茶碗を持って食べること
給食を食べている児童の姿を見ていると、口が器に行く子が多いことをいつも思います。
また、1つの入れ物を全て平らげてから、次の器の食べ物に行く児童も目立ちます。
要は、「箸とは反対の手を使わない」「茶碗を持たない」ということです。
また、箸の正しい持て方ができない児童も増えてきました。
というよりも、ほとんどの児童が持てないと言った方がいいような現状です。
これらについては、以前から様々な議論がありました。
私が知っている中で学校給食に関連付けられたものがあります。
初めに茶碗を持たない、俗に言う「犬喰い」の児童についてです。
これについては、給食の食器の素材がアルマイト(やや金色がかったやかんや弁当箱に使われていた金属)であったことが言われます。
「熱くてもなかったから、置いたまま食べるようになり、犬喰いになった」という説です。
しかし、私はこれについて疑問があり、更に現在陶器に代わったことでの弊害も出てきています。
初めに疑問に思ったのは食事の回数です。
1週間を考えてみると3食×7日間で21食。
そのうち給食は月曜日から金曜日までの昼食のみの5回。
4分の1の食事がそれほど影響するでしょうか。
2点目は「熱さ」です。
自校式の給食は確かに温かいものが出ます。
大きな触感に入っているものは、触ると「熱い」です。
しかし、給食当番が配ぜんしています。
これは「素手」で持っています。
また、席について全員の配膳が済むまで待っています。
この間に「温かい」けれど「熱い」給食ではなくなります。
当番の児童が配ぜんで持てる食器をその後に食べる児童が「熱くて持てない」でしょうか。
こう考えただけでも「食器が金属で熱くて持てないから犬喰いになった」という説は疑問に感じます。
しかし、何か原因はあるだろうといろいろ調べたり、考えたりしました。
そこで、気づいたことが2点あります。
1つは、食文化です。私が子どもの頃は、まだまだほとんどの家庭の主食が白飯でした。
そのため、白いご飯だけでは味がないのでおかずを持ってきて一緒に口の中で頬張る事で食べていました。
そのためには、器から口までおかずを運ばなくてはなりません。
ところが、そのままでは途中で汁がたれたり、こぼしたりする可能性があります。
それを受けながら口に持ってくるのが茶碗でした。
最近は、白飯だけでなくパンのご家庭も増えてきましたし、パスタやドリアなどもあります。
これらは、外来のものなので器をもたずに食べるものが沢山あります。
また、パエリアのように小皿に取り分けて自分だけで食べるものもあります。
このように「器をもたずに食べる文化」が日本に入ってきたということも大きな理由でしょう。
(韓国では食器を持つことの方が礼儀に反すると聞きましたが…)
ところがここでまた疑問が出てきます。
シチューやパスタ、これらを食べる外国の文化でも口が器につくのではなく、器の上に口が行き器から口まで運んで食べています。
そこで、気づいたのが「卓袱台」や旅館などで一人一人に出る「膳(時代劇でお侍さんが床に置いてますよね)」です。
戦後徐々に外国文化が日本に入ってきました。
それと同時に手間がかかる畳よりもフローリングの部屋が増えてきました。
合わせて食事にはテーブルです。
最近は、幼児用の高い椅子や机に引っ掛ける形の椅子なども普及してきました。
しかし、それまではどうだったでしょうか。
多少のクッションなどを置いてあったとしても、子どもの少し下から、胸ぐらいにテーブルの天板が来ていなかったでしょうか。
また、糸底がない食器や陶器、磁器に熱いスープが入るなど(味噌汁のお椀は木ですから熱が伝わりにくいので熱くないですよね)、器やメニューの多様化なども加わっています。
給食などとは違い家庭では熱々の食事が出ることもありますね。
これらを総合して考えると、食文化の変化がもたらしたと言えないでしょうか。
先に上げた卓袱台や膳だと、低過ぎて口を持っていけません。
また、シチュー皿のように大きな食器は日本にはもともと無かったものですから、食器の上空に口を持って行ったのではたれたものがどこに落ちるか分かりません。
そうなると当然器は持たなくてはならなくなります。
また、食べ物が熱くなく、糸底が付いていれば、器が持てないということもありませんよね。
食べ物は熱くないと美味しいと感じないものもたくさんあります。
それをわざわざ冷めてから食べる必要はないですね。
となると、糸底の付いた食器を使い(特に茶碗とお椀)天板がおへそ当たりに来るよう食器を置く場所の高さを調節してみてはいかがでしょうか。
できれば早いうちに…