ケン・グリムウッド『リプレイ』

読書さとう

誰もがもう一度人生をやり直せたらなどと夢想することがあるかと思います。現在の記憶をもったまま、若い日の自分に戻れたらいったいどんなことができるのでしょうか。そんな思いを描いた小説があります。これは、新潮文庫で1994年に読んでいたかと思います。

思い出すのですが、私が二七、八歳のときにほんの数カ月闘った労働運動のときのことです。かなり保守的かつがんじがらめの会社だったのですが、私はまたたくのうちにそこで闘いを構築し組合をつくりました。その動きの中で最初に表に現れた蜂起が、ある日の朝礼の時でした。「天皇」ともいわれるほどの社長が、すべて一カ月に一回の朝礼で一方的に話し、ことを伝えていきます。私はその朝礼での蜂起を周到に用意しました。理事長の話のあと、真っ先に私の発言から開始しました。つづけざまに何人もが発言します。そして私が執拗に執拗に発言を続け経営者を追いつめます。かなり経営者側は驚愕したようです。

私がいいたいのは、この朝礼の一部始終がカセットテープにとってあるということです。私は

「これは絶対に面白いから、青春の思い出にテープにとっておこう。何年後かになっても、これでまた酒が飲めるぜ」

といったのです。あるパートの女性がひそかにカセットデッキを用意して録音しました。この女性が今の私の妻です。

このテープを今聞くとなんだか不思儀なんですね。そこで執拗に喋っている私は、過去の私ではなく、いまテープのあちらがわで激しく楽しそうに生きているのです。

リプレイ(REPLAY)とは再生とか再演というようなところでしょうか。この小説の主人公は、ちょうどカセットテープを再生させるように、また自分の人生を繰り返します。ジェフという主人公は一九八八年一〇月一八日PM一:〇六に突如死にます。小説の第一行目で死にます。ところがどうしてか、気がつくと一八歳の自分に逆戻りしているのです。最初は夢かと思いますが、これは現実です。しかも八八年に死んだときまでの記憶も鮮明に残っています。

このところで私もいくつもを思い出しました。私ももう一度どの世界に帰ればいいだろうかなんて考えてみました。多分人生で一番激しく生きていたのは恋愛のときでしょうから、一九六八年の五月くらいの埼玉大学のキャンバスに戻ろうかな。あの八重桜の咲く、タテ看板が林立し、アジテーションがきこえ、芝生で討論する学生の輪があるなか、埼大のキャンバスで、私は本を抱えて歩いてくる一八歳のミニスカートの少女を見ている自分に帰りたい。あの少女に恋したことが私が一番激しく生きていたことのように思います。しかし、それからまたいろんなことがあって、また結局東大闘争でまた安田講堂で催涙液と放水の中でぐしゃぐしゃになること考えると、それはもうなんだか堪らないな。少し嫌だな。だけど戻れたらまたきっと同じことをやるでしょうね。