追悼文

増本嘉文さんのご逝去を悼む

大塚 桂介

11月29日夕方、外出先から戻ってみるといくつかの喪中欠礼のはがきが届いていました。その中に、増本嘉文氏夫人からのはがきがあり、彼が11月5日に亡くなったと書かれていました。享年72歳とあります。ほんとうにびっくりしてしまいした。その日に届いていた別のはがきには、会社時代の親友の逝去の知らせがありました。奇しくも同じ享年72歳。72歳というのは干支の6周り目です。なにかが起りやすい歳なのかも知れません。

熊薬を卒業してから最後に会ったのは菊池で開催された「卒後42年クラス会」のときでした。学生時代と変らぬ穏やかな、はにかむような微笑にほっとさせられたものです。いずれにしろ、お別れはこういう型で突然やってくるものなんですね。2006年2月に亡くなった詩人の茨木のり子さんは、生前にお別れの挨拶状をしたためておりました。それには、『あの人も逝ったかと一瞬、たったの一瞬思い出して下されば、それで十分でございます』と書かれております。

急いでクラス会の HomePage を開いて増本さんの写真を探しだし、しばらく学生時代の思い出にひたっておりました。増本さんとは郷里が同じ筑豊の炭鉱町でしたので、入学当初からなんとなく親しくなっていたのです。九品寺に引っ越すときも空き部屋の世話をしてもらいました。二人とも二階の四畳半に住んでいましたが、家主さんの中庭を挟んで窓越しに声をかけあったり、お互いの部屋を行き来したりしたものです。二人とも貧乏で、いつも腹をすかせておりましたが、私とちがいけっこう我慢強いところがあって、めったに顔には表さない人でした。

実はこの日、家内は熊本の実家に帰っており、次女も会社が遅くなるからご飯はいらないという。これ幸いと、朝からJRで武雄市に出かけていました。武雄市にある佐賀県立宇宙科学館で、小惑星探査機「はやぶさ」が持ち帰ったカプセルが展示されることを知っていました。そのカプセルをどうしてもこの目で見ておきたかったのです。「はやぶさ」については、8年ほど前に宇宙航空研究開発機構が、「星の王子さまに会いにいきませんか」というキャンペーンをやっていたときから関心をもって見守っておりました。今、私たち夫婦の名前は88万人の人たちの名前とともに、小惑星「いとかわ」に落されたターゲットマーカーの中に収まっております。また予め、山根一真著「はやぶさの大冒険」、的川泰宣著「小惑星探査機 はやぶさ物語」を読んでおりましたので、感動もひとしおでした。

感動の余韻につつまれたまま帰宅したところに、この喪中欠礼のはがきです。HomePage にある、増本さんの在りし日の穏やかな表情を見ながら、60億キロという途方もない旅を終えて、大気圏に再突入して燃え尽きていった「はやぶさ」の映像を思いうかべております。

ご苦労さまでした。そして、ありがとうございました。合掌。

佐賀県立宇宙科学館のパンフレット画像を使用しました