後鳥羽上皇ゆかりの地めぐり

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で登場する「後鳥羽上皇」は、建久10年(1199)と承久2年(1220)の2度、ひそかに名超寺(長浜市名越町)を訪ね、鎌倉幕府討幕の祈祷を命じたという伝説が残されています。また、後鳥羽上皇の中3文字(鳥羽上)をとる長浜市鳥羽上町と常喜町、本庄町、名越町の一帯には鳥羽上庄が置かれ、後鳥羽上皇に縁のある荘園と伝えられています。美しい蓮や紅葉が楽しめる金太郎の里でもあります。
※写真は、鳥羽上城跡から望む西黒田地区と琵琶湖の夕暮れの風景です

下坂氏は、中世来の在地領主で、敷地内には、土塁や堀跡、戦国時代の屋敷構が残っています。下坂氏菩提寺の「不断光院」は、上皇の皇子雅成親王の法号で、南側に上皇腰掛石があります。

永久寺町の鎮守である八坂神社の本殿右前には、後鳥羽上皇の腰掛石があります。

鳥羽上と菅江を結び、大正12年(1923)竣工した、幅4.4m、長さ164mの煉瓦造、坑門は冠木型デザインでイギリス積み、入口には3mを超す記念碑が立てられており、多くを人力に頼った工事の困難と両村の協力態勢をうかがうことができる。 貴重な近代化土木遺産。

観音坂越えと鳥羽上山越えの2つの間道を制するための城砦で、天分7年(1538)六角定頼 率いる江南軍に対し京極高延、浅井亮政の江北軍と合戦があったとされ、城主は京極方荒尾三郎左衛門尉であった。付近の遺構はよく残っており、大蔵、堀越、丸奥等名残りの小字が多い。

5・森神社

承久年間(1219~1222)後鳥羽上皇が御巡幸のおり観音堂の地に杉をお手植えになったという。「お杉さん」と称した木は老木になり台風によって倒れ、2代目が平成10年に植えられている。観音石像も建てられ上皇の遺徳がしのばれる。

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武の神様であると言われ、春の大祭は5月3日に御神輿の渡行があり定められた道を子どもの武者行列とともに町内を一巡し親しく町民が拝し崇める。御神輿は金銅七宝装神輿としては国宝に値すると言われている。

8・王杉様

熊岡神社境内に後鳥羽上皇お手植え言われる現在枯木の老杉がある。枯死するまで近江町長沢へ火防の符としてその枝を送られていた。そばを通るとき「お通しやす、酒一升」と口にして急いで通る風習が残っている。

9・名超寺

横山街道から東へ山東の山室に通じる山越え道、名超寺への参道でもある所に下中上の3つの大門があったが、兵火により焼失、中門の土台石がただ一つ現存している。横を流れる河川は後鳥羽上皇お手洗いの川、禊川と呼ばれている。

住職の名超還寂は、明治11年(1878)明治天皇巡幸の際、後鳥羽天皇木像を大津行在所に運び、叡覧を受けました。明治13年(1880)に正還宮を行い、後鳥羽神社と称しました。

後鳥羽上皇が、建久10年(1199)に行幸された際、春日の神を合祀され、それ以降、春日神社と称するようになったといいます。

番所は「ばんふところ」と呼ばれ「乳母が懐」がなまったものと伝えられている。息長家の子孫であった金太郎がこの地で乳母に育てられたという伝説がある。この地に祀られている地蔵さんは「授乳地蔵」といわれ、お祈りをすると、母乳が授かると今も信仰を集めている。

妙立寺は、後鳥羽上皇の祈願所として建久10年(1199)行幸の際、創立されたと伝わります。

妙立寺境内の右奥には、後鳥羽上皇手植えと伝わる「鳥羽桜」があります。

鳥羽桜の奥には御手洗に使ったとされる井戸「岩亀水」があります。

亀岡山上に鎮座する八坂神社は、建久10年(1199)後鳥羽上皇行幸の際、勧請されたと伝わります。

境内の南西に後鳥羽上皇の供養塔とされる宝篋印塔があり、表門入口の衝立式の目隠し塀は、参拝されたゆかりで建てられたと伝わります。

「あいのたにロータスプロジェクト」約3ヘクタールの棚田にハスの花が一面に咲き誇ります。見頃は、7月中旬から8月中旬

神田溜(豊島池)慶長7~19年(1602~14)加田村を治めた代官豊島作右衛門忠次は、干ばつ被害を憂い、山を利用して大きなため池を造り、田畑を潤しました。

長浜びわこ大仏

琵琶湖を背に向けて立つ高さ28mの長浜の大仏さん。夕暮れには琵琶湖から光が差し込み、荘厳な姿が浮かび上がる写真スポットとして有名です。

琵琶湖の夕景

田村山から望む琵琶湖の夕景。展望地から雄大な琵琶湖と美しい水田を走り抜ける電車を眺めることができます。

田村駅レンタサイクル

営業時間:9:00~17:00
料金:普通自転車500円※保証料800円が別途必要
問合せ先:長浜シルバー人材センター
TEL:0749-65-4644