『餓狼 Mark of the Wolves』思い出話
『餓狼 Mark of the Wolves』思い出話
昔好きだったゲームを再プレイしてみたら、以前には気がつかなかった意外な面白さに気がついた—。ゲーム好きなら、一度はそんな経験をしたことがあると思います。本稿で取り上げる『餓狼MOW』は、ぼくにその種の経験をもたらした作品です。 ご存知の方も多いと思いつつ、『餓狼MOW』について簡単に説明しておきますと、本作は90年代の格闘ゲームブームを支えた「餓狼伝説」シリーズの系譜に属する作品です。リリースされたのは1999年、同シリーズのアーケード作品としては9作目にあたります。
シリーズの第1作目『餓狼伝説』は架空の街・サウスタウンを舞台に、闇社会の支配者ギース・ハワードに父親を殺害された青年テリー・ボガードの復讐を描いた作品でした。テリーとギースの闘いはその後の作品でも続き、シリーズ第5作『リアルバウト餓狼伝説』にてギースの死によって決着を迎えます。『餓狼MOW』はその14年後、テリーに引き取られたギースの遺児ロックを主人公とした作品です。
『餓狼MOW』の初見の印象は忘れがたいものでした。グラフィックの質感は前作『リアルバウト餓狼伝説2』とはまったく異質なものに変わり、キャラクターはテリーを除き全員が完全新規。ゲームシステムはシリーズの伝統を一部引き継ぎつつも、まったく違うセオリーを要求してきます。画面を覗けば、美麗な動きを見せるドット絵が、新たに登場したキャラクターたちの個性を紡ぎ出し、防御的な動きがメインだった前作とは正反対の攻撃的な闘いが展開されています。このときの、酔いにも似た高揚感はいまでも鮮明に思い出せます。
本作でがらりと変わったのはキャラクターだけではありません。『餓狼伝説』シリーズは、その歴史において何度かゲームシステムの大幅リニューアルが実施されましたが、本作での変化はその中でもとりわけ大きいものでした。 中でも、シリーズおなじみの「ライン」システム(画面の奥行き)の廃止はファンの間に大きな波紋を広げました。ほかにも体の一部が無敵状態になる「避け攻撃」や、ガードキャンセル(前作まで「ブレイクショット」と呼ばれていたものの代わり)など、従来の作品から引き継がれたものにも大きな変更が加えられました。
プレイヤーの立場で考えると、シリーズ作品におけるシステムのリニューアルは前作までのノウハウの消失を意味します。リリース当時は変更に対し、否定的意見も少なからずあったと記憶してますが、ぼくの場合は消えてしまったノウハウへの愛着よりも、新しいものへの興味が勝っていたように思います。
前項で述べたとおり、ぼくは本作から強い魅力を感じましたが、対戦を意識したやり込みとは無縁でした。ゲーム以外のことで忙しく、じっくり対戦する余裕がなかったのです。1年くらいはぼちぼち触っていましたが、気付けばゲームセンターそのものから足が遠ざかっていました。
再会のきっかけは、2004年に訪れました。当時は時間的に余裕があり、再びゲームセンターに足を運び始め、ゲーム仲間ができていました。仲間内で「今やってるゲームも飽きてきたね」などと言っていたぼくたちの目前に、『餓狼MOW』は姿を現しました。まるで名前も忘れた古いの友人が気安く話しかけてきたような戸惑いとうれしさを覚えつつ、コインを投入したと思います。もうゲームのセオリーなど忘れていましたが、そのときのぎこちない対戦は、「このゲーム、ここまでカッコ良かったっけ?」という新鮮な驚きをもたらしたのです。
その日から、『餓狼MOW』を見つめ直す作業が始まりました。本作に詳しい知り合いや、インターネットの海から最新の攻略情報を集め、対戦と研究を繰り返しました。幸運なことに、この再会の翌年の2005年、PlayStation2への移植版が発売されたため、プレイヤーのモチベーションは加速的に上がっていきました。過去のゲームであるにも関わらず、プレイヤーコミュニティ内では情報交換や議論が活発になり、さまざまな新テクニックが発見されました。だれかの発見にだれかが肉付けし、そしてまたほかのだれかがそれを元に研究を進めていく様子を見るのは楽しいものでした。なお、このぼくも、この時期の議論にはそこそこ貢献した自信があります。
攻略を進めていく日々は、とても楽しいものでした。実戦的なテクニックから使い道の無さそうな小ネタまで、いろいろな発見をしましたが、そのうち何か新しいことを見つけるたびに、「なぜこのゲームを作った人は、このような仕様を組み込んだのか?」などと考えるようになります。架空のゲーム開発者の姿を想像し、「このような設計をする人なら、あそこにも何か仕込んであるはずだ」などと、新たな仮説を立てて調査をしたりするのです。
すると、開発者の込めた意図や、それを超えたところにあるゲームそのものの意志とも呼べるような何かと対話しているような不思議な感覚に陥るようになりました。おそらく何か気のせい、錯覚の類なのですが、この「対話」を通して得られる「ゲームを理解した」感覚は、「長所も短所も含めて、このゲームの全てを肯定しよう」という感情を呼び起こします。この瞬間、『餓狼MOW』は、ぼくにとって特別な作品となりました(我ながら抽象的な話だな……)。
……さて、そろそろ紙数も尽きそうなので、筆を置く準備をしたいとおもいますがその前に! いま「長所も短所も全部肯定」と書きましたが、実は本作には一点だけ看過しがたい不満点があるので、それを書いて終わりとします。
それは本作の続編が作られず、ストーリーが完結していないこと。プレイ済みの方はご存知かと思いますが、本作のエンディングで、ロックは叔父のカインと共に、死亡したと思われていた母マリアに会うため旅立ちます。カインの言う「ギースの遺産」や、ロックの出生の謎の解明は、次回作に持ち越されました。しかし、リリースから12年たったいまにおいても、その続きは語られていません。ついでに、ぼくの脳内に住む架空の開発者も、物語のその後に関してはいまだ口を固く閉ざし、対話に応じてくれません。
なんとか続きを知れないものか、必ずしもゲームの形をとる必要は無くて、別のメディアでもいいのだけれど……と日々思うのですが、どうにかならないものでしょうかね? たとえば『アルカディア』に連載小説の形として載せるとかどうでしょう。編集部員はいますぐ企画書持って江坂に飛ぶべきですよ。ほら、早く早く!