SYMPOSIUM 2023
連続講演会「視覚文化は何を伝えるか?」
第1回 「歴史資料としての台湾の彫刻」(2023年5月31日)
中央研究院歴史語言研究所ポスドク研究員 鈴木恵可氏
台湾美術史を研究する鈴木氏は、日本の植民地時代における台湾出身者の彫刻について語った。日清戦争後に台湾が日本に割譲された1895年から、日本敗戦となる1945年までの50年間が対象になる。主に二人の彫刻家の作品と生涯が紹介された。台湾人で最初の近代彫刻家といえる黄土水(1895~1930)。もうひとりは、台湾出身の日本人彫刻家、鮫島台器(1895~1964)。
暗い歴史的背景を脱する台湾美術史再構築の意気込みがにじむ報告であった。
第2回 「絵葉書から見た女性画家」(2023年6月28日)
本学国際社会学部准教授 コウオジェイマグダレナ氏
日本に限らず、歴史上、女性の芸術家は少ない。数が少ないだけでなく、その史料(文字資料)が残っていないことも多く、美術史の中で語られる機会も少ない。そこで、絵葉書に注目する。絵葉書とは人気があった作家・作品であったことの証左でもある。
同氏が対象とした105枚の絵葉書の中では、日本画家が35人、洋画家が22人。なぜ洋画の方が少ないかというと、保護者が娘に油絵を習うことを認めない風潮があったためだという。それに対して日本画は、生け花や茶道、お琴のように、上流階級の子女が趣味として楽しめるというイメージがあったようである。当日はこのような分析、考察の一端を披露してくれた。
第3回 「描かれた戦争」(2023年7月26日)
千葉工業大学教授 河田明久氏
本講演会でいう「戦争」とは俗にいう太平洋戦争を指すが、真珠湾攻撃を境に日中戦争期と太平洋戦争期の2つの時期に分けられる。この2つは全く異なる時空である。前者は何のための戦争かわからないまま総力戦に突入してしまい、戦争の理念がない。後者は戦争の物語が成立し、理念が登場する時期。
戦争理念が登場すると、同じ画家でも描く絵が変わってくる。宮本三郎は「自分は歴史画を書いているんだという意識があった、こんなやりがいがあることがあろうか」と述べている。ついに日本にも本格的な歴史画としての戦争画が現れた。
連続講演会 続「視覚文化は何を伝えるか?」
第1回 「歴史資料としての満州の地図」(2023年10月11日)
九州大学人文科学研究院広人文学講座講師 ヤンユー氏
私たちは、地図(map)を水や緑、道や住宅のある場所が示されている客観的な存在と思いがちである。だが、地図の役割や見せ方は、誰が作るのか、誰が見るのか、何を見せるのかによって大きく変わってくる。
講演会では、ロシア・日本・中国に翻弄される満州地域の地図がいくつか紹介された。そこには、都市計画に携わった権力者たちの考えが入れ替わりながら展開されていった跡が分かるものだけでなく、それ以前やその隙間で生きていた人たちの存在が記されているものもある。
地図は客観的な存在ではなく、作り手の視点が反映されるメディア。普段見ている地図を別の地図と重ねてみると、たくさんの視点が重なって新しい物語が見えてくるのかもしれない。
第2回 「風刺漫画と“新しい女”」(2023年11月15日)
二松学舎大学文学部准教授 足立元氏
日本の女性史上、1911年(明治44年)は重要である。同年、平塚らいてう主宰の女性誌「青鞜」が創刊された。大逆事件で女性が処刑された直後の発刊だ。また、イプセン作「人形の家」が日本で初上演された。主人公ノラが女性の自立を胸に家を出る社会劇。「新しい女」が流行語になった。
一方、1891年に登場した近代的漫画1コマ漫画には、「新しい女」を戯画化のネタとして消費する風潮があった。平塚らが売春の実態を知るため吉原(遊郭)を訪れる漫画では、彼女たちに口ひげがある顔を描いた。その傍らには「日本のノラ」と書き添え、茶化した。
「漫画ジャーナリズムには大きな限界があり、現実のことを伝えきれなかった」
第3回 「作兵衛さんと日本を掘る」(2023年12月13日)
映像ジャーナリスト・映画監督 熊谷博子氏
そもそも元炭鉱夫の山本作兵衛さんの絵はなぜ、世界記憶遺産になったか。ユネスコ世界遺産に筑豊炭田は登録されなかった。その提出資料の中に作兵衛さんの絵があった。オーストラリア人の世界遺産コンサルタントが見て、「素晴らしい」と言い出したのがきっかけだった。
記録映画「作兵衛さんと日本を掘る」を撮るのには7年間かかった。 相手が話すのを待つ。だから時間がかかる。沈黙の時間が長くなることもある。「共感して、待つという姿勢が大事」と強調した。撮りたい人にラブレターを書く、中身のある裸の自分になる、知識をたっぷり蓄える。熊谷氏のドキュメンタリー制作の3原則だ。