人は、それぞれの能力に応じて、性格を形成します。
そして、それぞれの欲求で行動しています。
欲求は、他人の欲求と衝突(しょうとつ)します。
そして、強い立場の者が、弱い立場の者に勝り、傷つけます。
強い立場の者とは、その場の状況、
またはその後の状況を破壊しても構(かま)わない者です。
たとえば、その状況に秩序を作ろう、または守ろうとしている者は、
その行為が正しいものであっても、弱い立場です。
自己秩序、環境秩序の形成を目指すように、今まで述べてきましたが、
秩序にこだわらない者と対すれば、立場は非常に弱いということです。
傷つくのは、高い意識を持つ方です。
傷つくとは、自分の行為を非難されることで起こります。
自分の存在意義を否定されるためです。
心の中では、自己を正当化しようとする思いが繰り返されます。
怒りや、口惜しさ、後悔、空しさの感情が渦巻(うずま)きます。
自分の方に、明らかな手落ちがあった場合は、非難は正当でしょう。
しかし、理不尽(りふじん)な非難であるため、人は傷つくのです。
一部で、全部を非難される。 完璧を求められ、非難される。
根拠なく、非難される。 観念で、非難される。
誤解から、非難される。 こじつけで、非難される。
結果によって、非難される。 他人のことで、非難される。
しつこく、非難される。 責任転嫁で、非難される。
以上があげられます。
理不尽な者にとって、非難は容易です。
自分の理不尽さに気づかず非難する者と、
自分の理不尽さに気づきながら、それを承知で非難する者がいます。
前者は愚か者であり、後者はずる賢い者です。
生命神の存在に気が付かず、秩序を知らず、
たえず刹那(せつな)的で、不安定の中に身を置く者たちです。
そのような者たちを、まともに相手にしてはいけません。
自分とは、意識の目指すところが違うのです。
そのような者の非難は、気にしていけません。
穏やかな環境にある者は、穏やかな心を維持しやすいものです。
しかし、荒んだ環境にある者は、穏やかな心であろうとしても、
たえず、すぐにかき乱されてしまいます。
人は出来る限り、揺れ動く欲求や感情を無視する必要があります。
そのため、時にはロボットのように振舞うことも必要です。
「人は一人である」
「他者を責めない」
「他者に求めない」
「他者を助けない」
これらを【脱念四法】と名付けます。