人の生き方はバランスです。
「諦念」として、諦めが良過ぎてもいけませんが、
未練(みれん)があり過ぎてもいけません。
「愚念」として、愚か過ぎてもいけないし、
賢いと自分を過信しすぎてもいけません。
「脱念」として、欲求や感情を抑え、活力も出ないほど無気力に
なり過ぎても困ります。
バランスは天秤(てんびん)のように大きく揺れて、やがて吊り合います。
人の心も、それに合わせて大きく揺れます。
人がなかなか悟れないのは、ここに原因があります。
心が落ち着いていれば、欲望の揺れに影響されません。
静かに保てば、振り子がやがておさまるように、揺れは止まります。
動揺(どうよう)があれば、揺れはさらに大きくなってしまいます。
動揺を抑(おさ)える、それらを可能にするのが、
生命神による生命維持のための、自己秩序の形成
意識における自分をとりまく環境への、環境秩序の形成です。
これらをまとめて、自己環境秩序と呼びます。
自己環境秩序の完成が、「悟(さと)った」状態です。
その状態に到達するのは、至極(しごく)、困難です
しかしその状態を模倣(もほう)することは可能です。
あなたの苦しみは何でしょうか?
ただの不快、不満足を、苦しみまで増幅してしまっているのでは
ないでしょうか?
【第7回 生きる指針】において、四つの指針を述べました。
起こった問題に対しても同じです。
静かに(泰然性)、
正確に(整然性)、
厳しく(毅然性)、
穏やかに(裕然性)、
対応するということです。
この「四つの指針」が、自己環境秩序を整え、
その秩序がさらに人の態度を合理的にします。
その秩序は、さらに生命神を成長させます。
成熟した生命神は、人に強く「生きる力」を与えます。
より効果的に、人を守り、癒し、導きます。
人は完璧に、心のバランスをとることは不可能です。
バランスがとれないことを、たえず悔(く)やんでみても仕方がありません。
すべきことをしたら、後は、責任を生命神に委(ゆだ)ねます。
そうすることで、気を休め、気を楽にします。
「論理に従う」
「自分に従う」
「生命神に従う」
「自然に従う」
これらを【悟念四法】と名付けます。