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空き缶に蓬菊を
朝テレビのスイッチを入れると、ニュースキャスターが「おはようございます。世界の終わりまであと七日になりました」と言う。
聞き飽きた台詞だった。私は真面目くさった顔で原稿を読み上げるアナウンサーの声を聞き流し、洗面所に向かった。
昨晩のアルコールが残っているのか、頭の奥に重い澱を感じる。
洗面所に足を踏み入れると、冷たく柔らかいものが足の甲に引っかかった。「あっ」と声をあげ跳び退くと、がちゃがちゃと耳障りな音が響いた。
一瞬の間をおいて、空き缶が入ったゴミ袋を蹴っ飛ばしたのだと気付く。
その瞬間、さきほど聞いたテレビの音声と、空き缶が奏でた不協和音が脳内で繋がり、一つの重要な事実に思い当たった。
今日が「世界の終わりまであと七日」、つまり古い呼称で言うところの水曜日で、すなわち資源ゴミの回収日であるということだ。
私は苦笑しながら足下を見た。あのバカげた放送も、たまには役に立つらしい。
足下には、空き缶が二、三十本ほど入ったゴミ袋が三袋。前の回収日に捨て忘れたせいで、ひどいことになっている。
私は洗面を済ませると、ゴミ袋を引きずって居間に引き返した。テレビでは朝のニュースが流れている。
「輝聖党本部への爆破テロを計画していたグループが、本日未明に逮捕されました」
アナウンサーがそう言うと、テレビの画面が切り替わり、六名の顔写真と名前が表示された。
そのうち二人に見覚えがあった。一人は、三十年ほど前まで与党のプリンスと呼ばれた男だ。年を取ってやつれてはいたが、抜け目なさそうな瞳の輝きは昔日のままであった。
もう一人は、やはり二十年前に、この国の外交を取り仕切っていた主席官僚だった。
ほかの四人には見覚えがないが、きっと同じような素性なのだろう。この国が変わってしまう前、権力を握っていた者たちだ。
再び画面が切り替わり、スタジオで原稿を読むアナウンサーの姿が映し出された。
「さきほど略式裁判にて判決が下り、容疑者は教育センターへの送致が決定されました」
私はそのニュースを聞きながら、缶の入ったゴミ袋を置き、居間の床に新聞紙を敷いた。
新聞の一面には、『輝聖党教主にして偉大なる指導者、未曾有の経済発展を予知』という大見出しが踊っていた。その下には、いくつもの民俗衣装をごちゃ混ぜにしたような奇妙な衣装を羽織った男が、空虚な笑いを浮かべながら手を振る写真が載っている。年の頃は六十ほど。どこにでもいそうな、平凡な男だった。
私はゴミ袋から空き缶を取り出し、新聞紙の上に空き缶を並べた。その九割は安酒が入っていたものだ。
私は乱暴に缶を踏み潰す。ゴミ捨て場に持っていく前に、缶を小さくしなければならないからだ。
できるだけ缶の量を少なく見せなければならない。
なぜならこの世界において、何十本もの酒を飲み、公共のゴミ捨て場を大量の缶で埋め尽くすような輩は「模範的」ではないからだ。
足を上げては、下ろす。ぐしゃり、ぐしゃりと音を立てて、アルミの缶が潰れていく。
──もし、タイムマシンで四十年以上前に戻り、当時の人々に新聞を見せ、この男が未来の支配者だと伝えれば、どういう反応が返ってくるだろう。
私の正気を疑うだろうか。それとも、手の込んだつまらない冗談だと笑うだろうか。
しかし、これは紛れもない事実だ。
輝聖党教主にして偉大なる指導者とやらは、いまやこの国を壟断し、権力をほしいままにしている……。
すべての発端は、三十年ほど前に起きた《大災厄》。
それは全世界に大きな破壊と混乱をもたらした。
我が国が受けた影響はとりわけ大きかった。世界でも有数の豊かな国家であった我が国だが、全人口の三分の一が失われ、経済は混乱し、国力は疲弊した。
《大災厄》から向こう数年の雰囲気は、子供心によく覚えている。
大人たちはみんな疲れた顔をしていた。わずか五年の間に八回も政権交代が起こった。どのような政策を行われようが我が国の衰退には歯止めがかからなかった。
その様子はさながら栄養失調の患者に抗がん剤を投与するようなものだった。いくら上等な政策を次々持ってこようと、弱り切った国が、それを有効に活用することはできないのだ。
新たな衰退の傾向が報告書の数字として現れるたびに、時の政権は、過去の政権が残した政策にその原因を求め続けた。
坂道を転げ落ちるように衰退していく中で支持率を得ようとするなら、明確な「敵」を作るしかない。短命に終わった八つの政権は、隣国の政府や過去の政権の非をあげつらうことで求心力を保とうとした。しかし、そんな姑息な手段が実を結ぶことはなかった。結果として、政権交代を経るごとに我が国の衰退は加速していった。そして人々は、より強いリーダーを求めるようになっていく。
「要するに、自信満々な顔でハンドルを握って、アクセルを踏み込める人間をほしがったというわけさ」
これは、私の亡き父が晩年に語った言葉である。
「行き先なんかどこだって良い。同じところを行ったり来たり、堂々巡りになるのはまっぴらごめん。とにかく、車がまっすぐどこかに向かっているということさえ実感できればいい。たとえハンドルを握っているのが狂人であろうともね。そんな気持ちがあったのだと思う」
そんな中に現れたのが、輝聖党教主を名乗る奇妙な男だった。
数千人の信者を持つというその男は、マスメディアに登場するや否や、さまざまな「予言」を行ってみせた。
「来週、西の大地にて火の雨が降るだろう」
「一年後、大いなる災いが海から生じ、東の島を覆うであろう」
男が行った「予言」はことごとく的中した。そして、男は一躍時代の寵児となっていく。
なぜ男は次々と予言を的中させられたのか、その答えは簡単だ。当時は《大災厄》の影響により世界各地で異常が発生していた。当てずっぽうな予言であっても、言えばそれなりの精度で当たってしまうのだ。
国民の多くが、男のペテンに気付いていたはずだ。しかし、人々はこのペテン師に入れあげていくことになる。
輝聖党教主は魅力的な男であった。
彼は普通の政治家のように、国会の答弁で窮したりはしない。発言の不整合を指摘されても、しどろもどろになったりしないし、声を荒げて論敵を非難することもなかった。
「いまは言い争っている場合ではありません。やがてさらなる破滅が世界を覆うでしょう。神に帰依し、予言に耳を傾けなさい。救いを求めるのです」
男は繰り返しそう言い、デタラメな予言を繰り返していった。その姿は、多くの人々を魅了していったのである。数年もしないうちに彼は政党を作り、国政へと乗り出していく。
信頼を失った既存の政治家たちに彼を止められるはずはなかった。疲れ切った国民が生み出した熱狂が、輝聖党教主を最高権力者に押し上げるまで、さして時間はかからなかった。
「車がまっすぐどこかに向かっているということさえ実感できればいい。たとえハンドルを握っているのが狂人であろうとも」
つまりは、そういう話である。
──私は過去を思い返しながら、ゴミ袋から缶を取り出し、足で踏み潰す。ぐしゃり。
熱狂をもって世に迎えられた輝聖党教主も、一度だけその人気に陰りを見せたことがある。
当然の話だが、デタラメな予言を繰り返したところで国の状況が良くなるわけではない。むしろ悪くなるのが道理というものだし、実際にそうなった。
一時は国会前に十万を超えるデモ隊が集結し、治安部隊と衝突するにまで至った。武装した市民は治安部隊を圧倒し、輝聖党教主は首都を脱出せざるをえなくなるまで追い込まれた。
玉座を追われた輝聖党教主は、落ち延びた先である会見を行った。そのときの姿は、普段の彼からは想像も出来ない、鬼気迫るものであった。
「愚かなる者どもに告ぐ。滅びの時は来たれり。七日の後、すべてを飲み込む破滅がこの国に降りかかるであろう。汝らの背教ゆえに。世界は終わる」
それは呪詛であった。破れかぶれであったのだろう。
彼が血走った目でそう叫ぶ動画が出回ると、国中が大混乱に陥った。求心力を失いつつあったとはいえ、彼を支持している者、彼の「予言」を信じる者は、この国にたくさんいたのだ。
彼の妄言を信じ、本当に世界が終わると思った者たちの一部が、破壊と略奪に走った。それは七日間かけて燎原の火のように広がっていった。
輝聖党教主と信じる者と、疑う者、そして鬱憤を溜め込み発散の機会を窺っていた者たちが衝突し、この国に地獄が顕現した。
──だが、七日経っても世界は終わらなかった。
地獄の七日間の後、輝聖党教主は抜け抜けと国民の前に姿を現した。
そのときの彼の姿は、とても破滅を予言し地獄を生み出した張本人とは思えないほど、晴れやかなものであった。
「私の予言通り、世界は滅びました」
自信に満ちた表情で、彼は語った。
「破滅を経て、世界は生まれ変わったのです。さあ、新たなる世界の誕生を言祝ぎましょう」
呆然とする国民を前にして、彼は言う。
「私が世界をそう作り直しました。これより、世界は七日ごとに滅びます」
彼は慈愛の籠もった笑顔を浮かべた。
「そして、そのたびに新たな世界として再生するのです」
異様な高揚感を帯びた彼の顔が、ぐにゃりと歪む。
「さて、世界の終わりまであと七日になりました。残り七日、清く正しく生きてまいりましょう」
ふざけた話であった。
しかし、これ以降、輝聖党教主の求心力は盤石になっていった。
みんな争うことに疲れ果てていたのだろう。
「車がまっすぐどこかに向かっているということさえ実感できればいい」
私の父が嘯いたこの考えが、みんなの骨の髄にまで行き渡ったのだ。すべてのことを諦めきって、みんなで全力でアクセルを踏む道を選んだのだ。
むろん、反発する者もいた。
だが、以前よりも求心力を増した輝聖党教主は、秘密警察を設置し、逆らう者を弾圧していった。あの凡庸な、気持ち悪い笑いを浮かべながら。
言論は統制され、教祖に不都合な過去の文献は焼き払われた。あっという間に、大昔の三文SF小説に描かれるような、凡庸な管理社会が到来した。
そしていまはもう、そんな三文SFを読むこともできなくなっている。
皮肉なことに、管理社会の訪れとともに《大災厄》は影響は弱まり、この国は安寧を取り戻すことになった。その安寧は、閉塞感と狂気に彩られたものではあったけれど。
そんなことを考えながら、私はまた一つ空き缶を潰す。
ぐしゃり。これで全部潰し終えた気がする。
潰し終わった缶をゴミ袋に戻すと、なんとか一袋におさまった。
ゴミ袋を持って家の玄関から外に出ると、夏の熱い日差しが目と肌を焼いた。
「おはようございます」
不意に声をかけられた。声のしたほうに目を向けると、隣家の若夫婦がにこやかな笑顔を浮かべていた。二人とも礼儀正しく、輝聖党教主への帰依を怠らない「模範的」な人たちだ。一緒にゴミ捨てに行く途中らしい。旦那さんの手には小さなゴミ袋が握られている。中の缶は綺麗に潰されていた。
「おはようございます」
慌てて挨拶を返した。
奥さんのほうを見ると、だいぶお腹が大きい。妊娠していると聞いていたが、もうじき臨月だろうか。
「予定日は、再来週です」
旦那さんがそう言いながら、はにかんだような笑顔を浮かべた。
私の心の奥に、チクリと小さな痛みが走った。
「いいですね。私は子供がいないからうらやましい」
咄嗟に返した言葉で、ますます胸の痛みが強くなる。
素敵な配偶者。そして子供。
いずれも私が求め、失ってしまったものだった。
私は思い出す。
二十年前のあの日、秘密警察に連れて行かれる夫を見送ったことを。
特級政治犯の子供を産んだとなれば生きていけないと周囲に押し切られ、お腹の子供を殺したことを。
──がらん。
その瞬間、足下から不快な金属音が響いた。
ハッと我に返り、手に持っていたゴミ袋を取り落としたことに気付く。慌てて袋を拾い上げると、中に一つだけ潰し損ねた缶があることに気がついた。
「どうしたんですか?」
隣の奥さんが、気遣わしげな目で私を見ながら言った。
「顔色が悪そうですが……」
「いえ、大丈夫です。少し日差しが強くて、立ちくらみしたようです」
「そうですか。お体には気を付けてくださいね。まだ新しい世界が始まった一日目なんですから」
「はい。そちらも気を付けて。元気な赤ちゃんを産んでくださいね」
私がそう言うと、奥さんは嬉しそうに顔をほころばせた。
私はゴミ捨て場に歩いていく二人を見送ると、ゴミ袋から潰し損ねた缶を取り出した。
それを地面に置き、踏み潰そうと足を振り上げる。
『おはようございます。世界の終わりまであと七日になりました』
その瞬間、間の抜けた町内放送があたりに響き渡った。
私は足を振り下ろすのを思いとどまり、夏の陽光に輝く缶を拾い上げる。
そして、ふと考える。
世界は一度滅びた。あの男が言ったことは、きっと正しい。
あの男を国政に迎え入れた瞬間から、この世界は終わっていたのだろう。
世界はこれまでに何度も滅びている。
私が夫を見殺しにした瞬間。我が子の命を奪った瞬間。
だが、その後も新しい世界が続いている。
ならば。ならば──なんだろう。
思いがまとまらず、私は考えるのをやめた。
そういえば、ゴミ捨て場の近くには、蓬菊の花が咲いていた。
あれを摘んで帰ろう。そして、空き缶に活けて飾るのだ。
きっとそれは、新しい世界に生きる私の心を救ってくれるはず。
不意に、根拠もなくそんなことを思った。
[了]
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