6月例会
Pカンパニー「5月35日」
正々堂々と息子が命を落とした場所に
追悼に行きたいだけなのに…
正々堂々と息子が命を落とした場所に
追悼に行きたいだけなのに…
●公演の会場/湘南台市民シアター
●公演の日程/2025年6月22日 (日)P.M4:30開演
【感想】
★各サークル会で作品の事、出演者の事、時代背景を調べ、あらすじを読み合い舞台を想像しながら進めて来ました。
舞台は想像の域を超え、細かい状況変化、夫婦の想いが一つになるまで観ている者も、是非願いを成就させてあげたいと、共感し、ぐんぐん引き込まれました。
実際成就出来たのか、未遂に終わったのか・・・でも夫婦の想いは届いたのですね
最後の想いの合唱が舞台から亡くなった数万人の声に代わる時、涙が止まりませんでした
上演時間1時間40分短く感じました。演者さんも、作品も素晴らしく、竹下さんではありませんが、今まで沢山の舞台を観てきたなかで、感動した代表作の一つになりました。 (潮風)
★この作品から香港の民主運動と国家暴力を竹下さん、林さんの重厚な演技、エンディングの回想シーンと合唱が一緒に流れ劇団の熱いメッセージを感じました。
改めて「平和」を願う一日でした。(潮風)
★圧巻の演技に圧倒され続けた時間でした。天安門事件はテレビのニュース等でも見ておりました。 今の中国では、この事件は無かったことのようになっていることは知っていましたが、関係者の方々の苦悩と葛藤はいかばかりか・・・・でも、事件後のことについては考えたことがありませんでした。今、いろいろな事件が次々と起こりますが一過性のものではなくその後のことについても関心を寄せる事が大切だと痛感致しました。(おりおん)
★何と言ってもシウラム役・竹下景子さんの熱演が強く心に残りました。余命宣告を受けたからこそ、これまでの心の奥底にしまい込んできた思いをよみがえらせ解放し、ほとばしらせ、そして夫の心も変えていくパワーとエネルギーと意思。「私の代表作になる」というのはこのことだったと思いました。
そしてアダイ役・林さん。はじめは、とまどいながら迷いながら、次第に気持ちを固めてゆく・・・。
家族を大切にする思いが自らを動かしていきました。
また他の登場人物もすべて個性がきわだち印象深かったです。シラムが車椅子から立ち上がった時、迎えにきた息子たちの魂とひとつになって力強い歌となり命は尽きても意思は死なずに引き継がれて行くのだと知りました。すばらしいお芝居をありがとうございました。(とんぼだま)
★竹下景子さんに会えて良かった。狭い舞台で次の場面で照明を消し切り替えるところは工夫されていた。
最後のコーラスは迫力あり鳥肌がたちました。 (にじ)
★社会問題、親が子を思う心あらためて考えさせてくれました。 (にじ)
★とても難しい内容で、どう感じるかは当日でなければと大切に見せていただき竹下景子さんの熱演に感動です。やはり子どもの死に対して怒りや悲しみは測り知れません
平和で自由を求める事の大事さを教えてもらいました。(にじ)
★入会の機会を得て、迫力のある演技をみることが出来ました。
天安門で息子を亡くし、自身も病気になり最後の願いのなんと悲しい事かと思いました。最後のコーラスがとても良かった。重たい内容だったが、考えさせられた、特に奥さんの寿命があとわずかと言うところで、夫が奥さんの本心が解り一緒に計画を実行に移して行くところがよかった。 (梓)
★余命を宣告された夫妻が死ぬ前にどうしてもやりたいこと、それは天安門事件で殺された最愛の息子を6月4日に天安門広場で弔うこと。舞台は二人の緊迫したやり取りで息詰まるような展開に。最後に逮捕される寸前に窓から逃げて天安門広場に向かう夫に思わず頑張れと言いたくなった。若者の迫力ある歌声に囲まれた妻のラストシーンは素晴らしかった。それにしても36年も経った天安門事件のことを未だに無かったことにしよう、と北京中心部は厳戒態勢を敷き、海外メディアの取材も拒む中国という国に底知れぬ恐ろしさを感じてしまう。 (夏椿)
★1989年に天安門事件があったことは事実で、当時高校生だった私もニュースで見ていたことを覚えている。しかしそれを無かったことにして、歴史から抹消しようとしている中国。天安門事件の遺族が、今もなお監視されているという事実はとても現代と思えないけれど、それも事実。一党支配国家としての大国は、このまま突き進むのだろうかと、常に危うさを感じている。情報操作は中国に限った話ではなく、日本でも、誰もが情報を発信できる中で、受け取る側が何をどう判断するのか、慎重さが益々必要になっている。人は情報によってたやすく洗脳されてしまう。今回の劇を観て、情報に振り回されることの恐ろしさについて一層考えるようになった。 (夏椿)
★現代中国史の中で、1911年5・4運動は若者が天安門広場に集まり中国の悪政を糾す運動であり、純粋な若者達が中国の将来を作って行く、と讃えている。1930年代には、衛生医療の悪い状況に対して「はだしの医者」を制度化し衛生環境の改善や漢方・針治療等を通して、一人一人を大切に風土病等を無くす取り組みもあった。1960年代には、当時の首席毛沢東思想により「天と地は男性と女性によって支えられている。」と、女性の社会参加を積極的に取り組む事や、中央と地方の差(貧富)改善し一人一人を豊かにしていこうとする姿勢が見られていた。しかし、1976年毛沢東主席の死去により情勢は混乱。13年後の1989年6月4日、天安門広場に集まった民主化を求める純粋な若者達に、中国の人民解放軍が銃口を向け弾圧をした(64天安門事件)。
中国の人民(国民)にとっては、とても信じられぬ出来事であった。懸命に民主化を求める若者たちに銃口を向ける事は、「盾と矛」の出来事。この「盾と矛」の状態が30年も続いており(現在も進行中)、「おかしいよね!」と言う事さえも口にすることが出来ない。監視社会。自分達を守るためには、口を閉ざす事。口を開く事を決意した二人。それは死を決意して口を開くのである。この演劇の、訴える重たさである。
いま世界中各所で争いが起きている。アメリカでも軍が市民に銃を向けている。日本も、いつどうなるか解らない状況に近づいている気がする。防衛費の増額など。私達が出来る事は、自己の権利である選挙を安易に考えぬ事。戦争反対と言う事を口封じされぬ様、自己の権利を行使しましょう! (サンライズ)
★1989年6月4日、天安門事件が起きました。国家が国民に対して、銃口を向けたのです。2025年6月4日、に放送されたニュースでは、36年たっても未だにこの事件で殺された方の遺族には国の監視が続いていて、遺族同士が会うことにピリピリしているとのことでした。
とても重いお話で、そこには絶望しかなく、何ともできない理不尽を感じましたが、エンディングの若者達の合唱を聞いた時、思わず涙がでてしまいました。圧巻の迫力を持ってせまってきました。暗い過去を忘れずに明るい未来を目指しての歌声に希望を感じました。(クループA)
★竹下さん、林さんの力強い演技に引き込まれ、あっという間の時間でした。 ブラボー!
「何にも変わらない」とあきらめたくなる日常の中で、自分の思いを出すことの難しさ、もどかしさ・・・。
それでも届かないとあきらめず、小さくても行動を起こすこと。その大切さに改めて気付かされた貴重な時間でした。(サンシャイン)
★がんを患っている夫と余命3ヶ月と診断された妻が、30年前の息子の死と向き合おうとする会話で始まり最初微妙にすれちがいながらも、次第に心を寄せ合い、共鳴し合っていく二人。 とても見ごたえ、聞きごたえがありました。 そこから中国でずっとタブー視されている天安門事件の様子も浮き彫りになっていき、◎あいだでの二人以外の出演者の存在で、理解を深めることもできました。
心から息子を愛し、息子の死に納得できない妻、命をかけた決意が病の進行とともに観ている側にもひしひしとせまってきます。
正しいと信じる生き方、主張、行動が国家と言う権力次第では、ゆがめられていくこわさを感じました。それは今、世界のあちこちで行われている争いでも、弱いものが犠牲になっている現実がそうであり、これからの日本でも起こりうるかも知れない。そうは思いたくはないけど、しっかり情勢にも目を向けていかなければと改めて思いました。 (スイトピー)
★5月35日? 始めて目にした時何の意味だかわかりませんでした。ものがたりを読んであの赤の広場で起こった、学生のデモ「天安門事件」 男子学生が戦車の前に立っている映像が目に浮かびました。
大々的にテレビや新聞で報道されましたので、良く記憶しています。 その後の学生達の行動など、ニュースになると気になるので知るようにしています。でも被害者遺族のことはほとんど知らないので、大変
興味深く、又、儒教の国として、老夫婦の会話が人生訓として、考えさせられる舞台でした。(スイトピー1940年首里生)
★自分の命に“かぎり”があるとわかった時の母としての思い、妻としての思い、夫としての思いなど、いろいろな思いが感じられる作品でした。
悲しい最後でしたが、シウラムは幸せだったのでは・・・・と思いました。 (S・D・C)
★心に残る大切な言葉を竹下景子さんの演技にこめられていて、ずしりと感じました。
国家権力によって命をおとされた人の事は忘れてはいけない事。『5月35日』を観て、天安門事件から30年、事件をより深く知ることが出来ました。
2019年5月のカレンダーにまずは注目しました。30年前の天安門事件について話すことや息子が国の軍隊によって殺されたことを訴える事も出来ず、生きてきた父母の悲しみ、苦しみに胸を打たれました。
今も「国家安全維持法」が続いているのか。 最後の「自由を叫ぶ」歌はその次の人たちの
気持ちが伝わり心を打つのものがありました。 (無縫会)
★舞台が遠く、シウラムの表情をみられず残念でしたが、息子を思う母の心が切々と伝わり、おみごとな演技です。忘れずいたいと思いました。 (尋)
★拍手をやめたくなかったです。ちょうど、竹下さんの役と、自分が重なりました。
私だったらどうするか。
東西ドイツの壁がくずれた時も、チャウシェスクが倒された時も、中国で戦車が前に立ちふさがった人をまさに轢こうとしている時も、全部テレビで観ていました。
折しも6月22日のニュースでトランプが、イランの核施設を攻撃したと伝えていました。 いつになっても地球上のどこかで、人間は戦争をしています。人間の尊厳などないかのように。せめて戦争はダメと声を出せる人でいようと思いました。
拍手の輪が世界中に広がることを願っています。 (南斜花壇)
★今まで、担当した劇はいつも良かったと感じますが、今回は特に感動しました。現在の世界状況を考え、又、ホンコンの雨傘運動を思い出し、あの時、画像で見た人々はどうしているのだろうと。
又、『5月35日』の劇に台湾人の若い女性に入会してもらい、隣の席で真剣に観ている姿を感じながら、これからの台湾のゆくえという事を考え、私達日本人が感動したと思う気持ちとは違うだろうと・・・・。
で、出演者は観客の心を満たせたと思い、観客も一時は感動し、心を満たしていますが、しかし、どうにか出来ないのか・・・・と言う気持ちになり、観終わった後、自分の力の無さを感じてしまいました。 (鯉翠会)
★5月35日、天安門事件のあった日、六月四日は、ロクヨンの日と香港では言われていて、ろうそく集会、バナナを食べる習慣がある(これは広東語でクソクラエ!)という意味だと先日新聞のコラムで読みました。 今回の例会は、非常に重い題材でしたが、竹下景子さんと林次樹さん、老夫婦のかけあいの長いセリフ、ほとんど、お二人だけで演じられていて驚きました。 天安門事件で息子を亡くし、病におかされた二人は残された時間を息子のために忍ぼうとする。中国という国は、そんな二人を身内であれどしばろうとする。日本人で良かったという反面、こんな理不尽な国があるのかと思う。
今、世界中のあちこちで紛争がある。戦争のない平和な世界をみんなで考えなければならないと思う。 (トラベル)
★1970年戌年生まれの主人公夫妻の息子さん。同じ年の子ども(もうおじさん)を持つ親として、国は違えど、当時の事が思い出されました。役者さん達の名演技に最初から最後まで目が離せませんでした。(ひこ星)
★国が、国民に嘘の発言をしたり、都合の悪い事を隠して伝えて行く現実は、何も中国だけの話ではないと思う。 世界はたくさんの理不尽と人権を無視する行動で満ちている。 そんな中で母は父は、愛する者をどうやって、守っていったら良いのだろうか? もし、自分の子供たちだったら・・。舞台を観て、胸が引き裂ける思いがした。 国を率いて上に立つ人に言いたい、 「もし自分のことだったら」と真剣に思いめぐらしてから、行動して頂きたい。愛する者を失った悲しみと憤りは、時間が経っても、決して消えるものではないと。お二人の舞台は昔の事ではない、現在の事として、私達に迫ってきた。(豆だるま)
★この作品はのんきに暮らす私には考えられない出来事です。
苦悩と辛い生活を送り続ける母親の息子への思い、国の権力の横暴にどうにも出来ないもどかしさ、政策にそぐわないと表立って言葉に出来ず命さえも奪う権力の恐ろしさあ世界に広がるのを感じます。
最後の力強い歌声は屈しない気持ちを感じさせ涙が湧いてきました。 (鬼だるま)
★中国の天安門事件で一人息子を失った 老夫婦。妻は余命3ヶ月。天安門での軍隊の銃撃で命を落とした息子。それを観衆の一人として目撃した夫。
息子の死の理由も知らされず、苦しみ続けた妻。30年間の苦しみや悲しみ 罪悪感を捨て、息子の死と向き合う決意をする。
それは 6月4日に天安門広場で追悼することだったが、月日の流れの中 妻は病で歩行困難となり車椅子生活。
夫は妻の思いも胸に行動する。この辛く悲しい老夫婦を演じられた 林次樹さんと竹下景子さんが素晴らしく、目を奪われ 感動しました。
最後、若者の歌声が天安門広場に響き渡り-銃声-涙が込み上げました。
今も 世界の何処かで紛争が起こっています。「どうか 平和で安全な世の中になりますように」との思いが深くなりました。 (メープル)