一般向けの解説としてブラックホールは光でも脱出できないという説明を目にすることがありますが、この説明ちょっと誤解を招きやすい表現になっているんじゃないかなと思います。どこが誤解を招くのかということについて書いていこうかと思います。(C0 工藤幹)
この世界のあらゆる物質は光速を超えられない、という要請が現在のところは破られていません。
よって、特殊相対論ではこの事実を要請とし理論を組み立てていきます。この結果、因果律の概念が登場することになります。一般向けの解説の「光でも」という言葉はこの因果律を破ることが出来ないことを意味しています。
また、「脱出できない」という言葉は但し書きとして一度侵入したらという言葉が必要です。
つまり、ブラックホールの境界は相対論的な因果律を区切る境界になっており、絶対的な過去と未来を区切っているために脱出できないということを意味していると思います。
しかし、単に「光でも脱出できない」と書くと一番速い光であってもポテンシャルエネルギーを超える運動エネルギーを獲得することが出来ないために脱出できないように思ってしまう可能性があると思います。
光も脱出できない(一度入ったら)ので問題ないんじゃない?と思うかもしれないですが、光はブラックホール脱出できると考えることもできると思います。
相対論では時間は座標として扱われます。(座標時と呼んでます。)この座標としての時間の他にも運動する粒子が感じる時間である固有時も存在します。
ブラックホールは確かに有限の座標時では脱出できませんが、有限の固有時で脱出することは出来ます。なのでブラックホールの中にもともとあった物質ががブラックホール外側に向かって行くとき、有限の固有時でもって事象の地平面を跨ぐことは可能だと思います。
こう考えると「光でも」という文言は誤解を招きやすいのではないかと思います。
この記事は常々思っていたことを適当に書いただけなので話に穴がっても不思議ではないです。積極的に見つけてください。