専門間対話座談会:第一回「西洋古典」

報告:奥田太郎

記念すべき第1回の座談会は、2021年6月14日(月)の18時半より、Zoomミーティング上で開催されました。手探りでの開催となった今回は、WGコアメンバーで白羽の矢を立てた、古代哲学を専門とする中堅・若手の研究者6名に参加を依頼しました。また、学会員でない方にも加わっていただき、WGコアメンバー5名を加えた11名で1時間半にわたって、古代哲学研究の面白さを中心に対話を行いました。

まずは、自己紹介をしながら、古代哲学研究の面白さについて語っていただきました。語られたポイントをレビュワー観点でまとめると、こんな感じになります。


  • 哲学のテクストは、時代が古くなればなるほど内容が凝縮されていき、少ないページ数に豊かな情報量がつまっている。繰り返し読みこめば読み込むほど見えてくる面白さがある。

  • 断片しか残っていないテクストを研究することには、謎解きやパズルのような面白さもある。

  • 理念的に言えば、古代ギリシア・ローマの哲学を参照しながら様々な哲学の議論がなされてきたという歴史的な経緯ゆえに、多様な哲学を見る出発点になりうる。古代ギリシアの哲学を通じて様々な哲学の橋渡しをすることができるかもしれない。

  • 現在通用している概念を反省してその由来を知るなど、現在の何かを変えていくときに、その参照点を提供できる。たとえば、近代哲学の認識論的な語彙を提供したのはローマ哲学の貢献が大きく、ギリシアを受け継ぐ仕方での哲学の展開の流れの原型を見ることができるため、中世や近代の境目を自明視することなく反省できる。

  • 現代で受け入れがたいものを研究することが醍醐味。現代では、たとえば、リベラル・デモクラシーから出発する他ないが、古代であれば、そうした前提をとる必要はない。目的論、素朴な応報概念、メリトクラシーなど、古代で論じられていた枠組みを通して、現代のもっともらしい話から距離をとることができるのも魅力の一つ。


後半は、コアメンバーからいろいろと尋ねる形で進みました。

コアメンバーから出された、古代哲学の研究者のみなさんは現代とのつながりについてどの程度のコミットメントをもっているのか、という問いかけに対して、様々な応答がなされました。古代哲学の研究はあくまでも古典研究としての意義が基本であり、研究者自身が安易にそこから教訓を得ようとテクストから逸脱したことを勝手に述べ立てるべきではなく、あくまでも解釈の範囲内で現代的な意義や教訓を示唆するにとどめた方がよい、という声が出されました。また、古典を残していくには、テキストだけ残せばよいわけではなく、次の世代の研究者に研究や研究手法が継承されていかなければならないので、それも重要な仕事だと考えられる、とも語られました。テキストそのものを実証的に研究するアプローチと、テキストが含みもつ現代性を探るアプローチがあることは、日本思想史研究も同じ事情であり、今のメインストリームは実証側である、とも指摘されました。他方で、現在の私たちの思考や振る舞いの中で自明の前提とされている事柄が必ずしも当たり前ではないのだと気づけるのは、古代研究者の強みでもあり、その面白さをアピールしていくことも必要だろう、という声もあり、たとえば、スポーツのコーチングについて考える際に、実際の実践に含まれているエッセンスを取り出したり、慣行的に共有されている見方を少し刷新したりする視点を提供できるなど、古代哲学での知見は有益だという実践例も示されました。

また、研究を、個人的な理由でしているのか、社会的な貢献といった公共的な理由も念頭に置いてしているのかについても話が盛り上がりました。古典を読むなかで自己発見をすることは、東洋古典研究では主流のスタンスであり、天下国家にどうつながるかはさしあたりカッコに入れておきたいというところは、洋の東西を問わず古典研究としては共有されているのではないか、という指摘があり、他方で、自分のしていることが継続的に再生産されていくことの意義をきちんと説明していかなければ、研究をすること自体の存在基盤が失われてしまうのではないか、という危惧も表明されました。さらに、自分がよく生きることと公共の問題を切り離す必要はなく、自分がよく生きることへの問いかけから公共の問題を考えていくことが大切であり、たとえば、こうした公私の二分法的な枠組みから自由になるうえでも、古代哲学研究にヒントがあるように思われるので、近現代の研究者から古代研究者に問いかけて対話を続けていくことも必要だろう、といった声も出されました。

最後に、自分の研究がどう面白いかを説明できることも大事だが、実際に面白いことをやってみせることも重要であり、古代哲学では研究成果のアウトリーチはどうしているか、という話題に移りました。そのなかで、学生や一般読者向けの本をつくるのも重要だと理解しているが、実際にやってみると、古代哲学の研究者の間でも、何を知ってもらいたいか、伝えたいかという基本的なところで見解は多様であり、方向性を定めるのが意外と難しいとわかった、という経験談も語られました。現代との関わりについては、それぞれのスタンスに対して互いに貶め合うことなく、いろいろなスタンスの人たちで分業していくのがよいのではないか、という提案も出されました。また、西洋の古代哲学を研究するなかでも、日本語母語者として研究していることを意識しておく必要もある、という指摘も出されました。

レビュー記事では、具体的な話については割愛していますが、実際の座談会では、上記のようなトピックについて、参加者それぞれの専門領域に即して具体的な話が語られました。また、専門ど真ん中の高度な学術トークでもなく、学会の制度的なあり方や人事について語るような行政トークでもない、その「間」を行く対話が成立しており、自分たちが研究として日々何を行なっているのかを互いにじっくり考えてみる、ありそうであまりない機会だと感じました。座談会での対話をどのようなトーンで進めていくのか、参加者のジェンダー比率の問題、参加者選定の問題(今回はプラトンに主軸を置いた研究者がいなかったこと)など、課題も多く見えてきましたが、継続的にこのような対話の場を設け続けていくことで、少しずつよりよいものにしていければと思っています。次回以降もよろしくお願いいたします。

第1回座談会参加者(アイウエオ順)

稲村一隆【アリストテレスの倫理学、政治哲学】

Justice and Reciprocity in Aristotle’s Political Philosophy (Cambridge University Press, 2015)

「プラトンとアリストテレス」『世界哲学史1』伊藤邦武ほか編(ちくま新書、2020年)

川本愛【ストア派のコスモポリタニズム】

『コスモポリタニズムの起源:初期ストア派の政治哲学』(京都大学学術出版会、2019年)

https://www.kyoto-up.or.jp/books/9784814002023.html

近藤智彦【ヘレニズム・ローマ期の哲学】

「〈受容〉する女性――プルタルコスの女性論・結婚論の哲学的背景」小池登・佐藤昇・木原志乃編『『英雄伝』の挑戦――新たなプルタルコス像に迫る』 (京都大学学術出版会、2019年)、pp. 133-160

「運と幸福――古代と現代の交錯 」『社会と倫理』第32号 (南山大学社会倫理研究所編、2017年), pp. 15-29

佐良土茂樹【アリストテレスの倫理学】

「「適切な名誉心」と市民としての勇気 : アリストテレス倫理学における無名称の徳の意義」、『西洋古典学研究』第61号、2013年、pp. 48-59

『コーチングの哲学』(青土社、2021年)

茶谷直人【アリストテレス哲学(最近は特に倫理学)、およびソクラテス哲学(プラトンの初期対話篇)】

『アリストテレスと目的論──自然・魂・幸福』(晃洋書房、2019)

*「目的論」をキーワードにアリストテレスの絡み合う諸思索を解きほぐし、それにより、自然哲学(目的論的自然観)・魂論(アリストテレス流機能主義)、倫理学(幸福主義)という3つの「目的論の諸相」に少しでも迫ることができればと思い上梓しました。

安田将【前2世紀頃から後3世紀頃までのギリシア・ローマ哲学史】

「『アカデミカ』におけるキケロの懐疑主義」『古代哲学研究(methodos)』第53号、2021年、pp. 31–53

「アプロディシアスのアレクサンドロス『混合について(De mixtione)』(『混和と増大について(Περὶ κράσεως καὶ αὐξήσεως)』)訳・注」『西洋古典研究会論集』第26号、2017年、pp. 43–57(第1-6章); 第27号、2018年、pp. 31–52(第7–12章); 第28号、2019年、pp. 57–84(第13–16章(完))


+WGコアメンバー(荒谷大輔、奥田太郎、児玉聡、勢力尚雅、板東洋介)