人を含むすべての生物は、「生きる力」を持っています。
その「生きる力」がなくならない限り、生物は生き続けます。
生きるとは、”自動的に代謝(たいしゃ)反応を持続すること”と言えます。
「生きる力」は、細胞の代謝の自動化、持続に必要な組織、
器官のすべてによって生み出されます。
その「生きる力」が残っている限り、望む望まないにかかわらず、
生き物は生き続けなければいけません。
人は、自分の行動に目的を持とうとします。
それは、人が、環境に対する対応能力を持っているからであり、
そして出来るだけ、能率的に対応しようとするからです。
行動の目的を明確にした方が、より能率的になります。
人は、生きるという行為(こうい)にも、目的を求めます。
「死ねないから生きている」というだけの理由では、納得(なっとく)できないのです。
人は社会で生活することによって、多くの苦しみ、不安、ストレスを受けます。
日毎、それらを克服(こくふく)しようと懸命(けんめい)に生きて、
その生きている理由が、「死ねないから」では、虚(むな)しすぎるのです。
しかし、人の生きる理由は、「死ねないから」それだけであり、
他に理由はありません。
生命神は、太古からの生命の連鎖(れんさ)から生まれたシステムです。
それはいくつかの偶然から生まれた奇跡の蓄積です。
命をつなごうとする大きな意識があるように見えるところから、
仮想の存在として、生命神と名付けました。
生命神は、生まれたての命に、初めて「生きる力」を与えます。
「生きる力」を育み、守り、癒(いや)します。
生命神もまた、生物の進化、成長に合わせて、進化していきます。
人の生命神は進化して、人の精神面での育み、癒し、守りにも大きな効果を
及(およ)ぼすようになりました。
人は意識を持ち、自己の存在を明確に区別しています。
人の生命神は、精神的な苦しみ、不安、ストレスを解消しようとします。
「生きる力」を精神面にも与えます。
生きる目的があることで、人の暮らしが安定するのなら、
それも作り出そうとします。
生命神は、人に生きる目的を与えました。
それは、本能と、人だけが持つ達成欲求と秩序欲求から生まれました。
次の三つからなります。
過去への経験、成果を求める(豊かさ)
現在の快楽、喜びを求める(楽しさ)
将来に可能性、安定を求める(安定)
人の対応能力は、満たされることを知りません。
過去に、どんなにすばらしい成果をあげていても、人生に満足しません。
現在のひと時の快楽にも、満足しません。
そして将来のあてのない夢に逃避(とうひ)するか、不安に苛(さいな)まれるのです。
生命神は、人の知性の発達に応じて、
さらに、もっと知的レベルの高い目的を、人生に与えようとします。
本能や達成欲求から生まれる目的ではなく、秩序欲求を中心とした、
高い意識の完成、高い意識との出会いを目的とさせます。
それは、人に生まれた新たな欲求、「成長欲求」となります。