本コロキウムは生活・記録・サークルという三つの視点の交差から、1950年代から70年代頃までの戦後文化運動を検討し、そこでの民衆による知の生成のダイナミズムと限界を探る。
戦後史において1950年代は記録の時代として知られる。特に『山びこ学校』を基点とした生活記録運動は、民衆による同時代的な生活実践の記録であると同時に政治的・歴史的実践でもあった。それは、人びとによる「自己教育」とも表現される。また、サークルとは1950年代から60年代頃にかけて興隆した人びとによる集団活動であり、先に述べた生活記録運動の多くはサークルの共同性を母体にしていた。そして、サークルも記録も多くは生活に根ざすものとして解釈される。それだけでなく、生活は体系化されざる知の苗床としても機能する。
生活・記録・サークルは互いに連関するものとして、しかしそれぞれに固有の思想的含意を有している。本コロキウムでは、西本が「鶴見俊輔のサークル論」について、久島が「山形県児童文化研究会という教育研究サークル」について、川上が「中井正一と山代巴との思想史的な関係性」についての各報告を通じてその内実について考察する。また、指定討論者として、民衆版画運動についての研究・展覧会企画を行なってきた町村悠香氏を招く。