近年、市民教育論で注目される理論に「政治的リベラリズム」がある。政治的リベラリズムはジョン・ロールズが示した政治理論である。ロールズは次のような問題に取り組んだ。すなわち、多様な宗教的・哲学的・道徳的な世界観――包括的教説――によって考え方や生き方が分断している市民からなる公正で安定した社会が存続することはいかにして可能か。この問いにロールズは、従来のリベラリズムは包括的教説に過ぎず、現代社会の処方箋とはなりえないと考えた。そこで、多様な包括的教説を持つ人びとであっても共有できる価値や伝統に立脚し、熟議による政治的な合意に基づく社会構築を展開することとなる。
政治的リベラリズムでは独自の市民観や社会形成論が提示されることとなった。これを受け、市民教育論では政治的リベラリズムが熱心に受容され、2010年代以降には体系的な研究書も発表されるようになった。一方、政治理論においては2000年代までに政治的リベラリズム批判がすでに展開され切ったとも言える状況にあった。批判の中核は政治的リベラリズムの中立性をめぐるものである。
では、このような批判を踏まえてなお政治的リベラリズムに基づく市民教育論は有効な理論と言えるのだろうか? そこで本発表では、政治的リベラリズムおよびそれに基づく市民教育論の形成・批判・展開を教育思想史のコンテクストで引き取り考察することを目指す。これによって政治的リベラリズムに基づく市民教育論の射程を確定させ、さらなる展開可能性を模索したい。本発表では、まず政治的リベラリズムおよびそれに基づく市民教育論に向けられる批判を教育思想史の観点から前景化する。続けて、政治的リベラリズムの後継者たちによる再検討を踏まえながら、政治的リベラリズムに基づく市民教育論の射程を検討する。最後に、政治的リベラリズムを批判的に継承して登場した「ケイパビリティ・アプローチ」に触れ、新たな市民教育論の展開可能性を示唆する。