専門間対話座談会:第5回「応用倫理学」

報告:児玉聡

第5回の座談会は2022年11月29日(火)の18時からZoom上で行われました。今回のテーマは「応用倫理学」です。応用倫理学・応用哲学・哲学カフェなどの研究(以下ではこの広義の意味で「応用倫理学」という言葉を用います)に携っている中堅・若手の研究者8名にお集まりいただき、1時間半ほど、WGコアメンバー5名も含めて、語り合いました。

①応用倫理学と「もともと性」

最初に、自己紹介を兼ねて、ご自身のこれまでの研究についてお話いただきました。その際、応用倫理学を現在されている研究者は「もともとは〜の研究をしていた」という方が多いと想定されるため、そのような「もともと性」が現在の研究テーマにどういう影響を与えているか、あるいは与えていないか、についてもお尋ねしました。たとえば次のようなご意見がありました。

  • 現在は情報倫理学を研究しているが、もともと科学技術史をやっていた。工学と哲学・倫理学の橋渡しを、シンポジウムを開くなどして心掛けている。

  • 情報技術に関連する哲学的研究をしているが、もともと論理学史をやっていて、そこからコンピュータや人工知能の研究を通じて、現在の研究につながっている。

  • もともと分析哲学、とくに懐疑論の研究をしており、現在は哲学対話教育や子どもの哲学を行っている。議論にだまされないとか、批判的に考えるという発想は分析哲学の研究と結び付いている。

  • もともと環境思想史をやっており、リアルな人々の声を聞くために社会学を学び、現在は生き物とその周りにいる人々について環境倫理学的な研究をしている。

このような「もともと性」は、研究を始めた動機の問題とはまた別のものであり、応用倫理学の研究手法にも関わりうる興味深い特徴ではないかと思います。ただし、すべての方がこのような「もともと性」があると答えたわけではなく、理学部で生物系の研究をやっていて、いきなり環境倫理を研究しだしたので哲学的な意味での「もともと性」があるわけではないといった回答もありました。

②応用倫理学は「社会の役に立つ」のか

次に、今日ではELSI(科学技術の倫理的・法的・社会的問題)の研究を始め、応用倫理学が社会や政策立案の役に立つことが期待されている風潮がある中で、応用倫理学はどう役に立ち、どう役に立たないのかと考えているかについて尋ねてみました。たとえば次のご意見がありました。

  • ELSIは科学技術の社会受容を重んじ、社会実装というゴールが決まっているのに対して、応用倫理学はそういう前提なしに研究が行われる。

  • 科学技術の研究者に、彼らの研究に関して多様な意見が社会にあることを研究者たちに伝える役目が哲学者にはあると考えている。また、そうした視点の相対化や俯瞰する能力を早くから身に付けることも大事で、ELSIは学生教育に役立つ。

  • 科学技術の研究者らと一緒に研究することで、「共同性」を醸成し、議論することの重要性や、科学的根拠だけが全てではないことを理解してもらう。

  • 哲学対話が「生きる力」として役立つことが期待されているが、批判的精神を育てることで、そのような「役立つ・役立たない」という枠組みを超える思考を育てることができる。

  • 環境プラグマティズムは従来の環境倫理学に比べて「社会に役立つ」立場のはずだが、実際には哲学者は人々の話は聞くがお返しできないという無力感もある。しかし、国際的文書における「人権」や「内在的価値」といった言葉や概念の分析が役に立ったり、また「NIMBYは何が悪いのか」という議論が環境活動に関わる人に評価されたりして、何らかの力にはなっていると考える。こうしたgood practiceの蓄積が重要である。

このように、応用倫理学に従来から指摘されている緊張関係、すなわち、一方では健全な科学研究や技術開発の発展に資するような貢献を行うことが期待されているけれども、他方ではソクラテスのような「虻」として、哲学的な批判的精神を活かしてときに研究者や社会に警鐘を鳴らすという役割の間にある緊張関係が示唆されていたように思います。


興味深かったのは、そのような緊張関係は必ずしも「御用学者」と「やじ馬」というような単純な二項対立ではなく、哲学対話の例のように、社会の役に立つとされる批判的精神を生徒たちの中に陶冶することで、やがて彼らが社会を批判する視座を得ることができるというダイナミズムが存在するという点です。このことは、科学技術の研究者とのやりとりに関しても当てはまりうるのではないかと思います。そのためには、ある研究領域や共同研究者らと長く関わるということが重要だという指摘もありました。

③応用倫理学と日本倫理学会

WGのコアメンバーから、日本倫理学会(以下、「本学会」)における応用倫理学の位置付けをどう考えるか、という質問と、それと関連して日本思想や日本的な価値観を応用倫理学とどう結び付けられるか、という質問があり、次のような興味深いご意見がありました。

  • 応用倫理学の各個別テーマは研究者の数が必ずしも多くないため、査読に問題が生じる場合がある。日本倫理学会の場合、たとえば環境倫理学や臨床哲学の研究者が多くないため、適切な査読者を探すのが困難であったり、少数の人に集中してしまう可能性があり、これらによる弊害も考えられる。

  • 学校教員を含めた実務家には、理論と実践の溝は深く、学会は権威性を帯びたものとして受け取られる傾向にある。とはいえ、教育現場の倫理的問題は多く、本当はまだまだ需要がある。実務の現場にいると、理論的・普遍的であろうとする学会のような存在は貴重である。

  • 同調圧力、日本的な対話や授業のあり方、プライバシーの概念、AIとの付き合い方など、「日本的なもの(エートス)」は確かに存在し、日本と米国や欧州で主要な倫理的論点が異なる場合がある。ただし、こうした主張をするにはきちんとした調査研究が必要であり、またそれらが伝統的な日本思想と関係があるかは簡単に答えの出ない問題である。西洋の研究者が日本にそういう特殊性を求めたがるというオリエンタリズムにも注意が必要である。

以上のように、本学会には理論と実践の橋渡しをする役目が期待されている一方で、本学会がますます版図を拡げる応用倫理学の領域全体を守備範囲として活動できているかという問題も提起されたように思います。また、応用倫理学における「日本的なもの」の検討や評価も重要だというご意見が参加者の中からも聞かれたところであり、日本思想と応用倫理学という、本学会が扱いうる興味深いテーマが座談会を通じて浮び上がってきました。

今回の座談会もまた、ご自身の研究スタンスを自省しつつ、それを言語化するようにお願いし、そこから出てきた発言に耳を傾け合う時間となりました。参加者のみなさまは、そのような面倒な作業にお付き合いいただき、限られた時間の中で、以上のような問いやご見解をご提示くださいました。ご自身の研究テーマと研究スタンスを振り返り、他人に対して平明かつ率直に説明するという作業に真摯に取り組んでいただいた参加者のみなさまに、心より御礼申し上げます。

第5回座談会参加者(アイウエオ順)

大谷卓史 (おおたに たくし) [情報倫理学・科学技術史]

『情報倫理:技術・プライバシー・著作権』みすず書房.(ただし、著作者人格権に関する正当化については現在再考中です)

神崎宣次 (かんざき のぶつぐ) [環境倫理学、AI・自動運転などの倫理問題、都市の問題、研究者の倫理]

出口・大庭編2022『軍事研究を哲学する』昭和堂(分担執筆)

呉羽・伊勢田2022『宇宙開発をみんなで議論しよう』名古屋大学出版会(分担執筆)

久木田水生 (くきた みなお) [技術哲学、情報哲学]

久木田水生、神崎宣次、佐々木拓『ロボットからの倫理学入門』、名古屋大学出版会、2017年。

久木田水生「アバターとコミュニケーションの未来」、人工知能』、36巻5号、pp. 585-592、2021年9月。

小西真理子 (こにし まりこ) 。[倫理学、臨床哲学]

『共依存の倫理—必要とされることを渇望する人びと』(晃洋書房、2017年)

『狂気な倫理—「愚か」で「不可解」で「無価値」とされる生の肯定』【編著者】(晃洋書房、2022年)

土屋 陽介(つちや ようすけ)[子どもの哲学(Philosophy for Children: P4C)・哲学対話教育]

「哲学対話が「哲学」と「対話」の実践であるために:ガート・ビースタの哲学対話教育批判の検討を通して」(『倫理学年報』第72集、2023年刊行予定)

「「考える人を育てる教育」はどのようなものであってはならないか:知的徳の教育の観点から」(『フィルカル』第6号、第2巻、2021年、112-133頁)

『僕らの世界を作りかえる哲学の授業』(青春出版社、2019年)

NHK・Eテレの学校放送番組『Q~こどものための哲学』監修(2017年より)

西本優樹 (にしもと ゆうき) [企業倫理学、社会存在論、集団責任論]

「企業の道徳的行為者性をめぐる企業の意図の問題:推論主義に基づく検討」『応用倫理:理論と実践の架橋』12号、2021年、pp.22-44

高浦康有、藤野真也編著『理論とケースで学ぶ 企業倫理入門 』白桃書房、2022年3月(「第2章 義務論」を担当)

福永真弓 (ふくなが まゆみ) [環境倫理、環境社会学]

「培養肉的生と付き合う」『現代思想』50(7): 81-93.、2022

「弁当と野いちご:あるいはほんものという食の倫理」『現代思想』50(2): 174-187.、2022

『サケをつくる人びと:水産増殖と資源再生』東京大学出版会、2019

Miyauchi, T. and Fukunaga, M. (2022) Adaptive Participatory Environmental Governance in Japan: Local Experiences, Global Lessons. Singapore: Springer.

吉永明弘(よしなが あきひろ) [環境倫理学]

『都市の環境倫理』勁草書房、2014年

『はじめて学ぶ環境倫理』ちくまプリマ―新書、2021年