不活発になっても、息子を連れて絶対に集会に行くつもりだったそうです。
しかし期待した通りに事態は進まず、引っ越しは不可能だ…と思いきや、それ以上の家が見つかり、その後は障害がスーッとなくなってトントン拍子に契約がまとまりました。はじめは悩んだものの、これが祈りの答えなのかと受け入れてみれば、これまでいろいろと悩まされていた会衆内での人間関係トラブルを心配しなくて良いのかと、清々しい気分になったそうです。そもそも、エホバの証人は世界で一致した崇拝を行なっているので、会衆ごとに差があることがおかしい。今の会衆がダメなら、結局どこの会衆もダメに決まっている。と。
コロナ開けで活動再開しても、新しい会衆で参加するつもりは妻もなく、庭の管理と、ときどき来る娘夫婦と孫たちの世話で、充実した日々を過ごしています。
エホバの証人から離れると不幸になる。「自暴自棄で、不道徳で、不衛生で、不健康で、経済破綻、家族崩壊に向かう」というパターンは、ごく一部の例を大げさにクローズアップした、捏造イメージです。エホバの証人組織内の無駄な重荷から解放され、真の自由を味わえます。家族と共に有意義な時間を共に過ごし、自然の恵みに感謝する機会が増えます。
エホバの証人組織から距離を置くには排斥や断絶より、自然消滅がハードルが低いと思います。引っ越しで会衆の区域から外に出るというのは、とても現実的な手段として有効活用できます。
詐欺的宗教団体に搾取された時間や労力、資産は取り戻せないかもしれませんが、わたしたちの体験が、これ以上被害者を増やさないために役立てられるように願っています。