ウンベルト・エーコ『薔薇の名前』

読書さとう

この小説は、1993年くらいに読んでいました。創元文庫で河島英昭の訳でした。

ショーン・コネリー主演の映画も見てみました。だだし、あの映画だけ見たのでは、この話は理解できないのではないのかななんて心配になりました。

中世北イタリアの修道院が舞台です。雪の降る季節、寒い山上の男だけの古く大きな僧院で起こる殺人事件を、主人公であるウィリアムスとその弟子アドソが解明していこうとします。だが殺人事件は次から次へと起こります。

当時のローマ教皇と神聖ローマ帝国皇帝との対立、ならびに教義上の闘いが、この話に大きく関わってきます。この山上の僧院でも、ローマ教皇側の使節団と、ローマ教皇から異端とされたフランチェスコ会の会談が開かれています。その会談の中でも殺人事件が起きていくのです。

この主人公のウィリアムスは、フランチェスコ会の修道士であり、イギリスのロジャー・ベーコンの弟子と言っています。まさしく、ローマ教皇側からは異端だという烙印を押されてしまう立場であるわけです。このことが、殺人事件を解明していこうというウィリアムスの動きにも、いろいろと足かせがかかりそうになるところです。間違いなくウィリアムスもアベラルドゥルスの唯名論へのシンパシイを感じている自然科学者だったのでしょう。

アベラルドゥルス(フランス名アベラール)の唯名論とは、神の存在の問題でした。神が存在するのは、存在しないより存在するほうがいいのだから存在するのだという傾向があります。それが彼が弾圧を受けるもとだったのですが、もう一つの事件があります。彼は有名なエロイーズとの恋のことがあり、それがために反対派に襲われて、去勢されてしまうという目に会い、そののちエロイーズとは会うことのできないように二人とも幽閉されてしまいます。この幽閉された二人の間に交わされた書翰が「アベラールとエロイーズの愛の書翰集」なわけですが、このアベラールが受けた不幸な出来事が、エロイーズの書翰でも、愛の言葉の中で、あからさまに指摘されています。

また次も興味深いことです。

ウィリアム

「……向こうに幻覚を惹き起こす物質が燃えていただけだ。あの臭いには覚えがある。アラビア人たちが用いるものだ。たぶん山上の老人が手下の刺客たちに吸わせて、任務に就かせたときのものと、同じであろう。……」 (第二日 深夜課)

この「山上の老人」というのは何のことでしょうか。これはマルコポーロ「東方見聞録」に書いてあるのですが、中東のある山の上に居を構えた老人がいました。彼の仕事は殺人の請負です。そして殺人を実行するのは、若者です。この老人は若者に、ある薬を飲ませます。この薬は「ハッシィシィ」といいます。この薬を飲むと、若者たちは眠ってしまいます。彼らが気がつくと、そこは山の上で、美しい少女たちに囲まれ、しばし夢のような時間を味わいます。再び眠って目覚めたときに、老人から殺人の命令に従えば、成功しても、例え失敗して死んだとしても、あの世界で生活することができると示唆されるのです。だから、この老人の放つ少年たちは実に優秀な殺人者でした。まわりの王たちは、この老人を怖れ、何もかも言うことを聞いたといいます。だがマルコポーロによれば、モンゴル軍はこの山上の老人の国を徹底して破壊しつくしたということです。

全体になぜか大変な迫力を感じて読んでいけた小説でした。