寺岡雅子さんのご逝去を悼む

熊薬昭和38年卒同期会のホームページに掲載している写真に,もっとも多く登場する寺岡雅子さんが令和5年5月18日に急逝されました.22日夜,村上さんから電話連絡があった時は俄には信じられませんでしたが,本日(5月24日)朝日新聞のローカル記事「おくやみ」に掲載されている氏名を見て現実を知ることとなりました.高校,大学の同期生として惜別の念を禁じ得ません.心からご冥福をお祈り申し上げます.

     退職後は,国際交流会館で11年間日本語を教えておられました.母親を看取った後は一人暮らしだったようですが,週一回英会話教室に通って勉強を続けていたようです.

    故人の人となりを偲ぶために,彼女の高校時代の恩師について書いた短文を紹介したいと思います.

済々黌高校の恩師    富永先生のこと

よく職員室入口に座らせられました (遅刻、早弁、授業中 のおしゃべり、笑い・・その他、諸々)。落着きがない生徒だった ので、先生には大変お世話になりました。 職員会議で「寺岡が 居ると、授業がやりにくい」ことが問題になり、「困った、困った どうするかねー」と、相談されるので、「先生、一週間、授業中 静かにします」と言うと、「すまんが、そうしてくれるかい」と、 嬉しそうでした。いつも私を座らせていた先生が、私のことで 非難されたとき、私を責めずに、困っておられるのを見て、私は大いに尊敬してしまいました。 その大好きだった先生も、昨年10月、97歳で亡くなられました。

                                                                                                                                                     寺岡 (2014.2.1)

上記の文章は,私のホームページで「済々黌(私が通った創立75周年頃)」という小文を掲載した際に,寺岡さんのメールに書かれていたコメントの一部です.恩師との約束をその後の人生で忠実に履行していたようです.その詳細は,寺岡さんの親友である村上さんに委ねたいと思います.

安らかに眠ってください.

Please rest in peace.

WEB管理者   原野