自然はエネルギーの循環(じゅんかん)と流れのバランスによって、
秩序を作り出します。
生命神は、人の内部の環境の秩序を作り、守ろうとします。
人の意識は、環境を自分に合ったように変えようと働きかけます。
つまり自分の接する環境の秩序を作り出し、それを守ろうとします。
そのために人は、賢(かしこ)く、鋭く、知識豊かで、
秩序志向(しこう)でなければなりません。
それらを目標として、努力する必要があります。
それは今だ自分が、どの程度愚(おろ)かで、鈍く、無知で、
無秩序であることを知るということです。
自分を必要以上に卑下(ひげ)しすぎたり、また慢心しすぎたりしないように
しなければなりません。
自分というもの、また自分の置かれた状況を、たえず冷静に
評価しなければならないということです。
しかしそれは非常に難しいことです。
人にはプライドがあります。
三大本能の一つである「存在本能」により、人は、自らの存在の価値を
アピールし、その価値のレベルを社会的に守ろうとします。
他者より、または社会的に、自分の価値のレベルが低く評価されれば、
人は屈辱感(恥)を感じます。
そのため、自分の愚かさ、鈍さ、無知、無秩序を、隠そうとしたり、
自分の優秀さを、過剰にあらわそうとします。
つまりよく見られたいという欲望と、軽蔑される不快を避けたいという欲望から
冷静な判断が見失なわれ、不自然な行動を起こすということです。
他人は自分を、好き勝手に理解し、好き放題に評価します。
評価が高過ぎれば重荷になり、評価が少しでも低ければ傷つきます。
他人の気まぐれな評価に、人はどうしても振り回されてしまいます。
人は、他者から「愚鈍(ぐどん)」と思われようとも気にしない、
自らを「愚鈍」であると認めれるくらいの度量(どりょう)が必要です。
そのためにも、次のことを心がける必要があります。
「人は愚かである(愚)」
「自分に多くを求めない(無知)」
「他人を気にしない(鈍)」
「恥じを恐れない(無恥)」
これらを【愚念四法】と名付けます。
では人が守るべきプライドは、ないのでしょうか?
人は、自己秩序、自分の接する環境秩序を守る必要があります。
それらの自分の作り出した秩序が、自分のプライドです。
そのプライドを守るために、自分の内部からの欲求、感情を制御し、
また、外部からの攻撃には、力でねじ伏せます。
社会は、それぞれの構成において、独自の秩序を形成します。
その成熟度も、さまざまです。
その秩序が、自然界の秩序や、生命神の秩序、人の意識の秩序と
相容(あいい)れない、または反発してしまうことが
往々(おうおう)にしてあります。
社会の秩序は、組織化され、システム化やルール化されているため、
自分の秩序などを曲げて、従わざるおえない時があります。
しかしその時こそ、人は真のプライドを捨ててはいけません。
自然の流れに従えない社会の秩序は、いつか破綻(はたん)します。
根気よく、自己秩序の維持を主張すべきです。
たとえ「愚鈍」と思われようとも、自己秩序というプライドを
見失ってはいけません。