親に気を遣う…
ダウンタウンの松本人志さんが作詞し、牧原敬之さんが作曲した「チキンライス」という曲を聞かれた方もたくさんいらっしゃるでしょう。
その中に「親に気を遣っていたあんな気持ち 今の子どもに理解できるかな?」という一節があります。
私はそれを聞く度に「遣っているんだよなぁ」と思います。
チキンライスの中では、貧乏だったから好きなものを注文したら二度と連れてきてもらえないような気がしてということになっています。
これは親に気を遣っていたというよりも、自分がまた連れてきてもらえるようにしていたということも含まれていますね。
これとはまた違った意味で、「気を遣って」います。
「おうちの人に喜んでほしい」「おうちの人を悲しませたくない」というように…。
「悲しませたくない。」というもの最たる悲劇は、「いじめられている」ということでしょう。
「自分がいじめられていると知ったら、家の人はどんなに悲しむだろう。」と思うと言えないのです。
これについては別に譲るとしましょう。
よい意味では、「家の人が応援してくれるから、運動会でがんばって走ろう。」というようなことになるのでしょう。
これが、反対にプレッシャーになる子がいます。
「家の人が1位を願っているから、1位にならなければ。」というような場合です。
このような時に具体的な目標はプレッシャーになることが多くあります。
今、いろいろな役割を避けて通る子が多いのはこのせいでしょう。
「成功という結果」を望まれるからです。
それに比べて「意欲」という目標は、「やる気」で達成できますから、自分自身が満足することで達成できます(嘘をついてごまかすこともできるかもしれませんが、いかに信じてあげるかでしょうね。そして、裏切った場合にどれだけ悲しむかを知っていれば大丈夫でしょう)。
ある養護教諭から聞いた話には、こんなこともありました。
その子は、朝から熱がありました。そこで、家の人にお迎えのお願いをするため電話をしようとすると「電話しないで。」というのだそうです。
理由を聞くと「家の人の給料が減っちゃうから」「家の人に怒られちゃうから」というのだそうです。
以前、お迎えに来てくださったときに、その子の前で「これで給料を減ってしまう」「学校はこの分を保証してくれるのか」という発言をしたのだそうです。
これが筋違いだとこの子自身も思ったのではないでしょうか。
きっと教諭にも気を遣っていたのだと思います。
このように子どもは、一生懸命家の人に気を遣っています。
いい意味でも悪い意味でも。
いい意味で気を遣えるようにしていくことが他の人へのよい心配りにつながっていくのではないでしょうか。