専門間対話座談会:第回「現象学

報告:荒谷大輔

2021年9月20日(月)の18時半より、第2回の専門間対話座談会がZoomで開催されました。今回お集まりいただいたのは、現象学を専門とする中堅・若手の方々7名。非会員の方にも加わっていただいて、WGコアメンバー5名を加えた総勢12名で、1時間半、現象学の可能性について熱く語り合いました。

まずは自己紹介として、それぞれの立場から「現象学とは何か」について語っていただいたところ、次のようなお話をいただきました(レビュワー主観)。

  • 「与えられたもの」だけに即して物事を考えるのが現象学で、その特徴は科学との親和性が高い。人文学の領域において「与えられたもの」に即した学問が成立しているということに意味がある

  • 当事者に視点を据え、そこに現れる状況を基礎にして考える学問が現象学で、そこに倫理学との接点がある

  • 与えられた経験自体が純粋なものではなく、社会的に構築されたものであるという考え方はあるが、そうした社会的・文化的な規定に汲み尽くされないものを考える必要もある。社会に流布している言説への抵抗という観点で「経験」を語る可能性が現象学にはあるのではないか

  • 現象学は、人種差別的な偏見など、本人にとっても意識されていない前意識的な経験についても、分析を加えられる

こうして「現象学」のイメージを共有した上で、現象学研究について自由にお話をしました。

まず、コアメンバーのひとりから全員の自己紹介を聞いて、現象学者の間に穏やかな協調的雰囲気があるように感じたが、実際はどうなのかという問いが出され、それはそうかもしれないというお答えをいただきました。現象学は、例えば分析哲学のようにそれぞれの立場を立てて争うということはあまりなく、理論的な対立が発生しても「事象そのものへ立ち戻る」という姿勢が共有されているので、立場の違いが何に起因するのかを経験をベースにして語り直せるというお話、経験を分析しながら現象がどう見えてくるかということを共同作業することができるというのが現象学の特徴ではないか、それゆえに現象学は認知科学やロボディクス、看護学、フェミニズムなどさまざまな個別科学と共同研究することができるというお話を聞くことができました。

それを踏まえた上で、現象学と社会科学との違いは何かということが問いとして出されました。それに対しては、状況に巻き込まれている当事者の経験に寄り添うのが現象学で、例えば看護現象学であれば、単に社会科学的な文脈で議論されていることを看護に応用するというのではなく、看護師が置かれている状況や経験を学問へ接続することができることが大きな特徴になっているというお答えをいただきました。

その上でコアメンバーのひとりから、経験を分析することは、どのようにして規範を導くことができるのかという問いが出されましたが、俯瞰的な視点からルールを設定することが倫理学なのではなく、当事者に寄り添い、その経験や習慣の変容をもたらすことが倫理学の役割なのではないかと解答をいただきました。大上段から正義を争うのではなく、経験に即して社会規範を振り返ることが倫理学のなすべきことあり、そうした契機を欠いた倫理学は、その立場を問われるべきだという強いご意見もいただき、WGとしては専門間対話のひとつの主題をいただけたように思います。

また、この件に関しては、倫理学者における事実と価値の二分法に対する疑義が出されました。事実の認定には価値判断が潜在しているので、それらを分けて考えることはできない。考えている人自身が考えられたものに巻き込まれているというのが現象学の立場だとすると、何かに対する気づきがすでにその人の経験を変容させていると考える必要がある。現象学が社会規範よりそれぞれの生活に寄るというのは事実だとしても、そうしたものが社会規範と切り離されているかといえばそうではなく、例えば、教育への取り組みなどで両者の関係が問題にされているというお話がありました。規範倫理学の人からは中立的な立場に立つ現象学は規範を設定できないではないかと怒られたりするが、しかし、経験から離れて規範を設定できるのか。われわれの経験はすでに様々な規範的なものに規定されていて、それを無視して「これが正しい」といわれても容易に変更できないということを考える必要があるというお話をいただきました。

経験科学に対するスタンスの違いという点では、例えば自然主義の立場をとる分析哲学だと経験科学の成果を取り入れるという態度をとることが多いと思われるが、現象学は経験(現象)を基礎にするという点で自然科学とスタンスを共有しつつ違う角度から同じ現象について語るという点に違いがあるというお話がありました。科学の最前線では、概念設定自体が揺らいでいて、事象に即して概念を設定する現象学は科学者の側からも需要がある。また、われわれが「現実」と見做しているものがどういう意味で「現実」であるのかを考える点で、科学に対する批判の役割を果たせるというお話をいただきました。

専門間対話として現象学者から何か提案できることはありますかという問いに対しては、先に出た規範倫理学との対話のほかに、カントの議論を現象学的に検証するようなものをカント研究者とできないかという魅力的なご提案をいただきました。フッサール自身がカントをもっと(オーセンティックに、伝統的解釈に即しながら)読んでいたら現象学を哲学史の連続の中で語りうるようにもなったはずで、その点に現象学と文献研究の接点もありえないかという話も出ましたが、そのあたりについても、今後の専門間対話の試みのひとつのテーマになりうるかもしれません。

以上、和やかな雰囲気の中で「倫理学とは何か」という本質まで踏み込めた座談会だったかと思います。さしあたり個別の領域にスポットを当てて展開している座談会ですが、ある程度積み重ねというか、この先に向けての見通しも得られた貴重な機会になりました。ご参加いただいた方々に感謝申し上げます。各領域を一巡した後には、領域横断的な対話も行って参りたいと思いますので、ぜひまたご協力を賜われればと思います。次回以降もどうぞよろしくお願いいたします。

第2回座談会参加者(アイウエオ順)

池田 喬(いけだ たかし)【ハイデガーの哲学。現象学的倫理学。差別の哲学・倫理学】

『ハイデガー『存在と時間』を解き明かす』(NHK出版、2021年)、『差別の哲学 入門』(堀田義太郎との共著、アルパカ、2021年近刊)

小手川 正二郎(こてがわ しょうじろう)【フランス現象学、フェミニスト現象学】

『現実を解きほぐすための哲学』(トランスビュー、2020年)、「経験の記述は、なぜ批判的なのか―フェミニスト現象学への諸批判に対する応答」(『現象学年報』第37号、2021年)

「「人種化する知覚」の何が問題なのか?――知覚予期モデルによる現象学的分析」(池田喬との共著、『思想』1169号、岩波書店、2021年(9月号))

『甦るレヴィナス』(水声社、2015年)。

鈴木 崇志(すずき たかし)【フッサールの他者論】

『フッサールの他者論から倫理学へ』(勁草書房、2021年)

田口 茂(たぐち しげる)【現象学、特に意識・自己・間主観性、またこれらのテーマに関する科学者との共同研究】

Das Problem des ‘Ur-Ich’ bei Edmund Husserl: Die Frage nach der selbstverständlichen ‘Nähe’ des Selbst. Dordrecht: Springer, 2006.

 『現象学という思考──〈自明なもの〉の知へ』筑摩書房、2014年

『〈現実〉とは何か──数学・哲学から始まる世界像の転換』筑摩書房、2019年(西郷甲矢人氏との共著)

中澤 瞳(なかざわ ひとみ)【メルロ=ポンティ研究、フェミニスト現象学】

稲原美苗・川崎唯史・中澤瞳・宮原優編『フェミニスト現象学入門』ナカニシヤ出版、2020年

中 真生(なか まお)【生殖・身体・ジェンダーにかかわる哲学・倫理学】

『生殖する人間の哲学』、「「母であること」(motherhood)を再考する―産むことからの分離と「母」の拡大」『思想』1141号、2019年

吉川 孝(よしかわ たかし)【フッサール、現代倫理学】

共著『ワードマップ現代現象学』(新曜社2017)

+WGコアメンバー(荒谷大輔、奥田太郎、児玉聡、勢力尚雅、板東洋介)