かつて、フェミニスト・ペダゴジーは、権⼒関係の再⽣産や「⾃⼰」の強化を避けられず、したがって、既存の社会関係を維持するという深刻な限界に直⾯していた。特に、従来の⾔語中⼼の教育実践の枠内では、⽀配的⾔説の構造そのものを再⽣産してしまうという問題が指摘されてきた。しかし近年、フェミニスト・ペダゴジーは「アフェクト(情動)」という理論的問いを導⼊することで、 新たな転回を遂げつつある。この転回は、⽀配的⾔説の再⽣産という構造的課題に対して、フェミニスト・ペダゴジーが理論的かつ実践的に応答する可能性を切り開いている。
本フォーラムではまず、アフェクト(情動)理論がフェミニスト・ペダゴジーに対し、⾔語による意味の伝達を超える、アフェクト(情動)が⽣み出す⾝体化される相互交流という視点をもたらす点を考察する。次に、この視点が⾃⼰の形成過程を再考する契機となることを論じる。その具体的な実践例として、「⾳(sound)」を中⼼におくフェミニスト・ペダゴジーの実践を取り上げる。これは、フェミニスト・ペダゴジーがアフェクト(情動)の次元を取り⼊れる複数のアプローチの⼀つである。
例えば、通常フェミニスト・ペダゴジーにおいて「声(voice)」と呼ばれるものは、エンパワーメントの概念と関連しているが、わたしたちが⾔説的に情報を獲得し伝達する現象以上のものを⽰している。実際、情報は、声のトーン、抑揚、リズムなどを通しても伝達される。このような「声」の側⾯は、アフェクト(情動)によって⽣み出されるものであり、話し⼿の強度と感覚の産物である。
これは、「⾳」が統治性から⾃由であるという意味ではない。実際、⾔説を超えた「声」の側⾯を⽣み出すものであるアフェクト(情動)を、統治性の外部にあるもの、つまり⽀配的な主体の様式から完全に解放される⼿段と⾒なすべきではないことに注意することは重要である。それでもなお、アフェクト(情動)は、⽀配的⾔説によっていまだ完全に書き込まれていない空間を開く可能性をはらんでいる。