生命神は「生きる力」を、生物に与えます。
しかし、それは強いが、非常に緩(おだ)やかに働く力です。
環境によって、生物の構造や、生命維持システムが損傷(そんしょう)を受けたり、
遺伝子の異常によって、機能不全(ふぜん)があると、その効果は十分ではありません。
「生きる力」の効果が働くのに、さらに時間がかかってしまいます。
神経系統の発達した生物は、本能によって行動を起こします。
本能とは、魚類などの、 知覚―認識・記憶―行動反応
爬虫類・鳥類などの、知覚―認識・記憶―欲求―行動反応
哺乳類などの、 知覚―認識・記憶―欲求―感情―行動反応
これらの反応の蓄積が、遺伝子に書き込まれたものです。
本能は、三つに大別できます。
生存本能(生命を維持しようとする)
種存本能(自己または種の遺伝子を子孫に残そうとする)
存在本能(上の本能を補助する、自己の存在をアピールする)
生物のほとんどは、通常、自らを傷つけるようなことはしません。
しかし、上の本能が強く働いたとき、自らを傷つけてしまうことがあります。
生存本能より種存本能が優先すると、自分の体を犠牲にもしてしまいます。
自らを傷つけ、その生物の「生きる力」は弱まります。
本能は基本的に「生きる力」を守り、育てますが、
本能同士のぶつかり合いで、その「生きる力」を弱めてしまうこともあるわけです。
生物に出来ることは、傷を癒(いや)すため、その「生きる力」の効果が戻り、
働いてくるのを、静かに待ち続けることだけです。
ヒトの行動反応は、上の反応方式から、さらに発達したものです。
知覚―認識・記憶―欲求―感情―意識―行動反応
意識とは、ヒトが手に入れた、環境への対応能力です。
今までの生物は全て、環境のなすがままになるだけでした。
ヒトははじめて、環境に働きかけて、それを変化させることが
出来るようになりました。
意識は、ヒトの脳が膨大(ぼうだい)な記憶容量を持つことから生まれました。
それらを使って、ヒトは仮の状況を想定できるようになったからです。
意識は、それらから生まれた五つの機能(知能)から成り立っています。
観察:ものごとの変化の差異を知る。
記憶:ものごとをパターン化して記憶する。
分析:ものごとを分解して整理する。
推理:ものごとの因果を予想する。
創造:新たに、ものごとを組み立てる。
これらを使って、意識は思考ができるようになりました。
ヒトの意識は、存在本能の領域を発達させ、
自尊心、自己顕示(けんじ)力を生み出します。
そして、さらに二つの欲求を生み出しました。
達成欲求と、秩序欲求です。
達成欲求は、環境を自分の望むように適応させたいという欲求であり、
秩序欲求は、環境を安定化して、適応を維持したいという欲求です。
これらの欲求が文明や経済を発達させ、人の生活を安定にしました。
しかし、同時に貧富の差、身分差別や、多くの争いを生み出しました。
さらに文明が進み、社会が発達すると、知識が豊富になり、
精神が豊かになります。
しかし、同時に多くの精神ストレスを受けるようになります。
複雑になった本能や欲求から、人は、さらに多くの苦しみを
感じるようになります。
苦しみから、自らの体を傷つけ、また自分の体を粗末(そまつ)に扱うようになります。
そして、他の生物のように、傷が癒えるのを静かに待つことが出来ず、
悪あがきをして、事態をさらに悪くしてしまうことが多くあります。
人は、生命神の「生きる力」に気づいていません。
欲求と苦しみに振り回されて、自らを必要以上に傷つけ、
「生きる力」を弱めてしまっています。
人は、もう一度、生命神の声に耳をすます時です。