専門間対話座談会:第6回「専門間対話は何をなすべきか」
報告:荒谷大輔
第6回の座談会は2023年6月6日(火)の18時30分からZoom上で行われました。前回までは各分野の方々をお呼びして対話の地盤を作る試みを続けてきましたが、今回からいよいよ「専門間対話」に向けた議論がなされました。さしあたって前回までの参加者にお声がけして(すべての会員に開かれた場は現在企画中です(この報告内、2.の⑥を参照)。お待たせして申し訳ありません)、これまでの座談会を振り返りながら、今後の専門間対話の可能性を和やかな雰囲気で話すことができました。新しく入っていただいた石田京子さんを加えてコアメンバー6名を含めて総勢11名でした。
見えてきた課題
はじめに自己紹介を兼ねて皆さまに、これまで座談会に参加いただいた経験を踏まえて見えてきた課題を共有しました。以下のようなご意見が出て、今後、学会内で専門間対話を進めていくにあたって解決すべき課題が浮かび上がりました。
専門間対話をやってみて気づいたのは、同じ専門の間でも方法論についてあらためて議論する機会はそれほどないということで、こういう機会は貴重だと思った
対話というよりも、まずは会話が必要だと思う
多様性を確保しながらやることが重要だろう
共同研究=共通の目的を設定することと対話はどう関係するのか
文献研究はひとりでできるので、学会内での対話の必要性が共有できない現状があるのではないか
知的な安全性をどう確保するかが問題
自分の専門分野外では周りに知っている人も少ないので、対話によって生まれる創発的な効果は見込めるものの、対話をする相手に出会えない
懇親会などの席で若い人との繋がりが作りづらくなっている(こちらから声をかけてウザがられるのが予期される)
今後の専門間対話でやるべきこと
その上で、今後専門間対話WGで取り組むべきことについて、自由にご発言をいただきました。論点ごとに分けて、おおよそ次のような6つのトピックが出されたかと思います。中にはすぐに取りかかれそうな具体的なご提案もあり、非常に有意義な議論ができました。
①原理論的な対立の中でやり合うのではなく、その対話の中で一緒に何かを生み出そうとしていることが何も説明しなくても前提にできるような関係を作ることが必要
専門間対話をするにあたって「対立」を浮き彫りにするのではなく、対話の基盤となる信頼を実現することが必要ということは、今回の座談会では共有された基調になっていたかと思います。この点に関連して出された意見は次のようなものでした。
学会の懇親会の席でグループ分けをして、それぞれのグループでトピックを上げてディスカッションをして、結論を全体で共有するようなワークショップを行うのはどうか
懇親会のときに立食形式ではなくランダムに席を決めて、無理やり会話をしなければならない状況を設定すると知り合いが増えるのではないか
共通のプラットフォームを作るために、会員全員で西田幾多郎を読むのはどうか(半ば冗談として)
西田に限定すると会員が減りそう笑。各々の専門の基礎知識を共有するようなセミナーを開くことはありうるか
②問題意識を共有し共通の目的を定めることで「共同研究」ができるといいのではないか
共通の目的があれば、対話への動機づけは自然に出てくるのではないかというご意見をいただきました。この点に関して以下のような話が出ました。
日本倫理学会で、世界に打ち出せるような哲学的なスタンドポイントを形成する
日本の強みを活かす方法がありうるのではないか
例えば、日本思想と分析哲学のコラボレーションなど日本倫理学会でしかできないことだろう
学会全体で目的を定めなくても、化学反応が生まれそうな場を用意するだけでもいいかもしれない
③哲学対話の手法を応用して、前提を疑いながら議論をする場となればよい
枠組み自体を疑うという哲学の特性を利用して対話をする場を作っていくことの重要性が確認されました。そこで問題として出されたのは、発言に際していかにして「知的安全性」を確保するかということでした。この点に関しては以下のようなご意見が出ました。
学会において、ここでは何を言っても大丈夫という知的な安全性を担保できるといい
学会において「権威」が根拠が不確かな否定として機能することが、少なくともかつては存在したように思う
根拠があること・議論可能性が開かれているところでメチャクチャ言われるのはいいが、権威の基づいての発言をなくす雰囲気が必要
権威があったからこそコミュニティが形成された側面もあったかもしれない。それがなくなったところで、どのようにコミュニティを形成していくかが問題なのではないか。
④「たまたまの出会い」を提供することも有益ではないか
対話の場を設けるということに関心を向けがちだが、逆説的に、例えば個人発表の枠を増やし異なる専門に触れる機会を増やすことで「たまたまの出会い」を増やすことができるのではないかというご意見をいただきました。この点に関しては、個人発表を増やすという以外に「いま自分が関心があること」について各人が割りと自由に話す機会を設けるのはどうかという提案をいただきました。
⑤slackやdiscordでデジタルプラットフォームを作るのはどうか
④で出た「いま自分が関心があることを話す場」を設けることに関連して、時間と場所の制約がなしに交流できる場としてデジタルプラットフォームを設置するのはどうかという意見が出ました。これに関しては専門間対話WG内ですでにslackを使っていることもあり、これをそのまま使えばすぐに実現可能ということで、まずはこれまで座談会に参加いただいた方をご招待して試行してみることになりました。
⑥すべての会員に開かれたかたちで専門間対話をするために、オープンな雑談会の場を設けるのはどうか
この点は座談会終了後コアメンバーの振り返りの中で出てきたことでしたが、座談会の内容を受け、まさに「専門間対話は何をなすべきか」に関わることであるため「座談会の成果」として上げておきます。学会内で対話が可能な信頼の場を構築するにあたっては、すべての会員に対して開かれた場を提供する必要があるということで、今後の専門間対話座談会でオープンな雑談会を開いたらどうかという話がでました。多数の会員に参加いただけた場合には、コアメンバーがファシリテーターとなってブレイクアウトルームを作り、最後に全体にもどって総括するという方法で対応するということで、今後評議員会に提案すると同時に、大会等で宣伝をして広く参加者を募集していこうということになりました。
以上のように、今後の専門間対話の方向性を具体的に定めるようなご提案もたくさんいただき、大変有意義な座談会となりました。ご参加いただいた参加者の皆さまに、心より御礼申し上げます。
第6回座談会参加者(アイウエオ順)
近藤智彦【ヘレニズム・ローマ・古代末期の哲学】
「〈受容〉する女性――プルタルコスの女性論・結婚論の哲学的背景」小池登・佐藤昇・木原志乃編『『英雄伝』の挑戦――新たなプルタルコス像に迫る』 (京都大学学術出版会、2019年)、pp. 133-160
「自己原因と無原因の間――エピクロスからアフロディシアスのアレクサンドロスまで」『現代思想』49-9(2021年8月号、特集「自由意志――脳と心をめぐるアポリア」)、pp.196-207
蝶名林亮(ちょうなばやしりょう)【メタ倫理学】
『倫理学は科学になれるのか-自然主義的メタ倫理説の擁護』(勁草書房、2016年)
『メタ倫理学の最前線』【編者】(勁草書房、2019年)
A Localist Turn for Defending Moral Explanations (2022, Asian Journal of Philosophy, vol.1)
土屋 陽介(つちや ようすけ)[子どもの哲学(Philosophy for Children: P4C)・哲学対話教育]
「哲学対話が「哲学」と「対話」の実践であるために:ガート・ビースタの哲学対話教育批判の検討を通して」(『倫理学年報』第72集、2023年、7-19頁)
「哲学はどのような意味で現代日本の学校教育に求められているのか:「方法論」としての哲学と、「知識」としての哲学」(『現代思想』2023年4月号、2023年、98-107頁)
『僕らの世界を作りかえる哲学の授業』(青春出版社、2019年)
中嶋 優太(なかじま ゆうた)【日本哲学、西田哲学】
「西田幾多郎の必然的自由と無我―新資料を手掛かりに」『倫理学年報 第72集』日本倫理学会、2023年
「西田の新資料『倫理学講義ノート』における至誠とリップス倫理学」『比較思想研究 第48号』比較思想学会、2022年
脇 崇晴(わき たかはる)【近代日本思想史(清沢満之の思想、近代日本の仏教)、生命倫理】
『清沢満之の浄土教思想―「他力門哲学」を基軸として』(木星舎、2017年)
「近代日本における「宗教」概念の受容と仏教への思想的影響―島地黙雷の思想における受容のありようを中心に」 日本佛教学会編『日本と仏教』(法藏館、2020年、共著)
『考えよう!生と死のこと―基礎から学ぶ生命倫理と死生学』(木星舎、2016年、共著)
マッティ・ハユリュ『人間〈改良〉の倫理学―合理性と遺伝的難問』(2020年、ナカニシヤ出版、監訳・共訳)