2012年度 しらとり(一部改変)

ぼっち力(旧タイトル「エッセイ」)

2018年11月23日 改変

2012年度 寮務主事補 島袋 勝弥

ごく平凡な住宅地で、これまた、ごく平凡な子供時代を過ごした。メディアで伝えられるような透明感あふれる蒼い海や、白く眩しい砂浜とは、ほとんど縁のない生活を送った。沖縄での生活に、とくに不満はなかった。ただ、当時、子供に大人気だった「週刊少年ジャンプ」が、沖縄では発売日から4日遅れて、土曜日にしか店頭に並ばないことに、田舎さを感じた。他の週刊誌にいたっては、発売日から2週間以上待たされることは当たり前だった。そんな中、多くの田舎の高校生がそうであるように、私も都会への憧れが強くなった。

しかし、すんなりと都会行きを決断できたわけではない。田舎の人間が都会で通用するのか、特に地元志向が強く、平均学力が全国でもダントツに低い沖縄では、そんな考え方が根強かった。「沖縄の人間は、内地では通用しない」と言い放つ人もいた。事実、本土からの転校生達は成績が良かったが、本土では平均的な学力であった。今から思うと、この沖縄劣等感は全く根拠のないものだったが、当時の私には気がかりだった。でも最終的に、私は東京に行くことを決めた。「ここで島を出なければ、一生後悔する」、そう自分に言い聞かせた。今でも、この決断は正しかったと思う。

東京の大学に進学した私は、周りの人の優秀さにビビった。都会に来たことを少し後悔もした。沖縄に戻り、医学部に入り直そうかと考えたこともあった。でも、退学できるような勇気もなく、ズルズルと学生を続けることになった。

家が裕福でなかった私は、奨学金を2つもらいながら、さらに大学の授業料免除も受けていた。学生生活を続けるためには、授業料免除が命綱だった。そのためには、成績優秀でなければならない。死に物狂いに勉強したわけではない。でも、私は大学の講義には、ほぼ全て出席し、成績を上げるようにした。傍目からは、勉強熱心な学生だったが、それは経済的な不安に対する怯えから来るものだった。

大学3年の初夏に、学科長から呼び出しがかかった。大学3年生から、直接大学院に進学してはどうかと、当時では珍しい「飛び級」を勧められた。ここでも私は迷った。当時の飛び級は中途半端な制度だった。飛び級するためには、大学3年で一度中退して、大学院に進学することになっていた。つまり、飛び級で大学院に進学しても、修了できなければ「大学中退」、つまり、最終学歴が高卒になってしまう。あえてリスクを取る必要があるのか疑問だった。でも、田舎の人間としての劣等感を払拭したかった私は、飛び級を選ぶことにした。振り返ってみると、飛び級自体は自分の人生にとって、さほど重要ではなかった。しかし、それを機につまらない田舎の劣等感が消えたのは確かだった。

それなりに苦労があったものの、幸いにして大学院の学位は予定通りに取ることができた。この頃には、日本を出て、海外を体験したいと考えるようになっていた。外国に対するもやもやとしたコンプレックスが、心の中で燻っていた。そこで、後の人生のことも考えず、アメリカに行くことを決めた。しかし、研究がうまくいかず、ほんの2、3年のつもりだったアメリカ生活が、結局6年近くになってしまった。さすがに焦り帰国して、日本科学未来館で、1年間の任期付きの研究者として働きながら、就職口を探すことになった。いくつかの大学から声もかかったが、どれも任期付きの職だったので断った。そうして、どうにか宇部高専で安定した職を得ることができ、現在に至っている。正直、ホッとした。

アメリカ生活のおかげで、確実に英語はうまくなった。でも、もっと良かったことは、日本だろうがアメリカだろうが、人間は同じことを喜び、そして悲しむという当たり前の事実を肌で感じたことだった。そして、私は外国コンプレックスからも解放された。

研究の世界に身をおいたおかげで、「本物の天才」を間近に見ることができた。とてもじゃないけれど、彼らのようにはなれない。「本物の天才」は、どんな場所でも頭角を現してくる。でも、凡人は自分のいる環境に大きく左右される。だからこそ、凡人は成長できる環境を常に、探し続けなければいけない。大前研一さんの言葉だが、自分のいる環境を変えるには、3つ方法がある。

1. 住む場所を変えること

2. 付き合う友人を変えること

3. 生活のリズムを全く変えること

1と2は、学生には実現不可能だろう。もしかしたら、3は学生でもできるかもしれない。

私は故郷の沖縄を出たとき、そして、アメリカに移り住んだときに大きな環境の変化を体感した。新しい生活にはストレスがつきまとう。居心地も悪い。でも、それが成長の証だと信じている。

中学生の頃、担任に「IQの割りには、勉強を頑張っている」と言われたことがある。当時はこの言葉に、少なからず反発も覚えたが、今となっては、そんなものだと思う。ただ、自分には1つだけ他の人よりも優れているところがあった。それは、孤独を恐れない「ぼっち力」だ。だからこそ私は、現状に固執せず、新しい環境に飛び込むことができた。

これから就職・進学する学生は、4月から新しい環境に身を置くことになる。馴染むのに苦労をするかもしれない。居心地の悪さを感じるかもしれない。でも、それは自分が成長をしている証だと思って、踏ん張ってみたらどうだろうか。今の苦労を10年、20年後に笑い話にできるならば、そこには、きっと成長した自分がいるはずだ。