苺を5つ

「うちの子は、もう 百まで言えるようになった」という話を聞きます。

しかし、「百まで言えるようになったこと」≠「百まで数えられるようになったこと」≠「百までの数を理解したこと」です。

百まで言えるようになったことは、単語を覚えたということで算数の力というよりは、国語力がついた方がよいかもしれません。

以前、5年生を担任した時、黒板に「5」と書き、子どもたちに聞いてみました。

「これってどんな数?」

このような質問をされたことがない子どもたちは戸惑っていました。

・・・が、あるいたずらっ子が「5番目の5」と切り出しました。

すると、5あること、5つあることなどの言葉が出始め、7-2の答えなど数式も加わりました。

そのうち場面が複雑化し、「25個の飴を5人で分けた時にもらえる数」と言うようなものまで出てきました。

このように数の構成や分解、序列などができて初めて理解したと言えます。

1年生の教科書をみると5羽の兎の絵が書いてあり、その下におはじきが5つ、そして「5」という数字があります。

大人の目から見るとなんでこんな簡単なことが書いてあるのだろうと思いませんか。

兎の上におはじきを置いて(最近はブロックもありますね)、おはじきの絵に移動してみます。

そうすると兎の数とおはじきの数が同じと分かります。

また、同様に「これは移動しても変わらないのだ」ということも学習します。

他の数でもやっていくことで、どの数も「別のものに置き換えても変わらない」「移動しても変わらない」ということを無意識のうちに思考の中に取り込んでいきます。

すでに大人になった私たちは「あたりまえ」のことですが、こうやって1つ1つ学習をしていくのです。

赤ちゃんがテレビを指差すと「テレビ、テレビ」電気を指差すと「電気、電気」と大人が言うことで、「そうか、あれは、テレビという名のものなのか」ということを意識していきます。

このように大人にとっては知っていて当然で改めてということではありません。

このように子どもは大人が当然と思うようなことを徐々に学習していっているのです。

では、実際に家庭の中では?

次の3つではどれがよいでしょうか?

ア・・・1つ1つの皿などに苺を5つ入れて、「はい、○○ちゃんの分だよ」と言われた場合。

イ・・・大きな器に苺を入れて、好きなだけ食べる場合。

ウ・・・大きな器に入れて、「5つずつだよ」という場合。

もう、ご想像はついたと思います。

アの場合には、数を認識しなくても、皿に載っているものを食べれば済んでしまいます。

イはいくつでも食べられるので、同じく数を認識しなくて大丈夫です。

しかし「5つずつだよ」と言われると「5つ」という言葉に関わります。

そして、5つ以上食べると兄弟や親から「もう5つ食べたじゃない」と言われます。

すると「5つという数があるんだ」ということになります。

そして、次からは「『5つ』というのはいったいどれだけを表すのだろう」と考えながら食べるようになり、他の数も覚えていきます。

そして「数」を覚えていきます。

このように、ただ数が言えることと理解することは違います。

単語を覚えられたことは誉めてあげましょう。

ただ、おとながこれで理解できたと思わないことが大切です。

蛇足ですが「数」と「数字」の違い。

小学生でも難しいものです。