5. 話題,意見

原野のホームページの「話題別」に関連ブログ纏めました

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2016年4月14日の前震と同16日の本震で,観測史上初めて最大震度7を2度観測した平成熊本地震から,今日(2019年4月16日)で3年になりました.

原野のホームページに復興の現状を掲載しました.

熊本地震から3年(復興の現状)

昨年の地震では,味噌天神の大鳥居(電車通りに面した)と小鳥居(西側の薬学部薬草園に向いて建つ)が二基とも破損しました.平成29年6月24日,二つの鳥居が再建され,除幕式が行われました.原野のホームページに以下の関連記事を掲載しました.

味噌天神 鳥居の再建

ササの葉の揮発成分

カリオフィレン

旧姓本田さんから,同期会の報告メールが届きました.通潤山荘での歓談の写真を見ていると皆さんの会話が聞こえてくるようです.幼い頃のこと,学生時代の思い出,最近の出来事,今回の同期会は地元の高田君がお世話されたこと等々.メールの最後に彼女のテニス戦績が記されていました.10月の県の試合にも優勝され,今年の県75歳女子の部ランキング1位,相模原市でも70歳女子2年連続優勝されたとのことです.元気ですね,ギネス記録に挑戦されることを期待しています.

村上さんのメールに添付されてきた画像

恵比寿 大黒天 毘沙門天 弁財天 福禄寿 寿老人 布袋

中3の受験生とのことです.福をもたらすことを祈念して掲載しました.

大塚君のメール(”旅するチョウ”):今年も旅するチョウ”アサギマダラ”がやってきております。わが家にやってくるようになって5年目になりますが、今年は10月10日に初飛来してきました。一昨日と昨日は三頭がやってきたのですが、今日はなんと七頭も現れたのです。畳一畳半くらいのスペースに咲きほこっているフジバカマの周りを、群れをなして飛び交う姿はじつにうつくしいものです。また、マーキングされたアサギマダラも初めて見ました。

撮影順に掲載しました.

毎年,大塚邸の庭にやって来るアサギマダラの写真です.

今年は,10月26日に長時間滞在してくれたとのことで,当日メールに添付されてきました.

動きのある写真の撮影に努力されているようです.

藤原良春君からメールをもらいました.

福岡県学校薬剤師会は解散し,福岡県薬剤師会に一本化されたそうです.そのとき彼が管理していたホームページも移管する約束で,彼の役目も終わる予定だったにも関わらず,いざスタートすると、誰も管理出来る人が居ないため,会員からは彼に何とか継続して欲しいという要望がたくさんあったそうです.現在は,任意の団体名にして,実質上彼の個人ホームページ上で運営しているとのことです.

メールに大塚佳介氏と共同で制作された曲と画像が添付されてきましたので,以下に,オリジナルWEBページの内容を掲載しました.

「キラキラ輝く笑顔のために」

初めて作曲しました 童謡 「父の菜園」

2009/08/10

2ヵ月ほど前、一編の詩に出会った。作詞者がお父様を優しく見守られている心情、これがさらりと書かれているが、なんと重たいことか、胸の奥底まで響き渡った。特に、詩の中に書かれている一節、「俺がナスを植えたのか?」には思わず目頭が熱くなった。

先ずは次の詩をお読み頂きたい。2009年6月5日に発表されたものである。

初収穫です

父が育てた菜園の

トマトやナスが実をつけて

今朝は初めてのハサミを入れました

数週間前

垂れかかったナスの葉陰

紫色の可憐な花のあとに

小指ほどの実をつけていました

霧のような雨が烟る今朝

その葉をめくり上げてみると

黒紫色につややかで

ずっしりとした質感の

大きく育ったナスの姿

何だか威張っているようです

父に

「お父さんが植えたナス 実がついたわよ

今日 食べてみよう~」というと

「俺がナスを植えたのか?」といいました

手の中で

ナスがちょっと重さを増したようです

それでも

これは父が植え 育てた

とても大切で貴重なナス

初収穫には

不思議な嬉しさがありました

◇参照:原作者のホームページ ここでのニックネームは madoさんです

この詩に、何とか曲を付けられないものかと考えていたが、いままで作曲も作詞もしたことはなく、いたずらに時が過ぎ去っていった。

8月2日の日曜日、朝から時間が取れたので、一念発起し作曲に取りかかった。この詩は散文詩であるのでこのままでは曲が付けられない。そこで、原詩から 言葉を選び出し、1番の歌詞を作った。それから久しぶりにギターを取り出し、メロディーを確かめながらパソコンの作曲用ソフトに音符を打ち込んだ。曲調は 最初から、大人向けの「童謡」を意図した。

このメロディーに合わせて、2番・3番の歌詞を作り、前奏や伴奏の編曲をし、MP3ファイルが出来たのは夜の9時であった。

さて、出来上がった歌詞であるが、何度考え直しても素人の悲しさ、どうしても思うような詩にならない。そこで、大和ことばに詳しい友人の大塚桂介氏に補作をお願いすることにした。

大塚氏と毎日何度もメールの遣り取りをし、最終的に出来上がるまで、4回の書き直しを要した。この間一週間。この一連の経過は包み隠さず、原作者のWAKOさまにメールし、ホームページへの掲載も快く了承して頂いた。

WAKOさまの最新作の詩(2009年8月9日)には、高齢で認知症の父はもう94歳です。でも、父の意識の中では まだ94歳なのかも知れません。

お父さんは幾つまで生きたいの?と尋ねると、110歳くらいかなと答えます。と書かれていた。

「父の菜園」 元詞:WAKO・補作:大塚桂介・作曲:藤原良春

(一)父さん手作り この畑

トマトやナスが 実をつけた

水遣りすんだ 朝の畑の

若い緑 ナスの葉陰

紫色の 可憐な花の

あとに小指ほどの 実をつけていた

(二)父さん育てた このナスは

濃い紫の つややかに

とても重たく ずっしりと

ああ大きい ナスの姿

何だか威張って いるようで

父さんみたいな 大切なナス

(三)父さんこのナス 見て見てよ

大きな実(もの) ができたわよ

食べてみようか おいしいよ

俺がナスを 植えたのか

この父の言葉 聞きながら

切なく嬉しい 朝で~した

「父の菜園」MP3 曲のダウンロード

オリジナル掲載サイトへのリンク

大塚君から写真が添付されてきました(2011/6/15).

<メール原文>阿蘇の草原に自生する多年草で、絶滅危惧種に指定されているそうです。昨日、太宰府にある県立福岡農業高校にいって見てきました。この高校では、4年前に阿蘇高森の野草園から株をもらってきて、大切に育ててきたのだそうです。今年も見ごろを迎え、正門脇の道路沿い、50メートル に亘って咲き誇っていました。

はなしのぶは、皇后陛下が皇太子妃のころ、阿蘇をご訪問のとき大変お気にめされたことから、皇室に種子を献上していたそうです。その後、平成16年4月、皇居で育てられた苗が皇后陛下より高森へ贈られてきたとのこと。いたく感動した地元の人たち

が次のような歌を詠んで、記念の歌碑を建てたそうです。

”お后の 育みましし はなしのぶ つぼみ抱きて いまふるさとに”

「はなしのぶ」、「花忍ぶ」、なんともいい名前ではありませんか。

毎年6月の第4週の日曜日に「はなしのぶコンサート」が開催されています.

「意味を間違えやすい言葉」を集めたホームページがある.

その中に「青田買い」と「青田刈り」が紹介されている.

卒業前の学生に対し、企業が早い時期から採用内定を出すことを「青田買い」と言い,「青田刈り」は、昔の軍事作戦の一つで、敵が兵糧不足になるように、敵地のまだ青い田を刈り取ってしまうことを 指している.

したがって,「青田刈り」の言葉を誤って使うと、まだ実る前の役に立たない学生を採用するという意味になってしまうことになる.

ところで,現実はどうなっているか一般の人は知っているだろうか.

大学教育では,一定の基礎教育の後,自分で問題点を掘り起こしそれを解決する能力を醸成するための教育として卒業研究が準備されている.3年後期に就職が 決まれば4年次は卒業研究に専念できるはずである.しかし,実際は就職活動が延々と続き,卒論研究は形式的になってしまっているといっても過言ではない. それに加えて,低学年からの就職試験を想定した常識ペーパーテスト,面接対応テスト等で本来の勉強ができないと言っている学生も多い.一方,就職活動がイ ンターネットを利用する形態に変化して久しいが,このことが混乱の一因になっている.採用する側はインターネット上にホームページを開設し,企業紹介やエ ントリーの窓口を作っている.学生は次から次にネット上を駆け巡り取りあえずエントリーしなければならない.採用側はエントリーさせることで第一次書類選 考的に門前払いができるそうである.ホームページを設置し運用するための費用はかなりの額にのぼるので,中小企業には負担になる.そのため,ホームページ を持たない会社には,大企業に就職できない人材が回って来ないわけである.

卒業論文のテーマももらっていない学生が就職試験対策を受けて表面上は対応できても,経験豊富な人事担当者はその未熟さを見破るはずである.採用側がそ れでよいと思っているとは到底思えない.行事化してしまった就活をこのあたりで見直す必要があるのではと思っていたら,1月8日のNHKニュースで対策を 講じる旨を報じていた.

以前も同様なことがあったが,何の役にも立っていない.

・1952年 学生の学業専念が阻害されるため,企業と学校と間で採用開始時期を決定

一方で就職協定を破って抜け駆けで優秀な学生を採用する企業が続出し,このことを「青田買い」と呼んだ.

・1996年に企業と大学・短大の間の就職協定は廃止

・1997年以降は企業側と学校側が独自の基準を策定して行動

それ以降,年々就職活動は早まり,以前は就職活動は4年制大学では4年次の夏休み以降であったが,現在では3年次の秋から始まるのが普通になった.

薬学教育が6年制へ移行して,早くも4年半が過ぎ,一回生(5年生)は現在病院や薬局で実務実習を行っている.

6年制教育へ移行した理由はいろいろ指摘されているが,最大の理由は戦後の薬学教育が化学に偏り,医学的な教育が疎かになったことが原因と説明されている.

果たしてそれは正解だろうか.

私は,国立大学を定年退職した後,新設の私立大学に就職したが,幸運?にも第一期生が4年制課程であったため,それまでの私立大学薬学部や薬科大学の4年制教育をつぶさに観察する機会を得た.

その結果,化学教育偏重が6年制課程移行の原因だとは思えないことを知らされた.私立大学のほとんどは,4年次の卒業研究はそっちのけで,国家試験対策 の補講を行っている.そこには国試予備校が入り込み,予備校模試とその結果に左右される教育形態が教務システムの奥深くまで浸透している有様である.

6年制課程が完成する平成22年度に第三者評価が実施されるが,その評価項目には国家試験合格率は入っていない.「なぜ入っていないのか」を私立大学関係 者が不思議に思い,評価機関に問い合わせたとのことである.その回答は,「また,予備校化するではないか」というものであった.このことが物語るよう に,6年制移行を断行することになった理由は,予備校化した薬学教育を是正することにあったと言っても過言ではない.

ところが,現実はなり振りかまわない予備校的教育が復活しているとのことである.その理由は明白である.雨後の筍のように新設された薬系大学は軒並み定員 割れ,入学者の学力は極端に低下し,6年制コアカリキュラムに対応できない学生が多くなったためである.4年修了時に共用試験(CBT, OSCE)が実施されるが,コンピュータを利用した試験(CBT)ではすでに予備校模試を頼りにしている状況である.

薬学教育の改革が成功するか疑問視する教員がしだいに多くなってきているのも事実である.

注)私立大学の半数程度は,入学者の偏差値が50を切っている.最近,偏差値30代の大学も出現した.推薦入試を考慮した平均的な偏差値はさらに低下する.

2009年10月22日,大塚桂介君からのメールを掲載しました.リンク先をご覧ください.

http://www.fk-gakuyaku.jp/html/kirakira157.html

追記 今年も昨年と同じ10月19日にやって来たそうです(2010/10/19).

70歳になってこのホームページを見ているクラスメートはほとんど居ないだろうと思いながら,管理している理由を説明しておきます.

私が母校に帰って来たのは昭和57年,パソコンが出始めた頃でした.それまではコンピュータと言えば,大型計算機センターに出向いて演算処理をする形態 でした.九州では九州大学大型計算機センターに汎用計算機が置かれ,各大学から計算するために泊まりがけ,あるいは日帰り出張しなければならない状況でし た.

そこへ登場したのが8ビットパソコン,電話回線で大型計算機センターに繋いで端末処理できるようになりました.昭和60年頃には医薬品データベースが構築され,パソコン端末でアクセス(有料)できるようになりました.

そのことがきっかけで情報処理教育を始めました.始めて見ると,全国的にも薬学部教員が教えているという大学は殆どなく,計算機センターあるいは工学部 の先生が教えているというのが普通でした.そのようなわけで,文部省から教育改善経費を複数年度にわたってもらうことができました.昭和59年から始めた パソコン教育が本格的になったのは平成になってからですが,それでも全国の薬系大学では先頭を走っていたようです.このように,情報処理教育,特にプログ ラミングに重点を置いた教育を受けた学生を輩出してきたのですから,ホームページの制作は朝飯前のはずです.ところが,なかなかクラス会ホームページが立 ち上がりません.そこで,情報教育を長年行ってきた教員が見本を見せる必要があると思った次第です.

理解していただけだでしょうか.クラスメートが閲覧しない状況でも続けていきたいと思っています.

○大塚君からの定期便(メール添付写真)

平成14年(2002)年11月のメールに添付された見事な紅葉の写真です.

常寂光寺の紅葉 写真1      南禅寺天授庵の紅葉 写真2

平成15年(2003)年2月のメールに添付された写真です.

バルーンフェスタの写真1     バルーンフェスタの写真2     バルーンフェスタの写真3     バルーンフェスタの写真4

平成17年にはミヤマキリシマ,平成18年には仙酔峡の写真が送られてきました.

ミヤマキリシマの写真1   ミヤマキリシマの写真2   仙酔峡の写真