「戦後80年」は、今年度多くの学会でとりあげられるテーマとなるように思われるが、教育思想史学会らしい、挑戦的・刺激的なアプローチとして、このたびのシンポジウムでは、過去に2回コロキウムで企画された「ポップカルチャーの教育思想」と「戦後80年」のリンクを試みる。ハイカルチャーを相対化し、ときに対抗的な視点も提供する機能がある「ポップカルチャー」をキーワードとすることによって、これまでにない議論を提供できればと考えている。そのために、今回は、報告者に、あえて教育学を専門としない非会員2名を迎え、会員である小玉重夫氏は指定討論者に回り、報告者の議論を教育学、教育思想史研究としてどう引き受けるか、相対化する役割を担ってもらうことにした。
報告者2名の報告の内容は下記のとおりであるが、直接「戦後80年」を主題としているわけではない。ただし、このことを意識した報告をお願いしているし、ふたつの報告に共通するキーワードとなる、「演劇」あるいは「現実と虚構」は、戦後(思想)史を再考するためのトリガーとなるはずである。先走って「教育」と絡めれば「推し活」や「観客」は、今日における「主体性」にまつわる議論と接続できるし、さらには、いかように社会に参加するか(社会運動の変遷)、情報技術と倫理という問題にも敷衍することができるだろう。これは一例に過ぎないが、2名の報告と指定討論、さらにフロアの皆さんとの相互交流によって、刺激的なシンポジウムが生まれることを期待している。
筒井晴香氏は、哲学・応用倫理学・ジェンダー研究を専門としている。新興科学技術のELSI(倫理・法・社会的課題)研究に取り組む一方で、ポピュラーカルチャーに関する批評・研究も行っており、近年はアイドルやキャラクター等を「推す」ことや「推し文化」に関して、情報技術の倫理や、現代のジェンダー・セクシュアリティ・親密性のあり方といった観点から、倫理的論点の検討を行っている。本シンポジウムでは、これまでに行った議論を紹介しつつ、特に若者や教育といった観点から、「推す」ことをめぐる倫理について検討する。「推し文化」や「推し活」に関しては、近年、批判や懸念の声も散見される。他方で、現代社会の諸局面におけるポピュリズム的な現象や風潮への批判を行う際に「推し活」という語に問題を集約させることは、様々な文脈の差異を捨象し、批判を若者叩き・女性叩きに横滑りさせてしまう恐れがないか、とも氏は懸念しており、その点についても試論的に展開する予定である。
渡辺健一郎氏は俳優であり、演劇研究の活動にも身を置くが、『自由が上演される』(講談社、2022年)で批評家デビューも果たしている。氏は、演劇における観客の位置づけについて、歴史的、哲学的な捉えなおしを試みる。イマーシブミュージアムやVR機器を用いたイマーシブ体験など、近年イマーシブという語をよく目にするようになった。日本では「没入型」や「観客参加型」などと訳されるが、その源流は2000年頃、イギリスで発祥したイマーシブシアターにある。そこでは観客は、登場人物と交流するなど、物語に実際に巻き込まれていくことになる。観客はもはや受動的な鑑賞者ではなく、作品に能動的に関与する存在だとみなされる。しかし実のところ、舞台上と客席とが地続きである演劇において「観客の参加」とは一体何なのかを画定することは容易ではない。ジャック・ランシエールやクレア・ビショップなど、美学領域における「参加」をめぐる議論を参照しながらイマーシブシアターの特性を再確認することで、観客という存在様態の理解を深めることを目指す。