患者さんの声

International OCD Foundationが発行するニュースレターより、

患者さんの手記を翻訳・掲載しています。

トピックス

・OCDとスピリチュアリティ

・妊娠中と産後OCD

OCDとスピリチュアリティ

スピリチュアリティ:精神疾患に対する本質的な治療

「誰が知っているというの?誰も知らないでしょう?」10年前に、ユダヤ人の親戚が私に吹き込んだフレーズです。私の精神疾患を治療するのに、スピリチュアリティが最も強力で、最も長続きするなんて、誰が知っていたでしょうか?傷づいた精神を取り戻し、高め、不安やパニック、うつを落ち着かせるなんて誰が知っていたというのでしょうか?」

1982年、29歳のときに私はひどい神経衰弱に罹り、精神科病棟に6週間入院しました。生きていくのが恐ろしくなりました。恐ろしい?いえ、もう恐ろしさを超えていました。

1982年、私が完全に発症したとき、洗浄、確認、数唱、誰かを傷つけてしまうのではないかという強迫観念など、よく知られたOCD症状が見られました。私が経験した主な症状は、菌と汚染に対する恐怖でした。菌が移る、または菌に感染する恐怖から、誰にも触れられませんでした。毎日9時間かけて手を洗い、バスルーム儀式に毎日4時間を費やしました。目に入るもの全てに恐怖を抱き、私はそれらに飲み込まれそうでした。

仕事、人づきあい、住まい、生活を失いました。そのとき精神科医に、あなたの人生にとって最高の旅になるでしょう言われたのを覚えています。私はこう聞かずにはいられませんでした。「その旅はいつ終わるのですか?その最高の旅ではいつ安らぎを見出せるのですか?いつ全てを止めらえるのですか?止められるのならば何をしても構いません!」

抗不安薬の効果が見られたため、曝露反応妨害法(ERP)という長い道のりを歩み始めました。症状の緩和に役立つERPを進めていきましたが、私の感情的な生活のバランスを保つのに何があるというのでしょう?ストレスが多い生活、そのような恐ろしい生活に戻ると、安らぎや平和をもたらすのに何があるというのでしょう?ERPが今まで考えたこともなかったアプローチだということはわかりました。ウィスコンシンからやってきた優秀でリベラルなユダヤ人の少年は、スピリチュアリティの世界にまさに入ろうとしていました。

ここで話しているスピリチュアリティとは、宗教上のことは全く表していません。宗教団体でも宗派でもありません。壊れてしまい、ダメージを受けた精神を取り戻すのがスピリチュアリティなのです。私の精神は思い切った修復を必要としていました。精神科医から「普通の人のように」生きることを提案されたとき、すべてが始まっていたのです。彼は12ステップグループを私に勧めました。

その当時、OCD患者の会は、私が住む地域にはありませんでした。医師は、アルコール依存者の家族会(Al-Anon)に行ってみてはどうかと言いました。私は彼にこう伝えました。「ちょっと待ってください。わからない。私にはアルコール依存症の家族はいません。それなのになぜ先生は私にAl-Anonを勧めるのでしょう?私はOCDです」。医師は椅子に深くこしかけ、穏やかに微笑みながらこう言いました。「12ステッププログラムの初めのステップは、一つの言葉以外は同じように解釈できます。例えばAl-Anonでは「私たちはアルコールに対して無力だった-自分の生活を管理できなかったことを認めます」というでしょうし、12ステップのグループでは「私たちは物に対して無力だった-自分の生活を管理できなかったことを認めます」というでしょう。医師はそれから、中立的な眼差しで穏やかに私を見つめ、こう尋ねました。「ジム、今の生活のなかで、あなたは何に対して無力ですか?」私は答えました。「私の抱いている恐怖、OCDです」。彼はそれに同意し、続けて現実的な質問をしました。「どの段階においても、あなたの生活は管理できないのですか?コントロールできないのですか?」私は少し考えました。そうか!やっとわかりました。私はOCDによって生じる恐怖をコントールできなかったのだ。そのために私の生活は混乱していたのだ。医師はそれから決定的な質問をしました。「ジム、最初のステップとして、『恐怖』を一言で言い換えてくれますか?」

それから水曜日の夜は、最初の12ステップミーティングに参加しました。ミーティングの初めから、このプログラムと「Let Go, Let God(あなたを困らせること、人生に混乱を起こしたことを手放しなさい。そして、神にそれをまかせなさい)」.のような私には全く意味のないスローガンや信念に対して抵抗感を抱きました。私の脳は静かに悲鳴をあげました。「あれは一体何を意味しているのだろう?」

精神科医との面接で私はこう尋ねました。「Let Go, Let Godとは、一体何のことでしょうか?」彼はこの日私が伝えた言葉で答えました。はっきりとこう言ったのです。「すべてが意味していること、それを『考えすぎないように』ということです」。

何を考えすぎないように?それは自分で決めていたことなのに。源流、宇宙、海は、私のなかでは偉大な力。私が選んだもの。人生の一番初めは、私はとてもとても静かで口は閉じていました。私のなかでは、言い争いは許されませんでした。そしてついにひらめいたのです。数十年間、私は人生を生き抜くことよりも、人生そのものについて深く考えようとしていました。

それから 私の脳は突然判断モードに変わりました。医師の言葉は、恐怖症の人にはあまりに単純に聞こえました。私は乗り気でない声で、医師にこう伝えました。「それを考えすぎないようにするのですか?それで?」彼はスピリチュアルな概念を変えて、人生について答えました。「それから気分や恐怖感のコントロールから解放するのです。それらをしっかり受け止めて感じてください。人生は感情をコントロールすることではなく、恐怖感も含めた全ての感情を抱くことなのです。」

あなたが、Miraclesのコースである12ステッププログラムを通して、またはMelody Beattie、Wayne Dyer、Deepak Chopra等の作家たちによるスピリチュアリティに関する膨大な本やテープを通してスピリチュアルワークに夢中になっているときに、あなたが身に付けたことをコントロールするとは、とても奇妙なパラドックスです。パラドックスとはこういうことです。「コントロールを諦めさせ、それを考え過ぎないようにすれば、コントロール可能になる」。奇妙な話ではないですか?信じられませんでしたが、やってみました。するといつでもうまくいくようになったのです。

ある水曜の夜、私は12ステップミーティングに参加していました。この特別なミーティングでは、部屋の角に座って編み物をしている高齢の女性がいました。彼女は決して話さず、話をただ聞いているだけでした。彼女は感じのいい、心優しいおばさんで、部屋の角で編み物をしているMayberryのベアおばさんに少し似ていました。彼女は毎週、毎回、同じ場所の同じ椅子に座っていました。私がいかにひどい日々を過ごしていたのか話していたその晩でした。私は不安や儀式や強迫観念でもういっぱいでした。それらに疲れ果てて気が狂いそうで、イライラしてものすごく怒りました。するとおばさんは数か月ぶりに手を挙げました。彼女は話すようにと言われました。

ベアおばさんの口から出てきたことは、私が今まで聞いてきたなかで最も重大なことでした。彼女は静かに言いました。「あのね、自分がいいと思うときに始められるのよ」。部屋は静まりかえりました。しばらくの間、とても静かになりました。「どうやって自分がいいと思うときに始められるのですか?」私にはわかりませんでした。自分自身に尋ねてみました。「もし午前7時から午後11時まで不安で、12時にベッドに入ったとしたら、午後11時から12時までの間に始めなければいけないとういうこと?!」彼女は静かに答えました。「そのとおり」。そして編み物にまたとりかかりました。

ベアおばさんは、もうベアおばさんではありませんでした。私のリーダー的存在でした。

私が感謝についてわかり始めたときでした。私はひどく不快な日々を過ごしていましたが、それが何時であろうと、また一日を始めればいい、良い一日が過ごせたことを宇宙や神に感謝しようと、私はあえて決断しました。私はその感謝を基に歩み始めました。たぶん次回は2~3時間は大丈夫。なぜなら私の態度は感謝にとって変わったので。与えられたその瞬間から一日を再び始めてみよう。なんていい考え!与えられたその瞬間に私の精神をもう一度築いてみよう。なんて素晴らしい贈り物!与えられたその瞬間に力を取り戻し、不安な気もちを感じて、その気持ちが去るまで待とう。

スピリチュアリティをあらゆる形でOCDの治療やOCDからの回復に活かすことで、私の人生は完全に変わりました。私たちの多くが必要としている治療法は不足していると思います。それは人生を歩んでいくためのツールとして提供されました。3年生の「精神的思いやり」に関する授業に出られたらよかったのに。私たちの大多数は、スピリチュアリティに付きものの宗教なしに、スピリチュアリティに関して教えられることは決してありませんでした。内面から自分の人生をどのように見つめるのかをもう一度学ぶことは、私がこれまで経験したなかで最も強力な治療でした。

回復までの道のりで、私はCBT、ERP、薬物治療、12ステッププログラム、スピリチュアルに関する本やテープ、そしてOCDから回復するための講義などの治療を続けます。あなたは自分が何を学ぶ必要があるのか、自分に教えるのです。全ては私が人生をとり戻すのを支えてくれましたが、精神的要素が最も強力でした。最初のスピリチュアリティはニューエイジのようでしたが、実際には古い世代のもので、何世紀にもわたる哲学を基にしていました。そして現在は私たちのようにゆっくりと学習していく者に受けいれられています。信念は、私たちの生態を変えるための最強なダイナミックスの一つでした。私の心は今、人生のすべての可能性に対して開かれています。

私の気に入っているスピリチュアルな言葉に「学ぶ用意ができたとき、師は現れる」があります。治したいと思ったとき、全ての新しいコンセプトがやってきました。そしてどうなったかって?回復にむかっていきました。

スピリチュアリティ-誰が知っているというの?誰も知らないでしょう?

(訳:小林由季)

Spirituality: Real Medicine for Mental Illness

By James Callner

OCD Newsletter Spring 2010

Research News

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妊娠中と産後OCD

悪夢のような生活:妊娠中と産後OCD

私には強迫的な傾向があり、いつも「心配症」でした。長女のケイティを妊娠すると、私の不安は広がっていきました。車に乗ること、道を渡ること、低温殺菌処理していないチーズを食べることが恐ろしくなってきました。まだ生まれていない赤ちゃんに、そのどれもが害になるのではと思ったからです。長女が一歳を迎えたときはいつも不安でした。鉛系の塗料や洗剤製品、薬、腐った食べ物など、ほんのわずかでもケイティがそれらに触れると、私は不安で体が固まりました。彼女が危ない目にあうのではないかという不安を和らげるために、インターネットを何度も検索しました。さらに、友達や家族、医師、そして彼らにとっては頭痛の種だったでしょうが、中毒事故管理センターのオペレーターにも保証を求めました。アリゾナでの休暇前には「汚染された」服を何度も洗い、洗うことに何日も費やしました。アリゾナ滞在中に私は不安に襲われ、緊急治療室(ER) へ自分で車を運転して行きました。OCDを治療するため、すでにセラピーは受けていましたが、緊急治療室に自分で行ったのはOCDを自分でコントロールできないからで、自分は医療をまだ必要としていると実感しました。旅行から戻り精神科医にセレクサを処方してもらいました。セラピーと並行して抗うつ薬を服用したところ驚くほど効果がみられ、1年後には調子が戻ってきました。

OCDの症状が落ち着いていたため、二人目を妊娠する前にセレクサの服用を止めました。妊娠中の服薬が恐ろしくて、SRIの服用を止めるのは正しい選択だと思ったのです。予想通り妊娠第二期に、幼い長女やまだ生まれていない子どもを傷つけてしまうのではないかという強迫観念に再びとりつかれました。自分の非合理な考えに向き合うのは難しいことでしたが、妊娠第三期までに何とかその考えに向き合えるようになりました。自分が心配していること(3歳のケイティをわざと傷づけるかもしれない)は、ありえないことだと受け止められるようになりました。私は、2001年に5歳の実子を殺したAndrea Yates のようだったのでしょうか?私は気が狂ったのでしょうか?私の思考は恐ろしいものでした。ケイティに一杯のリンゴジュースを与えることは、弾薬の入った銃を彼女に持たせるのと同じくらい不安に感じるのです。コップにジュースをつぐと、「私は何をコップに入れた?食器洗い用の洗剤がここにあるけれど、本当にジュースをついだ?それとも洗剤ボトルも持ってそれをついだの?」と考えます。5分間コップの中身を嗅いで目で確かめると、私はジュースを流しに捨てて、コップを取り換えます-何度も何度も。容赦なく、侵入的にやってくる思考は耐えられませんでした。それでも入院に至らなかったのは、週に6日、自分を追い詰めるため強制的に水泳をしていたからだと私は思うのです。

自分の子どもを殺したいなんて本当にありえないことです-ケイティを誰よりも愛していましたから(もちろん今もですが)。彼女を危険から守るためなら地の果てまで行けるでしょう。子どもが何か危険な目にあっているのではないかと私が考えているときにそれを指摘してほしいと、セラピストや精神科医に何度も頼みました。ついに、ケイティを傷づけてしまうのではないかという恐怖感があまりに高まり、病気を自分で管理できるようになるまで、娘を別の州に住む姉に預ける手はずを整えました。その当時、セラピストや精神科医からは娘を預けないようにと勧められていました。彼らは、ケイティと長い間離れることが私に悪影響を及ぼさないかと心配していましたし、私がケイティにとって本当に危険であれば介入すると断言しました。実際私のセラピストは、「あなたがケイティを傷つけないことを確信しているし、あなたに私の息子の世話をお願いするわ」と言いました-現実的な解決法ではありませんが、セラピストのその話から、彼女が私を信用し、私を正気だと思っていると確信して、大変心強く感じました。OCDの侵入的思考に苦しむ人によくあるように、私は「切れる」ことや、突然理性を失い、恐ろしい考えのままに行動することが不安でした。セラピストや精神科医は、Bruce Hymanの著書であるThe OCD Workbook に書いてあるように、恐怖が私を精神的に苦しめていることや、OCD患者に実際に見られるような、この「切れる」ことに対するエビデンスが全くないことを理解していました。二人は私を信用していたので、ケイティと私は一緒に家に残ることになりました。

精神科医は、私の子育てがOCDのために大きな支障をきたしていると気付き、セラピーの継続と服薬の再開を強く勧めました。OCDに私が飲み込まれそうになっていたときでさえ、お腹の胎児に薬の悪影響はないかと私は恐れていました。まだ生まれていない子どもに対して過剰に心配になり、子どもを傷づけるかもしれないなんて-その危険性がどんなに低くても-考えもしませんでした。そしてこのような危機的な時に、それは本当に偶然起こりました。IOCDFニュースレター2006冬版の最初のページで、「子どもを愛しているけれど…:子どもを傷づけてしまうのではないかと考える両親」というFred Penzel 医学博士の記事を読みました。Penzel医師はその記事のなかで、OCDにより生じる全ての問題のうち、自分の子どもを傷つけてしまうのではないかという強迫観念が生じる問題が最も辛いことだと述べていました。さらに続けて、彼がこれまで診察してきた患者のうち、不安やうつ状態の人の多くがこのような状態だったと述べていました。Penzel医師の記事は私にとって転機になりました。つまり、私の状況はまさに生き地獄だと彼が正当化したのです。「赤ちゃんが生まれてくるまで気持を楽にしないといけません。もし幼児に毒を与えるのではないかと常に心配していれば、どうやって哺乳瓶を準備するつもりですか?」、そのような精神科医からのコメントやPenzel医師の記事が、妊娠中に服薬を続けるのは必要なことだと、ようやく私に許可を与えてくれました。抗うつ薬が胎児に与える潜在的リスクについて、その全ての事実を把握するなかで、母親の不安が胎児に悪影響を及ぼすことについて学び、私はプロザックを服用することに決めました。妊娠中のOCDに対処するために服薬を選んだことは、私にとって、つまり私の子どもたちにとっても、とても有益な選択だったとわかりました。

偶然にもFred Penzelの記事で、私は初めて「産後OCD」について知ったのです。けれども私自身の状態と産後OCDは、長い間結びつきませんでした。というのも、私の症状は妊娠中に生じたからです。産後OCDなどの不安障害は、知らないうちに従来の「産後」期間に多く生じる可能性がありますが、妊娠中にもよく見られました。父親も同様にその影響を受けます。Jonathan Abramowitz のBeyond the Blues: Postpartum OCD(憂鬱を乗り越えて:産後OCD)によれば、新米両親の多くは、時々恐ろしい考えを抱きます。彼はこう述べています。「(OCDの治療を受けていない)新米の母親のうち80%は、不快で、非常識で、受け入れられないような、望ましくない考えがあると報告しており、この考えは産後OCDの母親が述べている考えと似ている」彼はそれに続けて、新米の健康な父親のうち、少なくとも66%は同様の望ましくない考えを抱いていると述べています。OCD患者はこれらの考えそのものに高い価値を見出し、それが大変な苦痛となり、その不安を抑圧しようとします。その一方OCDではない人たちは、その考えがでたらめで奇妙だと大抵わかっており、我にかえって、その考えをただの取るに足らない精神的な雑音だと捉えることができます。

国際産後サポート(www.postpartum.net)によれば、出産に関係するメンタルヘルス問題への認識、予防、治療の促進にNPOが携わり、産後の気分障害に苦しむ新米の母親(年間約60万人のアメリカ人女性)のうち約15%にメンタルヘルスの問題が見られると言われています。その問題には比較的多く公表されてきた産後うつも含みますが、産後不安障害やOCD、心的外傷後ストレス障害、パニック障害も含まれます。残念なことに、多くの女性、彼女たちのパートナー、そして医療専門家でさえ、あまり知られていないこの悲惨な状況については限られた知識しかありません。さらに悪いことに、OCDの母親のほとんどは助けを求めることを恥ずかしいと恐れており、その状況は一般的なことで治療可能だとは認識していないのです。問題の一端は、産後OCDの症状は特に紛らわしいということや、メディアが産後OCDは珍しいが非常に危険で、産後精神病として知られていると騒ぎたてるために、新米の母親が恐がっていることにあります。OCDも産後精神病も奇妙な考えがわくのは事実です。けれどもこれら二つの類似点はそれのみです。産後精神病では、奇妙な思考はその女性の現実としてあります。産後OCDでは、女性はとても悩んでおり、苦痛にさせる思考は非合理的であり、赤ちゃんが実際に危険な目にあうことはほとんどないと認識しています。けれども母親には信じ難いほど悪影響を及ぼします。つまり、OCDによって、彼女自身や彼女の赤ちゃん、家族を大切にする能力は、厳しく制限されることが度々あります。少なくとも、OCDは母親から親であることの楽しみを奪ってしまいます。私もまさにそのとおりでした。

薬物療法や水泳、そして認知行動療法(CBT)、これは考え方と行動が気持にどのように影響するかに焦点をあてる心理療法ですが、それらを終えて数カ月後に私は再び動けるようになりました。一年後には本当に調子が良くなりました。私の経験において、適切な治療を受ければ母親はOCDをうまく乗り越えられるし、日常生活を取り戻すことができると証明されました。現在5歳と8歳になる私の娘たちは、健康で幸せです。私が受けた専門的なケア、家族や友人からのサポート、IOCDFのような機関へのアクセス、そして私自身の厳しい試練と決断により、OCDはもはや私の人生を支配しなくなりました。この経過を通して、私は最高の贈り物を再び手にいれました。それは人生における楽しみと、母親としての務めです。

(訳・小林由季)

Living a Nightmare: OCD in Pregnancy and the Postpartum Period

By Kristin Burgard

OCD Newsletter Spring 2011

From the Front Lines

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