以前,ササの葉の揮発性成分の中に種々のジテルペン,セスキテルペンが含まれているという林産試の研究を紹介した.その中の一成分であるβ-カリオフィレンは,四員環と九員環が縮環した珍しい構造を有する化合物で,ハッカ油,チョウジ,ブラックペッパー,オレガノ等に含まれている.実際には,4,5-位二重結合のシスートランス異性体の混合物として単離されている.
幾何異性体
カリオフィレンは油状物質のため,いろいろな結晶性誘導体を合成する試みが行われている.ところが,構造決定のために試みられた各種反応において,反応条件によっては,骨格転位等が起こるなど構造決定は苦労の連続だったらしい.最終的には各種の結晶性誘導体のX線解析の結果を総合的に判断して確証を得ている.現在,ケンブリッジ結晶データベース(CCDC)において「カリオフィレン」で検索すると関連化合物が十数種ヒットする.次図は 4,5-位二重結合にNO, NO2が付加した化合物である.実際の構造に最も近い姿をした結晶構造と考えられる.特に注目すべきは8−位の二重結合が環の内側へ向いていて,PM6 半経験的分子軌道法で得られる計算構造(左)の特徴と一致する.
結晶構造
A.A.Freer, D.K.MacAlpine, J.A.Peacock, A.L.Porte, Journal of the Chemical Society Perkin Transactions 2, 1985, 971, DOI: 10.1039/p29850000971
Caryophyllene の PM6 の最適化構造は次図の通りである(左図).二重結合が紙面から突き出ているような配座の生成熱は -8.76 kcalであり,二重結合が紙面に沿った配座異性体(右図,生成熱 -4.90 kcal)より 4 kcal ほど安定である.計算構造は関連化合物の結晶構造で見られる特徴と一致する.
生成熱 -8.76 kcal
生成熱 -4.90 KCAL
全合成は1964年,Corey 等により行われている.McMurry の短工程合成は幾何異性体 isocaryophyllene の合成である.
[1] Corey, E. J.; Mitra, R. B.; Uda, H. J. Am. Chem. Soc. 1964, 86, 485. [2] McMurry, J. E.; Miller, D. D. Tetrahedron Lett. 1983, 24,1885.
反応,生物活性の面からも注目され,幅広く研究が行われた.抗炎症作用や鎮痛作用を有し,カンナビノイド受容体タイプ2(CB2)の選択的アゴニストであることが明らかにされている.
カリオフィレン(1)のクロロ酢酸類による水和反応(田中 清文, 松原 義治,日本化学会誌,1976, (12), 1883-1887)の論文を読んでいて,広い物理化学的知識を必要とする構造有機化学の演習に好適な反応例と思った.水和反応は,等モル量のクロル酢酸と撹拌するだけで進行する.次図の[1a-d]のアルコール体が生成するが,室温,2時間撹拌では主生成物は総アルコールが75%,オレフィンが25%である.アルコールの72%は1aであり,1bは18%,1c, 1d はそれぞれ 4%, 6%である.
注)投稿論文(PDF)の図を参考に作図,一部はそのまま使用させてもらった.
4,5-位の二重結合に水和反応が起こると[ 1c ]が得られる.反応挙動は HOMO の軌道相から容易に理解できる
8位の環外に延びている二重結合の HOMO 電子密度は,4,5-位の HOMO 密度に較べて非常に小さく反応点にはなりえないことがわかる.
[1a ]の生成機構は結晶構造や計算構造に大きなヒントがある.空間を隔てた二重結合の相互作用は,平面構造を見る限り二個の反応点は遠くに離れているように見えるが,計算構造(安定配座)からはかなり接近していることが分かる(赤矢印,3.817Å).フロンティア軌道論の三体相互作用の観点からは [2π+2π+2σ] 反応と見なしてもよいのではないだろうか.もしそうであるなら協奏的に進行する反応ということになる.その真偽は Id 等の反応機構(準備中)とも関連している.
三次元構造に沿って2個のπ軌道とσ軌道を描いてみた.点線部分の原子間距離は計算構造では3.82Å程度離れているにも関わらず,環内空間を通して相互作用する渡環反応が生起することから,環はかなり柔軟であると考えられる.さらにπ軌道の方向と広がりを考えると6員環形成はさほど難しくはないものと考えられる.青点線は位相が合わない相互作用,青実線は位相が合う相互作用である.
投稿論文ではないので,思いつくままに書いてみた.FMO理論を持ち出す必要はないと叱られること必至てある.
三体相互作用については,電子配置間の相互作用から以下のように結論つけられている.
1)HOMO, HOMO, LUMOの場合,HOMOとHOMOが位相が合わないように相互作用し,それにLUMOが位相が会うように相互作用すれば安定化がえられる.
2)HOMO, LUMO, LUMOの場合,LUMOとLUMOが位相が合うように相互作用し,それにHOMOが位相が会うように相互作用すれば安定化がえられる.
この規則を暗記してもよいが,規則を忘れた時に思い出すための作図法として次のように考えることができるのではないかと思っている.
三体相互作用(簡易理解法)
HOMO (H) とHOMO (H) が相互作用すると,結合性軌道と反結合性軌道にそれぞれ2個の電子が入る.しかし,安定化と不安定化で相殺されてしまい相互作用系としては安定化は得られない.ところが,相互作用系の中に.第三の軌道としてLUMO (L) が存在すると,反結合性軌道に入った2個の電子は,LUMO との相互作用により安定化する(ピンクの矢印).4個の電子は相互作用する前より全体として安定化することになる.
青で示した相互作用は軌道エネルギーレベルが離れているため,安定化が小さい.
質問に来た学生には,このように説明して理解してもらった.LUMO, LUMO, HOMOの相互作用も矛盾なく説明できる.
参考資料
カリオフィレンの研究紹介
カリオフィレンのクロロ酢酸類による水和反応(日本化学会誌)
カリオフィレン /caryophyllene | Chem-Station (ケムステ)
幾何異性体の表記 置換基の配置がシス型のときZ,トランス型のときEとして表す.Zはドイツ語のzusammen,Eははentgegenに由来する.