魯迅『阿Q正伝』

読書さとう

私は中国をまず理解するのには、魯迅の小説を読むのがいいのではと思ってきました。まず私は岩波文庫で竹内好の訳で中学2年で読みました。その後、高校生でも大学生でも再び読んだものでした。

だが魯迅を理解するのには、実に時間がかかってしまうものだと思っています。私も何度も読んできて、そして社会人になり、今の今になってまた読み返してみて、そのたびに、新しい魯迅に出会っている気がしてしまいます。

私はときどき飲んで独りで道を歩いているときに、「跡取りなしの阿Q!」などとつぶやいてしまうことがあります。

魯迅の「阿Q正伝」の中の出来事です。面白くないことのあった阿Qは通りかかった若い尼さんをからかい、頬をつねります。そのときにその尼さんが、泣きながらいうのが、このセリフなのです。この出来事は阿Qにとって大変なことになってしまうのです。

尼さんは女であり、その頬はすべすべしていました。だから彼は眠れなくなってしまいます。彼は「女、女、女」と考えてしまう。そして、ついにふらふらと趙旦那の女中の呉媽に迫ってしまい、大変な折檻を受けてしまいます。だが、ここで大事なことは、最初の「跡取りなしの阿Q!」という言葉の中にあるのです。

「跡取りなしの阿Q!」

阿Qの耳に、またもこの言葉がひびいた。ちがいない、と彼は考えた。女がいなければいけない。子が、孫がなかったら、死んでから誰が飯を供えてくれるか……女がいなければいけない。

ここのところをよく読んでいかないと、この小説は判かりません。中国人は祖先崇拝の宗教であり、現世中心なのです。だから、死んでもやがてこの世に帰ってこられます。だが、あの世に行っているときには、子孫が飯を供えてくれなければあの世で飢えてしまうのです。だから跡取りなしは怖ろしいことにまります。そしてその子孫とは男子の子どもだけなのです。だから阿Qがついふらふらと呉媽に「おらと寝ろ」と迫ってしまうのは、ただ女の体が欲しいというのではなく、俺の子ども、俺の子どもの男の子を生んでくれといっていることなのです。

この「跡取りなしの阿Q!」というところが、高橋和巳の訳では「チョンガー阿Q!」となっています。竹内好の訳文を前に悩んだ高橋和巳の姿が想像できてしまいます。だがどうみても、これは竹内好の訳でないと、阿Qの苦惱は伝わってきません。

これが中国の「家」の制度です。朝鮮半島の国々まではこの制度をそのまま取り入ました。幸運なことに、我が日本はこれに習いませんでした。なんと幸運だったろうと思ってしまいます。

以前朝日テレビで韓国の若いOLたちの結婚感を聞いていたことがありました。この日本ではけっして理解しにくいことに、韓国(北朝鮮も)ではけっして同姓の男女は結婚しないというです(これは法で決まっています。ただし同姓でも結婚をしていい姓同士もあります)。韓国も、そして中国も、我が日本のように姓は多くないのですから(いやむしろ驚くほど少ない)、これはどうしてなのだろうと思ってしまうところです。そのときのキャスターの久米宏が、「でもひとめ好きになって、そのあと実は同姓だったということがあるのではないか」という質問をしたのですが、「絶対にありえない、自分の兄弟に恋してしまうようなことだから、ありえない」とそのときの若い女性たちは答えていました。このことを、私たちは充分に理解できるでしょうか。姓が同じなら、みんな兄弟のような同族なのです。そして私たちには不思議なことに、これは男子を直系とする一族であり、自分の母親は同じ一族ではないのです。男女は結婚しても別姓のままであり、相手の家には入らないのです。私の古い友人で、中国人同士の夫婦がいますが、どちらも姓が違います。魯迅を読んでいた私は、「成るほどな」と思ったものでした。

このことが、「阿Q正伝」の第1章に序文として書かれています。なんでこんな物語の展開とは関係ないようなことをくどくど書いているのだろうと思ってしまう人もいるかもしれません。だが、ここは大事なところになります。ここを読み込まないと、魯迅が阿Qを書く気持は判らないのです。

吉川英治「三国志」に、諸葛孔明が登場するあたりで、「諸葛」という二字姓は中国では珍しいと書いてあります。そして中国では姓の数は日本とはくらべものにならないほど少ないので、姓からその一族のことは出身地等が判るようです。そして同姓同士なら必ず系図をたどれば、関係してくるはずなのだ。だが阿Qはそもそもその姓がわからないのです。一時は「趙」というのではないかといわれますが、趙旦那に

「おまえが趙であってたまるか………おまえみたいな奴が、どこを押せば趙といえるんだ」

といわれ、殴られてしまい、阿Qは「趙」ではないようです。作者も

で、私も結局、阿Qが何という姓であるのかわからずにしまったのである。

といってしまいます。だがこれでは、中国人である阿Qにとっては大変に困ることであるはずなのです。

阿Qはしかし、名前のほうもはっきりしない。だから音から「Q」という字をあてているわけです。

私が、いささかみずから慰めうる点は、片方の「阿」の字だけは、極めて正確なことである。

いったい、何ということでしょうか。この「阿」というのは、日本でいえば、「お梅」とか「お芳」などと名前を呼ぶときの「お」にあたるだけなのです。

こうして阿Qという人物は、その存在自体が中国人にとってはさっぱり分かってこない存在になるのです。そしてこの時代、この阿Qがそれこそ中国全土に大勢いたことになるのです。

こうした姓も名前もあやふやな阿Qの「正伝」を作者は書いていくわけです。でもそもそもこの「正伝」とは何でしょうか。このことがまず最初に触れられています。

伝の名目はすこぶる多い。列伝、自伝、内伝、外伝、別伝、家伝、小伝……だが惜しいかな、どれもピッタリしない。

阿Qのような人間は、どのようにも扱いようがないのです。だが作者はその人物の「正伝」を書くことにします。これこそが魯迅の愛なのだと私は思ってしまうのです。

最後に阿Qが処刑されるときには、多くの大衆はただ見物するだけです。誰も阿Qのことを悲しんだりしません。そして阿Q自身も特別嘆いたりするわけでもないのです。おそらくこうしたたくさんの阿Qがいたことでしょう。そしてこの日本にもこの阿Qは大勢いたわけなのでしょう。だが今はもうやっと違う時代になりえてきたと思っています。たくさんの阿Qの子孫たちは、少なくとも、自分の命と自分の生活こそが第一義的に大切なものだという考えをもつに至りました。阿Qであることをもう拒絶しているのです。「跡取りなしの阿Q!」も今はもう昔の物語になってしまうのでしょう。

それにしても魯迅は何度読んでみても常に新しく感動してしまいます。もし中学生、高校生の人がいたら、是非ともいまのうちに、この魯迅の「阿Q正伝」の載っている「吶喊」を読んでおいてほしいと思います。そしてまた何年かたってまた読み返してほしいのです。きっとそのたびに魯迅の世界は違ってみえてくるはずです。(私はこれを1995年に書いていました)。